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2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

  ***

 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

  ***

 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2009-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20091221002053

元増田ではない東方厨だが、なんでも東方でパロるところは多いねえ。「何でもかんでも東方ナイズして縮小拡大再生産」な例を挙げてみると

東方二次ゲー編
東方パロ元ネタ
戦国幻想郷戦国ランス
紅魔城伝説 スカーレットシンフォニー悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲
Megamariロックマン2
スーパーマリサランドスーパーマリオランド
チルノクライマーアイスクライマー
ニテレツ大百科キテレツ大百科
東方マインドシーカーマインドシーカー
東方ライブ・ア・ライブライブ・ア・ライブ
東方星母録MOTHERシリーズ
東方暴恋娘アウトフォクシーズ
東方スプリンターセルスプリンターセル
東方サッカーキャプテン翼
東方SASAアストロロボササ
東方防衛軍地球防衛軍
東方インベーダーインベーダー
Dr.YAGOKORODr.Mario
まりさのかぎソロモンの鍵
東方降神熱血行進曲

東方公式ゲー編

東方非想天則


東方星蓮船


東方地霊殿


東方風神録


東方文花帖

  • 文花帖輝夜スペル 新難題「エイジャの赤石」 そのまんまじゃねーか!少しひねれー

東方花映塚


東方永夜抄


東方紅魔郷

2009-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20090925094558

横だけど、そんなことはないだろうと言いたかったけど実際当たってる例えの気がしてきた。

しかし天満の衝撃ってなんだろう。(山手線の)有楽町と(環状線の)福島神田天満と考えたら妥当・・・でもないか。

福島はザ・シンフォニーホールフェスティバルホール(立替中)があって朝日新聞朝日放送界隈だから有楽町文化放送あたりと対応するし、神田天満は雑居感が似てるし、もう少し行くと京橋鶴橋で始発/乗換があるあたりも中央線東北線常磐線乗り替えと対応するような気が。

2009-09-23

10年前の自分の頭をなでてやりたい

今から10年位前、大学生、ひとり暗い部屋で、馬鹿騒ぎの深夜番組から、「おはようございます」とニュース携えたアナが爽やかに挨拶する夜明けまでずっと、光るテレビ画面をひたすら眺めていた自分

膝抱えて、ビクターラジカセスピッツ大宮サンセット聞いていた自分

自分タイムマシンかなんかであの時に帰れるなら、今でも当時の自分に何て声掛ければいいか分からんが、よしよし大丈夫大丈夫だとひたすら頭をなでてやりたい。

田舎から出てきて、妙にプライドだけ高くて、東京最高学府にぎりぎり滑り込んだはいいが、周りのあまりの賢さやリア充(当時こんな言葉はなかったが)の眩しさやオサレさに思いっきり打ちのめされる。

生来の引っ込み思案も手伝って溶け込めず、クラス仲間とも当然疎遠になった。

1年の終わり、ろくに出なかった第三外国語テストの口頭試問で、優しい外人先生に、心から心配そうに「あなた友達いないでしょう」と流暢な日本語で言われたのを今でも傷みたいに思い出したりする。

何とかしようと真面目系サークルに入っても皆勤なくせに和気藹々も出来ず、ゼミもしかり、真面目キャラのくせに勉強ができるでもない。まさに準ひきこもり(当時こんな言葉(ryだった。

んでもあのとき必死だったと思う。

悩んで悩んで自分何やりたいんだろうか、どうして友達できないんだろか、学校辞めようかでもせっかくこんないい所入ったんだしとも思うしうじうじ、でも行動もどう起こしていいのか分からない、授業に足を踏み入れればクラスメイトが散らばっててどの席座ったらいいのか分からない、食堂もどこ座っていいのか分からない、

卒論もお情け合格就職するにあたっても当然面接落ちまくり進路も決まらず、最後は学歴だけで採用してもらったようなもんだが、まあ職場人間関係にも恵まれたのか、今何とかこうやって生きていて、そう苦しくもなく、恋人は無論いないものの、中高大と合計して片手で足りるほどの友人と、たまに会ったりして今ではそれなりに心安い生活を送っている。

これくらいの年月生きてきて、ようやっと社会人として、いやそれ以前に人間として、他人とコミュニケートできる素地が育ってきたと思う、大学同窓会にもやっと出られるようになって、当たり障りない話して笑えるくらいになった。

そして今大学時代を思い返してみると、大半の暗い思い出の中で、痛痒かったり楽しかった瞬間も思い出せるっちゃあ思い出せる。今は無き新宿リキッドへ初めて連れてってもらったよなーとか、文化祭で皆で夜中じゅう寄ってたかって変な食べモノ作ってたよなーとか、ゼミ旅行で酒飲んで初めて記憶失ったよなーとか、もう卒業だってんで好きだった優しい先輩に告白してうん、とだけ言われて玉砕したよなー、とか。

ビタースウィートシンフォニーっていう、ヴァーヴのヒット曲タイトルがあるがまさにそういう感じ、90パーがビターで10パースウィート、昔は思い出したくもなかったが、苦さの中からスウィートのほう思い出せるぐらいには成長して、自分を卑下するには年を取りすぎたのかもしれんし、人生に耐性がついたのかもしれん。遅っ。

ネットでよく非コミュ大学辛いぜと泣きそうに笑っている人を見て、あの時膝を抱えて暗い部屋の隅っこでじっとしてた自分の姿とダブりまくって、ああ大学なんて人生の一部だ、あと10年も生きればなんとかなるなんとかなると頭をなでたくなってくる。

人生の輝かしい時期を棒に振ったと言われりゃその通りかもしれんが、うあああーと朝まで苦悩していた自分を思えば、今の時点からえらそうに後悔という言葉を当てるのも痛々しい程だから、せめて今の自分はあのときの自分を肯定してやりたいのだ。

2008-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20081019235110

今のクラシック作曲家って、みんな「現代音楽」を作ってるの?

いや、現代音楽がなんなのかよくわからず書いてるんだけど、

日本では吉松隆という人が、割と聴きやすい現代(?)音楽を書いてるよ。現代音楽的に言えばゲテモノかもしれないけど。個人的には大好き。いわゆる音楽らしくて聴きやすい。

http://web.mac.com/yoshim632/MusicHall/%E5%85%A5%E5%8F%A3.html

ぴーーーーーどぎゃんもたまにやるけど。

他の非ぴーーーーーどぎゃん系現代音楽と言えば、「ピアノ・レッスン」の音楽を書いたマイケル・ナイマンや「悲歌のシンフォニー」のグレツキか。

リアルなぴーーーーーどぎゃん系現代音楽に関しては他の詳しい方にお任せします(汗)。

2008-06-13

奇跡シンフォニー

おもろかった。音楽感動を誘うところは今やってるマクロスと同じとか言ったらあれなのかな。おもろかった。

増田とか読んでるより絶対こういうの見たほうがいいって。

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