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ニンテンドースイッチのゲームまた50本遊んで感想書いたのでまとめ(その三)
○普通
和風伝奇ジャンルで女の子同士の恋愛を表現する、アカイイトと同じ世界観のノベルゲーム。
今作では主人公の小山内梢子が剣道の有段者ということもあり、バトルよりのエピソードが多めになっている。
衒学趣向の文章がかなり多く、ラスボスと戦っている最中ですら、語源や歴史解釈の小ネタが挟まるので徹底した味合いだった。
対して恋愛パートの文量はあっさりめなので、前作との比較で好みが分かれてしまう作品だった。
嘘と恋愛をテーマにした短編連作ノベルゲームで、複数のエピソードと連作っぽいミステリーズなストーリーになっている。(ミステリーズなストーリーとは、いっとき東京創元社から刊行される短編連作小説がみんな揃ってやってたアレを揶揄している)
中学、高校、大学とそれぞれの学校を舞台にした短編で、どれも嘘のテーマを上手に処理して、恋愛の起伏を描いており、やりたいことは理解できた。
特に成人年齢になる大学生編では、テキストだけの表現とはいえエッチで過激な内容も多くあり、なるほどと感謝できるシーンが多くて好き。
信頼できない語り手にまつわるミステリの議論は、まあ本作の本題ではないし、多様な好みを許容したい。
行方不明の大学生の姉を探しに上京した上条明日美が、サイコホラーな事件に巻き込まれるノベルゲームで、90年代後半の同人ゲームをリメイクしたもの。
姉を思う主人公の気持ち以外一切信用が置けないストーリーが展開されるため、出てくる登場人物全員が怪しく見えてくる怖いゲームだ。
ストーリー的に意味がない読者を驚かせるためだけの仕掛けがあるのは、時代性を感じた。
少し駆け足な展開が多く、せっかく田舎から上京したのだからなにかアクティビティを楽しみ、キャラたちを立てるパートがあっても良かったかもしれない。
携帯電話専用ゲームの移植版で、物語としてのミステリー、というよりは推理クイズの体裁のシリーズ第二弾。
事件の概要や構成要素こそ前作とは異なるが、大きな流れとしてはほとんど変わっておらず、話の筋が非常に薄い。
シリーズを通してのキャラクタや、前作とのちょっとした繋がりなど、ひっかかるところもあるにはあり、特に主人公のいづみの傍若無人ぶりは相変わらず面白い。
とはいえ、謎を解く過程の議論こそがミステリの本懐であり、ただ謎を提示され、その謎に対する答えを選ぶ現代文の試験を、ミステリと呼称するのは個人的な好みとは外れていた。
恋人のお見舞いに病院に行くことから始まるホラーノベルゲームで、携帯電話専用ゲームの移植版で千羽鶴シリーズの第一弾、シリーズではあるが、作品間の繋がりは薄く、今作独自の世界観やキャラクタが楽しめる。
生理的な嫌悪感を煽るようなホラーが中心で、とにかく徹頭徹尾おどろおどろしい嫌な雰囲気が漂っている。
特に不快な臭いに関する描写は妙に文量が細かく、ねっとり描写されるので、否が応でも話に引き込まれてしまった。
ルートごとに異なる世界観に分岐するため、根幹の設定が違う妙が楽しめるのだが、割とどれも似たような話が多く、エピソードの幅が小さいのは惜しい。
妖怪が実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公のコマンド選択肢アドベンチャーゲームのシリーズ第一弾。
現場の捜査、容疑者への聞き込み、知識を図書館で調べるなど、妖怪という突飛な設定ではあるが、地に足がついた丁寧なゲームを遊べる。
