はてなキーワード: アクセサリーとは
ボーはおそれているを見た
本当ははてな匿名ダイアリーに書こうと思ったのだが、初の試みすぎてどこからいけば入力ホームに飛べるのかも分からなかったので、こうして一旦自分のエディタに向かって書く。ちくしょうめ。
お前たちがこれを見ているのなら、どうにかうまいこと投稿できたんだろう。
あのミッドサマーを作った、嫌な人間関係を描くことでお馴染みの男アリ・アスターの作品だ。
彼の妙に女側の鬱憤描写に自信がありそうな感じは、まあきっと他の人が論じることだろう。
以下は、ボーと同じく母子関係に問題のある増田がどのようにボーと旅をしたかの備忘録である。
物語は、ボーが母親の誕生日パーティをドタキャンしたことから始まる。
ボーはいつも恐れていた、母親の機嫌を損ねることを。傷つけることを。
わかるぞ、ボー。
女手一つで息子を育てるというのは、どんなに大変なことか。
大人になればなるほど、それが途方もない献身の末にあったことが身に染みるようになる。
そんな彼女の気持ちを裏切るのは、いつも最悪な気分になった(これは増田の話)
それにボーは、母親の経済的援助の元にある(はっきり書かれてはいないが、増田はボーのカードは母親名義のものだと推測している)
就職先とか全部潰されてきたりしたのだろう。
アパートで鍵を奪われたりしたのは、なんだったんだろうな。
母親は誕生日パーティのドタキャンを受ける前から、ボーに試練を与えるつもりだったのか。
それとも、母親の一味の中にボーに害意を持つ者が個別にいたのだろうか。
あるいは、「お前はこれで終わりだ(うろ覚え)」と語りかけてきた男は、ボー自身の破滅願望だったのか?
ともかくここからボーの辛い旅が始まる。
家にたどり着くまでのやつは割愛しよう。
あれはほとんど昔話で言う「三回正しい行動をしたものだけが生き残れる」みたいなお約束パートに見えた。
その中でも、医者の妻や森の痩せた男など、ボーに同情的な人々は少し居た。
彼らはどんな気持ちであの寸劇をやっていたのだろうか。
あの医者の家の娘、その気の毒さ。
突然やってきたボロボロの中年男性に、居場所を奪われるのは苦しかっただろう。
もしかしてあのペンキを急に飲んだのは、ボー母からの内密な指令だったのかもしれない。
例えば誰も逆らいようのないボー母から「ボーと恋人関係になれ」などと命令されたなら(もちろんもし従ったところで、きっとボー母は彼女を始末しただろう。ボーにセックス禁止の呪いをかけていたわけだし。つまり、彼女が本気でボーを誘ってボーがそれをちゃんと断るところを見たかった。試したのだ)、あのヤケクソも理解できる。
ティーンエイジャーがそんなことを強いられれば、死にたくなったって仕方がない。
(追記:最初の推測は上の通りだが、よく考えて「ボーを本当の息子として扱え」が命令だったのかも)
個人的な推測をさらに進めるなら、ボーの母は彼を裁くに足る証拠を集めたかったのだろう。だから彼が罪を犯すチャンスをたくさん与えた。
そういえばボーの居住地区の治安が終わってるのも、母の采配なのだろう。
彼女はボーが自分を愛していないことを、確認したかったのかもしれない。
ペンキ自殺をきっかけに、ボーは次のステージへと追い立てられる。
舞台の筋を書いたのは母親だろうから、母の愛(鎖)を断ち切ったところで幸せにはなれないという話だったのだろうか。
結構序盤からボーの妄想劇場っぽかったから、あれは単に彼の内心の探索だった説の方が強そうだが。
そういうお母さんの話(舞台)を途中から流すようなところが、母をイライラさせていた可能性はある。でもあのお母さんイライラ範囲デカいからな…。
