はてなキーワード: スマホとは
この件、新聞各紙やNHKも報じて思ったより大ごとになって驚いていますが致し方ないと思います。
カメラ好き・写真趣味の界隈でも概ね「明らかに機能説明や性能イメージと認識される画像はともかく作例と誤認させる画像はアウト。しかも他社機による写真だったとはカメラメーカーとして情けない」という見解です。
ごく一部アレなLUMIXファンがめちゃくちゃな擁護をしたり他社ユーザーに当たり散らしたりしてお恥ずかしい限りですが(ゲームハードみたいにカメラでも熱狂的なファンがいるのです…)ほとんどのユーザーはまともです。
例えば機能紹介の小さな画像はストックフォト(素材画像)で問題なかったでしょう。
こうした画像は機種が違っても使い回されることがありますしユーザーもあくまでイメージであることを認識しています。
一方でカメラは写真を撮る製品ですから大きく扱われた画像は作例と捉えられるのが普通です。
腕前はともかくユーザーも同じ写真を撮ることができるということですね。
作例は炊飯器なら実際に炊いたごはんの試食、化粧品なら無料サンプルのようなものです。
今回はその作例が借り物で、その機種では撮れない写真が含まれていることが問題の本質です。
※画像元
「LUMIX」商品サイトでのストックフォト使用、新機種以外にもあったと認める パナ「認識の甘さを反省」(1/2 ページ) - ITmedia NEWS
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2405/31/news098.html
More bad news for Panasonic: Lumix S9 product page controversy and the use of stock photos *UPDATED* - Photo Rumors
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic01.jpg
当該機種で撮影してない点はさておき、これはセーフと考えます。
パナソニックのオートフォーカス性能(ピントを合わせ続ける力)はソニーやキヤノンに比べ弱いのでたやすく撮れるかはわかりませんが、同じ写真の撮影は可能だからです。
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic05_w480.jpg
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic07_w360.jpg
記事で解像度の違いが指摘されていますが、とはいえサイトに掲載するサイズに縮小した範囲では問題になりません。
https://pbs.twimg.com/media/GOki_m9aAAAtt-e.jpg
これは微妙です。
というのもこの新型機LUMIX S9はメカシャッターという機構を省いて小型化を実現しています。
スマホで目の前を通過する電車や車を撮影すると斜めに歪んで写る現象を知っている方も多いと思いますが、メカシャッターがないカメラも同じことが起こるのです。
そのため鳥の翼がこのように写せるかはわかりません。
歪んでも直線的な人工物と違って気にはならないかもしれませんが。
https://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/2405/31/l_my_0530panasonic03.jpg
光学的な説明は省略しますがこのレンズでこのような背景がきれいにぼけた写真は撮れません。
一眼(レンズ交換式カメラ)はレンズとボディで構成されますが他のボディを使っても不可能です。
このレンズはメーカー希望価格4万円台と安くライトユーザーをターゲットにしたレンズですが、この画像を信じて買って「なぜかサイトの写真みたいに撮れない…」とガッカリした方もいるであろうと思うと胸が痛みます。
複数の機種で同様の問題があり、パナソニック自身もミスではないことを認めています。
わかりませんが、新型機に注目が集まったことが一因でしょうか(たまたま元画像を知っている人の目に触れた、など)。
またカメラファンほどサイトの画像だけで判断しないので「実害」がなくあまり問題視されなかったのかもしれません。
問題が発覚してから界隈では各社のサイトを検証する動きがありましたが今のところ特に見つかっていません。
一般の方からするとパナソニックは家電メーカーかもしれませんが、ミラーレス一眼においては派手さはなくとも堅実な良い製品を作り続けている立派なカメラメーカーです。
シェアは小さいですが動画分野で定評があり製品自体は悪くありません。
彼女との2回目くらいのデートで、道に迷ったおばあちゃんに道を聞かれた。スマホの地図で探すとちょっと遠い場所で説明しにくい場所だった。
そしたら彼女が、一緒に行きますよ!って至極当然みたいな感じで案内を始めて、俺も彼女の手前かっこつけて階段の手助けをしたりして送り届けたんだよね。
1人2台以上スマホ持ったり、家にスマホの他にPCやFirestickやタブレットやゲーム機を所有していると考えてないんだろうな
NHKと総務省はネット環境1人1台の機器だと想定してそうだし
このあたりどう詰めるんだろうね