最終的に妖怪と対峙するパートになるが、ここは要するにミステリ系のゲームにおける容疑者に証拠を叩きつけるパートになっていて、本作独自の翻案がうまくできていた。
シリーズものなので、縦筋となる父親の謎、ヒロインとの関係値、敵の親玉など気になる設定も出てくるが、次作の第二章でシリーズ展開が止まっている。
妖怪が実在する世界でそれを退治する役目を持った御界堂守丸が主人公のコマンド選択肢アドベンチャーゲームのシリーズ第二弾。
今作はAIロボットが殺人を犯すという魅力的な謎が提示され、妖怪だけでなくSFもやるのかとワクワクしたが、そういう話ではなかった。
妖怪やロボットといった要素だけなく、殺人事件すらも本題ではなく、ゲストキャラたちの関係値のエピソードが主になっており、二作目ながら番外編っぽい立ち位置の作品。
シリーズは今作で止まっており、縦筋となる布石が回収される見込みがないのも残念なところ。
ノストラダモスの大予言間近の1998年に、フリーのゲームプランナー由島博昭が開発業務を通じて世界の真実に気づくノベルゲーム。
1999年に発表されたゲームのフルリメイクで、当時の時代感が色濃く出ており、非常にらしさがあった。
陰謀論に傾倒するヤバい人と一蹴するのではなく、自分ごとのように読めるような具体的なエピソードと設定の開示の工夫の丁寧さが面白かった。
リメイク時に追加されたエピソードも、ノストラダモスの大予言で世界が滅んでいないという前提にたったメタ視点が面白く、短いプレイ時間の中に壮大な世界があって良かった。
Night of the Crabz ~カニの頭に気をつけろ~
ライターの兼城と保村の二人が、炎上事件に苦悩している旅館に取材に行く、インターネットミームてんこ盛りのコメディアドベンチャーゲーム。
終始不真面目なテキストが一貫しているちょけた作品ながら、しっかりとフリとオチが決まっていて、作品としては真面目に作られている。
なお、大浴場でお風呂に入るサービスシーンで、ヒロインの保村がお風呂には入るが、変えの下着を忘れていたため同じものを履き回すシーンは、お風呂に入らない系女子に大きな感情を向けがちな僕としては、気が効いている良いストーリーだと感謝した。
アドベンチャーゲームではあるが、RPGのアセットやテンプレートを流用しているからか、ステータス画面や謎の戦闘シーンがあるのは、開発会社の続編への布石らしいので、そちらにも期待したい。
パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件を操作するコマンド選択式アドベンチャーゲームの第一弾。
聞き込み、探索、聞き込み、探索と、刑事は足で稼ぐの格言の通り延々とコマンドを選択して証拠を集めていくタイプのゲーム。
ストーリーは非常に薄く、容疑者たちが語る人間関係から、その間柄を想像で補完しながら遊ぶことになる。
昔のゲームは、今と面白さの尺度が違うものも多いが、テキストが主体のアドベンチャゲームは、概ね今も昔も変わらず一貫した良さがあるなあと再確認できた。
パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件を操作するコマンド選択式アドベンチャーゲームの第二弾。
ひたすらに延々と聞き込みを繰り返す昔ながらのスタイルで、謎らしい謎はあるものの、基本的には犯人たちが自ずと語ってくれる。
UIやテンポがいいので、コマンドを選択することで主人公の刑事と一体感が楽しめるのは、アドベンチャーゲームの根源的な楽しみだった。
なお、同名の被害者が三人いるという非常に魅力的な謎は、途中で明らかにゲーム容量やUI画面の大きさの都合であることが伝わってくるのも、パソコンゲームの歴史を感じさせられた。
