はてなキーワード: やぴとは
ドリームプラザとか20年ぶりやぞ…ライブハウスとかあるの…駐車場1階に…本当にある…マジやん…ってなった
・Spotifyフォロワー目茶苦茶多い人気アーティストなのにこんなに小さめキャパの箱でやって頂けるんですか…?箱の名前見間違えてる…?と思ったら現実でビビった
・現実のことで精神がベコベコだったので楽しめるか、最悪お金は払ってあるし行かないか途中退場するかも…とションモリモード不安だったが目茶苦茶楽しめた 感謝
・いいとか良くないと以前に
「ありがてぇ…ありがてぇ…」って感じだった
「この歌本人が歌ってるとこ見たいけどちょっと前の歌だし無理やろなぁ…」という曲を3〜4曲歌ってもらえて「ありがてぇ…ありがてぇ…」ってなった
・2曲目からムーンウォーカー(好きキャラの脳内イメソン)で「うおおおおお」ってなったし愛を解く(好きカプ中期のイメソン)で「ありがてぇとしかいいようがねえ」ってなったしまるで魔法のようなとかそ頃の曲とかスパイファミリーの曲とか選曲がひたすらありがたかった
わがままを言えば…偽顔を生で聞けたら…完全成仏✝昇天✝だったがそこは欲しがりすぎ
・アーティスト、ほんまに現実に「いる」…Spotifyのアー写と完全一致や!思ったより健康的な皮膚のお色しとる!髪の色がオシャレ!顔覆面だけど雰囲気と髪色で本人バレしやすそう!やっぱり脳内でオモコロ恐山と混ざる!
トークが「観客と喋ってる」!ぶっちゃけ今のところ一番聞いてて「ふーん」ってならない程よいトークや!(照れ笑いとか演奏メンバーとのグダでトークターン消費しないタイプ)これは女子校の王子…いや、美術部で憧れられる先輩や…!yamaは圧倒的な実力(歌唱力)を持っているが才能のない人間が持っていたら危ない程のカッコよハスキーボイス…!やっぱ歌上手人間は声質からしてそこらの人間とは違うわ…と思った
・yamaのシンセサイザーポップな曲ほんにすこ
バラードはyamaだけでなく全アーティストに対して「俺の脳にバラードというジャンルへの受容体がないので感情が無」なので曲によって外国人4コマみたいになるときがあった
・お立ち台に立ってもらえると鳩尾までみれて助かるありがてえ
・アンコールの拍手をしてる時、時間を長く感じ様式美とはいえ…本当に出て…来てくれるよね…?という気持ちと猿のシンバルおもちゃのように手を叩き続けることで段々アーティスト召喚儀式をやってるような錯覚を覚える…ってワケ
・ライブ中、ひたすら音楽に合わせてユラユラして手を叩く、俺はチンパンジーや!気持ちいい〜楽しい〜という感じになる 金払ってんねん斜に構えてどうするんじゃ!後ろで友達同士で来てるライブ初めてお喋りネキ!お前に言うとるんやぞ!!!隣のボッチ参戦ニキも段々素直なリアクションするようになっとるやろ!!というきもち
・ただ地元だと思って若干入場舐めてて(「整理番号あるから会場15分前に到着して番号順に並べば真ん中くらいいけるやろ」→整理番号とか関係なく先着順に会場へ入場で「ほ、ほう(震え声)!そういうのもあるのか!」ってなった)
yamaタソの歌ってる姿、前の人の肩の隙間からチラチラ見えるが己の甘さがくやぴい
・yama、当たり前だが歌うますぎわろた
この歌唱がカラオケボックスから漏れ聞こえたら「こ、この歌ウマは誰だっ?!」って褒めの海原雄山みたくなるわ
・17:00〜開場もあって小学生〜20代位の親子連れもちらほら 今までいったライブの箱観客の中で一番あったけえ…田舎のいいとこ出てた みんないい人そうで自分含めて黒髪〜暗めの茶髪 トークとか曲へのリアクションもシラっとした空気なく温かい雰囲気 トークへのレスもほとほどにあり みんなライブ終わったら直で真隣の駐車場精算機行くので列できてて「ああ車社会(田舎)」ってなった
・ライブの時偶然隣り合わせた人たち、ライブ初めは「邪魔やこいつら全員くたばれ」位の気持ちなのに中盤頃には「俺達…仲間、だよな!!」という掌返ししとる 右隣のボッチ参戦最初はリアクション薄かったけど後半めっちゃノッてたニキ、左隣の幼児連れ両親の父親、後ろのライブ初めて照れネキ2人…
・17:00という明るい時間からなのでドアの隙間から光が差し込み(車社会なのもあり)ほぼ全員しらふという今までにないライブ体験
・ほんまにライブの時ペットボトル邪魔なのなんとかならんか百均とかでホルダーあるじゃろ!!買え!いやでもライブもうしばらく行かないし→Spotifyでライブイベント探すの繰り返しや!
・え?無料のクロークあったの?ドリンク交換、ライブ後でもいいの?
