はてなキーワード: カミングアウトとは
プライドが高く、人を見下す夫が嫌い。
他責思考の夫が嫌い。
都合の悪いことからすぐ逃げる夫が嫌い。
嘘を平気でつく夫が嫌い。
外面だけは良い夫が嫌い。
酒癖の悪い夫が憎い。
泥酔して所持品を全部無くした事に苦言を呈すと「虫けらを見るような目で見た!ばかにしやがって!」と言い出す夫が憎い。
泥酔して家で暴れて手に負えず警察を呼ぶ事態になり、さすがに反省して断酒を約束したので関係を続け子どももできたのに、隠れて酒を飲んでいた夫が憎い。
頻繁に残業と嘘をつき酒を飲んだりパチンコをして、その分の給料が増えてないとあやしまれるからと借金して補填していた夫が憎い。
残業だと疑わず、遅くなった日も毎日できたてのご飯を出していた私に嘘をついて平気だった夫が憎い。
酒の件も借金の件も、出産直後にカミングアウトしてきた夫が憎い。
カミングアウトしてきた上で「自分らしく生きたいから離婚をしたい」と言ってきた夫が憎い。
紆余曲折ありその後家族としてまた頑張りたいと言ってきたのに、会社の後輩女性と親密関係だった夫が憎い。
家族円満な時も後輩女性に「離婚話は順調に進んでるから安心して」と言っていた夫が憎い。
不貞を頑なに認めない夫が憎い。
「不貞はないが、やり取りを見られた以上一緒にいられないから離婚しかない」とかぬかす夫が憎い。
本当に憎くて仕方がないから、お前の思い通りのタイミングで望み通りに離婚なんてしてあげない。
そうだな…まああれかな、
自分の性的な部分とかそういうプライベートな話を他者からなんか言われるのって基本的にキモいじゃないすか。
自分がカミングアウトしたわけでも認めたわけでもないのに他者に指摘されるとか
特にそれを自分が性的な目を向けてるわけでもない他者に言われるのって性別関係なくキモくないすか…?
大人はそれが特に身近な、自分が世話をしたことがあるような子供相手だと
まさか子供にそんな風に拒絶されるなんて思ってもみないからうっかり言うけど
子供はそれ聞いて、えっなんかキモ…って思っちゃうのもしょうがない気がする。
こんなこと言ったら今の時代炎上してしまいそうだけど言わせてほしい。しんどすぎる。
私は現在20代で性別は女(なんかこの性別がっていうのも叩かれそうだな、まぁいいか)、散々多様性のことを言ってるくせにどちらかと言うと多様性よりの職業に就いている。
最近テレビでも新聞でも携帯でも、ついには先日読み始めた小説にも「今は多様性の時代」という言葉が出てくるようになった。
あまりにも多様性多様性言われるので正直うんざりしているのだけれどそんなこと言ったら炎上してしまうから言えないが、ここでは書くことを許してほしい。
「今時の若いもんは」「俺たちの若い頃は」、いわゆる昭和の人間と言われる人たちがそう言うと私たちの世代は途端に眉を顰める。「また始まったか」「もう時代遅れなんだよその理論」そんな感情だろう。
私は自分がどちらかと言えば今時の若いもん、に当てはまることを知っているしそれを自覚してもいる、典型的なゆとり世代的思考だと思う。
結婚はしたくないし子どもも欲しくない、人と関わることが苦手すぎてお茶出しさえまともにできず、社会に馴染めないことを自覚して今はフリーランスで仕事をしている。
そんな自分がこんなことを言うと矛盾してると言われてると思うが言わせてほしい、とにかく多様性の押し売りがしんどいのだ。
もちろんいい時代だな、と思うことはたくさんある。私は幼稚園から高校まで通ったが、その間一度も学校を楽しいと思ったことはないのにその自分の感情を押さえ込んだ結果ストレスが原因の難病にかかった。
その時の私は「学校に行かなくなったら終わりだ」「世間ではまともに生きていけなくなる」そう思っていたからだ。だから身体を壊してまでも学校に行っていた。
でも今の時代は必ずしも学校に行かなければいけないという雰囲気ではない。私の親戚の子が学校に行くのをやめて数年、高卒認定だけは取り、今はネイリストとして海外で元気に毎日楽しそうに活動してるのを見ると素晴らしいなとも思う。
周りにも学校に行かなくていい、という言葉を聞いてホッとしたような顔をして自分の好きなことに没頭して夢を見つけて、今はその夢に向かってる人も大勢いる。それを経て確かに思う、いい考え方だなと。
ただそれはちょっと?と思う考え方もある。
典型的なのがLGBTQ(以下のカテゴリはここでは一旦省かせていただく)の問題。
少し前に聞いた話だが、心と身体の性別が一致しない方達の主張。私が聞いたのはトイレや温泉の話だったと思う。
少数派の意見も聞こう、というのは大変素晴らしいことだと思う。この場所のように少ない考え方の人間の話を聞いてくれる場所は必要だとも思う。
では世の中の法律や規定をその少数派に合わせるのか、そうなると話は変わってくる。
学校でも議会でも会社でもなんでも基本的に何か困ったら多数決を取ることがある。それはなぜか、通常意見が多い方が優先されるからだ。
たとえば会社でAという案とBという案があるとして多数決では今回はAに決まった。ただBがダメだというわけでは全くない、だが何かしらの理由があって大多数の人がAがいいと思った、ではAを弊社の意見にしよう。
ここまでが今までの流れだ。ただ最近は「じゃあ少数派の案からこちらにも使えるものを少し取り入れよう」とこうなる、正直これはものすごくいいことだと思う。
人間はどうしても白黒つけたがる、これがよくてこれが悪いと考えがちだがそんな中いいところを見つけてよりよくしていく、素晴らしいことだと思う。
正直最初に多様性の話が出て来た時、私はすごくワクワクしていたのだ。いい方向に変わりそうだぞ、このままいけば、そう思っていた。
ただ、このままではいかなかった。
