はてなキーワード: できるかなとは
最近さ、
ずっとお昼のランチタイムは本をもって喫茶店にずーっと時間までいたりキーボードの付いた電子端末を持ち込んでなにかを取り組んで文字を打ち込んでいるんだけど、
まったく同じお店に通っていると
それはそれで楽チンだけれど、
新しい情報がまったく入ってこないのよね!
つまり
あたらしい街のニュースを取り入れないと
ネタが無くなっちゃうことに出会うことの確立が低くなるような気がして、
なんだかそれに気付いたのよね。
だからたまにはいつものお店とは別のところに通り道向かいのそういうお店でもいいじゃない。
いつも同じところをループしていると気付いた時は
ふと隣の行く回数の頻度が少ないお店に行って見ると実現を現実的に取り戻せるのかしら?って思って今日はどうしようかなー?って思うのよね。
早速行動に移すべく私はお昼ちゃんと真っ当に空いている時間帯で混む前にお店に飛び込み前転でき入店できるかなぁーって思うのよね。
一応事務所の周りはそんなんでもないけれど、
とはいえ、
お昼のランチタイムのピーク時間のそんな時間帯にはお客さんが割といっぱいになるから、
ちょっとでも時間がずれちゃうと行きたいお店に行きにきにくい感じになるのよね。
そんで最近は海外からのお客さんも多くて地元のお店の何でもないようなことが幸せだったと思うってロードの第256章の歌詞で出てきそうな地元の何気ないうどん屋さんも行列が出来ていて、
長く通った地元のお客さんも足が遠のいちゃってる感じよ。
わざわざ行列できてまではーって思うの。
ここは観光客とは無縁ね。
ほっぽど日本の食通で中華やインド料理がどう日本向けにローカライズされているのか!ってテーマを研究にして来日している人なら別かも知れないけど、
女将さんに聞いたらわざわざ観光に来て中華を食べに来る人は居ないってことで、
へーなるほどねー!って思ったのよね。
だからそう言った
いわゆる穴場に私は今日は行こうかなぁーと目論んでいるのよ。
でも逆に参加したら参加したで
あの白いお皿が増えまくって意外と困るってこともあるのよね。
なにしろあの白いお皿は頑丈すぎてほぼ一生使える代物で
そう思ったら食器屋さんって食器いつ買うタイミングある?って思わない?
パン祭であんな割れないお皿タダでシール貼って集めるとは言え配っていたら、
そう考えたらお皿って買わないわよね。
私は今のところに越してきてそこでちょっとお皿は買ったけれど、
いやそれよりも食器よりもルービーをキメて飲むパイントグラス、
ハイボールをキメて飲む専用の私のお気に入りの銘柄のガラスのグラスがあって、
どちらかというとそっちの方が割れちゃって買い直すことが多いのよ。
あとお箸ね!
これは食洗機対応!と謳っているお箸でも洗うパワーの強さ故かいつか駄目になっていたんでしまうのよね。
さすがにスプーンとかにふとかフォークとかパン祭の白いお皿とかは平気だけど。
でもそうなると
お皿ってそんなに頻繁に買うものでも無いからお皿屋さんの経営が心配になるわよね。
お皿ってかう?
あ!お皿で思い出したんだけど、
瓦割り体験のアクティビティできるところつくったらよくね?って思っちゃったわ。
それだと瓦屋さんも大儲けじゃない!?
凄いこと思い付いちゃったこの瞬間を抱きしめて、
やっていけば良いんだけど、
瓦はある程度チョップで割るもの!って図式があって罪悪感が無いけれど、
お皿を割るってのは狂気じみているわよね。
だから瓦割り体験が出来る観光施設で忍者の格好させて嘘忍術瓦割りの術!っていってやったらある程度人気が出るかも知れないし、
さすがに忍法皿回しの術!って言われても
それをしっかり術を身に付けたとて
忍者生活には役に立たなさそうなサバイバルでは活かせない技じゃない?