パソコンゲーム黎明期から続く犯罪事件を操作するコマンド選択式アドベンチャーゲームの第三弾、というか第二弾のマイナーチェンジ版。
いや、アドベンチャーゲームでマイナーチェンジ版ってどういう意味なのかよくわからないと思うけど、要するにキャラ絵と背景絵を使いまわした番外編。
前作の事件と構成要素は同じだが異なる事件が展開するので、はっきり言って続けて遊ぶと混乱した。
流石に当時の開発事情をとやかく言うのは野暮なのだろうが、全くそういった知識を入れずに遊んだので、なんらかのトリック(時間移動による世界線改変とか、作中作による叙述トリックとか)を疑った身としては拍子抜けした。
Looking Up I See Only A Ceiling 上に天井がある。
イタリアのインディーゲームで、学生の少女がテスト勉強の合間に色々と苦悩するアドベンチャーゲーム。
翻訳がかなり丁寧にされており、独白中心のこじんまりとした世界観がよく伝わってくる。
特に朝食を用意するパートで、頑なに自分が決めた順序でしか動こうとしない主人公の生きづらさは必見。
読者に解釈を委ねるような物語は賛否あるだろうが、短い時間で遊べる短編としてはこういうのも有りだと思った。
ファミコン風のレトロなドット絵でサスペンスドラマのようなストーリーが楽しめるコマンド選択式ADVのミステリー案内シリーズ第二弾。
事件解決を目的に来たはずの刑事が旅情を楽しむパートが多いのはシリーズ恒例の展開だ。
前作と比較すると3倍ちかくボリュームが増えており、警察サイドのサブキャラも複数人登場、容疑者も多数おり、謎も二転三転していき、事件も数多く起こる。
しかし、謎の振りと落ちが整理されていない箇所が多く、ボリュームは多いのに消化不良感が残るしっくりこない結末は残念だった。
時を巻き戻す能力をもったフリーライタの女性テウタが、法律に縛られない自分たちの正義を実行するフィクサー集団と出会うことから始まる乙女ゲーム。
キャッチコピーの「あざやかな悪に染まれ」の通り、悪徳弁護士、殺し屋、クラッカーなどの犯罪を厭わない男性キャラとの恋愛が楽しめる。
いわゆるクライムサスペンスじみた展開もあるにはあるが、本題はあくまで女性主人公目線での男性キャラとの恋愛パートにあり、悪を成す部分の段取りの薄さは気になった。
アメリカが舞台なので、出てくる飯がピザやテイクアウト中華が多くなかなかお腹がすく展開が多いのは好き。
○好きじゃない
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
流行はおじさんが作ってるんだ!!
生産者という意味ではない。おじさんが好きなものが流行ってるんだ!!
薄々気づいていただろう。昨今のゴルフ、競馬等のギャンブル、麻雀、プロ野球、DIY、キャンプ、居酒屋やスナック、ラーメンに街中華、極め付けはサウナといったブーム。これらは全ておじさんの趣味だったのだ。
考えてみてほしい。JKやZ世代と言われる年齢なんて、自分たちにとっては過ぎ去った過去の年齢だが、世の男は確実にこれからおじさんの年齢に突入しはじめるのだ。人生色々経験した後におじさんに到達するのだ。すでにおじさんも山ほどうんざりするほどてんこ盛りにいる。
おじさんは誰でも叩いていいサンドバッグなのではなく、マーケターがこれから注目すべき崇高な対象なのだ!!偉大な先人たちに学ばれよ!!おっさんズラブ!!!
ただ、間違っても都市部の小金持ちのおじさんなんか参考にするなよ。郊外や地方都市の10円パンなんて知らないし興味もないような、確固たる芯・自分の軸をもった本当のおじさんを参考にしてくれ!!
