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2024-05-10

ゴジラ-1.0 感想

アマプラ配信始まったんで見てみた。

特撮はスゴい。以上! っていう感想だった。

特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果ハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。

特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。

 

でも脚本がね、もう、ダメダメ……てんでダメでね……。

稚拙もいいとこ……。

 

致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。

 

プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。

言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。

そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。

こんなの、専門家ちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。

あと秋津佐々木蔵之介)が野田吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者技官とは言え元将校という設定で、元下士官秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。

そしてプロット

物語背骨になっている「大戸玉砕主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦機関砲でゴジラ撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスゴジラではなかった(どっちみち敷島特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語駆動するトルクがまったく足りない。

まして「大戸玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?

敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要

あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味からなかったしどうでもよかった。

初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。

キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。

それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベル卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。

anond:20240510111648

8時台にテレビの前にいるのが男が多いのか女が多いのか、同じくらいなのか。

昔は女が多かったんだろう。だから朝ドラは女主人公が多かった。

今は「朝ドラ」のイメージが定着したから、その慣習を変えられない。

anond:20240510140640

俺も小学生の頃斉藤由貴が好きだったんだけどさ

しばらく見てなかったから「アレは子供の頃、アイドルが好きって言いたいだけだったのかな?」とか思ってたのよ

で、久々にテレビ斉藤由貴見たら、今でもすごいキュンキュンするんだよね

三つ子の魂百までとはいうけど、若い頃でも年取った今でもやっぱ可愛い可愛いのよ。

鬼平犯科帳映画って面白いの?

なぜかテレビで1回も見たことないんだよね

行こうかどうしようか迷ってる

時代劇の火を消したくないか

なるべく金落とそうとは思ってるんだけど

火付盗賊改の話だろ

NHKでやってた雲霧仁左衛門面白かったけど

どうしようかなあ

Web広告業者が滅びたらインターネットはもう少し平和になると思う

テレビCM雑誌広告にはたまに見たい広告があるけどweb広告を見て嬉しいと思ったことなんて一度もないんだが

どうにかできんかな

羽生結弦宇野昌磨の頭グリグリ写真」を未だに使うメディアは異常

5月9日フィギュアスケート宇野昌磨選手現役引退を表明した。ミラノ五輪前での活躍も期待されていただけに、世界中関係者から引退を惜しむ声が出ている。

彼は冬季五輪大会で3つのメダルを獲得、世界選手権2連覇を果たすなど輝かしい戦績を誇るレジェンドだ。わずか900ℊの極小未熟児で生まれながらもスポーツの分野で世界一の座を勝ち取るまでに成長した彼は、小さく生まれた子を育てる親の間では希望の星でもある。

これだけの戦績を残した選手からメディアは彼の引退特集を組む。その中で一緒に大会に出ていて表彰台にも上った羽生結弦選手(当時)の映像写真が入って来るのは当然だろう。しかし、一部のメディアは「平昌五輪表彰式後、宇野昌磨選手の頭をグリグリする羽生結弦選手」の写真映像を繰り返し入れてくるのだ。

当時も不快だったあのシーンを繰り返し見せられるこっちは胸糞だし、何より宇野選手に対して失礼極まりない。平昌五輪で彼らが笑顔表彰台に乗っている写真でいいじゃないか。アレを微笑ましいor美しい光景だと今も本当に思っているとしたら、メディア関係者感覚は異常だ。時代遅れも甚だしい。

今年3月、岐阜町長が「頭ポンポン」をセクハラパワハラだと問題視されて辞職に追い込まれたのを忘れたのか?「頭ポンポンされるなんて嫌だ」 「褒めるのに頭を触る必要なんかない、不快だ」という一般の声があれほど大きく取り上げられてまだ2か月しか経ってないのに。

https://news.ntv.co.jp/category/society/e2ce0c7b4d0c4eb0af2cc1ec56780187

平昌五輪の当時からもあの「頭グリグリ」をどうかと思ってる人はかなりいた。「グリグリ」という表現に私の悪意があると感じるなら、「わしゃわしゃ」「ナデナデ」などという表現に読み替えてもらってもいい。

年上が年下の頭を「ナデナデ」していいのはせいぜい小学生ぐらいまでだろう。それも二人の関係性に濃い師弟関係血縁関係性愛友情がある場合相互関係性によっては許されるかな?というレベル。親ですら思春期以降の息子の頭はそうそう撫でたりしない。頭を撫でる行為上下関係を明らかにする意味があり、本人のプライドを傷つけかねない行為からだ。