セレモニーが終わってみんな帰った後っぽかったのは、フェイクだったからだろう。元々死んでない葬式なうえ、目的はボーのリアクションを確かめることだ。
弔問客がいっぱいいたってノイズになるばかり。
クルーズで出会ったあの子(たぶんボー母がセックスに至る前に追い出した)が、葬式に現れる。
彼女はボーと可及的速やかにベッドインするし、死んだ母親のアクセサリーとかもいじくり回す。
絶対このタイプの女、ボー母は嫌いだもんな。明らかに遺産目当てだし。
あのおっかない母親が死んだ今、ボー一人を籠絡するのは楽勝だと思って現れたのだろう。
でもこういう金目当て女に易々とハマるのは、ボー母の責任だ思う。
お前がボーに恋愛(セックス)を禁じて、免疫を得るチャンスを与えなかったから……
そしてボーは母親に言外にしかし固く禁じられていた射精を、彼女の中で果たした。
ボーが母親に決定的な不信感を覚えた瞬間だと思う。
あの外観を与えたのはボー母であるし、自分の中で射精した瞬間死んだみたいなエピソードもそれっぽい。
ボーを宿したあの瞬間までで夫の物語を止めて仕舞えば、美しい話で終われる。
隙を見せたお前が悪いので自分語りをするが、私も過去に浮気をされたことがあり、ボー母のこの気持ちはよくわかる。
ある一瞬以降の「あいつ」を死んだことにしてしまえれば、どんなによかっただろうか。
ここに関しては、ボー母は自分のやりたいようになったことだろうから、少し羨ましくもある。
アリ・アスター監督は女のこう言う感傷部分への理解が異様に深い。
私も無限の金があったなら、昔の男のことは好きなだけボロボロにした上に殺したと思う。
なんでもできるが故に、諦められない。
彼女にとってどうしようもできないのは、人の心だ。
父親の心も、ボーの心も彼女は全く思い通りにできなかったのだろう。
一度、彼女の側に立ってみてボーを見る。
多分父親に似ていたのだろう。
今度こそ自分を一心に愛する男に育てようと心を砕いたのに、ボーは何度でも「私」を裏切る。
男友達と一緒に自分を貶め、自分以外の若く美しい女と寝ようとする。
自分に愛しているという口で、カウンセラーには不満や憎しみを言い募る(聞いてる母が悪いのだが)。
愛しても愛しても(少なくともそのように認識していても)、男は決して満足のいく愛を返してくれはしない。
可愛さ余って憎さ100倍ということわざが向こうにもあるのかは分からないが、そんな心境だったろう。
父と息子を混同するの、やめた方がいいよ。
「私」をとうとう完全に裏切った「あなた」なら、安心して殺せるから。
正直言って母の父への憎しみはわかるものの、「子供」としての増田はボーと共にある。
経済的援助を受けていたやましさ。
日記帳を覗かれていたおぞましさ。
母を拒否した時の、たとえようもない罪悪感。
他にも色々あるが、ボーにシンパシーを受けるのはこの辺の過去があるからだ。
私の母は経済的援助についてはもちろん恩を感じるべきだというし、
日記帳に関しては母の愛だったのだから、私が許すべきだと主張する。
そして彼女の様々な誘いを拒否すると、哀れっぽく嘆いて見せるのだった。
これは、このタイプの母を持つ人間にしか分からない強制力だろう。
特にお前が母親に「自分はあなたの死を悲しんでた、超泣いたし」みたいな言い訳してるとこすごい分かったぞ。
自分でも嘘なことはわかってるんだけど、悲しめない自分に罪悪感もすごいしそれが母にバレた日にはすごいことになるから、とりあえず口先だけで母親想いをやるんだよな。
昔は金と罪悪感のコンボで割とコントロールされていたものの、最近すっかり距離を取るようになった。
物理的に距離を開けたのもあるし、一念発起して母に直接様々なわだかまりを伝えたからもある。
