はてなキーワード: グルーブとは
最高の人生の見つけ方、いい映画ですよね
ですが日本版は少しだけ、本当に少しだけしっくりきません
そこで、僕がかんがえた最高の人生の見つけ方を発表したいと思います
けれど、いきなり僕がかんがえた最高の人生の見つけ方のあらすじを書いてしまうと、みなさん混乱してしまうと思います
なので、吉永小百合と天海祐希という組み合わせを少しずつ変えながら紹介します
家庭のために生きてきた吉永小百合と、会社のために生きてきた志田未来。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は余命宣告を受けたことだと知る。
主婦業と仕事以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた吉永小百合と志田未来は、たまたま手にした12歳の少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
ジブリのために生まれたアリエッティと、ポノックのために生まれたメリア。
全く違うスタジオで生まれた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は監督が同じだと知る。
ジブリ業とポノック業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたアリエッティとメリアは、たまたま手にした西村義明歳の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
M78星雲で生きてきたウルトラマンと、地球のために生きてきたハヤタ。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点は平和を守ることだと知る。
地球を守ることに何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいたウルトラマンとハヤタは、たまたま手にしたゼットンの「1兆度の火球」を食らってしまい死ぬのであった。
アニメのために生きてきた庵野秀明と、アニメのために生きてきたわけではない山賀博之。
全く違うわけでもないけど同じではない世界に暮らしてきた2人が大阪芸大で出会い、自分たちのそこそこある共通点はアニメが好きなことだと知る。
アニメと特撮以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた庵野秀明と山賀博之は、たまたま手にしたオタキングの「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
アニメのために生きてきた宮崎駿と、会社のために生きてきた鈴木敏夫。
全く違うわけでもないけど同じというわけでもない世界に暮らしてきた2人が出会ってからもう何年もたってから、自分たちの唯一の共通点は高畑勲がすこすこだったことだと悟る。
映画以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた宮崎駿と鈴木敏夫は、必然的に手にしていた高畑勲の「死ぬまでに食べたい菓子パンリスト」をパクパクするという無謀な旅に出る。
声優のために生きてきた日高のり子と、アナウンサーのために生きてきた長谷川太。
全く違う世界に暮らしてきた2人が偶然に出会い、自分たちの唯一の共通点はニッポン放送の吉田に対する気持ちだけだと知るが、それは声優アニメ系ラジオ業界で生きるもの全ての共通点だった。
声優業とアナウンサー業以外に何もやりたいことのない人生の虚しさに気づいた日高のり子と長谷川太は、たまたま手にした文化放送取締役放送事業局長片寄好之の「死ぬまでにヤリたいリスト」を実行するという無謀な旅に出る。
漫画のために生きてきたあだち充と、漫画のために生きてきた高橋留美子。
全く同じ雑誌で連載してきた2人が編集との繋がりで出会い、自分たちの唯一の共通点は面白い漫画がかけることだと知る。
漫画以外に何もやりたいことのない人生の素晴らしさに気づいたあだち充と高橋留美子は、たまたま手にした雷句誠の「死ねリスト」を見て怖いなあ、と思うのであった。
メガネとして生きてきたゆうきまさみと、犬として生きてきた押井守。
違う種族の世界で暮らしてきた2人がバンダイの会議室的な場所で出会い、自分たちの唯一の共通点はガンダムが好きなことだということに今からして押井守版ガンダムとか見たくない? カイが主人公でいろんなコロニーの立ち食いそばを巡る感じのでさ。
そんなこんなで、ゆうきまさみと押井守は、ニンテンドースイッチ版グルーブコースターに出演したメグッポイドを通じて知り合った月ノ美兎の「死ぬまでにやりたいことリスト」を見て、アニメや漫画といったオタク文化が今こうやって若者たちに広く愛されている現状に満足するのだった。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
詩織「……」
詩織「……怒らない人いないわよ」
愛海「ごめんなさい」
詩織「……あの界隈。
あの界隈なにがしたいの?」
愛海「誰と、誰かな」
詩織「あなたを中心に、同じ事務所のアイドルのライブに来る子たちよ……」
愛海「はいはい、「アイドルだけどアイドルのライブに行ってもいいんだからね! の会」ですね」
詩織「……」
愛海「その、ラジオなので、できれば言葉で表現してもらえると」
詩織「……」
愛海「ごめんなさい」
愛海「そのー、なんていうかー、あたしのせい?」
愛海「ごめんなさい」
愛海「その、美羽さんに客席からライブを見ると色々勉強できるよーと言って誘いまして」
詩織「……それは、まあ、そうね」
愛海「そしたら、きんきんにやってたライブが、詩織さんのでして……
詩織「……愛海ちゃんにだけ嘘のスケジュール教えればよかった」
詩織さんがああいう可愛い可愛いした曲歌うのが珍しかったのもあるかもですけど」
愛海「それで、こうあの日はお客さんも湧いてて、コールもすごかったし、とにかくこう一体感? グルーブ感? でハコユレ? 的な?」
愛海「さらにそこから、二曲目もラブレターでまた、可愛い可愛い曲なのでとっても盛り上がって」
詩織「そのあとよ……」
愛海「ごめんなさい。
それで、ラブレター終わって、MCで恒例の海の話やってるときに、お水を飲んだじゃないですか」
これまあよくあるんですけど
詩織「……どうでもいいけど、この世界の私たちはアイドルだから、そんな文化ないんじゃ?」
愛海「世界? とにかく、そのとき美羽さんの、その悪い癖というか、どんなときもネタをやってしまう前向きな心構えといいますか」
詩織「なにいったのか言いなさいよ」
愛海「その…… 美羽さんが、お水おいしいー? にかぶせるように
『海水おいしいー?』って」
そのあと、あなた何言いった?」
愛海「許して!」
