はてなキーワード: サッパリとは
セブンティーンアイス見かけると、真夏のクソ暑い日に人気もない夜の高幡不動駅で暑くて敵わんと買った時、自販機のすぐ近くに座ってたおっさんが多分おれの真似をして買ってたのを思い出す。成人男が自販機のアイスを買うのは少し気恥ずかしい。
真冬のクソ寒い日に江ノ島へ夜釣りに行った時のことも思い出す。海風で凍死するんじゃないかと思いつつ、ローソンも遠いしせめて固形に近いものを胃に入れたくてアイスを食った。
ガキの頃の水泳教室でも置いてあったけど、アイスの味よりも自販機の下覗いて小銭を探してた方が記憶にある。というかほぼ食った記憶がない。小学生の頃、100円玉はドラクエのACゲームを遊ぶためのものだった。
イオンやヨーカドーで買ってもろてた時、たまにはシャーベットをと思って選ぼうとしたら母が渋い顔をしたのも印象深い。ちょっと高いマカデミアなんとかは選んでもええよって言う癖に。同じ値段でアイスに対してシャーベットは割高感があるらしい。夏はシャーベットでサッパリ行きたいだろ。損得じゃなくてそういう風流を持てよ。好きなものを食わせろよ。とは言えなかった。今は好きに買える。何なら二つ食ったっていい。
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夜中の1時に目がバキバキに覚めて、しばし悶々としてから無性に鶏皮を食いたくなった。コンビニのホットスナックも深夜は枯れてるし、といって冷食で妥協したくもなかった。おれは鶏皮のパリパリ感が好きだ。
もう今じゃなきゃいけない、どうしようもなく鶏皮の口だったんでGoogleマップを開いてみた。駅前のトリキが5時までやってるらしい。あと10分だけスマホポチポチしてダラダラしようとタイマーをつけて、30分くらい経ってから家を出た。
友達いない上に飲めないから居酒屋なんて入ることはなくて少し緊張したけれど、数グループの団体以外に会社員風の男や学生っぽい若者の一人客もまばらにいた。騒がしすぎないし、静かすぎる事もなくて程よい。
オーダーがタブレットなのがかまいたちの動画で学んだ鳥貴族の美点だ。今はどこもそうなんだろうか。なんだか口にするのが恥ずかしいような頼み方でも、機械越しならそれもやわらぐ。と思っていたら席に通されて一杯目の飲み物は口頭で聞かれた。見栄を張ってアルコールにするか、0.5秒の間に悩みまくってジンジャーエールにした。坊や、ここにミルクはないぜギャハハハみたいな西部劇の酒場の画が浮かんだ。
当初の目的を思えば鶏皮チップスに大量の鶏皮串だけ頼めば良かったのだけど、それも何だか気恥ずかしかった。夜中に陰気なガキが一人で来てソフトドリンクを頼む。どうせ変な客だろうし、これ以上人目を気にすることもない。そもそも店員だって一々気に留めないと思う。せいぜいアイツウケると2秒間の話題になって終わりだろう。それでも居酒屋エアプなりにバランスを考えて一応キャベツとか頼んでみる。おかわりする予定もないのに。
タレのモモや一度も食べたことのなかったぼんじりを適当に放り込んでフィニッシュ。鶏皮は材料の不足で一人5皿までとなっていて、なんだ10本までしか食えないのかと落胆した。が、他にも割と頼んでいたので様子見で3皿にしておいた。
早々に来たキャベツと鶏皮チップスをボリボリ食いながら注文履歴を見ると、8品で3000円弱くらいだった。安いと言いつつそんくらいはすんだなと思った。それともおれが食いすぎなのか。学生の夜食には贅沢だ。
鶏皮チップスは結構硬くて、風味もおれの思い描いていた鶏皮と何かニアピンですれ違うような感じがした。衣の味が強く、といって塩味は控えめで片栗粉?の主張が強めな気がした。まあでも控え目にやってくる鶏皮の味は確かに喜ばしかった。キャベツもゴマ油っぽい感じを想定していたら割とサッパリした感じだった。想像とのギャップに戸惑いつつ、これも悪くないなと思った。おかわりするなら特に。
