はてなキーワード: アプローチとは
どんなアプローチしたの?
恋愛経験がないと何がいけないのかpreciar「転んだ者を笑ってはいけない。彼は歩こうとしたのだから」/ちゃんとアプローチして傷ついて、至らなさと心のままならなさを学ばねばダメよ。拗らせて「アセクシャル」とか存在しない病名自称しだしたら終わり2024/05/09 15:14
yomichi47 これはそう、学生の内なら頭おかしくなっても被害が少ないし経験になる。そして理解が進むと自分の気持ちを完全に隠しながら自然なアプローチが出来る様になる。女性は自分を女と意識しない男を好きになるよ
これはそう、学生の内なら頭おかしくなっても被害が少ないし経験になる。そして理解が進むと自分の気持ちを完全に隠しながら自然なアプローチが出来る様になる。女性は自分を女と意識しない男を好きになるよ
やはり嫌われたのかもしれない。無視されてるわけではない。挨拶すると返してくれる。話しかければ、二言、三言だが会話は成立する。でも、冷たく感じる。昨日、話かけて少し喋ったあと立ち去っていった。誰に対しても反応が素っ気なく冷たい子だからいつも通りと言われれば当てはまるかもしれない。
大したことないように見えるかもしれないが、異性関係だからセンシティブだ。相手は、何度かご飯にいって、告白して、ご飯程度ならと答えてくれた子である。告白自体は失敗している。ここで判断を誤れば付き纏いだのストーカーだの言われかねない。だから色々と怖くて恐れ慄いている。ハッキリとしないから。
先日、Twitterで明らかに女性が避けてて脈がないことを暗示しているのに男性はそれに気づかずアプローチし続けていて痛いという旨のツイートが話題になっていた。このようになりそうで怖いのである。いやこの投稿を観たから余計に嫌がられてないか気になっている。好き避けという言葉もあってそうであって欲しいが、こちらに賭けるのはリスキーである。そうであれば御の字だが、そうでなければ付き纏い、ストーカー予備軍だ。
ハッキリしないことが不安と苦しみを増幅させる。ハッキリとしないから不安に駆られ、話し掛けたくなる。でもウザがられたくないから、話し掛けたい気持ちをグッと堪えて苦しくなる。結局、不安が勝って話し掛けてしまうこともあって、その後に大きな後悔が押し寄せる。正直言って、“察しろ”は僕の場合、事態を悪化させる助燃剤である。ハッキリと言われれば、気は落ち込めど色々悩み苦しむことはないから楽である。
好意を寄せていて上手くいかないから苦しんでいるのもあるが、それ以上に色恋沙汰で拗らして鬱になった時の二の舞になりそうなのが怖くて苦しい。男女問わず皆から、ハニトラだの美人局だの相手が悪かったなどと言われてはいても、察せずに突き進んで拗れて、自殺寸前まで精神的に追い詰められたあの時の二の舞にはなりたくない。地獄を味わい、その淵が再び見えているから怖い。
はぁ、上手くことが運ばないかなぁ。
全ての異性の眼中に入れてもらえず結婚や生殖もできない現実に耐えきれず気が狂うのは男だけだよ
未婚既婚の寿命差が男のみに顕著なのもそうだけど
女をあてがわないとテロを起こすだの結婚の義務を果たさない女は加害されても放置するといった脅迫的な言動に走る
親しくないもしくは初対面の低身長男性や非モテおじさんのアプローチを断った女を高望み嫌われ者女扱いして攻撃(断った事実は女自身と断られた男しか知らない)
顔も名前も身元も不明でも認知や会話してくれてレスポンスをくれる女なら誰でもいい
ギャラリーストーカーを含め一般人やネット越しの声優やvtuberなどにつきまとい、ババアいじりや貧乳いじりや未婚年増いじりといった「無価値な女を相手する俺」コントを押し付ける
昔のマシンのリメイクは郷愁を誘われて嬉しいですね。懐かしのマシンを現代風にアレンジするのは面白そうです。ミニ四駆世代の大人をターゲットにした戦略なのかもしれません。
SNSを活用したコンクールは、ミニ四駆コミュニティの交流の場として素晴らしいアイデアだと思います。自慢のマシンを披露し合ったり、アイデアを共有したりと、ユーザー同士の繋がりが生まれそうですね。
ローラー数の制限撤廃はビッグニュースですね!より自由度の高いカスタマイズが可能になり、マシンのバリエーションが広がりそうです。ローラーの配置を工夫することで、コーナリング性能が上がったり、新しい走行スタイルが生まれたりするかもしれません。
セッティングの幅が広がったことで、よりテクニカルなアプローチができるようになったのは嬉しい限りです。自分なりのベストセッティングを追求するのが、ミニ四駆の醍醐味の一つですからね。
ミニ四駆から離れていた私ですが、久々に手に取ってみたくなりました。カスタマイズを存分に楽しんで、理想のマシンを作り上げてみたいと思います。
アドバイスありがとうございます。ミニ四駆の奥深い世界に、再び足を踏み入れる良いきっかけになりました。
新しい上司は数字管理が徹底していて面倒だが、目標に足りないとどの顧客にアプローチするか何をどうすべきか具体的に指示してくれる。ロープレにも付き合ってくれる。
増田が見逃していた顧客やこれは顧客にならんだろうと思っていたようなものを掘り出してくる。
前の上司も悪くはなかったが、こんなに細やかに指示する感じではなかった。
最初は半信半疑だったが、言う通りやったら決まった。それが何回も。
