はてなキーワード: クレイジーとは
まず先に。「第五回 春風亭一之輔のカブメン。」自体はとてもいいイベントでした。
前座含めて三席の落語も、ゲストの中村獅童さんのトークも、どちらもよかった。
出演者のみなさまにも運営にも感謝の気持しかない。そのことはお断りしておきます。
■
で、本題。
>荷物の持ち主はまだ学生さんらしく、親御さんが必死に謝ってたのに、本人が謝らないと納得しない、とかずっと怒鳴ってた。
>迷惑かけてしまうと判断した親御さんが2人で席抜けようとしたのを、獅童さんがエスコートしてかつ場を和ませてた
>#カブメン
https://twitter.com/aks_1uv/status/1728037108336751046
この件なんだけど、本当に加害者が頭のおかしいジジイで、ヤバかった。
荷物がぶつかったといっても、別にケガをしたわけじゃない。そしてポストにもあるように、謝罪していないわけじゃない。
むしろ親御さんは平身低頭、土下座に近いくらいの謝罪をしているのに、「本人に謝らせろ」の一点張り。
Xでは「中村獅童さんが場を納めた。運営は何やってたんだ」みたいな声が出ているが、運営のスタッフ、動いてました。
動いてあいだに入ったのに、止まらなかったんです。運営、悪くないよ。もっとスマートな対応はもしかしたら何かやる方法があったかもしれないけど……。
他の客から「お前が出て行けよ」みたいなヤジが飛んで、それに対して会場中から拍手が沸き起こったりもしたんだけど、アレは当然だよ。
想定外だったのは、ジジイがそれにすら負けない筋金入りのクレイジーさだったことだけ。
「被害者は自分だ」「本人に謝らせろ。それが正論だ」「俺は正論を言ってるだけだ」「親の教育がなってない」「どういう子供だ」
「子供が子供なら親も親だ」「(ヤジが飛んできてから)私には『表現の自由』がある」「人権侵害だ」
……みたいなことをずっと叫んでた。
タチが悪いのが、支離滅裂なことを喚いて暴れでもするなら追い出せただろうけど、言ってることが論理的ではあるんだよ。
論理の根底にある認識が狂っているだけで、言っていることは筋が通っている。そして自分でもそれがわかってるから、頑として引かない。
獅童さんがいなかったら、どうなってたんだろうか……こういうときのいい対策を誰か考えてほしい……。私にはあのレベルの人だとどうしたらいいかわかんないよ。
■
で、終演後にもさらにひと悶着があって、別の客と言い争いになって、詳しくはわからんけど、たぶん腹に据えかねた人が「キチガイ」みたいなことを言ったんでしょう。
そしたらそれに対してまた「名誉毀損だ」「人権侵害だ」「出るところに出てもいい。なんだったら警察を呼ぶぞ」とかなんとか、延々とジジイがキレていた。
正直な話、都内の落語会でまたうっかり遭遇しやしないかとヒヤヒヤしてる。
身元を把握して、あらゆるイベントで出禁にしてほしいわ。少なくとも、次回以降のカブメンでは絶対に対応してほしい。身元はわかってるんだろうから。
飯時になんとなくTVerを起動して、なんとなくおすすめにあがっていたクレイジージャーニーを再生した。
ご飯時には少し重い内容かなと思いつつも、まあ言うても芸人が出てるようなバラエティだし大丈夫かなとそのまま見ることにした。
ロケット弾に破壊された建物の前に立ち話し始める姿を見て、「命がけで取材するなんて、すごいジャーナリズムだな〜」と思いつつぼんやりと画面を眺めていた。
「ここでは多くの民間人の命が奪われています」とボロボロの建物の映像が映った。建物の中から、大きい何かが男たちの手によって外に運び出されていた。その大きい何かにはモザイクがかけられていた。
「なるほど、死体にはモザイクをかけないといけないのか」と、モザイクの正体はすぐに分かった。
そのまま画面を見ていると、次に運び出されていくモザイクの影がとても小さいことに気づいた。
「こどもだ」
思った途端、脳と心臓がぎゅっと縮こまった感覚がして、瞬時に涙が溢れてきた。慌てて再生停止ボタンを押して、涙がぼろぼろと落ちる中、何度も何度も深呼吸をした。
ぼーっとテレビを観ていたつもりだったけど、モザイク越しの「子供の死体」という存在を知覚して、ようやく人が死んでいる場所だということを理解することができた。
大人より子供の命は尊いとかそういう話ではなくて、はるか遠くの地で知らない誰かと知らない誰かが殺し合いをしているだけだと思っていた感覚が、なぜか急に鮮明に感じられて、とても苦しくなった。
『自尊心をゴリゴリ削られているのを根性やお互い様の精神の話にしてはいけない。自分自身の気持ちを大事にしてね』が絶対で
イジってくる愚か者には『やめてください』ってちゃんと言おうで話は終わりなんだが、余計なこともどーしても言いたいので書いとく
周りをドン引きさせることなく、バッカで〜〜す、抜けてま〜〜す が出来るのは、絶対的に強い
あと、未経験の分野を学ぶ時にも強い。35を過ぎてからIT屋に転向したおっさんこれで押し通して乗り切ったぞ
ワイはナウなヤングな頃、めっちゃ道で人に声かけられるとか気安そうに思われ過ぎでは?って思って嫌だったんだが、
年取ったら誰にでも気軽に声掛けて貰えるのって仕事有利にしか働かねーわってなったぞ
あとジジババのウケがいい謎のバフは、若者の時だけでなく、おっさんおばさんになってもなぜか効果が続くので、
増田がポンコツだったりクレイジーでも、ある一定層は、前世であなたの子どもだったり命救いました?レベルで味方になってくれるぞ
子育てしてると「作業」としては色々とキツいとは思う。でも自分の感情としてはそんなに辛くなくて、楽しくて癒される事が多い。
目的があれば「キツい」のが「楽しい」んだよな。クレイジージャーニーみたいな感じ?