そのうち出て来た意見は「私はAの案は好きではない、少数派ではあるがB案を好きだと言ってる人はいる、だからB案を採用しろ」これである。
先ほど出したトイレや温泉の話はこれに近いものがあると思う。少数派の意見に合わせろと。その結果何が起きたか、それを逆手に取った犯罪だ。
もちろんLGBTQを全ての人がそうだとは全く思わない、人々の必死の主張を逆手に取る奴らが悪い。それはわかっている。ただこういったことがあるため、感情だけではどうにもならない問題なんだと言うことをわかってほしい。
心には形がない、定義もない、だから何にでもなれるし逆に何にもならない事もある。それはとても素晴らしいことだと思うし、大事にするべきことだと思う。
ただそう言った考え方が恐らく少数派であり、明確な定義ができないということを考えると、それを世論としてしまうにはあまりに危ういと思う。
これは逆の立場でも言えることだ。
どちらか一つの意見を世論にするのは非常に危険だと思う、だからいろんな意見を聞いてそれらをまとめる必要がある。
ただその際に少数派の意見を世論にしてしまうと上記に書いたことが起こったりしてしまうのだ。
ここから少し話は変わるが私はいわゆるバイセクシャルと呼ばれるものに該当して、恋愛対象が一つの性別には限られない。ただ別にその話を誰かにしようとは思わないし、知ってほしいとも思わない。
性別とか恋愛とかそう言ったことに対して隠さないといけない人がいるのはおかしい、という意見も聞くがはっきり言わせてもらう、私はどちらかというと隠させてくれと思うタイプの人間である。
一度飲みの席で「バイなんですよね」という話をしたら、いわゆるそう言った偏見がないとされているバーの店長から「そのこともっとアピールしていこうよ!」と言われた。
なぜ、なぜわざわざそんなことを言わなければならないのだろう。カミングアウトしたい人はしたらいい。同性婚と言われるものも全然いいと思う、ただ全ての人が自分に当てはまるように権利を主張したいとは思わないでほしい。
最初に言った昭和の人のお決まりのセリフ、これは今の時代にも当てはまると思う。
「今はもうそういう時代じゃない、多様性の時代だから」「もう古いんですよその話」私がもし令和よりももっと後に生まれた人間ならばきっとその言葉を聞いて思うだろう、出たまた始まったよ多様性の話、と。
昭和の人間には自分たちの考えを押し付けるなと言うくせに、結局昭和の人に自分たちの意見を押し付けているではないか。
正直、昭和時代を見ていれば同性同士が恋愛をしたり結婚をしたり、何か干渉すれば○○ハラスメントと囃し立てられたり、お笑い番組で体を張ったことをすれば暴力だと言われたり、
そんな時代が受け入れられないことは普通だと思う。だってそれが所謂普通だったんだから。
今の時代にそぐわない考えが理解できないのはわかる、ただだからと言ってその人たちを馬鹿にしたり揶揄したり、それは結局私たちがゆとりだと言われて来たのと同じことをしてるのではないだろうか。
普通という言葉が嫌いなのに自分も普通という言葉を使ってしまっている、こうして私も今嫌ってる人間みたくなっていくんだろうな。
そして結局何が言いたいかわからなくなるまでダラダラ話してしまった、これを見た人は言うだろう「これだから今時の若いもんは」と。
前住んでた会社借り上げの賃貸アパートに同じ会社の派遣数人も住んでたんだけど
ある日、気持ち悪いナヨナヨしたオッサン(恐らく派遣)にごみ捨て時いきなり「スミマセンちょっと良いですか」と、話しかけられた
身内にも頼れない
なので、アパート借りれないからしばらく同居させてくれませんか?
当然というか、無理すぎるから秒で断ったら、「何で?何で?」とか食い下がられた
親しくもない云々とか以前に、容姿年齢関係なしに野郎と同居する趣味はないから
「そういうのは差別だよ」
と逆ギレしだす始末
キモすぎてお前ってホモ?と聞いたら、否定せずに「だからそういうのが差別だ!」とかキレだす
「頭おかしいんじゃない?」
と面倒くさいから去ろうとしたら、話が終わってない的に服を掴んできたから、思いっきり殴り蹴り飛ばしてやったら流石に黙った
頭おかしすぎるしキショすぎる
見ず知らずの人に絡んでカミングアウトするとかLGBTはやはり脳に障害あるよな
いわゆる池沼
俺は京大卒なので同世代の人間における上位0.5%の頭を持っていると仮定されるわけだ。
でさ、正直世間の女の9割方は俺より馬鹿なんだよ。2桁同士の足し算を暗算で即答できない人間とかマジで人生何してたんだって思う。
じゃあ相手を馬鹿にしてるかって、別にそうでもない。俺よりユーモアがあるし、会話してて他人を楽しませる能力は俺より全然長けてるからだ。
正直尊敬してる。自分が即答できる問題を筆算しないと解けない人間であることと、相手を尊敬するかどうかは別の問題だ。
「いや、身長とかマジでどうでもいい。高身長をステキだと感じたことが人生で一度もない」
と姉からカミングアウトされて大変な衝撃を受けた。男の低身長をマイナス要素だと感じたことも人生で一度もないと言っていた。
そのお姉さんの気持ちはよくわかるよ。お姉さんは相当美人だし、なおかつ頭が回るんだよ。で、ものすごく自己肯定感が高い。
なぜならブサメンの俺もそうだからだ。俺は他人よりブサイクだし、30代になるまで彼女を作った経験は2回しかない。でも0ではない。多少頭は回る。まあ京大卒だから「頭が回る」と言ってもバチは当たらんでしょ。
世間的な価値で考えれば俺はそのお姉さんとは比べものにならないくらい価値が低いだろう。
あんたと同じ低身長の罪なき男性たちの多くが人格や振る舞いに関わらず世の女性からナチュラルに嫌悪感と蔑みに晒されながら人生を送っているというのにな!!!
