はてなキーワード: ディラックとは
恐らく100人中100人が違うと答えるかもしれないが、私の中では鬱ゲーにカテゴリされている。
私(男)は幼い頃から二人の姉にアニメ、少女マンガ、ラブコメ、BL等を押し付けられ、
「あのキャラとあのキャラはくっついている」という姉達の妄想を事実として受け止めていた。
サマルトリアの王子がBL要素で入ってくるという妄想を自発的に考え出す過激派となっていた。
姉達も時より私を怯えた視線で見る程に。
それから私は様々なRPGをプレイし、全てのキャラを恋愛に持っていく危険な思想に磨きをかけていた。
そんな考えが早くも確立してしまった小学校5年生の時、私は聖剣伝説2と出会った。
ランディもプリムもどストライクなキャラデザな上に、その間にポポイという妖精がいることに涎を垂らした。
しかし、プリムはディラックという恋人がいて、そいつを探す為にランディ達と旅を共にする。
私は変な所で真面目だったので、既に恋人がいるキャラに対しては全く妄想が働かなかった。
その上プリムの恋人いるくせにランディに嫉妬?憎まれ口を叩いたり強気な性格が、女性特有のわがまま
(当時私は姉達のわがままっぷりに辟易していたのであえて「女性特有」と書く)さにゲームキャラとは思えない生々しさを感じ、
そして恋人のディラックはあんなことになるし、ポポイもあれだし、迎えたEDも凄い複雑な気持ちで見ていた記憶がある。
「偽のダサイクルを捏造できる」様な自体を他では無理矢理にでも避けてる、って話をしてんだろうが。
疑われたらそれを覆すのが難しいってのは当たり前の話。
だからそういう自体を避けるために、絶対に関係者は審査しない、と言うのは常識としてある。
だけどもし非常に小さなコミュニティーであれば専門家が限られるから「関係者以外」を選ぶことがそもそも不可能なことがあるし仕方ない面もある。
賞が十分ある、賞を受ける人も審査する人も沢山居る、というのであれば、偽のダサイクルであろうとなんだろうと疑われるような体制を取ったほうが悪い。
人が限られてる、って言うならダサイクルは真のものとしてそこにある可能性は誰も否定出来ない。
別に勝手に中でやってる分には勝手にしろ、としか言いようがないが、
国を上げてのオリンピックで海外からも文句言われるような自体になってる状態では無視できない、と言う話だろ。
○朝食
○薬
いっぱい飲みたいけど我慢
○昼飯
○夕飯
怒られたので、オムライスカレーを食べにいった。トマトが入ってて美味しかった。
○調子
ちょっと家族ともめてしまったせいで、心のバランスがまた崩れてしまった。
あと手当金の話が上手く進まずちょっと苦しい。
でも、以前のような死にたいとか、薬バカ飲みとか、消えたいとまではいかない。
とりあえずランニングしてチョコ食ったら、することないからゲームしよ、と思える程度には回復できた。
○ハッピーウォーズ
今まで対人専門だったんだけど、協力プレイも意外と面白いことに気づけた。
とはいえ、一周してやめた。
正直飽きてきたなあ。
ボス戦を数戦し、主人公達の村の人たちと合流できた所までプレイ。
ディスパッチャーの内容を今ひとつ理解していなかったのでサンプルコードを読んだり、本を読むなりした。
実装はできるんだけど、細かい所までは理解が追いついていなかったので、少し前に進めた感じがする。
こういう終わりがないゲームをどこまでやり込むかは難しいんですが、
とりあえずレベル50を目指そうかなあ、へっぽこの自分にはかなり遠い道のりになりそうですが。
Haloは1、2、4しかクリアしてないので、これをクリアすればナンバリングタイトルはとりあえず終えられるかな。
今日は「ステージ1 アライバル」(ムービーみるだけ)と「ステージ2 シエラ117」を攻略。
ビギナーなので、実績は解除されず。
でも難しいのよりもストーリーをちゃんと追いたいのです。
「たやすいことではない」とか「女の子とは約束しちゃだめ、出来ない約束はね」とか「集合場所は?」「戦場よ」とか、どれも痺れる決まってる。
目標もなくダラダラやるのが限界にきたので、自分の中のForza目標を決めて、それが達成されたら
その目標とは、シャーマンキングでX-LAWSが使う「天使」こと「スーパーカー」をゲーム中で可能な限りそろえ、自分が満足するレースをする。です。
いきなりなんのこっちゃと思われるかもしれまんせが、私の車の知識は本気でこの漫画程度しかないのです(※シャーマンキングは車漫画じゃそもそもありません)
なので、そこに登場する天使ことスーパーカーを集めて並べて満足する、それがForzaの僕の楽しみ方、ということにします。
○Forza2のやり込み度合いについて
まず自分は車の免許を持ってなく、車に対する興味や知識が全くと言っていいほどない。
まだレースゲームは対戦する楽しみがあるからいいものの、Forza2のオンラインは過疎っており、対戦が出来る状態にもない。
ならそもそも、どうして始めたのかというと、XboxOneで自分が好きなゲームを増やしたいから。
つまり、Forzaシリーズを自分なりの楽しみ方を見つける必要が有る!
