はてなキーワード: クリシェとは
美しきクリシェに背を向けて
私、最近趣味でラーメン作りを始めてみたんです。でもなんと、友達が食べてくれるか不安で、結局、全部自分で食べちゃったんですよ。まさに受け入れられない状況ってやつですね。
それと同じように、私はケーキ作りも始めました。でもね、これまた受け入れられないことが発覚。友達から「これ、何の味?」って聞かれて、正直に「分からない」と答えた瞬間、みんなが引いてしまって…。まあ、甘いものは得意じゃないんですよね。
夜の巷を徘徊することが好きで、そこで見かけた人間たちについて考えることがあります。「人間って、なんでこんなに面白いんだろう?」ってね。クリシェって言葉があるけれど、それって実はリアルで面白いんですよね。例えば、あるアーカイブを見ていたら、世帯年収が増えれば良いと思ったら、それが怖いですよね、わかります。
日本の街は本当に面白くて、週末になると四天王の中でも最弱な私が、どんな落とし穴にハマるかわかりません。でもさ、だったら起こることってあるじゃないですか。一括投資って言葉も聞いたことがあるでしょう?私、それをやってみたら、結果は…まあ、お金が減る一方でした。
とにかく、人生って面白いものですね。どんな出来事も笑いの素材になるし、受け入れられないことも、それが笑いに変わる瞬間がある。これからも、笑いを届けられるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします!
まあ、クリシェを操る芸術ってのも一興よね。古くさい言葉の中から、まだ使われてないような表現を見つけるのは難儀だけど、その瞬間がたまらなく「新しい!」感じるわよね。
流行語やCMの台詞って、時折深い意味を持っていることもあるじゃない。それを引用すると、相手には「おお、哲学的じゃない!」って錯覚を与えちゃったりするわけ。まあ、あまり深読みしない方がいいかもしれないけどね。
それにしても、クリシェだけで話すというのは、まるで感情のフィルターがかかってるみたいで面白いわね。他人の言葉の中に自分を隠す芸当、なんとも巧妙よ。
「新しい言葉を生み出すことも大事だけど、クリシェの中に新しい自分を見つけるのもアリだわね。」って、まるで人生の辞書みたいじゃない?
もう既に使い古された有名な表現(クリシェ)を適切なタイミングで挟みながら会話したい。
だって、私が新しい言葉を考え出さなくても十分なくらい、面白い言葉や表現は多数開発されているのだ。
それらをいくつか吸収し、それらを適切に会話に放てば、たぶん「なんか面白い」ことは言えるはずなのだ。
素人である私が新しい言葉を考えて笑わそうとしても、それは車輪の再生産になるはずで、
一昔前の流行語やCM動画など、しょっちゅう見返して、「あっ、新しいな」と思ったら、会話で使ったりしてる。
また、一方でクリシェで話すのには、自分の考えを隠すという役割もある。
他人がよく使っている表現だけを使えば、私の偏用する用語や言い回しから、私の指向性を隠すことができる。
例えば、流行してることしか喋らない人に「流行好きだね〜」以上のことを感じたりする?
