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2023-10-06

Cloudberry Jamウィキペディアスウェーデン語版→「グループは輸出で成功を収めた(日本10万枚以上のアルバムを売り上げた)にもかかわらず、国内で大ブレイクすることはなかった」(DeepL訳)

https://sv.wikipedia.org/wiki/Cloudberry_Jam

10/5 子供たちをよろしく(1984)を観る

今日バイト休みだった。

12から映画が始まるのでめずらしく11時以前にベットから起き上がり、準備をする。

ぎりぎり5分前に到着することができた。奇想天外映画祭2023の上映作品の1つだった子供たちをよろしくを観る。


この作品は、当時全米一暮らしやすいと言われていたシアトルに集まってくるストリートチルドレン生活を撮ったドキュメンタリー映画であるフィルム撮影のどこかぼんやりとしたあたたかい質感やシアトルの賑やかな雑踏によって生まれ浮世離れした空気感のなか、ストリートチルドレンの常に死と隣り合わせの過酷現実とそんな暮らしの中でも彼らの一抹の輝かしい青春を映し出した作品だった。どの子供達も家庭に居場所がなく街に流れてきて、同じような背景を持った者同士集まり物乞い売春ドラックディーラーゴミ漁りで生計を立てていた。そういった生活を送っているせいか女の子特にスレ雰囲気を醸し出し、世を見る沈んだ目は中学生には見えないが、何気ない言動や行動、笑っている姿はやっぱり年相応で、どうかこの子供達が安住の地にたどり着いてほしいと願わずはいられなかった。タイニーという痩せた14歳女の子売春留置場に捕まった時、アルコール依存症母親施設に入っており面会に来れず、来てくれた好きな男の子フロリダへ旅立つと知った彼女の噛み締めるように泣いた顔、同じく留置所に入ったが父親逮捕されていて会いに来れず、ただ一人きてくれたのは児童指導員だけでその後自殺してしまった17歳男の子。彼らの抱える深い孤独。観終わった後、暗い気分になる。


帰宅後、英語版ウィキペディアを読むとなんと子供達のその後が簡単に書いてあった。売春婦のまま殺されてしまったり、喧嘩最中刺されてそ致命傷となったり、AIDSで亡くなったりと20代のうちに命を落とすものもいれば、生き延びて親となった者もいた。80年代作品ではあるが、どの国・時代にも彼らのような子供たちはいるのだろう。私が育った田舎町では、家庭環境が良くなかった子は中卒のまま街へ流れていくケースが多い。小学校同級生で一人いるが、元気にやっているだろうか。

2023-10-05

ウィキペディア見なくなったらQOL上がった

あんな偏っためちゃくちゃな情報、今までよく見てたと思う

ウィキペディアを一切見なくなったらQOLが明らかに向上した

QOLを上げたければ検索結果からウィキペディア排除するのがおすすめ

どこの馬の骨とも分からない人間が書いた情報支配されるか、されないか人生が大きく変わってくる

2023-10-02

GPジーピーゲームはふれあいはどんなゲーム

GPジーピーゲームはふれあいというボードゲームシリーズがある。

見ているとリバーシのようなゲームからどうもオリジナルのようなゲームもある。

このオリジナルらしいゲームはどのように遊ぶのだろうか。駒や動物が配置されてサイコロが付いているシンプルゲームのようだが。

公式サイトにも記載がない。

買ってみて説明書を読んだ。

キツネガチョウ

一見オリジナルゲームのように思ってしまったが私が知らなかっただけでこれは昔からあるゲーム

ウィキペディアにも記載がある。

後述の「ライオンネズミ」「かくれんぼ」「ハングリーパンダ」は実質すごろく
サッカー」は良くできている印象。


ライオンネズミ

ライオン役一名と、ネズミ二名か三名必要ルール補足の紙が入っているがこの補足は日本語のみ。

ネズミサイコロで緑マスを自由に動く。ライオンライオンサイコロオレンジマスを動く。

ネズミライオンの近くまで移動するがライオンの隣に移動すると、ネズミライオンによりスタート地点に戻される。

ライオンライオンサイコロバツが出たとき漁師の網に捕らえられる。(真ん中の黄色い穴に入れる)

捕らえられた時からライオンは動けなくなる。

捕らえられたライオンのいる穴にネズミが移動した場合ネズミライオンを救出しそのプレイヤー勝利

ハングリーパンダ

パンダまで移動するすごろくプレイヤー時計回りに回る。

ハシゴハシゴのあるマスにぴったり止まったら上の段に移動する。

池は3以上の目で飛び越える。池はオレンジの窪みの事らしい。

他のプレイヤーを飛び越えた(追い越した)場合は飛び越えられた(追い越された)プレイヤーが下の段に下がる。

他のプレイヤーと同じマスに止まったら前からそのマスにプレイヤーは1マス後退する。

※ちなみにこのゲームパンダ人形はなくても良いのではないだろうか?

