はてなキーワード: オーケストラとは
俺のところは九州の地方都市(福岡市じゃないよ)なんだけど、結構クラシック音楽とかのハイカルチャーが盛んな旧城下町なので、全国どこでも同じだというわけじゃないとは思う。
そういえば、俺の入った小学校は普通の公立小学校(市立)なのにオーケストラ部があったよ。入学式でシューベルトの交響曲の出だしのところを演奏してくれたのを覚えている。
やっぱりその辺の話だよな。
それは地域差も時代差もあると思う。最近は以前とくらべるとピアノ人気はだいぶ下がったみたいで、このへんでも散歩しててもピアノを練習している音が聞こえてくることがほとんどない。それと、地域差というのは、たとえばサッカーが盛んな地域もあればそうでない地域もあるでしょ。そういうこと。
俺のところは九州の地方都市(福岡市じゃないよ)なんだけど、結構クラシック音楽とかのハイカルチャーが盛んな旧城下町なので、全国どこでも同じだというわけじゃないとは思う。
そういえば、俺の入った小学校は普通の公立小学校(市立)なのにオーケストラ部があったよ。入学式でシューベルトの交響曲の出だしのところを演奏してくれたのを覚えている。
わい増田の上げてる曲のゲームで育った世代だから良さはとてもよくわかるが、
ニーアやイースやモンハンの曲も単曲ヘビロテするぐらい大好きやで。
理論とか全くわからんが、最近は平均的にいい曲多すぎて名曲との差が少なくなってしまったんやないか。
あのゲームもこのゲームも気軽にオーケストラ!とかなってる時代やし。
今の子供も将来思い出の曲ってのは出来ると思うし、
せいいっぱい楽しんで貰いたいもんやな。
アラフォーだが?
それ真に受けてるやついるのか
ゲーム自体がやればやるほどクソで有害な心理的負荷を与えてくるから、何度も繰り返し聞く比較的無害な音楽の方に好意を寄せてしまうだけ
単純接触効果とストックホルム症候群の合せ技みたいなもんだ
音楽自体はただメロディラインがキャッチーで耳に残りやすいものだから「良い」と思えてしまうだけで
そうやってクソゲー補正で選抜された「良」曲に、例えば何周年記念だかとしてオーケストラ編成にして大々的に演じ上げ語り継いでいくほどの価値のある名楽譜は存在しない
作曲や録音ってのは結局、才能や名声ある作曲家と演奏家に金かけて作らせたもんの方がクオリティ高くなることはどうしようもない事実
同人やギャルゲーみたいな泣きゲーの決定的シーンで使われた曲は素人DTMでもそれなりに印象的に聞こえるみたいな心理的補正もあるし
そういうものと楽曲それ自体の音楽的クオリティというのは切り分けて考えなきゃいけない
良しあしを語るならそれに準じなきゃいけない
昔のゲーム音楽ははじめから終わりまで全部メロディが切れ目なく流れていて、しかもそれが短い間隔でループするから記憶に残りやすかったんだよな
クラシック音楽も古典派音楽の頃は反復記号が頻繁に使われていた
もちろん記憶に定着させるため
今のゲーム音楽はメロディがあってもずっと歌い続けるような作りにはなっていない
セクションの盛り上がりで中断されることが多い
ずっと同じパートが同じメロディを鳴らし続けるのではなく、複数の楽器が交代しながら、あるいは同時に演奏することで奥行きのあるゲーム音楽になっている従来より(比較的)ポリフォニックになったということだ
もちろん今のゲーム音楽の方が作りとしては良くできているが、ハンバーガーみたいな分かりやすい味付けではない
かつてのゲーム音楽の性質を知っているすぎやまこういちは、それを逆手に取るようにオーケストラで演奏させたんだな
このギャップはハードが進化するにつれて埋まっていき、ついにはストリーミングでオーケストラを鳴らし続けるようになってしまった
中国笙とオーケストラのための《Pink Elephant in Prentis》w/ score
https://www.youtube.com/watch?v=8iRGrZTa6Jo
"Pink Elephant in Prentis" for alto sheng and orchestra
Commissioned and premiered by Shanghai Philharmonic Orchestra (cond. Zhang Liang)
Prentis Hall is a building in New York City, where I spent a year (2015-2016) living in a sleeping bag and taking showers in the toilet. Prentis was built in 1909 and was initially designed as a pasteurization facility and milk bottling plant, then later used as a Heat Transfer Research Facility, conducting nuclear research and experiments, during the Manhattan Project. Columbia University acquired the building in 1949, and the building has housed Columbia’s Computer Music Center (then Columbia-Princeton Electronic Music Center) from the 1950s onwards. During my time there at the Computer Music Center, I have spent my days and nights exploring stimulating sounds using both analog and digital synthesizers, tape recorders, CTR monitors, and other equipments unfamiliar to me back then. Aside from the Computer Music Center, the building also housed studios for visual artists, and so I was able to meet many eccentric artists, where we ended up having long conversations every night on both significant and insignificant issues surrounding us.
