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はてなキーワード: ガキの使いとは

2024-02-20

エビデンス求めたらキレるの何なん……

日付の表記を20240220の8桁で入力してほしい運営

240220の6桁で入力したい現場で揉めたんだよね。

で、現場ヒアリングで言ったんだけど、現場曰く

たかだか2桁って言うけど、一日に何回書くと思ってんだ!とのことなので

具体的に何回で、それを変えることで何分のロスが発生するんですか?って聞いたら

そういうことじゃねぇんだよ!って怒り出して、え?え?って感じだった。

運営としては理由があってそれを説明したうえでやり方を変えてくれって言ってるわけで、

現場のやり方を通しますってするにしても、具体的な数字がなきゃ説得できんわけじゃん。

仕事なんだから、嫌って言ってますじゃガキの使いにもなんないからさぁ。

ただ、1日あたりなんか記入があってそれで何分ロスするから月間何万円分のロスになる

って言ってくれりゃいいだけなのに、なんで怒り出すんだろ。

2024-02-10

なぜ「小学館第一コミック編集者一同」の声明気持ち悪いのか

面倒なので前段は省く。タイトルを見て「アレのことか」と分からない人はスルーしてほしい。

問題文章

https://petitcomic.com/news240208/

この文章が一読して耐え難いほどに醜悪理由を書く。以下、上記URL文章について「本テキスト」と呼称する。

結論

テキストは「作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」を目的としたものである。だから気持ち悪い。


こうとしか読み取れない理由を書いていく。

なにを主張している文章

テキストそもそも内容が水のようにうすくあいまいだ。それでもなお、執筆者たちの「主張」を読み取ることはできる。

前半が「著作者人格権」について。後半が「小学館ドラマ制作サイドに芦原氏の意向を伝えていたこと」について。


順番に見る。

テキストでは、まず「著作者人格権」について触れる。その後、「著作者人格権を守ろうとしたこと」を芦原氏が「恐らくめちゃくちゃうざかったと思います…。」と自己評価していたことを明らかにする。そして「私たち編集者がついていながら、このようなことを感じさせたことが悔やまれてなりません」と続く。


ポイントは、執筆者が「何を悔いているのか」だ。本テキストにおいて執筆者が「後悔」を明確に示しているのは、このくだりだけだ。これは非常に重要なことだ。

要約するとこうなる。


著作者人格権という権利を周知させることができなかったために芦原氏に不要自責の念を抱かせた。著作者人格権についての認識を広げることが再発防止の「核」になる」


この後に、「これだけが原因だったと単純化はしない」としつつも、あえて本文中に「核」なる単語使用している以上、ここには明瞭な主張がある。

それは「本件がこのような悲劇に見舞われたのは芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったからだ。その認識を与えることができなかったことを悔いている」というものだ。

暗に「芦原氏は「恐らくめちゃくちゃうざ」いことを自分がしてしまった、という自責の念によって自ら命を絶った」結論していることになる。


……なんだか、我々とはずいぶん違う世界観をお持ちのように見える。これまでの経緯を振り返って、こう結論するのは相当に無茶なのではないか

彼女が本当に「ドラマに口を出してしまたこと」を自責した結果として死を選んだのであれば、1月26日以降の騒動はなんだったんだ? 彼女の死に、あの騒動関係なかったということにならないか? なぜなら「ドラマへの口出し(=著作者人格権行使)」は、12月時点で終わっていたのだから


そんなわけねえだろ。馬鹿か。


ここには明らかに問題すり替えがある。「著作者人格権をめぐる認識」に焦点を逸らし、本質的な問題から目をそらそうとすると極めて醜悪論理欺瞞があるのだ。

明らかに本件は「芦原氏が著作者人格権についてしっかり認識していなかったから」起きたことではない。

一連の騒動を振り返って「芦原氏が著作者人格権について深く認識していれば本質的に問題は起きなかった」と思う人だけが、本テキスト同意することができるだろう。


そんなやつ、どこにいんの?


誰がどう見たって本件は多岐にわたる複雑な問題が絡み合って、最悪の結末を迎えてしまった事件だろう。わかりやすい「核」なんてものがあるはずがない。

にもかかわらず、スケープゴートのように「著作者人格権」を持ち出して「核」として据えるのは、故人に対してあまりにも不誠実すぎないか

何のための文章

素直に考えれば「何のための文章か」という問いに、ここで一度答えが出る。作家、読者、関係者に「著作者人格権」を正しく認識してもらい、悲劇再現を食い止める」だ。

まりね、このテキストは「経緯説明」も「調査報告」も何もかもすっ飛ばして「とにかく「著作者人格権」を知ってもらえれば再発防止につながる!」という、何の根拠もない虚妄によって書かれているのだ。

ごくごくごくごく普通に時系列を追うだけで著作者人格権をめぐる認識」が事件本質ではないことは明らかなのに、だ。繰り返すが、論理的に考えてここが「核」なら1月以降の騒動自殺関係がないことになる。


ああ、めちゃくちゃ気持ち悪い。


なにが「事態単純化させる気はない」だ。ここで行われているのは「単純化」などということではない。もっと悪い、明らかに事実関係時系列無視した、問題ミスリードだ。

そして、ミスリードした先にある「著作者人格権」を取り上げ、「本質問題解決に対して寄与しない」とわかっていつつ、ここが再発防止の核であると述べる。

ここには事態の再発を防ごう」なんていう真摯な態度は欠片も見られない。あるいのは「そういうことにしたい」という卑劣な思惑だけだ。

そうするともう少し穿った見方をしたくなる。

まり「本件を「著作者人格権問題」にすり替える」ことが、本テキスト目的だったのではないか、ということだ。

看過しがたい欺瞞

この「著作者人格権」にまつわるテキストの不誠実さだけでも、十分以上に気持ちが悪い。しかもっとおぞましいのはこの先だ。

要約するとこうなる。

ドラマに対する芦原氏の意向は、小学館ドラマ制作サイドに伝えていた。芦原氏は納得のいくまで脚本修正した。ドラマは芦原氏の意向が反映されたものである

テキストを読めばわかるが、これに関する一連のセンテンス、どこか誇らしげでさえある。


正気で書いているのだろうか? 芦原氏の「言葉」を軽んじているのは、ドラマ制作サイドなのか編集サイドなのかわからなくなる。


芦原氏の意向は、よく知られている通り「原作に忠実なドラマ化」である。これが小学館からドラマ制作サイドに伝わっていたとしよう。その後どうなった?