このコメントを見て、正直1ミリたりとも「怒り」は覚えなかった。だって俺の人生にとってどうでもいいことだから。
世間の9割は馬鹿で、馬鹿に蔑まれたところで何も気にしない。馬鹿が馬鹿やってるなら自分の人生の視界から外せばいいだけだし、馬鹿でも尊敬できるなら尊敬する。ただそれだけだ。
姉が。
遠くない将来、私の義兄になるかもしれないその相手男性が身長165cmだと判明したので私が焦って
「一体何事だ!?考え直したほうが…」
と忠告したら
「いや、身長とかマジでどうでもいい。高身長をステキだと感じたことが人生で一度もない」
と姉からカミングアウトされて大変な衝撃を受けた。男の低身長をマイナス要素だと感じたことも人生で一度もないと言っていた。
「相手の『苗字』とか『下の名前』の文字のフォルムが異性の魅力に寄与しない感覚はわかるだろ?
姉は高身長にうっとりする感覚が1ミリたりとも理解できないので同性ながらその一般的女性感覚が不思議で仕方ないのだそうだ。
165cm彼氏さん、マジであんた幸せものだよ。ほんとよかったな!!!!!!
「男の高身長に異性としての魅力を全く感じないし、男の低身長を異性としてのディスアドバンテージとも一切思わない」
あんたはそれ(姉)をまんまと引き当てたんだ!!!!Jリーガーやヒルズ社長と付き合ってたような姉を!!!!!
あんたと同じ低身長の罪なき男性たちの多くが人格や振る舞いに関わらず世の女性からナチュラルに嫌悪感と蔑みに晒されながら人生を送っているというのにな!!!
特にそれが子供という身体も思想もおぼつかない相手を対象にしたものに対しては一等嫌悪感がある。
けれど、昨今のそういう嗜好や性癖を持っているだけの人を殺せという論調を聞いていると何とも言えない焦燥感がある。
私は今年35歳になる男で同性愛者だ。
今でこそボーイズラブやLGBTQなどという横文字が広がって多少はスルーされることが多くなったかもしれないが、それでも自分は同性愛者ということをゲイコミュニティ以外で一切カミングアウトしていない。
それはゲイであるというカミングアウトだけで強烈な迫害がある人生を引いてしまったからだ。
かといって同意なしに男性を襲うなど言語道断であり、どれだけおだてられても自分が襲われる立場になったらと思うとゾッとする。
しかしそれは世界で大多数を占める異性愛者でも同じことだろう。
異性愛者だろうが同性愛者だろうが、同意なしにセックスをすればそれはただの犯罪だ。(中には金銭目的の美人局もあるだろうがそれはまた別の話)
ではペドフィリアはどうだろう。
もちろん、自分の欲求のためだけに幼児を襲ったり、そうでなくても追いかけたり盗撮したりは非人間のすることだ。
万が一相手に同意が取れたところで、未成年の同意が大人の同意と同じ効力はないし、真に受ける人間は社会性を失った猿だと思う。
ではただ黙々とそういったコミュニティに属して空想を繰り広げているペドフィリアはどうなのだろう。
正直、私も気持ち悪いし怖いと思う。
しかし、「ペドフィリア」という看板を掲げたコミュニティをわざわざ覗いて「こういう思想を持っ人間は危険だから排除すべきだ」と晒し上げるのは少し横暴だと感じてしまう。
百歩譲って、覗いて気持ち悪いと投げかけるまでは個人の感想だと思う。
ただ「そういった思想を持っている人間はすべからく社会から排除すべきだ」とまで飛躍するのは、かつてのゲイコミュニティが受けていた差別と全く同じ構造ではないだろうか。
何も犯罪は犯していないのに、男が好きというだけで迫害される時代と場所は確かにあった。
ゲイとペドフィリアは違うという人もいるが、ゲイは個性でペドフィリアは性癖だからという理論は正直意味がない。
どちらもその対象物を性対象にしている時点で同じだし、それは異性愛者もそうだ。
自分の嗜好や指向を満たすために対象物があって、同意がとれないままセックスをすればそれは須く犯罪なのではないか。
だったら異性愛者の恋バナや片思いだけが合法になりうるのはおかしいのではないだろうか。
書いていて自分でも横暴な論調だとは思うが、内心の自由すら取り締まるというのなら、異性愛者の「あのアイドルとヤりたい」とペドフィリアの「子供とセックスがしたい」も、そう思った時点で同じく犯罪になってしまう。
ただ「そういった思想がある時点で排除すべきだ」と主張する人の理由もわからなくもない。
誰だって世間一般、もしくは自分の想像から大きく外れた思想を垂れ流している人物がいたら避けたいのは動物としての本能だろう。
ましてや子供を持つ親なんて、例え関係ない架空のペド話でも自分の子供への警鐘から排除したいと思うのは当然だ。
若い人には想像もつかないかもしれないが、私がまだ学生の頃はオカマやオネエキャラというピエロにとしてエンタメに昇華されたゲイ以外ほぼ許されなかった。
もっと上の世代ではそれこそ同士でのカミングアウトすら危険を伴い、還暦を過ぎ、妻を看取り、時代がゆるやかになった今やっと言えたという人も珍しくはない。
なんなら最後まで隠し通し、自分に向き合えなかった悔しさと、妻を愛したふりをしたまま騙してしまったという相手への罪悪感のまま天寿を全うした人もいたかもしれない。
少し話がそれる。
今まで友達のように接していた人間から「お前も性別だけで言えば範囲内だ」とカミングアウトされればたじろぐ人が多いと思う。
その気持ちはとてもよくわかる。
それはこちらがどれだけ「人間が好きだからといって全人類好きじゃないのと一緒だ」と説明しても拭いきれない猜疑心だと思うし、ある意味当然であろう。
ぬぐるみから男根が生えたという女性の記事を読んで、ああいうのが近い感覚なのかもしれないと思った。
自分が性対象の範囲内に見られているかもしれないという疑いは、思ったより不快感があり気持ち悪いのだ。
私は長年友人だと思っていた異性愛者の女性から告白を受けたときにこの気持ちを味わった。
と同時に「なぜ彼女の片思いは淡い失恋として美化されて、私はその気持ち悪さを口に出すことすら憚られるのだろう」という醜い嫉妬もした。
結局は恐怖心なのだと思う。