・とてもいいライブだった…を繰り返し噛み締めてる
弱者男性のネット民や増田たちが怒り狂って、コテ番付に乗せて粘着する勢いでブチ切れそうな話だけど
今後の女性たちはむしろどんどんフェミニズムや反差別を推す方針を打ち出していって、
反発する人たちは男女問わず片っ端から切り捨てていった方がいいと思うんだよね
雑誌やらネットの記事やらで「モテテク」みたいなやつを見ると、
未だに「ひたすら男を立てて!自分が下がってでも男を見上げて!能力があってもそれは男のためだとアピールして!」だの「何を言われても笑顔で耐えて!男の甘えとわがままは無条件無制限で受け止めて!」だの、
インセルや弱者男性界隈が嬉ションしそうな、あいつらの大好きななろう小説のレムちゃんみたいな女性像があれこれ挙げられてたりするけど、
実際にそういう女を求めることを内心でとどめないで、口に出してまで求める男って、
男の目からしてもゴミカスレベルの、奴隷かトロフィーとしてしか女を求めないロクデナシだから、
なんならそんなやつと付き合うくらいなら独り身の方が幸せだろうって話だし
男ならクソ女やメンヘラやぴえん系や悪女に関わったところで、命や仕事取られる程の犯罪被害に遭うことはまれだけど
女はクソ男に引っかかったら割と直接的暴力や性的暴行にあったりする可能性大じゃん?(ここでいう糞男とは内面の願望を社会で生きるために隠す我慢すらない連中を指す)
vtuberがyoutubeに限らず様々な媒体にタレントとして出演するようになり、今や批判の有無は別にどこに現れても不思議ではない状態になっている。
そんなvtuberは架空のキャラクターでありその名前は奇をてらったものであったり一目で専門分野が分かるものであったり、あるいは「かわいい」を突き詰めたものであったりと、その命名はリアルのアイドルやタレント的ではなくどちらかと言えばオタクカルチャー的なキャラクターの命名の流れのうちに思える。
変な漢字の苗字+既存の単語か変な響きのひらがなorカタカナ の名前を見るとあ、またvtuberかなと思ってしまう。
https://www.hololive.tv/member
私はvtuberにぜんぜん詳しくないので深入りしないが、彼らがyoutubeを飛び出すとそこはひとつの人格というか成人のタレントとほぼ同じように振舞うわけですな。(魂が~とかはよく分からないし生身のタレントも素全開なわけではないから振る舞いに差はないと思う)
つまり今までの大人や事務所なら付けないような芸名の人たちがタレントとして様々な場所で見かけるようになった。
今の私の人間への命名感では「きもちわるい」と感じてしまう。もうしょうがない。
たとえば哲子の部屋で「今日のゲストはドラえもんさんです~」とかなってもああなんか特番の宣伝かCGを使った変わったことをするんだな的な特殊フォーマットとしてみることができるが、
「今日のゲストは白銀ノエルさんです~」なんてなっても白銀ノエルはvtuberという成人タレントだから通常の哲子の部屋回と変わらないわけで、哲子が白銀ノエルを連呼したり苦労話を聞きだしたりしていたら視聴に堪えないと思う。
vtuberの命名センスは芸人の、なんだろうな「もう中学生」とか「鉄拳」とか「ザコシショウ」、そんな流れのyoutuberの「ヒカキン」とかアーティストの「きゃりーぱみゅぱみゅ」とは違う現実に居たらおかしい痛ネーム、DQNネームなわけで。(田中のおっさんとか当然ある例外も多少存じてます)
正直昔はテレビに初音ミクの文字を見るだけでもじもじしていた。それにようやく慣れて市民権を得たある意味魂が入ってないクリーンでバーチャルなアイドルとして受け入れることができてきた。
しかし今後はテレビも「見る」しゲームも食事もするいち人格の人たちが「はあと」や「ちょこ」や「オウガ」さんとして知覚することが多くなるのだろう(vtuberに詳しくないので参考にホロライブメンバー表だけ見て適当に挙げてるが個々人や所属に他意はない)。
どうすればいいか?どうするもなにもない。受け入れて慣れるしかないのだ。vtuberは無罪である。
このネーミングセンスは生きている人間に、あるいは芸名につけてもおかしくないものだと自分に言い聞かせるしかない。苦痛を受けないために。
そうすると畢竟、今まで痛い名前と思ってきたアリスちゃんやらぶちゃんやぴかちゅうくんも笑えなくなるのだ。何も不思議を感じなくなるはずだ。
一般人の名前を笑ってはならぬ。自分でつけたわけではないのだから。今まで私のDQNネームへの嘲笑は現代社会でそれをつけるにいたった両親へ向けられていた。それがなくなることは善いことなのだろうか。少なくともDQNネームをつけられた本人はいいだろし、命名への変な同調圧力がなくなるのもまったくよろしい。が、何かを見落としてしまう気もするのだ。
いやしかし、人の名前から何かを見出すこと。これは人の箸の持ち方をもってその人の人格や両親の教育に難癖をつけるに近しいものかもしれない。よくないことかもしれない。
vtuberによってDQNネームは市民権を得て、生身の人間の名前をなんとも思わない日が来るかもしれない。
表現に対して規制より自由・許容を求める自分はそれを良しとしている。
オタク的カルチャーな何かが大々的に大衆に周知されることを恥じる古の自分はそれを恥じている。
思慮が足りない人物の行動をエンタメとして消費しているゲスな自分はそれを寂しがっている。
しかし、今しばらく、今しばらくは現実に見かけるDQNネームに対して、youtubeなどの配信環境外で見かけるvtuberの名前に対して、気持ち悪さと羞恥をもって接することになるだろう。そしてその頻度は緩やかに上がっていくのである。
そのとき西にしのぎらぎらのちぢれた雲くものあひだから、夕陽ゆふひは赤あかくなゝめに苔こけの野原のはらに注そゝぎ、すすきはみんな白しろい火ひのやうにゆれて光ひかりました。わたくしが疲つかれてそこに睡ねむりますと、ざあざあ吹ふいてゐた風かぜが、だんだん人ひとのことばにきこえ、やがてそれは、いま北上きたかみの山やまの方はうや、野原のはらに行おこなはれてゐた鹿踊しゝおどりの、ほんたうの精神せいしんを語かたりました。
そこらがまだまるつきり、丈たけ高たかい草くさや黒くろい林はやしのままだつたとき、嘉十かじふはおぢいさんたちと北上川きたかみがはの東ひがしから移うつつてきて、小ちいさな畑はたけを開ひらいて、粟あはや稗ひえをつくつてゐました。
