はてなキーワード: キーワードとは
ネットで、あるいはリアルでも、「この人は頭が良いのか悪いのかわからない」と思ったことがないだろうか?
学歴があり、高い能力があるはずなのに、何か言っていることがちぐはぐで要領を得ない。
確認すると知識はあるのに、それを日常的に活かして仕事することができない。
かつてはこれがいわゆる頭のよさだとされてきたが、徐々にそれだけではバランスが悪いことがわかってきた。
IQ以外の能力指標というと、EQと言うものは大分前から知られている。
これは非認知能力とも呼ばれるもので、簡単に言うと「心の強さ」だ。
どれだけ試験のできがよくても、難しい問題にトライしたり、困難な状況でも努力を継続する心の力が弱ければ、大きな成果は得られない。
しかし近年はこれらに加え「メタ認知能力」というものも重要だということが知られてきた。
メタ認知能力とはその名の通り、「認知をメタ認知する能力」だ。
「自分が何を知っているか知らないか」「相手が何を知っているか知らないか」を認知する能力だ。
この能力が低いとどうなるか?
相手の視点に立ってものを考えることができない。適切な情報交換をしたり、確認がとれない。
こういう人が仕事につくと起こる典型的な事例が、報連相ができない、他社とのやり取りで言った言わないのトラブルを起こす、等である。
考えてみれば当たり前だが、本人の知識や論理的判断力を試すだけの試験では、こういう能力は測れないのだ。
ここからは私の推測になるが、論理的に言って間違いのないことだと思う。
ネットでトラブルを起こす変な人たちというのは、往々にしてこのメタ認知能力が他に比べて著しく低い人たちである可能性が高い。
というのも、単に認知能力が低ければ、ネットというハイテクや、文章投稿あるいは動画投稿のような形で情報発信すること自体のハードルが高いだろうし、非認知能力が低ければ、炎上やトラブルを気にせずに暴れ続けることは困難なはずだからだ。
認知能力、非認知能力が十分高いのに、メタ認知能力だけが著しく低いという場合でないと、ネットのようなハイテクコミュニケーションツールを使ってトラブルを引き起こし続けるということは考えられない。
メタ認知能力こそが、現代社会の数々の問題を理解するための最重要キーワードなのだ。
冒頭、雨宮さんは、最近の政治のキーワード「リベラル」について「共産党は『リベラル』政党と呼んでいいのですか?」と質問しました。
小池氏は、現在の安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊の政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人の尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人の自由、基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-27/2018012705_01_1.html
おい、文章なげーんだよチー牛!と言われる前にポイントを書く。
・曖昧な概念で社会的弱者を生み出し、強者が弱者を叩く弱いものイジメの構図が平然とまかり通っていること
・ルッキズムに基づいた弱者のイメージは商業主義において利用されやすく、チー牛顔に限らず今後も資本家による弱者イメージの流布・それを利用したビジネスが展開され経済的搾取を招きやすい
チー牛に限らず、大衆にとって"叩いて良い対象"となったものは相手が人間だろうと平然と"リンチ"のような誹謗中傷が行われてきた。
しかしチー牛はそれらとは大きく異なる。チー牛男性というあの一枚絵に象徴されただけの曖昧な概念であり、一個人や団体ではない。
では概念を叩いているのか?それは違う。叩きたい人がチー牛男性という概念を引用し、社会的弱者として扱い叩く。ここにチー牛叩きの問題の本質がある。
真の問題はチー牛という概念でも、ルッキズム至上主義でもなく、社会的弱者を誰でも簡単に作り出すことができ、レッテル貼りによるリンチが平然と横行している点だ。
そしてもはやチー牛という概念を使ったリンチはネットに留まらず、現実の社会においても表出しつつある。
やがては子供、学校社会にも影響するだろう。子供はコミュニケーション能力が成熟していないし、キャッチーなワードに引かれやすいのでチー牛が合言葉のようにイジメのキーワードになっても何ら不思議ではない。
ここまで書けばもう理解していただけるだろう。「なぜイジメがダメなのか」を一から説明しなくとも、曖昧な概念によるレッテル貼りで誰かを叩くというのは誰でも被害者になり得るし、加害者が許されて良い理屈はないことは自明である。芸能人叩きでも、学校、会社のイジメでも自殺という最悪な結末によって事が収まる事があるように、チー牛叩きから人が死ぬこともあり得るのだ。
全く別の観点での問題がある。ルッキズムに基いた社会的イメージというものは「簡単に作り出せてしまう」ということである。
ファッションが分かりやすいだろう、「今年のトレンドは〇〇」のように多くのメディア、企業によって簡単にイメージというのは作り出せてしまう。
恐らく直近数年以内に、「脱チー牛」を促すための邪悪な広告がメンズサロンか、美容院か、美容外科か、出てくるだろう。
ではその流れが終わったらどうなるか?