話し相手もおらず、と言ってバクバク食い続けても一瞬で手持ち無沙汰になりそうだったので、ややポリシーに反するがスマホポチポチしながら食うことにした。
呟きもまばらなTLを何度も更新したり、頭に浮かんだ言葉を検索してはタブを閉じる。片手間に鶏皮チップスをセーブしつつキャベツを平らげ、焼き鳥が届いた頃にジンジャーエールが無くなりかけた。
二杯目をどうするかぼんじりを食いながら考える。なるほど、ぼんじりとは骨が混じっているのか。イヤ異物混入か?と不安になってスマホで調べる。そういものなのか。まあこれならももでいいかなという感じだった。勉強にはなった。安チェーンのぼんじりなんて脂っこいだけと耳にしたことがあったがそんな印象はさほどなかった。
あとはごく普通のタレももをごく普通に平らげ、残すは鶏皮だけだ。他のもので腹を満たし、最後に好物を残すことで好きなもので腹一杯になった感を出す。よくやる戦法だ。
さてドリンクをどうするか。6串の鶏皮(塩)を見て、不意にこれはアルコールなんじゃないかと思った。
唐揚げにビール、刺身に日本酒、焼き鳥だってアルコールだろう。現物を目前にして、借り物の感覚が肉薄してくる。
一杯目はソフトドリンクで、腹にモノも溜まってる。過去何度かの経験から、これはまだ大丈夫なパターンではないかと思った。
メニューを開いてみる。どれもアルコールの含有量が書いてある親切設計だ。メガジョッキに向かう好奇心を抑えて富美男のレモンサワーを選んだ。
レモンサワーの素のおまけでついてそうなタンブラーがすぐさま運ばれてくる。そして念願の鶏皮串を頬張る。
恐る恐るレモンサワーで流し込んでみる。妙にしっくりくる感じがした。
キンキンに冷えてるからだろうか。塩味で舌がやられているのだろうか。はたまた馴染んでいるのか。あのアルコールのツンとしたイヤな風味を感じない。口の中のアルコール感が不快感に到達する手前で喉に流れていく。ゴクッと飲み下せる。
これならイケるからと言われて99.99もほろよいもバドのシャンディガフも上善如水も飲んで騙されてきたけれど、こんな事は初めてかもしれない。
別にジュースでいいといえばそんな気もした。そっちの方が美味しく食べられるような気もした。
美味しさとはまた別に、ジュースよりもしっくり来る感じもした。
腹も膨れてきて、最後の一串をほぼ水まで薄まったレモンサワーの残滓で流し込む。3皿にしておいて良かった。
1時間経たないくらいだろうか。喋る訳でもなく、チビチビやる訳でもなく、一人でただ食べるだけだと早い。寂しさはなくて、ただただ一瞬だったなとだけ思った。
会計を済ませると、ドアが開かない。押戸なのか引き戸なのか、はたまた出入り口を間違っているのか。軽く脳内で慌てていると店員が少し手こずりつつ開けてくれた。立て付けが悪いようだ。最後の最後で少し気恥ずかしかった。
帰り道の一服が妙にうまかった。くどいラーメンを食った後と良い勝負だ。キャッチのオニサンマッサージドに少し水を差されたような気になった。でも鶏皮は食えた。
この間、飲み屋で隣に座ったオヤジに言われました。その後は延々と説教ですよ。
働かなくても、結婚したら三食昼寝付き。は?いったい、いつの話ですか?
このおじさんはいったいどこで時が止まってしまったのだろう。頭がバブルの時のままです。
産めよ増やせよ言われて、今後は女性の労働力も必要だと言われ。デブは醜い。時代は貧乳だスレンダー美人だ言いながら、出生児の平均体重が下がってる。女性の過度なダイエットが原因だ!とかニュースで言ってるし。
どうしろと言うのです?
