はてなキーワード: オプティミストとは
短歌の名歌が知りたいを見て、ふと今読んでいるエッセイが穂村弘だったことを思い出した。
もうすぐ読み終わるから次に読むエッセイを探してるので、もし良かったらみんなの好きなエッセイを教えてほしい。
仕事帰りに、ちょっと疲れててもさらさら読めるような、そこまで分厚くない文庫本が嬉しいな。
過去に読んで特に好きだったのは小川洋子「カラーひよことコーヒー豆」、キリンジ兄弟の2冊「あの世で罰を受けるほど」「自棄っぱちオプティミスト」、谷崎潤一郎「陰翳礼讃」、星野道夫「旅をする木」です。
id:sonzinc さん ←ごめんなさい。書き方分からずここで返信しました。
具体的にタイトルも教えてくださりありがとうございます。父の詫び状あたりからチェックしてみようかと思います〜
オプティミストみたいでほんわかするよねー
この匿名ダイアリーは、ある二人のすれ違いを片方の視点から書いた非常に不平等なものだということを前提に置いてほしい。
私は同人作家で、文章を書いている。今回話題に出す友達も同人作家で、そっちは漫画を描く人だ。
数えるのも億劫なので適当に記すが、数年の仲になる。結構長い方だ。
2ジャンルほど一緒にいて、互いの感想を言いあったり、合宿をしたり、楽しい日々を過ごしていた。
ある時、彼女は別のジャンルに行った。我々が今までいたジャンルはマイナーで、あちらはドがつくほどのメジャー。人口は勿論、優秀な人材の数だって違う。
その中で、彼女は大きく変わった。
階段飛ばしと言いたくなるほどの勢いで、どんどんうまくなっていった。
彼女の処女作と最新作を並べると、ストーリー、人物、背景諸々が別人では?と思うほどだ。
私は寂しかったし、どんどん飛翔していく彼女に対して素直に祝福できなかったけれども、表向きは称賛を惜しまなかったし、陰で努力を始めた。
変わったのはもう一つ。当然だが、目が肥えた。
合宿をしたときに、彼女がぽつりと言った。「A×Bのカップリング小説で、上手なものを読みたい」と。
そのカップリングは私との共通のもので、「じゃあ私が何か書くよ」と言いたかったけれども、日和見をして「●●さん(同じCPの人)なら書いてくれるよ」と答えた。
そうしたら、彼女は「美味いA×Bの小説が読みたい」と言った。それで話は終わった。
「私が書く」と言えばきっと彼女は「書いて」と言ってくれるだろう。だが、私が黙ればそれきりだったことを考えると、私は「下手なA×B書き」だったのだろう。
そのジャンルでの他の彼女は、あまり思い出したくないことが多い。
私の住む都市でのイベントがあった時、彼女は私の家に泊まって、私を置いてジャンルの人達と遊びに行ってしまった。持って帰ってきたのは食べかけのお菓子。まあ、ゴミだ。
遊ぼうと思ってどこに行こうかとか考えていたけれども、どうやらうちはホテルだったらしい。
逆に、彼女の忌避するジャンルに私が参入して、電話で何度もやめておけと言われたこともある。モラル的な意味では彼女は間違っていないことだけは、明記しておく。
他にもたくさんの嫌なことがあった。良かったことなんて数えるほどだろう。
正直なところ、このジャンルはキャラクター以外はあまりよいものではない。
彼女は人であり、不満をぶちまけるためのバケツでないとわかっているのに。
それでも彼女は話につきあってくれて、カップリングの話になった。
彼女は考察が好きで、その末でのγ×βが好きなのは否定しない。
そして、α×βが成立する理由を何度も何度も聞いてきた。
私はフィーリングでカップリングを決めるから、その辺りの相性は悪いのだろう。
だんだんつらくなってきて、責めるのはやめろ、人のカップリングを否定するな、議論は時間の無駄だ、などと言ったと思う。よく覚えていない。
彼女は議論なんてするつもりはなかった、といって、しばらく連絡を絶った。
しばらくかっかしていた私も、段々寂しくなって、何が問題だったかわからないままに、なんとなく謝罪した。
そこで今に至る。
今、私たちは時折戯れる程度の連絡を取るだけだ。