さらに入社して初めて有給20日/年使えた。残業も減った。おかげで入会したもののあまり行けてなかったジムにも週2で行ってる。自炊できる日も増えた。
マネージメントってすげー!とここ1年驚いてばかりだ。そして人を乗せるのもうまい。上司が変わってから、日曜夜の憂鬱が無くなった。
これまではGW最終日は翌日の出勤が嫌すぎてベッドから動けなかったが、今年は英気が養われてる感じで、むしろまた頑張ろうという気持ちになっている。
転職も考えていたが、いまの上司がいる限り続けようと思う。異動当初、母親と同じ名前でやりにくいわーとか同期に愚痴ってすみません。一生ついていきます。
https://anond.hatelabo.jp/20240506061423
短歌の結社に入っていて、歌会にもよく参加していたことがあるが、元増田のような話は何度も聞いたことがある。もはや歌人あるあるネタだし、私も深く共感する。ただ、字数という点に増田はこだわっているようだが、この話題はそのようなレベルの話ではない。
多くの人は短歌と俳句が同じ短詩型文学であるから、短歌も詠めれば俳句だって作れるだろうと思いがちだが、それは大いなる誤解だ。むしろ短歌を詠めば詠むほど、俳句から遠ざかることになる。
なぜなら、両者は表現のアプローチが正反対だからだ。短歌は風景と言葉を使って<私>の情念を表す文学であるのに対し、俳句は<私>と言葉を使って風景を表す文学なのである。
短歌を詠むということは、言葉に情念を圧縮するということだ。穂村弘は短歌を爆弾に喩えたが、自分の情念を読み手の心奥深くに埋め込もうとするために、言葉の選定や配列に独自性をもたせていく。風景すらも歌人にとっては情念の道具に過ぎない。日本語に己の爪痕を残してやろう。世界は我が情念を表すために存在するとでも言わんばかりの自意識過剰さでもって詠むのが短歌というものだ。己の全情念を31字にすべて押し込めようとするエゴイズムこそ短歌というものの醍醐味である。誤解を恐れずに言えば優れた歌人とは己の日常を糧にした自意識の純粋培養物なのである。
それに対して俳句を作るということは、言葉で風景をカットする行為だ。17字というフレームの中に厳選した風景の要素を置いていく。私は風景から要素を抽出するための機械でしかない。俳句にとって情念はノイズでしかないのである。
このような対比で見ると、短歌を詠む人が17字は気持ちを込めるのに少なすぎる、となぜ思いがちなのかが分かるだろう。字数云々ではなく、根本的にその容器は、あなたの情念をしまうところではないのです。高級フランス料理の小さなお皿にニンニクましましラーメンを入れようとする無理な行為なんですよ。俳句を作るなら、あなたが後生大事に抱えているその情念は捨てましょう。わかりましたか?
そうは言っても短歌人はやめられない。短歌を苦しみ抜いて詠んだきたのだから、この情念は捨てられない。世界中から笑われようとも俺はこの17文字に俺の心情を詰め込んでみせる。31文字でできて17文字でできないことはないっ。ここに俺の私の僕のアイデンティティがかかっている。
という具合に短歌は人に冷静さを失わせ、言葉を発するときに自意識を手放すことができなくさせる。そしてどんどん俳句の精神から遠ざかっていくのである。だから短歌を詠めば詠むほど、俳句は作れなくなる。
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一茶の句は反例にならない。
https://anond.hatelabo.jp/20240506233546
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https://anond.hatelabo.jp/20240508195326
俳句に情念は込められないという主張について、上の増田より鮮やかな反例を挙げていただいた。俳句への理解を深める契機をいただけたことに感謝する。
GPTシリーズやローカルAIが重要な役割を果たしているのは確かですが、それがすべての時代における最終的な解決策であるかどうかは疑問です。常に技術は進化し、新しいアプローチや技術が出てくる可能性があります。
実際のところ、そういう問題の根幹には
仮に、レイプなんか20円落としたくらいのダメージだよって意識を万人が持てば
そんな大きな問題ではなくなる。
大きな問題のままにすることには特に意味はないんだから、今すぐは無理だけど数十年後とかの目標としてそういうアプローチがあるのは悪くない
>TRAや男尊左翼はアンフェに屈してしまう腰砕けだから信用できない。
あくまで冤罪被害者に謝ったのであって、アンフェに対して何かしたわけじゃないんだよね。
ネットの諍いに夢中になって叩いたり叩かれたりしているうちに、色々と見失っている気がする。
もはやアンチアンフェ。
それなりに地位があって社会に影響を与えうる人までがこうなのは本当に恐ろしい。
男性嫌悪やアンフェ嫌悪、とにかく嫌悪で駆動しているのだろうけど、
このレス見てもわかるように、性被害者、冤罪被害者、誰のためにもなってないんだよね。
こういう人が「フェミニスト」を名乗ってかつそれなりに社会的地位を得ているという状況、どうすれはいいんだろう。
例えば法に訴えたとて、この人の考えが変わるとは思えない。
この人の女性至上主義とその裏の男性蔑視、それらを正当化する思想的背景はフェミニズム(の一分野)にあるんだろうけど、
同時に、こういう人に歯止めをかけるにはジェンダー論によるアプローチしかないと思う。