チー牛効果で商売が繁盛すると分かれば次の弱者のイメージを作り出し、それをネタにまたビジネスをすれば良い。美容系でなくとも、一時期バリバリ財布がネタにされたように何かを貶す風潮さえできればそれがお金になるのだ。そうして企業による不安を食い物にした経済的搾取を受けるのは一般人である。
どちらの問題もチー牛男性叩きに限った話ではなく、過去似たような社会潮流はあるだろう。
この文章で伝えたいのは「強者側に回りたい人間の私利私欲に加担してはならない」ということだ。あなたが安易に加担してしまうことで被害を受ける人が生まれるし、あなたが被害を受けない保証はない。ちょっと叩きたい、馬鹿にしたい人がいたとしても、その小さな悪意の集合体が呼び起こす邪悪について、今一度立ち止まって考えて欲しいものだ。
冒頭、雨宮さんは、最近の政治のキーワード「リベラル」について「共産党は『リベラル』政党と呼んでいいのですか?」と質問しました。
小池氏は、現在の安倍政治は、戦後民主主義の到達のうえに立ってきた従来の自民党政治とも異なる「破壊の政治」だと指摘。「リベラル」は、安倍政治への対抗軸として、「個人の尊厳」を土台に、戦後民主主義の到達点に立って政治をつくるという文脈で語られているとし「そういう意味でのリベラルであれば、まさに共産党は、最も個人の自由、基本的人権を主張している政党」「筋金入りの『リベラル政党』です」と応じました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-27/2018012705_01_1.html
勘違いしないで欲しいが、「女」という性そのものが悪いという話はしていない。
現状の「女の文化」(つまりそれはジェンダーバイアス社会が生み出したものでもある)に問題があるという話をしている。
だから、「女」という性でも、「女の同調圧力がきらい」という個人には全然問題はないし、そういう人は同じような批判を女の側からしているのをよく見る。
しかし、そういう「女」は、残念ながらびっくりするほど女の中で発言権がない。SNSでいうなら、まったくRT等はされない。(どうやってそれを見つけるか? エコーチェンバーに籠らず、個別の問題についてキーワードをまんべんなく検索してみるという地道な見識の広げ方をしていればいくらでも見つかる。)
つまりここが問題なのだ。現状の「女」というコミュニティがもつ同調圧力、そこで無批判に培われるある言論の傾向、そういうところに明らかに問題がある。
「女」の自称リベラルが差別を広げる問題の原因は主に以下のようなところにある。
これらは、「女」という性とイコールではないが、傾向として明らかに現状の「女」文化の影響があるといえる問題点である。
結果として、「女」の関心に比重がおかれるようになった現状の「リベラル」運動は、歴史を忘れた差別的な主張が平気で通る有様になっている。
これらは一例でしかないが、このように、人類が歴史上培ってきた「弱者の保護」を全部ひっくり返してゼロベースで書き直すような暴論を平気でやるのが昨今のSNSを中心に広がる「リベラル」運動の問題である。
一方で、男社会だった「オールド左翼」にももちろん問題はある。(学生運動の中で「女はサポート」として炊き出しや繕い仕事をする役目を与えられていた例など。)しかしこれはまあ、世代交代とともに消えつつあるものでもある。
繰り返すが、現状の「リベラル」の問題が「女」の参画によって出てきたものであるということは、「女を排除すれば良い」ということをもちろん意味しない。
ジェンダーバイアスをなくすということは、「女の文化」というものとも戦わなければいけないということである。
「女性誌」を見よ。ファッション、コスメ、芸能、恋愛、占い。そんな話題でページが占められている。
「少女漫画」を見よ。主人公は美少女でなければならず、また美男子と恋愛をしなければならない。少女がただ仕事や部活に精を出すだけの漫画は、少年漫画と違って存在を許されていない。
SNSを見よ。「女の話題」は芸能人やら子育てやら「推し活」やら。ただ学問や仕事の興味をつぶやくだけの女は、いても「女コミュニティ」からは存在を無視される。
「女」が「女」(ジェンダーバイアス社会で、無知な側という地位に落ち着いて生きた「女」)であること自体を否定し戦わない限り、本当のジェンダー平等なんてある得るはずがないのは、合理的に考えれば明らかである。
「有害な女らしさ」とでも言おうか。
「価値観のアップデート」とは、これまで人類がひとつひとつ改善してきた差別問題もすべてなかったことにして、ガラガラポンで「弱者ランキング」を一から書き直すことなのか?