他ならぬ芦原氏がブログで書いていた言葉引用する。

https://piyonote.com/ashiharahinako-twitter/#google_vignette

ところが、毎回、漫画を大きく改編したプロット脚本が提出されていました(略)粘りに粘って加筆修正し、やっとの思いでほぼ原作通りの1~7話の脚本の完成にこぎつけましたが…。

加筆修正の繰り返しとなって、その頃には私も相当疲弊していました。

(略)8~10話となりましたが、ここでも当初の条件は守られず、私が準備したものを大幅に改変した脚本が8~10話まとめて提出されました。

何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。(中略)原稿の〆切とも重なり、相当短い時間脚本執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます

これは芦原氏が「小学館時系列に添って事実関係確認し、文章の内容も小学館確認して書かれた」文章だ。

さて、あらためて本テキスト引用する。

原作である先生にご納得いただけるまで脚本修正していただき

馬鹿じゃねえのか。芦原氏は「推敲を重ねられなかったこと」を「悔いて」いたのだ。「加筆修正の繰り返しとなって相当疲弊して」いたのだ。

その文章確認しておきながら、舌の根も乾かぬうちに「ご納得いただけるまで脚本修正していただ」いたとのたまう。本当に血の通った人間のすることか? ご納得いただけるまで脚本修正するという作業がどれほど心身に負担をかけることか、わからない編者者でもないだろう。それを何を誇らしげに「わたしたちに落ち度はありません」と言わんばかりの態度で書いているんだ?

ここに自己保身以外のいかなる感情があろうか。

ここに事実を捻じ曲げる意図がまったくないとでも言うのだろうか。


そもそも意向を伝える」ことは伝書鳩のように「言いましたよ」ということではあるまい。なるべく芦原氏に負担がかからないように交渉を詰めて、芦原氏が心身を疲弊させながら手ずから修正」をしなくてもいいように、ドラマ制作サイドに「条件の履行」を求めるのが「意向を伝える」ことではないのかガキの使いじゃねえんだ。「ちゃんと言いましたよ」で責任を逃れるビジンスシーンがどこにある。

明らかにドラマ制作サイドに芦原氏の意向が「伝わっていなかった」から彼女修正を繰り返し、自らを追い詰めなければならないことになったんだろう。そこに「伝わるまで伝えなかった」小学館責任はないのか?


無論、担当編集者メディア担当者が「仕事をしていなかった」というつもりはない。担当者が誰よりも働いただろうし、想像するだに困難な局面連続だっただろう。いまの心痛はいかばかりか。結果は最悪なものになってしまったが、それは決して現場担当者たちを非難していい理由にはならない。

繰り返すが、現場担当個人責任を追及せよと言いたいのではない。むしろ、それは決してやってはならないことだ。しかしまた同時に「頑張ったから」「努力たから」「不運としか言いようがなかったから」という事実は、決して責任消滅させる理由にもならないのだ。


小学館責任はある。絶対的にあるのだ。それは「著作者人格権にまつわる認識を周知徹底できなかった」ことなどではない。芦原氏の意向ドラマ制作サイドに理解させることができずに、結果的ドラマ制作過程において芦原氏を心身ともに追い詰める結果を招いたことについて責任があるのだ。

にもかかわらず、そうした自らの責任にまったく目を閉ざし、ひたすら問題矮小化させ、ミスリードしようとする意図が、行間に充満している。

それこそが本テキスト歴史的気持ち悪い理由ひとつだろう。

再度「誰に当てた文章か」

書くまでもないことを最後に書く。

ここまで確認してきたように、本テキスト作家の皆様 読者の皆様 関係者の皆様へ」あてた、「本事件を、時系列から本質ではないことが自明である著作者人格権」の問題ミスリードすること、および当の芦原氏本人の言葉を捻じ曲げてまで、本来存在するはずの小学館責任隠蔽すること」目的としたものである


その最後に付された言葉が、芦原氏への「寂しいです、先生。」だったことは、瞠目すべきだろう。人間どこまでも恥知らずになれるらしい。


この一文が本当に気持ち悪いのは、SNSで言われるように「TPOにそぐわぬポエティックなもの」だからではない

欺瞞自己保身のために芦原氏の言葉さえ踏みにじって醜悪レトリックを駆使した挙句そもそもテキストの「宛先」でさえない芦原氏を「文章の結び」のためだけに泉下から引きずり出し、まるで批判除けのお守りのように利用してしまう、学館第一コミック編集者一同の浅ましい精神性が悪魔濃縮されているかだ。

終わりに

本件の内幕はおそらく当事者たちにすらもう分からなくなるくらい複雑化していることだろう。

小学館悪者にして幕引きをすればいいという性質のものでもない。巷間指摘されているように、メディア化における構造的な問題TV局の体質的問題、悪意を増幅させるSNSというシステム問題、他にも種々様々な問題が複雑に絡み合っているはずだ。


それでも、この悲劇を防げたプレイヤーの一人であるはずの小学館が、「ことなかれ主義の上層部」「責任回避編集局」という内実を露呈していることは、必ず批判されなければならない。

