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はてなキーワード: エアコンとは

2024-05-15

anond:20240507124147

あの時代の空気がいやだ。やっぱり。

とりあえず交通雰囲気だけ。

そこらじゅう道端吸い殻だらけでタバコ臭かった。

駅のトイレはあらゆる汚い匂いが混ざって吐きそうな匂い

切羽詰まっていても、トイレ入り口ティッシュ自販機50円で買わないといけなかった。

トイレ落書き個人情報にあふれ、描き殴りの絵は肉欲や憎しみ世の中への怨念に満ちていた。

洋式便座は主流ではなかった。

都心へ向かう列車ラッシュ殺人的で窓ガラスはよく割れたし、乗れないし降りれないし、学生が圧死したこともあった。

時刻表は駅の通勤区間部分だけ持っていた。定期券入れ用のポケットサイズになっているものが駅に置いてあった。

乗り換えの大きな駅でもないかぎり、エスカレーターエレベータもないので急いでいるときの駆け上がりがきつかった。

改札前には黒板かホワイトボードがあって、待ち合わせなどに利用していたが、全然関係ない鬱になってそうなことを書いている奴もいた。

夜行列車特急列車、すべて喫煙車がスタンダード

自家用車は2ドアのセダンが多かった。なんであんなに乗りにくい車が主流だったのかわからない。

パワステなんてなかったかハンドルが超絶重かった。

カーオーディオはせいぜいラジオくらいだったので、後部座席ラジカセを乗せていた。そして誰の車に乗ってもタバコ臭がきつかった。

エアコン搭載していない車もありふれていた。ちなみに列車車両扇風機が多かった。

ナビはないので道路地図の予習が欠かせなかった。ETCもない。車には小銭ホルダーが必須アイテムだった。

交通事故が多発していて、毎年のように今の6倍くらい死者がでていた(1万5千人オーダー)。

86年以前は原付ノーヘルだった。加速が売りの2ストのバイク若者に人気だった。そりゃ死ぬよな。

2ストといえば暴走族。夜中の睡眠が奪われた。

排ガスがひどく、日中でも薄く煙っていることもあった。喘息社会問題だった。

そこへいくと、今はほんと空気がすがすがしいよ。

排ガスがひどい2ストは廃れ、去勢され安全乗り物になった。そして暴走族はカッコの悪い存在になった。

あれほど大手を振って歩いていた喫煙者をここまで社会崖っぷちまで追い詰めることができるなんて夢にも思わなかったよ。

2024-05-14

anond:20240508162036

狭くて臭くて蒸してて隣がガサゴソしてて風俗店ボーイの月給40万~とかエアコン設置作業員面接無し即働けますとか気が滅入る広告に囲まれるのが嫌だ

2024-05-13

実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

そのじいさんが亡くなった。

昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家帰省するときレンタカーを予約する。この連休もそうした。

安いので、地元自動車修理工場フランチャイズでやっているインディーズレンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元DQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。

そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。

正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。

実家所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロック会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。

母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。

じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。

じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。

寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。

じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。

そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。

その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。

そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。

それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。

死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。

最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。

最初友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき友達わたしの隣にいないという人はきっといない。

父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。

父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。

父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。

亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEわたしに送ってきた。車というもの私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。

ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。

(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)

そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかたことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。

こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。

まれから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。

生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。

じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。

それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。

ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。

私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省ときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。

私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。

2024-05-10

「○○地区限定!○月○日までにお申し込みいただいたら1台500円でエアコンクリーニングできます!」って類のポスティング型サギ

そろそろ社会全体で騒ぎ立てるべきじゃない?

はいろいろ変わって下水管清掃とか廃品回収とか給湯器交換とか

例外なくオプションコース記載されてて、全部乗せしたら平気で数十万超え

なんであまり表層化しないんだろうね?

2024-05-09

令和の地球エアコンおかし

これ三月の設定温度じゃん!さぶい…

買い換え(意味深)てくれよ~

2024-05-04

公式推奨のお掃除の頻度、多すぎ問題

例えばエアコンフィルタ掃除月に二回やる奴なんてそうそいねえだろ

夏と冬のシーズン前にやるのがせいぜいだわ

とにかくアホみたいに非現実的な頻度でお手入れを求めてくる製品が多すぎる

2024-05-03

anond:20240503111216

社会階層の差がエグすぎるじゃん?嫌にならん?