その土地の方言をめちゃ勉強して地元民として振る舞えるような感じの商人を演じるスパイをするとするじゃない。
そう言う時に、
大道芸でお皿を回していれば、あ!あの人はこの街の名物お皿回し達人だ!って町や村のみんなに愛されて仲良くできてその諜報活動をしやすくなるんだけど、
きっとそのスパイで潜り込んでいる同士だったら
町で皿回しをやっている町人がいたら、
あいつは絶対忍術学園で皿回しの術を習って習得して町で怪しまれずに皿回しをして地元民と仲良くしてるやつだな!って同業者には絶対に即にすぐにバレると思うから
お皿回しすぎ!ってのも困りものよね。
同業者ならあいつ忍者!ってすぐ分かっちゃうわよねお皿回していたら
先輩後輩とかならいいんだけど
何の話しだっけ?
あれはもう1枚あれば充分よね。
そう松たか子さんばりに思ったわ。
うふふ。
朝は節約したいところを思い出した春先神戸に行きたいわけではないけれど、
旅には出たいわよね。
あーどっか遠くへ行きたい!
もうこれただの現実逃避だけどねー。
旅から戻ればまた、
いやもうこれ以上は言わないわ。
毎日の人をしっかり喰らいついて暮らすのよ。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
あちゃぱー!って自分のおでこをペシンと叩いちゃった失態だわ。
急いで別のケトルで沸かしたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元増田の文章って、「2004年頃にウケる題材じゃなくなってたファンタジー漫画の人気を復興させた作品はなにかあるのかな」って話で、それまでの「〇〇はウケない」を打ち砕いた作品の例としてスラムダンクを挙げてるだけであって、「ファンタジー漫画にとってのスラムダンクはなにか(全期間)」ではなくて「ファンタジー漫画にとってのスラムダンクはなにか(2000年前半以降)」なんだよね。
もちろん2000年代通してファンタジーが人気だったって反論とか、90年代後半のこの作品からだよとかもいいんだけど、28年前に連載終了した作品をもって2004年の流行り廃りを語るのはアホだって話。
条件が2つ以上あると難しいかな?
自分は20代後半女だから参考にはならないかもしれないけれど、少し高めなハンドソープ貰うとテンション上がるから好き。もし匂いが嫌いだったらキッチン用にしちゃうとか、高校生の子どもに使ってもらうとかできるかな?とも思う。
shiroとイソップ以外だと嬉しいかも。shiroは偏見で申し訳ないが個人的には大学生感があって、イソップはなんか自分を見てくれていない気がしてしまって。相手がそのブランドが好きとか理由があるのなら良いと思うけど。
個人的にニールズヤードのハンドソープが好き。いい匂いだから。でもランキングとか見ると知らないブランドのハンドソープもいい匂いそうで全部欲しくなった!お相手さんのイメージに合わせてブランドを選ぶのも楽しそう!あとデパ地下の魚の西京焼も好き。
「きみは目に見えた成果を実感しないとメンタルを崩す」と言われたことがあって、自分でもそうだなあと思っていたのだけれど、ではどんな成果があれば自分は納得してくれるのか。
「褒められる」という成果があるけれど、褒められても気持ちとしてはほとんど変化がない。じゃあ褒めなくても良いかと言われると「なんでこんな誰にも褒められないことしてるんだろう」という思考になる。どうすりゃええねん。きっと自分で自分を心の底から本気で褒めなければ納得できない。