@Koiramako
フェミニストとして嫌われても言っておく。赤旗もスプリングも謝ったのは、悪手であり最悪だ。TRAや男尊左翼はアンフェに屈してしまう腰砕けだから信用できない。性被害者が被害に声をあげたら寄り添うことを私は躊躇わない。これからも性被害に遭った女性に寄り添いつづける。それがフェミニストだ。
この手順は、Latent Diffusion Modelsを使用してテキストから画像を生成するための一般的なアプローチを示していますが、いくつかの誤りや欠落がある可能性があります。以下にいくつかの修正と補足を示します。
1. **ライブラリのインポート**: `diffusers` ライブラリは存在しないため、代わりに `torch`、`transformers`、および `diffusion` ライブラリを使用する必要があります。
```python
import torch
from transformers import AutoModelForSeq2SeqLM, AutoTokenizer
from diffusion import LatentDiffusion
```
2. **環境のセットアップ**: 事前学習済みモデルとトークナイザーを使用する前に、必要なモデルとトークナイザーをダウンロードする必要があります。
```python
model = AutoModelForSeq2SeqLM.from_pretrained("nlptown/bert-base-multilingual-uncased-finetuned-xnli")
tokenizer = AutoTokenizer.from_pretrained("nlptown/bert-base-multilingual-uncased-finetuned-xnli")
```
3. **テキストプロンプトの前処理**: `encode_plus` メソッドを使用して、入力をトークン化し、テンソルに変換します。
```python
inputs = tokenizer.encode_plus(prompt, return_tensors="pt")
```
4. **Latent Diffusion モデルの定義**: `diffusion` ライブラリから `LatentDiffusion` をインスタンス化する際に、モデルとトークナイザーを渡します。
```python
ldm = LatentDiffusion(model=model, tokenizer=tokenizer)
```
5. **画像の生成**: `generate` メソッドを使用して画像を生成します。
```python
image = ldm.generate(inputs)
```
6. **生成された画像の可視化**: 画像を表示するために適切なライブラリを使用します。例えば、Matplotlibを使用して画像を表示できます。
```python
import matplotlib.pyplot as plt
plt.show()
```
男女を入れ替えて、声優趣味やオムライスを容姿のメタファーと捉えれば、恋愛工学の典型例にも見える気がした。
容姿に力を入れていない男性と付き合ってる女性、容姿にアドバイスしたら方向性が明後日に向き不満が募る。
そこに自分磨きに力を入れている男性登場。趣味も相性良く君だけのために頑張った風でアプローチ。めでたく乗り換え。
これは男も女もお近づきになりたくないっすねぇ。最初の相方に対して非情すぎて同じコミュニティには属したくない。本人たちが幸せならそれはどうぞお好きに……。
ジャンプ+のケントゥリア、期待して読んでいたものの4話まで来てかなり酷いなと感じた。
作者の力量にすら疑問符が付く内容だった。
働き口を探す気になり近くの村を紹介してもらう。
ところが村のリーダーから「お前には信用が無い」「足手まといは村全体の負担になる」と言われて
テスト内容は「崩落した穴の土石を一人で運び出してみろ」というもの。
夜中には仕事を完了して見守っていた村人達も感嘆、労働者として認められる。
…これもうすべてがおかしいでしょ?
どこの世界でも第一次産業では子供に手伝わせるし何ならその為に子供を作る。
「とりあえず小石運びとか雑用からやらせてみて勤まらなければ帰す」でいいわけで
わざわざテストなんか課す理由はどこにもない。テストだってコストがかかる。
現代で試用期間だの面接だのがあるのは労働者の権利が守られてるからであって
奴隷上等のこの世界なら一日働かせて「「この役立たず!給金なんかねーぞ帰れ!」でいいから
・ダメな奴にやらせられる仕事がないどころか触らせたことで台無しになる可能性がある
みたいなことはあるんだけど、作者はその現代日本の感覚のまま話を考えている。
自分の作った世界の諸条件に合わせて人物の行動を考えるということが出来てない。
ユリアン少年は村のそばで半年間生活していて、同居して面倒見てくれてたのは先述の兵士。
今回の話もその兵士が村に働き口の世話を依頼している。
兵士と村人との関係も詳細は不明だが、こういう話をするぐらいの関係ではある。
その兵士が身元を保証する少年を労働に使ってやってくれって言ってるのにこの対応、
「村人が兵士に相当険悪な反発心を抱いている」みたいな設定があるならいいけどたぶんないでしょ?