騙されてはならない。


テキストは、どこをどう読んでも、クソ以下の文章だ。

2024-01-15

anond:20240115160604

あのころガキの使いが大好きだった人間的には

癇癪持ちだった

テレビで見せるキャラクタを真面目に受け取りすぎだと思う。

ゲームで癇癪起こしたことが0とは言わないけど、それはゲーム如きで怒るほどマジになっている人っていうコントをしてるだけ。

ごっつでもガキの使いでも、そういう体のコントとか、コント風の企画山程ある。

割とたまにスベっていた

常にホームランを打つタイプではないけど、滑る時に大怪我しない方法システム化したのがすごいと思っている。

全力でリカバリーを図ろうとしている姿しか記憶にない。

少なくとも、滑って、それを受け入れないとか、むくれるとか、それは俺の見てきた松本の中にはない。

知的ではなかった

自分が一番正しい!と言い放つ人だった

サブカルチャーへの興味は薄かった&自分大好きだった

これはほんとそう思う。ガキの使いのコーナーで、自分に点数をつけるとしたら?で100点だからね。

無茶苦茶なことを言っている人間を演じてる時もあるから、しばらく笑えるんだけど、

え、こいつまじやん・・・ってなる瞬間はあった。

映画は向いていなかった

怖くて未だに見れていない。

結構から松本は「自分が一番面白い」という看板は下ろしてて、「若い頃ほど面白いことができない」も自覚している。

自分は偉い」の看板の下ろしせなかったけど。

ダウンタウン双方力の衰えを自覚しながらどうやってゴールするのか単純に興味があっただけに、それがぶつ切れになってしまって残念。

anond:20240115140036

俺はもうちょっと前に離れちゃったな

ガキの使いフリートークやめたあたりで止めた

一人ごっつとかまだお笑いで粘るつもりあったのは分かるんだけど、なんとなく面白くなくなった

なんでなんだろうな? 自分でもよく分からん

ダウンタウン、好きだったんですよ。

蛇足を補足しました***************************

https://anond.hatelabo.jp/20240116110533

訴訟をうけて更に心に湧いた感想を書きました(24/1/24

https://anond.hatelabo.jp/20240124115643

以下本文*************************************

中学生就職するぐらいまで。80年代の後半から2000年すぎぐらいがピークで好きだった。

東京に住んでるんだけど、雑誌で「今大阪ではダウンタウンっていう面白いコンビがいる!」という記事を見かけて、大阪に住む従弟にお願いして4時ですよーだビデオを送ってもらってクラス友達と見たりしていた。関東地方だとなかなか見られなかったから渇望感もあって、東京で見られる番組が始まった時はすごい熱中して見てたなぁ。夢で逢えたらも深夜の1回目から見てたし、ガキの使いも第1回からごっつええ感じパイロット版の時から楽しみで、レギュラー番組始まってもリアタイで見てた(彼氏デート中でも今日はごっつリアタイするから帰る!といって家に帰ってた)。笑っていいともも録画して見てた。現実で追っかけしたりはしなかったが(面倒なので)、ガラの悪い言葉を使い攻撃性の高い悪いことをだらだらと話すガラの悪い二人組が新鮮だったし、実際とても面白かった。

面白かったんだけど、どうしてかいつの間にかあまり見なくなり、そして「あーあ」と思ってしまうようになった。なんでそんな風に自分が変化したのか、大昔の面白くて夢中だった時の記憶を掘り起こしてたのだが、そうすると、今回の事案にもつながるような「あー松ちゃんのこういうところ嫌いやー」って思うところがリアタイ当時から結構多かったなと思い出してきた。嫌いなところが結構あったのに、それでもダントツ面白かったんだけどね…。

松ちゃんはかなりの癇癪持ち。癇癪発動中のシーンが苦手だった。「ごっつええ感じ」という番組は日曜20時~毎週1時間バラエティ番組で、コント企画コーナーのほかにチーム対抗でゲームをやるコーナーがあった。そのゲームでうまくいかないと松ちゃん簡単に不機嫌になり癇癪を起こす。持っている道具を投げたりとかする。なんで面白がりたくてTV見てるのに不機嫌な人を見続けなきゃならんのか…とチャンネルを変えることもあった。今思うと、短気の癇癪持ちは年を取っても治ってないどころか悪化してたんかなと思う。

  • 割とたまにスベっていた

彼らがまだ若手のころ、深夜で大喜利番組ダウンタウン汁、だったかな)をやっていた。もちろん松ちゃん面白かったが、同時にそこそこの打率ドン滑りもしていた。大喜利センスは実は本人や周囲のイメージほどは高くないんじゃないかなと当時から思っていた。その番組だと突出してたのは板尾で、コンスタント打率がいいのは今田、たまにすごい面白いのは東野ほんこんさんは当時も今も変化なく面白くなかったがそれはまぁ今回の件とは関係ない。

この「松本ファイトスタイル大喜利」は今のお笑いの礎になってることは確か。でも一方で、みんなが大喜利楽しむようになって、松ちゃんより大喜利上手い芸人たくさんいるね…とも思う。いい時代になった。

松ちゃんは、ドン滑りしたあと照れてかわいくなってる時もあるが、えーなんでぇ!とデカい声で不満を言ったりジャッジをしていたハマタ悪態付いたりしたり、回答席に並ぶ後輩たちに嫌味を言ったりと滑ったあとのおムズガリがすごかった。この癇癪が発動していると、何でこんなの見てるんだとお笑い世界から正気に戻り私はTVを消して寝ちゃう

ベストセラーエッセイも読んだ。それなりに面白かったのだがそれよりも賢さがあまり感じられない文体で、分かってはいたが正直少し引いた。たけしの週刊誌連載はたけしが喋ってるだけでライターが書き起こししてるが松本自分で全部書いている、というのが喧伝されていたが、喋り起こしの方が口語体雰囲気が残って逆に賢くなさが目立たなかったんじゃないか。当時は大学生中学生相手塾講師をやっていたのだが、中学生の作文みたいな感じだな…と思った。内容や主張は、まぁTVで日々見聞きしてることとそこまで差がなかった。

知的ではない、ということで言えば、ダウンタウンタモリとの相性が良くなかった。笑っていいともが楽しくなかった、というのは後に本人も言っていたが「タモリを中心に和気あいあい出演者がしゃべっている」のが嫌だったという趣旨のことを言っていて、改めて、まぁそうだろうなぁ…としみじみする。

  • 自分が一番正しい!と言い放つ人だった

松本人志と高須光聖放送室というラジオ番組が始まって、しばらく聞いていた。思えばこのラジオ番組が、私にとっては好きなタレントではなくなっていく過程番組だったんじゃと思う。ラジオ番組の中で悪い遊びをした話などが語られていて、こちらは社会人になっていたので、芸人とは言えうーん何か、と思うようになっていたのもある。「悪い遊び」は要するに今般話題になっているような遊びだったんだろう、高須氏はどちらかというとその遊びには混じってはいない様子で、「悪い遊びの話を適度にマイルドにして話させる」役割。そして内容がやばすぎそう…となると「ええなー自分、でもほどほどにしときーや」とか言っていたので、一部のブコメで「女衒放送作家って高須ジャネーノ?」というのは、知らんけどたぶん違うと思うで?と言っておきます