男はただ黙って働いてるだけで、世間的にはその役割を果たしていると評価をされる。
女は結婚したら苗字が変わるし、妊娠したら体型が変わる。出産したら、それこそ赤ちゃん中心で生活そのものがかわります。
独身で働いていれば、そろそろ結婚しろと言われる。「なんで結婚しないの?」と聞かれる。結婚したらしたで、早く孫の顔が見たいと言われる。少子化対策に貢献しろとニュースでも言ってる。でも産んだ後の責任は親だ。しかも教育面では大部分が母親だ。
乳飲み子を放っておいて母親が飲みに行けば、子供を放っておいて…と言われるが、父親が飲みに行けば、それは「必要な男の付き合い」だ。
母乳が出ないから?粉ミルクがあるじゃん。世話できない理由を探すのだけは上手だよね。
そして最後の訴えは母性ですよ。なんでも母性によって解決です。父性は乳飲み子の面倒を見るときには働きません。立派な広い背中だけ見せときゃ、オールオッケーです。
朝ドラでもそう。なんで吉田栄作がボクシングはじめたのか理解できない。それでなんで親子がわかりあえたのか、サッパリです。
専業主婦でいれば働かないことで肩身が狭く、働いていれば「子供に寂しい思いをさせてる」と思って自責の念。ご近所付き合いも親戚付き合いもしっかりやらなければならず、気の休まる暇はない。
そして休日はパチンコ、たばこもやめられない借金ングの旦那が言いました。「女はラクでいい」と。
泣けばなんでも許して貰えると思ってるって。
許して欲しくて泣いてるんじゃないんです。愛し合って結婚したと思ってて、それなのに気持ちが通じなくて絶望してるんです。甘やかして欲しいんじゃない。理解が欲しい。
ただ「頑張ってるね」って認めて貰いたかった。
私の父は自衛官で定年退職したのだが、数年前に黄綬褒章?だか、なんだかを貰った。
公務員は安定しているからと選んだ仕事だ。人手不足の時代に「是非、うちに来てくれ!」と言われて就職し、遅刻や欠勤に気をつけ、言われた仕事をただソツなくこなしていれば、後は勉強などしなくても順調に出世できた。
一日中ソファに寝そべって、テレビを見ながら「最近のテレビは下らない」と文句をたれ、朝のニュースの、みのさんの煽り文句に「本当に日本の政治家は使えない」と文句を言う。定年退職後の父の寝食の世話をしているのは母だ。
母には定年退職はない。専業主婦をして労働報酬を得ずに暮らしてこれたのは、父のおかげ。母が年金をもらえるのは父のおかげ。だから現在、父がどれだけ暇をもてあましていても、家事をする必要はない。
私は子供一人抱えて、慰謝料も養育費も貰わずに、これからの世の中を女手一つで渡って行かなきゃいけない。地方の中小企業なんて、吹けば飛ぶようだ。この五年間で、いくつもの取引先が潰れた。売掛が飛んだ。
うちの会社もいつ潰れてもおかしくないと言われ、それに備えて勉強した。
娘が一人いる状態だったので、両親に協力してもらいながらFP3級の資格を取った。
今は2級の勉強をしながら、コネも経験もない人間が、どううまくやっていけるのかを悩んでいる。
同世代の友人が服や化粧品ヤアクセを買って女盛りを楽しんでいる様を眺めながら、やっと500万貯めた。
その父が言いました。「女はラクでいい」と。
両親の協力には感謝してる。もう独身で生きていく覚悟も出来た。
なのに父は未だに私が結婚するべきだと言う。それが父の世代ではフツーだからだ。
今のギリギリ二十代のうちに見合いでもしておけと。誰か紹介してもらうか、と。
そして母のように、贅沢はできなくとも安定した暮らしをしろと。
その方が子供の為だと。
うんざりだ。
母のことは好きですし、尊敬してますが同じ生き方をしようとは思いません。
さまざまなプレッシャーの中で子供を育て上げた後に、今度は旦那の面倒をみなきゃならないなんてゴメンです。向上心のない人は尊敬できません。尊敬できない人の面倒はみたくありません。育ててもらった恩は孫を産んだ時点で返したつもりでした。