「有難いお申し出ですけどこの子はちょっとまだ小さいようで…」と兵士に談判するか、
兵士の顔を立てるために誰でも出来る雑用を与えるかとなるはず。
人間関係や社会的な行動についての想像力が相当低い(たぶん実体験が乏しい)。
暇すぎるだろ。
なんでよそ者の子供一人のテストに村人があんなに集まってるの?今日はまつりか?
一個目の時も背景にどう見ても数十人単位でいる。
半分まで行った時にもまだ同じ密度でいる。
ユリアンが石を運び終わった夜中にも同じ感じで村人が沢山いる。
新入り労働者のクオリティに「村の足を引っ張るんじゃないか?」ときついテストしてくるほど生産性に厳しい村の人間が
何十人も朝から晩までくだらない石運びテストを興味深く見守っている。
そんなに暇なのもおかしいし、そんなものに関心が続くのもおかしい。
これ本当に何も考えずに絵を描いてないだろうか。
主人公ユリアンにとってこの石運びが死んだ仲間やディアナ母への決意表明だったとしても
そんなことは他人には関係ないし伝わってもいないのだから、外から見ればただの石運びなので
ただただ退屈な石運びを見つめ続けられるわけもないし心を打たれるわけもない。
村人の視野とか村人の都合とか村人の思考とかを想像する能力が無く
ユリアン君が頑張ると村人がずっと一緒に見つめ続けて感動するという有り得ない展開になってる。
これは精神的発達段階としてはかなり未成熟段階の認知だと思う。
絵が素晴らしく巧みなのでギャップがあるが、描かれてるものだけ見ると相当稚拙なんではないだろうか。
全然裏切らずに命を捧げてくる奴隷仲間の時からなんか変な感じが漂っていた
(が、善良ベースな世界を描いているのかなと保留されていた)部分が
もちろん、裏切り者が出てくれば成熟した精神世界だとか言ってるのではない。
そうではなくて各キャラに独立した都合や思考が想定されているか、その上でユリアンに命を託してくれているのか、
と言う話をしている。
つまりただただた絵と内容が合ってない。
上手い絵で粗い内容を読まされると人間心理としては段々不快感やイライラがたまってくるので
このままなら『ケントゥリア』はそのうちアンチ的な感想が増えて叩かれるようになると予想する。
今はまだ『ケントゥリア』が期待され持ち上げられている段階なので
怪獣8号も2話3話で「これは期待外れかも」「普通の漫画になってしまった」と書いたら
作者は絵に対して真面目で打ち込むタイプに見える。
描かなくていい村人を描いちゃうぐらいには絵に賭けてる。
もしかすると実は内容が薄い自覚があって絵だけでもと思ってるのかもしれない、
けれども作家としての成長を考えるなら&『ケントゥリア』の成功を考えるなら
というアプローチが良い気がする。
粗い内容は粗い絵の方がいい。
タイトルの通りだが、つい先日30歳になった自分が、自分自身の痩せ方をある程度確立できたので方法を共有する。
自分の体で色々と実験してきた結果なので、もしダイエットに興味があるなら参考にしていただければ幸い。
【プロフィール】
30歳男、身長は175cm。スポーツはそこそこやってきたタイプで、肩幅広めで筋肉質。
いままでは運動で一時的に痩せることができたが、部活を引退&社会人で運動習慣が無くなるとデブに逆戻り。
仕事はデスクワーク(エンジニア)。長めの残業と通勤時間がネックであまり満足に運動できていないのが現状。
【体重】
そして今現在は76kgと、順調に減量。
ちなみに体調はすこぶる良い。ただ昨日は飲み会だったから最低体重+2kgくらいになってはいる。
最近ほんのり腹筋が割れてきたため、今の食生活を続けてもう少し腹筋の陰影がはっきり見えると嬉しい。
もしくは学生時代の最低体重である73kgへの到達を目指したい。
【具体的アプローチ】
・プロテインバーを常備する。会社の引き出し、普段持ち歩いているリュック、家。
→重要。お腹が空いたとき、単体でいつでも食べられるプロテインバーはダイエットのお供に最適。
デブは目先の欲求に囚われやすいため、目の前に甘い、しょっぱい食べ物があるとつい手に取る習慣がある。
そこでプロテインバーの出番という訳。たぶん平均して一日3本~5本くらいは食べている。
プラシーボかもしれないが、タンパク質を摂ると不思議と食欲が抑えられるのも大きい。
メーカーや商品にこだわりは無い。糖質量などはとくにこだわらず、安いなり味が好きなり主観で選べばそれで良いと思ってる。
逆に水に溶かして飲むタイプのプロテインは個人的には合わなかった。
わざわざ溶かして飲まなきゃいけないし、あまり美味ではないし、水場が必要だし、噛まないので満腹中枢も刺激されない。
ゆで卵、サラダチキンなども良い食べ物だが、常備しづらい&さほど美味しくない。なので時々食べる程度。
→重要。今自分が飲んでいるのはエビオス錠、マルチビタミンのサプリ。