互いに互いを傷つけあって、何が友と言うのだろう。
これ以上何かが起こる前に、相手と縁を切るべきか。
何があってもあの子が大好きという、究極のおばかだ。
はずかしい追記
自分は男性だが、過去に付き合ってきた女性の事を「現実を全く知らない人だな」と思うこともあれば、「冷淡なリアリストだな」とほぼ半々で思っている。
最近は、性差関係なく、それまでの人生での幸せの量、愛され具合などで変わるのではないかと思っている。
概して愛されて育ってきた人、チヤホヤされてきた人はオプティミスティックであり、その反対はダークサイドを否応なくみているので冷淡なリアリストの傾向があると思う。
自分はどうかというと、正直半々でリアリスティックな部分と、前広に考える傾向も大体、半々で状況によりけりで、付き合ってきた相手からも、その見方でどっちにも指摘される。
どちらと付き合うほうがいいのかというと、これまた難しいというのが本音。
リアリストの方が現実的だが、正直付き合っていて、話をしていても「つまらない」の一言に尽きる。何のために人生を生きるのか分からないのだ。
例えば子供がほしいというと、収入が…とか、うちの両親多分介護出そうとか、そういう話に終始しがちである。
一方でオプティミストは楽しいが、「それでいいの?」と思うことも多く、晴の日に傘を準備する発想がないので、それはそれで結婚考えると負担が大きい。何しろ人生、何もせずとも楽して生きてきているもんだから、彼らは。
はて。どうさ。
オプティミストは悩まない。軽いんだ。
Oh!!
なんてこったい。その視点を忘れていました。
色々と回り道をした人の方が人生の面積が広くなる、というのは私の持論だったのに、なぜそれを忘れていたのかw
恐怖心や不安感などによって辛い日常を生きている私だからこそ、オプティミストの充実した人生を素晴らしいものだと認識できたのかもしれない。
確かに、苦しんで苦しみ抜いて、そのあとに何かを悟った人の凄みというのはありますね。
そういう人にも合いましたし、感銘を受けたのだった。
その人はSNSなどをやってないので、今その人が何をやってるかもわからないし、携帯も持ってなかったので連絡先も知らないのが残念。
ただ、やはり私としては、そんな苦しみは体験せずに、楽しく暮らしながら、余裕をもって何かを成し遂げたい。
苦しみぬいて壊れてしまった人の方をより多く見てきたのもありますし、私も壊れた側の人間だから、よりそう思う。
それと「そんな状態がデフォルトになるのは恐ろしい」との事ですが、その「恐ろしい」という感覚が減るので、不快な不安感はなくなり、すごく快適に暮らせます。
実際、俺にも君がオプティミストと呼ぶタイプの友人がいる。5,6年付き合って確かに楽しかったけど、ずっと違和感があった。
それは何なのかなと思ったけど、彼らはたぶん、そういった恐怖に類する感情に欠損があるんだ。
自分の中のネガティブな部分とがっぷり四つに組んだことがないから、圧倒はされても、素朴な敬意は抱けない。
ぐちゃぐちゃ悩む人は、歪みであったり厚みであったりの、何かしらを精神に築けるんだけど
オプティミストは悩まない。軽いんだ。
他人に対する恐怖心に欠けるのは、危機感に欠ける。そんな状態がデフォルトになってしまうのは恐ろしい。
それこそ堀江を見れば分かるだろう。
あいつは本当のところでは、何であそこまで嫌われ、あの程度のことで実刑を食らって刑務所暮らしをすることになったのか、たぶん理解できてない。
あー、なるほど。確かにそういう側面はありますね。
私も、オプティミスト以外の人との人間関係は一部だけど、かなり悪化しました。
でも、堀江さんが逮捕された件は、ちょっと極端過ぎる例の気もします。
それと「そんな状態がデフォルトになるのは恐ろしい」との事ですが、その「恐ろしい」という感覚が減るので、不快な不安感はなくなり、すごく快適に暮らせます。
私が例に出した人選がそもそも悪かったとは思うけど、あんまり有名じゃない人の実名を書いても、わかる人は少ないし、そもそもここで書いてはいけないと思う。