かくれんぼ (説明書では「ママかくれんぼ」)

ママ白鳥役一名と、白鳥二名か三名必要

白鳥の子どもが、ママ白鳥に乗るゲーム

白鳥の子どもは陸を移動している。

ママ白鳥は湖を移動している。

ママ白鳥へは陸の茶色のマスから乗れる。

湖はママがいる湖と関係のない湖(くぼみ)がある。

関係のない湖に入ってしまうと一回休み

サッカー

ルールが力作。入っているもの結構かいコマシールを張るなど事前準備が必要

対戦している二チーム分の、二名で遊ぶゲーム

プレイヤーキーパー1個と、他の選手4個の、計5個の駒を持つ。その他、ゴールポスト駒を1個持つ。

シールがどれをどう貼るか迷った。

準備

ゴールポストに1枚

キーパーを含む選手は人の絵とシルエットで裏表に貼る。

選手シールの青と赤でそれぞれ1プレイヤー(チーム)分。

左下にある青キーパーの絵と青キーパーのシルエット。

左下にある赤キーパーの絵と赤キーパーのシルエット。

上にある選手5、6,9,10はその下にあるシルエットにそれぞれ対応する。

まりシールは下記のようになる。【】無しはシール数字記載あり、【】有はシール数字記載なし。

青5 青6 青9 青10       【赤5】【赤6】【赤9】【赤10】ボール

【青5】【青6】【青9】【青10】   ゴール          ゴール

【青キ1】青キ1【赤キ1】赤キ1    赤5,赤6,赤9,赤10

まず先攻と後攻を決める

キーパーゴールポストをゴール位置に配置する。

攻撃選手1名とボール中央

残りの選手自分の陣地の好きな位置へそれぞれ配置する(攻撃側は3個、守備側は4個)。

ボール駒は選手が持つものである

(1)攻撃側はドリブルパスをする。

キーパー攻撃に参加できるがゴールキーパーマスより移動した場合シュートされやすくなる(後述)。

ドリブルドリブル宣言選手さいころを振る。

〇なら成功ボールを持っている選手ボールコマを一緒に1マスまたは2マス移動する。

1マス目に相手チーム選手がいたら飛び越えて移動する。

キーパーマスにはキーパーしか入ることが出来ない。

×なら失敗。ボールを持っている選手に一番近い守備選手ボールが移動する(つまりボール相手チーム選手が持つことになる)。

守備側だったチームが次は攻撃側になる。

パスパス宣言して選手さいころを振る。

〇なら成功。味方一人を選び、そのマスにボールコマを移動する、

パスする先はどれだけ離れていてもよい。

×なら失敗。ボールを持っている選手に一番近い守備選手ボールが移動する(つまりボール相手チーム選手が持つことになる)。

守備側だったチームが次は攻撃側になる。

(2)ドリブルパスの後で攻撃プレーヤー(今ドリブルパスを行ったプレーヤーと思われる)はボールを持っていない選手

1マスずつ動かすことが出来る。選手を移動させなくても良い。

ドリブルパスボールが移動するが、移動後のボールで考えるものとする様子。またボールを持っていない全選手の様子

(3)守備側が選手コマを1マスずつ移動させることが出来る。移動させなくても良い。

(4)守備側が選手コマを移動させ終わったら、攻撃側が成功している限り再びパスドリブルを行う。

攻撃成功する限り連続して行える。

簡単に言うとこのような流れらしい

パスドリブルの実行(1)

攻撃プレーヤーの移動(2)

守備プレーヤーの移動(3)

上記パスドリブル(1)が成功(〇)の場合は同じプレーヤーが再びパスドリブルの実行(1)

上記パスドリブル(1)が失敗(×)の場合は違うプレーヤーパスドリブルの実行(1)

移動(2)(3)は恐らく、パスドリブルが失敗して攻撃側が変わっても最初攻撃側が先に移動するのではないだろうか?

