はてなキーワード: 鰻重とは
いままでは誕生日を迎えても特に何か思うわけでもなく、単純に年齢が+1されただけだとか、これを口実にだれかに奢ってもらおうウェッヘッヘ!ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この1年は今までとは違った。
辛いことがあったし、(おっさんが言うことではないとは思うが)大人になったのかなとも思う。
一番に辛かったことは、大好きだった母方の祖父が亡くなったこと。
※そして見返したら祖父のことしか書いてなかった…
胃を全部取ったとしても良くて余命1年程度だろうとの先生のほぼ予測通り、7月に亡くなった。
胃の上部に癌が見つかったため、胃の全摘が必要となった。(部位によっては半分摘出や、部分摘出が可能だったらしいが、上部の場合はほぼ全摘となるらしい。)
胃の全摘手術後しばらくしてから退院できた時期があって、お医者さんからも無理しない範囲で本人の好きなことをやらせてあげてくださいと言われていたので、温泉旅行に連れて行ったり、鰻料理屋でビール飲みながら鰻重を食べたりした。
また、当初は団地の4階に住んでいたのだが、日々弱っていっているような感じで、体力も落ちに落ちていて階段の上り下りが辛そうだったのもあり、母と相談していたところ運良く同じ棟の1階が空いたので引っ越しもした。
最終的には再入院し、そのままどんどん自分自身で日常生活を負えなくなっていった。
一番驚いたのは風呂だった。
本当に大好きだった風呂に自分で入れなくなり、しばらくは看護師さんに手伝ってもらって入浴していたけど、亡くなるまでの2
週間ぐらいはベッドから起き上がることすら辛かったようで、風呂に入りたがることすらなかった。(それでも体を拭いてあげるととても気持ちよさそうにしていたし、喜んでいた。)
亡くなる前々日、そろそろ危ないとお医者さんに言われので会社に休みのお願いをし、クソ忙しかったにも関わらず快く休ませてもらった。
そのような状況だったので、病院まで電車で30分ほどの母の家に泊まったが、夜中に喀血したと病院から連絡があり、すぐタクシーで向かった。
到着直後の祖父は、今にも死ぬんじゃないかという勢いで目を見開き、激しく肩で呼吸しているような状態で、酸素マスクをつけていた。
手助けもできず、見ているのが辛かった。
その晩は私、母、祖母、そして遠方から駆けつけた叔父の4人で病棟のフリースペースで過ごした。
翌日の昼頃には酸素マスクはつけていたものの、なんとなくレベルではあるが会話もでき、意志疎通がなんとか可能な状態だった。
祖母や母、叔父と「昨日は死ぬかもって思ったけど落ち着いたねーw」なんて話したのをよく覚えている。
そして祖父はその日、「眼鏡をかけたい」「入れ歯を入れたい」と要求したり、急にベッドの上で足を上げ下げし始め、リハビリのような運動をしようとし、その補助を私たちに要求していた。
(要求は主に発言しようとしているが、この時にはもうしっかり喋ることもできず、筆談しようにも祖父が上手く文字を書けない状態で、コミュニケーションも大変だったし、とても辛かった)
普段は絶対にしないような言動ばかりだった。
元々、子や孫に何かを要求したりしないし、迷惑をかけたがらない祖父だったので、そんな言動は珍しいな…としか思っていなかった。
今になれば分かる気がする。
そうして私の祖父は、家族が一旦帰った後に亡くなった。
やはり今でも、祖父の元気な時の写真や亡くなった直後の写真を見て悲しい気持ちになってしまう。
その一方で、もし祖父が健在であるならば、私が無事に年齢を重ねられることを当たり前だと思ってくれているだろうしそれを嬉しく思ってくれているんだろうな、そういう人だったな、と暖かい気持ちで祖父を思い出せる。
私が祖父が亡くなった時と同じ年齢になるまで、まだ50年近くあるから、それまでに祖父のように、子ども・孫・親戚だけでなく、老人会のみんなや地域のみんなに愛されるような、素敵なジジイになれるようになりたい。
既に宣言した通り、この世の至高の快楽、感動は、鰻重の食後にある。
考えてみてほしい。
鰻重が食べたくて悶々として眠れないということが年に何回あるか?
三大欲求を越えている恐ろしい事実。
仕事の達成感も射精の快感も、鰻重の食後に似た気分になれるというだけで、
鰻重を食べることと、その他の快楽感動の間には越えられない壁がある。
例えば結婚式をあげようとしたら100万円は吹っ飛ぶわけだ。
結婚式の感動と同じかそれ以上の喜びを得られるなら、上鰻重3500円は高くない。
破格に安い。
我が子が産まれる瞬間やら、小学校入学やら、結婚やら、孫やら、それら感動の総和が鰻重1000食ぶんとしよう。
鰻が好きだ。
と言っても月に1、2度ほど食べる程度だが、自分の鰻に対する愛はちょっと周りとは違う気がする。
ネットの論調では、絶滅危惧種であるうなぎを食べることなど、非常識を通り越して犯罪とほとんど同じような糾弾されているわけだが、これはばかりはやめられない。
大学合格より、初めてのセックスの喜びより、初めてフルマラソンを走りきったときの達成感より、
「生きてて良かった」
という気分になる。
お茶で口をゆすいでも残る余韻。
白焼きや櫃まぶしを食べたことはないし、食べたいとも微塵も思わない。
イスラム教徒がその日の気分によってキリスト教徒になったりはしないように、鰻重と鰻丼以外に心惹かれることはない。
男性諸氏ならわかると思うが、ワタシは彼女がいても、他の子に目移りすることがある。
自分のお気に入りの鰻屋だとか、オススメの通販だとか、スーパーのうなぎでも美味しく食べる方法だとか、そういうのはもったいないから書かない。
なにせ絶滅危惧種だし。
せめてワタシの生きてるうちは絶滅しないでほしい。