あるとき嘉十かじふは、栗くりの木きから落おちて、少すこし左ひだりの膝ひざを悪わるくしました。そんなときみんなはいつでも、西にしの山やまの中なかの湯ゆの湧わくとこへ行いつて、小屋こやをかけて泊とまつて療なほすのでした。
天気てんきのいゝ日ひに、嘉十かじふも出でかけて行いきました。糧かてと味噌みそと鍋なべとをしよつて、もう銀ぎんいろの穂ほを出だしたすすきの野原のはらをすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくり歩あるいて行いつたのです。
いくつもの小流こながれや石原いしはらを越こえて、山脈さんみやくのかたちも大おほきくはつきりなり、山やまの木きも一本いつぽん一本いつぽん、すぎごけのやうに見みわけられるところまで来きたときは、太陽たいやうはもうよほど西にしに外それて、十本じつぽんばかりの青あをいはんのきの木立こだちの上うへに、少すこし青あをざめてぎらぎら光ひかつてかかりました。
嘉十かじふは芝草しばくさの上うへに、せなかの荷物にもつをどつかりおろして、栃とちと粟あわとのだんごを出だして喰たべはじめました。すすきは幾いくむらも幾いくむらも、はては野原のはらいつぱいのやうに、まつ白しろに光ひかつて波なみをたてました。嘉十かじふはだんごをたべながら、すすきの中なかから黒くろくまつすぐに立たつてゐる、はんのきの幹みきをじつにりつぱだとおもひました。
ところがあんまり一生いつしやうけん命めいあるいたあとは、どうもなんだかお腹なかがいつぱいのやうな気きがするのです。そこで嘉十かじふも、おしまひに栃とちの団子だんごをとちの実みのくらゐ残のこしました。
「こいづば鹿しかさ呉けでやべか。それ、鹿しか、来きて喰け」と嘉十かじふはひとりごとのやうに言いつて、それをうめばちさうの白しろい花はなの下したに置おきました。それから荷物にもつをまたしよつて、ゆつくりゆつくり歩あるきだしました。
ところが少すこし行いつたとき、嘉十かじふはさつきのやすんだところに、手拭てぬぐひを忘わすれて来きたのに気きがつきましたので、急いそいでまた引ひつ返かへしました。あのはんのきの黒くろい木立こだちがぢき近ちかくに見みえてゐて、そこまで戻もどるぐらゐ、なんの事ことでもないやうでした。
けれども嘉十かじふはぴたりとたちどまつてしまひました。
鹿しかが少すくなくても五六疋ぴき、湿しめつぽいはなづらをずうつと延のばして、しづかに歩あるいてゐるらしいのでした。
嘉十かじふはすすきに触ふれないやうに気きを付つけながら、爪立つまだてをして、そつと苔こけを踏ふんでそつちの方はうへ行いきました。
たしかに鹿しかはさつきの栃とちの団子だんごにやつてきたのでした。
「はあ、鹿等しかだあ、すぐに来きたもな。」と嘉十かじふは咽喉のどの中なかで、笑わらひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近ちかよつて行ゆきました。
一むらのすすきの陰かげから、嘉十かじふはちよつと顔かほをだして、びつくりしてまたひつ込こめました。六疋ぴきばかりの鹿しかが、さつきの芝原しばはらを、ぐるぐるぐるぐる環わになつて廻まはつてゐるのでした。嘉十かじふはすすきの隙間すきまから、息いきをこらしてのぞきました。
太陽たいやうが、ちやうど一本いつぽんのはんのきの頂いたゞきにかかつてゐましたので、その梢こずゑはあやしく青あをくひかり、まるで鹿しかの群むれを見みおろしてぢつと立たつてゐる青あをいいきもののやうにおもはれました。すすきの穂ほも、一本いつぽんづつ銀ぎんいろにかがやき、鹿しかの毛並けなみがことにその日ひはりつぱでした。
嘉十かじふはよろこんで、そつと片膝かたひざをついてそれに見みとれました。
鹿しかは大おほきな環わをつくつて、ぐるくるぐるくる廻まはつてゐましたが、よく見みるとどの鹿しかも環わのまんなかの方はうに気きがとられてゐるやうでした。その証拠しようこには、頭あたまも耳みゝも眼めもみんなそつちへ向むいて、おまけにたびたび、いかにも引ひつぱられるやうに、よろよろと二足ふたあし三足みあし、環わからはなれてそつちへ寄よつて行ゆきさうにするのでした。
もちろん、その環わのまんなかには、さつきの嘉十かじふの栃とちの団子だんごがひとかけ置おいてあつたのでしたが、鹿しかどものしきりに気きにかけてゐるのは決けつして団子だんごではなくて、そのとなりの草くさの上うへにくの字じになつて落おちてゐる、嘉十かじふの白しろい手拭てぬぐひらしいのでした。嘉十かじふは痛いたい足あしをそつと手てで曲まげて、苔こけの上うへにきちんと座すはりました。
鹿しかのめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交かはる交がはる、前肢まへあしを一本いつぽん環わの中なかの方はうへ出だして、今いまにもかけ出だして行いきさうにしては、びつくりしたやうにまた引ひつ込こめて、とつとつとつとつしづかに走はしるのでした。その足音あしおとは気きもちよく野原のはらの黒土くろつちの底そこの方はうまでひゞきました。それから鹿しかどもはまはるのをやめてみんな手拭てぬぐひのこちらの方はうに来きて立たちました。
嘉十かじふはにはかに耳みゝがきいんと鳴なりました。そしてがたがたふるえました。鹿しかどもの風かぜにゆれる草穂くさぼのやうな気きもちが、波なみになつて伝つたはつて来きたのでした。
嘉十かじふはほんたうにじぶんの耳みゝを疑うたがひました。それは鹿しかのことばがきこえてきたからです。
「ぢや、おれ行いつて見みで来こべが。」
「うんにや、危あぶないじや。も少すこし見みでべ。」
こんなことばもきこえました。
「何時いつだがの狐きつねみだいに口発破くちはつぱなどさ罹かゝつてあ、つまらないもな、高たかで栃とちの団子だんごなどでよ。」
「そだそだ、全まつたぐだ。」
こんなことばも聞ききました。
「生いぎものだがも知しれないじやい。」
「うん。生いぎものらしどごもあるな。」
こんなことばも聞きこえました。そのうちにたうたう一疋ぴきが、いかにも決心けつしんしたらしく、せなかをまつすぐにして環わからはなれて、まんなかの方はうに進すゝみ出でました。
進すゝんで行いつた鹿しかは、首くびをあらんかぎり延のばし、四本しほんの脚あしを引ひきしめ引ひきしめそろりそろりと手拭てぬぐひに近ちかづいて行いきましたが、俄にはかにひどく飛とびあがつて、一目散もくさんに遁にげ戻もどつてきました。廻まはりの五疋ひきも一ぺんにぱつと四方しはうへちらけやうとしましたが、はじめの鹿しかが、ぴたりととまりましたのでやつと安心あんしんして、のそのそ戻もどつてその鹿しかの前まへに集あつまりました。