そんなのが弱者を称しているのは失笑ものだと思うのよね

 

考えなきゃいけないのは、いまより悪くなることはないと覚悟を持って上京してきても、

身心の不調は気合いでどうにかできるヤツじゃないので、好条件の都営団地・区営団地に入るまで耐えられるか?だよね

例えば、メンタルの不調がある人が、木造とかエアコンも置けないとこにたぶん住めないし、怪しげなシェアハウスにもたぶん住めない

つか、健康で体と心のパワーが有り余っている人でもそこそこ厳しい

まぁ、そこは貯金とかでなんやかんやクリア出来ても、団地団地自治会とかゴミ当番とかあるからなぁ

それも身心の不調の時は厳しい・・・

 

しかし、それをクリア出来たら、東京が一番交通発展してるから、たくさん箱物あるから障がい者手帳恩恵デカいぞ

障がい者雇用の条件も地方とは比べ物にならないし

空冷vs水冷

そんなことを云々する前に部屋にエアコンをつけるが一番冷えるわい

2024-05-02

今日はめちゃくちゃよく眠れた。

途中で目が覚めることなく、7時間半以上。

やはり、気温の影響が大きいようだ。今日明け方10度くらい。明日も同じくらいなので、よく眠れるだろう。

しか明後日以降はまた気温が上がる。エアコンをつけて誤魔化せるだろうか。

なんという繊細なセンサーを身につけてしまったんだ、おれ。

2024-05-01

どんどん進めたいが進まない増田住まいなます菅井タメススンドンド(回文

おはようございます

私の名前イヴ

第7空挺部隊所属

ステラブレイド』は大砂漠まで進んできて探索を始めているのは今日この頃の話なんだけど、

最近はこのPlayStation5の『ステラブレイド』の話ばかりで大変恐縮しまくりまくりまくりすてぃーよ。

珍しくこれの話ばかりでしつこいなーって思われちゃいそうだけど。

にしてもだんだん難しくなってきて

イヴのお尻ばかり見ている暇はないわ。

初見回避不可能トラップに瞬殺されちゃったり、

つーかこういう死にゲーっての?

ソウルライクって言うのかしら?

そういう系のゲーム私初めてだったかも今さらそう思うに当たって、

この大砂漠彷徨っていると、

ふふふ荒野スクラップ置き場とかにいるなんかスターフォースに出てくるような機械兵士みたいなちょっと強い敵がいるんだけど、

それは荒野では強いけど楽には倒せるようになってきたの。

そいつがまた大砂漠でもいるんだけど、

もちろん当然荒野のやつと同じ振る舞いをしてささっと倒しちゃおう!って思って挑みかかったら、

瞬殺されてしまうこっちが!

て、敵は強くなってない?

ぼんやりしながらやっていたら平場で死んでやられてしまうのよ。

えー!って今ので死ぬか?って

でもこれ幸いか

やられて倒れてしまってセーブ地点までも取るけど、

その時に取ったアイテムとかは取ったままで復活するので、謎を解いてセーブ地点拠点まで戻れずに力尽きてしまってまたやり直し?って事は無いからそのぶんは温いのかも知れないわ。