そういうこと。クリシェという大きな社会ノイズの中に、自分というものを隠していたいのだ。
自分を隠していれば、何を言われたって、本当の意味で傷つくことは無いのだから。
「自分が思ったことをそのまま書いただけ。」←お前は自分で思考してないことに気づいてないんだよ。自分で思考してないから他人の言葉のうち質の低いものしか理解できないし、それをそのまま吐き出しているだけなのに「自分が考えている」と思い込んでいる。「語彙力が足りず文章力がなく表現が雑で言語化能力が低い」んではなくて、単に知識もないし、自分が無知であることも知らない。「クリシェ」なんてワードを使いたがるのがファニーなことにも気づいてないんだろう?「言語化」する以前に思考がないんだよ。「バカと貧乏人は語るな」by浅田彰
そうかー。言い訳になるが、なにせ昨日から観始めたばかりだから、増田ほどはフリーレンのことは理解しきれてないのが本当のところだ。
「フリーレンにクリシェが挿入されると浅さが目立つ」と言われて、自分がたしかにそうだなと思いつくのは、サンデー伝統芸のしょうもない下ネタや、漫画お約束の使い古されたギャグ表現かな。あれは完全に浮いてるしギャグに至っては滑り倒してると思う。
ワイが言いたいのはそのクリシェがフリーレンという漫画に挿入された途端に浅さが目立つってことだよ。ヒンメルやハイターがその程度の紋切り型表現すると思ってるならそれは君の読める範囲でしか読んでないからじゃないかな。フリーレンに挿入して違和感ないようにアレンジするなら、ヒンメル「人は一人で生きていけないなんて言わないけど、30年に一回集まって流れ星見るくらいいいだろう?」フリーレン「そうだね」みたいなかんじじゃね。
「人は一人では生きていけないんだよ」とか御涙頂戴通俗漫画で決まり文句みたいに使われる言葉を吐く人物をフリーレンと対話させることを想像してみ?途端にその人物のハリボテ感と安っぽさが見えてくるだろう?
「人は一人では生きていけない」というのは確かにクリシェかもしれないけど、クリシェにされるだけのことはあるというか、一面の真実を突いている言葉だと思う。
あと、その言葉って勇者ヒンメルか僧侶ハイターがいかにも言いそうではないか。
フリーレンは最初は「何言ってんだこいつ」と思うものの、かつての仲間たちの死後、ヒンメルに会いに天国を目指す旅の道中でさまざまな経験を積むなかで、「あのときの言葉って、もしかしてこういう意味だったのか」と気付く……という展開を、自分は想像した。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_MF01201642010038_68
第38話:直談判
37話の「中ぐらいの権力を持った敵役によって絶体絶命の危機に陥った主人公」、どうなるかと思ったら
古式ゆかしきサラリーマンまんが(釣りバカ日誌)もっと古くは水戸黄門の
”その前に偶然知り合い意気投合していた相手Aが実はもっと高い地位の人物だったというのが明らかになり、Aの助力で解決に至る”の系譜・変奏曲でした。
さすがに令和だけあってそのままではなく
・中ぐらいの権力を持った敵役によって危機に陥り、問題を解決できるレベルの高い地位の人物Aが敵役サイドについたおかげで絶体絶命レベルに達したが
・高い地位の人物Aは偶然、一方的に主人公を認識しており、実は味方だったので解決に至る
というひねりが面白かった
古典版における伏せられた情報が「Aは(そう見えないが)実は権力者である」(主人公とAが意気投合している情報は開示済み)
と言うのに対し
本作で伏せられた情報は「権力者Aが、実は知己Bの知りあいであった」(Aが権力者であることとBと主人公が意気投合していたことは開示済み情報)
前者(古典型)も本作も伏せられていた情報が明かされることによるプチどんでん返しなのですが、古典的な方は現在では陳腐化しているので、パロディでもないかぎりやめた方がいいですね
そして本作の方の”偶然”が若干「唐突」で「アンフェア」な感じを与えるのは興味深いです
(古典型の場合、Aがただ者ではない描写の程度はいくらでも加減できる)