「なぢよだた。なにだた、あの白しろい長ながいやづあ。」
「縦たてに皺しはの寄よつたもんだけあな。」
「そだら生いぎものだないがべ、やつぱり蕈きのこなどだべが。毒蕈ぶすきのこだべ。」
「うんにや。きのごだない。やつぱり生いぎものらし。」
「さうが。生いぎもので皺しわうんと寄よつてらば、年老としよりだな。」
「うん年老としよりの番兵ばんぺいだ。ううはははは。」
「ふふふ青白あをじろの番兵ばんぺいだ。」
「ううははは、青あをじろ番兵ばんぺいだ。」
「こんどおれ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ、大丈夫だいじやうぶだ。」
「喰くつつがないが。」
「うんにや、大丈夫だいじやうぶだ。」
そこでまた一疋ぴきが、そろりそろりと進すゝんで行いきました。五疋ひきはこちらで、ことりことりとあたまを振ふつてそれを見みてゐました。
進すゝんで行いつた一疋ぴきは、たびたびもうこわくて、たまらないといふやうに、四本ほんの脚あしを集あつめてせなかを円まろくしたりそつとまたのばしたりして、そろりそろりと進すゝみました。
そしてたうたう手拭てぬぐひのひと足あしこつちまで行いつて、あらんかぎり首くびを延のばしてふんふん嚊かいでゐましたが、俄にはかにはねあがつて遁にげてきました。みんなもびくつとして一ぺんに遁にげださうとしましたが、その一ぴきがぴたりと停とまりましたのでやつと安心あんしんして五つの頭あたまをその一つの頭あたまに集あつめました。
「なぢよだた、なして逃にげで来きた。」
「噛かぢるべとしたやうだたもさ。」
「ぜんたいなにだけあ。」
「わがらないな。とにかぐ白しろどそれがら青あをど、両方りやうはうのぶぢだ。」
「匂にほひあなぢよだ、匂にほひあ。」
「柳やなぎの葉はみだいな匂にほひだな。」
「はでな、息いぎ吐つでるが、息いぎ。」
「さあ、そでば、気付きつけないがた。」
「こんどあ、おれあ行いつて見みべが。」
「行いつてみろ」
三番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝみました。そのときちよつと風かぜが吹ふいて手拭てぬぐひがちらつと動うごきましたので、その進すゝんで行いつた鹿しかはびつくりして立たちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿しかはやつとまた気きを落おちつけたらしく、またそろりそろりと進すゝんで、たうたう手拭てぬぐひまで鼻はなさきを延のばした。
こつちでは五疋ひきがみんなことりことりとお互たがひにうなづき合あつて居をりました。そのとき俄にはかに進すゝんで行いつた鹿しかが竿立さをだちになつて躍をどりあがつて遁にげてきました。
「何なして遁にげできた。」
「気味悪きびわりぐなてよ。」
「息いぎ吐つでるが。」
「さあ、息いぎの音おどあ為さないがけあな。口くぢも無ないやうだけあな。」
「あだまあるが。」
「あだまもゆぐわがらないがつたな。」
「そだらこんだおれ行いつて見みべが。」
四番目よばんめの鹿しかが出でて行いきました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭てぬぐひの前まへまで行いつて、いかにも思おもひ切きつたらしく、ちよつと鼻はなを手拭てぬぐひに押おしつけて、それから急いそいで引ひつ込こめて、一目いちもくさんに帰かへつてきました。
「おう、柔やつけもんだぞ。」
「泥どろのやうにが。」
「うんにや。」
「草くさのやうにが。」
「うんにや。」
「ごまざいの毛けのやうにが。」
「うん、あれよりあ、も少すこし硬こわぱしな。」
「なにだべ。」
「とにかぐ生いぎもんだ。」
「やつぱりさうだが。」
「うん、汗臭あせくさいも。」
「おれも一遍ひとがへり行いつてみべが。」
五番目ばんめの鹿しかがまたそろりそろりと進すゝんで行いきました。この鹿しかはよほどおどけもののやうでした。手拭てぬぐひの上うへにすつかり頭あたまをさげて、それからいかにも不審ふしんだといふやうに、頭あたまをかくつと動うごかしましたので、こつちの五疋ひきがはねあがつて笑わらひました。
向むかふの一疋ぴきはそこで得意とくいになつて、舌したを出だして手拭てぬぐひを一つべろりと甞なめましたが、にはかに怖こはくなつたとみえて、大おほきく口くちをあけて舌したをぶらさげて、まるで風かぜのやうに飛とんで帰かへつてきました。みんなもひどく愕おどろきました。
「ぢや、ぢや、噛かぢらへだが、痛いたぐしたが。」
「プルルルルルル。」
「舌した抜ぬがれだが。」
「プルルルルルル。」
「なにした、なにした。なにした。ぢや。」
「ふう、あゝ、舌した縮ちゞまつてしまつたたよ。」
「なじよな味あじだた。」
「味あじ無ないがたな。」
「生いぎもんだべが。」
「なじよだが判わからない。こんどあ汝うなあ行いつてみろ。」
「お。」
おしまひの一疋ぴきがまたそろそろ出でて行いきました。みんながおもしろさうに、ことこと頭あたまを振ふつて見みてゐますと、進すゝんで行いつた一疋ぴきは、しばらく首くびをさげて手拭てぬぐひを嗅かいでゐましたが、もう心配しんぱいもなにもないといふ風ふうで、いきなりそれをくわいて戻もどつてきました。そこで鹿しかはみなぴよんぴよん跳とびあがりました。
「おう、うまい、うまい、そいづさい取とつてしめば、あどは何なんつても怖おつかなぐない。」
「きつともて、こいづあ大きな蝸牛なめくづらの旱ひからびだのだな。」
「さあ、いゝが、おれ歌うだうだうはんてみんな廻まれ。」
その鹿しかはみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭てぬぐひをまはりはじめました。
すつこんすつこの 栃とちだんご
栃とちのだんごは 結構けつこうだが
となりにいからだ ふんながす
青あをじろ番兵ばんぺは 気きにかがる。
青あおじろ番兵ばんぺは ふんにやふにや
瘠やせで長ながくて ぶぢぶぢで
どごが口くぢだが あだまだが
ひでりあがりの なめぐぢら。」
走はしりながら廻まはりながら踊おどりながら、鹿しかはたびたび風かぜのやうに進すゝんで、手拭てぬぐひを角つのでついたり足あしでふんだりしました。嘉十かじふの手拭てぬぐひはかあいさうに泥どろがついてところどころ穴あなさへあきました。
「おう、こんだ団子だんごお食くばがりだぢよ。」
「おう、煮にだ団子だぢよ。」
「おう、まん円まるけぢよ。」
「おう、はんぐはぐ。」
「おう、すつこんすつこ。」
「おう、けつこ。」
