はてなキーワード: ゲームとは
今のゲームは女を排除しているみたいなのがちょっとあがってたけど、天下の任天堂はどう対応してるんだろうってスプラの小学生部門の写真見てたら大体1チームに1人は女の子がいるし、トッププレイヤーに食い込む女子の種はまかれているように感じた。
今スプラでトッププレイヤーを担っているような女の子が子供を作る頃には、女にとってももっとゲームが短になってるんじゃないかな?該当の記事の増田が生きている間は無理だろうけどね。
アニメ・ゲーム関連のサイトを作ろうとして、〇〇enta-jp.comってのを取ろうとしたのだが、
お名〇.comで検索して3日後にはもうそのドメインが使用済みになってた。
「プレミアムプライスで取得できます!100万円!」とか書いてあってワロタ。
このまま日本の人口が減っていけばネトゲで皆でワイワイやるなんて事は次第に出来なくなっていくんだろうか
人が大量に集まる巨大ギルドでも30人しか居ないなんて事になったら随分寂しい光景だ
今はまだFF14とか見る限りそこそこ人口はいるっぽいが今後はどうなることやら
やっぱりゲームできるPC持った奴がそこそこいて人口も今よりは多かった黎明期辺りのネトゲが日本人にとっては一番ネトゲが楽しかった時期なんだろう
間違いがあったら教えてください。
オレは今まで、セックスどころか、恋愛をした経験が無かったし。
甘酸っぱい青春を過ごしてこなかった。
どちらかと言うと女性を遠ざけてきた。
実は人を好きになった事さえ、一度もないんだ。
少女マンガを描いたぞ!!! みんな読んでくれ!! こう言われて読みたいと思えるのか!!
「恋愛未経験の作者が描いた少女マンガは面白いと思えない」——だったら読者はどうなんだ?
電車やプラモデルのような趣味ならまだしも、恋愛は関係性のコアだろ!
漫画やアニメ、映画やゲーム、あらゆるエンタメは人間関係のストーリー。
「作者と違って読者は、別に恋愛未経験でも人間関係のストーリーを十分に楽しめる。」
・・・そう考えるのはウヌボレだろ。
心の余裕がなく恋愛経験がないオタクは人間関係の感受性が未発達——反論できるか?
ストーリーに深い人間関係が絡んでくると、途端に目が滑り出して、脳が受信拒否する。
手の混んだことをやる人はどんどん減っていく
ゲームもクリアに時間がかかりすぎるようなのは誰もやらなくなるし、小説も手の混んだ文学手法を使ってるようなのは誰も読まない
例えばチェスについて考えると、「チェスの地元グループに参加して、そこから練習して、大会に出て、レートを上げて」というタイプのめんどくさい道を通る人はいなくなり、
オンラインでテキトーにゲストとして参加して気晴らしにやる人が増える
あるいは数学を趣味にする場合も「コホモロジーとはなにか」みたいなめんどうくさい理論を理解しようとする人は減り、組み合わせ論のアルゴリズム問題のように、前提知識がそれほどなくても取り組める題材を選ぶ人が増える
言われないやで
速読能力
https://www.sokunousokudoku.net/hakarukun/
読解問題よみとくん
https://www.sokunousokudoku.net/yomitokun/
こういうゲームみたいなのじゃなくて日常ベースでいうとワイの読む速度は
ジャンルや前提知識によってめっちゃ速度かわる。なので速読では無いんだろうね
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...
対戦ゲーム
まずメタが存在して、一定数の参加者がいて、競技性があるのなら立派な趣味になる
それでいて、メタの変遷があって、ある程度の歴史があればなおよし
コミュニティもきちんとあればなおよし
ソシャゲと区別したのは、ギャンブル依存症と同じ無料のドーパミン中毒ゾンビが増えているから。
→やったことないんだろうが、細部のこだわりは本当に性格が出るぞ
→好きな人間なら、一度は描いてみたり、書いてみたりするだろう
そこに自分なりの解釈を入れたり、他人の解釈や書評を見たりするだろう
アニメと区別したのは、単純に"周囲と仲良くなる"ツールとして消費している人間が増えているから。
ま、結局はどのような姿勢でその物事と向き合うか、だけだから本来は貴賤なし、だけどね。
巨大資本が入り込むと決まって衰退するのよな。
マジでそれ
経済的理由で熱中できない、あるいは毒親で制限されている、あるいは地域が荒れてるなど
しょーもな!&めんどくさっ!て趣味をたくさん持っていて、めちゃくちゃにのめり込んでる
対戦ゲーム、プラモ、漫画・小説、鉄道、カメラ、登山、料理、キャンプ…何でもいいけど
逆に、ソシャゲ、SNS、アニメ、映画、ドラマ、推し活などなど…受動的な趣味しかないやつは
ほんっとーに話しててもおもんない。
アイマス派生は全部駄目だったし、カスメも今のバージョンで駄目になったし、ウマもその路線がきつくなって辞めた。ゾンサガもラブライブも駄目だったし、他も全部ちょっと手を付けては投げている。多分、これだけで三割位のマンガ・アニメ・ゲームを駄目にしているので、なんとか克服したく、学マスをはじめてみたが、やはりアイドルとプロデューサーと言う関係性がどうにも駄目でしんどい。モデリングの作り込みとか凄いと思うんだけどね。
女がゲームに向いているかどうかは知らんけど、観測範囲ではFPSとかの対戦ゲームをやってる女性っぽいのって大体Xとかでも反射的な攻撃性を見せる傾向がある気がする。ゲームと現実を混同すると言うか、ゲームはゲーム、人付き合いは人付き合いと切り分けられない人が多いと言うか。
エロ漫画を読む男は性犯罪をするようになるって女さんの固定文は、自分達が娯楽と現実を切り分けられないから男もそうに違いないって思い込んでるのかなって最近思ってる。知らんけど。
Vtuberとかゲームを実況観てると女性がゲーム上手くないなんて明らかにウソだって、誰の目で見てもわかるのに、FPSや格ゲーの大会の上位は男性が独占してるとかいう理不尽さ。どうして性別で区切って追い出すんだろう? いや令和だよね? 男女平等どこ??
