はてなキーワード: ももちとは
俺が家事や子の世話をしようとすると蛇蝎のごとく嫌がる癖に、俺が何もしないと周りや子供に吹き込み続けてた
他人の子を俺の子として育てさせても、ずっと周りに悪口吹聴しても、子供に俺のこと親と呼ばせなくても、なんか法律的には実子らしい
子供にもずっと悪口吹き込んでるから、別れる直前あたりは目も合わせてくれなかったよ
子供抱っこできたのは夜泣きして嫁が起きれなかった時だけで、起きたら激怒して赤ん坊奪ったじゃんよ
子供が口から離乳食プーしたのを拭ったら「触らないで!」とか俺の手を払ったやん
道路飛び出さんように手をひこうとしても怒ったよな
子供の話を俺が聞いてると、必ず話さえぎってたよな
でも「増田の子だと思ってた」こう言っとけば騙した事にすらならないらしい、おかしいだろ
面会と養育費は引き換えって判決だったから、面会する気全くないから安心して養育費も一切だしてない
たまたま同居してたけどな
しつこく連絡するの辞めて欲しいから警察に相談したら、なんか俺が悪いらしいな
急にガキにパパとか呼ばせて電話してきたんは笑ったわ
初めて言われたので新鮮でしたね
面会と引き換えなんだから、面会したくないし養育費も払わなくて良いだろ
もう勘弁してくれ
およそ40年間生きてきた男性だが、一度もセクハラだと言われたことない。
でも別に女性を避けてきたからではなく、無口だったわけでもない。
でももちろん無策ではなくて、この成果には、ちょっとしたコツがあるんだ。
手前味噌で恐縮だが紹介する。
今、ハートマークを付けて女性にコメントしてセクハラ扱いになってた男性が話題だ。
一般論としてはハートマークだけでアウト扱いにはできず、実際の関係性がどうなのかによる。
詳細は分からないので事件には立ち入らないが、しかし、男性の気持ちは分かる。
もし自分なら。ハートマークをつける気分になったとき、別の表現に言い換える。
のように男女的なニュアンスに踏み込みそうな場合は、優しさの文脈に切り替えるんだ。
他にも、付き合ってる人いる? って聞きたくなったら、言葉が舌に乗ったときに家族や寂しさ、辛さ、
の話題に舵を切る。
医学部の入試で男性のほうが合格率が高いのは差別の結果、というのは数年前よく見かけた。上野千鶴子の2019年東大入学式"祝辞"でも冒頭で以下のように触れられている。
「全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。『男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い』。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。」
しかし、慶応の医学部医学科 ("祝辞"では”事件”のあった東京医科大や順天堂大と混ぜて紹介された)は、点数操作無しで合格率男女比1.37で、上野の母校である京大("祝辞"には登場しなかった)も1.27だ。こちらももちろん点数操作は無い。根本的な原因が点数操作以外にあることは、文科省の調査結果が出たときから明らかだった。
医学部と他学部で合格率男女比が異なることへの私の説明は表題の通りで、詳細に言うと以下になる。
《受験者の全体平均と医学部など難関大学受験者に多い富裕層では、受験校選択の傾向が異なる。富裕層の女性は偏差値的格上校を積極的に受験するため、合格率は男性なみかそれより下になる。》
2019年4月時点で、一般人でもwebで複数年・多数の学部の男女合格率を拾えたのが早稲田 だ。
学部ごとに'13~’18年の6年間の一般入試の合格率男女比平均値を出すと
政経0.92, 法学0.97, 文化構想0.94, 文学1.03, 教育1.02, 商学1.22, 社会科学1.22, 人間科学1.20, 基幹理工1.47, 創造理工1.17, 先端理工1.57