他にもヤクルト、野菜ジュース、チョコラBB、ヘパリーゼなんかを飲んでいる。
これも腹が減ったらプロテインバーと一緒に摂るようにしている。
プラシーボによるところが大きい・・・かもしれないが、不思議と体調がよろしいので、とりあえず続けている。
プロテインバーと同様、ドラッグストアで購入できる点もgood。
→重要。現代人は食べ過ぎである、という情報をもう少し我々は理解すべき。
またご飯やパンなど、カロリー>栄養価の食材を過剰に摂取してしまうのもかなり深刻な問題。
こいつらのお供も油や塩を摂り過ぎてしまう食材に溢れており、何も悪いことをしてなくても太ってしまう。
そのため、プロテインバー、サプリメント等を除き普段の食事は1回~2回程度。
飲み会や友人、奥さんと食事を行う際は特に縛りなど設けず好きに食べるようにしている。
サプリメントやプロテインバーだけだとやっぱり味気ないし、食事には栄養の摂取以外の役割がたくさんある。
そう思って日々過ごすようにしている。
以上が具体的なアプローチ。次にダイエットに関するあれこれについて自分なりにコメントしていく。
・水をたくさん飲む
→重要だが、「痩せるから飲む」のではなく、「痩せるような食生活をすると水分が不足しがちになるから飲む」が主観的には納得できる理屈。
普段の食事に水を増やしたところで摂取するカロリーは同じだし、水を飲んだところで不足している栄養素は不足しているまま。
実際、お腹が空いたから水を飲んでも、特に食べたい欲求は変わらず食事を摂ってしまうことが多々あった。
→重要だが、これだけを頼りにダイエットを進めるのは無理があった。
一度マクロ栄養素理論の本を読み、実行してみたものの3日と持たなかった。
そもそも何を食べたか、何の栄養素が入っているかなんていちいち意識して食事を選ぶなんてのは面倒でしょうがない。
ましてや衝動を理性で制御するのは無理。デブは衝動に弱い生き物なのだから、理性に過剰な期待はしない方がいい。
・○○を食べたいときには○○の栄養素が不足している!という情報を知る。
→同上。
→同上。体重の記録を気が向いたときに付けるくらいでOKだと思う。
あすけんとかいうアプリを入れてみたが、記録がめんどくさすぎて投げた。
これを使いこなせる人はそもそもダイエットに時間だとか注意力といったリソースを割ける優秀な人だと思う。
糖質を制限することによるデメリット(倦怠感、甘さへの衝動欲求)、脂質の過剰摂取によるデメリット(腹痛、下痢)が目立ったため、現在はタンパク質と糖質を意識して摂るようにしている。
→少し抽象的であり、具体的な行動とは違うものだが、自分は結構重要だと思っている。
衝動・本能は極めてコントロールしづらい。どれだけ空腹が抑えられる食べ物を摂取したとしても、腹は減るものは減る。
そんなとき、「今自分は腹が減っている」と自覚するだけで衝動的な行動を理性でコントロールできる"可能性が増える"。
そうすると、「腹が減ったら食べる用にプロテインバーを用意しとこう」とか、「たぶん○○を食えばこの衝動は収まる」とか、「これをきちんと我慢できれば体重が落ちているはずだ」とか、
一番やっちゃいけない「もう無理ドカ食いしよ」→「俺はなんてダメな奴なんだ」の最悪ループから一歩距離を空けることができる。
勉強や運動など、何か辛いけどやらなきゃいけないことをしている人にこの概念はすごくお勧めしたい。
・自分を責めない。失敗は反省すべきだが気持ちを引きずるべきではない
→人生において重要な概念。ダイエット、仕事、恋愛、人間関係、すべてにおいて意識すべき。
・「死なない」と思う
子供のころ、注射が怖くて泣いてた自分に先生が「健康になるために大事なことなんだよ」的なことをもっと優しい表現で教えてくれたことがきっかけ。
「死なない」と思うだけで寝不足も受験勉強も部活のトレーニングも残業も、少しタガを外して取り組むことができた。
・運動する
補助的なプラス効果が大きい。過信しすぎずあくまで補助だと思う心が重要。
・寝る
寝不足だと衝動食いが多くなるような気がする。だからといって寝すぎると体を動かすのが億劫になったり消費カロリーが少なくなったりするのでよくわからないというのが正直なところ。
・時間を味方につける
→重要。ただし人による。大人は時間をかけて色々なことに取り組めるのがとても大きなメリットだと思った。
同じ10kg痩せるでも、1か月なのか1年なのか3年なのかで全然違う。
自分で好きに目標を立て、自分をカスタマイズすることを楽しめるようになると人生好転するんじゃないかと勝手に思っている。
ちなみに今年は引き続きダイエット、それと資格取得に力を入れたいと思っている。来年は今のところピアノと副業をやりたいな、と思っている。
以上。なんだかメンタル面についての記載もそこそこ多かった気がするが、たぶん大事なんだろう。