宇野昌磨選手は童顔だが当時既に20歳の成人男子だ。1位を取った先輩が2位の成人男子の頭を触ってグリグリするのは「俺の方が上だ」と見せつけるマウンティング行為しか見えず、当時からかなり不快だった。

なのに当時の日本メディアはあれを「微笑ましい名場面」として何度も使った。頭おかしいのかと思った。

しかもああいうめでたい場でああいうことをされるとその場の雰囲気を壊さしづらい。しかも先輩&連覇の優勝者という強い立場を持つ人からされたら、公の場では笑って対応せざるを得ないだろう。セクハラパワハラと同じ。その場では笑顔で返してたかOK!というようなもんじゃない。仮に宇野選手本人があれを受け入れていたと仮定しても、ああい行為を見せられるのは他人でも不快だ。

あの時は日本全体が日本選手が金&銀ダブル表彰台の喜びに浸っていたためか「仲良くて微笑ましいシーン」と受け取った視聴者が多かったようだが、当時から若い男性陣のなかには「何アレ?」と不快感を口に出す人が結構な数いた。

フィギュアスケートファンなら知っていることだが、この二人の年齢差だと子供時代競技会での接点はほとんど無かった。会えば話をするような関係性ぐらいはあったが決して親しいと呼べるような間柄ではなかった。

当時の宇野選手はまだ一般人にはあまり名前を知られていなかったが、演技構成の難度からいって金メダル候補だった。専門家の間では、高難度ジャンプ複数入れる伸び盛りの若手(宇野選手&ネイサンチェン選手ら)とジャンプ難易度では一段劣るが熟練技術経験を持つベテラン羽生結弦選手フェルナンデス選手ら)の争いと見られていた。

平昌五輪では羽生選手フリーミスがあり(転倒じゃなくジャンプの「抜け」だからわかりにくいが)、1転倒はしたが演技構成難易度で上回る宇野選手とは実力が拮抗していた。ジャッジの匙加減次第では宇野選手が優勝することもありえた。その直後の頭グリグリだ。

何であのシーンを引退の門出で使う必要があるのか?

彼の平昌五輪の名シーンは他にも一杯あるではないか

宇野昌磨選手ファンの反応を探ってみたが、あの写真が使われていることを嫌がっている人が多く、喜んでいる人は少なかった。自衛策として「羽生コメントや彼との不快映像が入っていたかどうか」をファン同士で確認してから引退報道放送録画を見るーという人も複数見かけた。

羽生結弦は「昔も今も自分が一番」で他選手たちへのマウンティング行為を繰り返してきた。一般人は「常識的発言部分を編集したものしか目にしていないが、試合記者会見の様子を現地やナマ配信で全て見てきているフィギュアスケートファンは彼が過去にどれだけ傲岸不遜な発言を繰り返してきたかを知っている。

彼が全日本選手権を3年連続で欠場し、その間3連覇を続けていた宇野選手直接対決した全日本選手権宇野選手が優勝して4連覇した直後に「全日本王者って大変だよ!? 」 「(俺に勝ったからって)燃え尽きちゃいけないよ」と話しかけてきたような輩である。それも、テレビカメラがいる前でしかしかけない。

羽生結弦他人を褒めたことがほとんどない。めずらしく褒めても、その直後に自分の方が上or同等であるという主旨の発言を付け加えて台無しにする。ちなみに彼は北京五輪メダルを獲った日本選手たちについてコメントを求められた時すら祝福のことばを一度も口にしていない。彼の過去の胸糞発言や行動について書き始めるとキリがなくなるのでこのへんで自重しておく。

とにかく、今の時代あんパワハラ写真映像をしつこく使うメディア関係者の神経はどうかしている。今言いたいのはそれだけ。

ドル円反転はテレビ見とけ

ハイパーインフレ煽りドル買おうキャンペーンを打ち始めたら、円キャリーを利確して日本人ドル押し付ける準備に入った証拠

逆に何も報道が無いならまだ進む

進めば進むほど外人が得する

テレビ等で言い合いをしている場面を見ると、何となくストレスを感じてしまい、それ以上見ていられなくてチャンネルを変えてしまう。

これって病気なのかな。

いままでは単に性格問題と思っていたけど。

ちなみに、いわゆる「共感性羞恥」の気質も持っており、テレビ芸能人などが恥をかいている場面を見るとチャンネルを変えたくなる。

2024-05-09

anond:20240509235300

テレビに出る人って活動家ばかりだから

あれ見たら普通の人はデモって参加してる人頭おかしいんだなと勘違いちゃうかも

明らかに変な参加者だけに取材して普通参加者は映さないんだよ主婦も参加してるのに

anond:20240509234901

この間、東京日本デモを見ましたけど、良いデモでしたよ。人数があまりに少なかったけど。

100万人で街を埋め尽くしてデモとかやらないのかな?