詩織「……あのね、そういう自己主張をしたければ舞台にあがりなさいよ、舞台に」
愛海「ごめんなさい」
詩織「だいたい…… それだけで終わらせればよかったのよ…… まだ……」
愛海「はいー、そのあたしも被せたのが、美羽さんの対抗意識に火をつけてしまいまして」
詩織「だから、次に物販Tシャツに着替えて出て来たMCのときも……」
『回ってー』と言いまして」
愛海「そしたら、美羽さんが
『シャツがー 空回りー!』とミラクルテレパシーの替え歌を……」
詩織「……私の歌じゃないし」
愛海「それで、あたしも楽しくなって
『くるっと回って見渡してみてー! もみもみ!』とlittle trip around the worldの替え歌を……」
詩織「別の事務所の曲だし…… 替え歌してる部分合いの手の部分だけだし……
美羽ちゃんが言うのは…… うるさいから今後気をつけてね…… で、いいけども……
それに便乗するあなたよ……」
愛海「ごめんなさい!」
愛海「そんなー!」
森川葵演じるヒロインを取り合う相手役に北村匠海と佐藤寛太が出ていた。
2人とも、とんでもなく顔が整っていて、且つ芝居も観れないレベルのものじゃなかった。
佐藤寛太本人は違うけど、彼が所属する事務所LDHには、EXILEや三代目J soul Brothersがいる。
映画「HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」 予告編 - YouTube
LDHは2015年から身内向けに作っていたはずのプロジェクトで、今年色んな界隈の所謂オタク層にその存在を知らしめた。世間が思う「浅黒い肌にムキムキに鍛え上げられた肉体、無精ヒゲを生やしたむさ苦しい男達」というイメージに反して、このドラマや映画のシリーズに登場するLDHの面々は、そういった”イメージ通り”のメンバー(AKIRAや関口メンディー)に加え、男らしさは残しながらも綺麗な顔立ちや可愛らしい甘い顔立ちのメンバーが多く出演する。三代目J soul Brothersの人気の火付け役となったであろうメンバー・岩田剛典などが正に良い例だろう。ここ何年かでLDHに所属するアーティスト達のビジュアルやコンセプトが、時代や流行に合わせて変化しているのをなんとなく傍目から察していた。だんだんとマーケット層のメインが様々な世代の女性に絞られ、アーティストでありながら、アイドルとして彼らを応援、消費できるスタイルへと変化しているように思う。(勿論所属しているアーティスト全員に該当する話ではない)三代目も先輩グルーブであるEXILEと同じようにボーカリスト・パフォーマーとメンバーの役割は分かれているものの、パフォーマー(ダンサー)である彼らは、俳優、モデル、DJ、アートディレクター、ファッションデザイナー、ラジオパーソナリティと様々な顔を持つ。これは、彼らのもう一つの先輩グループであるEXILE THE SECONDや後輩のGenerationsにも同じ事が言え、正に「歌って踊るアーティスト」としての一面と個々に活躍する彼ら個人の活動をファンが楽しんで、応援するシステムが既に出来上がっている。(これも勿論全員に当てはまる話ではない)
超特急「My Buddy」Music Video - YouTube
一方、北村匠海が所属するスターダストにも歌って踊る所謂”男性アイドル”が存在する。メインダンサー、バックボーカル(ダンサーがメインで踊り、ボーカルがバックで歌う)”超特急”である。彼らは今年、武道館でライブを行い、今冬から来年にかけてツアーも決定している。最新曲「My Buddy」では彼らの”可愛さ”と”かっこよさ”の両方を堪能できる一度で二度おいしい世界観のMVを公開しており、この曲は橋本環奈・渡部 篤郎主演のドラマ「警視庁いきもの係」のタイアップ曲にもなった。北村匠海自身も「DISH//」というグループに所属しており、アイドルでありながら俳優業にも精を出す内の1人だ。当然超特急にも、俳優業をこなすメンバーは複数いて、多くの人気俳優を抱える事務所に所属しているだけに、彼らも作品に出逢う機会には恵まれているように思う。スターダストには彼ら以外にも、アイドルユニットは存在していて、メンバーの年齢層もユニットのコンセプトも様々であり、LDH同様、ファン層がユニットを選り好みし、住み分けできるようなシステムが出来ている。これは恐らく、同事務所の看板女性アイドルユニット「ももいろクローバーZ」の成功例にならって作られたものだろう。
ここで、今一度日本の男性アイドル産業に置いて、長年一党独裁を築いてきたと言っても過言ではない”ジャニーズ事務所”と上記2つの事務所が展開する”アーティスト”、”アイドル”の違いというのを改めて考えてみたが、「研修制度がある(ジャニーズJr.と呼ばれるCDデビュー前のタレントたちを多く抱える)」「SNSを利用していない」「自社でミュージカルショーを定期的に行っている」「冠番組を持つグループがいる」くらいしか最早存在しないのではないかと思っている。「見目麗しい顔が整った男性アイドル、アーティストや少年たち」は正直言って、もうジャニーズ以外の上記の事務所にも(好みはあれど)多く存在してしまうのだ。ちなみに私は、ジャニーズなら山田涼介や佐藤勝利は顔が整っているという価値観を持って生きているものの、スターダストなら超特急のユースケや北村匠海も顔が綺麗だと思うし、LDHでは登坂広臣や白濱亜嵐も綺麗だと思う。そこに関して、どこがどう凄いとか誰がどう良いみたいな話はもう殆ど、微妙な好みの差の話でしかない。そもそも「冠番組がある、なし」については、番組などがない代わりにスターダストもLDHも様々なコンテンツを駆使して(有料のものが多いが)ファンに提供しているように思うし、LDHにおいては、今度Generationsがとうとうテレビ朝日で冠番組をスタートさせる事にもなっている。ネット配信も含めると既にEXILE THE SECONDの黒木啓司がAbemaTVで自身がMCを務める音楽番組を持っているし、EXILEのメンバーでも冠番組を持つ者もいる。
GENERATIONS、初冠番組がテレ朝“進出” Abemaオリジナルが初の地上波レギュラーに | ORICON NEWS
実際、男性アイドル産業に数年前から着手している芸能事務所はこの2つだけではない。スターダスト同様多くの人気俳優が所属する「アミューズ」も所属タレントだけで構成されたアイドルユニットを様々なコンテンツと絡めて売り出し始めた。期間限定コンテンツを匂わせながらも、ちゃっかりCDまで出している。流石、アミューズ。
キャスト|「ドリフェス!R」5次元アイドル応援プロジェクト公式サイト
なんならこの事務所は、所属タレントだけで開催するイベントで若手俳優がそれこそ所属アーティストの歌を歌ったり、踊ったりもしている。あの神木隆之介もだ、というから驚きである。