ぬいぐるみからペニスが生えていなくとも、全く関係のない遠くの人間から「ロン毛は全員性対象だ」と言われたら気持ち悪いと思うロングヘアの人間がいても何もおかしくない。
ゲイも、ペドフィリアも、その他のマジョリティも、例え世間一般で常識であっても、人間、自分が想像する範疇から少しでも外れれば多少なりともすべて恐怖の対象なのだ。
では逆に内心の自由が保護されたとして、どこまでが内心になるのだろう。
そもそも第三者に確かめようのないことだし、確認のしようがない。
では同士で語り合ったりするのはどうだろう。
これはインターネットの発達と、そのインターネットに対するイメージの差が大きい部分もないだろうか。
私にとってインターネットは雑踏の中にある架空の秘密基地であった。
「恋愛相談がしたい」「ねこの話がしたい」「ただ眺めていたい」「死について語り合いたい」
たくさんある部屋の中から私は「ゲイ同士話してみたい」の部屋でずいぶんと救われた。
「好きな人が結婚して、友達のふりをして泣いた」と、ゲイとして言えるということは現実世界ではあり得なかったからだ。
といってもそれはインターネット内での話なので、それが実話だろうと証明する方法はないし、相手の慰めの言葉も嘘なのかもしれない。
逆にその空虚さが居心地の良さを生んでいた部分もあるだろう。
VIPからきますたwwwで荒らされても「まぁインターネットだしな」と溜飲が下がる部分も多かったろう。
インターネットは気軽な逃げ場だったのだ。
かつての生き物苦手板を知っている人はどれだけいるだろうか。
面白半分で覗いて後悔するナンバーワンの宝庫であり、いわゆる動物虐待の話をメインにした場所だ。
勘違いされないように改めてここでも言っておくが、私は犯罪は許せないし動物虐待にも強い嫌悪感がある。
ここで写真つきで虐待実況をしたものは明らかな動物虐待だろう。
しかし、ただ猫や犬をいじめるのが好きだと語る場合は果たして内心の自由になり得るのだろうか。
もちろん明らかな犯罪予告や一種の誹謗中傷にあたるようなものはダメだろう。
しかしあくまで架空の妄想という共通認識の集まりで、「もし自由にしていい猫がいたら、こういう酷いことをしてみたい」と書き込んだ場合、それは内心の自由になるだろうか。
「嫌なら見るな」の立て看板の先とはいえ、ネットで全世界に見えるように書き込んだ時点で内心ではないので取り締まるべきか?
だったら「あのイケメンアイドルにキスしたい」とか「あのキャラでヌイた」とかも内心の自由ではないセクハラとして取り締まるべきか?
そもそも架空の妄想と銘打った時点で例え言語化されて出力されたものでも内心の自由ではないか?
そうなってくると、第三者が取り締まるのはどこからが基準になるのか?
それが個人単位の気持ち悪いだった場合、明確な基準もなく個人感情で取り締まられるのではないか?
もっと正直に言えば、私は他のマイノリティやペドフィリアなぞどうでもいい。
そもそも妄想のはけ口がないと発散できない時点で人間としてまずい部分は多かれ少なかれあるのでは?という偏見が私にはある。
かといって、それらの妄想が全てそのような危険なはけ口だとも思わない。
私はそれらの嗜好をただ持っているだけの普通の人への取り締まりが始まれば、いつかはそれがゲイコミュニティに回ってくるのではないかという自己中な懸念がある。
私はマイノリティが大ぴらに権利を主張するのにもあまり乗り気ではなく、それは一部の人権団体がただ己の自尊心を気持ちよくするために、平等ではなく、同情で弾圧と優遇を叫ぶからだ。
「理解はできないし気持ち悪いけど、別に何もしないなら普通に生きてなよ」という態度がどれだけ救われるか。
ペドフィリアが全員殺されたら、今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖が私にはある。
内心の自由はどこまで許されるのだろうか。
実際に犯罪を犯しているペドに対する攻撃を否定するつもりは微塵もないのだけれど、ペドフィリアは病気だから治療可能という発言は微妙すぎる。
別にペドフィリアを擁護したいわけでもなんでもないんだけど、「犯罪を犯していないペドフィリア」に犯罪者とか病気だとかいうレッテルを貼るのは単純に差別なのでどうにかしてほしい。
まぁ、ペドフィリアが欲求を満たそうとすると犯罪につながる蓋然性が高いので、カミングアウトすると犯罪を犯していなくても犯罪者として扱われてしまう。それはやむなし。
だけど、犯罪を犯しているペドフィリアは、ただの犯罪者なのであって。犯罪者は犯罪者であることをもって断罪されるべきで、ペドフィリアであることをもって断罪されてはならんのですよ。
森奈津子好きだったんだよなあ
子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子のお嬢様シリーズ
主人公の綾小路麗花は、古典的な少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている
綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる
爽やかイケメンな彼氏や百合な従者やホモや男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ
不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた
不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界の架空の学校に集められ、北海道や沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた
今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代は雑誌で文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか?