出戻ってしまって、またお世話になっている状態ですが申し訳ありません。少ないですが家賃入れてます。今後もっと増やしたいと思ってます。
子供も明るく健やかに育ってます。今は片親だからと言って差別されることもありません。
将来、介護が必要になった時はプロにお願いして下さい。薄情な娘でごめんなさい。私は善意だけで自分を犠牲には出来ません。
そうは言っても一緒に暮らしているのだから、そんな事は言ってられませんね。
すいません。分かっているのですが、まだ覚悟がありません。
なるべく元気でいて下さい。そして痩せて下さい。どう母と協力しあっても女二人で90kgをお風呂に入れたり寝返りさせたりなんて毎日出来ません。
それにしても資格はとったものの、やっぱり転職するには厳しい。だけどバツイチ子持ちで出世の見込みがない。
地方の中小企業では女性は、相変わらず男性の補佐だ。当たり前だけれどバイトも禁止。
経費削減の為に残業もしちゃいけない。夏はクーラーがんがんにするクセに、冬になると暖房費節約と言って暖房を消される。そりゃあんたらはスーツ着てれば寒くないよ?
でも女性社員は制服なんだよ。膝丈スカートなんだよ。冷え性になっても風邪引いても労災なんかおりねぇってのに、何が「日頃の自己管理がなってない」だよ。「動かないから太るんだ」とか言って、デスクワークの人間が勤務中にどう動きまわれっつーんだ。
女は会社クビになったら、体を売れば金をもらえるからだって。今の時代、美人で若くなきゃ稼げねぇっつの。
ちょっと漫画のキャラが非処女だっただけで大騒ぎになる昨今、SEXで金を稼いでた女なんて汚物扱いに違いない。
努力すれば結果が得られる人間が努力もせずに何を言ってるんだろう。
こっちは女だっていうだけで、自動的に出世コースに乗せてもらえず、給料は上がらないまま仕事量だけは右肩上がりで増えているのっていうのに。
こんなことを言った所で男の人には男の人なりの苦労なり、努力なりがあるのでしょう。
別れた旦那は優しい人だった。いいところも沢山あった。父も男尊女卑傾向があるものの、それでも教科書通りの『昭和のお父さん』を立派に勤め上げてくれた。上司も仕事の上では尊敬してる。なんだかんだいっても私が会社にいられるのは上司が営業して仕事も持ってきてくれるからだ。女の敵は男じゃない。
でも自分らしく生きようと思ったら、ラクなんかしてられません。
そして私は苦労を自慢したいんじゃありません。ラクをしたいんじゃありません。頑張りたいんです。
ただ「頑張ってるね」って言ってもらえれば、有頂天になってまた頑張れるんです。
私はその言葉が欲しい。
何百回も言ってるのに理解されない
って言われるんだけれど不可能なのよ
工場は同じモノを100個作るから、1個作る時間×100で見積もりできるけど
ソフトウェアは同じモノを作らないし、同じモノなら0時間で出来上がるわけ
基本的に規模が大きいと複雑性が増えるので時間なんて分かるわけがない
「それは適当に言っておいて、時間が余ったらサボるし足りなかったら言い訳してどこか削ってるだけです」
って言っても分かってくれない
納期を出すようなソフトウェア部門は残業してるか在宅でサボってるかのどっちかだよ なんで分かって無いんだよ
だからソフトウェアが出来上がってから動けばいいって言ってるだろうが
ソフトウェアは置いといても腐らないし場所も取らないしバージョン毎にタグを打っておけば
次の開発を進めながら工場側が準備できたタイミングでそのバージョンをリリースすればいいだけ
その時点でやってみてバグが出ました、ってなったら修正すればいいし
その程度の修正ならそれなりに見積もりできるんよ(バグにもよるが)