となる。文系は男女拮抗が多いが、理工系3学部は男性のほうが合格率でもはっきりと高い。
女子枠創設が話題('24年春時点)の京大の理系は、‘22年、’23年の合格率男女比が理学部で1.55、1.79、工学部で1.38、1.29となかなかの値だ。
'23年の教育学部(理)も合格率比0.45とすごい値だが、ここは約10名という定員数の影響が大きいだろう。
各学部で日本の大学全体の平均を見ると文系も理系も女性のほうが合格率が高く (あるいは男女拮抗)、難関大学では男性合格率が高いなら、普通の大学と難関大学では合格率の男女比がはっきり違うことになる。
よく知られているように難関大学の学生・受験生の学力面以外での特徴は、経済的に余裕がある割合が高いこと。大学受験で難関大とフツーの大学で違う、はだいたい、リッチな受験生とフツーの受験生の行動が違う、になる。
リッチでそこそこ以上に成績が良い高校生が難関大を挑戦的受験するときは、都市部の中堅以上の私大を滑り止めにしていることが多い。
また、滑り止め大学の受験・進学が容易な富裕層・大都市居住者は女性の大学進学率が男性並みか、それ以上で、日本の大学受験生の全体平均、ましてや就職コースを含む高校生の全国平均とは状況が大きく異なる。
富裕層は女子学生でも進学についてのプレッシャーが強い、とも言えそうだが、"祝辞"では
「女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります」
と言ってこれが絶賛されたのだから、フツーは買えない余裕を高い家庭経済力で買っている、という認識が良いのだろう。
逆転に至るさらなる要因として、都市圏から地方大への進学者数が男女で大きく異なることが挙げられる。例えば以下の調査結果
ttps://www.ipss.go.jp/publication/e/jinkomon/pdf/19823104.pdf
都市圏から地方国公立大に進学する動機で大きいのは、一人暮らしをしたい・学費を低く抑えたい、だろう。男性・理系との相性がいい。
女性が格上大学を記念受験する傍らで男性が都市部から地方に進学すると、男性の難関大合格率が相対的に上がる。
詳細な検討にはデータ (滑り止めと、進学実績水増しのための多数校受験の区別とか) が足りない。
しかし書いていて、家庭経済力の差・都市と地方における滑り止め確保のコスト差・男女の自主的な行動の違い、が組み合わさって自然と難関大学では女性合格率が下がる、というのはむしろ社会学の知見としては当然の結果に思えた。
ただ、そう明記しているものを見つけられなかった。
難関大学における女性の学生や志望者の少なさを問題視する論文はすぐ見つかるが、一般社会では数年前に問題視され、"祝辞”でも触れられるくらい話題になっていた合格率は、あまりアカデミックの社会学では考察対象になっていないようだ。
確かに、人気になれば下がる合格率にやっきになるほうがおかしい。しかし、余計な男女分断を避けるためにもそう言ってくれれば、文科省も何年も調査しなかっただろうとも思う。せっかくなので、ここに書き残しておく。
あの"祝辞"は冒頭の後、こう続く。
「2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。『息子は大学まで、娘は短大まで』でよいと考える親の性差別の結果です。」
原因がやはり家庭経済状況と、それへの対処の男女差に要因があることは明白だろう。例えば2014年に発表された調査では、奨学金を借金している割合は男性理系50%、女性理系46%、男性文系44%、女性文系41%だった。
学生数は男性が文:理 =約1:1、女性が同4:1なので、調査結果の数字を当てはめると借金率男女差は約5ポイントとなる。そして借金だけでなく、きついバイトや貧乏生活、長距離通学など、大学進学の金銭面をどうにかするのは基本、男性のほうが適性がある。