Located on 125th Street in Manhattan, the “residents” of Prentis Hall were constantly harassed by the rumblings of the New York City Subway (which runs aboveground for 125th Street Station), the traffic from the highway nearby, the bustling of the streets of New York, and the construction noises from the nearby building sites. At nights, the screeching noises from the metal shop and the wood shop constantly rang throughout the building. At one point in time, the noise inspired me to imagine a gigantic pink elephant running through the narrow corridors of Prentis. The head and front half of the body was seemingly a normal elephant found in the wild. However, as I scanned my eyes further back, the body of the animal seemed to become more and more pixelated, and small 3D blocks were clearly visible on its back and hind legs, as if molded by an amateur creator in a Minecraft game. As the elephant advanced, some blocks fell onto the floor like water droplets falling from an animal soaked in water. I rubbed my eyes and shook my head, certain that I have entered a dream at some point during the night. The pink elephant walked past me and wandered into one of the many rooms the building offered. I timidly peeked into the room where the pink elephant disappeared into. The pink elephant seemed to have collapsed on the floor, its body, both the organic front and the pixelated back, expanding and shrinking as it sluggishly inhaled and exhaled oxygen.
After hours of staring at the pink elephant, I jumped back at a sudden startling noise from behind, which woke the pink elephant from its deep slumber. Furious, the pink elephant stood on its two pixelated hind legs, and stomped out into the corridors again, this time shaking off more 3D blocks from its back than when it first arrived. The organic front seemed to start to bloat up like a balloon for reasons unknown to me, and the pixelated back grew smaller and smaller due to its parts crumbling down on the floor. In a blink of an eye, the inflated front side split from its pixelated rear, then with a deafening pop, exploded into thin air like a burst balloon. What was left were the pink 3D blocks of all sizes, scattered around on the corridors of Prentis Hall.
Chatori Shimizu: https://www.chatorishimizu.com/
Shanghai Philharmonic Orchestra: http://www.shphilharmonic.com/
この文章は、タイトル通りの内容を書いてあるので、プロセカ大好きキッズは回れ右して「見なかったことにしておく」のを強くお勧めする。
一部の箇所でプロセカなどをボロクソに書いてあるので、大人でも精神が不安定な人も同様。
また、俺が10年以上住んでいる初音ミク界隈に対して警鐘を鳴らす意図で書いてあるので、多少の偏見と過激な論述も含んていることを予め承知されたし。
初音ミクが発売された2007年から、だいたい2015年あたりまでは、初音ミク界隈はとてもとても立派なものだった。
「オタクへの偏見の目」というハンデを克服し、ボーカロイド文化という礎を築いたからである。
初音ミク公式は、某巨大広告代理店とドンパチやって辛勝したり、ピアプロ・キャラクター・ライセンス関連の規定を作って「初音ミクにまつわる同人活動の模範解答」を示したりしていた。
こうして理想的なヒーローとなった公式の下で、古くからのミクファン(ミク廃)どもは、作曲したり、絵を描いたり、DIVA(リズムゲー)したりなどして、比較的平和で自由に過ごしていた。
プロジェクトセカイというスマホゲーがある。初音ミク公式のオリジナルキャラクターは6人だが、このゲームでは、追加のキャラクターが24人ぐらいいる。
それだけ多くの別キャラクターがプロセカ初期からいる訳だから、「リズムゲー」なんてのは隠れ蓑に過ぎない。
リズムゲーだったら、そんなに多くのキャラクターは不要だからだ。
「ガチャが付いた紙芝居に初音ミクらがMCしたり友情出演したりしているタイプのソシャゲ」と言った方が本質を突いている。
この、あまりにもライトなソシャゲは、初音ミク界隈だけでなく、その他他界隈のオタクや子どもの注目を浴び、2020年以降、本格的に流行り出してきた。
この勢いを借りてプロセカ民を初音ミク界隈へ流入しようと初音ミク公式は奮闘している。
そして、この努力が実りつつあるのか、初音ミク界隈にプロセカ民が大量に移住してきた。
実際、初音ミク界隈のリアルのイベントには、「痛バ」を持ったファンが近年数多く目撃されている。
「痛バ」は、初音ミク界隈の発祥ではないので、彼(女)らはプロセカ民だろうという推測ができるのである。
プロセカの公式YouTubeライブをしているときをはじめ、何らかの公式発表がなされる度に、Xでは関連ワードがトレンド入りしている。
さて、同人文化の延長線だった初音ミク界隈に、ソシャゲ社会で暮らしてきた移民と共存できるのかまで、初音ミク公式は計算に入れているのだろうか?