なんで着手もしてないソフトウェアの納期を知りたがるアホ経営者がいるのかサッパリ分からんし
1人や2人じゃ無くてめちゃくちゃこういう人多いわ
この間、ソフトバンクの孫会長が「ChatGPTを使ったことがない人は人生を悔い改めたほうがいい」と何かのプレゼンで話していたらしいことを知った。
見下されたように感じて正直腹がたったのだが、ちょうど女の子とデートする予定がありどんなお店を選べばよいのかさっぱりだったので、ChatGPTに相談してみることにした。
生涯で彼女いた事無し22歳童貞の知見では手に負えないからビッグデータに頼ったのだが?無能やん。と、その時は思った。
その後、その女の子に告ったところ「あなたのことは恋愛とかそんな感じには見てない」的な理由で振られ、失意の中で卒業研究に励むある日、ふたたびChatGPTを使うこととなった。
実験で得た複数データのばらつきを評価することになった。こういった評価には、標準偏差が一般的に用いられている。標準偏差は高校1年(数Ⅰ)で習う内容だが、なぜ標準偏差でばらつきが評価できるのか、恥ずかしながらよく理解していなかった。特に、分散を求めるに当たりどうして2乗するのかサッパリだった。
公式だけ知りたければGoogle検索で十分だ。しかし、その公式の成り立ちや意味を調べようととしたとき、Googleオンリーだと結構難しくて時間がかる。複数のサイトを巡り、様々な情報を関連付けながら理解する必要があるからだ。
というわけでChatGPTの出番が来た。
私「標準偏差の求め方について教えてください」
ChatGPT「標準偏差は、データセット内の個々のデータ点が平均からどれだけばらついているかを示す尺度です。標準偏差を求める基本的な手順は〜(手順を5ステップに分けて丁寧にわかりやすく説明してくれる)」
私「分かりやすく説明してくれてありがとうございます。分散を求める過程で、なぜ平均の2乗するのでしょうか。」
ChatGPT「平均を2乗する理由は、主に以下の2つの目的があります。1.負の値の影響を排除する 2.ばらつきの大きさを強調する 〜中略〜 そして、標準偏差はその平方根を取ることで、元のスケールに戻します。」
私「なるほど!標準偏差は元のスケールに戻っているから、母集団と同じ単位で扱ってよいのですね?」
ChatGPT「はい、そのとおりです!」
目から鱗だった。コイツ有能じゃないか。私は学習塾でバイトをしているのだが、私が生徒に教えるよりも、教室にあるiPad渡して「chatGPTに聞いて」と言ったほうがよっぽど分かりやすくて良いじゃないかと。「AIに仕事を取られる!」と巷は大騒ぎだが、まさか自分の仕事が、直ちに危機的状況にあるとは思っていなかった。
しかしながら、実際に塾講師の仕事が絶滅することは無いと思われる。塾講師の仕事は「生徒にわからない所を教えること」と思われがちだが、実際には生徒のマネージャーという意味合いが大きいからである。
生徒が苦手な問題を見つけてカリキュラムを考える事はもちろん、宿題をやってこない生徒に居残りさせるとか、授業中に雑談したりスマホ弄ることを止めさせるとか、そういったフィジカルで泥臭い仕事が結構多い。そして、泥臭くて人間臭い仕事は、AIよりも人間が得意とする分野だ。
例えば、居残りしなければならない生徒が、授業後にしれっと帰ろうとしているとする。スマホの中にいるChatGPTが「居残りしましょう」とアラームを鳴らすのと、おいおい何帰ろうとしてるのかな?と生身の先生が声をかけるのとでは、生徒に与えられるプレッシャーが結構違うのではないだろうか。