借金などムチャをして進学できるのは男性有利な構造があるため、と主張はできる。ただ男性のムチャの動機は、自分より高所得のパートナーを得るルートが無い、社会保障も届かない、という要素が強い。
「エリート女の泣き所はエリート男しか愛せないってこと、主夫 (ハウスハズバンド) を養うなんて現実的じゃない」
という上野本人の有名な言葉が、そしてこの発言をした上野がこの「祝辞」を述べる栄誉を与えられ、なおかつ今も権威として君臨している現実が、男性が女性よりも進学や労働でムチャをする理由、ムチャせざるを得ない原因を端的に示している。
一方でそれらのムチャは、よく死ぬ(もちろん同じルートに突入したからには男女問わず)、という副作用と、それでもそれがマシ、というつらい現実を伴っている。
上野の主張は、彼女ほど親の経済的援助(大学近くに住居を準備し、かつ博士課程修了までの学費・生活費も支える)に恵まれていない子と、そこまではできない親の苦労と苦悩を無視している。また大学進学以外のキャリアが視野に入っていない点でも同じ傾向で多様性を欠いている。
そして、大学進学率の低さを解決するために非エリート家庭への経済的支援を模索するのではなく、エリート女性を含む女性全体に対する性差別を解決せよと主張するのは、自らの指導的地位を利用して非エリート女性の被害者性を奪う行為だ。
他人の苦難に親身になるのは素晴らしいが、"彼女たちは苦労させられている" を "私たちは苦労させられている" に変換して他者を非難し、自己の権益を主張する行為を、私は当時も今も好きになれそうにない。
好みにド的中して興奮がおさまらない
とにかく読んでくれ
「ハヴィラ戦記」
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798374522269
まだ一話なので考察もクソもない感想と深読みなんだけど、出ている情報や、伏線になり得る可能性のあるところをちょっと考えておきたい
小人はかつて奄美の森に沢山いたが、環境破壊により絶滅寸前となり保護されている、という設定
気になるのはその保護を行っているのが民間の製薬会社である、というところ
例えばトキならば、「佐渡トキ保護センター」があるが、これは環境省が設置し、新潟県が管理・運営しているし、「コウノトリの郷公園」は兵庫県立、そしてまさにこれにピッタリな「奄美野生生物保護センター」も環境省直属、つまり国立だ
ところが「先生」の肩書を見ると、「華蝶製薬 日本支部 羽部良島研究所 第五保護区長」となっており、保護主体が民間企業であることが分かる
それどころか日本支部とあるなら外資?名前からすれば中国系企業?とまで想像ができる
1. 環境省が主体となるほどに生息数が減っているわけではないが、社会的イメージのために本当に私企業のみで保護活動をしている
2. 絶滅危惧は本当だけど、環境省の保護施設とは別に、製薬会社の保護施設がある。動機は上記と同じ社会的イメージのため。
3. 生息数は十分多く、保護は建前で、小人を飼いたい何らかの理由が製薬会社にある (進撃の巨人のように裏がある可能性)
実際、社会的にいいイメージをアピールするために植林や海の浄化などやっている会社は現実にもたくさんあるため、会社に裏の理由があると深読みする必要はない
じゃあ裏の理由があるとすればなにか?と考えると、製薬企業が人に近い動物を飼育するならまず思い浮かぶのは実験のためだろう
現状、マウスで実験をやっているくらいなので、小人がいるならマウスより人に近いデータが取れると思う
そして人権ないなら、そりゃ製薬にしたらたくさん欲しいよね
でもさー、それならマウス飼うのと同じく、交配して欲しくない異性と接触しないようにケージ別けろよとは思いますけどね
と思うと、薬の実験というよりかは、社会性の調査のような形で研究されているのかもしれないね
でも、まだまだ本当の目的はわかんない