鹿しかはそれからみんなばらばらになつて、四方しはうから栃とちのだんごを囲かこんで集あつまりました。
そしていちばんはじめに手拭てぬぐひに進すゝんだ鹿しかから、一口ひとくちづつ団子だんごをたべました。六疋ぴきめの鹿しかは、やつと豆粒まめつぶのくらゐをたべただけです。
鹿しかはそれからまた環わになつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。
嘉十かじふはもうあんまりよく鹿しかを見みましたので、じぶんまでが鹿しかのやうな気きがして、いまにもとび出ださうとしましたが、じぶんの大おほきな手てがすぐ眼めにはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまた息いきをこらしました。
太陽たいやうはこのとき、ちやうどはんのきの梢こずゑの中なかほどにかかつて、少すこし黄きいろにかゞやいて居をりました。鹿しかのめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづき合あひ、やがて一列れつに太陽たいやうに向むいて、それを拝おがむやうにしてまつすぐに立たつたのでした。嘉十かじふはもうほんたうに夢ゆめのやうにそれに見みとれてゐたのです。
一ばん右みぎはじにたつた鹿しかが細ほそい声こゑでうたひました。
「はんの木ぎの
みどりみぢんの葉はの向もごさ
ぢやらんぢやららんの
お日ひさん懸かがる。」
その水晶すゐしやうの笛ふえのやうな声こゑに、嘉十かじふは目めをつぶつてふるえあがりました。右みぎから二ばん目めの鹿しかが、俄にはかにとびあがつて、それからからだを波なみのやうにうねらせながら、みんなの間あひだを縫ぬつてはせまはり、たびたび太陽たいやうの方はうにあたまをさげました。それからじぶんのところに戻もどるやぴたりととまつてうたひました。
「お日ひさんを
せながさしよへば、はんの木ぎも
くだげで光ひかる
鉄てつのかんがみ。」
はあと嘉十かじふもこつちでその立派りつぱな太陽たいやうとはんのきを拝おがみました。右みぎから三ばん目めの鹿しかは首くびをせはしくあげたり下さげたりしてうたひました。
「お日ひさんは
はんの木ぎの向もごさ、降おりでても
すすぎ、ぎんがぎが
まぶしまんぶし。」
ほんたうにすすきはみんな、まつ白しろな火ひのやうに燃もえたのです。
「ぎんがぎがの
すすぎの中ながさ立たぢあがる
はんの木ぎのすねの
長なんがい、かげぼうし。」
五番目ばんめの鹿しかがひくく首くびを垂たれて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そこの日暮ひぐれかだ
苔こげの野のはらを
蟻ありこも行いがず。」
このとき鹿しかはみな首くびを垂たれてゐましたが、六番目ばんめがにはかに首くびをりんとあげてうたひました。
「ぎんがぎがの
すすぎの底そごでそつこりと
咲さぐうめばぢの
愛えどしおえどし。」
鹿しかはそれからみんな、みぢかく笛ふゑのやうに鳴ないてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。
北きたから冷つめたい風かぜが来きて、ひゆうと鳴なり、はんの木きはほんたうに砕くだけた鉄てつの鏡かゞみのやうにかゞやき、かちんかちんと葉はと葉はがすれあつて音おとをたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂ほまでが鹿しかにまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見みえました。
嘉十かじふはもうまつたくじぶんと鹿しかとのちがひを忘わすれて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫さけびながらすすきのかげから飛とび出だしました。
鹿しかはおどろいて一度いちどに竿さをのやうに立たちあがり、それからはやてに吹ふかれた木きの葉はのやうに、からだを斜なゝめにして逃にげ出だしました。銀ぎんのすすきの波なみをわけ、かゞやく夕陽ゆふひの流ながれをみだしてはるかにはるかに遁にげて行いき、そのとほつたあとのすすきは静しづかな湖みづうみの水脈みをのやうにいつまでもぎらぎら光ひかつて居をりました。
そこで嘉十かじふはちよつとにが笑わらひをしながら、泥どろのついて穴あなのあいた手拭てぬぐひをひろつてじぶんもまた西にしの方はうへ歩あるきはじめたのです。
それから、さうさう、苔こけの野原のはらの夕陽ゆふひの中なかで、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋あきの風かぜから聞きいたのです。
初めに…
この度の一件で負傷されたスタッフの方の心傷が癒えると共に一日も早い回復を、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、京アニ作品を観て育った一人としてできる支援をしていきたいと思います。
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http://kyoanishop.com/smartphone/
・募金
国内でも募金を募るところが出てきました。また、個人による寄付の申し出は場合によっては迷惑になりえるかもしれないこと、個人で募金を呼びかけるものも詐欺などに繋がりやすい為(こういう時に多くなるそうです)、必ず社会的な信用がある企業や団体からの募金をお願い致します。
https://www.animate.co.jp/info/278030/
19日(金)より各店で被害にあわれた方々の支援を目的に随時店頭募金を開始。
https://www.pref.tottori.lg.jp/286410.htm
まんがと地域を結びつけ、地域活性化や観光振興に結びつける取り組みを続けている団体。
被害に遭われた京都アニメーションを応援する為、鳥取県庁及び各総合事務所に募金箱を設置。
Sentai Filmworks
https://www.gofundme.com/help-kyoani-heal
募金を募って下さる各所様の簡略的な紹介になります。詳しい募金方法、メッセージに関しましてはリンク先をご確認ください。
※現在、私が確認出来るもののみ紹介しております。他にも募集されているところがありましたらコメントで教えてください。追記で明記します。
*その他*
①
追悼イラストやコスプレよりも正しい情報と募金をの呼びかけを!