まだまだダイエットに関しては成長途中。お互い頑張っていきましょう。
【追記】
・年齢について
年齢に関するコメントが思ったより多かった。「30歳にして~」というタイトルだからかな。
個人的には、年齢を言い訳にせず、むしろ経験を活かす方向に思考を持っていく方が有益なんじゃないかと思っている。
年齢の言い訳はめちゃくちゃ強力で、言われた方は「確かにそうですね」か「そうなんですか」しか言えなくなってしまう。
飲み会のときとか特にね。誰にでも起こる話だから話のタネとしてはとても使いやすい。
まあ異を唱えることはできるっちゃできるけど、普通は余計なことは言わんよな。
俺の後輩もこないだ入った新入社員に対して、「二郎系ラーメンが食えなくなってきて~」とか、「最近徹夜ができなくなってきて~」とか、そんな話をしていた。
ライフイベントの変化、もしくは老化。赤ちゃん以外は誰でも使える万能の言い訳。それが年齢。
ダイエットの話に戻すが、結論わかってるなら前もって対策するしかないな、って思ってる。
たぶん俺も、40、50になって体重とか見た目が気になるようになったら運動の回数を増やしたり、食事の回数や質を変えることになると思う。
俺自身、部活の引退っていうライフイベントの変化を経験して、それに対して時間を掛けて順応してきたわけだし。
この考え方は、俺が残業の多い会社の技術屋だからっていうのも大きいと思う。
昇給や出世は年功序列によるところも大きいけど、成長しないまま年を重ねて使えないエンジニアになるのは恐ろしいことだ。
だから早めに会社に来て勉強したり、図書館に2週に1回は通って常になんかしら本を借りる習慣を作ったりしている。
時々嫌になって運動に逃げたり友達とゲームしたりもする。この辺はもう少しやり方を考えないといけないと思っている。
いやまあ勉強してない奴なんて会社に山ほどいるけど、あえてその概念を自身に取り込もうとは思わない。
転職もありといえばあり。会社から逃げる準備はしてるけど、給料が高いのと人間関係がそこそこ良好なのでまだ辞める予定は無い。
今ChatGPTとこういうの壁打ちしてんだけどさ
俺「『黒人であるすべての人』を採用時に一律排除することは例え『黒人より白人の方が統計的に生産性が高い』というデータがあっても許されませんか?」
ChatGPT「それは許されません。個人を統計データで一律に判断することは差別につながり、個々の能力や資質を無視する行為です。」
俺「では、『22歳時点で大卒になれる経済力を持たない家庭に生まれたすべての人間』を採用時に一律排除することは許されますか?」
ChatGPT「許されません。教育機会や経済的背景に基づく排除は、機会の公平性を損ない、才能ある個人の可能性を見過ごすことになります。」
俺「それは重大な差別ですか?」
ChatGPT「はい、それは重大な差別です。教育や経済的背景に基づく不当な扱いは、社会的公正を損ね、個人の権利を侵害します。」
俺「しかし、大卒者限定の採用募集というのは多くの企業で実施されていると思います。
『新卒かつ大卒ではない人間』を一律排除することは、『22歳時点で大卒になれる経済力を持たない家庭に生まれたすべての人間をすべて排除すること』を包含していますよね?これは、何故社会的に許容されているのですか?」
ChatGPT「大卒者限定の採用が社会的に許容される理由は、特定の職種や業界で求められる知識やスキルが大学教育によって提供されると考えられているためです。しかし、このアプローチは確かに経済的な背景による不平等を反映し得ます。そのため、多様性と包摂を重視する企業は、職歴やスキルベースの採用を行うことで、より公平な機会を提供しようとしています。」
俺「医師国家資格を持った人間しか医師として採用されないようなリクルートであるのなら納得もできます。
しかし、例えば新卒の教育を前提として、職能関係ない学部卒の人間を大量に雇うような企業において、
『大卒者の方が中卒者・高卒者よりも統計的に有能である可能性が高いから』という理由で大卒に限定することは差別ではないですか?」
ChatGPT「『大卒者の方が中卒者・高卒者よりも統計的に有能である可能性が高いから』という理由で大卒に限定する採用方針は、教育レベルに基づく差別とみなされる可能性があります。特に、職務と直接関連しない学歴要件を設定する場合、それは公平性を損なう行為とされ、個々の能力や実際の職務遂行能力を無視することになるため、不当な差別につながることがあります。社会的にも倫理的にも、より公正で包括的な採用基準が求められています。」
何回やっても大卒者限定の求人は差別って結論にしか行き着かないんだけど、これが差別じゃないという納得できる説明を誰か考えてほしい
多くの大企業ですら「採用における黒人差別は許されない」と言っている同じ口でこういうことしてるわけじゃん?