ひょっとしたら滅びてたのは大人間のほうだった、なんて可能性すら残っていると思うしね
進撃の巨人や約束のネバーランドのように、楽園の外がどうなっているかは全くもってわからない
それをああだこうだ考えるのが楽しいよね
真面目に保護していたのなら当然だし、製薬会社が仮に小人を実験に使っていたとしても、カラスが入ってきて好き勝手食われていいはずがない
なので外敵の侵入が起きないように楽園を設計していると思われる
廃校舎が街、その前の廃車が家として機能しているようだが、その家と街までの間が野外であるため、そこをカラスに襲われないよう、有刺鉄線が張られている描写がある
これを見れば、ガラスを破るどころか、ガラスの外にカラスが来ることさえないはずの設計になっていたと思われる
にもかかわらず、カラスが入ってきた
カラスが石をくわえて投げてガラスを割ったのか?と思ったけど、実際は人間による投石の可能性もある
大人間も、外の小人も、ガラスを割った犯人である可能性は捨てきれないだろう
つまり小人保護区をよしとしない勢力がいる、と考えて間違いないと思う
これは彼らにとって存在を左右する敵だろう
沖さんが外を見て逃げたのだって、カラスの影を見たから、というだけではないだろう
石を投げようとしている大人間を見たのかもしれない
「つがうと決めた人がいる」という言葉も、外への解放を願う気持ちも考えると、沖さんは外の世界の小人を知っていると推測できる
これはつまり、脱走した人がいるか、沖さんが野生から捕獲された個体か、だと思う
仮に約ネバのように脱走編に移行していくなら、沖さんはアドバイザーになるんだろうか
製薬だしな
今のところ男が2人食われた
製薬とか解放とかそういう話を抜きに楽園の人間関係で当面話が進展していく線もあり得ると思っている
そうすると、今回つがいを失った女が発生することが後々みんなの関係性を変えていくだろう
忍野カラスから生き残れるかわからないけど、マイを全力で守ろうとするだろうね
まあ2人は生き残るだろう
忍野の良さは他の女に知られていると思うと、その後、忍野を自分によこせと主張する女が出る可能性がある
マイは忍野を好いてはいるし頼りにしてはいるけど、性的には望んでいない
急に売り手市場になった時、忍野はマイへの気持ちを貫けるんだろうか?
絶滅危惧種で、遺伝的多様性の観点から配偶相手を何世代も決めているわけなので、複数人の事故死があれば大きな配置転換もあり得るだろう
親子で暮らしてないし
ここは第五保護区で他の保護区もあるようだし、世代ごとに違う保護区で暮らしているのだろうか
部屋に行くと男が居てセックスこそしていなかったがお互いに裸だった。
ちょっとどうしたものか?と悩んだが幸い恋人がその男に帰ってくれというと男はそそくさと服を着て出ていった。
恋人は何か言い訳のようなことをまくし立て始めたがショックを受けてしまって何を言っているが頭に入らない。
もちろん年の差があるし恋人と書いているものの愛人であることはわかっている。
隠れて男と会っていることもあるだろうこともバカではないので頭では理解していた。
それでもやはり目の前で恋人が他の男といるところを見ることは衝撃を受ける。
本当に皮肉なことだと思う。
若い頃、女が欲しくて欲しくてたまらないころには金も地位もなく誰も僕のことなど振り向いてもくれなかった。
あふれる性欲を自慰行為や風俗で発散するしかなかった頃に今の恋人が居たのならいくらでも満足させてあげることが出来ただろう。
結局、悪いのは僕なのだ。
恋人にもよくない人生を歩ませているし、そろそろ精算するべきところが来ていたのだ。
別れたほうがいいと思う。
今、あなたが住んでいるところはあなたにあげるし、これまであなたにあげたものももちろんすべてあなたのものだ。
そして幾ばくかの手切れ金も渡せると思う。
そういうと彼女は怒り始めた。
「お金なんかじゃない」
なるほど。
でもお金以外の何があるんだ?