それなら突撃してダメ元で突破してやられて帰ってくるってセコイ戦法も思ったりして。

でもそのぐらい油断出来ないぐらい

フィールドの敵が容赦なく強いので、

イヴの艶やかな容姿を華麗に戦うとはだんだんストーリーが進むごとにそう言うお色気要素が遠のいてくるのよ。

見てる暇ないっつーか。

このころになるとある程度色々なコスチュームも揃ってきているので、

ちょっと食傷ぎみ、

良い意味で言えばお尻に落ち着いてきたと言っても過言ではないわ。

幸いまたマップ上のクエストひとつずつクリアしていけば良いんだけど、

そこまで行くのが苦労なのよ。

敵強いしさ。

一筋縄はいかないところがいいわね。

そんな最中なので、

スプラトゥーン3はもう1日1勝のノルマを課しているのをクリアしていくログイン勝利ボーナスをもらうのみに留まっているけれど、

いまはスプラどころじゃないわ。

そんで、

ステラブレイドちゃんと真面目に雑魚敵とでも真剣に戦わないとちゃんと防御しないといけないところが本当に目の前の敵を討伐して前に進む

無視して走り抜けられないところもあり、

そこが謎解きよりも敵が強いところが先にサクサク進まないところでもあるわ。

みんなもうクリアしたよなんて言ってネットの人はいるけど20時間ぐらいで、

私は雄にもうそんな時間を越えてしまってまだ全然画面上の進行状況は50パーセントとかあんので

これまだ半分地点なの?って

良い意味でまだ楽しみは半分お尻が残っていると思えば区ではないかもね。

なにしろ

気軽に毎日ちょっとずつ進めていくより、

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドみたいに、

じっくりと時間使って挑む方が集中していいかもしれないわね。

またお休みの日はその『ステラブレイド』の謎を解かなければ!

でね、

増田ステラブレイドって検索今は超絶速くなってきたか検索しても誰もそのことを書いている人がいなくて増田で盛り上がっているのは私だけ?って思わざる山の如しって思うほどタニコーの五徳なのよ。

どこで人気あんの?って

ほんとうは人気なかったりしてでも

プロモーション記事は大盛り上がりだったブクマとか多く見たけど、

それ以降の話題は案外少ないつーかほとんど見ないのよね。

そのぐらいみんな苦戦してるのかしら?

まあよその人のことはどうでもいいわ。

私はしっかり今のイヴに向き合ってストーリーを進めていって真実を見届けるだけなのよ。

今まだあんまり攻略方法も発売されたばかりだから充実していないので、

どんどんネタバレ記事とかも目に入っちゃいそうなところもあるけど

それよりもさきになんとか頑張って進めたいところよね。

あと気になるのがPlayStation5って熱くない?

凄い熱風が出てくるんだけど本体の後ろから

まりに熱いので部屋の中気温が高くなってきて

エアコンつけちゃったわよ。

これって普通なのかしら?

私より熱くなってない?

なんて思いながら

まあこの時期このぐらいの季節が冷房初使いのシーズンよねって

今年は『ステラブレイド』で熱かったな!ってまだ夏先なのに夏の思い出になりそうよ。

大げ差じゃなくて、

本当にドライヤーの弱みたいな風が出てくんのよ!

私も熱さ負けてらんないわ!

うふふ。


今日朝ご飯

味噌汁食べ切っちゃいましたの朝ご飯

モヤシキャベツのお味噌汁完売です!

上出来のお味噌汁出来栄えに喜びつつ

また何か適当野菜を買ってきて作るお味噌汁の楽しさを今さら発見した次第よ。

野菜摂んなきゃ強くパリティガードできないわ!

ステラブレイドの中の話ね。

時間疲れてやってるとどうしても負けがちになるので、

案外こういう時は朝起きたてのフレッシュ疲労ゼロ自分で昨日のボスの続きをすると意外と勝てちゃうときがあるのよ!

味噌汁効果が効いてんじゃん!って。

デトックスウォーター

ガラスボトルを出してきたので、

これで水出しルイボスティーウォーラーを昨日こしらえて作っておいたのよ。

まだ肌寒い朝の時は冷たいかもだけど

スッキリとした水出しルイボスティーウォーラーは朝の目覚めのボス戦にも応えてくれるわ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-04-28

anond:20240428100959

エアコン消せ

マフラーがションベンするのはあきらめろ

茶色や赤や青の下痢フロントからお漏らししてるときは急ぎ修理しろ

2024-04-27

再エネ推進派は人殺しの顔をしろ

まぁ分かるよね。

 

円安化石燃料の輸入額が電気料金に転化され、夏にエアコン代をケチった結果、熱中症死ぬ人が増える。

 

まぁHPVワクチンの先例から、連中は「それも含めて自民党が悪い」とか言いそうだけど。

 

原発事故での直接な死人は居ないけど、太陽光パネルによる土砂崩れで死人が居ることを知っての発言なのかな。

2024-04-26

チギュゥ~

クッソ古いアパートエアコン置こうと思ったら分電盤から変えなきゃならず10万以上かかるらしくて脱糞しそうチギュゥ~

チギュゥゥゥゥ

2024-04-19

エアコン利用ルール

職場で5人ぐらいの部屋でエアコン使うとき

自由にさせるとめちゃくちゃになるんだよな

 