モデルプレス - アミューズ「ハンサム」今年は初の試みで開催 神木隆之介、吉沢亮、小関裕太ら出演者&公演内容発表<HANDSOME FILM FESTIVAL 2017>
似たような事は、福士蒼汰が所属する研音「研音若手俳優によるスペシャルイベント MEN ON STYLE 2017」もやっている。(しかし福士蒼汰は出ない)どこのタレント事務所もアイドル産業が儲かる事をわかっているのだなという感じを察してしまうし、ある程度演技仕事で一定数の知名度とファンを獲得している彼らが出演するとなれば、一定の売上も確保できるのだろうから事務所側としてみたら、良いビジネスコンテンツなのだと思う。
事務所の運営とは関係ない部分で言えば、日本の若手俳優はピンからキリまで存在するが今やその勢いは年々増しており、特に新規ファンを獲得しやすい2.5次元舞台などで一躍有名になれば、その界隈から様々な分野の仕事へと手を広げる事も難しくはなくなった。テレビドラマに出演する事もできれば、大手のレーベルでCDを出す事も出来る。ここにLDHは目をつけて、2.5次元界隈で人気の俳優を自社が手掛けるコンテンツ(ハイローや舞台「幽劇」)に呼び寄せた。アミューズが展開するアイドルプロジェクトも正に、この2.5次元人気に肖ったものであろう。
こうした大手の芸能事務所がしれっとアイドル産業に手を出す中では、ジャニーズ事務所に所属するタレントが新たな層のファンを獲得するのはかなり厳しくなっているのではないかと考える。デビューしてからキャリアが長く、経験も豊富でファン数も安定している中堅層(V6、KinKi Kids、嵐、関ジャニ)は良い。そこから下の世代は、今もそしてこれからも厳しい戦いを強いられるようになるのではないだろうか。特にこれからデビューするかもしれないジュニア勢にとっては、他事務所のデビュー組レベルのタレント達と仕事を取り合っていく事になる事態は、決して未来が明るいとは言えない状況なのかもしれないし、逆に燃えるというタレントもいるかもしれない。
だからこそ、他の事務所同士が各々手を取り合ったり、競合しながら、男性アイドル産業に様々な形で参入し、成功を収めている今、いくら永続性はある程度(ジャニーズ事務所所属のアイドルグループの存在が永遠ではない事はここ数年、"特に"昨年私達は思い知っている)保障されていたとしても、AbemaTVでのホンネテレビを見て、SNSを利用する他事務所のタレントやアーティストの売り方について批判をしている”ごく一部”の人には是非、広い視野を持って、アイドル産業に目を向けて見て欲しいと思う。
批評するだけで満足せずに、どうか是非他事務所や他所のタレントに目を向けて、どことも上手く競合できるように目を光らせておいて欲しい。
彼は背が高くてちょっと弱気な優しい人で、高校の仲良しグループとして何人かで集まり、スマブラ(DX)などでよく遊んでいました。
私はその人に、2年生のはじめ頃告白をしました。結果は玉砕でした。
「君は友達としか思えない」とあっけなく振られ、でもこのまま離れたくなかった私は、彼の友達になることを決意しました。振られた次の日も普通に挨拶をして(彼は優しかったので、普段通りに接してくれました)、その日から卒業まで、私はずっと仲良しの友人としてその人のそばにいました。
大学に入ってからもしばしばそのグループで遊んでいたのですが、その度に彼は恋人ができたことや別れたこと、ついでにセフレができたことなんかの話をしてきました。
私は彼の友達だから、そっか〜と適当な相槌をうったし、今更どうこうなるわけもないよなぁ、と諦めていましたので、別に傷つくなどといったことはありませんでした。
そんなある日、彼のプライベートで酷い出来事がありました。彼はそれを私に語り、私は話を聞いていました。
彼は不意に言いました。「君はいいやつだなぁ。こんなに親身な言葉をくれるなんて。こういうの少し恥ずかしいけど、僕にとって君は1番の友達だよ」と。
その瞬間、私は素直に「嬉しい」と思うことができませんでした。
なぜなら、自分はこの人の友達ではなく、股間の対象になりたかったんだということに気が付いてしまったからです。この人に信頼してもらえている嬉しさよりも、この人に性対象として見られないことの虚しさの方がほんの少しだけ大きかったのです。
その話をした頃、私の就職活動や彼の院への進学で段々とばたばたし始め、グルーブで集まる機会がぐっと減りました。集まってもどちらかが忙しく、結局4年ほど会う機会がないまま時が過ぎました。
そして昨日。
私は久しぶりに彼に会いました。
彼は相変わらず背が高くて優しくて、それに加えて、酷い出来事を乗り切った人特有のたくましさを持っていました。
彼はスマブラ(初代)をやりながら、前と同じように恋人ができた話をして、セフレの話をして、まぁなんとかやってるよ、と笑っていました。
私も対戦しながらそっか〜と相槌をうって、笑って話をしました。
それから昔の話をたくさんして、ご飯を食べて別れました。
ここだけの話ですが、私は心のどこかで期待をしていました。ようやく私も彼の股間の対象になれるんじゃないかって。ここ数年で髪も伸ばしたし、化粧も覚えました。女性らしい所作もそれなりに学びました。これなら彼の股間も少しは対象としてみてくれるんじゃないかって。
でも駄目でした。
どうやら私は、永遠に彼の股間の対象になれないということがわかっただけでした。
私は彼と別れた後少し泣きました。でもちょっとだけホッとしました。次に会うとき私は、ようやく彼と友達になれるのでしょう。
勿論、遅すぎたのはわかっています。4年前にこの思いを持てていれば、私は彼の親友になれていたかもしれません。だけどそれはどうしようもないことです。
だから私は次に会うときは、もう彼の股間に怯えないで素直に「そっか〜」以外の感想を言うつもりです。ヨッシーの復帰も阻止するし、また「1番の友達だ」と言われるくらい仲良くなれればいいな、と思っています。
「沖縄」って入れちゃったけど半分釣りタイトルで、実は東京時代から6年ニートをやっている。
こっちにきて時間に余裕もできたので、たまったノウハウなどを書いてみようと思う。
バックグラウンドを話すと、東京でニートをしていたときに沖縄から来た人が「うちのコミュニティ回ってないんだよね」と相談を受けて、僕が1年沖縄に行く決心をした次第。住んでいる家主に相談したら「XX君頑張ってるから、沖縄行って来なよ。お金は出す」と言ってくれて、いまのところ滞在費はかかっていない。
②人としゃべり続ける
③情報収集
だいたい、お金にならない仕事をすべて引き受けるという感じ。東京のコミュニティも、沖縄のコミュニティも差はあれど、ニートは必須という感じ。〝お金にならない仕事〟って働いている人にとって、けっこうコスト高。
「場の管理」
これほぼメイン業務みたいになってる。昼の12時ぐらいに起きて、掃除と洗濯、ゴミ捨て。