おじさんからは以上です。
スピリチュアルとニューエイジ思想てんこ盛り。似非科学をつらつらと述べて「自然破壊する人間は愚か」と延々訴えてくる。
終盤、とうとう自然が怒って阪神・淡路大震災…がモデルの大震災が起こる。
阪神・淡路大震災は1995年、このアニメは2001年。たった6年後にこれをやりやがったんですよ…
腹が立ったが、説教臭さが敬遠されたのかおそらく見てる人が少なかったおかげで全く炎上しなかった。
スタッフは阪神・淡路大震災を見ていないのか?あの惨状を見てよくこんなスピ系アニメに利用しようと思えたな。
東日本大震災でもスピ系カルトが天罰だと言い、不安な被災者にアレとかコレとかを高額で売りつけて金を巻き上げていた。
今年の震災にも多くのスピ系カルトが被災地に乗り込み、アルジュナにも出てきたようなアレとかをばらまいている。なんの効果もないものを。
こてんこてんにやられたんだね
これに辿り着いた。
炊飯器最強。
キャベツ、ほうれん草、カボチャ、ブロッコリー、白菜、豆とかそのへん。
で、水入れて好きな調味料や出汁入れて、炊飯。15分くらいしたところで強制終了して取り出す。
食べる時にレンチンするだけでいい。
3日に1度、ご飯を炊く。発芽玄米。(これはめんどいけど健康のために食べてる)
で、炊き上がる20分前くらいに魚を数匹放り込む。大体鮭とかタラ入れてる。
これでご飯+魚が出来上がる。
★おまけ 卵焼き
小さい器に卵2個割って、醤油垂らして、少しだけかき混ぜる。
混ぜすぎない。
朝作って半分に割って朝晩で食べたりする。
炊飯器にさつまいも放り込んで玄米モードで炊く。甘くておいちい。
ほぼ毎日これらを食べてる。(お菓子作り趣味だから別でおやつ食べることもあるけど)
今のところ色々試してこれが1番楽。
野菜を千切って洗うのは確かにダルいが…そこが1番時間かかる。
カット野菜は新鮮さや薬品が気になるので結局自分で千切ってる。
それ以外は炊飯器入れて放置するだけなので時間かからなくて良い。
買ってきたものやウーバー食べる方が楽やんけとも思うけど、金銭面・健康面考えるとどうしても自炊がいい。
もうタイトルの通りなのだが、結論から言うと小学生の頃から20年以上付き合いのある友達と連絡が付かなくなった。かつては毎日のようにLINEをしていたのに、今確認したら最後にLINEしてからもう2年経とうとしている。どちらが悪いのかと言えば私が悪いのだが、正直謝るにも時間が経ち過ぎており、どうしたものかと考え続けて今に至る。
この年齢で今からA子に変わる人に出会えるとはとても思えないが、この先誰かと友情を結ぶチャンスがもう一度私に訪れたら、その時は間違えないようにしたい。
ですよね? 結論から言っていないのに結論から言うとと書くのはまず止めましょうというかいくらなんでも文章を推敲してください。まあ増田なんかに書く文章を一々推敲しねえよというのもわからんではないんですけどね。
私→これを書いてる人。関東在住。28歳。少年漫画ジャンルや女性向けソシャゲを嗜む腐女子。
A子→今回主に登場する私の幼馴染。小学校の頃からの付き合い。同い年なので彼女も28歳。女性向けソシャゲの他、乙女ゲーや少女漫画も好む。腐女子。
色々と身バレ防止フェイク要素を入れてるんだろうとは思うんですが、ここで年齢を明記するのはなんなんですかね。
あなたの自称する執筆歴がガチだと、この辺のディティールについつい拘ってしまうみたいな話なんでしょうか。
もし万が一リアル年齢なら(そうでなくても)、端的に言ってあなたは自己顕示欲が高すぎです。何故なら年齢を明記する必要が以下一切無いからです。
●幼馴染との関係について
小学生の頃から幼馴染と作家の真似事のようなことをして遊んでいたが、それを本格的に一次創作として小説にしたりマンガにしたりし始めたのは中学生ぐらいからだったと思う。
最初、A子だけでなく同級生の友人5人ぐらいでやっていたのだが、年を重ねるに連れて一人、また一人と抜けていき結局最後に残ったのは私とA子だった。
主にスクエニ作品やテイルズシリーズにありがちなファンタジー系の世界観で、各々自分のキャラクターを考えて同じ世界の中で他メンのキャラと絡めたり、時にはカップリングにしたりといったことをしていた。