高須氏に諫められた後の松ちゃん聞く耳持たず、俺が一番正しい!と叫んだりする。例えば社会問題アメリカが嫌いだという話とか、女性差別度の強い話など)テーマの時も、あまり行き過ぎないように窘めるニュアンスの合の手を入れる高須ちゃん松ちゃんだんだんイライラしてキレる、というのも、年に両手の数では足りないぐらいはあったと思う。やっぱりイラチよね…「間違ってようが、どうあっても俺が正しい!」という感じだった。知性がね、ないんだよな…

音楽番組HEY!HEY!HEY!」を見ていて、本当に音楽興味ないんだなぁこの人、と思っていた。長渕剛は好きらしいので、音楽に興味がないというよりも自分と異なるものには興味がないのかもしれない。

そもそもあの番組歌番組のはずなのに歌の尺が短い(ダウンタウンとのトークが皆さんのお楽しみでしょう?という)異色の番組だったのだが、トークの中でアーティスト創作の苦労っぽいことを話し出すと、松ちゃんトークギアが1段さがって熱くなっていくことがよく有った。俺たち生み出すもの同士の苦しみありますよね!と。まぁそうかもしれんけど、トーク番組なのだゲストの話もっと聞いてよ…乗っかるならお互いの生みの苦しみを面白おかしく喋るのが仕事じゃん…と思うのだが、松ちゃんはただ共感するだけのことが多くて、なんていうか「特権性」をアピールしたいんだろうなと理解した。当時はダウンタウンの人気が権威化しつつある時期だったのでアーティストの方が「松ちゃんと僕たち同じ生みの苦しみ抱えてますよね!」とヨイショ成分も混じえつつ盛り上がっていたから、まぁいいんだろうけど。

そしてこれも「俺は特別なのだから特別扱いされるべき」という、おそらく彼が今でも思っているだろうことを補強していってしまっていただろうなとも、まぁ後付けだけど、考えたりする。

  • 映画は向いていなかった

ごっつええ感じTV局との複数もめごとで終わり、コントDVDを作った(面白かったよ)が一部の好事家にしか受けず、カルト的な人気があった深夜番組(一人ごっつシリーズ)をやっていたが、長く続けられる番組ではなく(発想力だけで何でも何とか出来るほどの天才ではなく。まぁそれができたら人間ではないと思うし)、ある時期から映画を作る方向に向かっていった。

まり評判が良いとは言えない「大日本人」を作る前から雑誌映画評の連載をしていた。これが、知識不足による滑り気味のツッコミ的外れ評論も多くあまり面白くなくて、会社においてあったその雑誌をたまに見るたびに、これ映画作るとしたらやばいんじゃないかな…と思っていた。映画総合芸術です、という言葉の真偽は分からないけど、少なくとも2時間近くのストーリーを作って落ちまで持って行く、というのは、彼には向いてない仕事だったんだろう。映画進出については、まぁ色々思惑(吉本映画祭やりたいからとかね)もあろうが、たけしを意識したのかなぁ…どうだろう、でもたけしにある知性とリリシズムが、松ちゃんにはないんだよな。

そういえば、当時、たけしと松ちゃんの対談を何度かしていて、聞き出したい松本&はぐらかし哲学するたけしの噛み合わない対談が 面白かった。たけしは年を取るとお笑いは続けられない、反射神経が衰えると言い、それに松ちゃんは食いついてた。じゃあ筋肉付けていこう、ということだったのかな、知らんけど。

頭悪くても金が無くても面白くできるのがお笑いであって、もっと言えばそれこそがダウンタウンが生み出して作り上げていったお笑いだった。とにかく面白かったし、今だって当意即妙コメントとかやっぱり抜群に面白いと思う。

それまでの芸人世界では、知性の代わりに師匠について修行するという手段があったわけだが、師匠がいない吉本芸人第一号でもあった彼らが見せてくれた発想の笑いはとても新鮮で切れ味が鋭くかっこよかった。

でも物理的に年を取り、そして社会も思ったより速いスピードで変化している時に、知性も修行による積み重ねもなく、他人対峙自分と向き合い笑いを作り続けていくのは、やっぱり簡単じゃなかったんだな。

発想って心身の老化とともに多くの場合は衰えるし、ウィークリーで進むメディアデイリーで流れていくウェブ世界で「王様」でい続けるのは難しい。「松本、動きます」の宮迫騒動の時にもばれてしまったがSNSの使い方も絶望的にダメだし。

若いうちはアナーキーさとして好意的にみる人もいた(それが理由で嫌いな人もいた)、気に入らないものすべてに噛みついていくスタイルは、今のように「お笑い権威」のようになってしまったら、単なる癇癪持ちハラスメントしかない…。権威を捨てるかハラスメントを捨てるかしないと、社会ニュースに頭の悪さを露呈するコメント垂れ流す仕事ぐらいしかできなくなっちゃうじゃん。

爆笑太田じゃないが「椅子からコケ王様」をいつか演じることができればいいけど、まぁあんまり期待はできないかなぁ今のところは。

松本人志がお笑い世界からいなくなったらどうなる、という声もあるみたいだけど、まぁ全然ダイジョブじゃないかなぁと思う。島田紳助レギュラー何本も人気番組抱えてて引退したけど、お笑いバラエティ番組マストゴーオンだ。M-1審査員紳助引退からの復活で積極的に若返りを図っていて、むしろ松ちゃんいなくても大丈夫な筆頭だと思う。今の若手は(口ではもちろん最大限の敬意は言うだろうが)「松本人志に評価される」ことの重さもかなり軽くなってると思うし。

2024-01-12

松本人志好きだけど退場に少し安堵している

文春に書かれてたことが事実かどうか知らないので、それについてはここで書く気はない。

それとは関係なしに、松本人志がここで芸能界から退場するのは悪いタイミングではないとおもう。

松本人志が好きだ。中学生の頃はごっつええ感じにドハマりして、VISUALBUMも他のライブVHSも観た。

発明将軍もDXもガキの使いもひとりごっつもワールドダウンタウンも好きだった。

今でも水曜日のダウンタウンクレイジージャーニーは毎週観ている。

好きだけど、いや好きだからこそ、ここらへんで退場してほしいと願っている自分もいる。

というのは、ビートたけしの哀れな姿を重ねてしまうから

子どものころはたけし城とか平成教育委員会とか世界まる見えとかを見ていて、当時たけしはすでにピークは過ぎていたんだろうけどそれでもおもしろくて、バイク事故を起こしたときは心から復帰を願った。