お嬢様シリーズはレモン文庫という学研のレーベルから出版されていたが、1996年にレモン文庫は突如消滅
森奈津子はお嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという
ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説を執筆するようになった
東京のセクシャルマイノリティの事情について語るエッセイなども発売
「女性はセックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性がオカズにできる本を書く」
と官能小説を書き、また百合が精神性重視のものが多い中で官能百合を書く
百合SF、エロSFなどを手掛け、「SFの定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのである、SFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張
小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家の西澤保彦は森奈津子を主人公とするナツコシリーズを出した
百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメントの中央にはいられなかった
悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった
バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った
「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる
ビアンやバイやノンセクとして活動していた女が普通に結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ
だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった
そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイだから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう
かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚は不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった
その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている
小説「耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている
「普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通に結婚できない同性愛者・独身主義者・非モテ」は敵になったのだ
そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている
「あなたの発言はLGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える
作者を嫌いになると作品も自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象で
森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ
レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ
今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない
だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す
ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある
反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない
ラノベやセクマイやSFやら、あちこちで排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな
綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ
男女入れ替えるとキモい男のストーカー寸前なんだけど、若い女なら許されちゃうんだね。
少し前の増田を読んで苦い記憶が蘇った。自分は元の記事で言う『推し』の立場で職場の後輩から好意を持たれていた。コロナ前の話だけど。
当時小さなIT企業に勤めていた私は、会社が初めて採用した新卒の教育係に任命された。後輩は有名私大卒の男性で文系からのエンジニア採用だった。A男とする。無論即戦力と言う訳でもなく、当時まともな人材育成の仕組みもなかった弊社では私が業務の合間に指導を受け持っていた。
人を育てる余裕のない中小で、なぜ新卒、しかも文系を採るんだよ・・・と思ったがA男は根性があり勉強熱心ですごい勢いで成長した。教育係としては手がかからずありがたかった。なので特段目をかけたわけでもない。
小さなコミュニティ特有の人間関係の濃密さもあり、当時の会社では社員のパートナー情報がほとんど共有されていた。誰は最近彼と別れ、誰は彼女ができたとか。出会いは合コンで相手はどこそこに務めている・・・など。なので私がしばらく彼がいなかったことも当然みんなに知られていた。
ある時から、A男と仲の良い同僚男性から飲み会に誘われることが増えた。メンバーは職場の若手数名。それまで特に親しい仲でもなかったが呼ばれて都合がつけば行った。A男は酒もほとんど飲めないのに毎回必ず参加していた。飲み会では同僚男性からやたらと恋愛の話題を振られた。最初はそういう話が好きな人なんだと流していたが、ふとした瞬間の目配せによって「あぁこれはA男のために聞いてるんだな」と悟った。
元増田でも『推し』は反応が薄くずっと彼はいらないスタンスだったと書いてあったが、私もその態度を貫いた。休日何してますかと言われても「酒飲んで寝てる」とわざとつまらなそうな人間に見せる回答をした。最近Xで「男の子って無趣味じゃない?誰に聞いても趣味はカフェで友達とおしゃべりって答えるw」と言うpostに「興味のない人間にマウントとられたり誘われたりするのがダルいからそう言ってるだけ」と言う引用がついてバズっていたが本当にそれ。私は休日はほぼ出かけているしなんならテーマパークだって好きだが、言ったら一緒に行く流れにされそうで。彼も欲しくないわけじゃないが、今はいらないと言い続けた。