大抵の児童/生徒はなかなか自主的に勉強できないものである。自主的に勉強できない生徒や児童に勉強をやらせるためには、適度なストレスをかける必要がある。ここで言う「ストレス」とは、叱りまくって体罰を与えるような暴力的なものではなく、自宅のリビングとは違って少し緊張感を感じる自習スペースとか、宿題やテストの出来栄えを授業で毎回チェックされるとか、そういったものである。そして、生徒の肉体的/精神的な体調を考慮しながら、適度なストレスを子供にかけるという価値は、学習塾が提供する価値として大きなウェイトを占めており、それは生身の人間だからこそできるものである。
そういった感じで、今後は生徒のマネジメント業としての性格が強くなりながら、学習塾のビジネスは今後も残り続けるものと思われる。多少なりとも雇用は減るだろうが、学生バイト講師の募集が減るくらいだろうし、(私の塾では)どの教室も万年人手不足なのでむしろ好都合だろう。
あと数ヶ月で辞めてしまうバイトだが、私は自分の仕事に価値を感じられて満足した。しかし、研究室を出て駅に向かう道中、歩きながらもうしばらく考えたとき、AIが教育に与える影響はかなりヤバイのではないかと思うようになった。
近い未来、というより現時点で既ににそうなっているが、分からないところを教えるのはAIがやってくれる。お金も時間もかからないChatGPTが、塾や学校の先生より分かりやすく解説してくれる。自主的に勉強できる子供はchatGPTを始めとしたAIをどんどん活用し、今まで以上に短い時間と少ない出費で、ぐんぐん成績を伸ばしていく。家庭では子供の勉強にかかるコストを抑えられるから、スポーツなどの課外活動によりお金をかけることができる。子供は課外活動で様々な経験を得られ、勉強以外の能力もどんどん身につき、文武両道なエリートとして育っていく。
しかし、自主的に勉強できない不まじめな生徒はどうだろうか。自主的に勉強をやらないためプロによるマネジメントを必要とし、学習塾に入れられることになる。学習塾での勉強は金銭的にも時間的にも重荷だが、AIを活用できる優秀な生徒には追いつけず、何もしないよりはマシな程度に留まってしまう。一方課外活動については、学習面にかかる金銭的・時間的なコストの圧迫を受け、こちらも満足いかないものになり、中途半端なレベルに留まってしまう。
子供が大人に成長し、社会に出てからもそれは続く。要領がよくやる気がある人間は、学生時代から使い慣れたAIを活用して沢山のことを学びながら、ガンガン仕事をさばいていく。それができない人間は取り残され、仕事を選べなくなり、さらに希望を失う。「AIに仕事を奪われる」と言われるものの、実際に仕事を奪うのはAIそのものではなく、AIにより教育されたエリートである。
もちろん、こういった格差はずっと昔からあった。そして、今現在もある。だが、これがAIによってますますエスカレートしたらどうなるか。
現在の日本は、大学新卒以降になると格差を覆すことが難しい社会である。だがそれは、居住地や親の太さなどの運要素はあるものの、一念発起して大学受験と新卒就活さえ頑張れば、何とか逆転できる社会でもある。
しかし、それがAIにより教育格差が促進され、小学校卒業時点に開いた差が永遠に縮まらないような社会になってしまわないだろうか。思春期が過ぎ、自分の性格を理解しながら理性を持って行動できるようになる頃、心を入れ替えて頑張ろうと思ったとしても、その時には何もかもがAIエリートには敵わなくて格差を覆せない。そんな状況になってしまわないだろうか。
10歳かそこら、いや、それよりも幼い年齢の時に、何かに興味を持つような性格か否か。自主性を持って物事に取り組めるか否か。新しいものを工夫して使おうと思うか否か。そして、これらの重要性を理解し、子供を誘導できる力量の両親をもっているか否か。
未熟な子供時代の性格と、両親の教育レベルの違いが、大きな格差を決定させてしまう社会。人として成熟した頃に気づいたとしても、何も為す術が無いような社会。そして、それが世代を重ねるごとに加速してゆく社会。
