はてなキーワード: アカデミックとは
とある高名な環境建築家(YouTubeに動画も上げている)が省エネ建築の経済的・社会福祉的合理性を説明するときに、「ちゃんと計算すれば小学生でもわかる(のに、相応の地位にいる人がいい加減なことを言うのはけしからん)」という言い回しを多用する。
いや、実際のところ、自分にとってそれは余りにも耳慣れたフレーズのため、特に気に留めるほどのものとも思っていなかったのだが、ある動画に「小学生だとか人を馬鹿にするような言い方はやめろ」とクレームがついていて驚いたのだ。
それなりに整った環境で理系教育を受けたものにならわかると思うが、「研究発表は『頭のいい小学生にならわかる』ようにせよ」というのは誰がいつ言い出したかもわからないくらいあまりにもそこら中で聞く言葉で、これを特に何かを見下したとか馬鹿にした言い方だと思う奴はいない。
何故ならば、ここで言う『頭のいい小学生』は『特に専門知識はないが理解力は深い人』を意味するのであり、具体的には『専門分野の違う他ゼミの教授陣』のことを指すからだ。
これが「人を馬鹿にした言い方」だと思う時点で驚き、非アカデミックなキャリアを詰んだ人々との文化の壁をまずは思わざるを得なかったが、よく考えるとこれこそがつまり『理系』という知性の特殊性と汎用性を表す側面なのだと思うに至った。
『小学生』と比較されると、普通の人は怒るらしい。何故か。小学生を劣った存在だと思っているからだ。
この人たちにとって『小学生』と呼ばれることは『頭が悪い』とか『未熟』とかを意味するのだろう。
しかし、理系の認識においてはそんな意味合いはほとんどないと言って良い。
理系は思考力の学問なので、「知識がなくてもわかる奴には説明すればわかる」「わからない奴、考えようとしない奴はどれだけ本を読んでもわからない」という認識が当たり前だからだ。
これらの競技が若いうちに才能を発揮できなければ辛いと言われるように、数学や物理の仕事も若いうちにできなければその後もあまり希望はない。
若さは可能性ではあってもなんら見下す要素ではないのが理系の世界だ。
さらに考えを深めてみよう。
将棋や囲碁は、ルールはシンプルだが組み合わせが複雑で、知識より思考力がいるものだというのは誰にでもわかる。
しかし数学や物理は難しい数式や抽象的な概念を覚えなければいけないから、小学生に難しい問題は理解できないはずだ。と、考える人も多いかも知れない。
だが実のところそれ自体、そんなことはないと証明されているのだ。
チューリングマシンという概念がある。イギリスの数学者アラン・チューリングの考えた計算モデルで、現在のコンピュータの元になっている。
さて、ではなぜチューリングマシンは「コンピュータの元」たりうるのか? 言い換えれば、「チューリングマシンには何ができることが保証されているのか」?
この答えが、まさに「理系の議論に『小学生にもわかる』説明を義務づけることができる理由」である。
チューリングマシンは、本来ただの計算機のアイデアではない。それは『数学自体の定義』である。
『計算とは何か』『計算できるとはどういうことか』この答えを探した結果チューリングが得たのが、『計算とはチューリングマシンで解ける問題のことである(意訳)』という、現代ではもはや計算の定義、数学の定義として認められている回答である。
計算とはチューリングマシンで解けるもののことなので、どのような数学的問題もコンピュータのプログラムとして書き、計算することができる。
コンピュータのプログラムとは、ifとgotoを伴った算数レベルの計算の連続のことなのだから、これはつまりどのような数学的問題も、深い思考力さえあれば『算数』レベルの説明に落としこんで理解できることを意味する。(方程式がなくても鶴亀算が解けるように。)
ここで必要なのは、純粋に算数程度の知識と、それを深く複雑に組み合わせる思考力だけである。
従って、理系の説明、数学的に表される定量的な議論というものは、説明者にきちんとした理解があれば必ず算数レベルの話に落とし込める。
最近は、ネットの声の大きいマナー講師たちによって「専門的なことを誰にでもわかるように説明することなんてできない」という言い訳を聞くことが多いが、少なくとも理系の問題において、定量的な議論をする限りは、『数学』は『算数』の複雑化、抽象化に過ぎないのであり、必ず噛み砕いて説明することは可能だ。
ただし、ここで聞き手に求められるのは、何をおいても『算数レベルでならしっかり理解できる知能』ということになる。
つまり『頭のいい小学生』には必ず理解させられても、算数すら苦手な『馬鹿な大人』に希望はないということである。
『小学生でもわかる』は、小学生を劣ったものと考えている言葉では決してない。しかし、それ故にこそ、小学生レベルの算数も覚束ない大多数の大人が、劣ってるどころではない論外の存在であることを突きつけてしまう厳しい言葉なのだ。使い方には気をつけなければいけない。と思った。