それでも、A男は冗談めかしてたまに誘ってくるようになった。「一緒に行ける人いなくてw」とか「暇なのでw」とか。デートじゃなくて遊びたいだけですよ?みたいな顔してるけど緊張してるのが空気でわかる。適当にかわし続けていたが、相談があると会社帰りにカフェに誘われた時だけ行った。とってつけたような相談だったので、1時間で帰った。
同僚なので冷たくはしないが、今考えても出来うる限りの脈なしな態度をとっていたと思う。それでもA男は諦めなかった。素直に慕っている風に戯れてくるが、どこか期待している感じもする。控えめに体に触れてくる。周りからは仲のいい先輩後輩に見えていたらしく、別の部署の同期に「付き合ってんの?」と聞かれた時は本当にゲンナリした。
幸い、タイミングよく出会いがあって恋人ができた。会社ではいつもうざいくらいに恋愛の話題をふられるのに、その頃に限ってしばらく聞かれず、初カミングアウトはA男だった。飲み会の誘いを断った時「彼でもできたんですか〜w」と否定待ちで聞かれたので、別にその日は彼と約束しているわけではなかったが「そう」と言った。視界の端でA男の笑顔がひきつるのがわかった。「なんだ!よかったですね、どんな子ですか?」と聞かれ、私は彼とディズニーに行ったときの写真を見せた。「・・・先輩ディズニーとか行くんですね」「彼とならね」A男は笑顔を貼り付けたままどこかに行った。後から同僚男性からA男が泣いていたと聞いた。
A男からは直接告白されたりしつこくされたわけではないが、鈍感さを装って好意を無視するのはなかなかしんどかった。職場の人間と恋愛する気にならないし好みじゃなかった。この話をリアルですると新卒男子からアプローチされたモテ自慢と受け取られそうだが、これはシンプルにだるい話だ。男女逆ならもう少し共感得られるのだろうか。
ただでさえ職場恋愛なんて面倒なのに、周りを巻き込むなんて何を考えてるんだと思う。アプローチする権利がないとまでは言わないが、一度打ったジャブがかわされたら諦めるのがマナーじゃないか?漫画じゃないんだからグズグズ片思いするな。合コンに行け。友人に紹介を頼め。マッチングアプリをインストールしろ。職場に性愛を持ち込むな。
https://anond.hatelabo.jp/20231224104639
少し前の増田を読んで苦い記憶が蘇った。自分は元の記事で言う『推し』の立場で職場の後輩から好意を持たれていた。コロナ前の話だけど。
当時小さなIT企業に勤めていた俺は、会社が初めて採用した新卒の教育係に任命された。後輩は有名私大卒の女性で文系からのエンジニア採用だった。A子とする。無論即戦力と言う訳でもなく、当時まともな人材育成の仕組みもなかった弊社では俺が業務の合間に指導を受け持っていた。
人を育てる余裕のない中小で、なぜ新卒、しかも文系を採るんだよ・・・と思ったがA子は根性があり勉強熱心ですごい勢いで成長した。教育係としては手がかからずありがたかった。なので特段目をかけたわけでもない。
小さなコミュニティ特有の人間関係の濃密さもあり、当時の会社では社員のパートナー情報がほとんど共有されていた。誰は最近彼女と別れ、誰は彼氏ができたとか。出会いは合コンで相手はどこそこに務めている・・・など。なので俺がしばらく彼女がいなかったことも当然みんなに知られていた。
ある時から、A子と仲の良い同僚女性から飲み会に誘われることが増えた。メンバーは職場の若手数名。それまで特に親しい仲でもなかったが呼ばれて都合がつけば行った。A子は酒もほとんど飲めないのに毎回必ず参加していた。飲み会では同僚女性からやたらと恋愛の話題を振られた。最初はそういう話が好きな人なんだと流していたが、ふとした瞬間の目配せによって「あぁこれはA子のために聞いてるんだな」と悟った。
元増田でも『推し』は反応が薄くずっと彼女はいらないスタンスだったと書いてあったが、俺もその態度を貫いた。休日何してますかと言われても「酒飲んで寝てる」とわざとつまらない回答をした。最近Xで「女の子って無趣味じゃない?誰に聞いても趣味はカフェで友達とおしゃべりって答えるw」と言うpostに「興味のない人間にマウントとられたり誘われたりするのがダルいからそう言ってるだけ」と言う引用がついてバズっていたが本当にそれ。俺は休日はほぼ出かけているしなんならテーマパークだって好きだが、言ったら一緒に行く流れにされそうで。彼女も欲しくないわけじゃないが、今はいらないと言い続けた。
それでも、A子は冗談めかしてたまに誘ってくるようになった。「一緒に行ける人いなくてw」とか「暇なのでw」とか。デートじゃなくて遊びたいだけですよ?みたいな顔してるけど緊張してるのが空気でわかる。適当にかわし続けていたが、相談があると会社帰りにカフェに誘われた時だけ行った。とってつけたような相談だったので、1時間で帰った。
同僚なので冷たくはしないが、今考えても出来うる限りの脈なしな態度をとっていたと思う。それでもA子は諦めなかった。素直に慕っている風に戯れてくるが、どこか期待している感じもする。控えめに体に触れてくる。周りからは仲のいい先輩後輩に見えていたらしく、別の部署の同期に「付き合ってんの?」と聞かれた時は本当にゲンナリした。
幸い、タイミングよく出会いがあって恋人ができた。会社ではいつもうざいくらいに恋愛の話題をふられるのに、その頃に限ってしばらく聞かれず、初カミングアウトはA子だった。飲み会の誘いを断った時「彼女でもできたんですか〜w」と否定待ちで聞かれたので、別にその日は彼女と約束しているわけではなかったが「そう」と言った。視界の端でA子の笑顔がひきつるのがわかった。「なんだ!よかったですね、どんな子ですか?」と聞かれ、俺は彼女とディズニーに行ったときの写真を見せた。「・・・先輩ディズニーとか行くんですね」「彼女とならね」A子は笑顔を貼り付けたままどこかに行った。後から同僚女性からA子が泣いていたと聞いた。
A子からは直接告白されたりしつこくされたわけではないが、鈍感さを装って好意を無視するのはなかなかしんどかった。職場の人間と恋愛する気にならないし好みじゃなかった。この話をリアルですると新卒女子からアプローチされたモテ自慢と受け取られそうだが、これはシンプルにだるい話だ。男女逆ならもう少し共感得られるのだろうか。
ただでさえ職場恋愛なんて面倒なのに、周りを巻き込むなんて何を考えてるんだと思う。アプローチする権利がないとまでは言わないが、一度打ったジャブがかわされたら諦めるのがマナーじゃないか?漫画じゃないんだからグズグズ片思いするな。合コンに行け。友人に紹介を頼め。マッチングアプリをインストールしろ。職場に性愛を持ち込むな。
元増田の『推し』も鈍くて気づいてくれなかったんじゃなく、普通に職場恋愛が無理で増田がタイプじゃなかったんだろう。「アフタヌーンティーよかったですね」「食べるの難しかったね」の返しは「もうその話題は終了」のサインだったんじゃないか。「本心じゃなくても楽しかったねまた行こうと返してくれたら嬉しいのに」と書いていたけどそんなのは彼もわかっている。気がないのに喜ばせるのは罪だろう。鈍いのは増田の方だと思う。