地味だけどこれがめっちゃ大切。物があふれてると人が集まらない。風水的なのってあるんだなと感じる。
なぜかというと、那覇のこの家はもう4年の実績があるが、住人がみんな忙しすぎて手が回っていない状態だった。
だから初めて家に足を踏み入れたときは、散らかり具合にびっくりした。
住んでいた住人は5人。
まず初日の歓迎会で、これから1年お世話になることと自己紹介をした。
そしたらどんどん人が集まってきて、沖縄のコミュニティの強さを感じた。
見たところ、住人5人+よく出入りするお客さん8人といったところ。
まず、人の入れ替わりが多いので、誰の物かわからないものが大量だった。
今の住人に確認をとって、誰のでもないものは粗大ゴミでどんどん捨てていった。
今年4月に入居して、6月の始めには床面積が倍ぐらいになった。
すると自然と人のたまり場になって、家が生きてきた感じがした。
「人としゃべり続ける」
次にやったのが、毎週の飲み会。特に曜日を決めているわけじゃないけど、Lineグループとかでたまに「飲み会やるよー」とか「カレー作ったよ!」とか書き込んでチビチビ飲み会をやった。
これによって、特に何もなくても家に居着く人が増えた。この時点で家によく来る人が15人ぐらいに増えた。
人が増えると重要なのが「喧嘩を起こす」ことで、それぞれが不満をかかえた状態だとグルーブ感が高まりにくいので、とにかく本音を言えるようになるまで人と話す。このあたりの業務も、仕事をしている人にとってはなかなかキツい作業だったりする。あとは、落ち込んでいる人のフォロー。他にも、フラっとやってきたお客さんと喋ったり。物の管理とちがって、心のケアというのは常に時間がある人の仕事なので、ニートスキルの発揮しどころ。ここで、ニートの個性みたいものが出るんじゃないかな。
注意したほうがいいのは喧嘩し終わったように見える二人が、実は心にわだかまりがまだ残っていることがあるので、そういうときは「本当に言いたいこと言い終わった? またお互いイライラしているようにみえるけど?」とさらに喧嘩を促すことが大事。
怒りというのは蓄積する。
だから思いっきり喧嘩させる。喧嘩しても大丈夫だという空気を作り出しておく。
そうしないと溜まった怒りが爆発して、人がいなくなる ⇒ コミュニティが崩壊するという連鎖に繋がる。
これらの業務によって9月ぐらいには、さらに出入りする人間が増えた。
twitterとかで知って、東京から旅行者が1週間〜4週間ぐらい滞在することも増えた。
そういうときは車を運転できる知人に電話をして、沖縄の海へ行ったりする。
このへんの旅行コーディネーターみたいな仕事は東京ではなかったから新鮮だった。僕も沖縄は詳しくないから知ったかぶりで紹介するのだけれど。
「情報収集」
これは僕が沖縄でアウェーだったから一番苦労したかもしれない。
ネットやってればOK! みたいな感じでもないし。
最初の6ヶ月で、場を健全化する・人を滞在させるというミッションはなんとかクリアしたが、まだ次のミッションが残っている。「新たな人を呼ぶ」ということだ。知名度を上げないと継続は難しい。
コミュニティでありがちなのが、以前からいた人が飽きてしまっていなくなり、世代交代がうまくいかない場合だ。2008年〜2013年ぐらいで流行ったシェアハウスや、シェアコミュニティはもう2016年の時点はほとんど潰れてしまっているか、解散している。これを楽しく継続させるためにニートは便利なので、運用に困っている人はニートを一人置くといいかもしれない。
東京では6年ニートしていたからこの辺で困ったことはなかった。どの人間が忙しくて、どの人間が暇なのか? それらを把握しておいて、適切な配分になるように分配する。マネジメントに近いかもしれない。「つらい思いをしている人間を固定化させない」というのは場の運営だけじゃなく、企業とか会社にも適用できるかもしれません。
さまざまなプロジェクトが動いていて、それの雑用をしにいったり、あるいは適切な人を配置したり。
僕がコストを負担することもあれば、負担できる人を探したりするときもある。
このために日頃からいろんな人と話しておくことが重要。(得意なことや興味のあること等)
いまは沖縄の美術大学生がけっこう出入りしていて、オーナーが懸念しているのは卒業したら活動をやめてしまう環境についてで、一緒に場を作って活動を継続できるように日々の業務をこなしている。
・今後の問題点
③負担の偏り
とまぁ、課題はいろいろあるけれど本来今年3月に終了する予定だった家が、今も沖縄で生きています。
僕の活動がただの延命行為にならないようがんばりたいしょぞんです。
ニートでどうやって食ってんだよ! とよく聞かれますが(特に父親とか母親)、差し入れで食べ物をもらったり、みんなからお金をもらって料理するときとかに、こっそりおこぼれを貰ってます。
あと、沖縄のおじさん超やさしい。もう3回ぐらいバーでお酒をおごってもらった。
どうしてもお金が欲しくて短期のバイトをするときもあるけど、そういうときはニートの仕事がおろそかになるので、やっぱりよくない。あと面白い話がこなくなる。「バイトだから」って断ってると、だんだん面白い話がこなくなってくる。ニート期間は長い方が信頼度が高くなるので、面白い仕事やプロジェクトにありつける印象。
そして、いよいよ12月に活動している場所で僕の個展を打つことになった。
もし12月9日、あなたが沖縄にいたら僕の個展を見に来てほしい。
そいじゃ。
知り合いが過労で死んだことがここ数年で2件ありました。
マジで。
とりとめのない話だが、演奏力に絞っていうと
技術的に複雑で難しいことをやっているかということがポイントになると思う。
バンプはどのパートも終始単純なフレーズを奏でていることが多い。
スピッツはギターこそバッキングとアルペジオというわかりやすい型にはまっていて引き出しもなさそうに見えるが
ドラムとベースは一聴しただけでもなかなか難しいことをやっているのがわかる。
しかしプレイが複雑であること以上に全体のリズム感(いわゆるグルーブ)が安定しているかどうかという点が重要で、
バンプの場合、ドラムが走ったり、なんだかベースが浮いていたり、ギターがついていけてなかったりと
一言でいうともたついている時が多々ある。
一方スピッツは正確無比なドラムとそのリズムを縫うように自由自在なベース、
そのリズムにかっちりはまったバッキングと、音の隙間に一つずつ当てはめていくような繊細なアルペジオで
平たくいえばはらはらせずにライブを聴いていられるかどうかってことだな。
何曲そのまま流すんだよ、やっぱり委員会方式よくない、レコード会社がねじ込んでくるからこういうことに……って思ったけど
途中からミュージックビデオとしてみればいいんじゃないかと思い始めた。
あとはカップルが多かった。
全体的に年齢層低めだったな。
自分の中で一番盛り上がった。
四国行ったんじゃなかったのかよ!