最初から致命的なところを出してしまったが、オタクは全般歴史に疎い
ググれば正しそうな情報に当たりやすい科学的な知識などと違って、人文学系の知識はググるとトンでもの宝庫である
匿名掲示板のオタクは本を読んでシコシコ調べるなんて能力はなく、ググって胡散臭くなさそうなサイトであれば真実だと思い込む連中ばかりである
弥助騒動で弥助の部分だけを否定しようと思っても、周辺知識が間違いまくっているオタクしかおらず、説得力がない
歴史系の書籍の本棚を見ると露骨だが、アマチュアや素人は右翼っぽい本を書いていてプロであるほど中立から左翼的な視点で本を書いている
王政復古のために神仏分離を行なって数多の文献を寺から燃やした明治政府を好意的に解釈している歴史学者などほぼほぼいないが、アマチュアの歴史本書きは明治維新の周辺人物のことをみんな大好きである
弥助騒動は左派をまったく巻き込めていないので、真っ当なアカデミックのムーブメントとして偽史を非難するという流れになれないのである
オタクたちは英語ができないのでchatGPTで翻訳させたバカみたいな英語でリプや宣伝活動をしているが、バカがAIに作らせた英文だと一目瞭然である
日本人もAIっぽい文章が分かるように、ネイティブが見たらネイティブっぽい文章かそうでないかはなんとなく分かる
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ChatGPTに以下のやり取りを解釈して貰いました。
こんにちは、以下のやり取りはどのように解釈されるか意見を聞きたいです。
「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」
ChatGPT
こんにちは!このやり取りについての解釈ですが、以下のように考えることができます。
「トーマスロックリーは「学者」ではなく「活動家」と呼ぶべきでは?」:
この発言者は、トーマスロックリー(Thomas Lockley)を「学者」と呼ぶよりも、「活動家」としての側面を強調したい意図があります。このような指摘は、ロックリーの活動がアカデミックな研究にとどまらず、社会的・政治的な活動にも大きく関与していることを示唆しています。
これに対しての反論は、上野千鶴子(Chizuko Ueno)が東京大学の名誉教授であることを指摘しています。この発言は、学者であることと活動家であることは相反するものではなく、両立するものであることを示しています。つまり、上野千鶴子が東大の名誉教授でありながら、社会活動にも積極的に関わっていることを例に挙げています。
このやり取りは、学者の定義や役割に対する異なる見解を示しており、学問的な活動と社会的・政治的な活動の境界が必ずしも明確ではないことを示唆しています。また、一人の人物が複数の役割を持つことができることを強調しています。
唐突に関係ない話を持ち出してきて結局元の話に対して何を言いたいんだって話だ
せっかくその話が唐突に出てきたから書いておくけど、俺はアカデミックの人間で何ヵ国か滞在してたけどどの国も状況は似たり寄ったりだし、そりゃ上を見ればキリはないけど日本なんてまだ恵まれてるほうではあるぞ 業績圧も比較的マシだしな
日本は研究費が足りない話がよく出てくるけど、どっちかというと国が悪いっていうよりは企業とかが国の事業の研究成果とかにただ乗りして金は出さないみたいなことばっかやってるのが問題だと思うけどな。民間レベルがナメたことやりすぎ。
英語を話せることと陰謀論が広まらないことには何の関係もないし、そもそもアメリカなんて陰謀論のお祭りみたいな国だろ
一般人とアカデミアの距離が近いってのもだからなんだって話だしな 日本でもTwitterで学者なんてそこらじゅうにいるだろ?何が起こると思う?お前みたいな知ったかぶりがひろゆきよろしく5分検索した内容だけで専門家と対等なツラして言葉尻を捉えた揚げ足をとって来るんだよ。やんわり諭されていることに気づいてない論破アスペ以外の誰も得しない。
どう考えても世界には勝てないんだけど
アホな政治家を騙して予算だけ獲得して生き延びてるゾンビビジネス
研究畑出身者だけでビジネスしようとしてて全然上手く行かないし
今何でもタダで手に入る。音楽作りたいと思ったら無料でソフトも音源も手に入るし、絵を描きたいと思ったら無料版のソフトにタブレットなんてメルカリで格安で手に入る。プログラムもタダ。
昔はそうじゃなかった。女神転生2の戦闘曲カッケー!俺も作りたいぜ!と思ってもピアノ買ってギター買って~って感じのとにかく金・金・金!何をするにも金って感じで指をくわえてみてるしか無かった。
プログラムだってマイクロソフトのクソ高いアカデミック版買うしか無かったんだぜ。クソだよあの頃は
今の子供たちが本当に羨ましい。社会人になって一通り買える頃には熱意も夢もとっくにどっか行ってる。中年達が集めた夢の残骸をメルカリで安く買えて子供で挑戦出来るんだもん。最高だよな。生まれ変わりて~!