そんなおもしろいたけしの姿を知っているからこそ、今の姿は見ていられない。

ぜんぜんおもしろくなくて、そもそも何を言っているのか聞き取れない。たけしが衰えたのもあるけど、それ以上に時代が変わって取り残されてしまった感じがある。

でも、それはしかたない。衰えは誰にもやってくる。

見ていられないのは、たけしが言った言葉に対して、他の出演者一生懸命笑ってあげて、たけしはそれに気づかずに「おれもまだまだやれるな」という顔をしていることだ。

つらい。

完全に裸の王様だ。

子どもときに見ていた欽ちゃんがそういう人だった。

欽ちゃん90年代にはもう完全にコメディアンとしては時代についていけていなくて、子どもながらに

「この人、周りが持ち上げているから昔はすごかったんだろうけどぜんぜんおもしろくないな」と感じる人だった。

今、その欽ちゃんポジションビートたけしがいて、近いうちに松本人志がそうなりそうになっている。

いや、すでになりかけている。

すべらない話とかIPPONグランプリとかキングオブコント審査コメントとかは特に顕著で、彼のぜんぜんおもしろくないコメントダジャレレベルコメントも多い)に対して、周囲が一生懸命笑ってあげている。

そりゃあ全盛期だって打率十割ではなくて外すことはあったけど、昔だったら浜田無視したり睨んだりしていたのを、今は後輩芸人一生懸命笑ってあげている。ああ、こうやって裸の王様って作られていくんだなあと悲しくなる。ビートたけしたけし軍団がいたから余計にそうなっちゃったんだろうなあ。

今後もどんどん衰えは加速していくだろう。

60歳にしてはすごいことやっているとはおもうけど、彼も衰え、時代も変わり、実力と周囲の持ち上げ方はさら乖離していくだろう。

歳をとっても役割を変えて活躍する人はいっぱいいるけど、ビートたけし松本人志のようにカリスマ性があって「最後シュートはおれが打つ!」っていうタイプだと何より本人がそれを許さないだろう(明石家さんまも)。

上岡龍太郎のように自分で引き際を決められたらかっこいいけどそれも実績がある人ほど難しいだろうから、今回の騒動はいい引き際なのかもしれない。

老醜さらす前に引退して「すごい芸人だったなあ」と惜しまれる存在になってほしい、と昔からファンとしてはちょっと思っている。

2024-01-08

松本人志レギュラー特番の一覧&今後の予想

レギュラー

水曜日のダウンタウン浜田1人で進行)

ダウンタウンDX浜田1人で進行)

ダウンタウンガキの使いやあらへんで(松本なしで進行)

探偵ナイトスクープ臨時局長

・人志松本酒のツマミになる話(休止)

・まつもtoなかい(休止)

クレイジージャーニー松本なしで進行)

特番

IPPONグランプリ(休止)

M-1グランプリ松本なしで進行)

お笑いアカデミー賞松本なしで進行)

お笑いの日(松本なしで進行)

ドリーム東西ネタ合戦松本なしで進行)

・ドキュメンタル(休止)

2023-11-17

anond:20231117165602

続き

(さらに続く)

http://jiyujoho.a.la9.jp/urak23.htm

2023-10-28

東京23区は本当に特別な街

ある日、コネ入社ではと密かにウワサされていた職場の後輩が無遠慮な先輩から

「なあ、お前ってお坊ちゃんなん?」

といきなりぶっ込まれていた。

全然坊ちゃんじゃないです。庶民です」


後輩が慌てて否定するも

「出たよ絶対うそ!!!ていうかお前の大学からうちの会社入るの5年振りやぞ」

と先輩はしつこい

(ちなみに、後輩はやはりコネ入社してきたお金持ちで父親が某巨大グローバルメーカー広報部長あられた。)。

後輩が苦笑いしながら

「いやぁ……お金持ちの親ならわざわざ神奈川県に家なんて買わないですよ」

と返すと、

先輩はまるで憑き物が取れたかのように

「あっ……確かにそうだな」

完璧に納得して一発で引き下がった。

このやり取りを傍らで見ていて、生まれも育ちも千葉県船橋市の俺は衝撃を受けた。

"神奈川に家を買う→金持ちではない"

という論理式をイキリとかではなく物の道理としてすんなり呑み込める階層人間がこの世に存在することに衝撃を受けた。

この先輩は生まれも育ちも日本橋で幼稚舎から慶応である祖父叔父、両親、兄弟全員が慶応幼稚舎出身だと言っていた。


さて、

ある日の晩にガキの使いを観ていたときのこと。

ガキ使メンバードライブをしながら車内から見える看板や店などの光景を手掛かりにひたすらトリビア披露し合ってその数を競うという企画だったのだが、多摩川大橋を渡って大田区から川崎市突入するとき

「おっ、これ渡ったら神奈川県や」

「これだんだん難しくなりますよ~何も無くなって来ますからねえ」

「店とかも少なくなりますからねえ」

気合を入れ直してたのを見て俺は大変な衝撃を受けた。

いや、五反田戸越とかならともかく、もう中延とか二葉になると川崎市幸区なんかと国道沿いの風景や賑わいは全然変わらないから。

ましてや馬込池上矢口なんかだと反町とか本牧以下まである


今思い出した。

目黒で生まれ育った友達と会話してたらふとしたときに露悪ではなく真顔で

小金井市はあれ東京って言わないから」

とまるでこっちにファクト面での誤謬があったかのような感じでツッコミを入れられたこともある。



東京23区に定住するってめちゃくちゃ特別ことなんだな。

強がりじゃなくてナチュラル特別意識があるやん。


船橋とかどう思われてんだろ。

マジで悪気なく化外の地くらいに思われてんじゃねえのか?

2023-09-19

ガキの使い森三中が出始めた頃に

村上浜ちゃんに乳もまれたりしてたじゃん

あいうのも、浜ちゃんが死んだ後問題にされて叩かれるのかな

まっちゃん放送室とか松紳とかでかなりセクハラ女性蔑視的な発言は残ってるし

水ダウのドッキリとかも人権侵害と言えば人権侵害になりそう

ジャニーが死んで影響力落ちたらこれだけ手のひら返すんだから

ダウンタウン死んだらどうなるのか今から楽しみ

2023-09-15

インド人からすればとりあえず持って帰って時間稼ぎするだけしようとするジャップ仕草のほうが迷惑だよ

その場でやるかやらんかはっきりせえや。

ガキの使いか?