なぜ飛騨にいるんだろうか。
謎は深まるばかり。
雨の描写とかは言の葉の庭のほうが美しいかもしれないが、天体ショー的な派手な描写では勝る。
人間のアニメーションの動きが抜群にいいが、CGモデルをトレースしているっぽい。めちゃくちゃ注意すると一部CGっぽさが気になる。
こういうバランスで星を追う子供的なの見たかったかもしれない。
山はいい。美しい。
自己言及的。「新海の映画」の中でどこかで見たようなシーンとセリフが多すぎる。
具体的には「秒速五センチメートル」と、「空の向こう、約束の場所」「星を追う子供」
進化を感じない。前二作のほうがあがいてる感があったが。
予算かけて売れ筋の映画を撮るっていうのは挑戦なのかもしれないけど。
女子中高生向けなのにサービスシーンやたら多い。けどエロさを全く感じないので女子的にはOKなのかもしれない
秒速は心に突き刺さったのにこれには乗れなかったのは、年をとって大切なものを失ったからなんでしょうか?
と。ちょっと思った。
将棋大会へのエントリーは無料なんだけど、初心者救済の名目で(実質は運営費捻出のためだろうけど)100円のくじ引きがある。
100円払うと全部の駒をいったん抽選箱に入れてから、一枚引けるんだよね。
で、中を見ずに掴んできた駒を、自陣の歩のいずれかと交換できる仕組み。
これなら初心者でも飛車とか引くだけで、本番の将棋勝負もなんとかなる気がするでしょ?
結果を見ても実力が近い対戦ならほぼ運ゲーになってる
だからみんなくじ引きしまくり。金銀飛車角、、、偉い駒が欲しくて金を突っ込みまくり
王が自陣に3枚なんてことも。
100円で万能感が買える(気がする)こともあって大会は過熱気味
趣旨を完全に見失い自陣の歩が全部銀以上の駒に入れ替わるまで突っ込む輩まで出現する始末
銀以上の駒は豪華な衣装と高い露出を兼ね備えたデザインになってるから、プレイヤーがじゃぶじゃぶ課金したくなるよう射幸心を煽りまくってる。
さらには黒い噂もあって、なにやら偉い駒は出にくいとか?
自陣の駒は20枚だから、そのうち一枚の飛車が出る確率は5%でしょ?
でも実際に200回以上居合わせた現場で飛車を引く場面に出くわしたことねえし。ってかだいたい歩がリターンされるだけ
帝愛グルーブを感じる
みんな気がつき始めて、優良誤認だの、有利誤認だのと騒ぎ始めてる、消費者庁?なにそれ食えるの?
でもね、本当の問題はそこじゃない、そうじゃないんだよ?いいか?
そ も そ も こ ん な の 将 棋 じ ゃ な い と 思 う よ ?
ゲームのコントローラ握った瞬間から、現実世界はぶった切られて、持ち越せないはずじゃねえの?
画面と操作、あるいはちょっとした知恵だけの世界に放り出されて、あとは己のワザマエですべてを決するから楽しいんじゃん
ゲームの世界で優越感や万能感や、なんなら目から塩水がにじむ悔しさだって味わうのは良いことさ。
でも、勝ちだろうが負けだろうが、実力で味わえよなー
なんだ課金兵って?