でも、堀江さん達も、あまり有名じゃない人も、当時知り合った人はみんな人生を楽しく謳歌していて、それを羨ましいと思う私の感覚はそこまで変ではないと思う。
たぶん人類の長い歴史の中では、他者は本質的に危険な存在である期間が長く、警戒心がある人間が生き残ったのだと思う。
現代でも、危険な地域は多いし、先進国でも驚くようなおぞましい事が裏で実行されていたりもする。
しかし、それを踏まえても、この恐怖心は現代の特に日本ではデメリットの方が圧倒的に大きいと思う。
そもそも知能があるので、恐怖心なんか無くても、危険な人には近づかないようにはする。
あれもこれも(やりたいのに)出来ない、つまらない人生を送る人は確かにオプティミストに比べて危険な目に合うリスクは少ない。
でも、オプティミストは恐怖心があまり無いので、実際に怖い場面に出会っても、嫌だなと感じることは少なく、冷静に頭を使って行動でなんとか危険を回避したりもできる。
それに危険な目に合ったことなんて、あれだけ活動していても一度も無かったので、人生の楽しさという意味では、圧倒的にオプティミストの方が上だというのは断言できる。
ただ、あの楽しさは体験しないとわからないし、普通の人は体験する事がほとんど無いので、よほど想像力を働かせないと私の言っていることが理解できないのもわかる。
他人に対して気をもんだり、気にしすぎて喋れなかったりするのは、根本的には他人に対する恐怖心からだ。
人によって子供あるいはペットなどに対して気楽でいられるのは、敵になり得ないと判断するからだ。
これは単純に他人を舐めているのかもしれないし、人間関係に恐怖を感じる心そのものがないのかもしれない。
他人に対する恐怖心に欠けるのは、危機感に欠ける。そんな状態がデフォルトになってしまうのは恐ろしい。
それこそ堀江を見れば分かるだろう。
あいつは本当のところでは、何であそこまで嫌われ、あの程度のことで実刑を食らって刑務所暮らしをすることになったのか、たぶん理解できてない。
SNSで知らない人が何か面白そうなイベントをやると告知したら、すぐに参加したりしていた。
それで悟ったことがある。
人生を本当に楽しめているのは、一部の人間だけだということに。
もちろん大多数の人もそれなりには人生を楽しめるのだが、
ある種の人の楽しみ方は、それ以外の人とは全く次元が違う。
彼らをオプティミスト(楽観主義者)と言えば、イメージに近いが、
それとも少し違う気がする。
「気まずいなぁ」とか「どう思われてるだろう」とか「何を話せば良いんだろう」などと気をもんだりしない。
普通の人は気まずい場などに居ると偽物の笑顔の下で冷や汗タラタラ胃はキリキリという事が結構あるが、
オプティミストは、どんな現場でもあまり気まずさや居たたまれなさを感じない。
普通の人は何か楽しそうな事を思いついても、関係者がどう思うかを心配して、実行しなかったりする。
すぐに不動産屋に電話して、賃料などを確認し、立地などからできそうな事を想像し、
その場でスマートフォンで関係するキーワードでSNSを検索して、初対面の人に連絡を取り、
などという事が、何の心理的抵抗もなく行える。「自分は素人だから。。。」などというマイナス思考は一切ない。
別に本気で起業しようと思ってるのではなく、単に面白いから、という理由だけで実行できてしまう。
だから街をダラダラ歩くだけでも、誰か知らない人と話をするだけでもワクワクしっぱなしなのだ。
普通の人では上記のことは、よほどアイデアに自信があったり、何か逼迫した事情がないと実行できないだろう。
見ず知らずなのに、いきなり「飲みませんか?」などと誘ってくる人に乗っかる人はたいてい
オプティミストのケがあるので、そういう人で集まって飲むと、すぐに具体的な話がどんどん進んで行く。
その過程で、情報収集の為に一緒に旅行に行ったり、イベントに参加したりする中でフィルタリングされ、
なぜなら「最初のアイデアにたまたますごく興味があって参加した普通の人」は、