小学生の頃の夏休みの宿題とか、良かったな。読書感想文を良くするにはどうとかこうとかいろいろ指導されて(肝心な指導内容は忘れた)、それが成功して読書感想文の賞を貰えたことがある。自由研究も親の指導のおかげでなんかすごいトロフィー貰えた。トロフィー貰えるのってスポーツだけだと思ってた。
この頃は自分に自信が満ち溢れていたような気もする。褒め言葉も素直に受け止められた。今思うと自分の力じゃなくて親の指導が10割なんだけどね。
さすがにずっと逐一親が勉強の面倒を見てくれるようなことは10歳くらいから減って、そのうち中学生になった。
あのときの定期テストってシステムよかったな。わかりやすい目標が作れるし、頑張ったぶん点数貰えるシステムだった(?)し、定期的学年1位とかになれたときは確かに「自分は勉強ができる」という自己肯定感があったような記憶もある。結局狭い世界での出来事なんだけど。
高校でも定期テストに加えて資格勉強もした。基本情報技術者試験くらいなら一発合格だった。ここだけいまでもちょっと誇ってる。特に活かせる仕事をしているわけでもないのに。
大学については中退しているので何も良いことがない。躓いたとかじゃなくて行く価値がわからなくなった。こんなFラン大学は時間の無駄だ、進学先を間違えた。
書いてて気付いたけどこの頃にはもうクソ高いプライドが完成している。自分は優秀であるべきだと。
自分以外の人間と自分を比較したときに、自分は人より秀でていると実感することが、私にとっての自己肯定感かもしれない。
学校という狭い世界から出て、自分より秀でた人がゴロゴロ存在する世界でやっていかないといけなくなって、無価値さを感じて精神を壊す。結果、鬱(※)
少し休んで「これから再スタートできるかな」と思っても、周りは休まずスキルを上げていたのだからそこで置いてけぼり。見渡す限り自分より優秀な奴しかいない。出遅れた。もうダメだ。劣等感しかない。結果、鬱。
そうして完成したのはXで「病み垢」なるものをつくって自分より劣ってそうなやつを探し、「こいつよりはマシだな」って思ってるひきこもり。
ただ、最近病み垢を見ていても自己肯定感が保てなくなってきた。イジメや毒親を叩きながら必死にサバイブしているメンヘラを見て、自分はそんな環境一切無かったな……と感じる。だから自然と、環境ではなく自分に問題があるのだという理論にたどり着く。自分がいまダメダメなのは自分のせいだ。
今まで下だと思ってた奴らよりも劣っていることに気づいてしまった。結果、鬱。
どこでこんなにつまづいて、劣等感だらけになったのだろう。
※紆余曲折あったが、今の診断はASDと双極性障害となっている
余談
買おうとした服が小さかったのがショックで、2週間前から筋トレをしはじめた。とりあえず2週間続いた。まあ頑張ってるとは思う。
「それでも自己肯定感変わらないね」と言われたので(なんだそりゃ)自己肯定感の低さについて考えてみた。いろいろ気付きがあったので書き残してみる。
試合に負けて生命の危機が本当にあるのは北朝鮮の方なので、マジで死ぬ気で崖っぷちで戦ってるはず
「死ぬ気になれば何だってできる」教の人は北朝鮮を応援しているのと同じ
俺も今から死ぬ気で頑張れば、人生大逆転してセフレが100人できて毎日101Pがプレイできるようになるはず
位置固定で回転しかできないので、女優のパンティー、下から見るか?横から見るか?とか選択肢がない
できればMeta Quest単体で動作してほしい
PC側でレンダリングすると、PCのそばで寝ないとならないし、寝床でQuest単体で動作してほしい
あ、無線でリンクできるからPCのそばでなくてもいいのか…、マシンスペックの問題か…
というか、リアルタイムレンダリングにするなら、もう女優ではないわけだけど、声をどうするかが問題かな