シュート(ゴール近くにボールがある場合。水色マス)

相手チームのシュートマス(水色)にボールを持った選手がいる場合パスドリブルの代わりにシュートを行う。

(1)攻撃選手選手サイコロパスドリブルのものと同じ)を振る。

ボールを持つ選手の近くに相手チーム選手がいる場合…2回サイコロを振り〇を2回出さなければいけない。×が出たらシュート失敗。

ボールを持つ選手の近くに相手チーム選手がいない場合…1回サイコロを振り〇を1回出さなければいけない。×が出たらシュート失敗。

上記を満たすとシュート出来る。

(2)守備側はシュートに対してゴールキーパーさいころを振る。

ボールを胸で受け止めている絵が出た…守備側がシュートブロックした。攻撃側の得点にならない。

ボールを受け止められずキーパー頭上を通過する絵が出た…守備側がシュートブロック出来なかった。攻撃側の得点になる。

守備側のキーパーキーパーマスにいない場合ゴールキーパーさいころを振ることが出来ず、

攻撃側のシュート成功したらそのまま攻撃得点となる。

キーパーキーパーマスにいない場合とは、キーパー攻撃に参加させ移動した場合

シュート失敗またはシュートブロックされた場合(つまりシュート攻撃側が得点出来なかった場合)は、

ボールの一番近くにいる守備選手ボールを奪い攻撃守備を入れ替える(これはパスドリブルの失敗と同様)。

また選手コマの再配置から始める。

勝敗

予め設定した時間内で得点の大きいチームまたは先に5点を取ったチーム

【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて

ネタバレ注意!









好きなところ

たった一つの原理から出てくる結論三部作最後まで貫いている

この物語基本的原理は次の通りだ。「宇宙資源は有限であるしかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手文明の座標を全宇宙晒す装置を作ればいい」。

これが適用されるのは地球人エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則例外はない。

どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。

絶望的な世界観

エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。

さらに、地球人文明通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。

それだけではない、現在宇宙四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義

SF兵器なんでもあり

宇宙戦艦、超兵器エイリアンコールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSFモチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい

舞台中国である

これは欧米SFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻かい名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないか楽しいケンリュウも書いているけどね。あと、中国からしても日本と言えばカミカゼ忍者茶道なのね。あとは雀魂とか)。

関係ないけど、英語版ウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。

あと、文化大革命が背景になる中国小説とか映画とかって、面白いのが多い。

宇宙の最終的な運命まで描き切る蛮勇

クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。

SFリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマ作品をどうしても読みたくなる。

微妙なところ

概して女性の扱いが悪い

第一部でエイリアン軍勢地球に呼び寄せてしまうのは人類絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアン和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本韓国アイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。

そして、コールドスリープから目覚めた主人公女性・程心もエイリアン文明破壊するための報復装置を、弱気から起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類ジェノサイド宣言につながる)。

同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会もっと雄々しくあるべきだ」という趣旨マッチョなことを述べる。2010年SFだけどこれでいいのか。このシリーズ普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。

さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。

まり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。

三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。

※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサン宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性上司日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。

被害妄想

エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいか軍人議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンシンパスパイ排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代SFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦世界観世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。

第一からエイリアンの超粒子で地球文明監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。

深読みすれば、共産党監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。

ときどきトンチキ

SFってのはある程度ブラフ必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないか仮定文学であるSFテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球ナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)

総評

人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。

ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国伝統的美意識神仙思想隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。

全体として思ったのは「これって炒飯ラーメン餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セット無性に食べたい日もある。

読書楽しい

時々どうしても受け入れられない価値観出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分価値観あぶり出される。

過去批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。

本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。

こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。

それではまた。

前回

今さだらけれどセンスない認定されたSF作品を弁護したい

お昼の追記

「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。

以下ブコメレス

人によっては人物名前を同定できるかがハードルになりそう。

これは外国文学を読むとき鬼門で、自分三国志ゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。

おすすめロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。

基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉リズムに慣れるのがおすすめマニアになってくるとジョンとヨハネイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。

この方が好きなSFもっと知りたい。

SFじゃないのも含むけど、

必読書コピペにマジレスしてみる・自分のオススメ41冊編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (1)

