はてなキーワード: キリストとは
新約聖書でも、信徒を導くロールとして、使徒と並び預言者に言及されてますよね。扱いは軽いですけども。
今はさておき原始キリスト教では信仰・布教活動の一環として預言行為が一定行われていたわけですし、近年でもアッシジのフランチェスコはじめとして神の啓示を受けたとされる人物も複数いるので(バチカンの認定は死後ですけど、生前はそう活動してたわけですし)、西暦600年代前半に活動していたムハンマドが神の啓示を受けたと主張したからといって、新しい宗教を起こそうとしていたことにはならないのではないでしょうか?
今のイスラム教の教義としては、三位一体もキリストの犠牲による原罪からの救いも否定しているわけですから、キリスト教から見たら明らかに異端だし別の宗教なのは明らかですが、ムハンマドが神の啓示を受けたと主張して地域の多神教信仰・偶像崇拝を、「わが神の外に、ヤーヴェの外に、神の外に、神あるなし」と攻撃し始めた経緯がどういうものだったのかな、という疑問です。
増田が小学校低学年のとき母親から与えられたのは旧約聖書の絵本であった
ノアの方舟の話であったり
モーゼが海を割った話であったり
しかしその本は最後の方はキリスト生誕とか奇跡とかキリスト復活の話で終わっていたため増田はキリスト教の聖書と思っていたのである
そういうことでひとまずどちらも嫌いになった
預言者は神の言葉を啓示として預かり人々に伝える者のことで、初期ユダヤ教から一貫してアブラハムの宗教の骨格となる存在ですよね
キリスト教でもイザヤ、エレミア、エゼキエルなどの古代ユダヤの預言者らのことは預言者として認めており、初期キリスト教ではキリストや洗礼者ヨハネの他にも同時代人のロールの呼称として「預言者」は割とカジュアルに登場しますので、「預言者を名乗るからキリスト教とは異質」というのはおかしいと思います
私も元増田に負けず劣らず無知だけど、アブラハムの宗教について言及してるのに、冒頭の以下については、ノアの7戒とモーセの10戒とを混同している模様で、間のアブラハムのことも無視していてひどいと思う
※消えてるから元記事のアーカイブ→https://web.archive.org/web/20240505110254/https://anond.hatelabo.jp/20240505030127
アブラハムの宗教について語るなら、「賢者ナータン」の「三つの指輪の譬喩」についても言及しておきたい。
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1158
https://mie-u.repo.nii.ac.jp/records/1187
元増田の個々の記述についてはレスであれこれついてるからいいけど、ムハンマドとイスラムについては特にもっとよく知りたい
イスラム教がキリストをどう捉えているのかなどの教義的なことはさておき、ムハンマドがガブリエルから啓示を受けて預言者となり、地域の多神教コミュニティと衝突を始めたって辺りの経緯というか動機が良く分からない。
キリストの場合は当時のユダヤ教の教義とコミュニティに対する宗教改革者としての位置づけが明確だと思うんだけど。
キリスト教の信仰の中心地から離れたところでキリスト教を説いて回ってるうちに地域の多神教コミュニティと衝突し、追い出されてメディナで一派を作って体制と規則を固めていってるうちに元のキリスト教とはだいぶ変質して宗教として確立した、みたいなものなんだろうか。
つまりキリストはすべての人間に「救われるチャンスを与えた」のであって、救われると確定しているわけではないということでしょうか
それを「キリストはすべての人の罪を償った」と表現するのは誇大広告ではないですか?
すべての人に「投票できるチャンスを与えた」としても、個人の努力によって獲得しないといけない所得条件がそこに課せられているとしたら、それは完全普通選挙とは言えないですよね?
キリストは神じゃありません!
キリストの力だけでは罪人を救うのに不十分だということでしょうか?