俺はコロナ禍で転職したが、元同僚から最近A子は会社で出世したと聞いた。俺と関わりのないところで幸せに生きていて欲しいと思う。
※追記
この手の話が迷惑なのは、じゃあ同僚の自分は無理だ諦めよう〜とならず「つれないのは同僚だからなんだ!職場以外で会ってたらアリかもだったってことね」「てことは異性として見られないわけじゃないんでしょ」「社内恋愛の面倒くささを排除したらいけるかも」みたいな解釈をされること。
社内恋愛無理派だって相手が超絶タイプでもう2度と会えないレベルだったら主義が変わることもあるかもしれない。逆に、おっ可愛い!レベルなら絶対に手は出さないしタイプじゃないならなおさら。
この長い文章を書くモチベーションはリアルでこんなこと語ればモテ自慢・健気な女子の思いをフイにした扱いされるから。あと元増田があまりに都合よく解釈していて腹が立ったから。
後輩・A子の表記揺れは直したごめん
新年会があったんだけど、いわゆるアスペとネットで言われるような自閉症スペクトラム障害ってぽいやつがやらかして悲しくなっちゃった
新年会は教授主催で、なんでも好きなもの頼め〜って言ってくれたんだけど、それ聞いたアスペっぽいやつが、な、なんでも頼んで良いんですか!?とか言って、クッソ高いやつ頼もうとしてんの
最初はギャグかと思ってはははってわらってたんだけどどうやらガチらしいぞと
いやいや程度ってもんがあるだろはははとか周りが言ってたら段々キレ始めて最終的に教授に詰め寄ってた
ちょっと席離れてたから過程はよくわかんないんだけど、バカにしてんのかみたいな感じで教授もキレてお通夜になっちゃった
教授はアスペをひと通り叱って終わりにしたけど、アスペは飲み中ずっと不満そうにしてて、終わってから全体ラインで教授糾弾の長文ライン流してきた
悲しいよ俺は
アスペ、高校生時代までで何度もいじめられた経験があるらしくて、そういう話をゼミでカミングアウトしてて、研究に活かしたいみたいな話もしてたんだけど
それっていじめっていうか…こういうことだったんじゃね…?となってしまって
なんか、ありえねーわこいつって気持ちとともに、物凄く悲しい気持ちになってしまった
同情とも違うんだけど、凄く悲しいよ…
フェイク入れてるけど、特定されても参加者多かったから別に困らないし吐き出しで書いた
がーっと書いて推敲もしてないんで変だったらごめん
俺は下賤な法律家だ。
大学在学中に予備試験の合格を目指すも失敗し、法科大学院に進学してようやく司法試験に合格した。
判検任官もできず大手法律事務所に入ることもできず、新興住宅地や子ども園が次々と整備され人口を伸ばしている地方都市の事務所に入った。
当初は経験を積んで大手の事務所に移るか独立を目論んでいたが、事務所の居心地の良さや町弁としての仕事にやりがいを感じ今に至る。
町弁として交通事故、相続、共有物分割請求など手広く扱っているが特に多いのが離婚問題。年末年始は家庭問題で初回の無料相談に来る方が多い時期である。
以下、よくあるケースを紹介しつつ、家庭の問題で悩む方が一人でも少なくなるための個人的な見解を示す。
考え方や価値観、性格のズレが共同生活や出産によって顕在化し離婚に至るケース。相談には来るもののこちらの出る幕はあまりなく二人の話し合いにより解決することが殆ど。
大抵、夫にモラハラしている自覚は一切なく、自分は優しい夫であり家事にも子育てにも積極的な令和パパだと自認しているから厄介だ。
またモラハラ夫は家族や周囲を全面的に味方にしている事が多く相談に来る時点でパートナー女性は孤立し疲弊していることが多い。
粘り強く夫にパートナーの精神的被害を訴えて説得して納得してもらうことになる。
ちなみにモラハラ夫は離婚がいざ成立し一人になったり実家に戻ったりするとモラハラ夫としての自覚が芽生え深く後悔することが多い。元配偶者にとっては大変に腹立たしいかもしれないが、元モラハラ夫の再婚はうまくいく例が多いのだ。
モラハラ夫と離婚した女性が「再婚して家庭が上手くいっている元夫」の話を聞くことになっても「自分に至らない点があったのでは」と自責する必要は全くない。
大抵は夫に前科があり、それを許した過去があり、夫は「遊びくらいで愛する俺と本気で離婚するつもりか?帰れる場所があるから遊べるんだ!」と口には出さなくてもマジで思っている。
例え不貞の証拠があっても裁判にまで至ることはなく、ほぼ協議で片付く。
配偶者の離婚の意思が本気とわかると夫はすぐに納得して終わる。
妻の不貞発覚→妻のカミングアウト→夫の離婚拒否により相談に来るケース。
修羅場モノにあるような「夫が妻の不貞の証拠を用意周到に揃えて離婚の意思を持ち相談に来る」というケースは現実には殆どない。
大抵は不貞をカミングアウトし離婚を申し出たものの夫が拒否し、妻が一人で、或いは不貞の相手を伴って相談に来るケースが多い。
妻側に修復する気はなく慰謝料を払ってでも離婚したいと意思を固めていることがほとんどであり、双方が裁判を望まないケースが多いので徐々に提示する条件を引き上げていって修復意思がないことを夫側に伝え納得してもらう必要がある。
ちなみに大抵このケースでは夫側はモラハラを併発している。
不貞を擁護する気はない。ただ、10年近くの経験の中で既婚女性の不貞に夫側の非が一切無かったことはほぼなく、大抵夫に愛想を尽かした先に不貞がある。
独身で妻も子供もいない俺に言われても納得いかないだろうが、家庭が上手くいかない原因は大抵夫側にある。
「良い夫」や「良い父」であろうとするよりも、ましてやそれを家庭外の他人に披露して称賛してもらおうとするよりも、パートナーが何を求めているかを考えることが重要である。
仕事帰りに気まぐれを起こして妻に花やケーキを買って帰宅して得意顔になるよりも、妻が食事の支度で手が塞がっている間に子供の相手をし、妻が子供の相手で手が塞がっている間に洗濯物の取り込みでもした方が良い。
良いお年をお迎えください。
50代後半、バツイチ、子供はいない、親兄弟もいない、複数社経営中でぼっちの小デブおじさんだったけど結婚した。
出会いはガールズバーで、あっちもそれなりにベテランで話が上手くて通うようになった。見た目は橋本環奈を大人っぽくしたような要するに絶世の美女、ガールズバーにはもったいない。元々六本木にいたけど女同士の派閥がいやでやめて移ってきたばかりだったらしい。
でもはっきりいってこちらにしたら娘のようなもので、抱きたいとか付き合いたいより癒されるから会いに行ったり言われるがままにメシに行ったりプレゼント買ってあげたりしてた。妻子もいないしそれこそ娘が結婚となると莫大な金がいるだろうから、それに比べたら安いし喜んでるならどうでも良かった。