そして、思いついたのが、僕が大好きな漫画「シャーマンキング」に登場する「天使」ことスーパーカーたちのことだ。
シャーマンキングに登場するX-LAWSという組織は、スーパーカーを武器に戦うのである。
それがいたく格好よく、ハンドルネームの元になった漫画のロボットと似ていることもあり、僕は彼らが大好きなのだ。
というわけで、Forzaでも彼らのスーパーカーをすべて所有し、満足いくまで運転したら、次のナンバリングに進むという自分ルールを制定した。
以下はそのメモ
マルコ、ミカエル、フェラーリ92年型、フェラーリ、イタリア(92年型はなかったので年代が近い91年型で妥協しよう(そういうもんでいいのか?))
リゼルク、ゼルエル、ロータスエリーゼ、ロータス、イギリス(いっぱいあってよくわからんから、適当にデザインで選ぼう)
ジョンテンバット、ラファエル、アストンマーチン・DB4、アストンマーチン、イギリス(DB4がないからDB9で代用しよう(いいのかなあ?))
ラーキ・ディラック、ウリエル、フォード・GT40、フォード、アメリカ(Mk2ってのがあったからこれでいこう、もうこれでいいのです。)
ポーフ・グリフィス、サリエル、ポルシェ・911、ポルシェ、ドイツ(なんか山ほどあるけど、どうしよう)
クリス・ブンスター、メタトロン、ハマーH1、ゼネラルモーターズ、アメリカ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ケビン・メンデル、レミエル、メルセデス・ベンツ 300SL、ベンツ、ドイツ(この会社はForza2で見つけられなかった)
ミイネ・モンゴメリ、ガブリエル、ジュリエッタSZ、アルファロメオ、イタリア(この会社はForza2で見つけられなかった)
というわけで、フェラーリとロータスエリーゼとアストンマーチンDB9とフォードGT40MK2とポルシェ911を買って、
で、Forza3でも同じことをやって、Forza4でも同じことをやって、ゲーム性が違うホライゾンは普通に楽しみます。
○購入記
アストンマーチンDB9(金がない)
フォードGT40MK2(ロックされている)どうやらレベル39まで上げないといけないらしい、今レベル23でかなり飽きかけてるんだけどなあ(汗)
ポルシェ911(金がない)
それはさすがにレベル低過ぎじゃね???
俺が学生の頃は「あの子と内積とりたい」とか(ディラックのブラケットを思い浮かべること)、数少ない女の子に群がる男を見て「ボーズアインシュタイン凝縮してる」とか、そういうのが普通に日常会話だったが。
今は社会に出てるので線形代数あたりのネタが多いな。内積も当然線形空間ネタなんだが、なんというか、ディラック記法を踏まえた文脈かどうかの違いが本質的。物理系のヒルベルト空間は必然的にその上に作用する作用素とセットだから。
そもそも例えじゃなくて文化資本の格差を時間の関数と見たときの厳密な表現だぞ。
他の科ならわざわざ数学に例えるなんてひくわぁ
文系ならそうだろうけど、理系でそれ言うと自分の馬鹿さ加減を宣伝してることになるぞ。
まともな理系の知識持ってる人間だったら「2階微分」で意味不明と思うなんて有り得ないよ。
うちの会社とか、どう逆立ちしても入社すらできないだろうなあ。
しかしこういう「勉強ダセェw」みたいな子、10年ぶりくらいに見たな…。なんか懐かしい感じ。どういうバックグラウンドの子なんだろう。
正規の教育を受けていない中卒で、この内容はトンデモっぽいから詳しい人突っ込みよろしく。
区間 [0, 2PI] において、任意の a を x の係数とした sin ax は+1と-1の間の値をとる周期 a の正弦波の関数である事は周知の通りだが、例えば a を無限大にまで極限させてみるとどうなるだろうか。
具体的には、上述の例に於いて lim_[a → #N] の極限の条件を付け加えるのである。
ただし N は自然数全体の集合で、 #S は集合 S の濃度を示すとする。
適当な b (0 ≦ b ≦ 2PI) を選び、 sin b と同じ値が sin ax 中にいくつ現れるかを数えてみる。
[0, 2PI] sin ax (a in N) で sin b と一致する値をとる場所はsinの導関数が極大あるいは極小になる PI/4 と 3PI/4 であれば a 個、そうでない場合は 2a 個である。
lim_[a → #N] では区間 [0, 2PI] 内でその個数は #N と同じ値になる。
周期関数が有界な区間の中に可算無限回敷き詰められているのだから、これを面だと主張しても良さそうに思える。
実際、 lim_[a → #N] sin ax で x を適当な実数とすると、関数の値は [+1, -1] の範囲で特定不可ではあるが、任意に選んだ c (-1 ≦ c ≦ +1) というのは確かに存在する。
今日は体調が優れずこれ以上考えが及ばなかったのでここまでにしておくが、
など、考える余地はまだありそうだ。
また、この記事自体既存の考えに重複するものかもしれない。その場合は、無学な私にどの分野と被るかを具体的に教えてくれるとありがたい。
ホッテントリ読んでいたら、昔2chに投稿した駄文のことを思い出した。ググってサルベージしたので、ちょっと修正してここに書く。ちなみに、内容についてあまり突っ込むな。いろいろな意味で。
昔オーディオの新しい波に乗り切れなかったシュレーディンガーは、 コペンハーゲンのオーディオマニアに向けてこういうことを言った。