リアルな喘ぎ声とかって生成できるんだろうか
そのバックで生成AIが動いて人格っぽいのができれば、あとは触覚だな、究極のハプティックフィードバックだな
騎乗位で女性に乗っかられても重さを感じないし、身体全体の触覚をどうするかだな
究極まで行けば彼女はいらなくなるし、多分、女性も彼氏はいらなくなるはず
AIはどこまでもあなたに優しくなれるし、DVもしないし、あなたのDV加害さえも許してくれるようになる
それかメイドロボなんだろうけど、ボストン・ダイナミクスのアトラスに騎乗位される恐怖もある
俺(いや誰でも良いけど)が国会図書館とか大宅壮一文庫に行って、80年代90年代の週刊誌を読む。
そこには、今では考えられないようなセクハラやパワハラまみれでそれを賛美している様などうしようもない記事がたくさんあり、しかもそれには今も活躍している芸能人も関わっている。(露骨な記事だけじゃなくて、女性を招いた対談で相手の下着の色を聞いたり、胸を本当に触ったり、性生活を無理やり聞き出したり。それがずっと続いている)
それで俺は例えば試しに文春なり週刊ポストなりサンケイなりプレイボーイなりの198X年Y月号の記事評価目録とでもいうものを作って、「何ページ 記事名 この記事では(現在も活躍する)男性芸能人Xが、女性Yに対し、これこれこういうセクハラを働いていた」とか「学生時代のいじめ加害行為を良い思い出かのように懐古していた」「レイプ・わいせつ行為を自慢気に告白していた」などとリストを作る。
そしたらお前らか誰かがそれをもとに、その芸能人に対するキャンセルを行う。被害者当人の告発の有無とかは関係ない。「いやあれはただノリでふざけて誇張して書かれてるだけで」とかも関係ない。
「社会にその様な記事が出回って問題を軽薄化させ、被害者を増やす様な風潮に加担したこと自体が罪だ。それだけでキャンセルに値する」と
もちろんこれは現時点では思考実験だけど
俺がこういうこと思いつくくらいだから、筋金入りの活動家なんかはすでに内輪で同じ事やって「爆弾」をせっせと作ってるんじゃないかと思うよ。
東京オリンピックの小山田問題とかもそういうことなんだけど(障害者&五輪に絡んでるから注目度が増しただけで、あれの相手が普通の学生or五輪に関わってなかったら騒いでなかっただろ)
じゃああの大物芸能人や大物俳優はええのか?その差はどこに?ってことでもある。
個々のケースや個人だけでなく、ブームとして大々的な掘り返しが始まった場合、直接的な加害者(まあ主に男性だろうな)だけじゃなくて、
当時はそれを受け入れていた女性にも「なんであの時ちゃんと抗議しなかったんだ!お前らが抗議しなかったせいでアップデートが遅れた!」みたいなむちゃくちゃな向きが発生しそうな気もするけどな。
私も年収600万だけど、やっぱりあの増田の人生はどうしてもイージーモードに思えてしまう。
その根拠として、私のノーマルモードの人生を話したい。同じ年収600万という事で比較になれば幸いだ。
幼少の頃の記憶は曖昧だけど、母は実家との縁を切っており男をとっかえひっかえして生活していたような気がする。
もちろんまともな家庭環境じゃなく、虐待とまではいかなかったにしても軽いネグレクトは入っていたと思う。
母親の手料理というものは存在しない。ご飯には弁当や総菜パンをあてがわれるか何か買って食べといてとお金を置いてどこかに行く状態が高校生辺りまで続く。
「酒やタバコは好きにしてもいいけどウチの目の届く範囲でやりな」
小学生の頃から私に言い聞かせていた母の教えだが、逆に酒やタバコは大っ嫌いになったのでそこは反面教師としてめっちゃ感謝している。