書いた作品はpixivにアップロードしており、共用でアカウントを運用していた。
A子はどちらかというと長い物語の脇で起こったサブシナリオや小話、アニメでいう日常回を考えるのが好きな人だった。
それも、どのキャラでも出来るわけでは無く、彼女の書く中ではレギュラーになっているキャラもいれば、上手く動かせなかったのか初登場から年単位で名前を聞かないキャラもいた。
逆に私はキャラクターの性格と特徴さえわかれば大体誰でも動かせるタイプなので、特に思い入れの無いキャラや出番の少ないキャラでも問題なく話を作ることが出来た。
シリーズ構成…私
と言う状態だった。
5人ぐらいでやっていた時は私の他にも大筋の話を書いてくれる人はいたのだからある程度分散して出来ていたのだけど、二人だけになったらそれはこうなる。仕方のないことだ。
一切申し訳ないと思っていないのに申し訳ないと書くのはやめましょう。
あなたの自称作家歴がマジなら読者に申し訳ないと思わせる(と書いた自分として感じる)くらいならちゃちゃっと文章を推敲すれば済む話だからです。
結論の話もそうなんですけど基本的にあなた一切申し訳ないと思ってないですよね。
●事の発端
正直なところ、私は鬱展開が好きだしエログロ性癖(グロ寄り)だ。痛そうな目に遭うキャラクターに興奮するし、キャラが憎いとかではなく辛くて痛くて可哀想なキャラに興奮を覚える。それが楽しい。
A子は鬱展開や過激表現に過敏なところがあったが、全くそれらを見られないわけでは無い。普通にゲームではニーア・オートマタとかバリバリ遊んでいるし、鬼滅や呪術にもしっかりハマっていた。なので、私も話の大筋に必要であれば鬱展開も書き、過激なエログロ表現(R-18G)を描くこともあった。
A子は当初自分のキャラのR-18G表現を描くことを許可していたものの、いざ書いてみるとあまり反応は良いとは言えなかった。
褒めてくれてはいるものの無理をして言っている気配すらあった。が、許可はあるし書かないでくれとも言われていないので、しばらくR-18G表現を含む作品の執筆をつづけた。
「反応は良いとは言えなかった」「無理をして言っている気配すらあった」ですか。そこで何で妙に遠回しな表現をするんですか?
「(今にして思えば)A子は嫌がっていた(んだと思う)」が、つまり正しい表現ですよね? あなたはA子が嫌がっていたことに気付いていたけど自分の好みを優先させたんですよね?
ファンの反応の良さはA子がそれを嫌がっていたのにあなたが好みを優先させたことを何ら正当化しません。
しかしある時、A子から「実はR-18G作品を見るのが辛い。出来れば私の子にはそういう目に遭わせないでほしい」と申し出があった。
本当に喜んでいたんですか?
思えば創作を始めた当時は小学生だったから当然と言えば当然なのだが、元々はグロ表現のない作品だった。元の正当派ファンタジー路線にこの機に戻すのも悪くないか……と思っていたその矢先。
私のプライベートでは祖母が認知症になり、深夜にウロチョロ徘徊する日々が始まった。
人は眠れないと物凄く正常な判断が出来なくなる。深夜の2時に家族にたたき起こされて近所を探しまくって、空がうっすら明るくなるような4時とか5時に家の縁側で発見した、みたいなこともザラにあった。日中はブラック企業で働いて、家に帰れば認知症を患った祖母の介護(月に数回脱走オプション付き)。
大変でしたね。
流石にストレスを発散する先がないとやっていけない。
それは仰るとおりですね。
5回目ぐらいの祖母捜索からの帰宅をした翌日、私はA子に泣きながら電話して、全てのストレスをぶちまけた。
仕事も家もストレスで、今は創作だけが心の拠り所で、正直に言うと自分の性癖を抑えないといけないのはかなり無理を感じるということ。
A子は黙ってうんうんと聞いてくれ「増田ちゃんの好きなように書いたらいいよ」「何かあったら相談してね、おばあちゃん探すのも手伝うから」と許してくれた。
この時点で何歳くらいの話なんですかね。全てのストレスをぶちまけるようなことを普通の大人はやりません。
というかこの時点であなたはA子に相当な恩義が発生しているのですが、正直なところ感謝している感じが文章からは全く伝わってこないのですが、受けた恩をどう思ってるんですか?