完全防音の部屋の中にオーディオセットがある。外から鍵をかけて密室にした後、目覚まし時計によってオーディオセットが演奏をはじめる。このとき、コペンハーゲン派の立場だとつぎのようになるぞ。
すなわち:
これは明らかにおかしい。
オーディオシステムの音のよさは試聴とは無関係にあらかじめ決まっているはずだだから、コペンハーゲン派のオーディオ解釈は誤っている
しかし、ニールス・ボーアは直感に反してオーディオシステムの音は聞いてみるまでわからないだけでなく、聞いてみるまで性能すら定まらないのだとあらためて主張した(聞くまで無調整と言う意味ではない)。
これが有名なシュレーディンガーのオーディオシステムというパラドックスだ。
昔、音のよさには絶対的な基準があるという説がもっぱら主流だった。だが、こうすると音のよさが見かけの上で無限大になる場合があるという計算結果がでてパニックになった。困ったことに、絶対基準があると仮定して行ったブラインドテストがこれを否定した(マイケルソン=モーレーの実験)
その後、1905年にアインシュタインが音のよさには相対的な基準しかなく、かつ上限が決まっていると仮定した理論展開を行う論文を書いた。これが特殊相対性理論だ。この衝撃的な論文のあと、加速する車の中のカーオーディオについても適用できる音響理論をうちたてたのが有名な一般相対性理論だ。相対性理論からは、「一生懸命作ったオーディオなのに友達のシステムの方がよく聞こえる」ことが理論的に導き出される。これは日本古来の経験則、「隣の芝生は青い」ともよく一致する。
数学者だったクルト・ゲーデルはオーディオマニアだったことでも有名だ。
彼はよい音を求めていつもパーツ屋に通っては怪しい部品だのケーブルだのを買い求めていた。友人はそれを揶揄して笑ったが、完璧主義者だったゲーデルは自分が買った高級オーディオケーブルが実はやくたいもない屑ケーブルであることを認めず、必死で言い訳を織り上げた。しかし、優れた数学者だった彼は自分の言い訳にほつれがあることに気づいた。次の二つを両立する言い訳が成り立たないのだ。
すなわち:「完全かつ無矛盾な小売系は存在しない」これは真に偉大な発見で彼の名声を高めた。しかし、後に音の滑らかさを追い求める連続体仮説に思いをめぐらすうちに、カントールと同じく狂気の闇へと落ちていくことになる。
日本経済が絶頂期にあった80年代初頭、一部のオーディオメーカーは将来市場が頭打ちになりかねないことを予見して体系的な市場アプローチ、すなわちマーケティングを導入し、市場の行方を占うことにした。
このとき問題になったのはオーディオマニア層だ。口うるさいくせに雑誌で発言力のあるマニアは市場としては小さいが無視できない。そこで、マニアがどのような振る舞いを行うか、その統計的な側面が研究された。
もっとも有名なのは「二人以上のマニアが同じ意見を持つことはない」という仮定に基づいて行われた研究だ。これは人の話は聞かないくせに、同意もしないというマニアの実に嫌らしい振る舞いを見事に反映したモデルだった。
このモデルに基づく市場動向の予測は、研究者の名前を取って、フェルミ・ディラック統計と呼ばれる。この統計は各社が採用して市場予測に使い、大きな成果をあげた。
なお、マニアも興奮してくると見かけの意見らしきものをつなぐことができなくなり、オーディオ好きの高校生と同じになる。この場合は古典的な統計が適用可能になる。すなわち、マニアも興奮すると大衆程度の振る舞いになり、ガウス分布に従うようになる。そのため、オーディオフェアなど興奮しがちな場所では古典統計が使われる。
同じころ、排他的でないマニアを冷静にすると、全員がひとつの意見をもつようになるというボーズ・アインシュタイン統計も発表された(アインシュタインは先の相対性音響論を発表したのと同一人物)。しかし、企業の企画担当者が「排他的でなく冷静な」マニアを想像できなかったことからこの統計は採用されず、一部研究者がその実現性を予想しただけだった。
転機は90年代半ばに訪れた。自分の意見より人の顔色を尊重する日本人に対して行われた一連の実験から、ボース・アインシュタイン統計が適用可能な場合が示された。一群のオーディオマニアを集め、彼らを数日にわたって否定することで体力と自意識を削り取ることにより、極度の低興奮状態に置く。この状態では部屋の中のすべてのオーディオマニアが尊師の言うとおり提示された オーディオセットはすばらしいと一様に誉めた。この歴史的な成功以来、同様の実験が都内各所の道場で行われたが、その後この実験は危険であるとして禁止されている。
やたらテンションの低いオーディオマニアが全員同じ意見を述べるようなキモイ状態は、ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれている。
via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の物理オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない物理の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、物理のことを紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に物理を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うマニアックな人物は避けたい。