何の決裁権もないガキだけよこすな。

馬鹿にしてんのか。

 

ってめちゃくちゃ詰められて正直泣いちゃった。

2023-08-29

第一ガキの使いやあらへんで!チキチキ!!この一口に命をかけろ!!!賞金10万円争奪ききALPS処理水〜〜!!!!!

2023-08-28

そもそも中国が怒ったからやり方がまずかったって、なにそれお前ガキの使いかよ。なんでも相手が怒らないように立ち回りましょうってそれは外交じゃないでしょ。

・なんで中国の反応がまともだという基準で話ししてるのか。日本に対する制裁を行う際の口実に使われてるに決まってるだろ……。ろくに政治情勢を知らん人間が、都合のいいときだけ海外の話を持ち出すからこういう間抜けなことを口走ることになるんでしょ…。

・というか、別に相手中国でなくても、中国がまともだとしてもさすがにこの理屈はない。もともとこれ事実がどうかって理屈じゃなくて、外交から。お互い落とし所探るためにどれだけ妥協を引き出せるかとかそういう話だから中国とかPIFがまともだという想定だとしても、説明されただけではいそうですかと受け入れる国なんてないよ。この問題基本的に他の国にとって国益がないんだから初手は絶対反対するに決まってんだよ。

初手から賛成するメリットがないんだから国民説明するのも面倒だからできる限り日本いじめる方向で動くに決まってるでしょ。

2023-06-24

AIに聞いた松本人志マッチョになった48の理由

2023-05-25

会社の全体チャットで「ガキの使い番組名ではない方の意味)」とか社長が言うな

パワハラもいいとこだぞ

言われた本人だけじゃなくて、それを見た周りの社員がどう思うか想像できないのか

だいたいミスしたのだってあんたがキャパオーバー仕事振ってるからだろ

しかそいつの本職じゃない領域仕事をなんでもかんでも投げてるからそんなことになる

アホなのか

2023-03-30

anond:20230330163024

そういう人がほとんどだと思う。しかしその手間ヒマが愛情を生むんだよ。

ガキの使い企画ヘイポー芸人の子供と一定期間過ごす企画があって、子供たちはワガママ言い放題だったが

たった2日で子供たちに情が湧き、VTR見ながら泣き出してた。あれは凄く理解できる。

2022-11-30

anond:20221130161203

new********さん

2010/5/21 15:49

1回答

最近、僕の友達は頻繁に「誰か男の人呼んで~!」という

フレーズを言ってきます

(特にスーパーなどのお店に入ると必ず言います)

お笑い関連で誰かが言ったセリフらしいんですが

誰か分かる人が居たら教えて下さい。

ベストアンサー

ska********さん

2010/5/21 15:54

ダウンタウンガキの使いに出てくる

ピカデリー梅田セリフですね

1人がナイス!しています

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041125655

2022-10-03

45年前の老若男女「デンセンマン電線音頭おもしれえぇぇええ!!!

この15年後には「ごっつええ感じ超おもしれえ」「ガキの使い超おもしれえ」になるんだから

この国の笑いのレベルの上がり方って目覚ましいよな。

2022-07-17

でもお前ら山上年末ガキの使いに出て

I am G~OD'S CH~ILD この腐~敗した~

世界~に落とされたあぁあああぁ~

って歌いながら出てきたら笑うんだろ?

俺は笑う。

silent hill 333

@333_hill

https://youtube.com/watch?v=JI2EZU6KpAA

この時代のこの人の輝きが永遠に残って欲しい思う

午前5:01 · 2020年1月23日·Twitter Web App

https://twitter.com/333_hill/status/1220074006688059393

2022-02-25

浅間さん荘事件の頃の左派は気骨あったよなあ

今も暴言こそオレらみたくいっちょ前に吐けるけど、いいこちゃんいいこちゃんになった

パワーがない

良いように言えばお坊ちゃんお嬢ちゃんのお遊戯

小粒

日和見主義

ファストフード左翼

生活保守

ガキの使い

サークル活動

マイヤンキー

ちびちび王国

先細り

指示待ち人

コピー人形

教師に操られたロボット

名ばかり店長

とっちゃん坊や

パワー系無気力

とうへんぼく

突撃ラッパ隊

SNSカルチャー

3分署名活動主義者

戦争を知らない子供たち

人斬り経験なしの殺人

バラモン左翼

イキリオタク

リムジンリベラル

安楽椅子人文学

泥なし泥だんご

オンラインマッチ棒

プロレスアクティビスト

偏差値70ロンダ30

骨董品

冷めたピザ

シンプル口臭野郎

おしゃべり豚野郎

鶏頭チキン

サイゼチー牛

リキッドクソ野郎

2021-11-02

anond:20211102114140

ありがとう教えてくれて。

まさかこのタイミングドヤ顔で「できた!」と自慢されるとは思わなかったよ。ガキの使いじゃないんだからさ。肝心要の時に間に合った?