まあ全然分かってはもらえなかったのだが、幸いにして私の母には100人の狂った部下はいないし、経済的自立も今のところ果たせている。
このままボートには乗らず、本物の葬式でしか近づかないつもりだ。
ボーよ、お前には全然選択しなかったと思うけど、こういうオチもあったよ。
映画自体は徹底的にバッドエンドだったし、スタッフロール中にも転覆したボートを延々映し続けて終わる最悪さだったが、その後のことは私が勝手に想像してもいいだろう。
ボーはあの後、きっとボートの中にあった空気で助かって、うまいこと脱出できた。
観客席のみんながはけた後、最後に残った私のところにボロボロで泳ぎついて、私は「よく頑張ったなあ」ってボーの手を掴んで引き上げる。
そのあとは小汚いボーを連れてその辺でホットドッグとか買って齧って、公園で「いやお母さんやばいね」みたいな話をして、話も尽きたし寒いから私は普通に家に帰る。
ボーはお母さんの手から逃げることはできないだろうけど、まあなんとかトボトボ暮らしてお母さんが死んだら、遺産とかもらって急に派手な暮らししたらいいよ。頑張ってお母さんより長生きしな。
人より苦しい時間は多かったかもだけど、もしかすると本当にもしかすると、その苦労に見合った価値のある時間がいつかくるかもしれない。
そういうのって、生き残ってみなきゃわかんないから。
ボー、恐れるな。
私もついてるし、意外と似たような境遇のやついっぱいいるからさ。
な、しぶとく行こう。
数は多くないがイヤリングを少し持っている。が、あまり活用できていない。
普段メガネとマスクをしており、そこにイヤリングをつけると「なんか顔らへんごちゃつくな・・・」と感じてしまい外すことが多い。
あと職場がアクセサリーつけていいのかよくわからない。多分つけていいのだろうがあまりつけている人がいないので冒険はしない。
かわいいのが好きなのだが服と合わせるのが苦手だ。シンプルな長方形とか長めの形が自分の顔に似合うなと思うが、シンプルなイヤリング自体に興味がわかず、何を選べばいいのかわからない。
唯一人から「細いね」と言われた首が自分のチャームポイントだと思っている。首や鎖骨を出す服はそこそこある。ネックレスをつけたほうが締まるかなという時もあれば、職場で入館所を首から下げるときにダブルネックレスは変では?という気持ちもありつけない時も多い。
ピンキーリングが昔かわいいなと思い、つけていたがなくした。別のものをつけていたが指の感覚がなくなってきたので辞めた。
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ。
○ 探偵・癸生川凌介事件譚 泣かない依頼人
携帯電話で配信されていたアプリをニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十二弾にあたる。
癸生川探偵事務所に小学生の依頼人が訪れることから始まり、幾つかの謎が同時並行的に展開していく。
学校に来ない小学生、ウサギの殺害事件、数ヶ月前のプールでの事故死、そして殺人事件。
目まぐるしく次々と事件が起きていくが、シリーズいつもの面々が事件解決のために右往左往するオーソドックスなシナリオになっている。
小学校と中学校が主な舞台になるので、聞き込みの対象も生徒や先生と学校関係者が中心となる。
生徒サイドは良い意味で今までのシリーズらしくない、キャラクタの可愛らしさが強調されたパートもあり、この辺は結構好みな展開。
個人的には、ウサギのアクセサリーを弄る癖がある北村梓ちゃんを可愛いと思ったのでもっと出番が欲しかったところ。
何故ウサギが殺されていたのか、という魅力的な謎が開幕早々に提示されるので開幕の引きはバッチリ。
