はてなキーワード: 黒人差別とは
ケンタッキーフライドムービーという小ネタが延々続くコント映画。
世界一ソウルがこもってない黒人シンガーとかクロいじりが多い。
黒人スラム街で「ニガー!」と叫んで怒った黒人集団に追いかけられながら逃げるだけのもの。
こういうのいまはすっかり無くなった?なんでなくなったかわかる?
正解は、ウケないから。
広義では上記の通りかもしれない。人種差別の意識が浸透したからかもしれない。
でも、それは結果論。正解は、黒人差別のギャグでウケたことに、差別だ!と訴え反対を訴える人が現れてウケなくしたから。
あなたが今笑ってるおもしろを笑ってはダメですって怒られるとそれはウケないし笑えない。
あれはなぜそうなったかというと怒る人がいるから。みんな怒られまで笑いたくないから。
人間全て怒られるのが嫌。イーロンマスクも習近平もプーチンも増税カリスマレスメガネも怒られたくない。
怒りは笑いに勝つ。だから怒ることの優位性を知ってる人はそれで人をコントロールしようとする。
だから公正性を保つという名目で怒りを封殺する風潮になってきている。「○○ハラ」などが顕著。アンガーコントロールも。怒る人を減らそうとしてる。
などという陰謀論は関暁夫に任せておけばいい(言われてみれば元お笑いがオカルトや都市伝説的なことに傾倒していく例は多い)。
お気持ちになるが怒りで笑いが減る状況は困るし嫌だ。
笑いはウケないと意味が無い。ウケることこそ全て。実は笑いはかなりデリケート。
笑いのためになんでもする人は多い。
ただしそれはウケるためで怒られるためではない。
ウケるために手を変え品を変え怒る人を刺激しないように笑いを作る。怒られたら変えて笑うようにする。
なぜなら怒りを生み出すのは簡単だから。笑わせるより簡単。怒るのも簡単。
そしてついには「人を傷つけない笑い」という言葉まで生まれる。
本当にそんなものが可能なのか少し考えるとわかりそうなものだ。試しに作ってみろ。少しでもセンスがあるならそれはおもしろくないことに気づくから。
かように怒られなく笑わせるということが難しい。年々難しくなるとベテランや笑いに真摯な人ほど言っている。
もはや3年前ほどの漫才やラジオのネタでも笑えなくなっている。そこで爆笑が巻き起こってるのに。
それくらいデリケート。
精密に彫刻された飴細工が笑いで、それを無邪気な怒り、あるいは正義の怒りでもいい、そんなお気持ちでダメにされるのはとても悲しい。そう笑いをダメにされても怒りは湧かない。上記の飴細工を壊しながら、「それはダメなものだ」と怒られたら、精緻であるほど、手間暇かけたものであるほど、怒りより悲しくなる。自分の芸術作品を壊されたらすぐに怒るよりも悲しさがくるのではないか、
その問いかけにはNONO。
怒る人たちと同じで、ただ笑いたいのだ。
幸か不幸か、次々と笑いを殺す人と同じスピードで笑いを生み出す人がいる。そこは頼もしい限りではあるが、自分が笑う前に怒る人によって笑えなくなるのが悲しいのだ。
残念なことに怒る人が笑いを殺したら、途端にそれは笑えなくなる。前記の中国を笑いにした漫才は「けしからん」として取り上げられる。その記事により好奇心で見ると笑いは減る。「これで笑うな」という呪いがかかった状態で見るからだ。
先ほども言った通り人間全て怒られたくない。その「怒られ」という呪いがかかってるともう笑いの量は激減する。
たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべき。当たり前でしょ?