大学の頃、バイトでライブ会場設営日雇いに応募したことがあった。
会話の最中で「仰々しく」という言葉を使ったら、周りは「?」という反応。
しばらく間をおいて難しい言葉を使うな、賢ぶるな、と一日中馬鹿にされた。
馬鹿にされたことももちろん嫌だったが、何よりも「仰々しく」の意味がわからない層がいて、そんな人たちもお金を稼ぐために社会のどこかに存在しているんだなと思ったこと。
自分(当時19)の倍は確実に生きている大人から、この程度の形容詞を使っただけで賢ぶるなと言われるのがきつかった。
今は大学を卒業して普通に会社で働いてるから日雇いに行くことなんでもう生涯ないんだろうけど、あの人たちはあの知的レベルで今でもどこかで頑張っているのだろうと思うと、神様ってたまに意地悪するよねと感じる。
持病の通院のため火曜・水曜と二日連続で大学病院に行き、疲れ果ててずっと横になっていた。
そして金曜の夜、とつぜん喉が痛くなった。嫌な感じの痛みだ。
土曜になっても喉の痛みは消えない。
土曜は暑くて室温が30℃を超えてつらかった。
夕方ごろ、あまりに怠いし熱感もあるので熱を測ってみたところ、37度8分。
夜になり、更に怠く全身が熱く、筋肉や関節まで痛くなってきたのでもう一度熱を測ると38度7分。
これインフルエンザよね。
インフルエンザ流行シーズンだし、大学病院で感染したとすると潜伏期間も合ってるし、突然の高熱に上気道症状と全身関節痛および筋肉痛。
なんかもう胸も痛いし、苦しすぎてこのまま死んだらどうしようと思った。
夜に服用してる免疫抑制剤はこの日は服用しなかった。
自己判断で免疫抑制剤の服用を止めるのがダメなのは分かってるけど、もともと免疫抑制剤はきわめて低用量しか飲んでないので影響そんなに無さそうだし、いまは体がウイルスと戦ってるから免疫に頑張っていただきたいと思ってしまったのだ。
ロキソニンを飲んでもなかなか効かなくて、ぁぁぁぁぁぁぉぁぁ!!!って布団を転げ回ってた。
呼吸とか関節痛がマシになる姿勢を求めて体をひたすら回転させてた。
しばらくすると大量に発汗し始めて体が少し楽になった。
ロキソニンを飲んで大量発汗したことがなかったのでちょっと驚き。
何とか眠りについて、翌日(本日)は喉の痛みとガラガラ声が気になる感じ。熱は36度9分にまで下がっていた。
喉が痛すぎて固形物が食べられないので再びロキソニンを服用。プロテイン300mlとムコスタ併用で胃へのダメージ軽減をはかる。
しばらくすると、やはり大量発汗。ロキソニンよ、お前って発汗させる作用あったんだなあ。長年服用してたけど知らんかったわ。
今のところの感じだと、敢えて医療機関を受診しなくても自宅療養できそうな気がしてるけれど、また高熱が出たり症状が長引いたら受診を考えようと思う。
電車で隣に座った女性が咳してた気がするからその時かな。でもその人は不織布マスクしてたし、正面に向かって口に手を当てて咳をしてた。私ももちろん不織布マスクしてた。
コロナ禍で一切感染症にかからず乗り切ってきたのに、このタイミングでインフルエンザにかかるなんて悔しいなあ。
早く治りますように。
送金周りの疑念(一平がなんでそんな大金動かせるアカウント操作できたの?)がまだ晴れていないという声が少なくないのだが、声明のこの部分に注目していただきたい。
全文(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240326/k10014402101000.html)から引用。
僕は彼の借金返済にもちろん同意していませんし、ブックメーカーに対して送金をしてくれと頼んだことも許可したことももちろんないです。
最も重要なのは後半の「送金をしてくれと頼んだことも許可したことも〜」という部分。
この文章から見えてくるのは、大谷が一平に急な送金を頼むことは可能な状態であったということである。
なぜなら、大谷のアカウントに一平が全く触れることができなかったと仮定すると、一平は送金処理をすることができないため、そもそも依頼も許可もクソもないからだ。
つまり、この文をわざわざ挟み込んだという事は一平がある程度勝手に大谷の金を動かすことは可能だった、ということではないだろうか。