もう一つ、これはいい教え
「弱いものを虐めるような腑抜けになるなよ、虐められてたら守ってやりな」
この言葉に感化されたからという事は無いのだけれど元々正義感は強かったので、中学生の頃には気の弱そうな奴をいびっている不良集団に突っかかってヘイトをこちらに向かせては一触即発の状態によくなっていた。
「俺からは手を出さねえ、てめーから殴ってこいよ」と言っても本当に殴られることはなく、その不良共からの実害と言えば遠くからタバコを投げつけられようになったくらい。届いてねーよ。
中学の時の成績は上位30%くらいで、平均よりもちょっと勉強できるかな?くらいだったのだけど、当時の担任が正義感の強さを評価してくれていて行きたかった高校の推薦状をしたためてくれた事は感謝の極みだ。
情報系の学校だったため、推薦試験の実技には基本的なPC操作があるらしかった。
もちろん家にPCなんてあるわけないのだが、そんな時も担任が学校のPCルームを使わせてくれた。ありがとう先生。
その時の面接官の一人が後の高校の担任で、あとあと聞いた話では
「実技と面接は完璧なのに中学での遅刻欠席が多すぎてめっちゃ目立ってたぞ」ともっぱらの評判だったらしい。
(荒んだ家庭環境だったとはいえ、そんな状態にも関わらず推薦状を出してくれて本当にありがとう。。。)
高校ともなると自分で行先を選ぶことになるため周りもある程度思考や学力が似通った人が集まるということなのか、
高校生活は全く問題のない、人生で一番充実していた期間だった。
高校卒業後は金銭的な面から大学にはいけないため情報系の短期の専門学校に通う事にした。
まあこの専門学校があまりいい感じじゃなかったので、結局後悔することになるのだけれど。。。
独学で勉強できるような事しかやらなかったから、金払って専門学校に行った意味をあまり感じなかったな。。。
その後はIT系の仕事に就いて、業界あるあるな「やることあまり変わらないのに転職したら給料上がった」法則に従い着々と給料を上げていってようやく600万になったところだ。
(厳密にはその間にイラストレーターになったけどうつ病になってIT系に戻ったりとかいう時代もあったけどそんな細かく書かなくてもいいよね)
もちろん年収を上げるためにスキルアップはそれなりにしてきたし、転職活動もやっぱり大変なんだよ。
頼れる実家があってコネ入社でポンと年収600万の職に就けるのは、すまないが私からしたらやっぱりイージーモードに思えちゃうんだ。
女性の自分から見てもこれは奥さまがちょっとあれだけど、もし増田に歩み寄る気持ちがあるなら、
→感謝の気持ちと、「自分の希望として」今は休んでほしいのだ、というのがポイント。
奥さんは奥さんでなにかの理由で遠慮か、もしくは日頃のなにかに不満(だからしんどそうに家事をして当てつけたいという気持ち)があると思われるので、それらを解消するのが狙い。
→食欲がないならうどん、奥さまがアイス好きならハーゲンダッツ、みたいに、思いやりが伝わる提案をするのがポイント。
愛されている、気にかけてもらえている、という感覚は結構なマイナスを覆すので、伝えた方がいい。
→なぜ不機嫌そうに断るのか、奥さんにも理由があるはずなので(体調がいいときにでも)聞けるなら聞いた方がいい。
責めるような聞き方でなく友好的に…と思うとこういう感じの聞き方になるかなと思った。
病気のときに優しくされたくない人っていないと思うので(構われたくない人、しんどくてもルーティンを崩したくない人はいるかも)、奥さんも増田の声掛けを嬉しく思っていると思う。