あとは、

必読書コピペにマジレスしてみる・海外文学編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・日本文学編

必読書コピペにマジレスしてみる・ミステリ編

必読書コピペにマジレスしてみる・哲学編

これは読書リスト

2022年に読んだ本

ではでは。

夜の追記

良くも悪くも手触りが野蛮な旧世代SFなのがむしろSFクラスタ外にもウケた理由なのかもしれないとは思う

これはちょっと思った。原初SFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。

で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現ルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。

なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。

でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。

思い出したこと

そういえば第三部でアボリジニおっちゃんが出てくるけど、欧米作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明出会たことによる悲劇メタファーとしては扱いが若干雑だ。

欧米作品とのこの辺の感覚差異面白い

他に書いた文学関係増田

村上春樹のヒロイン・登場人物たちのつながり

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

以上。

翌朝追記

おすすめの本のリスト追加したよ。

2023.10.12追記

早川書房翻訳SFファンタジイ編集部ツイッターに捕捉されてて吹いた。

2023-09-30

xで見かけるヒャクタファンは、彼の小説の何に惹かれてるんだろ(本当に読んだのかは知らない)

日本軍はすごかった」という旨を主張して楽しむのは勝手だが、ウィキペディアに虫食い記事を作らないでほしい

英語版読まないと意味からない記事とかある(彼らのせいかは分からないが、おおむね日本軍自賛傾向が似ている)

2023-09-12

DeepLとかGoogle翻訳とかあるからネットフリックスとかアマプラとかの映像字幕翻訳仕事がすごく買いたたかれている。

依頼している側も、DeepLにかけるだけでしょ、って思っているのだろうね。

実際は文字数表現を細かく調整したり翻訳以外の部分のほうが大変なんだよね。

外国語の語呂合わせやギャグ機械翻訳はやってくれないし、会話で伏線はってたりしても機械翻訳無視するし。

ドキュメンタリーとかは言っていることが本当か文献で確認としないといけないという。当然ウィキペディアは不可ね。

それは本当は校正仕事のはずなんだけどね。

きちんとやる人ほど割に合わなくてやめていくからだんだんショボい字幕しかなくなると思うよ。

2023-09-08

ノートルダムの鐘原作は知らなかったんだけどウィキペディアであらすじ読んで最後の一文めっちゃ刺さった。

全員死亡のビターエンドだけどカジモドだけはメリバって感じか

数年後、処刑場を掘り起こすと、白い服装をしていた女性エスメラルダと思われる白骨に、異様な骨格の男の白骨が寄り添っており、それらを引き離そうとすると、砕けて粉になってしまった。

2023-08-31

リベラルliberalの違い

まず英語版ウィキペディアのliberalism

リバタリアニズム混同するな!)

一方、日本語版ウィキペディアでは「リベラル」の意味は主に3つ

  1. 思想信条言論個人等の自由平等皇帝教皇主義から解放(主に欧州での概念
  2. 福祉政策重視派(主に米国での概念
  3. 経済活動自由主義新自由主義リバタリアニズム規制反対派

日本語ではリベラルリバタリアニズム混同されており、どこの政党リベラルと言えることになる

アンチリバタリアニズム(反新自由主義規制派)とアンチリベラル自由平等反対派)を混同させる点がこのトリックキモであろう

私はリベラルだと言えば、聞いた人が好きなように解釈するから大きな勘違いが生じやすくなる

クルマ」に自転車を含めて「私は車を持っている」と言うぐらいおかし

2023-08-28

anond:20230828193817

非人

ひにん

非人は、主に、 日本中世の特定職能民・芸能民の呼称であり、次第に被差別民呼称となる。 江戸時代賎民身分呼称である。 いわゆる士農工商には属さないが、公家医師や神人等と同様にあくまでも身分制度上の身分とされ、人別帳の枠内にある。 ウィキペディア

自分日本イギリスブルマーについて調査してからすでに3年以上が経過したが、自分の興味関心というか性癖がほぼぶれていないのには笑ってしまう。pixivお気に入りを見返してもそれは同様だ。ブルマCFNMCMNF混浴ヌーディズム、野外露出と、十年単位で一貫している。

このうちの野外露出、野外で裸になりたい衝動継続していて、合法的に実現するために混浴サウナだとかヌーディストビーチを訪れている。裸になって海で泳いだときには、もうこれだけ裸になりまくったのだからもう飽きただろうと思ったのだが、どうもそうでもないらしい。