話し合いの中で出てくる、ほとんど本筋と関係ないようなイベントには参加しないからだ。
オプティミストは目的が違う。成功することが目的ではなく、その過程を楽しむことが目的なのだ。
だからわざとそういう人だけが残るように最初の呼びかけと関係ないイベントを発案して実行したりしていた。
単なる好奇心でそうしていた。
私はその途中で躁状態が解除され、普通の人に戻ってしまったので、
(彼らには思考や文体からすぐにバレるだろう。突然連絡取れなくなった奴が私です。当時は失礼しました)
私だけが何もできない泥沼のような中を無為にダラダラと過ごしている。
当時の連絡先を使えば、容易に成功が手に入ることはわかっているが、
恐ろしくて実行できない。
当時の知り合いから連絡が来ることもあるが、
すぐに色んなことに誘われて面倒だからだ。
今では、ただただ、ひっそりと無難に生きて行きたい。
でもたまに当時のことを思い出して、みんなが羨ましくなる。
あ、素人童貞だった自分がやっとの事でゲットしたモデルの彼女には、すぐに振られました。
8/9 1:50 追記
ホッテントリ入りしてるのに気が付いたので、多勢に変に誤解されないように追記。
「リバウンドで躁病になった」というのは確かにおかしいかも。医者にも「躁転してますね」って言われたんだった。
当時は「これは躁じゃないよ。本来の自分だよ」と思って気にもしてなかった。病院にもすぐに行かなくなったので、ちゃんとした病名は不明。
躁鬱の人がこんな文章を書けないってのは、どういう意味かよくわからないけど、今はうつ病ではないです。普通の状態です。
即行動でウェーイの人が孤独ってのは、意味がよくわからない。私の知人は、心の中まではわからないけど、心底人生を楽しんでいるようにしか見えない。
あと私自身がウェーイ系の人と相性が良くないので、あまりウェーイな人とつるんでる認識は無い。ウェーイの人の事はよくわからない。
ハイテンションというのも、ちょっと違う。大声を出したり騒いだりは、みんなしなかった。「カンパーイ!!!」とかほとんど無かった。
ただ「これどうですかね?」「へー、面白いね。やってみよう」みたいな方向でノリノリではあったけど。
一部シェアハウスに出入りしてた時期に「あー、これがウェーイ系かー」と感じたことはある。そういう人は確かに空虚な感じがした。話もあまり面白くなかった。うるさいだけ。
急に性格変わったって人はひとりだけ知ってる。大学生のころに何かを悟ったらしいけど、その後も彼女はその性格を10年以上維持してるので躁病では無さそう。謎。
でも、そんな人はひとりしか知らない。たぶん1000人以上に会ってるし、けっこう深い話(好きなんです、そういうのが)をしたが、自己啓発みたいなので性格が変わったって人はひとりも会った事ない。無理してるなーって人には結構会ったけど。
失敗してる人も多そうって言うけど、オプティミストから深刻な失敗の話は聞いた記憶がない。借金して大変って話は噂も聞いた事がない。軽い失敗は、楽しいからぜんぜん問題なしって感じだし。そういう小さい失敗なら、成功の数十倍はある感じ。
逆に普通の性格だけど、頭が良かったり、少し意識が高くて行動力がある程度の人は、深刻な失敗をしてる人が多かった印象。
あと、オプティミストの人に共通するのが、すごく自然体なこと。変にテンションを上げたり緊張したり力が入ったり、他人を攻撃したりする人はほとんど居なかった。
例えば堀江さんとかひろゆきさんがテレビとかで他人を攻撃してるのを見るとわかるけど、あまり怒ってないんだよね。
不快感は示すけど、根に持たないし、すごく付き合いやすい。躁状態の自分はけっこう失礼なことを言ったりやったりするけど、
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090423AT2C2300G23042009.html
みずほが超下方修正出しましたよ。楽観論者の皆さん。
http://anond.hatelabo.jp/20081229001913
↑の記事のタイトルに釣られてガッカリした人へ送る。