テレビには全然報道されないしね。テレビ無知な人が多いかデモを腫れ物扱いしてるのかな?

父親への尊敬嫌悪が年々増していく

大手企業サラリーマン勤続30年超えで、妻と子ども2人を養って、自分あんまりお金使わず家買って子ども私立に通わせて、毎日電車通勤して、休日家族のために遠出したりして、身体精神病気せず健康 間違いなく尊敬しているし、恵まれ環境で育ててもらったし、結婚するなら父親みたいな人がいいんだろうと本気で思う

でも、一方で父親の俗っぽさに対する嫌悪がすごい、というか父親自分性格そっくりから自分への嫌悪なんだけど ゴルフなんて再現性スポーツなんだから俺にもできる、と言い放つ(家の中だけだろうけどね)割に、練習することはしない 無趣味仕事から帰ってきたら飲酒してテレビiPad見て、Amazonセールやってると嬉々として私に教えてくる 自意識過剰なのに自己表現が下手くそ優柔不断で、母親料理を食べても褒めないし贈り物してもリアクション薄い

暗黙の短歌テーゼ

最近短歌に関する増田記事とそれへの反応で気がついたのは、多くの人は歌人が共有する短歌に関する暗黙の考え方を知らないということだ。

短歌詠みの間には短歌に関する決まりごとや規範が暗黙のうちに共有されており、それを念頭に置いて歌を詠んだり、鑑賞したりする。私はこれを「短歌テーゼ」と勝手に呼んでいる。

あらかじめ言っておくと、このテーゼは必ず守らなくてはならないルールではない。むしろ現代短歌どうやってテーゼに沿わずして魅力のある短歌を生み出すか試行錯誤している節がある。

だが、どんな流派であっても優れた歌人はこのテーゼ意識し、従うか対抗するかのスタンスを明確にして歌を詠んでいる。そして、そのスタンスがある程度共通している歌人同士が同じ結社の中で作歌や鑑賞をすることで歌風確立させて行くのである

であるから、反例となる名歌はいくらでも挙げられるであろうが、反例があることはテーゼ存在しないことを意味しない。

以下、私はこれが短歌テーゼだと思うものを挙げてみる。これらは私が歌会での経験短歌関連の書物を通じて知ったことをベースにした持論であり、歌壇において認められた学説などではないということは断っておく。これらが短歌テーゼ網羅したものとも考えていない。もしこれも短歌テーゼなのではないかと思うものがあれば、教えてほしい。

また、この記事を書くにあたって各テーゼに従っている歌と、対抗する歌(=アンチ・テーゼ)を例示しようとしたが的確な歌を全部に配置できないので諦めた。こうした歌の事例もぜひ提案してもらえると嬉しい。(この記事果たしてまれるのか?という疑念はあるのだが……)

ちなみにこれから挙げるテーゼに対して確信犯的にすべて逸脱しているのが穂村弘である穂村弘歌人の中でも一般的知名度が高く、フォロワーも多いのだが、実のところ短歌テーゼ的には極めて特異な位置付けにある存在だ。ただし、それは戦後短歌運動の流れを意識的に継承した、れっきとした文学的試みである

1. 短歌は、<うた>である

短歌本来は歌であり、5・7・5・7・7の韻律を守り、音読したときに美しい調べとなるよう詠むことを求める。句割りや句またがりを多用したり、日本語として音読が困難な言葉を入れてはならない。

2. 短歌は、現実描写するべきである

歌会などで短歌の詠み合いなどをすると、時々「この歌は"作ってる"ね」と評されることがある。短歌描写リアリティが無かったり、やけにドラマティックであるなど、現実には起こったことでない内容である判断された時にこう言われる。このテーゼにおいては、どれだけ平凡ではあっても日常に実際に起こったことの方がドラマティックな虚構よりも価値があるのである