そんなわけはない。女性だけが不当に貶められてもいけないのと同様に、今まで弱者であったものを突然弱者でないと見なすような暴論もあってはならない。
現状のリベラルの問題をより一般的にいうならば、大衆化、ファッション化(歴史の忘却)、無知化(非学術的な感情論の横行)が急速に進んでいることにある。これは(無知な側という地位の)「女」文化を、それ自体進歩させずにいきなり「リベラル」の優先順位の上位に上げてしまったことからくる問題に他ならない。
性差別は、他の差別問題と排他的に選ばなければ解決できない問題ではない。「今は女性問題が話題だから」で他の差別問題を軽視するような「リベラル」などあってはならないし、こんな状況を野放しにしていては、いずれ全体的な問題意識は、性差別含め悪化する方向にしかいかないだろう。
願わくば、「リベラル意識の普及」が「社会全体の知性の底上げ」という意味になって、「バカに合わせる」方向には行かないで欲しいものである。
予言しておくが、こんな言葉は「リベラル」には届かないだろう。
彼らは痛いと思ったら無視するし、どこか隙が見つけられたと思ったらそこをせめて言葉尻を取り誤摩化すだけだろう。
「女の問題を口実に「部落差別」や「地方差別」「子供の人権無視」を肯定するな」と言っているだけなのに、彼らは自分のそういう傾向には一切反省をしようという考えをもたないだろう。
こんにちは、皆さん。今日は少し物議を醸すかもしれないトピックについて語りたいと思います。
それは、「ソフトウェア技術の99.9%はインターネットから学べるのでググる力を身に着けましょう」という考え方です。
現代のソフトウェア開発者にとって、インターネットは最も重要な学習リソースの一つです。
オンライン上には無数のチュートリアル、ドキュメンテーション、フォーラム、ブログ記事、論文があり、それらは私たちが新しい技術を学び、問題を解決するのに役立ちます。
しかもこれらはソフトウェエア技術のほぼ全分野をほぼ網羅しており、見つからない情報はありません。MIT OCW, arxiv, github, kaggleなどなんでもあります。
「ググる力」とは、情報を効率的に検索し、適切な情報を見つけ出す能力のことを指します。
これは、適切なキーワードを使用したり、信頼性のある情報源を識別したり、関連性のある情報を抽出したりする能力を含みます。
ソフトウェア開発は常に進化しています。新しい技術やフレームワークが日々生まれ、既存のものも更新され続けています。
このような環境では、すべてを覚えることは不可能ですが、必要な情報を素早く見つけ出す能力があれば、それが可能になります。
私の主張は、すべてのソフトウェア開発者が自分自身で学ぶこと、そしてそのための最良のツールがインターネットであるということです。
そして、そのためには「ググる力」を身につけることが不可欠です。
なんかおもいついたことをこのサイトにかきこんで、トラバもブックマークも結果ゼロっていう営みをくりかえすくらいなら動画化してツベにでもなげこんだほうがマシな気がする。ただ、動画ジェネレーターのV竜とかは、制作数制限がかかってくるので、おもいついたこと・・って用途にはそぐわない。文章の形態素解析して、キーワード抽出し、それにあわせていらすとやのURLを出力するコマンドアプリを実装したい。実装例は、いくつかみつかった。特定のフォルダに画像をダウンしておいてそれをFF・・・でスライドショー化する→字幕も自動形成→ミュージックは無料素材ってなかんじで、おそらく文章を入力すると動画が出力されるみたいなのは実装可能のようにおもう。人工音声は今回あきらめる。https://www.youtube.com/@travelgeekphotography みたいなかんじで 台本を読み上げず、字幕提示だけ動画にしよぅ。
はてサとは、人気のあるソーシャルブックマークサービスです。以下の特徴があります。
・ユーザーが気に入ったウェブページをブックマークし、コメントを付けて共有できる