【この記事に関する注意】
・長いよ。縦に。
・複数の項目に該当する場合の対処方法は各自で考えろ
・たまに性格に関すること以外に言及している時もあるさ
・女
・まさにlunatic
・ねちっこい
・罵倒大好き
【雲・海】
・でも男
・あまりはてな村周辺をうろつかない
【sky】
・SF好き
【wind】
・ガキ
【地名・何かのキャラクター由来】
・空気
【食べ物】
・20歳以上のオタ女
【色系】
・自虐癖
・本性はナルシスト
・ライトな文体
・サブカる
【10文字以上(複数の単語の組み合わせ)】
・自己主張が強すぎる
・「自分らしさ」に拘る
・時事大好き
・はてな村大好き
・タグを使う人はやたらユニークなタグを多用。タグを使わない人は一コメの分量が多い。密度も濃い。しかし、わかりにくい。
―単語間の区切りナシ
(そもそも誰かのサブアカであることを疑った方がよい)
・自己主張が強い
・ねちっこい
・口が悪い
・飽きっぽい
・ウケを狙いたがる
・「文章が上手い」ということになっている
・比較的内容の薄い(つっこまれにくい)コメントに終始する
【顔文字系】
・ほとばしるほど末端消費型オタク
・vipあたりから流れてきた若年層
・他人に対して淡白
・あまり知識をひけらすことを好まない
・カッコつけたがり
・打たれ弱い
・夢想家
・枯れたナルシスト
・文系合理主義
・吝嗇
・目がギラギラしてて怖い
・偏狂質
・コメントしても20文字以内に収まることが多い
【四文字以上の単語の繰り返し】
・地味 or ゴーイングマイウェイの両極端
【IT関連用語】
・お前がパソコン通信について詳しいのはよぅくわかったから
【見慣れない単語(本人にとっては何かしらの意味がある)で三-五文字】
・ゆえに文学に対してやたら凝る傾向がある
【ニックネームっぽい】
・リア充
・オフ充
・精神的にタフ
・ダイアリに重心を置いている人が多い
【和風】
・似非メンヘラ
・左翼
【苗字のみ】
(当たり前だが実際の苗字とは異なる場合が多い)
・人文系
・の皮を被ったオタク
・ドライ
【フルネーム】
・そりゃ、お前がマイコンについて詳しいのは当然だと思うけどさ
・経済にも強いよ!
・新書通
・自分に自信を持っている方なので割とタフ
・マッチョすぎて傲慢だと思われがち
【-chan、-san、-kun、-tan、-yan】
・バラエティー富んだぶち壊れ方をしている
・皮肉っぽい(つもり)
【子音】
(まず誰かのサブアカであることを疑った方が良い)
・いわゆるギーク
・モヒカンの気がある
・とりあえずはてな村の話題には食いつきます
【頭にy_(y-)】
・紛らわしい
【y_arim】
・y_arim
【しっぽに_y】
・しっぽ
【イニシャル+名前】
・がんばれ
・有象無象
【2文字目以降に大文字が混ざる】
・コメントで他者と違いを出したがる
【尻に数字】
―数字が一桁、または西暦(1980〓)
・ドライ
・飽きっぽい
・諦めが早い
・コメントは(褒貶どちらの場合でも)素直かつ淡白な感想を吐くのみに徹する
―西暦(1960,70台)
・しつこい
・とにかくしつこい
・キレやすく、安っぽい挑発にも簡単に乗る
―上記以外
・高ニ病
―I11
・説明不要
【http://anond.hatelabo.jp/20081230001941】
・超期待してる。
梅田氏は今日本社会の中にいないから、そういうネガティブな文脈から解放されてて、
そのフラットな目線であの文章を書いたんだと思う。
で、反発多くて”なんで?そんなこと言ってないじゃん?”と不思議がってる感じがする。
大体同感なんだけども、梅田先生のこのスットボケた感じは単にアメリカンなんだと思う。
日本云々以前に、ある種憎まれても当然の"オプティミズム"だし。
まー911とか。コレ出すのはちょっと卑怯だけども。
ちょっと前に本人が"オプティミストとお気楽は全然違う"と主張していたけれども、
端からみると案外その区別って無かったりするんだよねーとか個人的には思う。