3. 短歌は、作るものでなく生まれものである

"作る"という先ほどの言葉の中には、作為的言葉を操り、上手く作ろうとする気持ちを戒めるニュアンスも含まれている。日々優れた短歌を鑑賞し、心のうちに誦じて日常を過ごす中で、するっと生まれてくるものを精製するのが本来短歌なのである。こうした体験なしに、ただ物珍しい言葉をいたずらに組み合わせて面白がられる歌を作ろうとする姿勢は望ましくない。

4. 短歌は、身体性を伴うべし

短歌日常生活に即した芸術である。その生活感覚は、身体から得られるものであって、生活に根ざしていない社会政治的話題や、テレビで見たことなど身体を伴わない経験を取り上げるのは望ましくない。

5. 短歌は、風景と実感の呼応関係である

短歌は、風景描写と心情の表現がセットとなるように構成すべきである風景はただの現実ではなく、それに対峙する詠み手の心情を象徴するものとして描写されなければならない。

6. 短歌には、情念を込めるべきである

ただものごとを説明するだけの短歌はただごとうたであり、本来短歌ではない。短歌には詠み手情念表現されなければならない。

7. 短歌は、日本の伝統文化である

短歌日本語を支える伝統文化である王朝時代以来の和歌歴史を学び、古典の優れた歌に触れながら、そのような伝統に連なることを意識して歌を詠むべきである和歌過去の名歌を鑑賞し、日本文化象徴するような風流事物を題材として歌を詠め。




追記:

ちなみに私自身は1・4・5・6に賛同し、2・3はややや否定的であり、7は積極的否定するスタンスである。7とどう決別するかは、戦後短歌の大きな課題でもあったという認識である

iPad炎上CMの件だけどさ

うん。あれは良くないな。

何故かというとピアノやら絵画やらテレビやら、これまでの人類の叡智と努力結晶

そういったプロセスを全部なかったことにして、iPad包含してますよ、みたいな感じになってるからだ。

流川楓風にいうと「相当テングになってやがる・・・」ってところだな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/09/news084.html

追記

この動画TikTok流行に着想を得たのではないかという見方がでているほか、特に日本ユーザーから、「iPadpvほんとグロい、ユーザーに物作る人多いだろうに彼らが傷つくことを平気でやっている」「自社以外の技術リスペクトがない」「どこかの誰かが勝手に作った悪趣味映像だと思ったら、ティム・クックさんがアップしてた。正気アップル。。。」などと批判が相次いでいる。著名クリエイターらの間でも話題だ。

https://www.j-cast.com/2024/05/08483143.html

まーたtiktok中国)か。

やっぱ害のあるアプリ禁止するしかないんだってはっきりわかんだね。

anond:20240509155144

孤独生活とはさぞ寂しかろう。

夜一人、LEDに照らされて食べる食事の侘しさたるや。

家族友達と囲む食卓も、一人テレビを見ながら食べる孤食も、部屋を照らすLEDの輝きは同じなのになぜ一人の時は暗く感じるのか。

テレビ特集家庭菜園で毎月食費2万円削減!ってあったんだけど

毎月野菜だけで2万円も使うか?ってずっと引っかかってる。

4人家族だったけど野菜だけで毎月2万円……?

 

具体的なエビヤンスを出すと

2021年総務省統計局家計調査4人世帯の食費の内訳

野菜海藻類:8,847円

合計:87,017円

2022年総務省統計局家計調査4人世帯の食費の内訳

野菜海藻類:8,600円

合計:88,102円

 

ですよね。

家庭菜園で採れたもの市場価格で食ったら2万円くらいになるんですよ~って意味なのは分かるけど

それって、「削減」とは全く別の概念だよね?