なのに不機嫌そうに断るのは、なにかの不満を表現したい、つまり愛情を試したい、みたいな気持ちがあるんじゃないかな…
だから「頼ってほしい」「休んでほしい」みたいに増田側の気持ちをポジティブに伝えることが、いいサイクルにもっていく最初のステップだと思う。
→そういうわけで、極論すると感謝の気持ちと愛情を伝えるのが一番大事かも。
めんどくさいとは思うけど。増田から歩み寄ったら奥さんも、「ありがとう!好き!私、増田くんのためになにができるかな?喜ばせたいな」ってなるかもしれない。
出生ガチャでハズレを引いた俺は普通の仕事が出来ないので、社会不適合者用のお情け枠で雇われて暮らしている。
こういった話をすると「俺はADHDだけど努力したのでフリーランスエンジニアとして年収1000万円だが?」と絡んでくるアホがいるがそんなのを相手にする余裕は今の自分にはない。
今日、書類手続きをコンビニでする帰りに久しぶりにおにぎりを買った。
ツナマヨが180円した。
信じられねえ。
近所のスーパーなら350円でおにぎり2個と簡単なおかずのセットが買えるのに……っていう話ではなく、昔の倍ぐらいしてることが単純に驚きなんだ。
インフレが進んでいるというより、必死に抑えてきていたギリギリの値下げ競争に限界が来たという感じだろう。
何時の時代もコンビニバイトは最低賃金×1.1~1.3倍ぐらいで、まあ俺の給料と大差はない。
俺も出生ガチャのハズレ具合がもうちょい違ったらこっちで働いてたのかも知れない。
『コンビニ人間』が賞を取ったのは芥川賞であってるっけ?面倒だからググらんので間違ってたらブコメで補足してくれ。
俺はああいうのとは違うが、まあ同じように社会への適合レベルが低い人間で、生まれつきそうなのに人から不当にボコられてイライラして生きてきた。
黒人だとか韓国人だとか日系人だとかってだけで収容所に入れられたり靴に画鋲を仕込まれたりするのと同じで、自分では同しようもない生まれつきの事実が烙印のように人生に付き纏ってきて……話が逸れてるな。
話を戻すが、コンビニの時給は昔と比べて1.2倍ぐらいだろうが、おにぎりは1.5倍やそれ以上になってる。
ヤバイ。
それが金持ちの世界でだけ起きている問題、たとえばアイフォーンの最高モデルが高すぎて変えないから怪しい中華のスマホで妥協するって話で済んでない。
低賃金層の家計が直接打撃を受け、我慢をして暮らすにしてもかなりギリギリになるって状態が近づいている。
貧乏家族が一杯のかけそばを家族で分け合って食べていた時代に戻りかけているんだ。
つまり!資本主義というシステムが限界にたどり着きつつあるイデオロギーオーナスとでも言うべきカタストロフィが起きていて人類は崩壊する!畜生ノストラダムスめ!何度俺たちの前に立ちはだかるんだ!
まあ正直、俺はなんだかんだ支援システムを活かしまくって年収300万円貰ってるので即死はしない。
このままコンビニのおにぎりが値上がりし続け250円になった時、コンビニバイトの時給は、俺の年収はどうなっているんだろう?
俺の年収が300万円のままで色んなものの値段が上がり続け、安物の中華スマホが20万円して、おにぎりが300円で、時給1200円のコンビニバイトするぐらいなら宝石店強盗になるべきと考えた連中により治安は滅茶苦茶になり、給料据え置きのままの公務員なんて負け組すぎてやってらんねーと誰も警官にならなくって、そして日本という国から治安という資源が失われ、ただ二次元の絵でシコシコしてるだけの童貞処女ばかりが住み着いている魔境となり世界中から見捨てられた果てで、俺に年収300万円出すことさえ無理になった時、俺はどうやって生き延びるんだ?
俺は生き延びられるのか?