プロセカ的価値観とは、一言で雑に言えば「利己主義」であるが、具体的に言えば次の3点である。
プロセカでは天井までガチャれば欲しい物がとれるから、その原資であるカネはなんぼあっても良いし、ガチャ回数は多いのが至高。
缶バッジのガチャを回しまくったり、メルカリで多少高くてもポチったりしてゲットした缶バッジで揃えた痛バは、努力の結晶。
プロセカ運営の意に沿わないアカウントはBANされるから運営には無抵抗でいなければならない。リークなんてもってのほか、プロセカ民主主義人民共和国総書記の慈悲と指導なくしては生きていけない。
同人グッズなんて作ったらダメだと思い込んでいるか、そもそも作る発想すらない。(前述のとおり、一定の基準を満たせば同人グッズは作ってもよい。)
不快に感じたら即Xでお気持ち表明。論理的に記載しているはずもなく、自分の気持ちをあてもなく書き連ねており、文字通りの怪文書である。自責なんてしない。
傷をなめてもらえらば、それで良い。フォロワーが増えたら万々歳。最初から「自衛しよう」という発想もなければメタ認知も無いため、怪文書を出した後のことは考えられていない。
ここまで読んでいている人の中には、おそらく居ないとは思うが、念のため書いておく。この日記に対するお気持ち表明文は、この項目に対する論拠になるかもよ。気を付けてね☆
初音ミク界隈は汚染されスラム化しつつある。かつての高尚な文化は過去のものになりそうだ。
プロセカ的価値観をもったプロセカ民が大量に流入したためなのか?それとも、プロセカ的価値観を持った一部のプロセカ民に、初音ミク界隈全体で公式諸共「まえならえ」をしたためなのか?
どちらがより真実に近いかは全く分からない。しかし、この価値観を持った人がXのインプレゾンビ並みに多くなったのは事実である。いや、Xのインプレゾンビの方がまだカワイイかもしれない。
公式の努力の甲斐もあり、ファンの数はうなぎ登りだろう。しかし、その大半は、初音ミクを「ナウでイケてるファッション」として消費しているだけである。そこに愛はあるんか?
公式だって、歌舞伎やオーケストラ、現代アートなどのコラボレーションを進めて、「高尚な文化」アピールを頑張っているが、アピールだけではそんな価値観から変貌するはずもない。
初音ミクらの公式イベントは、こういった傾向を可視化している。
参加者側でも枚挙にいとまがないが、公式(主催者)側もグダグダしている。たぶん来場者数と売り上げしか見ていない。本当の愛はあるんか?
公式のイベントでさえ、かのようなものである。況や「同人によるイベント」をや。
ファンによるイベントも黎明期から活発行われているが、近年多くやらかしている。
ある複数の団体は前述の規定を盛大に違反した開催資金集めをしたり、別の団体では著作権ガン無視のファンメイドライブを開催したりしている。
同人グッズも「金儲けの手段」になり果てたのか、公式がOK出せる「原価」程度の価格から大きく上振れた値段を付けて開き直る針金まで昨年出てきた。
ここまで、カオスな無法地帯と化してしまった初音ミク界隈に未来はやってくるのだろうか?少なくとも同人文化が華やいでいた頃の初音ミク界隈にはもう戻れないだろう。
日本を代表する世界的指揮者の小澤征爾さんが死去された。ご冥福をお祈りしたい。
だがよく分からないのは、なぜ小澤征爾が世界的に評価されたのか?である。
長年にわたってアメリカの名門オーケストラであるボストン交響楽団のシェフを務め、後に世界三大歌劇場の一つであるヴィーン国立歌劇場の音楽監督に任命されたのだから、欧米で高く評価されていたのは事実だ。
だが小澤征爾の演奏を聴いてもそこには指揮技術の巧みさは感じるが、音楽表現に個性が感じられないのである。音色的に白色に近い透明で、蒸留水のような無味無臭な感じがする。
例えば、クラシック音楽のオーケストラのメイン・レパートリーはまず第一にモーツァルト・ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーといったドイツ・オーストリアの交響曲であり、そこにやや邪道のマーラー(オーストリア)とRシュトラウス(ドイツ)が加わり、その周辺にチャイコフスキー・ムソルグスキー・プロコフィエフ・ショスタコーヴィチなどロシア・ソ連音楽、スメタナ・ドヴォジャークといったチェコ東欧音楽、グリーグ、シベリウスなど北欧音楽、ドビュッシー、ラヴェルなどフランス近代音楽で構成されている。
で、その最もメインのモーツァルト・ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの交響曲を聴くとき、その素晴らしさを味わうならばワルター、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、アッバード、ラトルといった指揮者で聴くのが普通だ。日本人指揮者で聴くなら、朝比奈隆や小林研一郎を聴くというのも分かる。
ベートーヴェンやブラームスの交響曲のような最も王道の曲目で、あえて小澤征爾の指揮した音源を聴くという人は、どこがどう良いのかを自分の言葉で説明して欲しい。
「ボストン交響楽団やヴィーン国立歌劇場のシェフに任命されたんだから欧米では高く評価されているんだよ。だから素晴らしいのは間違いない」みたいなのは一切禁止な。それは自分の耳で素晴らしさを認識したんじゃなくて権威の意をかる狐だから。