それからしばらく、私は辛い現実から逃避するように作品を書きまくっていた。
出来るだけA子の好きなキャラクターやA子が考えた子には危害を加えないよう考慮し、それでも話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない場合は「どの程度なら問題ないか」「もし無理そうであれば展開を変える」などの提案をしてA子の負担にならず、かつ自分の好きな表現が出来る創作を目指していた。
「話の展開上どうしてもA子の推しやA子宅のキャラを酷い目に遭わせなければならない」
その展開を考え執筆しているのがあなたである以上、そんな必然性はあなたの心の中にしかありませんし、本当に配慮してるならそもそもそんな展開にしません。
あわよくば、私が自分のありったけの好きを込めて書いた作品を見て、A子の心が動いて、A子も私と同じものを好きになってくれればいいと思っていた。それがモチベーションだった。
世間でChatGPTや文章生成AIが出てくるようになったのは丁度この頃だった。
画像生成AIがまだメジャーじゃなかった当時、小説や詩を作るのに特化した文章生成AIが話題になっていた。
2年音信不通なんですよね? 文章生成AI自体はありましたけど、ChatGPTって2年前時点で一般ユーザーが使用可能でしたっけ?
元々物語を量産できるタイプでなかったA子は、ここから覚醒した。
アイデアを出すためにChatGPTを使い、出てきた案の中から面白そうなアイデアを文章生成AIを利用して書いていく、ということを始めたのだ。それまで1カ月に5,000字の話が一本書けたらいい方だったA子は、自分の考えたキャラの話を中心にポンポンと話を量産するようになった。
私も私で作業効率が上がったので、この頃は文章生成AIを使って新たな作品を書いていた。これは分割すると第1部、2部、3部…と大変長丁場になり、最初の2部までは私の推しキャラや推しカプを中心に話を進めていたのだが、3部からは過激な表現を極力抑えつつA子の推しキャラ達にもスポットを当てようと考えた。その旨を伝えるとA子は喜んでくれた。
しかし、実際に3部を書き始めた時のA子の反応は、予想以上に薄かった。
A子の推しやA子の推しカプを主軸に据えているにも関わらずである。本人は「語彙力ないから良い…としか言えない」とか言っているが嘘つけ。お前が書いているその長文小説はなんだ。
端的に言ってつまらなかったんでしょうね。
さて、そこで思った。
一度そう思ってしまうと段々とはらわたが煮えくり返って、自分でも抑えきれないほど黒い感情が湧きおこった。私は今までA子のために散々頑張ってきたというのに私の書いた物語はもう彼女にとって価値がないのか?文章生成AIの方が私よりも彼女を満足させるっていうのか?
あなたの作品がA子にとってつまらなかったという現実を認めるのが嫌でそういう理解に逃避したということですね。
私はA子とのさぎょイプ中にふっと我慢できなくなり、これまでの怒りをA子にぶちまけた。
ふっと我慢できなくなるような人は我慢できなくなるキッカケを探すものなので、まあくだらない何かがあったんでしょうね。
が、言ったことは大体こんな感じ。
A子が私の書いた作品を読んで楽しんでいるように見えない。
私はA子の好きなキャラクターを取り入れているのに、反応が薄い。
友達だと思ってる人からいきなりこんなガチギレされたら普通は泣いちゃいますよね。
ちなみに、あなたの文章からは泣かせたことに対する申し訳なさみたいなみたいなものを一切読み取れないので、別に申し訳ないと思ってないんですよね?