この間、ソフトバンクの孫会長が「ChatGPTを使ったことがない人は人生を悔い改めたほうがいい」と何かのプレゼンで話していたらしいことを知った。
見下されたように感じて正直腹がたったのだが、ちょうど女の子とデートする予定がありどんなお店を選べばよいのかさっぱりだったので、ChatGPTに相談してみることにした。
生涯で彼女いた事無し22歳童貞の知見では手に負えないからビッグデータに頼ったのだが?無能やん。と、その時は思った。
その後、その女の子に告ったところ「あなたのことは恋愛とかそんな感じには見てない」的な理由で振られ、失意の中で卒業研究に励むある日、ふたたびChatGPTを使うこととなった。
実験で得た複数データのばらつきを評価することになった。こういった評価には、標準偏差が一般的に用いられている。標準偏差は高校1年(数Ⅰ)で習う内容だが、なぜ標準偏差でばらつきが評価できるのか、恥ずかしながらよく理解していなかった。特に、分散を求めるに当たりどうして2乗するのかサッパリだった。
公式だけ知りたければGoogle検索で十分だ。しかし、その公式の成り立ちや意味を調べようととしたとき、Googleオンリーだと結構難しくて時間がかる。複数のサイトを巡り、様々な情報を関連付けながら理解する必要があるからだ。
というわけでChatGPTの出番が来た。
私「標準偏差の求め方について教えてください」
ChatGPT「標準偏差は、データセット内の個々のデータ点が平均からどれだけばらついているかを示す尺度です。標準偏差を求める基本的な手順は〜(手順を5ステップに分けて丁寧にわかりやすく説明してくれる)」
私「分かりやすく説明してくれてありがとうございます。分散を求める過程で、なぜ平均の2乗するのでしょうか。」
ChatGPT「平均を2乗する理由は、主に以下の2つの目的があります。1.負の値の影響を排除する 2.ばらつきの大きさを強調する 〜中略〜 そして、標準偏差はその平方根を取ることで、元のスケールに戻します。」
私「なるほど!標準偏差は元のスケールに戻っているから、母集団と同じ単位で扱ってよいのですね?」
ChatGPT「はい、そのとおりです!」
目から鱗だった。コイツ有能じゃないか。私は学習塾でバイトをしているのだが、私が生徒に教えるよりも、教室にあるiPad渡して「chatGPTに聞いて」と言ったほうがよっぽど分かりやすくて良いじゃないかと。「AIに仕事を取られる!」と巷は大騒ぎだが、まさか自分の仕事が、直ちに危機的状況にあるとは思っていなかった。
しかしながら、実際に塾講師の仕事が絶滅することは無いと思われる。塾講師の仕事は「生徒にわからない所を教えること」と思われがちだが、実際には生徒のマネージャーという意味合いが大きいからである。
生徒が苦手な問題を見つけてカリキュラムを考える事はもちろん、宿題をやってこない生徒に居残りさせるとか、授業中に雑談したりスマホ弄ることを止めさせるとか、そういったフィジカルで泥臭い仕事が結構多い。そして、泥臭くて人間臭い仕事は、AIよりも人間が得意とする分野だ。
例えば、居残りしなければならない生徒が、授業後にしれっと帰ろうとしているとする。スマホの中にいるChatGPTが「居残りしましょう」とアラームを鳴らすのと、おいおい何帰ろうとしてるのかな?と生身の先生が声をかけるのとでは、生徒に与えられるプレッシャーが結構違うのではないだろうか。
