はてなキーワード: オタッキーとは
いやそりゃそうでしょっていう
その欲求に即したコンテンツの普及、又は萎縮の阻害を目指しているわけで
それ以外の表現の自由への活動とか普通にしませんけども 何か?
これ言うと 「何が表現の自由戦士だよ」とか言いだしそうだけど
そもそもこの呼称って揶揄された結果 勝手に付けられた蔑称なんだから
なんか勝手に「表現の自由を守ろうとしているオタク達」みたいな感じにされてるけど
「表現の自由の名の下 オタク絵を街から消さないでくれ」っていう狭い範囲をワンセンテンスの思想として持ってるオタクも当然大量にいるわけで
彼らと「広く表現の自由を守ろうとするオタッキーな人」を混ぜて「表現の自由戦士」と揶揄した結果
オタク絵を守りたいだけのオタクまで他の表現の自由問題へ首を突っ込むよう謎の要求をされてしまっているのが現状なワケよ
そうなると今度は「表現の自由を理由にオタク絵を守ろうとするなら他の表自問題にも行動を起こすべき」って意見が来そうだけど
前にブラック・ライブズ・マターってあったじゃん
アレは黒人が警官に殺されてから波及した人種差別の撤廃を求めた運動だけど
極一部のアジア人は「黒人もアジア人差別するじゃん」とか言いつつデモを冷笑し
極一部の白人は「黒人だけじゃなくて全員が平等になるべきなんだからオール・ライブズ・マターだろ」とか言い出す始末だった
結局これらの意見は「今黒人が声を上げているトコロでしょうが!論点をブラして活動を妨害するな!」っていう反論で封殺されレイシスト扱いされるオチへ至った訳だが(まぁ大分雑な説明だが)
これってオタクコミュニティに属してオタク絵を守ろうとしてるだけの人間に他の表自問題へ首をツッコませようとしている奴等と同じなんだよね
これで何の問題もない
それでも「表現の自由戦士にはあいちトリエンナーレ問題を始め表現の自由についてダブスタなオタクが沢山いる」って言ってくる奴等はいると思うよ?
実際そうだろうけど そうじゃないオタクも沢山いるよねって話
これが鉄オタとかアイドルオタとかなら「自浄作用持てよ」って話になるけど
自然発生した物好きの集団と違って「表現の自由戦士」は揶揄前提の呼称だからね
「何で敵勢力に勝手にカテゴライズされてレッテル貼りされて自浄作用求められるんだよ応じるわけねぇだろバーカ」としか言い様がない
ツイッターとかで大暴れしてる論客を煽る目的なら全然いいんだけど
普通にオタ活してるだけの奴等巻き込んで
とか聞いても いや知らねぇよ!ってなる人とならない人がいるクソ質問になっちゃってる
別にいいじゃないですか
私はアニメが好きでオタク絵が公共に溢れれば楽しいと思ってるだけなんですよ
「妄想世界」と「現実世界」を天秤にかけたとき「妄想世界」を選ぶ
のがオタクであった。
言い換えるなら
という条件でこれを定義することができる。
※現代で言うなら「公式が解釈違い」などと言い出すのが本来のオタクだ。
「オタクと誤解される人」
が現れ始めた。
仮にオタクモドキとしよう。
オタクの見た目というのは「現実世界への関心が希薄」という要素が表出したものであって本質的なものではない。
逆に見た目は家庭の経済事情などにも影響されるためオタク的見た目を持つものが必ずしもオタクではない。
だろう。
(その他、服装や化粧、友好関係(友達がいない、人の名前を覚えることができない、など)にもこの法則は当てはまる)
オタクモドキは
「オタクとみなされる」のはノーサンキューだが「オタクに恨まれる」のも怖かった。
当時、オタクは犯罪者予備軍と見做されており「怒らせれば何をするかわからない」という共通認識があった。
そこで
とオタクを持ち上げつつ自己がオタクであることは否定する戦略を取った。
こうした活動の成果として「オタク=ステータス」と見なす層が現れ始めた。
それが後のニワカオタクやイキリオタクに繋がるが、そこから先の歴史は現代人には敢えて言うまでもないだろう。
「オタクにさえなればアイデンティティが得られる」と誤解し暴走したオタクがネットや現実をお騒がせする。
(本来のオタクは良くも悪くも「現実世界への関心が希薄」であったがゆえに能動的に現実世界へ介入しようとはしなかった)
こうしてオタク文化は緩やかに自滅の道を辿っていくのは自明であるとして過言ではない。
こうした時系列を踏まえて上で言おう。
(さらに言えばクリエイターにもオタクではない人々が含まれる)
そうした線をふまえず理想と現実の相克を目指す人々(プロフェッショナル)をカジュアルに「オタク的」だなどと評価することは侮辱的ですらある。