困ったもんだ。

ブルマー姿の女の子といちゃつきたい願望もあり、かなり願望の再現度が高いプレイを5年以上前イメクラだったかM性感だったかしたことがある。その時は先に脱がされてCFNM願望も叶えた。そのときの記録をネットのどこかに放り投げたのだが、それは消えてしまっている。書き直してもいいのだが、増田に書いたところでしょうがないだろうと自分ツッコミを入れたい気分だ。

また行けばいいのではという意見もあるだろうが、風俗には飽きている。嬢は皆親切だったが、もう十分に楽しんだ。

先ほどヌーディストビーチに行ったと書いた。

実はこの夏、地中海をあちこちうろついていた。その際に、現地のへそ出しファッションをいろいろと見た。シャツが短い物、ほとんどブラトップのもの、へそだけ露出しているもの、前だけを覆って背中は紐だけ(びんぼっちゃまみたいなスタイル)、さまざまだ。同じへそ出しと言っても色々ある。他にも、レオタードの下にズボンはいて腰の部分の素肌が見えている格好の人も見かけた(アニメ版攻殻機動隊少佐みたいなスタイル)。

面白いのはモデル体型どころか、ふくよかであってもためらわずに着ている点だ。良い意味で、日本よりも人の目を気にしていない。

かに欧州リゾートはおばあちゃんでもビキニを着るし、トップレスも多い。

興味深いのはTPO感覚日本とはかなり違う点だ。

教会であってもへそ出しで入ってくる人は多い。一応ドレスコード看板に書かれており、男性でもノースリーブはやめてくれとガイドラインがあるのだが、観光客ほとんど気にしていない。

これが地中海のむこう側のイスラム圏になると、異教徒女性にはモスクの中でまとうスカーフを貸してくれる。短パン男性も腰に布を巻かないと入れない。

好きなものを着るファッション自由権利と、伝統への敬意との衝突を目の当たりにしたわけだ。

地中海を越えてイスラムから出たときには、その温度差に風邪をひきそうになった。

そのへそ出しファッションについてだが、英語版ウィキペディアにMidriffとして記事がある。他にも西洋インド文化でのへその立ち位置を詳述した記事もある。ここから抜粋して記事を書こうとも思ったのだが、なんだか面倒くさくなっている。どうせウィキペディアを訳すだけなら、個人的斜め読みをすればいいのだし、なんだったら自動翻訳にかけたっていい。まとめる必要もない。

同じ理由で、トップレスとか世界文化における全裸女性器についても記事を書きあぐねている。

ウィキペディアから訳すだけなら各自で読んでもらえればいいし、それで閲覧数やブクマを稼ぐのも馬鹿馬鹿しい。何か新しい知見が欲しい。

例えばクレオパトラカエサルと対面したときトップレスだったのか。そんなことも調べたい。しかし、この辺はハリウッド映画によりつくられたイメージも強く、画像検索も難しい。そもそもプルタルコスの時点で裸のまま袋だか絨毯だかに入って寝床に忍び込んだという話があるが、実際当時のエジプトの服はどうだったんだ。

面倒くさいなと思う理由は他にもある。

あれだけブルマーに関する記事がバズっても、ネット世界ではほぼ常に日本でのブルマーについての議論が中心で、自分が提起した 学校体育でのブルマー日本のみならず、英連邦共産圏でも見られた」という主張はそれほど広まらなかったからだ。

ネット議論など、結局は自分がどういう経験をして嬉しかったとか腹が立ったとかの感情が中心なのだから、当たり前といえば当たり前であろうが、一つの事実が広まらないのは幾分残念であった。