大抵の児童/生徒はなかなか自主的に勉強できないものである。自主的に勉強できない生徒や児童に勉強をやらせるためには、適度なストレスをかける必要がある。ここで言う「ストレス」とは、叱りまくって体罰を与えるような暴力的なものではなく、自宅のリビングとは違って少し緊張感を感じる自習スペースとか、宿題やテストの出来栄えを授業で毎回チェックされるとか、そういったものである。そして、生徒の肉体的/精神的な体調を考慮しながら、適度なストレスを子供にかけるという価値は、学習塾が提供する価値として大きなウェイトを占めており、それは生身の人間だからこそできるものである。
そういった感じで、今後は生徒のマネジメント業としての性格が強くなりながら、学習塾のビジネスは今後も残り続けるものと思われる。多少なりとも雇用は減るだろうが、学生バイト講師の募集が減るくらいだろうし、(私の塾では)どの教室も万年人手不足なのでむしろ好都合だろう。
あと数ヶ月で辞めてしまうバイトだが、私は自分の仕事に価値を感じられて満足した。しかし、研究室を出て駅に向かう道中、歩きながらもうしばらく考えたとき、AIが教育に与える影響はかなりヤバイのではないかと思うようになった。
近い未来、というより現時点で既ににそうなっているが、分からないところを教えるのはAIがやってくれる。お金も時間もかからないChatGPTが、塾や学校の先生より分かりやすく解説してくれる。自主的に勉強できる子供はchatGPTを始めとしたAIをどんどん活用し、今まで以上に短い時間と少ない出費で、ぐんぐん成績を伸ばしていく。家庭では子供の勉強にかかるコストを抑えられるから、スポーツなどの課外活動によりお金をかけることができる。子供は課外活動で様々な経験を得られ、勉強以外の能力もどんどん身につき、文武両道なエリートとして育っていく。
しかし、自主的に勉強できない不まじめな生徒はどうだろうか。自主的に勉強をやらないためプロによるマネジメントを必要とし、学習塾に入れられることになる。学習塾での勉強は金銭的にも時間的にも重荷だが、AIを活用できる優秀な生徒には追いつけず、何もしないよりはマシな程度に留まってしまう。一方課外活動については、学習面にかかる金銭的・時間的なコストの圧迫を受け、こちらも満足いかないものになり、中途半端なレベルに留まってしまう。
子供が大人に成長し、社会に出てからもそれは続く。要領がよくやる気がある人間は、学生時代から使い慣れたAIを活用して沢山のことを学びながら、ガンガン仕事をさばいていく。それができない人間は取り残され、仕事を選べなくなり、さらに希望を失う。「AIに仕事を奪われる」と言われるものの、実際に仕事を奪うのはAIそのものではなく、AIにより教育されたエリートである。
もちろん、こういった格差はずっと昔からあった。そして、今現在もある。だが、これがAIによってますますエスカレートしたらどうなるか。
現在の日本は、大学新卒以降になると格差を覆すことが難しい社会である。だがそれは、居住地や親の太さなどの運要素はあるものの、一念発起して大学受験と新卒就活さえ頑張れば、何とか逆転できる社会でもある。
しかし、それがAIにより教育格差が促進され、小学校卒業時点に開いた差が永遠に縮まらないような社会になってしまわないだろうか。思春期が過ぎ、自分の性格を理解しながら理性を持って行動できるようになる頃、心を入れ替えて頑張ろうと思ったとしても、その時には何もかもがAIエリートには敵わなくて格差を覆せない。そんな状況になってしまわないだろうか。
10歳かそこら、いや、それよりも幼い年齢の時に、何かに興味を持つような性格か否か。自主性を持って物事に取り組めるか否か。新しいものを工夫して使おうと思うか否か。そして、これらの重要性を理解し、子供を誘導できる力量の両親をもっているか否か。
未熟な子供時代の性格と、両親の教育レベルの違いが、大きな格差を決定させてしまう社会。人として成熟した頃に気づいたとしても、何も為す術が無いような社会。そして、それが世代を重ねるごとに加速してゆく社会。