今日は体調不良で仕事を休んだ。ゼプリオンという薬を月に一回打つが、打ってから一週間ぐらいは酷い眠気に襲われる。
さて、ヘルシープログラマーを読み終えたが、自分には実行できそうにないことがいくつか書かれている。
例えば「米国の運動能力の上位半分を目指そう」とか、「毎日記録を更新しよう」とかそういうやつである。
腕立て伏せを今日1回やるとしても、明日記録を塗り替えるには2回やらなければならない。1年で365回、無理な話である。
そもそも私は健康のために運動を取り入れたいのであり、マッチョマンになりたいわけでも、運動神経がスポーツ選手のように良くなりたいわけでもない。
そうすると必然的に運動プランは「早朝のランニング」「休憩時間のストレッチ(ポモドーロワークアウト)」「休日中の散歩」ぐらいに落ち着くだろう。
ちなみに本の末尾には「Ingressを使って散歩をしよう」というのもあったが、ポケモンGOと同じようにこの種のスマホゲームはダメな臭いがするのだ。実際、消費者庁でも注意喚起がされている。
運動も重要だが、栄養も重要である。ビタミンDの話が書かれていたが、サプリを買うか、あるいはビタミンD入りの牛乳を飲むようにしてもいいかもしれない。特濃というのが売っている。
頭痛と眼精疲労についての予防は実践する価値はあると思った。20分ごとに6mの距離のものを20秒見るようにするとか、水を適量飲むようにするとか、そういう話である。
個人的には、コーヒーにポリフェノールが多く含まれるという理由で積極的に摂取していたが、カフェインは頭痛の原因にもなるらしいので、飲みすぎは避けたい。
久しぶりに読書を一通りやってみた感想は、一人の著者が体系的にまとめた本というのは、インターネットであちらこちらを飛び回るよりも説得力を感じたということである。
男女の脳は何の違いもない?
・・・もしそれが本当なら、男が楽しめるゲームを女は同じように楽しめて、男ばかりのコンテンツだろうと何ら変わりなく馴染めるのではないかな。
少子化への対策として、ボードゲームやテレビゲームでの「人生ゲーム」で、結婚や子育てによるメリットをめちゃくちゃ大きくしたら良いと思う
ミャクミャク様も日本が終わった象徴のひとつだからなぁ。これのデザインにツッコミ入れなかった人たちって・・・
こんなん妖怪とかモンスター出てくるファンタジーマンガ&ゲーム、最近流行りのライトなクトゥルフや創作神話マンガ&ゲーム
ねない子誰だとか鬼とかの文脈でしか許されないデザインやで。エロと同じくTPO
絶対、自社のマスコット・自分が所属する組織のマスコットなら、止めただろうにな
GPUの重要性を理解できない人には、いくつかの特徴が考えられます。
技術に疎い人: コンピュータやテクノロジーにあまり詳しくない人は、GPUの役割やその重要性を理解しにくいことがあります。
古い情報に基づいている人: 古い情報や過去の経験に基づいて、GPUの進化や現在の役割を把握していない人もいます。特に、昔はCPUが主流だった時代の知識しか持っていない場合です。
専門外の人: ITやコンピュータサイエンス以外の分野の専門家で、普段の業務にGPUを使う必要がない人。例えば、文系の研究者やアーティストなど。
特定の用途にしか関心がない人: GPUの重要性が特定の用途にしか関係しないと考えている人。例えば、ゲームやグラフィックデザインにしか関係ないと思っている場合、データ解析や機械学習にも重要であることを理解しないかもしれません。
教育や啓発の機会が少ない人: 学校や職場での教育やトレーニングでGPUの重要性について学ぶ機会が少なかった人。
これらの理由により、GPUの重要性を理解できない人がいるかもしれません。教育や情報提供を通じて、理解を深めることができるでしょう。