同級生だった男の子が好きだった。幼稚園から高校までエスカレーターでもないのにずっと同じだった。一番好きだったのは高校生の時期だった。家が近いわけでもなかったし同じ趣味があったわけでもなかった。クラスはたまに同じになったり離れたりしていた。高校生のとき同じ部活に入った。彼が入ったから入った。他にも理由はあったように思うし、後付けのような理由だったとも思う。女子の競技人口が少なくて大学進学時の箔付けになるから。そう自分を誤魔化していたように思う。ボードゲームの部活だからかいつだって部室の空気は緩く、先輩後輩の上下関係もなく、先生にもタメ口で話していた。学校に持ち込むのを特に禁止されていたわけでもなかったお菓子をみんなでつつき、暗くなるまで駄弁っていた。皆仲が良かった。帰りが遅くなったからと送ってもらったことがある。10年以上前なのに未だに鮮明に覚えている。あの時流行っていた曲の歌詞のような時間だったと思う。あの曲は今でもカラオケに行くたびに歌い、この帰り道のことを思い出している。
彼の色素の薄い柔らかい髪の毛が好きだった。彼の皮だけが伸びる柔らかい頬が好きだった。彼がたまに剃らずに残しっぱなしにしていた無精髭を撫でるのが好きだった。付き合っていなかった。小さい頃からそこそこ近くで過ごしていた、そのバグった距離感の中でずっと甘えていた。人生で一番心地の良い時間だったと思う。何もかもが許されて、そしてこちらには何も要求されない。ずっと続けばよかったのに。私たちは卒業してしまった。
卒業してからは全く会わなくなった。私たちは別々の地方へ進学した。私は地元の大学へ、彼は都会の大学へ進学した。彼の親も一緒に彼について行ったので、彼はこちらに帰ってくるという理由を進学と同時に失った。私は彼に会いに行くこともなかったし、彼が私に会いに来ることもなかった。ただの幼馴染にもなれない近しいだけの人間関係とはそういうものだった。私は大学で彼氏を作ったけれど、やっぱり心の中には彼がいた。一度経験した何もかもが許されそして何も要求されない。あの感覚は一度経験するともう逃れられないと思う。好きだったけれど、付き合いたいとかそういう感情ではなかった。独り占めしたいだとかそういうことも考えたことはなかった。ただ近くにいると私の心は凪いで安心した。それだけだった。
成人式で彼は地元に戻ってきていた。中学の校舎に集まっていた中のひとりだった。一緒に写真を撮った。ポーズを決めて、ピースして。でも、私が一番欲しかった写真はこれではなかった。成人式が終わった後、彼と一緒に当時の卒アルを見返していたときに私の親が勝手に撮っていた写真を見せてもらった。私はこれだと思った。一番私が欲しかった写真だった。日常の切り取り、自然なポーズ、自然な距離感、自然な笑顔。この写真はわたしの宝物となり、彼氏があれからころころ変わってもずっと部屋の中に飾っていた。
彼にはあれから一度も会っていない。私はもう二度と彼に会いたくない。私は高校時代の彼が好きだったのだと成人式で気づいたのだ。高校時代のあどけなさ、可愛らしさを残さず成長してしまった彼を成人式で見てからずっと思っている。私は彼が好きだったけれどずっと愛せるわけではなかった。あの時代の彼を切り取って今もずっと大事にしている。私の部屋には成人式の時の写真が今でも飾られているけれど、アルバムの中を占めているのは高校時代の部室の写真がほとんどだ。
私が会いたいのは彼ではなく、高校時代の彼なのだ。私が好きなのは彼ではなく、高校時代の彼だった。
何も要求されず私の欲望だけが許されていたあのぬるま湯の時代でずっと生きていきたい。
いくら歳を重ねても私は彼に囚われたままだ。スマホのロックは彼の誕生日のままもう長年変更していないし職場で作らされた銀行の暗証番号も彼にちなんだ数字である。彼の影が私の日常に溢れている。私は彼の影とともに日々を生きていく。
横に彼がいなくても。横に彼以外の誰かが並んでいても。彼のことを恋愛的に好きではないままずっと囚われている私と共に進んでくれる人と一緒に。
すぐそうなるだろうな
スマホにchatコンシェルジュ的なAIが搭載されて、そこから電話はもちろん調べ物も買い物もやっておいてくれるようになる
chatコンシェルジュが紹介するかどうかで売り上げが変わってくるから、各社は大量の広告費をchatAI対策に投じるようになる
カメラCM詐欺に声を上げるようになったのも海外ユーザーが先だしな
サムスンや中華メーカーのスマホの写真が実撮影画像ではなく加工画像!って話題になって日本はネットだけでなくてメディアでもニュースで取り上げられてたけど「日本メーカーでも…」って声が当時は大きくなることはなく
最近、蔵のなかを整理した
すると家の家紋が見つかった。
それを目にして、自分の家系が由緒正しきものであることを再認識し、自慢しようと友人にそれを見せた。
友人は「すごいね」と褒め称え、そうでもないよと私は答えながらも内心ほくそ笑んでいた。
しかし次の瞬間「…あれ?」と友人がつぶやき、どうかした?そう尋ねると「うん…これ、どこかで見たことあるような気が…」友人は歯切れ悪く言い、「あっ!」と声を漏らした。
そういって友人はスマホに指を滑らせ、それから画面を私に見せた。
そこには確かに、うちの家紋と瓜二つのいらすとがあった。「ほら、そっくりでしょ!?」と得意気に語る友人に「ははっ、そうだね」と私は強張った笑みを浮かべた。その後は上の空で雑談を交わし、友人が帰ると部屋の片隅に家紋を投げ、私は激しく泣いた
私は醜いのだろうか?鏡に映る自分が好き
スマホのカメラでは、文字通り別人のように鬼の形相が見えるし、20歳も老けて見えるのに、鏡に映る自分はちょっと好きだし、魅力的だと思うこともある
カメラの中の私は、TikTokでビデオを撮ったら笑いものにされるような、醜くて気持ち悪い人にしか見えない
なんでこんなことになるんだろう、デジタルカメラ以前はこんなに醜くは見えなかったと思う
フィルムカメラではそこそこだった
私はただ醜いだけで、どういうわけか脳が鏡を見て自分自身に嘘をつく方法を考え出したのでしょうか?