自嘲しているようで、自分に言い訳してるだけだろ?現実世界で勝てないから、ゲームの世界でも勝てないから、課金に逃げてる自分を
将棋が課金で左右されたらクソゲー化してカテゴリが消滅するように、近所の将棋大会もカテゴリごと消滅しないように祈っております
非常に残念だ。
SEALDsの最大の功績は、これまでのデモの単調なリズムを一新し、より高度で複雑な、知的なビートに変えたことだ。(主張内容に新規性はほとんどない)
5月の時点での「安倍は辞めろ」コールは16ビートであり、メロディー(シュプレヒコール部分をそう呼ぶことにする)は16分の裏拍を使用した複雑なものだった。しかし、それがいまやほとんどのメロディーはアクセントが拍の頭のみに限定された単調なリズムに堕してしまった。「安倍は辞めろ」も単に3拍子の頭打ちのみになっている。(上記リンク)
より詳細に見てみよう。
まずは5月の時点でのビートがいかに高度であったかを説明しなければいけない。
(比較をするには、それ以前のリズムがいかに単調であったかの説明も必要だがダルいので省略)
https://youtu.be/jad6bXYAStU?t=3m51s
タムの4つ打ち。これは従来通りのリズムではあるが、他のリズムとの兼ね合いで4つ打ちのキックの役割を果たしている。
そしてリムショットのような少し高い音が8分裏で入っている。これはオープンハイハットに相当する。
そしてスネアはさまざまなリズムが混在しているが、基本的には16分を奏でている。
この時点で、いわゆるダンサブルな4つ打ちのリズムが形成されている。
その上に、16分音符で(3、3、2)x2のリズムで(ア・ベ・ハ)(ヤ・メ・ロ)のメロディーが乗る。この3、3、2に16分裏拍が使用されており、これまでのデモにはない、非常に高度なビートになっている。高度すぎてメインボーカル(マイクを持っている者)以外はビートに乗れておらず、2拍3連というよりは単純な3拍子のリズムになってしまっている。まあ仕方ないといえば仕方ない。やってみればわかるが、16分の裏拍をずっと続けるのはかなり体力がいる。
しかし、意図としては非常に計算された複雑で高度なリズムなわけだ。そもそも打楽器が複数のリズムを分担していること自体が新しい。これはきっちりはまれば非常に強いグルーブを出しうる。そして、それは人の心を動かす。実際私は、つい鼻歌で「安倍は辞めろ」と歌ってしまっていたほどだ。(思想的には全く賛成していないにもかかわらず)
ところが、法案可決後は先述のように単なる3拍子の頭打ちになってしまった。メインボーカルはまだ幾分16ビートを意識しているようにも聞こえる。しかし、シュプレヒコールはもとより、タムのリズムが完全に3拍子だ。16ビートは雲散し霧消しかけている。
たとえば東浩紀はそれを、念仏のようだ、日蓮宗のお祭りのリズムに似ている、と称する。
https://twitter.com/hazuma/status/644928241774428160
それも非常に的を射た意見で、基本的に念仏、お経は3拍子なのだ。
ナンマイダー、も単純な3拍子だが、日蓮宗のナムミョウホウレンゲーキョウも6拍のビートを打ちながら唱えるわけだが、それは6/8拍子というよりは3/4拍子の8分打ちと言った方が近い。言葉の譜割りでいえば16分なので16ビートといっても良い。つまり、念仏、お経の時点で、3拍子の16ビートというのは鎌倉時代からすでにあるリズムでそれほど新しいものではない。ただしすべてアクセントは頭にある。裏拍が強調されるようなことはない。裏拍強調はずっと続けるのは体力がいるので、繰り返し唱え続ける念仏、お経には適さない。
5月時点では、デモの他のシュプレヒコールも裏拍を多用していた。例えば、「民主主義ってなんだ、これだ」の掛け合いも最初の入りは8分の裏拍だ。そこがグルーブ感を出していた。しかし、可決後のシュプレヒコールはほぼすべてでアクセントは頭。連日で疲れて体力が落ちているから、という同情の余地はあるが、結局のところ、デモのリズムは日蓮宗のお経レベルにまで一気に後退してしまったわけだ。
まあ、お経のリズムが一概にも悪いとも言えない。現に比較的複雑なリズムのお経を持つ日蓮宗、その系譜に属する創価学会は公明党を通じて政治的な力を持っている。というか与党だ。そして法案には賛成。
それと同じリズムではこれまでと同じ、勝てない。
いや、あれは3拍子頭打ちではない。16ビートを打ちに秘めた2拍3連であり、より進化しているのだ。という意見もあるかもしれない。
そうかもしれない。そうであってほしい。心からそう思う。
頑張れSEALDs!
テスコボーイ。ミスターシービーは日本の近代競馬の幕を開けた馬だと思う。そして、サクラバクシンオーの産駒は今でも活躍している。
パーソロン。シンボリルドルフは日本の近代競馬において、世界と戦える能力を持った最初の馬だと思う。ステゴxマックでの大復活がどこまで後世に影響を与えるか?
ノーザンテースト。言わずとしてた社台隆盛の立役者。父系としては壊滅しただが、ダイワメジャーを始めとする種牡馬や、エアグルーブを始めとする繁殖牝馬、そしてオルフェーブルにおけるクロスなど、現在にまで影響力は強い。
トニービン。父系としてはほぼジャングルポケットのみと言ってよく、おそらく繋がらないが、ブルーメドサイヤーとして極めて優秀であり、また、ハーツクライを通じてこれからも重要な血として生き残る可能性が高い。
個人的にはこの5頭を上げたい。
やべえよあのブログ。20代半ばの痛々しさが端的に表現されている。
30代に入ると「あーあったよねえ」って思う系の書き方。そしてものすごく恥ずかしい。
・社会人として少し余裕がでてくる年齢だからか、いろんな人にボクチンの経験と自分の意見が言いたい!という気合が感じられる。
・経営者になったことが嬉しくて嬉しくてしょうがないので、経営者、起業家、企業家という言葉が多い(でも例えば父親の立場では書けない)
・家族等の”誰かのため”ではなく”自分のため”に仕事をしている感があふれているので、やっぱり結論が小さいんだよなー。
・意見は原則論的で筋は通っているように見えるんだけど、実は筋しか通ってない。
・後半になってくるに従って興奮してくるのか、文章の勢いがどんどん気持ち悪くなる。(多分勃起してる)
って下の記事を読んで思った。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131218/1387384044
そんな彼のたまらん名言。これはいいブツでさあ。痛々しさマニア垂涎の品です。
・だってそれって目の前のサラリーしか見えてないってことじゃないですか?
・本来仕事って、例えばよくわからんデータ入力作業とかだったらマクロ組んで早く終わらせましたんでもう帰ります、とか、そういう仕組みをつくった人間の方が高い給料もらうべきであって
・気がつけるニーズとか手に入るネットワークって結構あると思うんです。
の後の一連の文章のグルーブ感。本の作者が言ってるつもりで書き始めたのに興奮が抑えられなくて途中から自分の意見とカウパーが出まくっているところがポイント。
・ぼくは、新卒では会社にはいってとっても「いい経験」をさせてもらって、とっとと会社を辞めてしまって会社をつくってしまいました。
うふふふふ。
読みなおす度に味が出てくるーーーー!