あと野戦病院案ならもっと早く維新以外の野党から提案されていることも忘れないでおこうね。

2021-10-05

シン・26歳(95年生まれオタク日記人生

https://anond.hatelabo.jp/20211004080408

注意。自分語りです。

上の26歳の増田が、俺と同じ年齢なのに価値観が違い過ぎて悲しくなったから、引用・対比しながら俺のオタク人生と、思ったことを書く。

結論から言っちゃうと、上の26歳増田オタクではないと感じている。

俺と元増田、どちらが正しい人間なのかというと、元増田なのだが。

当時つけていた日記なんかも参照しながら、書く。

小学校の時に電車男が大流行して、オタクという概念への認知が生まれ

小学校の時、親が「こういうサイトは見ちゃいかんよ」とか言いながら『2ちゃんねる』を見せてくるという、

子供性格を歪めたいとしか思えない所業により、無事2ちゃんねらーデビューを果たす。俺の記憶が正しければ9歳か10歳の時である

小学生自分爆笑コピペ関係、あとは確かジョジョスレエロ関係スレを食い入るように見ていた。

確か11歳か12歳のころ、ジャンプサンデーマガジンを購読するようになる。

2ちゃん価値観を刷り込まれた俺は「ドラマバラエティは下らない」という結論に至り、

高校生くらいまでSMAPメンバーを1人も言うことができないという暗黒の時代を過ごすことになった。

ちなみに26歳の今でも、「ガキの使いやあらへんで」を1度も見た事がないし、ジャニーズの曲を1曲もフルで聞いたことがない。

映画になるまでフレディってクロマティ高校キャラという認識しかなかった。

ちなみに当時好きだった漫画日記によると「いちご100%」と「魔法先生ネギま。」。

だが、オカズドラゴンボールブルマが乳を晒すシーンと地獄先生ぬ~べ~こち亀エロシーンであったことが記録されている。死にたい

本屋立ち読み、謎のゲーム雑誌で当時読んでいた「タカヤ」のエロ同人誌クリムゾン先生存在を知り、自分性癖ソフト陵辱であることに気がつく。

だが当時はまだエロ同人を無料で見る手段がなかった。もしくは自分にサーチ能力がなかったため、「中学生になったら18歳と同じだしクリムゾンを買える」(原文ママ)という思い込みが発生。

早く中学生になりたいと悶々としていた日々を過ごしていたようだ。

また、おそらく「痛いニュース」やテキストサイトにどっぷりとハマり、

同時期にハヤテのごとく!SSにハマって投稿していた形跡がある。「スパイラル推理の絆」丸パクリの展開を書いて、コメントボコボコにされたらしい。

今となっては恥ずかしいが、アニメほとんど違法視聴して、動画サイトにないものは近所のビデオ屋TSUTAYAではなかったと思う)に借りに行っていた。

日記落書きを見る限り、機動戦艦ナデシコ劇場版のアキトの笑い方と、アウトロースター武器にやたら憧れていたらしい。

とにかくそなのだったので、2ちゃんの「俺はバラエティを見ているような奴らとは違う」という価値観を持つ小学生だった。

情報の授業の時間FLASHを見て喜んでいる層に「やれやれもっと面白いものがあるのにな…」という優越感を感じつつ、自分FLASHにハマっていた。

オタクはなんとなくすごい人達だと思っていたし、今にして思うと、先日話題になった「オタクになりたいオタク」そのものだったと思う。

そしてドラマ舞台であった秋葉原では路上ハルヒダンスを展開するオタクニュースにもなった

秋葉原オタク秋葉系みたいな概念世間に浸透していった時期だと思う

しかし、中学に上がる前にその秋葉原秋葉原通り魔事件が起きた

宮崎努ほどではないと思うけど、この時にメディアでは「犯人加藤オタクだった」といった報道が展開され、世間でもオタク危険人物みたいな風潮が強まった

でも、それは大人にとっての世間の話であり当時の小学生達にとってはあまり影響はなかったと思う

しろ、当時の小学生の間ではおもしろフラッシュ倉庫を起点にフラッシュ動画流行っていたのでオタク文化イメージはこれらフラッシュ動画の方に強く影響を受けていたと思う

ハルヒは確かにドはまりして、やはりSS掲示板長門×キョンSSを漁りまくっていた。(同時にエヴァナデシコGS美神SS経由でハマった)

だが、多分アフィサイトの「マスゴミが流すニュースは全て嘘」という価値観に基づき、ニュースはほぼ見ていなかったので通り魔事件もあまり記憶にない。

中学に上がる少し前は、上で書いたようにゴミのようなSS乱造して、

パクりもよくしていたのでぶっ叩かれて、当時幼かった俺は「下らないことで人を叩くとか、オタクってクソだな」といったようなことを逆恨みで感じていたらしい。

ガキの分際で、いっちょ前にオタクに対して同族嫌悪を感じている自分に酔っていたわけだ。

あと『スクールランブル』の八雲播磨、『Dグレマン』のリナリーアレンがくっつくことに異様な熱意を燃やしていた。旗派だったかおにぎり派だったか記憶が定かでなくなってしまったが。

というか、日記を見るにリア友情報がほぼない。友達は確か、いたと思うのだが。今から思うとこんな人間はいじめられていたとしか考えられない。

そして中学では満を持してニコニコ動画流行った

その影響でボーカロイド流行ったし、ひぐらし流行った

当時ひぐらしは既に出題編と解答編のテレビアニメは終了していたのだが、ニコ動MAD動画経由で再びブームに火がついた

そして物語シリーズけいおん!、あとやっぱりハルヒ流行った

影の薄い生徒(当時は陰キャは使われてなかった)のみならずクラスの人気者でもこれらのサブカルチャーに親しむ人が増えてきた時期だった

この頃のお昼の放送

AKB系列ジャニーズ系列ボーカロイドアニソン(主にけいおん!ハルヒ)、いきものがかりその他JPOP……みたいなカオスな曲目だった

けいおん!オリコン1位をとってMステで紹介されたのもこの頃だった記憶

俺の中でニコニコ微妙位置づけに入る。

ニコ厨」と呼ばれ嫌われていて、自分も「ニコ厨死ね」とほざいていたが、確かコメントつきのAIRなどを楽しく見ていた記憶がある。

大体この世代ネタもわかるし、中学のころの自分は何かしら理屈をつけて、両方の立場からニコニコを嫌いつつ楽しんでいた。

物語はこの世代だったか?もう少し後だった記憶があるのだが。

AKBジャニーズはとにかく理由もなく嫌いだったし(なお、1人も名前すら知らなかった)、JPOPは「押忍!たたか応援団」以外で聞いたことがないという有様だった。

ボカロは何か合わなかった。

同時に、エロゲと古いアニメ文化にハマる。古いアニメ文化にハマったのは人とは違う自分演出たかたからで、エロゲはシコるためである

帽子を深く被り、自分の中で精一杯オッサン的な格好をした自分は「とらのあな」に乗り込み、確かセフィリア乱菊同人誌レジまで持って行ったのだが、

「年齢を証明できるものはありますか?」の一言の前に粉砕され、すごすごと帰宅したのはハッキリと覚えている。

だが、その後、代引きAmazonを使えばエロゲを人知れず買えることに気がつく。一番初めに購入したのは「真・恋姫無双」だったと記憶している。

俺が人生で初めてセックスというもの理解したのはロリ張飛の濡れ場だった。懐かしい記憶だ。(クリムゾンエロだと、本番シーンが簡易すぎてセックス理解していなかったのだなあ)