本作の場合の「Aが一方的に主人公を認識している」描写は、読み返せば存在していたのかもしれませんが…
そして一難去ってまた一難! 来月が楽しみ
前作『魔女』(2018)
”改造され超能力を身につけた主人公が秘密の研究所から抜け出し、追手と戦う”という『ファイヤースターター』に源流を持つお約束の物語。 『サルまん』でお馴染みの”嫌ボーン”ものにも連なる系譜で、日本の漫画でもかなりたくさんあり(『サイボーグ009』もそうだ)五十嵐浩一や槇村さとるも描いていたりする。
(ふつうは「抜け出す」と「追手が現れる」の前に「普通の生活をする」の描写が入るが、短編だといきなり追われている超能力者と戦うシーンから始まったりする。)
『魔女』(2018)はお約束をひっくり返す大きなネタがあって、これが人々に愛される作品足り得た最大の理由だと思われる。
今回は製作費も大変増加し、それに伴いリクープのために宣伝も大規模。必然的に起こるのが、「前作を知らずに観に行く観客」、そして、まだ続きがあると知らせない宣伝のおかげでエンドロールが始まって「決着ついてないと気づく観客」の大量発生。可哀想に・・・
前作のアバンの、実在のナチス時代の人体実験や脳手術の白黒ストックフォトや実際の生物学実験写真の小刻みカットバックに、秘密研究写真を白黒加工して混ぜ込んで虚実皮膜の間をあいまいにして「伝奇モノ」を刺激する手法を今回もやっているが、今回のは画像のチョイスがいまいちなんで(銅版画の魔女とか、下手くそな原始人のイラスト)初手からテンションが上がらない。
出てくる車がBMW、ダッジのピックアップ、シボレー(ハリウッド映画で悪役が必ず乗ってるアレ)、ボルボ…とほぼ全部韓国車以外になってた。予算が上がった分そこに行くのか、と。
で、今回のストーリー、前作の最大の魅力であった「意外性」がない。(今作で終わらせる気がないのでテンポも悪い)
・研究所育ちなので「こんな美味しいもの初めて食べましたわ~」ムーブ(無言)
・改造人間(一部?)はヘッドショットされても死なないで再生(鬼滅)
・一般人(ヤクザ)がドーピング超能力で参戦するも結局ホンモノ同士の争いの前にちいかわ並みに「アァァ…」
と
「こんな美味しいもの初めて~」の描写はちょっと新味があるけど、そこに高評価するのは一部の人だけだろう
あとは韓国の観客が見れば上海改造人間ズは「中国語=外国語」をしゃべっているってすぐわかるけれど、日本人観客にとってはどっちも「外国語」なんでね…(前作は韓国語と英語まじりのキャラーー米国から帰ってきた敵ーーだったのでそこまで混乱しなかった)同じ黒ずくめ同士だから区別つかんのよ(同じ会社の別派閥だから、同じような服装しているのは必然なので、ハイローみたいにコスチュームでチームが瞭然てわけにはいかなかった)
黒服と言えば、クライマックスバトルも闇夜(+花火大会)なんでそこもちょっとね
血がドバドバ出ても黒服が濡れてるようにしか見えなくて、白日の下でいかにも絵具っぽい血糊が、というよりはいいのかもしれないが
で、ストーリーの話に戻るともっと大きな問題があって主人公に軸がない。
「主人公が何も求めていない」「主人公が何も(悩んで)選択しない」
生き残りたい、逃げのびたい、追手を倒したい、自分の出生の謎を知りたい、家族を守りたい、復讐したい、敵組織を壊滅させたい…
そういうのがないの
「どこに行こうと、いくつになろうと、私の大事な子どもやからね」
冗談なのか、軽く酒が入っていたのか知らないが、誕生日ということで買ってきたちょっといい食材の料理を食べながら親はポツリとそう言った。
その後ひとしきり花が咲いた他愛のない雑談の流れの中で、しかしその言葉はしっかりと意識の奥底にとどまっていた。
後片付けをして、部屋に帰って一息ついてから、よく分からない泣き笑いのような表情になっている自分に気づいた。
そんなの陳腐なクリシェだし、ドラマじゃあるまいし、現実で口にするようなことか?とフル回転するメタ認知をよそに、慈雨のような涙が何筋か、精一杯ニヒルに笑ったつもりの頬を伝っていた。
大事な存在には「あなたは大事な存在だ」と言ってあげるだけでよいのだ。こんなシンプルで単純なことに、なぜ気づかなかったのか。知ってる振りをしていたのか。