いいなあこの26歳いいなあ。
以下、チラ裏ですよー。
長いよー
去年見たアニメを纏めてみる。
年始周辺では前年末の物を見ていたりするので、それも含んでます。あくまで自分が見たものということで。
日常を改変する系統。近所のスーパーでって考えると楽しいねーっていう。
二つ名、各話タイトルなど、タイムセール一発ネタからの発想の展開がツボを抑えていて、「冗談をシリアスにやりきる」面白さ一本、この清々しさが視聴継続の意欲につながったように思います。
OP曲「LIVE for LIFE 〜狼たちの夜〜」が作品世界によく合っていて、なぜかとても好きでした。
正月休みが開けてから存在を認知して、1月にニコ動に課金してまで見てた。
視覚版声優ラジオ、ですよねー。たのしいねー。二期あるようで目出度い限りでございます。
3月にみました。
TV本編から心理的に大分たっているなーという状態になっていたようで、前半の学校のシーンはセルフパロディにみえるな、という結構他人事な突き放した感覚の中で見ていました。
とはいえ、ロンドンの話になる頃には、その辺も忘れて見られており、あずキャットさん関連のストーリーラインなども心温かく、総合的によろしかったのではないでしょうか。
序盤のオデット2世の掃除をするモブの場面で掴まれました。日常系とトピックとなる出来事のバランスが素晴らしかったと思います。
OP、EDがももクロで、それは作品的には合ってたんじゃないかと。特にED曲は好きでした。
・咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A
咲の時点でも大きなタイトルだったと思うのだけれど、阿知賀編によって咲はプラットフォームになったとおもう。
咲はいつもOP、ED曲がフィットしているのでコントロールが確りしていて非常に好きです。リスペクト。
・氷菓
原作既読での視聴。降って湧いたようなアニメ化、しかも京アニということで非常に喜んだものでした。
「京アニは自社の成長を、ひいてはアニメ表現の成長を考えている」。そう思う中に京アニブランドへの信頼感は強まり、またそのように思うからには私は京アニ信者なのであろう、まさにそのような自己認識に至ったものこそが私の人生においての昨一ヶ年なのでございました(何。
鍛え上げた萌えアニメの映像文法を、ラノベと一般小説の境界のような原作に適用することで、アニメ表現の可能性を押し広げる京アニ⊿。
男子二人の人物の掘り下げが素晴らしく、奉太郎・里志の屈託にも非常に共感できました。
私はストーリーなどの制作意図にはよく共感するのですが、アニメではあまりキャラクターに共感することがないので、これは珍しいことでした。
女性キャラでも、えるはともかく、摩耶花をきちんと描写できていたように思え、それはすごいっす。
(この辺のキャラクター群像って、普通さくら荘くらいの感じになっちゃうよねーといってみる)
それと、佐藤聡美さんに関しては、俺妹で魅力に開眼して、さあ!というタイミングでの千反田さんだったので、非常に期待しておりました。それが個人的あざと過ぎゾーンに踏み込んでおり、文化祭エピソードで軍門に下るまで時間がかかったというのも良い思い出です。えるたそ~(何。
営業観点なのかED1が萌えアニメ仕様だったのが不満でした(笑。
・SAO
原作既読での視聴。アクセル・ワールドが原作に忠実ながらも自分の望むところとは違う解釈だったので、こちらがまともに見れる脚本だったのは幸甚でした。
ストーリーや舞台・道具立て、ブレイクするまでの過程と、作品内外共に今日のエンターテイメントの流れとして象徴的な重要作品という認識。2012年はSAOのあった年、と記憶されるのでは的な。良過ぎない画質で安定しているのも好感。
キリトさん本気モードの表情の悪役張りの歪み方が、人間表現の指向性として優れていると思いました。
あと直葉ED曲Overfly超好き。
あとWEB小説上がりのラノベ作家は応援したい。まおゆうもいいけどログ・ホライズンの方アニメになんないかな。
一期は、OPやストーリーラインのカリカチュアっぽい感じがあわなくて、あまり見なかったのだけれど、キャラ掘り下げからタイトルの核心に進む二期は、見やすくて楽しかった。
EDもなぎさんで素敵だったのだけれど、とくにED2ラテラリティは非常に格好良くて素晴らしい。
氷菓の後にネタっぽいのやるのかよって思ってたら、ちゃんとしたドラマになったので、京アニ様すみませんでした。まあ終盤の感情表現の的確さといったら、すごい素晴らしいしか感想が出ない程のものでした。
あとOPの正統アニソンっぷりが凄いと思った。流れに心を込めるのはもちろんのこと、単語それぞれに感情が込められ、抑揚のうねりが独特のグルーブを醸す表現はZAQの名を高めたのでありました。
茨城出身なので。町おこし的な成功をよころばしく思っています。
戦車戦の「リアルらしさ」の表現が見事にアニメ化されていて、コール・オブ・デューティの臨場感がよみがえる思いでわくわくして見ていました。あと学園艦。あと西住殿~
アニメーションの出来として一段レベルが上(自分が見た範囲では)なので、ストーリーがどうとか以前に選ぶと入ってくる感じ。
・猫物語(黒)
ニコ動でみました。羽川翼は一言に均して「とても好きなキャラクターなんです」。
ああ…羽川さん…羽川さん…きこえていますか…(何
以上9本をあげてまして、重ね重ね重ねてチラ裏失礼いたしました。
10本上げたかったんだけど、集まった水準を基準にすると上記9本までしか入りませんでした。
(★は最終回まで見たもの。★の多いものはその中でも特に気に入ったもの。☆は中盤~終盤くらいまで見たもの。映画は最後まで見て当然なので無印で)
2011 | ベン・トー★★ |
gdgd★★★ | |
2012/12 | けいおん(映) |
2012/1 | アマガミSS二期★ |
リコラン | |
キルミー | |
ミルキィ二期 | |
シンフォギア | |
モーパイ★★ | |
偽物語★ | |
アクエリオンEVOL★ | |
あの夏★ | |
ラグランジェ★ | |
パパ聞き | |
妖狐僕SS | |
2012/4 | これゾン二期 |
ルパン不二子 | |
夏色キセキ★ | |