家庭菜園やってるおかげでリッチ生活できてますならわかるけど

2万円削減できます!って言われたら、言うほどそうかってなるし、

そもそも毎月2万円分の野菜が取れる家庭菜園やれる庭と時間がある奴の話なんか参考にならんって

普通人間だったら思うんじゃないだろうか。

anond:20240509051011

ぼんやりと覚えてるんだけど、ネットのない時代でもテレビとかで子供とはいえエロに接する機会があるのよ。

なぜ大人パンツに興味あるの?って5歳の時に思った。

当時は小さいかミニ履いている人のパンツもよく見えた。なんでこれが嬉しいの?ふしぎ!って思った記憶がある

子供性的ではなく好奇心で尻触るんだと思うよ。いえばピンポンダッシュと同じだよ。

それを許容するのか、断罪するのか、時代だと思うね。

2024-05-08

Appleプレス動画は「文化が違う!」という話

日本人からすると理解不能Appleのあれ。

海外ももちろん批判する人はいますが、日本ほど大きな拒否反応ではないですね。

古くて嵩張るモノたちをぶち壊して新しいスマートさを手にしよう!とでも言いたげな、日本企業だったら絶対に作らないCM

あいものがなぜ出てくるのかというと2つの文化の違いを知る必要があります

比較する文化

欧米では比較広告が当たり前です。

日本ではグラフに「A社、B社」と書くような控えめな比較がせいぜいですが、あちらでは具体的に社名や商品名を出して貶したり、それに対して自社製品が如何に優れているかアピールします。

「何かを褒めるために別の何かを貶す必要はないのに…」というコメントを見かけましたが、まったく逆でその必要はあると考えられているんですね。

モノはモノ

新型iPhoneiPadが発売されるとYouTubeには恒例の銃で撃つ・トラックで轢く・ミキサーにかける・プレス機で潰す(!)といった動画が上がります

日本でこんなことがありえるでしょうか?

日本人YouTuberが日本企業製品破壊する動画を出したら大炎上、少なくとも人気にはならないでしょう。

なんだかんだ言って日本人にはanimism的な思想があり、モノに欧米の人とは違う思い入れがあるようです。

それがない文化の人たちからすれば「生き物でもないのに好きにして何がいけないの?」なわけです。


個人的には動画最後にemojiの顔を潰すところが一番心にクるものがありました。

日本文化からまれ世界に広がった絵文字ですが、その捉え方はやはり我々と違ってただの記号以上のものではないのでしょう。

Apple日本でも人気があり日本人に合うところがあるなんて言われますが、ZENなどと言っていても所詮アメリカという異国異文化企業

海外製品サービスが主流になって私たちにとって不快ものでも受け入れざるを得ない、そんなリスクについて考えさせられる一件でした。

果たしてあの動画日本でもWeb広告テレビCM流れるのか、気になりますね。

「お前の代わりは幾らでも居る」は半分間違い。

松本人志が居なくてもテレビは回るけど、松本人志島田紳助の代わりは居ないでしょう。

それと同じで、自分が居なくても仕事は回るけど、自分の代わりは居ないんじゃないかと言う話。

anond:20240508131711

モーレツごっこ」として流行

ごっこ遊びは漫画起源ではないので、漫画の真似という論拠がない。

元々のCMから「オー! モーレツ!」 が入ってる以上オリジナルでなく

CMから広まった遊びの可能性のが高いよね。

当時のTV視聴率を舐めないでほしい。

1970年って当然だけど情報の伝達には今よりタイムラグがあって

実際の流行CM起源でとっくに広まっててダメ押し程度になっていても

教育現場にいない永井豪には知るすべもない。

事実として、「モーレツごっこ」が流行った後に出版社クレームがきて永井豪認知する。以外の方法がないので

証言採用することが誤り。

http://www.mazingerz.com/GOSIRYOKUKENKYUJO/2003_01_09/21content.html

この通り、テレビの吊し上げからジャンプ責任をそらすために自白強要のような動きをしただけだね。

以前からからあっただけで流行ったのはハレンチ学園じゃね?

wikiとこれと本人談を読んだ限りで時系列にすると

https://books.google.co.jp/books?id=Okhi4BqhKB4C&pg=PT278&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false


問題なのは①と②の流行り具合の差であろう

党派性によって「ハレンチ学園より前に流行っていた」vs「広めたのはハレンチ学園」になるのは明白だ

ご本人の談としてはこのようなものが見つかった

そういう中で描いたのが「スカートめくり」だった。当時を知らない人のために書いておくと、当時テレビ流行っていたCMパロディーだ。小川ローザさんというハーフモデルさんが出演していて、風で彼女スカートがまくれ上がって「オー! モーレツ!」と台詞が入るという、全国のお父さんが鼻の下を伸ばしていたアレだ。