結局のところ、大谷の脇が甘いといえばそうなんだろうが、それ以上の誹りを受ける言われはないと感じる。
常にあり方を変えてくれるナニカを求め続けている。
知らなかった頃は、愛がそれかと思った。今も彼女のことを心から愛している。最初に会った時には、ここから人生が動き出すのか、己の人生もようやく灯ったか。
本心から期待を抱いた。淡かった。私をただ認めてくれる人間の存在は、確かに助けにはなったのだが。
人は人生の問題が一つ解決しても、それだけで全て救われるものではない。
浅ましいこと限りない。どれだけ欲張れば気が済むのか。渇愛の念は弱まり、自責の念だけが残る。素晴らしい彼女からの素晴らしい愛によって、生きる理由が一つ増えた。それでも、自分にとって自分は不愉快なままだった。
生きる理由が増えたことは、生きたい理由が増えるということではないらしい。
また一つ、希望が消えた。一般的に生きる理由とされるもの。年を重ねるごとに、生きる理由の心当てが無くなっていく。私は変われないのだろうかと不安になる。
負の感情を抱くことは、それ単体で生きたくない理由になる。生きる理由のストックが減り、生きたくない理由の不良在庫だけが着々と積み上がっていく。
ここまでの思考すらも負の感情足り得る。人に救われたい。でも救われたくない。
進めないまま、ここで立ち止まって生きるしかないのか。嫌だ。苦しい。
両親は善人だ、友人は善人だ、社会に生きる人間は、随分と楽しそうに生きている。
知能も、身体能力も、感情の抱き方も、愛も、信頼も、社交力も、努力も。
社会で必要だとされているものが、全て中途半端。全く持っていなければ諦めもつく。
諦めるには惜しいだけの要素が揃い、上を目指すことだけはできる立場にある。立場上は。
周りの人間は私に期待してくれる。過剰な評価だ。根拠が弱い、そうあって欲しい願望だ。
死ぬこと自体ももちろん難しいことだ。完遂できる自信は、はっきり言ってない。
私を生かすために私以外の人間が捧げたものを返すまで、死ぬことは許されない。
現世こそ、真に無間地獄のように思う。
ね、男女はもちろん、夫婦ももちろん、戸建てマンションにも都会田舎にも貧富にも切り込み、定型不定型にもやいばが届く、芸術的な対立点がゴミ捨て問題にあったとは、長年増田やはてなにいたのに気づかなかったわ。芸術点が高すぎる
まず前提として、埼玉県の一部の公営プールはいままで大した審査をせずに水着撮影会にプールを貸していたが、外部の抗議をきっかけに一律禁止、それはやり過ぎだとして既に許可してものだけOKして新規受付を停止してガイドラインを作成という流れだ。
だから「現状規制は無いが曖昧な基準で規制されうる」という増田の順位づけにはない状態からガイドラインが作られたわけである。
さてここからは私見だが、そもそも水着撮影会のような民間イベントに貸し出しを行っていないプールも多い。
水着撮影会なんてどう見ても公益性はないし、プールの一部を貸し出せば他の利用者にとっては邪魔なのだから、そういう一律禁止がダメだとも言えないだろう。
ガイドラインの作成は一律禁止よりも緩いのだから、自由という観点からはそれ自体がダメだとももちろん言えない。
ただしガイドラインの背後にある倫理感・道徳観が極端に抑圧的なものになっていないかは「表現の自由」戦士としては注意しなければいけないと思う。
その点で見るとこのガイドラインは手放しで褒められるようなものではないと言えども、現状公共施設が求めるところの「公序良俗」から大きく離れているとも言えないため、まあ許容されるべきだろうと個人的には思っている。
イラストレーターのみなさんはもちろんそんなものは使わず自分で確定申告するんだよね。反AIだもんね。大変だね。僕はAIがやってくれるならやってもらうよ。
「才能の民主化」って言い方は適切じゃないけどそういうことだよね。
「取得に時間のかかるスキルがないと出来ないことが万人にできるようになる」んだからこれは間違いなく素晴らしいことなんだよね。
これに対して「努力したことのないやつがズルしようとしてるだけ」みたいな論調が多くてビックリする。