さんかれあ★ | |
戦コレ☆ | |
アクセル・ワールド★ | |
うぽって | |
咲阿知賀編★★★ | |
シャイニングパン屋 | |
氷菓★★★ | |
2012/7 | TARITARI☆ |
人衰(撮りためていてあとで見ます) | |
恋チョコ☆ | |
はぐれ勇者☆ | |
カンピオーネ★ | |
ココロコ | |
ホラ二期 | |
SAO★ | |
信奈 | |
2012/9 | 新世界より★ |
2012/10 | ヨルムンガンド二期★★ |
えびてん | |
K★ | |
サイコパス☆ | |
中二病★★ | |
BTOOOM★ | |
武装神姫☆ | |
絶園のテンペスト★ | |
ひだまり四期☆ | |
ジョジョ☆ | |
ガルパン★★★ | |
さくら荘★ | |
2012/11 | エヴァQ(映) |
2012/12 | 猫物語(黒)★★★ |
わかるっつーか、俺好きよ、この文章。いや、釣りじゃなくてマジで書いてんならよ。
何がわかるってよくわかんねー頭ん中うずまく衝動だとか、衝動というか憂鬱で満たされるよく分かんないあれだとか、
こういうグルーブ感で書けるぐらい賢さはあるのけど、だからって俺はこの人生をどうすりゃいいんだってことだとか
ありがちな思考の飛びと流れが分かるし、つーか全部俺も考えたことがあるようなことで
ようは俺にとってあるあるってことよ。なんつーの、モラトリアムあるあるってやつよ。
俺は人の悩みを「それ古典的な悩みだよね」とか言って傷つかせたことがあるけど、たぶん俺のもお前のも古典的なんだよ。
でも、古典的だろうが俺の状態は俺にとっては現在的だからさ、困ったもんだよね。
人生を半分投げたっていうのはさ、中島義道に影響されてんのか、そうじゃないのか分かんねーし、何書いてあったか覚えてないけど
欲望を大事にすればいいと思うよ。これは竹田青嗣に影響されてんだけど。
あと、音楽とダンスが好きな奴はあっち側に逝っちゃわないって菊地成孔が言ってたけど、それも多分同じことでさ。
根源的な欲望っつーか、ブッキッシュなだけな奴は病むよ。肉体に生じる官能的な快感がつないでくれるっつーか。体育じゃだめだ、なんつーか色々と。
俺の場合、人生半分投げて、俺の欲望だけ大事にしてから回復してきたからさ。結局、人生のどうしようもない意味ってのを欲望に変換しただけなんだけど。
まあいいや、俺も正解見つかんねーし、見つかったら教えてよ。
下でもいくつか挙げたけど
例えばnona reevesのdaydream parkのカッコ良さは半端無いと思う
http://www.youtube.com/watch?v=utyll5yrtQI
ノーナは歌詞がペラペラなのが残念だけど(たぶん西寺剛太がグルーブ感重視でその辺あまり興味無いんだと思う)メロディセンスは凄い
日本のミュージシャンで詩のセンスが最高なのは小沢健二だと今でも思ってる
(もちろん曲も大好きだけどね)
RADWIMPS、相対性理論、神聖かまってちゃん、世界の終わり、androp、amazarashi、The Mirrazといった、『語るように歌う』ロックバンドが最近勢いを増している。
彼らの大きな特徴は、その歌唱法にある。
従来のヒップホップのラップでは、声にドスを効かせたり、『Yo!』『Check It Out!』といったヒップホップではお馴染みのキーワードを口にしたり、語尾でキッチリと韻を踏んだりするが、彼らの歌唱法はそれとはかなり異なる。
ヒップホップのラップほどに声を作らず、日常会話のように、朗読のように歌詞を口にする。そのままでは朗読になってしまうので、テンポを上げて、跳ねるようなリズムを取り入れている。そこに少しメロディラインを混ぜたような歌い方。これまでの音楽にはない、独特のグルーブが感じられて、新鮮味がある。
歌詞の内容も、従来のヒップホップやJ-POP、ロックバンドと比べると一風変わっている。
従来のヒップホップの大きなテーマは『自分を誇る』ことであり、歌詞の内容も、自分のラップのスキルの凄さを自慢したり、気に入らないラッパーをDisったりといった、アウトローの雰囲気を感じられる歌詞が多かった。
それとは別にJ-POPでは『恋愛』や『前向きに生きていくこと』が比較的多く歌われる。これはヒップホップが台頭して、ラップをJ-POPに取り入れるようになってからも変わっていない。ケツメイシ、GREEN、FUNKY MONKEY BABYS、遊助、ヒルクライムなどが代表的だ。J-POPでのラップは、ヒップホップほど相手を威嚇しないようにはなったものの、依然としてヒップホップ的フックの雰囲気(『Yo!』といった掛け声)は残っている。
それらと比べると、『語るように歌う』系のロックバンドの歌は、あまりに歌う内容が違いすぎる。
彼らが歌う内容で多いのは『次元の捉え方』『記号・数式』『あの世・死生観』『死にたい』『言葉遊び』『ポストモダン』などであり、そこには従来歌われていたテーマは微塵も感じられない。歌詞はひねくれているのにメロディやキャッチーで親しみやすいから、そのギャップに困惑してしまう人も多いだろう。
それともう一つ重要なのは、ヒップホップ性を意図的に排除しているということだ。彼らはヒップホップ的なフックを全く使わない。DJもターンテーブルのスクラッチ音も入れない。歌詞の内容も自分を全く自慢しない。むしろメンヘル的なイメージさえ感じられる。アウトロー性もほとんどなく、ヒップホップを象徴するアクセサリーやファッション・アートワークも用いない。その徹底的な姿勢は、まるでヒップホップから『語るような歌い方』を奪い取ろうとする姿勢さえ感じる。そういった意味では、ヒップホップへのアンチテーゼとも言えなくない。ヒップホッパーも、この現象には困惑しているだろう。
これらの歌い方をするバンドを『念仏系』と呼ぶ人がいたが、案外的を得ているかもしれない。
この歌唱法を広めたのはRADWIMPSだが、結局のところこの歌唱法は時代が要請したものだったのだろう。価値観の反転、雇用制度の崩壊、複雑化した世界――そういった時代を表現するためには、従来の歌唱法だけでは足りなかったのだ。今後この歌唱法がどのようになっていくかは分からないが、僕としては静かに見守っていく次第である。