鬱ごはんみたいになってきてる。
勘違いしてはいけないが、あの主人公はああ見えて大卒のインテリだ。
負け組の皮を被ってはいるが、その実それなりの頭があって体力があって根性があってバイタリティがあって、つまる所あれを底辺だと思って笑ってる余裕なんてないような人間が世の中にはウヨウヨしていて俺もまさにその一人だ。
駄目だ……未来を考えていくと最終的にはまともに生きるのを諦めて犯罪組織で使いっ走りをしてウシジマくんのヴィランみたいな末路を迎えるオチが見えてきた。
九条の法廷に出てくる負け組の家はにゃるらの住んでた部屋がモチーフらしいが、あいつも今じゃ大人気ゲーム制作者様で老若男女のヒーローで金もまあ多分たくさん持ってるんだろうな。
そもそもアイツって割りと実家が太いし、負け組のフリしてピーピー言ってる奴らほど実家が太くてなんだかんだ人生上手くやってるんだよな。
許せねえなあ。
許せなかったら何をするのかってことを考えてもそっから先には牢獄か地獄しか待ってないのを知ってるから、脳が自動的に何も考えないモードに入っていくなあ。
どうやって生き延びるのかを考えないとなあ。
「どうせ死ぬなら」を考えてもそこには暗闇が口を開けて待ってるだけだから。
でも俺が生き延びられるかどうかは日本という国地が負け組相手の福祉をどこまで維持できるかなんだよなあ。
何も出来ないなあ。
どの政党に投票しても福祉なんて考えてくれないお坊ちゃんしかいないんだもんなあ。
地獄だなあ。
辛いなあ。
生き延びようということさえ考えるべきじゃないなあ。
今企画中なのが、主人公がバリバリキャリアアップしていく漫画と、転職サイトの企業さん、ゴミ屋敷などの片付け屋さんの漫画と、家事代行サービスの企業さんとのコラボができないかとか、あと、バーの漫画に合わせて、上質なクラフトグラスを作っているところとタイアップできないかというような話もあります」
グラスのような生活に密着したちょっといい雑貨のほか、女性とは切っても切れない化粧品、美容系グッズ、食関係などもタイアップに向いていると思うとのこと。
「食関係では、オトナの女性が懐かしい! と思うような駄菓子が毎回出てくるオムニバスラブ、藤原よしこ先生の『おかしなふたり』という漫画がありまして、メーカーさんに連絡したら、とても喜んでくださいまして、先方のXで漫画を紹介して頂きました。そういった形で漫画を違うところから知ってもらえたら嬉しいですし、『プチコミック』は働いている読者が多いだけに、漫画の設定に現実味を持たせているので、意外にいろんな企業さんとコラボできるかなと。
働く女性はそれなりに自分の自由になるお金を持ち、〝F2層〟と言われる購買の一番活発なところにいる女性がまさしく読者ですから、うちと顧客層が重なる企業さんも多いと思いますし、ぜひうまくコラボしたいですね」
現実感のある設定の漫画作品はドラマとの親和性も高く、2020年にドラマ化された円城寺マキ先生の「恋はつづくよどこまでも」は大ヒット。2023年もわたなべ志穂先生の「王様に捧ぐ薬指」や芦原妃名子先生の「セクシー田中さん」といった人気作品がドラマ化がされて、大きな反響を生んでいます。
「ここ数年は年に2、3本のペースで途切れずドラマ化作品がありました。『プチコミック』作品は、ドラマにしやすいリアル感とドリームな部分の割合が絶妙なのかなと思うんです。『まんがみたいな恋はある』というのがプチコミックのテーマで、クールで優秀なドクターだったり、ツンデレ御曹司だったり、家事万能スパダリだったりと、手の届きそうな範囲の王子様感があり、かつ弱味や人間味もあるというヒーロー像の作り方みたいなのが、ドラマと相性がいいんでしょうね。
漫画読みとしては、原作者が死にたくなるほど追い詰められるなら、作らない方が良かったのでは?と素朴に思ってしまうな…。
ーーー
脚本家の人に同情できるか、考えてみた。
今回たまたま死者が出てしまったけど、追い詰められて極端な行動に出る危険性があった関係者は、原作者にせよ脚本家にせよ、いままでもいたんんだろうな。みんなが危険な運転をしている中で死者を出す事故の当事者になってしまった不運はあると思う。
今までたまたま誰の目にも明らかな形での死者が出てなかっただけで、鬱その他の疾患、なんならニュースにならないタイミングでの自殺者なんかもいたのかもしれない。
なぜこうなってしまったのか、製作の当事者の人は、現場の細部はわかっても、分析はそんなにうまくできないんじゃないかと思う。
理想的にはジャーナリストとかが上手く分析してくれたらいいんだけど、できるかな。あんまり期待できないのかもしれない。
脚本家の人個人を火祭りにあげるのは溜飲を下げる以上の意味はないと思う。
ーーー
漫画家とか小説家の人にできる事って何があるのか考えると、悲観的に言うと自衛のためにどんどん実写化断っていくことくらいしかできることはないのかもしれない。(弁護士雇って契約書を分厚くしていく方向の話もありそうだけど)
でも難しいのが、芦原さん、砂時計の実写化はすごくいい経験だったみたいなんだよね。
実写化は、ビジネスとして重要という側面もあるけど、いい形での実写化は普通に作家の人にとってとても嬉しい話であるらしいので、ざくざく断るの難しいんだろうな。
ーーー
漫画の世界だと、今も色々と無理をしているけど、昔より漫画家が休めるようになってたり、昔に比べると人気作の終わりどきを決める権限が作者にあるみたいで、昔よりは、良くなってる印象がある。
何をどう改善するのがいいのかわかんないけど、少しでも良くなって欲しい。けど、変わるかな?