できれば伝記が出てる人物、少なくともブルーバックスレベルにとどめたい。
あと、いくら物理的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
物理好きが『ケプラー』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
物理知識はいわゆる「ブルーバックス」的なものを除けば、中学校程度の物理は知ってる
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりかよとも思うけれど、「アインシュタイン以前」を濃縮しきっていて、「アインシュタイン以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。知名度もあるし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
情報過多なアインシュタインの業績の数々について、特にリーマン空間上の時空の幾何学という数学的側面が強い一般相対論について、
どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな物理学者(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「物理オタとしてはニュートン力学と万有引力の法則は“常識”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSF物理オタが持ってる時空制御やタイムトラベルへの憧憬と、一方で時間順序保護仮説を唱えるオタ的な理論物理へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもSFオタ的な
の二つをはじめとして、オタ好きのする理論を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「モーツァルトだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
これほどの変態的天才がその後続いていないこと、これがアメリカでは軍事への貢献で大人気になったこと、
数学から経済学までのあらゆる分野に影響を残した天才ぶりはアメリカなら実写テレビドラマになって、
それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういう天才が生まれないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり物理は目に見える自然現象を説明するためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「アンリ・ナビエ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、電磁気学にかけるマクスウェルの思いが好きだから。
(以下思いつかねえ)
今の若年層でオイラーを目指す人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
量子力学よりも前の段階で、力学現象を解析的に取り扱う哲学や位相空間の技法は彼で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの物理学者が数学者の片手間でこの時代に生まれていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく物理好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるニュートン力学でしか物理を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
(還元論的)物理の「本質」あるいは「原理」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「あらゆる基本的な物理量は保存する」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ理論物理学の最も基本的な量はハミルトニアン以外ではあり得なかったとも思う。
「複雑系を取り扱う新しい物理」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はハミルトニアン(時間並進対称性に起因する保存量)にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に対称性と保存量の美しい関係を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう純粋数学チックな物理を元文系の天才物理学者が推進していて、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にファインマンを選んだ。
アインシュタインから始まってファインマンで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、場の量子論以降の
素粒子物理時代の先駆けとなった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
10人は疲れるなこれ…。穴だらけだわ。そういう意味では元増田すげえな…。