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そんな感じで健全なパパ活おじさんライフを送ってた。その間に相手は彼氏が出来たり彼女が出来たり(バイセクシャルだとカミングアウトされた)DVされたり、彼女と3人で食事に行ったり旅行に連れて行ったりした。旅行の時はあちらが2人部屋でこちらがシングルだった。
こちらも彼女らしき人物が出来たりしたり、元嫁の話もしたりそれなりにいい関係だったと思う。
ある時、相手が仕事で揉めた。女同士のいざこざに巻き込まれて相当病んでいた。その時は恋人もいなかったから俺が全部話を聞いていた。ルックスとさっぱりした性格と関西出身の話術でファンの多かった彼女は1店舗任されていたけど、実質彼女のファンの集まりの店でほかの女の子たちは稼ぎに繋がらず不満だったらしい。そしてボイコットを受けて店をやめた。
店の寮に入っていたから家もなくなると相談を受け、とりあえず持ってるマンションの一室に住まわせた。何度も礼を言われ困ってる友人を助けるのは普通だとカッコつけたが、娘ならそうすると思ったからしたことだった。
学校へ行くなら費用を出してやるつもりだったし、なんならうちの会社で働かせて仕事を覚えさせて継いでくれてもいいし、どうせ遺産は国に持っていかれるのだから好きにすればいいと真面目に考えていた。
夜の商売をする女には父親がいない場合が多いが、彼女も例に漏れず父親はおらず母とも疎遠で同じように孤独だった。
そうして俺がカードを渡し、それで生活を賄う彼女が料理を持ってきてくれる本人曰く通い妻になってくれた。
2人で食べる手作りの食事が美味しいとか当たり前のことを数十年ぶりに思い出しながら、俺は今後のことを考えた。
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養子縁組をしようと彼女に持ちかけた。養子縁組になれば財産は全て彼女にいくと真面目に考えてのことだった。
すると彼女はそれなら結婚でよくない?とケロッとした顔で言った。その方が手続きも楽じゃん、らしい。でも恋人が欲しくなったらどうする?と聞けば今みたいに穏やかに暮らすのがいい、人生で今が一番幸せだと言う。
1度も手を握りすらしないまま籍を入れた。流石に何もしないのは可哀想だと思ってハリーウィンストンで好きなのを選べと言ったら遠慮して小さな石を選ぶから倍のものを買ってやった。店員の目が生ぬるかった。
未だにスキンシップも頭を撫でるくらいで何もしてない。彼女は元々性欲も少なく子供も苦手らしい。俺もED気味だしそこに問題はなかった。
彼女は最近今まで持ってなかった運転免許を取りに行っている。一発で取れたらポルシェを買ってあげると言ったから頑張ってるらしい。
【追記】
最初は私たち両親にも反省点もはあるけど、こんな風に言わなくてもとか、ブコメにあるように「いくら親でも息子がゲイと気づくのは無理」とか「(成人してるのに)親に甘えてるんだ、八つ当たりだ」と思っているところがありました。
ただ、息子と同じゲイやセクシャルマイノリティの方でしょうか、
「常にマイノリティに配慮されて甘えた環境で生きてきたマジョリティ様」という言葉を見て、異性愛者である前提でコミュニケーションを取る私達両親を、息子がずっと我慢して空気を読んで受け流してきてくれたからこれまで平穏に、皆と一緒のどこにでもある家庭というのをやってこれたのだということを理解しました。
家の中だけでなく、息子は自分をゲイと自覚したときからずっとどこに行っても「ゲイだと知られたら笑われる、嫌われる」と不安と緊張の中で生活してきたこと、本来安心して過ごせるはずの家でもそれが続いていたであろうことを思うと息子の怒りや悲しみは至極当然だな、と腑に落ちた次第です。
わざわざ辛いこと、言いにくいことを高いハードルを越えて言わせないと息子の家での安心感が得られないという状況をつくっていたことは親として落ち度しかないです。しかも日常の私達の態度から、勇気を出してカミングアウトをしても息子が安心して過ごせる環境を得られるかは不透明だったと思います。
よく勇気を出して彼氏の紹介までしてくれたなあと思います、今となっては。
・これまでの言葉や態度でたくさん傷つけたこと、もしかしたらこれからも傷つけてしまうことがあるかもしれないことを謝罪
・親戚の集まりについてはたぶん息子に「彼女は?」とか親族の子どもを抱っこさせては「子どもは良いだろう?」みたいなことを言う親族がいるのでそこが行きたくない原因と思われるので行かなくて良いこと、時間が経って従兄弟たちに会いたいと思ったらいつでも取り計らうことを伝えた
・どんなときでも息子のことは大切に思ってるし、理解したいし、連れてきてくれた彼氏のことももう一人の息子と思って大切にしたいこと
などなどを送った
既読にはなりました。
返事が来るかはわからないけどそれでも定期的に息子へ思いを伝えていきたいと思います。
【追記おわり】
先週息子がゲイだとカミングアウトして彼氏を連れてきて紹介された。
親ばかかもしれないけど息子は割と見た目が良い方だと思ってたし、ほんとは彼女がいるんだろうなとか思ってたから青天の霹靂だった。連れてきた彼氏だという男の子は優しそうな純朴そうな子だった。
相手の男の子が帰ったあと、優しそうな良い子だったねと伝えた。
息子が近いうちに同棲するかもと言うので大人だしあんたの人生だから好きにすれば良いよ、ということを伝えたら、息子に親族の集まりにも二度と顔を出すつもりはないし実家に帰る頻度も減ると一方的に言われた。声を荒げてはいないけど今までの人生で溜め込んだ怒りをぶちまけたような感じだった。
思春期ですらあんなふうに親への怒りをあらわにしない子だったので、驚いた。今もまだ戸惑ってる。
・好きに生きるも何もゲイやマイノリティが好きに生きられないような社会に産み落とされている
・たまたま彼氏ができたから生きてるけど、そうでもなかったらこの世の中で生きていたいなんて思えない
・子どもがゲイとして生まれる可能性を一瞬でも考えたか?今みたいな社会で子どもが差別されながら生きることを一瞬でも考えたか?
というようなことを言われて、正直考えてなかったけどどんな子でも大切に愛していけると思ったから子どもをもうけたという話をした。
息子には、それは親が子どもに愛情を注げるかどうかの話であって、生まれた子どもが現実をどう認識するかは何も考えていない、子どもというモノがほしかっただけだと言われた。
返す言葉が見つからずどうしようかと考えてるうちに息子は帰っていった。(いま息子は一人暮らししてる)
生まれる子どもが病気や障害を持っているかもとかは考えたけど同性愛者の可能性はまったく考えてなかった。病気や障害があったとして、その子が今の社会でどんな辛い目に合うだろうではなく、親として常にサポートしよう、味方でいようとか自分の目線しか考えていなかったのは事実だった。
きっと息子にとって聞くに耐えないような差別的な発言や態度を何度も取ってたんだと思う。
こんな親と社会で今日まで息子が死を選ばなかったことと、素敵な彼氏に巡り会えていることは嬉しいことだと思う。
次息子に会えるのはいつだろう。