そりゃまあイラストレーターが拒否反応を示すことはわからんでもないけど、じゃあ機械翻訳はどうなのさ
「あんなズルをせずに必死に語学の勉強をしろ!だれでも勉強すれば外国語はできるようになる」とか言うわけ?そもそもその時間はなくせるならない方がいいよねって話なんだけど
昨年子どもが生まれ、育休を3ヶ月取った。都内の上場スタートアップ勤務ということもあり、男性育休には寛容な環境で、同僚からはお祝いにおくるみもいただき、前向きに送り出してもらった。
当然だが、とてもハッピーな気持ちで育休に入った。出産に立ち会って自然と流れた涙は、これまでの人生で最も無垢で、言葉にならない嬉し涙だった。仕事と子育てを両立して、より一層充実した人生を送っていくぞと意気込んだ。
しかし、育休中に痛感したことがふたつある。
まず、育休中は仕事をしていないので、育休を取ったからと言って仕事と子育てを両立したとは思えなかった。数ヶ月程度の育休は「特に大変な新生児期を乗り切る手段」であって、「仕事と子育てを両立する手段」にはならないのが現実だ。
そして2つ目に、「両立」と勝手に言っているが、それは自分だけの問題なのかということ。子育ては夫婦の共同プロジェクトだ。義務教育までとしても15年を要する、一大プロジェクト。そのプロセスにおいて、当然、妻には妻の「両立」がある。
育休は子育てのほんのプロローグに過ぎず、その後が本番と言ってもいい。
3つそれぞれの満足度(納得度の方が適切かも)のバランスをどうやって保っていくか。中長期的にはこれが1番のテーマで、もはや、要素がふたつであることを前提にした「両立」という言葉で捉えること自体が、時代遅れに思えた。
妻はメーカー勤務で、仕事好きな人間だ。バリキャリ志向ではないが、自社商品を愛してやまないタイプで、今後もフルタイムでの仕事を望んでいる。彼女が仕事を通して充実感を得ることは、一緒に生きる私や子どもにとっても大切なことだ。
私は会社に働き方の相談をした。フレックスがなく、リモートにも回数制限があるため、せめて後者は緩和できないかと。しかし残念ながらその交渉は実らなかったため、転職を決めた。
次はリモートかつフルフレックスの環境で、幸いなことに年収も大きく上がるオファーをもらえたので、自分自身の問題は解決できたが、これだけ少子化が社会問題になる中でも、子育てと仕事の両立に優しくない現実を突きつけられたモヤモヤは消えていない。
経済合理性が伴う事由や、事業を左右するような外圧がなければ企業は変化しない。女性社員の活躍を進めて社会情勢に応じつつ、男性社員にはこれまで通り仕事にフルコミットさせたい。これが経営者の本音だろう。
しかし、その男性社員に子どもがいるとなれば、しわ寄せはパートナーの女性にいき、どこかで働くその人のキャリアを制限し、家庭の幸福度の総量も減らす。間接的に女性活躍を阻害しているわけだが、大半の企業は「知ったこっちゃない」と言うだろう。
だから思う、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。環境や制度を変えなくても男性社員が辞めないから、企業も変わらない。賃上げだってそうだろう。
厄介なことに、子育ては本当に千差万別。子の性格や体質、家庭の経済力、時間の柔軟性、幼稚園や保育園の環境、本人やパートナーの体力、実家の頼りやすさなど、いろんな変数で難易度が変わる。
カードに恵まれただけだったかもしれないことに想像が及ばず、n=1の個人的な体験談で断じてしまう人もいる。そういう人が上司や経営者の会社にいるなら、すぐに転職した方が良いと個人的には思う。
少子化と人手不足が課題の社会なのだから、共働きで子育てもしようという自分は多少わがままを言ってもいい。自分にそう言い聞かせることで、同僚に迷惑をかけることを頭から消して長めの育休を取り、転職も決めることが出来た。
仕事より家庭、という安直な二元論では捉えていないし、仕事ももちろん頑張っていくが、「仕事=今の職場」ではないはずだ。
繰り返すが、男性こそ子育てを理由に転職した方が良い。それが大きなうねりになれば、いろんな問題が少しずついい方向に向かうように思う。