亡くなられた方々への追悼もとても大切なことですが、今は残された方々への支援に徹底しましょう。特に物販売上は延焼してしまった建物への現実的な立て直しの力になります。
②
実名公開されてから犯人へ対する過激なツイートがより増したように感じます。あまりに過激な発言は今も続きつつある「ヲタク」に対する偏見的な考えを拡散しかねないです。特にマスメディアはそういう部分を嬉嬉として取り上げる傾向にあります。
冷静に犯人が法のもとに正しく裁かれるのを願いましょう。みんなが言ってるから叩いて良いということはありません。
③
非常にセンシティブな内容を含むツイートが大量に呟かれています。不安定だったり、しんどい気持ちは誰にでも負担にしかならないので落ち着くまでは離れるも大切なことです。そこに罪悪感を感じる必要はありません。心の健康第一にしましょう。
・事件に関して
各国の大使館並びにサブカルチャー方面以外の公的な団体や著名人の方々が哀悼の意を表しているのは、戦後最悪レベルの放火殺人事件だからです。過去の事件と比べるのは御法度ですが、戦前の津山事件や97年のサリン事件よりも多くの方が犠牲となり亡くなっています。
京都アニメーションだから騒いでいるのではありません。場所が学校、幼稚園、スーパー…私たちの普段の生活に関係ある場所でもこのような無残極まりない事件が起きたら様々な場所から哀悼の意や言葉が出るでしょう。
・関係者各位の詮索はしないこと
京アニに務めている方の身内の方が安否不明者リストをガセで流されていたことに困惑してRTを止めるよう呼びかけているツイートを見かけました。事件の詳細として気になるかもしれませんが、公式の発表があるまでは無事を祈るのみにしましょう。また、誰が亡くなられたかの詮索もご遺族の気持ちを傷付けることに繋がりかねないです。こちらも公式の発表があるまで待ち、亡くなられた方へのご冥福をお祈りしましょう。
加害者家族に関しても、罪を背負うべきは犯人本人で御家族には嫌がらせをするような真似や誹謗中傷の書き込みは直ちに止めてください。加害者に対して含め、私刑は犯罪です。私達は被害に遭われた方々への支援しか出来ません。
最後に…
京都アニメーションは他で言われている通り、日本のアニメ史及びサブカルチャー史には欠かせない作品を排出したスタジオであり、今も高品質の作品を送り出しているとても偉大なスタジオです。
京アニは自分が思っていた以上に歴史が古く、タツノコプロやぴえろの作品にも関わっていることを今回の一件で知りました。その古くは遡ること自分の親世代のアニメである「うる星やつら」に始まり、「 機動警察パトレイバー(初期OVA)」、20代半ばの私と同じ世代なら、今も続いてる「クレヨンしんちゃん」、「劇場版ポケットモンスター」、紅の豚などのジブリ作品にも携わっています。ハルヒ、けいおんだけではありません。
誰かが観たアニメに必ず関わっていると言えるのが京アニです。無関係と言える人の方が少ないかと思います。
なので、京アニの携わった数々の作品のどれか一つでも出会い、刺激を与えてもらった人がいたならば、少額でも良いので力になっていただけたら…と思います。
別に「アイマスにふさわしくない」とか「このアイドルのイメージと違う」とかそういうんじゃなくて。
この感情をどう説明すればいいかわからないけど、あえて言うなら「聴いてて恥ずかしくなる、いたたまれなくなる」。
楽曲一覧から選曲することはないけど、ミッションやぴにゃリクで選曲されたらプレイはする。
そんな曲。
○最近苦手になった曲
○最近平気になった曲
藁人形を一緒に持たないとだよーw36秒前
メンバー増えると良いですねw41秒前
デンジャーもっとすごいメンバーおるかと思ったけどそうでもないなって思ってそう(笑)55秒前
トリックいまやってるよ57秒前
その後のトリック1分前
TRICKみたいな1分前
それはあるかもw1分前
それな笑笑1分前
うわぁこわい1分前
こわいこわい(笑)1分前
ウソつくなよ1分前
えww1分前
!?2分前
無理すんな2分前
わかふ3分前
wwww3分前
マシwwww3分前
だいすけだろ3分前
服で選んでるっぽく見せて顏じゃない!3分前
じゃあねー4分前
デンジャーさん…笑4分前
結局顔やないかい!4分前
他行くよ じゃあねー4分前
服www4分前
服www4分前
ピンク人気4分前
顔4分前
17才の年の差5分前
八潮5分前
さすがオタ5分前
おお5分前
えー!5分前
さやぴー人気ないの意外5分前
止めとけ5分前
真ん中の人ー(´;ω;`)5分前
草加5分前
ゆらさん悪い子ではないもんね(笑)6分前
ゆらちゃん人気w6分前
マジ6分前
ええ!?に草6分前
ほう6分前
ガチのやつw7分前
は、こわ7分前
先生はできないなー!7分前
妊娠しても見える7分前
今の心霊なのか7分前
なんか草8分前
怖いなあ8分前
一人だけ本当の合コンに来てるな8分前
おばさま8分前
どんな?8分前
みんな興味あるのかな??8分前
ゆらちゃん二十歳にみえないw8分前
私も一緒8分前
仲間にー9分前
やだ9分前
やだ9分前
女が見えなくなるのは妊娠した時9分前
見たい?!9分前
abema-special
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二次創作の多くが本ではなく、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)で、わざわざタグ付けだの棲み分けだのをうるさく自主規制しているのは「そのソシエティ」にいる「同好の士」だけにあてたラブレターという使い方だから。だれもベストセラーになりたい金儲けがしたいとおもって二次創作なんかしてないんだよ。同好の士が増えてくれたらいいとはおもってるけど。
そういう使い方を黙認してただけのピクシブだから、一ツ橋大学と同様にうちには責任ありません、原告にもなりませんというのが一番簡単な対処法ではあるね。
被害者泣き寝入り。ただし、引用ネタハンティングの場になったらマストドンに大量移住するだけ。
大体法的にはそういう流れとされてるんだろうけど。
法律には金目当て・名声目当てとコミュニケーション目当ての区別がつかないから
いちいち著作権が読めないやつにこうやって説得してまわらなければならない。
出版社やピクシブが司法に渡り合う力を持っていなければならない。
ピクシブがんばれ。法律を誤読した引用万能論者なんぞにまけるな。
さもなくば1編ずつ自分の作品を人質として提出しなければいけないマストドンとか非常に面倒な秘密結社をつくらなければ「非公表」コミュニケーションが成り立たなくなる。
なんだこりゃ。禁酒法か。
以前、「目を覚ませ、ジャニーズ事務所 ( http://anond.hatelabo.jp/20170517121507 )」というタイトルで投稿したが、自分で見返してみてドン引きした。感情的になりすぎ。