キツい事というのは例えば、
棚の色んなもの引っ張り出しては口に入れたり、
深夜夜泣きしてその度に抱っこして寝かしつけして寝不足になったり、
ママ友、パパ友との付き合いもあるし、
出かけるにしても旅行行くにしてもどこかに走って行かないか常に目を向けていなければいけなかったり、
朝早起きして離乳食作って食べさせて保育園の送り迎えをしたり、
仕事帰りもご飯を作って食べさせて、お風呂に入れて、絵本の読み聞かせ、寝かしつけをすると自分の時間はほぼ無くなる。
でも成長するって分かってればその大変さが楽しい。見た目も声も性格も死ぬほど可愛い我が子だが、どんどん体が大きくなっていき、色んな事に興味を持って知識が増えていき、やれる事が増えていくし、色んな事喋り出す。
日一日と成長が見てとれる、この上ない道楽だ。
だから世話したくなる。これはおそらくやってみないと分からない、生来的に備わった本能的な快楽かも。
「子育ての作業」だけに着目すると死ぬほどしんどいが、「可愛い我が子が成長する」事を目的とした「子育ての作業」ならそんなに辛くないんだよ。
子どもに癒されて凝り固まった感情が溶けていくから性格も日々穏やかになっていく。ダウンタウンの松ちゃんもそんな感じじゃん。
だから子育ての経験が無くてなんとなくやっていけるか不安な人はいっぺん子どもの世話してみたらいい。どういう事かなんとなく分かるから。
はじまって5分でおもしろくてそれがずっと最後まで続く映画かドラマかアニメ、いや映像ならドキュメンタリーとかなんでもいい
ジャンルは不問
というかアクションやホラー以外にそんなものがあるならみてみたい
定番はそれなりにみてるけど下記のようにだいぶ偏ってるので漏れがありそう
最近みてそれに該当するもの「RRR」「NOPE」「ダンジョンズアンドドラゴンズ」「ジェンブイ」「NO WHERE」「VIVANT」
強く気になるものなら車で片道30分かけてTSUTAYAに借りに行くよ(ドトールでソフトクリーム食うし)
よろしくどうぞ!
よろしくどうぞ!
【追記】
予想してたけど書くためのフックが弱すぎたね反省
あまり映画を知らない人へのおすすめ映画30作品を見繕ってくれ:哲学ニュースnwk http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4621649.html
ここらへんにあるのはたしかに名作なんだろうけど、どうにも古さがあるんだよね
どこで尋ねたらいいんだろう
クオラは爺しかいないし
ここだとマシかと思ったけどダメか
フリーレンでもみるか
ああ、ごめん。
現実に論争になるのは、有意な差がついていないとき、というか、そもそもデータをろくに取っていないようなときだよね。
サイコロがわかりやすいと思うのでその例に乗っからせてもらうと、
「サイコロを何度も振ったら、1の眼が1/6と割合(たとえば1/3。p値は0.0001未満)で出た」ときに
(a) 偶然である。低い確率で起こることが今回起こった、というだけである。
(b) 「1の眼が出る確率は1/6よりも高い」と考えるべきである。我々には知らないことがたくさんあり、このサイコロに関しても然りである。
どっちで考えるか、ということだと思うんだよね。
演繹的推論に慣れている人の多くは(a)で考えるわけだけど、上のように書けば、「同様に確からしい」という自分で置いた仮定を信じ過ぎだとわかってもらえると思う。
他方、万事につけてわからないことが多い人は自然と(b)で考えがちで、傾向としては情報処理能力が低いので自分たちの考えをちゃんと言語化できていないことが多いけど、別にクレイジーなことを言っているわけではない。