それでも私は感情が収まらず、追い打ちをかけるように「私が長編を書き終わったらA子の今書いている作品を見せるって言ってたけど、それって私への報酬のつもりなの?」「だったら私の推しカプ書いてよ、私だってA子の推したちを書いてるんだから」と、どんどん思ってもいないことを言って詰めていってしまった。
正直、お互いパニック状態に等しい状態だったのでこの後どうやって会話を終わらせたかあまり覚えていないが、流石に翌日になってマズいと思い、私はA子に謝った。
多分ですけどパニックだったのはあなただけでA子は「そんなこと言われても……」と困惑してたんだと思いますが。
てかここに至ってようやく「マズいと思い」とのことですが、「自分がマズいことをしたと思う」のと「相手に対し申し訳ないと思う」との間には雲泥の差がありますが、大丈夫ですか。
A子は気にしていないし、私が悪いからと許してくれた。
当たり前ですが、気にすべきなのはどう考えてもあなたの方ですよね。
●崩壊
最初の異変は、このさぎょイプから2カ月ほど経った頃に起きた。
A子が自分の好きだったキャラクターを自分の作品の中で酷い目に遭わせるようになった。あれだけ私が書いたグロてんこ盛り作品を苦手がっていたのに、自分からA子は自分のキャラ達ををぐちゃぐちゃにし始めた。ここに書くのは憚られるような内容だったので敢えて記載は避けるが、少なからず可愛がっていた己のキャラに対する仕打ちではなく、それなのにA子が物凄く楽しそうに自分の生み出した子たちを痛めつける作品の話をしているのが少し怖かった。
A子としてはあなたの方に寄せてみたわけですよね。それに対して内心としては「怖かった」。つまり芳しくない反応をあなたがしたんですよね?
そんな感じの事が3カ月ほど続いた後……A子はパッタリと新規の作品を発表しなくなった。
この頃には私も正直飽きが来ていたので、話作りの真似事を始めた頃から換算すると15年近くやってきたこの創作もそろそろ潮時だろうか、と思い始めていた。
この頃、A子と一緒にご飯を食べたり外出する機会も増えていた。このまま昔のように戻れるものだと、この時の私は思い込んでいた。
A子としては恐らくかなりの勇気であなたの方に寄せてみたら芳しくない反応されたんで、そりゃ嫌になって当たり前なのでは。
ある時、別ジャンルに行った友人から「これもしかしてA子?今も創作続けているんだね~」と言ってあるTwitterアカウントのスクショが送られてきた。見ると、アイコンはA子が好きだったキャラにそっくりだし、絵柄がどことなく特徴的で普段小説を書いているA子がごくたまに絵を描いたときのそれとそっくりだった。
他人の空似だと思い、そのスクショを見ながらTwitter垢にアクセスしようとしたが……
ブロックされていた。
見ず知らずの垢に。何の接点もないアカウントに。
は……?と思った。
この辺はA子が悪いというか迂闊でしたね。
そこで、サブ垢として持っていた垢でログインすると今度は普通に見ることが出来たので、現状のこの垢のツイートとメディア欄を確認出来る分は全て確認した。
ブロックされているアカウントのツイートを見ようとするのは既に異常者の行いなので猛省した方がいいですよ。
結論が遅くないですか。この流れで「結論から」と書くなら崩壊という小見出しの次では。
その瞬間、自分の中で何かが壊れたような気がして、とんでもない虚脱感に襲われた。
A子は私と創作するのをやめたばかりではなく、ご丁寧にブロックまでかまして自分だけのコミュニティを形成してのうのうと変わらず創作を楽しんでいたのだ。
これは正直気持ちがわからんでもないんですよね。そりゃ腹立ちますよね。
今までどれだけ時間を費やしたと思っているんだ。
当たり前の話なんですけど、共同創作を止めただけで友達は友達だとA子は思っていたわけですよね。