なんか世の中とかリベラルが定義している差別という定義は単に可哀想ランキングを元に作られてるだけのしょーもないものなんやな以上の理由が思いつかないんだが
なぜナンパされないかというと、その服装の女の攻略法が確立されていないから。
ナンパされる人たちはご存知だと思うけど、ナンパする方は「どれはうまく行った」「これはやれなかった」みたいな感じで外見で分かる女のタイプごとに攻略法を共有している。
アプローチがそんな感じなので、攻略法が未確立のタイプは相手にされにくい。
ロリータ(この言い方、古くない?)も、そのうちにせいこう例が共有されて攻略法が確立されると、同じように声をかけられるようになると思う。
ロリータが男ウケしない理由より、お疲れダル着社畜女に男が寄ってくる理由から説明したほうがいい気がするなあ。
端的に言うと、「ヤれそうだから」。
そもそもまず面識のない女に道端で声かける男って「普通の男」じゃないんだよな。
いかに少ない工数でどれだけ効率的に女とヤるかを競ってるような、ナンパとか恋愛工学とかそういう連中ね。
そういう視点で見ると疲れた女ってちょっと優しくしたらヤれそうだなって思うわけよ。
なんならボサ髪目の下クマダルダルパーカーとかでも寄ってくるだろうね。
逆につむじからつまさきまでばっちりロリータでキメてる女とかそんなん絶対工数かさむでしょ。そりゃ避けるよ。
普通の男からみたらどうかというと、ロリータはなんか独特の世界観持ってそうだなってみえるんだよね。
当たり前だが、普通の男の場合は断られるのを恐れてるんだよね。
これは女でも分かるでしょ、アプローチして空振りしたら普通にへこむわけで。自尊心が傷つく。
(ナンパとかやってるやつはヤった女とやらせてくれなかった女を見下すことでいびつな自尊心を保ってるわけだけど、まあこれは別の話だな)
逆に、服装がロリータでも女の側から気さくに接すればギャップがウケるとおもうよ。
べつに男にモテたいわけじゃないらしいし、どうでもいいだろうけど。
あと、これはわかってるとは思うが、「見えてる地雷」とか「メンヘラっぽい」とか書いてるのは、アニメとゲームと漫画を摂取しすぎてこじらせたオタク君だから「男ウケ」とは完全に無関係な。
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。豚汁。昼:お菓子。夜:餃子、長ネギ、人参、キノコの鍋。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすすー。
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
終電を逃した主人公が何故か臨時で運行している臨時終電なる謎の電車に乗り込むことから始まるホラー。
いつまで経っても駅につかない、応答がない車掌、次々起こる怪奇現象で恐怖を煽ってくる。
これらの恐怖体験を乗り越えつつ、この電車が何故このような奇妙なことになっているのかを解き明かすちょっとした謎解きパートもあるのが良き。
今まではルート毎に大きく異なる設定の妙が面白かったが、今作は一本大きなメインルートがありそこからの分岐を楽しむスタイルに変わっている。
ホラーだけ一辺倒というわけではなく、数個のコメディも用意されているがオマケ程度。
あくまで謎の電車に閉じ込められてのホラー展開を楽しむ作品になっている。
特徴的なのは、視点乗り換えシステムと名付けられたザッピングのシステム。
普通の会社員の主人公の他に、メーンヒロインで大人しいあかり、インテリながら失業中でやさぐれ気味の幸子、シングルマザーで色々と疲れているめぐみ、中年男性で記者の南武、ヤンチャな若者吾妻と言った他のキャラ視点のルートも楽しめる。
彼らのルート独自のエンディング、独自の世界観も用意されているのが良かった。
特に、シングルマザーとして子育てと仕事の両輪に疲れてしまった烏山めぐみさんのルートでは、女性側から男性にアプローチをかけるシーンなんかもあったりして興味深かった。
本筋を追う場合には、主人公だけでなく彼らのルートでも電車の謎を追うための行動を成す必要がある。
そうして、6人それぞれが臨時終電にまつわる手掛かりを持ち寄り、最終的に立ち向かう構成がシッカリしている。
今までの二作品は低予算なりの試行錯誤を小さな良作だったけど、今作はそれらを踏まえての王道ホラーものとして規模感関係なくちゃんと面白かった。
フローチャートや既読スキップの高速化などのシステム面の成長もありがたい。
特にフローチャートは、前作までと違いフラグ立ての概念がある本作には非常に嬉しい仕組み。
全ルートを制覇すると見れるオマケシナリオを読むためにも、このフローチャートを見ながらの穴埋め感は楽しいシステムだった。
プレイ時間は2時間ほどと短いものの、メインストーリーに集中できる時間がしっかりあるので物足りなさはなく良い塩梅。
ただ、その分ルート分岐でのしっちゃかめっちゃかさや、キャラクタの面白い出鱈目さ加減など、前作までのふざけた部分がかなり控えめなのは寂しくもある。
特にキャラクタの個性は、各位のルートがあるだけに、もっとはっちゃけても良かったかもしれない。
そのうえでヤカラ諸君にはその子のことを単なる肉便器として侮っていてほしい。
”清潔でとにかく無口でテンション低いのが平常運転だけど、自分の価値をわかりきってる美人”
が合意の上でそういう男に股を開いて、ハメ撮りや乱交も喜んで受け入れる・・・・・・
そんなシチュエーションに何よりも興奮するんです私は。
多分、中学時代の経験がこういう性癖に影響を与えているのだと思います。
メガネ黒髪無口なのにもかかわらず学年No.1人気があった憂いのある美人の同級生が、学校最凶と悪名高かったヤンキーの同級生と付き合っていたんです。
「非常階段の踊り場でバックでヤったw」とヤンキー君が男連中に自慢してたらしいのを小耳にはさんでほんと最高だったし感謝感激だったんですよ。
贅沢いえば……
「反社・ヤカラにいいように肉便器にされそのことを喜んでいたのにもかかわらず、
大企業勤めの同年代とシレッと結婚し落ち着いた聡明な美人の家庭人として豊洲や二子玉や品川や小杉のタワマンに住む」
そんな締めくくりであってほしいものです。
とにかくですよ?