もしかしたら自分の醜い細部が全部見えていなくて、脳がそれをかわいいイメージで埋めているのかも?
でもやっぱり違うことがわかった、メインカメラで鏡に映る私を映すと美しいのだ
いやいや重宝されるよ
高齢者向けの一日パソコン・スマホ教室のボランティアがあるんだが、俺は恥ずかしながら役に立たなかった
誰でもできると感じてることが才能というからな
朝早く起きて、ジムに行き、
その後電車で街へ。
交通系の残高が足りなくなっていたのでスマホでチャージをして、電車から降りる。
それから友達に代理で受け取ってもらった荷物を友達の家へ取りに行く。
時間が溶けて、寝る支度もままならないほどハマってしまっている。
助けてくれ。
東京と地方のどっちが住みやすいとか、文化資本がどうとか言われても、まったくピンとこない。
自分にとっては、東京はゴミ溜めであり、故郷は雪に埋もれた死体だった。
そんな俺が今、どういうわけか、20歳も年下の彼女と結婚している。このこと自体が信じられない。俺の人生において、こんなに若い人間と一緒にいることなんて想像もしていなかった。
彼女、名は美里と言う。都会育ちの美里は、デジタルネイティブ世代で、SNSの使い方が俺とはまるで違う。俺がスマホの使い方に四苦八苦している間に、彼女はインスタで新しいカフェを探し出し、サクッと予約まで済ませてしまう。俺はそれを見て、正直感心することもあれば、呆れてしまうこともある。
「ねぇ、これ見て!また新しいフォロワーが増えたよ!」と美里が嬉しそうにスマホを見せてくるたびに、俺は一瞬、彼女の世界についていけないと感じる。そんな時は、世代間のギャップを痛感せざるを得ない。彼女はどんどん前に進んでいるのに、俺はまるで止まったままのような気がする。
そんなある日、俺たちは彼女の実家に招かれた。彼女の両親は、初めて会った時から俺たちの年の差について心配しているのが明らかだった。食事の席で、彼女の父親が静かに言った。「美里を幸せにできるのか?」その問いかけに、俺は一瞬言葉を失ったが、「もちろんです」と答えた。
しかし、心の中では自信がなかった。俺と美里の関係が、この世代間のギャップを乗り越えられるのかどうか。それでも、彼女の明るい笑顔と、彼女が俺に対して見せる無邪気な信頼が、俺に少しの勇気を与えてくれる。
ある晩、俺は彼女に尋ねた。「美里、本当にこのままでいいのか?俺たちの年の差、時々不安になるんだ。」すると彼女は笑って、「そんなこと気にしないで。私たち、いいチームじゃない」と言った。その言葉に、俺は救われた気がした。
そして、俺たちは互いに歩み寄る努力を始めた。美里は俺の好きな古い映画を一緒に観て、俺は彼女が教えてくれる最新のトレンドに耳を傾けた。俺たちの間には確かに世代の壁があったが、それを超えるための橋を一つ一つ架けていくことに決めた。
ある日、美里が言った。「あなたといると、なんだか落ち着くの。今までの人生とは全然違うけど、それがすごく新鮮で好き。」その言葉を聞いて、俺は少し照れくさくなりながらも、心の底から嬉しかった。
それからも、俺たちの生活は続いていった。彼女が新しいアプリを教えてくれたり、俺が彼女に昔の音楽を聞かせたり。世代間のギャップは完全には消えなかったが、それを補うための工夫と努力を重ねていくうちに、俺たちの絆は確かに強くなっていった。
最終的に、俺たちは互いの違いを尊重し、補い合うことで、より良い関係を築くことができた。そして、そんな日々が続く中で、俺はふと気づいた。東京がゴミ溜めだとか、故郷が死体だとか感じていた俺の心に、少しずつ温かい光が差し込んできていることに。
それは、美里との結婚がもたらした変化だった。俺たちの世代間のギャップを乗り越える過程で、俺自身も変わっていった。そして、そんな俺たちの未来に対して、今は少しずつ希望を持つことができるようになったのだ。
ハッピーエンド?そうかもしれない。俺たちはまだ道半ばかもしれないけれど、少なくとも今は、互いに寄り添い、支え合いながら歩んでいく決意がある。それだけで、十分だと思う。