増田から外部のSNSネット文化圏に広がるには、全く別の内容で達成したように、1000以上のブクマ必要なんだろう。

はてな匿名ダイアリーというのが辺境サービスだということなのかもしれないが、増田全体に特に広がった様子もない。あるいは僕も含めて読者は忘れっぽいのか。

それにブルマーについてのフェチは薄れなくても、それについて書く情熱は薄れつつある。情念が薄れたせいか、全く関係のない記事もバズりにくくなった。

このあたりが増田執筆の潮時だろうか。

いろいろ愚痴ったが、そのうちにへそ出しについて書くかもしれないし、これで最後かもしれない。

番付で晒されるネーム増田であるのは面白い経験ではあった。

2023-08-06

不思議の国のアリスは、ルイス・キャロルとその友人である子どもたちとの交流がなければ生まれなかった

不思議の国のアリスは言うまでもなく

ルイス・キャロルが当時交流のあったリデル家との旅行中、

三姉妹の一人アリスに語り聞かせた物語がその原型である

ルイス・キャロルアリスにせがまれて、

口頭のお話文章の形に残すこととなる。

そうしてアリスに寄贈された「地下の国のアリス」は加筆修正されたのち

不思議の国のアリス」として出版されることとなる。

ルイス・キャロル本名チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。

ウィキペディアでは彼のことを

イギリス数学者論理学者、写真家作家詩人

として解説している。

写真家としての彼は少女被写体とすることを好んでいた。

前述のリデル家の三姉妹モデルとして、

リデル夫人から撮影を止めるように懇願された後も

撮影し続けている。

彼は少女たちを仮装させて写真撮影をするときもあり、

ある意味コスプレ写真家の走りとも言える。

また少女ヌード撮影していたようだが、

それは彼が存命中に破棄されたか寄贈されたかして数枚が現代に残るのみである

このような事跡から、彼はときに小児愛者である断罪されるのだが、それが真実であるとは断定することはできない。

それがどうあれ、彼とアリス交流がなければ「不思議の国のアリス」という児童文学史上の画期なった作品は生まれなかったことは事実である

2023-07-28

anond:20230728094109

IAEAは各国の施策について直接GOサイン出すようなポジションにないからな。

ところで岡田充という名前を覚えてなかったのでググったらゲップがでるようなアレだった。こういう奴はいったいどんだけいるんだろう。以下ウィキペディアから抜粋

岡田 充 おかだ たかし

ジャーナリスト 拓殖大学客員教授 共同通信客員論説委員

日本社会党 岡田春夫の次男

韓国ホワイトから除外することを決定したことに反対する声明韓国は『敵』なのか」の呼びかけ人

環球時報取材で以下の主張をした。

アメリカ国務省中共ウイグル弾圧ジェノサイドと見なしていることについて非難論陣を張っている。

2023-07-24

anond:20230724115258

さすが日本ではソロスはかなり美化されているね

苦学生だったとか怪しすぎるな(ウィキペディア

2023-07-16

軍オタ界隈がキモすぎる

撮り鉄界隈よりはマシだが正直似たりよったりだと思う。


大半がどことなく冴えない小太りのザ・オタクで、独身30代~50代も多い。

せいぜいサバゲーでイキってるのが関の山で大方はネットウィキペディア記事を読みながら後出しじゃんけん軍師様を気取っている。

その卑小さは出来の悪いなろう小説のイキリ系主人公彷彿とさせるが、何故か彼らはアニオタ嫌悪し見下している事が多い。

実際はそこらのアニオタ以下なのにね。ハッキリ言って軍事趣味サバゲー趣味なんてアニメなんかよりよっぽど異性から敬遠され嫌われていますよ?