割とアカデミック分野に近いところで仕事してるから良く分かるんだけど
スパコンなんて全然マシなレベルでアカデミック分野って詐欺だから
人材育成っていうのも良く言われるんだけど、それすらかなり怪しくて
2つ上のお兄ちゃん。すごい変わっててでもすごい賢くて、小学校や中学校では誰もが知っている、「何とかと天才は紙一重」を地で行く変わり者だった。実際に国内の最高学府に行って、よくわかんないけど私たちみたいな次元では生きてないんだなぁと思ってた。アカデミックの世界にずっと生きていくんだろうなぁと思っていた。
結局大手の企業に就職したけど、それでも趣味は勉強、みたいな人だったのでキッタナくてろくに足の踏み場のないようなお兄ちゃんの部屋には小難しいメモくずや論文、参考書が漫画や趣味のものに紛れて落ちていた。そんな汚部屋をつま先歩きで入って、ごみに紛れる猫を引っ張ってくるのが日課だった。
え?
まぁ、でもいいと思う、お兄ちゃんが生きてさえいれば。
悩むこともあったと思う。私は家を出たからあまり詳しく触れていないけど、お兄ちゃんのおんなのこ黎明期にはうちの両親もそれなりに悩んで衝突したようだ。今でも悩んでいる節はある。兄も両親も。
それでも今は吹っ切れたかのようにオシャレを楽しんでいるみたいだ。今のお兄ちゃんの部屋は、いつの間にか化粧品とスカートやブラジャーなどの服が論文やメモくずに紛れて散乱する部屋になっていた。猫は変わらずそこで寝ている。かわいいピンクのふわふわの手触りのパジャマを枕にしている。
私よりもいい化粧品使ってるし、小物もフランフランでそろえたのかかわいい。散らかってさえなければ年頃の女の子みたい。
お兄ちゃん、手術はしないみたいだ。親がそこまでの決断をまだしないでくれ、と懇願したらしい。
そんなお兄ちゃんは、服装も化粧もあまりに若々しく、そして少しメイクが下手だ。ナチュラルメイクの対極をいっている。
ぶっちゃけすごく変だ。なんでそこに?というところにいれたシェーディングは、色味も位置もおかしくて、山姥メイクみたいになっている。でも突っ込めない。服も年齢不相応に若々しく、へそ出し肩出し超ミニスカートだ。
でも、私も母親も、否定したら今すぐ家を出て行ってしまうのでは?と感じるほどギリギリ人の世界に紛れている兄をなんとかつなぎ留めたくて、少しの否定の言葉でさえ言えない。否定したらその時点で心のシャッターを下ろされるからだ。
本当はトー横の地雷女子みたいなファッションじゃなくて、年相応の格好をしてほしい。だって35歳だ。オフィスカジュアルとかでいいんじゃないかと思う。でも誰に迷惑をかけているわけでもないと言われればまぁそうだ。お兄ちゃんは女湯にも女子トイレにも入らない。多目的トイレに入り、好きだった温泉や銭湯にはいかなくなった。でも化粧や身なりが明らかにおかしいので道行く多くの人が振り返ってまでジーっと見てはうわー…という顔をしてくる。一緒に歩いているとよく感じる。気分は確かに悪い。どういう感情かわかりかねているけれど。
メイクも、地雷メイクじゃなくて、もう少し抑えたらかわいいのにと思う。でも言えない。
アファーマティブアクション主張する女性研究者の経歴見ると、都内ご出身で、私立の中高をご卒業後、大学を博士過程まで進まれたのち、結婚してお子様も設けながら、若くして教授になると言う傍目からすると順風満帆なアカデミックキャリアお進みになっていた。
地方公立高校出身で働きながら博士を取って、なんとかアカデミアで食い繋いでいる男性研究者である自分からすると、女性用アカデミックポスト作るなら、地方出身勤労学生ポストも作ってくれよと思った。
個人的には昨今進むアカデミア理工系でのアファーマティブアクションには面従腹背の態度なんだけど、それくらいは許していただきたい。