ただ前作と同様にトリックらしいトリック、興味深い論理の飛躍などはないのは好みが別れそう。
この魅力的な謎も、解決を読んだときの納得感は薄く、腑に落ちなかった。
地に足を付いた聞き込みと証拠から犯人を少しづつ浮き彫りにしていく様はゲームにはなっているが、探偵・癸生川凌介事件譚らしさがあるかと言われると悩ましい。
しかし、トリックやロジック以外の、小説的な情緒を語る部分もまた探偵・癸生川凌介事件譚のらしさが映えるポイント。
今作は人の身勝手な悪意に文量がしっかり割かれていて、犯人が最低で嫌なヤツだからこそ、憤りつつ読み進められた。
小学校、中学校が舞台なので序盤は朗らかで可愛らしい雰囲気で進み、殺人事件が起きてもなおどこか優しい空気感がある。
ところが、それらの可愛らしさがとある証拠の発見を境に一転するのが恐ろしい。
この人間の底知れぬ悪意を端的な文章で切り込んでくれるのは、興味深く楽しめたポイントだった。
シリーズとしては、シーズン2はこれで終わりで、13作目からはシーズン3としてまた別のライターさんが手がけることになる。
前作あねの壁も今作も、ミステリとしてはあっさり目ながら、情緒的な部分で探偵・癸生川凌介事件譚をやろうという気概は感じられて、これはこれで楽しめたシリーズだった。
「自問自答ファッション」って言葉を知っている人はどれぐらいいるだろうか。
自分がどうなりたいかを自問自答しながらコンセプトを決めて、そこから自分のファッションを決めて制服化していく…みたいな感じ。
最近では結構有名になってきた、ファッションとの向き合い方である。
主催者のAさんが講師の少人数制のファッション講座はいつも予約が取れないほど人気で、そのレポを読むとファッションそのものよりカウンセリングに近いものを感じる。
私はこの「自問自答ファッション」の考え方が好きだし、予約が取れたら講座も受けたいと思うぐらいだった。
しかしよくよく調べていくうちに、どうもこの自問自答ファッションのファンに当たる人たち、「自問自答ガールズ」という名前がついている界隈の人たちが苦手になってきた。
そもそも自分のファッションについて、にあうものが知りたいとか深く考えたいと思ってる人が集まるわけだから、大体似たような性質の方が集まる。
そして多くの人が自問自答ファッションについて言語化する人が多い、というかそういうのが好きな人が集まる。
その結果「プライドや理想が高く、承認欲求が満たされていない理屈っぽい人」がとにかく多い印象がある。
そして自問自答ファッション自体の人気が高まるにつれ、コミュニティ的な側面が強くなってしまったがゆえにそういう人が幅を利かせてると感じて苦手になっていった。
しかし、ファンは鏡というかなんというか、そういう人を引き寄せているのは主催のAさんだなと思うようになった。
きっかけは、自分と向き合う感じのファッションの考え方のはずなのに、みーんな主催者Aさんが関わってる刺繍ブランド・パ●リーのひらひらした指輪をつけていること。
主催のAさんはハイブランドの良さをブログで語るぐらいだし、シャネルは特段好んでいるはずだけど、ジュエリーに関してはブランドに触れない。
シャネルは安めのアクセサリーから貴金属のファインジュエリーまで幅広く展開しているし、ファッションを考えていくうちにジュエリーに興味を持ったので、Aさんもジュエリーブランドの話してほしいなと思っていた。
なんならなぜジュエリーの話出ないんだろうとすら思っていたけど、自問自答ガールズがパ●リーの指輪つけてる人だらけで、これ答えじゃね?と思ってしまった。
Aさんの好みにケチ付ける気はないけど、Aさんを崇拝する自問自答ガールズがパ●リーを買わなくなると思えば、そりゃジュエリーの話は出来ないよなと思った。そのぶん売上減るんだから。