身内でホモソーシャル形成し身内でしか通用しないワードで語るが界隈外の人間と会話する時も平気で使用するものから会話が成り立たずキモがられる。

そんな様子を見て「論破してやった!!!」とイキるの浅ましさは軍師様どころかそこらの一般人よりも悲惨

兵器スペック軍隊の規模など、『数値』に拘るその姿勢は、鉄オタが『同じ構図』に異常に固執するのとよく似ている発達障害しぐさ。


軍事大好きな癖に捻くれてるのか保守にもネトウヨにもならず日本sage出羽守ムーブを愛好する。

まともな保守からはチンカス蛆虫扱いされているが自分達は国を憂う国士様(笑)を自認しているから救い様が無い滑稽さ。


オタク嫌いアニオタ嫌悪を隠さない癖に、ふと気づけば銀英伝ガンダム政治を語っちゃう幼稚さは

ラブライブ推しの子を観ている一般アニメオタクよりも随分「オタク」しておりその異様さと幼稚さを敬遠されている。

同族嫌悪なのだが謎のプライドが彼らを「オタクなのにオタクを叩く」という、ヨxist並の気色悪い自agesageをするので

ネガティブ話題を嫌うネットユーザーからますます相手にされなくなる。


中流階級かそれ以上のパパ・ママに甘やかされた大人子供が大半なのに、どっかの軍事小説主人公にでも憧れているのか

親子関係が上手くいっておらずクラスでも孤立した孤高の青年を自認している。

実際は良い歳して親に甘え反抗し普通にキモいし性格も口も悪いから嫌われているだけなのにね。


いわゆるオタ趣味の中でも取り分けて界隈ごとキモいのが鉄道軍事

2023-07-13

なぜ火サスは火曜の夜2時間サスペンスだったのか

月曜のりきって火曜平日になれてきた夜になぜこんなテンプレサスペンスがよさそうだ!ってなったのか

ルーチンって意味でありふれたサスペンスドラマってことなのか

そもそも平日の火曜の夜に2時間も、映画と違って出来のよしあしもわからないドラマをそんなに見る人間がいたのか

ウィキペディア

番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]。

第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本推理作家海外ミステリーなどを原作として、ベテランスタッフ映像化する重厚作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性視聴者に絞り定番シリーズ放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率全国的好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。

この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送テレビ岩手福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品制作されたこともある。

また、大林宣彦神代辰巳鈴木清順実相寺昭雄劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリー前衛演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。

番組スタッフロールは、当初は「最後に『制作製作):日本テレビ、(担当制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作日本テレビ』、最後に『製作著作:(担当制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組製作から製作著作表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。

一時期は視聴率20%を超えることもあったが、2000年代に入ってから視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回放送内容は火サス最多出演俳優水谷豊主演の「事件記者三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。

からなかったこ

なぜ火曜の夜だったのか。

たぶん始まったときがそうだったからってだけなんだろう

2023-07-12

ナチスは「良いこと」もしたのか?』といつものはてな民たち。

以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介蜘蛛の糸を思い出した。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html

 

血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタ地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。

 

ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかたことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸そっくりな気がずっとしていたものだ。

 

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

 

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。

 

id:NOV1975 対戦相手全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題

このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチス否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである

 

話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするから(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。

 

さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代学術見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチス経済政策や、労働政策環境政策健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったかである。『ナチス発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツデカデカと表紙にするセンスそもそも信じ難い。

 

したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチス政策を腐しているわけではないのだ。

 

結果的には評価として、ナチス政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在バルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツ歓喜公団Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設労働者が無料使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである

 

個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判視点を忘れずに、それを可能範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)

 

追記プローラの巨人については私自身の記憶曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。

売却と再開発

 

改装後の2019年

2004年10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロ落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアムマイルブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物ホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日競売にかけられ、ベルリン投資家が275万ユーロで購入した。

 

2006年11月連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州から財政支援を受けて、この建物ユースホステル設立する計画だった。複合施設最北端位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。

 

2008年末、プロラが本来目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル観光客向けのアメニティ建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルドから懐疑的意見もあり、また、町の過去歴史から観光客には不適切場所だとも言われた。とはいえ2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向観光客に向けた施設拡張可能性も提案されている[8]。

 

2010年9月ドイツオーストリア投資グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテル建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロ見積もられている。

 

メトロポールマーケティング

2013年ドイツメトロポールマーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年ブロック1に新しいアパート第一号がオープンした[10] ブロック2のホテルプロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。

 

2017年11月更新によれば、ブロック1のユニットフラット)のほとんどは、ハンブルクベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイト短期賃貸として掲載していた。

2023-07-10

anond:20230710144717

ウィキペディアには説として一応書いている(かなり弱いしほぼ創作だが)