というわけで、少し頭を冷やして、今回の規約改正に、なぜ私が頭を悩ませているのかを書いていこうと思う。
まず、今までジャニーズ事務所が定めたチケット販売規約では、「営利目的で第三者へ譲渡する行為」、つまり高額転売は禁止事項として明文化されていた。そして、購入者にも同様に、「販売代金以上の金額での購入」の禁止を明示していた。つまり、定価でのチケット取引は、暗に認められていたということである。
チケットを申し込む時に、友達と協力して友達の名義と自分の名義で別々に申し込むことがあるかと思う。もし、同一日程の公演が重複してしまった場合、今までの規約であれば、重複した分を定価で第三者に譲渡することが暗に認められていた。
また、身内に不幸があった場合や病気、仕事など、様々なやむを得ない理由でコンサートに参加することが出来なくなったとしても、チケットを定価で譲渡することができた。
さて、今までのジャニーズタレントのコンサートで本人確認が行われることはほとんどなかった。つまり、どのチケットが定価で取引され、どのチケットが営利目的の高額で取引されているかを知る手立ては、もちろん存在しない。
この「抜け穴」に目をつけた転売ヤーやダフ屋が、こぞってチケットを入手するようになった。ネットの普及とともに次第にその母数は膨れ上がり、チケットの入手が困難を極めたグループも増えてきた。アリーナやスタンドの前列、いわゆる「おいしい席」は言わずもがな法外な値段で販売された。その他の席も、需要が増えるにつれてどんどん相場が釣り上がっていった。
「おいしい席」をどうしても欲しいファンが、法外な値段で購入する。落選してしまいどうしても行きたいファンが、やむを得ず高額転売者より購入する。もちろん本人確認などほとんどないので、値段を出せば必ず入れる。そして、転売ヤーやダフ屋の需要が増える。この繰り返しで、高額転売行為はみるみるうちに加熱していった。
ネットの普及により、特別な知識や情報を握っていなくても、簡単に高額転売行為をすることができるようになった。つまり、転売ヤーやダフ屋だけでなく、お小遣い稼ぎの感覚で高額転売行為に加担するファンが増えた。チケットを入手し、高額転売を繰り返し、さらにおいしい席を手に入れるために。または、遠くの会場まで行く交通費を稼ぐために。
こうして、今まで持ちつ持たれつでやってきた我々ファンと事務所との信頼関係が壊れてしまった。
2017年6月1日より、ジャニーズファンクラブの規約が改正されることが発表された。新しいチケット販売規約の「禁止事項」には、このように追加された。
「チケットを、(中略)正式な販売場所以外の第三者から購入する行為」
「目的・手段の如何を問わず、(中略)有償無償問わず譲渡し、転売または譲渡を試み、転売または譲渡のために第三者に提供する行為」
ジャニーズ事務所は基本的にチケットの払い戻しや返金には一切応じていないので、これにより、「友人と重複してしまった場合」「やむを得ない事情がある場合」のチケットの行き場所が完全に無くなった。完全に空席にするほかなくなってしまった。
ダフ屋・転売ヤー・転売に手を染めた者のおかげで、正直者が迷惑を被る結果となった。
「そんなの書面だけの規約でしょ」と思う方もいらっしゃるかもしれない。しかし、コンサートスタッフは近年のコンサートで、入場時または開演中にランダムで本人確認を行っている。もし本人確認に引っかかり、定価高額問わず第三者より譲渡されたチケットだとわかった場合、新規約に則れば1発レッドカードで退場、ということになる。
そして、ここからが私の考える今回の規約改正において、最も改善すべき点である。
コンサート事務局は、チケットの申し込みの際に必ずこのような注意書きを入れる。
「抽選の結果ご当選でも、お支払い期限までに正しいご入金がない場合は、当選無効となります。また、次回から会員としての優先受付ができなくなることがあります。」
当選しても入金がなければ、チケットが無効になるのは、イープラスやぴあなど、どのチケットサービスでも同じであると思う。しかし、「会員としての優先受付ができなくなる」というのが非常に我々にとって不利益なのである。
整理すると
・重複などで入金しなかった場合、自動キャンセルの他、次回よりその名義でチケットが取れなくなる可能性がある
→チケット代は必ず支払わなければならないし、行けなくなってしまったのならチケットの行き場所を諦め、空席にする以外の方法がない
いくら信頼関係が破綻したとはいえ、まともにやっている会員から見てみれば、少しばかり負担が大きすぎるように感じないだろうか。あまりにも救済措置が足りなさすぎる。というより、無い。だからこそ、私はジャニーズ事務所公式のチケットマッチングシステムの設立を切望しているのである。
マッチングシステムがあれば、重複させてしまったファンややむを得ない事情が発生してしまったファンの元にチケット代が戻ってくる。また、落選してしまったファンにもう1度チケットを手に入れるチャンスが巡ってくる。空席がなくなる。事務所にはしっかりチケット代が入る。まさにwin-winなのではないだろうか。
現状のままでは、年会費を払っているはずのまともな会員が全く得をしない。不利益だらけだ。今回の規約改正で新しい禁止事項を追加するだけではなく、メスを入れなければならない部分もある、ということに、どうか気づいていただきたい。
と、チラシの裏に書いているだけでは何も変わらないので、ジャニーズ事務所公式サイトのお問い合わせフォームより意見を送ってみようと思う。もし、この記事に共感して頂ける方がいらっしゃるのであれば、面倒がらずに是非声を上げてほしい。私たちの声で何かが変わることを信じて。
>ひはん 0 【批判】
>(1)物事の可否に検討を加え、評価判定すること。
>「学説―」「―を仰ぐ」
>(2)誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
1.当然あることとして
創作物を公表すれば批判はあるものである。その際の定型的な文句としては「批判されるのが嫌なら公開するな」と言う言論。これは正当であるし、創作側は批判を覚悟しておくべきだと私は考える。しかし、それは批判をすることの良し悪しとは関係がない。「鍵を締めていなければ泥棒に入られる」「裸の女が歩いていればモラルなんて吹っ飛ぶ」「無防備国家は侵略される」、これは当然起こりうることとして考えなくてはいけないが、泥棒もレイプも良いことではない、当たり前だが私が考えるには悪いことだ。鍵を開けて外に出る家主は泥棒を覚悟すべきだが、泥棒は鍵を開いていることを理由に盗みを働いて良い理由には成らない。同じように創作物を公開すれば批判されるのは当然あることとして創作者は覚悟すべきだが、だからといって批判して良いという物ではないのではないか。
2.批判という手法