ビジネスだから当たり前だと思いつつ、何とも言えないもやもやが残る。
長年ADHD傾向で、遅刻はおろか、これのせいで仕事の評価を上げるチャンスもダメにしたし、出会いも不意にした女がいうけど増田は彼氏/彼女のことをあきらめた方がいい。
彼氏君/彼女ちゃんの態度は自分もどうかと思うし、自分が彼氏君/彼女ちゃんの立場なら自分は謝る。(上記の例のアクセサリーなら自分ならなくすと思うから大事にしまっておいてつけたりしない)
けど、仮に恋人がもしこれについて謝ったとしても恋人の、なくしたり迷惑かける障害自体はマジで本当に直らないし繰り返すよ。
(ADHDのパワー系ソリューション使えばある程度は減らせると思うけど完全ではない)
くりかえしてあなたに迷惑をかけ続ける恋人に対してあなたは本当にめちゃくちゃイラつくと思う。
ブックマークがついた↓の回答も正論だとは思うけど、恋人のその態度は長年の障害でできたその人なりの防御パターンだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240120190246
(あえて言うなら「気にしないで」と返されたときにブチ切れて詰めるを繰り返すなどで嫌子を与えるぐらいしか思いつかない。
そしたらさすがに「謝る」の行動ぐらいはやるようになると思う)
最終的に、あきらめるか別れるかの二択になると思う。
当方女ミドサー。化粧を自分にすることには興味ないな。相手をきれいにするとか見立てるのはとても好き。
理由はまず肌が弱い家系なこと。祖母がとにかく化学製品ダメで、それでも真っ白な髪の毛がすんごくキレイな人だったんだ。
それでもお化粧そのものに憧れはあって、中学1年生のときに、すでに化粧してた友達(姉がいるからか少し大人っぽい子)にダイソー連れて行って一揃い見立ててくれ!って頼み込んでスタートした。
周りに合わせて高校生くらいまではフンバってメイクしてたし、少ない小遣いをアイメイク中心にコスメに浪費してた。キラキラしたものが好きでね……
だけど、かっこよく見せれば見せるほど、落としたあとのケアにお金がかかる。もともと顔が濃いのもあって「やってんな感」を出すくらい乗せないと変化がないのもデカい。
同じ金額出すなら基礎化粧品だ!と方向転換した。彼氏できたらお泊りして、寝起きすっぴん見せることを前提にメイクするとなるとマジでつまんないもん。
もともと顔の造形のコンプレックスはない、肌のコンプレックスは多い。その着地がここ。
でも!お洋服やアクセサリーは大好きだよ!バッグとか小物も。簡単なものだったら手作りもする。ネイルケアはセルフでできる範囲。
こまけーこたぁ気にすんな
作り手の世代はまだまだそういう時代の根暗ムッツリオタクの気質を持ってるからな
必ずラブシーンを入れたがるハリウッド映画や、必ず男女のねちっこい愛憎劇をいれて痴話喧嘩をさせたがるテレビドラマと同じ
お決まりのもんだと思えば良い
ただそれを見てる側の人間を、作り手と同じ趣味や常識を持つ者とみなす必要はない
どんな表現があったとしても、「作者がやってるだけ」だ
その作品がどれだけ売れてようと、創作ってのは結局「作者が思う世界観の表現」でしかない
それは作者の内面だけにあるもので、作者本人を表すものですらないかもしれないし、まして消費者の思想を決めつけられるもんでもない
「作品に触れてる」ことで作品を自分のステータスの一部にする、自分を飾るアクセサリーとして作品を見なす、そういう軟派な発想をしてさえいなければ
逆に、作品を自分のアクセサリーにしようとさえ思わなければ、気にする必要は無いと思うんだが?
違うか?
