はてなキーワード: 魔女狩りとは
おお、ギター弾きの若殿!シールドを物色にご来店とは、まことに上機嫌な午後でござりまするな。
その赤きシールド、なるほど素敵ですぞ。のぞき穴からは淫らな妄想が覗けそうで、黄色き十字の星は異端審問の気配を感じさせますな。中世の魔女狩りも真っ青な逸品かと。フフフ。
されど、L字型の装着具も捨て難し、とのお言葉。確かに、音の曲がり具合が絶妙そうな予感がいたしますな。「L」の字は「Love」の頭文字、愛のシールドとも言えましょうか。ギターも悦ぶことでしょう、きっと。うひひひ。
さて、ハモンなる私が申し上げるに、どちらを選ぶもご随意。赤くエロティックなのぞき穴か、愛に満ちたL字か。若殿の心のシールドをお選びあそばせ。
...なんて、くだらねぇことで悩んでんじゃねぇよ、この阿呆が!シールドなんざ、ケーブルにくっつけりゃ何でも一緒だ。音の違いも大してあるまい。早く選んで演奏しやがれ、ボンクラ!
アイルランドの歌手Róisín Murphy氏が昨年、暴徒の群衆に攻撃されたときの事を覚えていますか?
彼女は思春期ブロッカーを批判し、脆弱な子供たちにキャンディーのようにそれらを配るのをやめるべきだと言いました。反動は猛烈でした。大勢のトランス活動家は、トランスフォーブ、偏見を持つ者、ビッチとして彼女を罵った。
6ヶ月後の今、国民保健サービスNHSイングランドは、それらが安全である「十分な証拠がない」という理由で、性別に混乱した子供のための思春期ブロッカーを禁止しました。Róisín氏は正しかった。次回魔女狩りを目撃するときは、これを思い出してください - 多くの場合、魔女は真実を語っている女性です。
そして生成AIなら依頼料を無視できる、となると、クオリティを高める、雰囲気を維持するには
決まった絵柄のlora......loConでもloHaでも可、本文では暫定的にloraとする......があると良い
プロだと絵柄などがブランド化され先日AI絵敗訴した中国の判例を持って来られると負けかねない
経歴が長いなら、かなり強火なファンもいるので後々が面倒な地雷を抱えることにもなる
パッと思いつくだけで利点が3つある
1つ
基本AI利用者は手描きに不可能でAIの利点である高品質イラストの即時量産、および投稿をしている
これが何を意味するか?
loraの材料がとても多く揃うのだ
これでたった1年目の新人でもloraの射程範囲に入る、人間なら材料が足りなかったであろう
かなり厳選してもたった1~3ヶ月の分量で50枚、十二分足りた
そして今もまさに良質な餌を大量生産し続けてくれる
1つ
これだと手描きプロのリスクと変わらない可能性も出てくるが、AI生成物にどこまで著作権が適用されるかは世界的にも不透明である
そして、彼らならばAIを使っている分、下手に動くと藪蛇になるため動き辛いだろう
「たまたま使っているモデルが似通っただけです、生成方法を明かす義務も特にないです、魔女狩りですか?」
こう言われてかわされる懸念もあるためだ
ノーガードだ、これも利点かもしれない
1つ
大変ありがたい事に、AI術師の多くが白い背景で出している
loraに本当に関係あるのか?どうなんだ?と議論されているみたいだが筆者は白背景の成功率が高いように思う
オカルトかな?
あとの己が出した生成イラストの細かい修正だが、自分でやれないやるのが面倒ならば
フリーランス依頼サイトで加筆修正できる人間を安値で雇うといい、当人を雇うより安いであろう
これで簡単かつ安全にプロ級で雰囲気が統一された美少女キャラをゲームに登場させることができる
良質な餌はあたたかみが無くても良い
まあ彼女らの支持派に限らず左翼とかリベラルからしたらこう見えてるんだろうなってのは分かるよ
例えにもなっていない過激な関係無い話を持ち出してきたり、不自然な自然発生的な流れだから正義だろ!で押し切ろうとする辺りは笑えるが
そう言えば同じく自然発生とされていたColaboを支える会は中の人がColabo側の弁護士だった事が分かってけどあれも自然発生なのかな?