そこから2ちゃんエロゲー作品別板で、住人達と殴り合ったり、真剣恋のスレ毎日参加したり、青山ゆかりを讃えたりして時間を過ごしていた。

名作のエロゲと言われるものは大体全部やったと思う。というかエロスケで85点以上のものはおそらく全部やった…ような。多分。おそらく。

また、やる夫系のサイトにドはまりした記憶と形跡があるのだが、日記に「気に入らない作者を潰してやった藁」とか書いてあったのであまり深く触れないでおく。

古典アニメについては「周りとは違う」という思い込みを補強するためのもので、「攻殻機動隊」や「あしたのジョー」を漫画アニメ劇場版シリーズ無駄に見るなどして、「俺はわかっている人間だ」という考えを補強していた。

やれやれ、浅いやつらは出崎統の偉大さもわからないのか」と、のたまうタイプゴミであった。今すぐ過去に戻って当時の俺を殺したい。

また、無駄ガンダムSEEDを叩き、無印ガンダムを持ち上げる文書(種は見たことがない)、

ひぐらしスクイズあたりのグロシーンを「浅い」と長文で書き連ねた文書日記に残されており、今、ダメージを受けている。

小~中の時代にこじらせすぎて、Mステ人生で1度も見たことがないくらいだから、やっちまった感が強い。

ちなみに、この頃に書いたというか、赤っ恥を晒したのがコピペ化され、今でもたまにネットで浮上してドキリとすることがある。本当にやめてほしいような、懐かしいような。やっぱりやめてくれ。

一言で言うと、中二病だったのだろう。(今も、多分根底はそのままなのだが)

高校でも相変わらずアニメは盛況でこの時期はマドまぎやSAOを筆頭に後の世まで語られる有名アニメが沢山排出された

たこの頃はスマートフォンが本格的にガラケーから世代交代を開始した時期とも重なり、俺が高2の頃は既にクラス過半数スマートフォンになっていた

そして何より重要なのがソーシャルゲーム流行だと思う

当時はソシャゲ黎明期パズドラ寡占市場だった

みんな暇があったらパズドラやってた

そしてこうしたソシャゲアニメを見ない人達アニメキャラへの耐性をつける役割を買ったと思われる

ソシャゲキャラクターにはいわゆる萌え系のデザインキャラが少なくなく、アニメを見ない人達もそうしたデザイン自然と親しむ様になった

これはパチンコ好きのヤンキーエヴァアクエリオン抵抗なくなる現象に近いと思う

それを未成年世界にも引き起こしたのがソーシャルゲームで、現代アニオタを語る上ではこのソーシャルゲームの影響は無視できないと思ってる

ソシャゲは確かに流行していたが、パズドラはやらなかった。というかその後もやったことがない。

パズドラをやらなかった理由は「みんながやっていたから」である。といいつつ、モバマスはやっていた。身勝手ものである

デレマス呼称されるようになったのはアニメ以後なので、あえてモバマスと書く)

200位圏内に何度か滑りこんだが、あの頃はソシャゲ全体で、今より課金しなくて済んだような気がする。気のせいだろうか?

まどマギSAOに関しては、高校生の分際で、「ああ、みんなようやく虚淵さんや川原さんのよさに気づいたんだ、ところで鬼哭街はやったのかね?」と高説を垂れていた。

だが、高校にもなってくると廃スぺオタクが発生するもので、しかもそこそこ偏差値のいい高校だったものから

「ああ、やったけど?ところでお前Phantomは当然やったんだよな?」と、スポーツ万能のイケメン風の男に言われ、

やってなかったので地団駄を踏んだのをよく覚えている。

(ちなみにそいつとは、高校を通して仲良くやっていた)

そしてこの辺りから自分には文章の才能があると思い込むようになり、(ここまで読んでもらえればわかると思うが、ない)ついにはラノベを書いて新人賞投稿した。

文学作品がロボになって戦う』という、中学時代にハマっていたFateパクリ会心ネタを応募するも見事に一次選考にすら残らずに撃沈。

「応募作には必ず講評をお送りします」とのことだったのだが、来なかった。データは残ってないが、どう考えても面白くなかったしひどい文章だったので、むしろ良かったのだと思う。

この頃には、同世代でそれこそボカロ成功したり、ラノベ作家デビューしたやつも出てきたので、「人とは違う」と思いたかった俺も、イケてるクリエイターになりたかったのだろう。

その後、なんだかんだあって、大学卒業し、今はアニメ業界にいる。

有名な監督や、アニメ業界に関わらず、ゲーム出版関係人達とも多く出会った。師匠と心から呼べる人間にも出会った。自分の小ささに気づいた。演出というものの奥深さも知った。

ネット上の文字列雑誌写真インクの塊、動画の上で画面越しに見るしかなかったクリエイター達も、多くが人間であり、深い知性と情動の元で仕事をしている、生物なのだと知った。

仕事も覚えてきて、ようやく金になるようなことが出来てきた。簡単に述べると、「仕事が少しわかってきた」。この業界ではまだまだな年齢だが、なんとか食らいついている。

周りでも海外への配信権を売るビジネス好調で、何やら巨大な金も動かせそうな時代である。昔より技術も高くなり、表現の幅も増えた。業界としての未来は、なんだかんだで明るそうだ。

以上が、大体の俺の人生であるオタク人生であると言っていいんじゃないだろうか。

引用した増田とは同じ時代を生きてきたが、かなり感じたものは違うと思っている。

君は、多分オタクサイドの人間じゃないよ。俺は、半可通だが、オタクサイドの人間だと思う。

そして、結論を書こう。

26歳の今、俺がリアルに感じていることを書いてしまうと。

この国のオタク達が積み上げてきたものは、その全てが間違いだった。

アニメは間違いだった。

漫画も間違いだった。

ゲームは間違いだった。

ラノベは間違いだった。

インターネット文化は間違いだった。

この国のクリエイターが作り上げてきたもので、善かったものは一つとしてない。

今後、善いものが生まれることも、おそらくない。

オタクはクソだ。ただのゴミだ。彼らが話す言葉、彼らが創るもの、彼らの文化。その全ては、消え去った方がいい。

俺は、あらゆる表現規制に賛成する。

オタクは全員いなくなった方が、この世のためだよ。

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