引き出しの中には、その時代やその文化的文脈に基づいた、今の自分から見て輝いて見えるものも汚く見えるものも入ってる
すべての作品にはそういう両面、いや多面性があるんだ
そのように認識すればいいんだよ
診断済みADHDのパートナーとの関係にどうしたもんかなと悩んでいる。
付き合ってしばらくして、ひょんな会話の流れでADHDであることを聞いた。
あ~あれは多動、衝動、不注意、過集中だったんだなと、今までの出来事を思い返して合点がいった。
むしろ、それらの行動が「増田に対する好意や信頼が足りないから」ではなかったことで安心できる部分も大きかった。
例えば増田がプレゼントしたアクセサリーをパートナーがなくしてしまったとする。
それが「アクセサリー(あるいは増田)に対する思い入れのなさによる」不注意なのではなく、
「どれだけ気を付けていてもなくすもんはなくす」特性なのだから仕方ないとは思うし、さして怒ることもない。
しかし現実としてプレゼントしたものをなくしたのは向こうなのだから、せめて「ごめん」の一言くらいは欲しい。
確かに仕方のないことではあるが、あるのだが、
「仕方ないじゃん」と向こうが言うのは筋が違うだろうと思ってしまう。
これについてADHDの特性というか、ASDが混じっているのでは? とも思うのだが
恋人はおろか友人にも言わないだろうというような、いわゆる配慮の足りない発言も気になるようになってきた。
今の言い方は傷ついたのでやめてほしい、思っていてもせめてもう少し柔らかい言い方を選んでほしいと頼むと
やはり「ごめん」の言葉はなく、代わりに「これが自分の性格なので気にしないで」と返された。
瞬間、コミュニケーションに当事者意識のない、とても相手任せな発言だなと思ってしまった。
注意をしていてもものをなくしてしまう、言葉を選んでほしいと言われても選べない、
だからこその発達障害だし、パートナーであればなおさらできる限りのフォローはしてあげたいと思う。
でもどうしても「仕方ない」も「気にしないで」も、言うのは増田であってあなたではないと思ってしまう。
一対一の関係なのだからよりよいコミュニケーションを図れるようお互いに協力していこう、という意識が見えないのがたまに腑に落ちない。
もういい年齢をしているし、遠くない将来には結婚もしたい。
だからなのか、上記の態度さえ改善されればと思わざるを得ないことが多く、どこか気持ちに熱が入り切らないのが正直なところだ。
今までも周りに発達障害者は複数人いたし、扱いが難しいと言われる人とも人並みよりはうまく付き合えていると思っていた。
でもパートナーとなるとこうも話が変わってくるんだなと日々感じている。
もちろん増田自身の発達障害への知識・理解が不十分なのはあるだろう。
世の「理解のある彼くん/彼女ちゃん」はどうやってこの感情と折り合いをつけているのだろうか。
不満にも勝る愛の力で乗り越えているのか?
だとすれば、そこまでの力は増田にはないのかもしれない。
オレがベトナム行った時は、現地のメコン川のツアーで一緒になった台湾と韓国の子たちが積極的にオレにだけニコニコ話しかけてきて、やらなくていいよと言っても生春巻きを代わりに巻いて渡してくれたりまでして、ちょっと引くくらいちやほやされた。
もちろん、一方的にちやほやされすぎるのはまずいので、飲み物おごったり注いであげたり似合いそうなアクセサリー買ってあげたりで対等になるようにちやほやし返したけど、大変だったわ。
①普通に暮らしてりゃ歯科矯正してる小学生は女の子のほうが多いくらいすぐわかることなのに(なんせ2倍となると30年前の4年制大男女比くらいだからね)ソースを要求して出されたら話をすり替えようとする(無理やりすぎて寒気がするレベル)
②唐突にアクセサリーの話をしだしたかと思えば、「どこからアクセサリーの話が出てきたのかも意味不明」と言っている人に対して「華美なものだと思い込んでいる」と謎マウント
ほんで「とか」てなんなん?虫歯もいれて歯科かかってる人数なら同数みたいだけど
装具(ブラケット)は歯科矯正のときに歯にずっとつけることになるよ
「アクセサリー(日本語だと装身具)」って華美なもんばっかじゃないよ、こういう日本語感覚をおもちのお方はイヤホンやモバイル充電器なんかのスマホアクセサリーも華美に違いないとおもうのかな
顔まわりにつける眼鏡にしてもあぶなくてつけてはいけない場合もあるから