CMを元にしたのは間違いなさそうだ

これを描いたら、アッという間に日本中学校で「スカートめくり」が大流行することになった。

ご本人も描いた後に大流行したという認識

よほどインパクトが強かったのだろう。十兵衛がパンツを穿き忘れていた、という設定にしちゃったのが原因かもしれないけれど。

ドラゴンボールブルマみたいな感じだった様子。確かにインパクトは凄かったのかも


ということで、私は当時を100%知っている著者ご本人の「描いた後に大流行した」説を支持しま

モーレツごっこ」と「ごっこ」がついているのも漫画の真似だと認識されていたんだと思う

http://www.mazingerz.com/GOSIRYOKUKENKYUJO/2003_01_09/21content.html

anond:20240508124303

テレビは視なくなったけど昔みたいにテレビに向かって文句いってる老人のようなひとだ😑

anond:20240508111115

ウィキペディアでは省略されているが、丸善石油(現コスモ石油)のテレビCM放映と「モーレツごっこ」が描かれた「ハレンチ学園」との間に、名古屋小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道があった。

マンガや本で「性」を学んだ昭和の男子たち (2017年7月29日) - エキサイトニュース

1969年4月ごろから丸善ガソリンテレビCM『Oh! モーレツ』での女性スカートがまくれ上がる表現が全国のお茶の間に流れ、センセーショナル話題に。名古屋小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道名古屋テレビ番組『やあ!やあ!ガキ大将』内で教育評論家の阿部進氏が報告)がされる騒動になります

永井氏はその現象インスピレーションを受け、さっそく7月10日発売の『少年ジャンプ/創刊1周年記念号』の巻頭で『ハレンチ学園モーレツごっこの巻』を発表しました。

「スカートめくり」自体は『ハレンチ学園』以前からあった|ちゆ12歳

この記事は、『やあ! やあ! ガキ大将』の司会をしていた阿部進さんが書いており、1969年6月29日放送された回の内容が紹介されています

それによると、6月放送テレビ番組の中で、次のようなやりとりがあったそうです。

番組に出演した子供に、「いま、名古屋地方では、なにが、はやってますか?」と質問

女の子オッパイモミモミっていうのが、はやってるんです。(中略)女の子どうしよ。男の子はやんないの」

男の子「ぼくはネ、スカートをめくるの」

古今亭志ん馬さん(番組ゲスト)「スカートめくりは、うちのコもやってるの。学校でネ。(中略)やられた女の子が、モーレツっていうんだ。スカートめくるのは、べつに、どうってことないよね。おもしろがってやってるだけだもの

これを受けて、7月発売のジャンプで『ハレンチ学園』のスカートまくりの回が掲載されたという順序です。

anond:20240508103152

ウィキペディアに書いてあったよ

1969年丸善石油(現コスモ石油)のテレビCMで、突風小川ローザスカートが舞い上がり、「オー!!モーレツ」と叫んで小川がそれを押さえるシーンが登場し、これと重なる時期に永井豪漫画ハレンチ学園』がヒットしたことで、「モーレツごっこ」と称するスカートめくりが1970年頃に小中学校流行した[5][6]。1971年には、小学生スカートめくりは下火になったと報告されているが[7]、撲滅されたわけではなく、今日まで嫌がらせ、あるいはいじめの一環として小・中・高校生あいだにあり続けており、世情調査もいくつか発表されている(以下参照)。

名古屋地方の子供がなんで「モーレツ」って言うのかわからなかったけど元ネタCMなんだね

ウィキペディアにあるみちくさ学会 研究報告第3集 近代歴史って書籍には

1960年代から子供向け週刊漫画が創刊されるとマンガを真似たごっこ遊びが発生した」とあるから

歴史から学ぶとなるとやっぱりマンガは影響してます

さらに言えば「1960年代ごっこ遊びの時点で教師母親懸念していた」ともあるので

1969年CMの時点でPTAが騒がず、ハレンチ学園後に抗議が殺到した事実から

流行の度合いが全然違っただろうことは想像できます

ハレンチ学園の前から流行っていた説は軟弱な説と言わざるをえないか

anond:20240507171148

全くもって同感。

雑に育ててもなんとかなったっていう人は多いけど具体的にどこからどこまでが「雑」に含まれるのかははっきりしない。

周りの具体的なエピソードを聞いて◯◯さんとこはこんな感じだからうちも似たような状況でOKとか判断するしかない。

他の家では夜中まで子供テレビ見せてるけどうちは10時までだからOKとかね。

みんなでだらしない子育てエピソード積極的ネット晒していこ。

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