一見すると関東連合と区別つかないようなヤカラの皆さん(できれば学歴弱者の前科持ちであってほしい)は、どんどんこういう女性にアプローチしていってほしいんです。
そうしてくれると私、ドピュッドピュッと良く精子を出すことができるのであります。はい。
余談ですけどねえ。
「この手の女子は才女、育ちが良さそうに見えるだけで実は反社の情婦がお似合いのアッパラパー」
むしろ彼女ら女子校で学年生徒数少ないのに例年東大何人も受かるような中高一貫校に中学受験で入ってたりして、私立専願ながらちゃんとお馴染みの難関大出てたりするんですよ。
受験生時代から英語と世界史が妙に得意だったりしちゃってね!!
それなのに、それなのに……
大学進学後、男なんかに影響されて腹や尻にタトゥー入れてみたり、乱交(反社様やヤリサー幹部様、複数の強き者から求められる悦び)に忌避意識なかったりしてもう最高。
なんのための実家暮しだあ!笑
仏の教えは合理的。基本的な理屈の前提となっているのは、この世界には「因果関係」があって、あらゆる物事は因果関係の連鎖で成り立っていますってことだけ。
・絶え間ない因果関係の連なりがあるから「諸行無常」。諸行無常ってのは、あらゆる物事は変化し続けているってこと。
・諸行無常な世界を普通の人間が経験すると、「一切皆苦」と感じる。あらゆる物事が変化し続けているってことは、やがては人の望まない状態になり得るし、たいていはそうなるから。人生には「四苦八苦」がつきもの。
・普通の人間は、永遠不変の私がいることを素朴に信じていて、その『私』に強く執着している。しかし実際は、「諸法無我」。つまり、永遠不変の私は存在しないということ。なぜなら、私はこの世界の一部であって、世界の一部であるからには因果関係の連鎖によって一時的に立ち現れている物事でしかないから。身体も五感も思考も欲求も一時的に立ち現れているものに過ぎない。私という存在もまた、諸行無常であり、ゆえに諸法無我。
・普通の人間が諸行無常な世界に在って一切皆苦と感じるのは、『私』に強く執着しているから。世界も私も変化し続けているものだから、『私』の思い通りになるとは限らない。それなのに、思い通りにならないとそのたびに苦しい。
・一切皆苦と感じる原因が『私』に対する強い執着であるなら、その執着を薄め、消し去ればいい。この世界は諸行無常であり諸法無我であることを、知識としてではなく、感得することができたなら、『私』への強いこだわりは霧散し、世界を一切皆苦とは感じなくなるし、副産物として利己性も消える。これが悟りの境地。
・この世界が諸行無常であり諸法無我であることを感得するには、感得するトレーニングを繰り返して感得する認知能力を高める必要がある。自転車に乗れるようになりたいなら自転車に乗るしかないのと同じ。このトレーニングが仏教の修行の中核。昨今では「ヴィパッサナー瞑想」とか「マインドフルネス」とか呼ばれている。ヴィパッサナー瞑想で得られる認知能力を「智慧」あるいは単に「慧」と呼ぶ。
・『私』に対する強い執着を薄める方法はヴィパッサナー瞑想以外にもう一つのアプローチがある。「慈悲」つまり、利他的な心を育てる瞑想や利他的な実践を繰り返すこと。
・ヴィパッサナー瞑想だけしていれば悟れるかというと、そうでもない。「戒」:瞑想に集中するための環境や習慣を整え、「定」:ヴィパッサナー瞑想に必要な集中力を高めるための瞑想も行う。これらをヴィパッサナー瞑想と合わせて「戒定慧」と呼ぶ。仏教の実践は基本的にこの三つ。もう少し詳しくは「八正道」と言う。
というのが、私の理解。もっと詳しく知りたければ「」でくくった単語を検索して一つずつ調べるか、書籍なら仏教思想のゼロポイントをおすすめ。
思想史的な観点をちょっとだけ補足。仏教は教祖である釈迦の没後、スリランカやミャンマーあたりに伝わったものが初期のノウハウを比較的色濃く伝えている。これは上座部仏教、南伝仏教、小乗仏教とか呼ばれてる。一方、中央アジア等を経由して中国に至るうちにかなりの変貌を遂げたのが、北伝仏教、大乗仏教とか呼ばれてる。日本の仏教は中国経由で伝わったもので、基本的に大乗仏教。輪廻転生は仏教のオリジナルのアイデアではなくて、インドやネパールあたりにもっと昔から根付いていたアイデア(輪廻転生だの神や悪魔だのの有無は、今生きているあなたが苦から逃れるために重要なことではないですよ、肝心なのは八正道の実践、ってのが仏教のスタンス)。天国地獄のアイデアはおそらく中央アジアあたりで仏教に混淆した。先祖の供養が大事みたいなアイデアはたぶん中国で混ざった。