・人気のあるブックマークは「はてブ」というリストに掲載される
・ユーザー同士でフォローしたり、コメントしあったりと交流できる
はてサは2001年にサービスが開始され、ブックマークの共有や発見の場として、特に技術系の情報を中心に人気があります。シンプルな機能とユーザー同士のコミュニケーションが魅力です。質の高い情報収集やコミュニティ形成の場として親しまれています。
あさま山荘の誤振込レイプ使い込みキーワードは憲法を護るオートロックと言っていたらそうそう現役のマリオ時価総額で共同親権のカテゴリーをレツゴみんなでインボイス反対しないと大谷の24億は指紋認証があるからフィリップスのシェーバーで毛を剃ってジョンソンエンドジョンソンのベビーパウダーをまぶしてスコッチブライトよりポケモンGOしながらミシュランの星獲得を目指すが増田の防波堤が腫れていたのでオッパイとアナコンダでXenoblade Chronicles X-Divisionの専用機になるのかフルカウルのレイプし放題に見えた幼稚園児の頃は入れ歯とセーラームーンソーセージを入れ墨シールに貼られてペヨングソースやきそばUFOを貧乳の流行りのうっせえわせいにしてエアプが偏見丸出しのパヨクムーブで大量の将棋の橋本みたいに手柄横取りされてもレモンと米津玄師にはなれずBLEACHの龍馬伝説でドラゲナイクンニをしてダイヤルアップの接続が切れた際にシリコンバレーの果実を拾い集め社会の危機アラートを指摘して我慢の末のPEEEEEEEをした
嘘くさいっていうか、嘘だし
もともとは日本車(あとヒュンダイあたりか)の燃費に欧州が正攻法じゃ勝てないってんで政府から陰謀論者まで軒並み巻き込んでクリーンエネルギーがどうとか言って原発まで建てて電気推しを進めて
日本車(とヒュンダイ)を締め出すためにちゃぶ台返しの規制規制規制規制規制規制規制
アメリカだけは特例で許してアホな投資家も釣れたんでテスラなんかはうまいこと時流に乗って肝心の製品はビミョーなまま、右と左でドアの寸法が違うとかそんなレベルのまま株価だけ天元突破
それは置いといてフーよっしトヨタとヒュンダイを追い出したぞ、これからはウチの車が売れるぞつってたら中国車に完全に市場を席捲されてら
バカじゃねーのwまともな知能を持った人類は皆そう思った・・・
エコとか最初から興味ない、市場締め出したり嫌がらせの税金かけるのにちょうどいいだけ
その証拠にお前らはひとつ重大なキーワードを思い出す必要がある
マ イ ク ロ プ ラ ス チ ッ ク
「一体、仕事ができる人と仕事ができない人の違いは何だろうか?」
長年、企業や官公庁の人事に関わってきた自分が、毎日のように聞いてきた言葉だ。
皆口々にこれを言う。
IQが高い、EQが高い、頭が良い、責任感がある、コミュニケーション能力がある、単純に体力がある。
仕事ができる人に関して、よく用いられるのはそういったキーワードだ。
私も、そのような観点で人を見てきたが、今思うと正確さを欠くと思う。
最近になってついに、より精密に、仕事ができる人とできない人を見分ける方法があることに気づいた。その的中率は100%といっていい。
仕事ができる人と仕事ができない人の決定的な違い。それは「仕事ができる人」は仕事ができて、「仕事ができない人」は仕事ができないということだ。
例えば、頭が良くても仕事ができない人は存在する。いわゆる頭でっかちというやつだ。
だから頭が良いというところだけを見て仕事ができると判断してはいけない。
つまり、「仕事ができる人」を雇いたいのであれば、応募者の中から仕事ができる人を選んで採用すればよいということになる。
逆に「仕事はできる人」を雇おうとして、仕事ができない人を雇ってはいけない。なぜなら、仕事ができない人は仕事ができないからだ。
その後はhuggingfaceで出てるようなモデルでベクトル化すると、概念マッチが実装できるようになった
例えば「なんかやわらかいもの」というクエリを「スライム」「餅」と解釈させることができる