あのなあ「やりたいことをやる」「思いたいことを思う」ここまで保証されてるんだから十分だろ。そういう人もいるよね、で終わるならいいだろ。LGBTQはゲイってだけで投獄されてた時代や国があるからね。スタートはそこなの。お前の思想は晒しても逮捕はされないだろ。
日本は黒人差別が薄めなようにゲイ差別も薄めだからわからんだろうが、人類規模問題なので、数世紀かけて正常にしてるだけ。
で
「(やりたい放題やって)且つ愛される」まで付け足すのは無理だよ。欲張り。
それは愛される努力をした人間、つまり「この人は即時の利益がなくても周りに優しく接せられる人なんだな、あ~一緒にいたいな」って言動を通して認められた人が得られるご褒美。全然別口。
LGBTQだって性格悪いやつは非モテだし一人でバーでマスターに金を対価に相手してもらってるよ。「ゲイって理由で万人に愛されない」を悩んでるわけじゃないからあれは、別口。
※差別があっても別に良いと思ってる、自分が差別されるのは嫌だが自分以外の人がいくら苦しんでも気にしない、自分さえ良ければそれでいい、差別主義のゴミクズを自認してるなら別にOK
※この文章は、「差別は良くないと思ってるし、男女問わず生きやすい社会になるべきだし、自分は普通の善人だ」と自認してる人に向けてます
普通の人、善人を自認してるような男女が、枕詞みたいに「私は/俺はフェミニストってわけじゃないけど」みたいなこと言うんだよね。
これ、かなり拙いのでやめていただきたい。
feministというのは、直訳では「性差別に反対する人」「女性にも男性と平等な権利を主張する人」という意味。
日本ではワンピースのサンジみたいな「特に女性にだけ優しい人(?)」をフェミニストと呼ぶようなおかしな誤用があるようだが、それは日本独自の誤用であって、フェミニストという言葉の中にそんな意味はない。
私はフェミニストじゃないけどという言葉の持つインパクトはかなり大きいことを認識したほうがいいと思う。
日本語で書かれたSNSもワンボタンでGoogleに英語訳できる時代。少なくとも普通の善人が気軽に使って良い言葉ではない。
私は優生思想ですとか、私は人種差別主義ですとか、私は白人主義ですとか、私は黒人差別があってもいいと思うとか、私はナチスドイツに賛成するとか、それらと同じくらい、とてつもないインパクトがある。
アウシュビッツとかユダヤ人虐殺で検索してください。はっきり言えば、「あれに賛成してる」「この出来事が目の前で起こっても気にしない」と言ってるようなものなのです。
正直言って、人間の言うことじゃない。
良識のある成人から出てくる言葉ではないというのはしっかり理解して使うべきですよ。
差別を舐めすぎです
あと仮に人種に喩えるのをよしとした場合、女性が黒人で男性が白人だよ。優位に立っている側と劣位に立たされている側なんだから。
敢えて女を白人に男を黒人に喩える時点で男特有の歪んだ被害者意識がだだ漏れだ
なんで何度反論されてもこの的外れな喩えをやめないんだろうなあ…
まぁ、このコメントをしている奴はタグを見ても分かるように女性差別主義者の反フェミなので
トランスジェンダリズムを支持している奴等の本質が分かるよね?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4744188146241124975/comment/zenkamono
zenkamono 「黒人が白人と同じバスに乗れるようになったら、どうやってか弱い白人女性を守るんだ?黒人に恐怖する白人への加害!これは黒人差別ではない、悪いのは犯罪する黒人だ」と同レベルの差別言説を堂々とするフェミ達 はてフェミカルト はてフェミは差別主義 はてフェミは恥を知れ
日本人は、また世界の逆鱗に触れて第二の原発を落とされる日、絶滅を願われる日も近いよ
日本人はこういうのを「日本にはおかしな人がいる。他人を変えることはできないから仕方ない。バカな人はどこにでもいる。こいつらはあくまで自分達とは違う、少数派」と言いたいらしいが、その徹底的な他責の感覚は普通ではない。
他国人から見ると、日本に関して発信するのが日本人に見つかると、事あるごとにこの手のキモいリプ欄汚染が発生する。他国人から見ると日本人と言えばこういう人たちという認識。
戦前はせいぜい外交官や観光地の人がブチギレるだけで済んだけど、
いよいよ「日本人は、下劣で無能で知能が低く性格が悪く、人間性がドブのように腐っていて頭がおかしい、絶滅させた方がいいゴミ。正義感のかけらもない。自分に甘く欲深いだけで思考することがない。現実逃避をし続けているので、社会の改善にも参加しない。やることといえば気持ち悪いモテない男のために都合のいい女が安全なセックスママをするアニメを作ってるだけ」
という印象が強くなった。
今までは日本語に阻まれていた(守られていたとも言える)発信力が、ネットによって正しく世界に発信できる環境が整ってきたことで、日本の実態クールジャパンが正しく認識されるようになりつつある。
黒人差別をする人々の背景には、高い犯罪率や暴力的な傾向、男尊女卑、仕事ばかりで子供の世話をしないなど、差別するだけの理由があるのだが、いつも日本人にもそういう人いっぱいいるよな、英語が喋れないから差別されてないだけだ、と思っていた。その問題がGoogleやDeepLによって解決したのだ。
弱者男性を救うべきだとか、他の国にも汚点があるとか、バカや荒らしは構う方も荒らしとか、オモチャのような屁理屈、大学に通ったことが本当にあるのか疑わしいほど、言ってることが思想の体をなしていない。議論にならないことを「当たり前」と考える野蛮な人が沢山いる国家。そんな非常識を言ってる間に、日本人は世界からケガレとして扱われるだろうね。
世界89億人が安全に幸せに暮らせる社会を守るためなら、と、この1億人をいつか浄化しようというのが合理的な結論になってしまうことも、仕方ないかもしれませんよ。(日本人は仕方ないという言葉が大好きですしね)