ただ、本能寺の変の時に家康大阪の堺にいたのは事実から妄想が膨らむのも仕方ない

2023-07-03

[]樋口彰彦「江戸前エルフ原作マンガ

江戸時代異世界から召喚されてそれいらい現代まであがめられているエルフと、

その神社巫女をやってる女の子日常ドタバタ下町の人々との交流とか江戸トリビア

アニメは一切みてない

アニメみるのたるいから、アニメかされてるならまず原作コミカライズを読む人間なので

絵はうまい マンガとしても無難

ただ面白いかと言われると・・・

面白い面白くないという次元じゃないかもだけど、ちょこちょこギャグシーンみたいなのもあるしなあ・・・

それが面白くなかったから、まあ面白くなかったということになるだろう

下町の人々との交流とか江戸トリビアがちょいちょい入る

何よりもつまらない要因として思ったのは、作者が計算して狙って書いてるように感じられのが透けて見えてしまう気がしたこと

そのせいで、おまえらこういうのがすきなんだろ?最近こういうのが受けてんだろ?みたいなのを作者が意図的かいてる気がして、

作者自身のこだわりとか好き、みたいな感情が感じられない気がした

そのせいで常に構えて読んでしまって、常に白けてるような感じだった

とってつけたような江戸時代うんちくも特に教養になるというレベルじゃないし

そもそも江戸からずっと生きてきてるなら江戸時代だけじゃなくてもっといろいろあんだろと思う

もとの世界かのこだわりとかホームシックみたいなのもないんかい

実質軟禁じゃんみたいな

そこらへんの事情がほぼノータッチスルーなのももやるってのもある

まあこっちの世界のほうが娯楽あるから居着いたとかその程度なのかもだけどさあ

あと戦争かいくさとかやばいテーマはふれないのもねえ・・・

まあこれはほのぼの系だからいいんだよといえばそうなのかもだけども

あと主人公女の子親友友達?のツインテの子が怖い・・・

女の子なのにイケメン性格してるってのはいいんだけど、

つねに目をかっぴらいててて黒目部分が全部みえるっていう真顔のシーンが多くてマジでこわい・・・

もっと表情豊かにしてほしいわ・・・

キャラデザかわいいのにもったいない・・・

お色気やエロゼロ。せっかく友達おっぱいかいのに・・・

整合性とかつじつまが気になる人間には合わなかったってのと、

作者(もしくは編集)の計算高さ、恣意的マンガづくりがすけてみえると感じてしまったらもうハマれない

そんなマンガでしたん

でも最初かいたように絵はうまいんだよね

背景は多分CGだけどキャラ絵がなんか元アニメーターか?と思ったけどウィキペディアみたらそうでもないらしいし

2023-06-29

バーテンって蔑称なの?

id:YokoChan バーテンダーさんの事をバーテンと言うと殴られるよ。バーテンさんも駄目。日本人で言うとジャパニーズジャップくらい違う。

id:jacoyutorius 文字数のせいかもしれないけど、バーテンダーバーテンと略す方が失礼になると思います

こういう人たちがいる一方で

id:toribard バーテンだけど奢られるの20人いたら1人くらいだから奢らない人が普通。(後略)

 

自分の肌感覚では、「バーテンダーバーテン」は「サラリーマンリーマン」くらいの感覚

当人に対して面と向かって使うことは避けるが、それ以外の場所総称として使うぶんにはセーフ、というレベル

例に挙げたとおり自分自分のことをバーテンと呼ぶ人いるくらいなのでジャップと同等はちょっと言い過ぎ感をおぼえる。まして、それに食って掛かるのはいかがなものかと。

実際にバーバーテンダーに向かって「バーテン呼び捨て)」とか「バーテンさん」と呼びかけてる人を見たことがあるかというとないし、そう呼ばれた瞬間に殴りかかるようなバーテンダーも、私の知る範囲ではおそらくいない。内心ムッとはするかもしれないが、これで手が出るような性格ではそもそもバーテンダーは勤まらないだろう。

語呂が悪くて縮めただけで蔑称認定になってしまうなら社労士社会保険労務士)とかもNGじゃないかと思う。

 

そこで調べてみると、ネット上で「バーテン侮蔑語」とする言説の大半は「教えてgoo」とそれを紹介するこの記事ベースにしているようだ。ジャップも同然と言っている上のブクマもおそらくこのコタツ記事(あるいはその孫引き)を見たのだろう。

バーテン」って呼び方は実は失礼だった!??

https://www.sankei.com/article/20161119-T4CNGH433ZIZNOWVJ3CBXDLHOY/

ヤフー知恵袋ウィキペディアに載っているまことしやかな言説は眉唾だと知っていても、それが全国紙サイト転載されると鵜呑みにしちゃうんだから呑気なものだ。

いや、この記事にしたところで「略称を面と向かって使うのは失礼」くらいの常識的なことしか書いてないんだが、上のブクマカたちのような人々の目を通すとこれが「バーテン侮蔑語」に変換されてしまう。まあ、わからないでもない。

よくある「ネット知ったかぶりがバズッて通説化」してしまうやつだな。マナー講師が失礼クリエイターと呼ばれるのと同じプロセスで世の中に侮蔑語ひとつ増えたかたちだ。

根拠が聞きかじりの知識でも、人を攻撃する楽しさのほうが勝ってしまうんだよな。

この件の教訓は、

ではなく、

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