ーーー
追記:
“こんくらいで自殺なんかされて罪悪感植え付けられて可哀そうと思う”
自分は漫画を書いた先生の方に感情がよってるから、先に書いたような書き方になっちゃうけど、脚本家の人に共感する人は、そう思うよな。
先生が生きてたら、過去の笑い話になったりしたかもしれないし、あるいはお互い一生のわだかまりが残ったんだけど、それはそれとして次に進んでいったみたいな展開になったかもしれない、ともかく別の展開があり得た。
個人的には、こんなことが起こらないように改善してほしい気持ちと、ギョウカイのカイゼンとかどうでもいいから死なないでほしかった気持ちが両方あるな。
漫画の続きが読みたかったという気持ちはあるけど、もし読めないなら読めないでそれでもいいし、なんでもいいから生きててくれたらよかったんだけどな。
漫画読みとしては、原作者が死にたくなるほど追い詰められるなら、作らない方が良かったのでは?と素朴に思ってしまうな…。
ーーー
脚本家の人に同情できるか、考えてみた。
今回たまたま死者が出てしまったけど、追い詰められて極端な行動に出る危険性があった関係者は、原作者にせよ脚本家にせよ、いままでもいたんんだろうな。みんなが危険な運転している中で死者を出す事故の当事者になってしまった不運はあると思う。
今までたまたま誰の目にも明らかな形での死者が出てなかっただけで、鬱その他の疾患、なんならニュースにならないタイミングでの自殺者なんかもいたのかもしれない。
なぜこうなってしまったのか、製作の当事者の人は、現場の細部はわかっても、分析はそんなにうまくできないんじゃないかと思う。
理想的にはジャーナリストとかが上手く分析してくれたらいいんだけど、できるかな。あんまり期待できないのかもしれない。
脚本家の人個人を火祭りにあげるのは溜飲を下げる以上の意味はないと思う。
ーーー
漫画家とか小説家の人にできる事って何があるのか考えると、悲観的に言うと自衛のためにどんどん実写化断っていくことくらいしかできることはないのかもしれない。(弁護士雇って契約書を分厚くしていく方向の話もありそうだけど)
でも難しいのが、芦原さん、砂時計の実写化はすごくいい経験だったみたいなんだよね。
いい実写化、ビジネスとしての重要という側面もあるけど、普通に作家の人にとってとても嬉しい話であるらしいので、ざくざく断るの難しいんだろうな。
ーーー
漫画の世界だと、今も色々と無理をしているけど、昔より作家を休めるようになってたり、昔に比べると人気作の終わりどきを決める権限が作家にあるみたいで、今も色々と無理のある世界だけど、昔より良くなってる印象がある。
何をどう改善するのがいいのかわかんないけど、少しでも良くなって欲しい。けど、変わるかな?