創作行為に対して批判をする理由は幾つもある、個人個人で様々であり一概に藻言えない、その中で創作者への好意的な理由として用いられると私が考えるのが「改善させるため」と言う物がある。確かに欠点は指摘されなければ気付かない事もあり、またその指摘が強い物であればより強く受け取ると言える。しかし、改善させるためならば、リクエストとアドバイスという方法もある。「こういう風な方が好きだ」「こうなったら面白そう」そう伝えることにより創作者に道行を示すことも出来る、また「こうした方が良いのではないか」「ここをこうするというやり方もある」そういった提案をすることによって改善を促すことも出来る。これは、どの手法が良いという物ではなく、様々な手法とそのメリットデメリット、中でどの手法を選び、その必要性と優位性。それを考えることが出来るということだ。
3.対人問題と芸術への問題
創作物への批判の良し悪しを考えるときに2つに分けて考える必要があると私は考える。言う相手との人と人と付き合いとして批判することの良し悪しと、批判が創作活動に対して及ぼす良し悪しだ。
対人問題として良し悪しを考えるときに、やはり相手の嫌なことを故意的に行うことを良いとは私は判断しづらい。相手にもよるが、殴られたってマゾヒスト以外喜ばないし、マゾヒストだって誰から殴られたって良い物でもなく、叱られるのであっても親から教師から友人から間柄があってこそ感謝が出来る。無遠慮に見ず知らずの人が乗り込んで嫌なことをしても良くはないと私は感じる。誰にでも良い物ではなく、相手を良く知った上でその人その人に合わせて批判と言う手法が適切であるか考えなくてはいけないのではないか。批判という手法は基本的には良くないと個人的には考える。
創作活動に批判が良い影響を与えるか悪い影響を与えるか。メリットと言えば、よりよき物が生み出される可能性や創作者の欠点が改善される可能性。デメリットで言えば、創作者の意欲が落ちる可能性や創作活動をやめてしまう可能性。メリットに奮起してやる気が上がる可能性もあるが、もちろんデメリットに間違った方向に進んでいく可能性があるが、そういうものは希な物として私は考えている。さて問題なのは創作活動が落ち込むほどに指摘することが、そのデメリットを覆す程にメリットがあるかどうかだ。上に記したように、アドバイスやリクエストという手段がある。より活動を落とさない手法があるのに、批判という手法をとるメリットは無いように私は感じる。
もちろん、受取手は創作物に感想を持つことは当然の権利であり、またその感想を口に出すことにも権利がある。そして、その口に出す感想をどこまでも発信する権利が創作者がそうしたようにある。しかし良し悪しとはまた別にあり、その中で考えなくてはいけないのは口に出す感想をどこまで伝えるのかという問題だ。まず受けて独り言を出すのに何も問題はなく悪いはずがない。次に仲間内で話す、ここで問題になるのは仲間の中に好意的な感想を持っている人を嫌な気持ちにさせる可能性がある、それを意識的に行って良いかどうかは、その仲間内の人と人との関係である。さて創作者に向かって伝える、ネットや出版社が間に入ってることもあるが、例えば目の前に作者が居て「お前の作品は駄目だ」と伝える、蹴っても良いよね。軽く軽く。次に、公に向かって発信する、これは創作物であり、他人を公然とあげつらって良いとは私は言えない。
個人でならともかくとして、他人が関わってくる時には行為が他人に与える力を考えなくてはいけない。嫌な気持ちにさせることを何の状況判断もなしに行うのは浅慮と言える。権利を有していても、その行為をすることが悪いことはあり、行為は時と場所を考えて行わなくてはいけない。
5.出来ることと出来ないことの間に
ネットではとにかくとして、出来ることと出来ないことが判断の基準になっていることを私は多く見る、その次に法律と各々のサイトのルール。「出来るんだからやらせろよ」「やらせたくないなら出来ないようにしろよ」「法律にないじゃん」。語調は私が書きやすい語調であり他意はない。単純に言えば「ウェッブルールもクソ喰らえ」「無断リンク禁止」問題か。可能不可能で言えば、プリントアウトしても無断でリンクしても問題はない。しかし相手を嫌がらせていることが消えるわけでもなく、嫌がっていることを故意的に行う人間性を良いとは個人的には言えない。悪し様に文句を言ったウェッブの人も無断リンクの人達も問題はある。
パソコン通信からインターネットになり、企業や国の公的なサイトと個人サイトやブログがある。個人対個人であり、公人でなく私人であることが最近は特に多くなってきた。インターネットに存在する物は全て公的な存在として考えるべきかどうかは社会学者に任せるとして、個人対個人の場合というのはやはり人付き合いなのだと私は考える。
ネチケットやネットマナーというは基本的に気持ちが悪く一笑に付される存在である。技術も変わり環境もたえず変わりネットには新しい人が絶えず足を踏み込み、共通の感覚というのが未だ成熟していない。自分と相手の間に、どこまで足を踏み込んで良い物なのかおっかなびっくりである。直接出会う人ならばどうするかといえば試行錯誤をしながら足を踏み入れていくところだ。さて創作者とはどうか。ネットにより、以前より際だって創作者と受取手が直接交流することになった。しかし、ニコニコ動画やぴくしぶは、それまでの出版社やプロダクションなどに属していた状況と違い、より個人対個人の交流に成ってきた。それはテレビの前でぶつくさ言ったり、手紙を出すのとは違い、モニターと言うテーブルを挟んだ座談会だ。それを今までと同じように感想を述べて良いか、これは先ほど書いたように時と場合が違うことを思い出さなくてはいけない。ネットマナーやネチケットは分からないが、人と人との付き合い方ぐらいは分かっているものではないのだろうか。
6.駄サイクル(ださいくる)
漫画家、石黒正数先生の作品より。身内で、作る→褒められる→見る→褒める→作る→褒められる、を繰り返すださい駄目なサイクルの事である。これを見るに、批判は必要なように思えてくるが、駄サイクルの問題は閉じた世界で満足していることであり、開いた世界で褒められるならばそれは傑作である。そして無理に批判をしなくても褒めないという手もある。
7.個人的な結論として
創作して公表すれば批判されるものだ。創作者は、それを排除してはいけない。しかしそれは創作者の態度である。受け手の態度はまた別である。創作物を受けたときに批判という手法は良いのかどうなのか。私は積極的にはとるべき態度ではないと考える。さて、しかし、上で記したアドバイスと批判というのは実は曖昧な物である。アドバイスと思っても創作者は不快に思うかも知れないし、どこからどこまでが批判とも言えない。そこで重要なのは受取手の感情で、嫌がらせる目的でやらないことなのだろう。
そして、批判をする側が「制作者はかくあるべき」と言うことを言い訳にしないこと。その言い訳は自身の行為を正当とはしない。ただ独り自身の行為として良し悪しを自身の倫理で考えるべきであるとして、私の考えを締める。