今朝も最初に来たやつがなぜか暖房つけてて

記録で見ると室温21度はあったみたいだけど、それを金かけて23度まで上げる

んでしか最初に触った奴は室温上がったからといって設定を再調整しないか

外気温24度の日に一日中暖房かけてる謎の職場ができあがる

外気温24度だと室温は26度ぐらいまではたぶん上がるから

暑いよって言い出すやつが今度は勢いよく冷房をかけ始める

そんで次は冷房に弱い奴が寒いって言って勝手に電源オフするまでが定型の流れ

 

あほくさ

2024-04-18

06:40

1回目アラーム

ごろごろして起きる準備をする

06:45

2回目アラーム

起床し、水を1杯飲む

食パンを焼く、2分程度

朝食を食べながら、天気と遅延情報を見る

06:55

歯磨きをする

07:00

洗顔をする

化粧水乳液日焼け止め、制汗剤を塗る

07:05

着替える

水筒スマホ、充電器を鞄に入れる

07:15

髪をとかしてヘアオイルでセットをする

07:20

エアコン給湯器換気扇の電源を指差し確認し、家を出る

2024-04-14

anond:20240414212119

命が惜しいならエアコン付きの所に引っ越すやで

ん~エアコン工事代高くて取り付けは厳しそうだ

室温35℃を超える中で寝てのフルタイムでの肉体労働は無理だし今夏は諦めるか・・・来年に延ばそう

貧乏は辛いな

嗅覚が超過敏で、大体タバコ香水喫煙者自動車エアコンのニオイでダウンしまくりだけど、良いこともあった。

大昔(30年以上前)、タバコを避けて外食しようとすると、本質的に高級なお店か、オーガニックレストランみたいな選択肢しかなかった。

当時のオーガニックレストラン玄米菜食メニューは、いま振り返ると玄米が堅すぎで渋くてなにか間違っていたのではと思うが、

味噌醤油は当時スーパーの棚にならんでいるものとは段違いで、ちゃんとした味噌醤油の味や香りのすばらしさに目覚める切っ掛けになった。

もう一方の、「本質的に高級なお店」っていうのはどういうお店かというと、冷凍半製品耐熱ポリ袋耐熱ラップシリコン紙みたいなのを調理に使わない、昭和以前の伝統的な教科書通りのやり方で、木や竹やサメ皮の調理器具を使って出汁をとって下ごしらえして料理する(鍋は流石にアルミや銅、真鍮だと思うけど)、そんなお店。1000円位でものすごくしっかりしたランチを出していた宝物のようなお店があった。そこでランチを食べるとめちゃくちゃテンション上がる。(なんでそんな値段でやってられたのかよくわからない。半分趣味だったのかも。)

そんなお店でご飯を食べていたことがすごく人生の充実感の支えになっている。ちなみに、今はそんな宝物のようなお店は近所になく、同じようなものを食べたいと思えば桁が一つ上がるお店に行かなくてはいけないが、支払いの桁が上がっても大した品質のものになかなか出会えず、寂しい限りだ。

2024-04-13

anond:20240413112929

若い社員4人で4LDKシェアして暮らすシェアハウスのイメージならまだわかるけど、

案内された場所は、馬小屋みたいなもんだったじゃん。

雨漏りはするし、洗濯機は無いし、エアコンも無いって・・・

インターネット老人会からのお知らせ

何やら、ぼろ家が話題ですが、私たち若い頃は、こんな社員から会社に通ってました。

風呂トイレ洗面所共同。

電話テレビも設置できず。

エアコンなし。

壁はベニヤ板

床は裸足で歩けない。

たぶん、大手上場企業だったと思います

昔の現場からは以上です。

2024-04-12

エアコン新規で買うのに作業スペース確保しなきゃいけないっぽくてお掃除してるんだけど

片付けってすすまねーな

要らんもんガンガン捨てたいって思うけど要りそうなもんばっかで困る

徒然草とか夏目漱石それからみたいな有名どころを買ったものの積みっぱなしの小説

読みたくなりそうだけどもう読まなさそうなもんとかゲームとかどうしようかな~・・・

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