たしかにメガネなんかも小学生だと女の子のほうが多いイメージあるからうなずけるわな
男児は三分で壊す(ツル逆ヒンジとかする)
まあ釣りなんやしn=1で好きにかいてる元増田のイメージの中での世界(とへんなおじさんのつっこみ)はどうゆがんでてもオレはかまわんのでこの話はこれでおわりね
こういうセンスって一朝一夕に身につくものじゃないから、一緒にショッピングしながらはっきり「こういうのはこういうところが好きじゃない」「これのこういうとこが好き」とか言葉に出して理解してもらうしかないのかもね。それまでは当たり障りのないプレゼントを所望しては?家電とか食べ物とか…。でもこういう相手ってアクセサリーとか贈りたがるんですよね。しかも普段こんなのつけたことないだろ!?というようなものを。
アメリカサイズのXLのトレーナーを買う→ワイ「オーバーサイズすぎる!!!!チュニックか!!」
→乾燥機何回か使う→ワイ「ちょうどいいオーバーサイズや!!」
日本のメーカーの日本人体型に合わせたXLのトレーナーを買う→ワイ「メンズのXLちょうどいいオーバーサイズや!!!!」
→乾燥機何回か使う→ワイ「あれっジャストサイズになってしもうた。しょうがない。アクセサリーとか合わせて綺麗目に見せるか……あぁ、腰がいい感じに隠れてあったかかったのに縮んで腰も尻もでるやん!!最初はゆったりした部屋着のつもりでオーバーサイズかったのになあ」
トレーナーが乾燥機でどこの部分がどれくらい縮むのかわからないし
実際のところトレーナーが何回縮むのかもわからないし(ある程度のところで縮む現象は止まるらしい)
そいつは人懐っこい性格なのか、たまの帰省でやってくる見知らぬ俺にも触らせてくれるいいやつだった。
猫を挟んだ母との会話も自然、その子の話が中心となり、母は楽しそうで。俺の代わりというよりはもはやかつての俺以上に猫中心で暮らしているんじゃないかと羨ましかったり、母を頼んだぞといった気持ちでいた。
そんな愛の独占者からはじめてプレゼントをもらったのは数年前のお盆だった。
まだ暑い季節。築50年は超えてると思うボロい実家。猫類から人類への贈り物はGだった。Gの死体だった。
フィクションだけの話だと思っていたが、まさか本当にGを咥える猫がいるとは!
俺はGが大嫌いで、ボロ屋で毎年Gが出ても一目散に逃げて母に退治を依頼する軟弱ボーイだった。視界から外れることの方が恐いがそれでも目視も耐え難いので丸投げ一択。依頼して外出だ。一人暮らしをするときも何が一番不安だってGが出たときに一人で対処しないといけないことで恐怖に震えていた。まあガチガチに対策してなんとかシャットアウトしているのだが、毎年夏は憂鬱になる。
閑話休題。
当然俺は飛び起き距離を取り母に報告して玄関で爆発物処理を待ったのだった。
また余談なのだが、俺にもわずかながら彼女といふものが居た期間がある。軟弱学生ボーイだったころだ。そして軟弱学生独りよがりボーイでもあった。
今でも4℃やピケ、ダサピンク、サイゼリヤ問題などの話題が盛り上がるとチクりと胸が痛むのだが、そう、俺は初めてプレゼントでどう考えても喜ばれないアクセサリーをプレゼントしてしまったのだった。当時はそれが彼女に似合うと思っていたんだ。本気で。俺は頭がわいていた。舞い上がっていた。独りよがりボーイだった。
当時これはイケると思ったプレゼントは思ったより喜ばれず(露骨に嫌がられなかったのは感謝しかない)、それが原因じゃないにしろなんだかんだで別れてしまった。
Gをくれた、人の心がわからない哺乳類モンスター。それでも俺はあのキャットが嫌いではなかった。なんせ猫は猫であるだけで愛らしいのである。
一方、人間のやらかしプレゼントは被害甚大だ。俺がGの死体を笑顔でプレゼントしたらその人は俺と絶交を返礼してくれるだろう。あ、爬虫類飼ってる友達はGが餌とか言ってたけど。それでも人to人じゃ喜ばないだろう。
Gを贈られても愛される。猫ってすっごくズルくないか?あるいは人が猫に寛大すぎないか?
人が喜ばないプレゼントを贈っても苦笑されつつ許されるような、そんな猫のような人に私はなりたい。できればついでにあのときに戻ってプレゼントを選びなおしたい……。
なんてことをつらつら考えていた。なぜ今そんなエピソードを書いているかというと、明後日の帰省のときにはもうそいつは居ないからなんだな。Gをプレゼントしたあいつが居ない実家は寂しいなと感じているので、やっぱり猫はズルいよな。