共同創作者であるということが友達の必須要件なわけないので、異常なのはあなたの感覚です。
私は自分のSNS、そしてA子と共同運営していたpixivのアカウントを全て削除した。
A子が認識できる限りインターネット上から姿を消し、A子の出方を待った。A子はまさか昔一緒に創作していた友人経由で自分のもう一つのアカウントがバレたとは夢にも思わなかったのだろう。
数日後、アカウント削除に気付いたA子は慌てた様子で連絡を寄越してきた。私はSNSを消したのは新しいジャンルを見つけて心機一転しようと思ったからであることと、pixivはここ最近生成AI問題であったり個人情報管理の面で心配だから一旦別サイトに移転させようと思って取り急ぎ削除した。相談無くやってしまい申し訳ないと伝えた。
A子は物凄く色々言いたいことがあっただろうが、それ以上何も問い詰めてこなかった。
A子の対応は迂闊なんですけど、それに対してカウンターでそんなことをしたあなたにはもうA子の対応を非難する権利はありません。
だが後日A子に会う機会があり、そこでA子はTwitterやpixivの削除について改めて尋ねてきた。当然だろう。私の個人アカウントはさておき、pixivに至ってはA子も共同で運用していたアカウントだ。普通に考えてA子にはこの事について物を言う権利はある。
私はA子にこう言った。
「人気が出て良かったね」
この時のA子の表情は多分私は一生忘れられない。多分犯罪を犯したり、絶対にバレないと思って不倫をしたり、そういう人は自分の悪事が一番知られたくない人にバレた時にこういう顔をするんだ、とどこか冷めた頭の中で思った。
A子を完全に一方的に悪者にして自分を正当化している言説なのですが、これは無意識なんですか? 意図的なんですか?
私は極力感情的にならないように「リアルで接点のある人のアカウントをブロックすると、逆に特定に繋がるからやめた方がいいよ」とだけ伝え、その話題はそれきりにした。
こういう感じで自称する人はだいたい自分で思ってるよりよっぽど感情的に振舞っていますので気を付けてください。
文字数制限に引っかかったので続き→anond:20240125103028
ほんとだ、ちとまが繋がってんこになってる
神聖さを感じさせるけど
リッチな雰囲気があるけど露骨すぎて逆に安っぽいAI絵みたいな雰囲気
音の作りがあまり細かすぎず分かりやすいというかMP3にされても耐えられるような
教養や感受性に乏しいオタクにも通じる意図的ささえある単純な作り
それでいて作品消化数だけは多いオタクにパクリ扱いされない程度の個性
それはそれとしてお約束の盛り上がりパーツてんこ盛りのお子様ランチ的なチープな豪華さ
こういうのをどう表現したら良いんだ?
なんか褒めてる振りして貶してるのか分からねえ感じになってるんだが、俺的には「めっちゃいいね♡」なんだけど。
ゲームばっかやって音楽のことまともに勉強しないまま「KOTOKOやべ~~~高瀬一矢すげ~~~SHADEマジヤベ~~~」のノリで20年過ごしてしまったせいで耳がマジでスカスカだし音楽的な語彙もカスなんだよな。
伝えるための言葉を持たねえ。
褒めてるって伝わる言い方を探すとガキがヒーローショーでライダーやプリキュアにわたす「いつもありがとう。かっこよくて大好きです」と同じレベルの言葉にしかならねえ。
いやもうそれでいいのかな。
「美少女ゲーム業界の音楽関係者の皆さんへ いつもカッコイイ音楽を作ってくれてありがとうございます。好きな曲があったらサントラ目当てにゲームを買ったり、CDが出てない曲はYoutbeでOPを延々とリピートしたりしてました。最近はSpotifyでリンク~past and future~をリピってます。この業界の消費者に懐かしさを感じさせてやろうって意図が込められているのが強く伝わってきます。その気持が嬉しいです。」