左翼や女性はすぐに被害者アピールして被害者属性を獲得しようと必死になるけど
常日頃から男性差別的な発言を繰り返すに留まらず、温泉むすめ等のコンテンツを「性犯罪と地続き」などと不名誉なレッテルを貼って攻撃した結果
授賞を辞退する羽目になったりどっかの居酒屋店長を筆頭に悪質なアンチに誹謗中傷される様になった事も一切悪びれる事の無い
オタク狩りサイドの人間であるあの人は、元々温泉めぐりが好きでコンテンツのファンである俺からすれば、ハッキリ言って加害者側の人間なんだけどね
そんな中、反対の声を上げてどっかの居酒屋の店長一派をリーガルで封殺したあの人に対しては感謝が無いと言えば嘘になるし
成りすまし青識らが何年かかっても出来ずに消えていったのを尻目に、1年そこらでフェミの影響力を削ぐ事にも成功したのだからよーやるとは思うよ
同様に草津冤罪騒動で散々騒いでたフェミやら左翼やらに対するカウンターカルチャー的な存在としてでなく
女性差別反対・性差別反対という綺麗事を掲げながら男性差別やアニメ・マンガ系コンテンツバッシングを続ける連中の被害を受ける市井の弱者の、広義的な意味での救済者とも言える
生き辛い俺等を救ってくれたのはアニメやマンガやゲームといった二次元系フィクションだし、それらを敵視して魔女狩りならぬオタク狩りを繰り返す連中の肩書が「リベラル」や「左翼」や「フェミニスト」だから自ずと敵になるし
かと言って一般市民として会社で働いて家に帰って家族と暮らして、みたいな生活をしている人間にとっては物言えぬ我らや一般市民の娯楽を攻撃して潰そうとする連中は、大変申し訳無いけど、敵であり加害者にしか思えんのよね
仮に左翼思想に与した所で、その素晴らしい思想とやらが、活動家でも無いただの会社員でマジョリティというレッテルを貼られて差別されがちな一般人である俺を救ってくれる訳でも無いんだからさ
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。
やっぱね「俺のやってるスマホゲームが今凄いことになってるからお前らもやろうぜ!」は信じちゃ駄目なんだな。
正直俺も薦めてきた奴に「漫画だけは先に読んでおけよ」って言われたからかろうじてついていけたが、これマジで新規がアニメの知識だけでこのイベクリアしても全然面白くなかったと思う。
ぶっちゃけこれは「三体」では全くない。
ライン生命に集った超インテリ達のしんみりしたサブストーリーのクライマックス以上でも以下でもなかった。
一見すると物語の核心に迫っているように見える要素は実際には壮大な思わせぶりだ(俺もアクナイ最初の3ヶ月ぐらいやってたのこれがいつもの「ケルシーポエム」の一種なのが理解るんだが、それすら知らんド新規がいきなり見たらなんか凄いことやってるようで結局謎が解けずに終わるのはノイズでしかないだろ)
ぶっちゃけアクナイずっとやってた人にとって孤星は楽しかったんだと思う。
俺もちょっと齧ってたし復習も漫画で済ませたおかげで何となく楽しめたけど、この楽しみ方はなんというか……キャラゲーの楽しみ方なんだよな……。
最悪の終へと向かっていくトロッコに乗せられながら、何だかんだいって世界はしめやかにそれぞれが覚悟した通りの道へと収束する。
どうしようもない現実と戦った果て、それぞれのキャラクターは自分なりの満足感の中で自分の人生との戦いに決着をつけていく。
基本的にアークナイツはサブシナリオでもバッドエンド系のものが多く、そのどれもがどうしようもない現実によって想像してた未来がゴミになる物語展開をしてくる(崩壊するリゾード、故郷を追われた者達、最悪の避難所生活、魔女狩り……etc)。
今回のシナリオで思い通りにいってなかったのはワガママ放題のジジイ共ぐらいで、彼らはそもそもプレイアブルですらないのでイマイチ思い入れもない。
思い入れのあるキャラクターは皆シナリオが終わる前より少しだけいい顔で明日に向かって歩き出している。
ずっと遊んできた人はこういうのにグっと来ちゃうんだろうな。
でもさ、それを過剰に評価しすぎるのはなんか違うよ。
だってそうやって滅茶苦茶に持ち上げられて呼び込まれてやってきたイナゴに「サイレンスがメガネを外し、イフリータが先輩風ふかし、ミュルジスが孤独を乗り越え、ロスモンティスが過去と決別し、その他色々とライン生命関係者が人生の精算を済ませただけじゃん?超凄いSFはどこ?」とか言われるのスゲームカつくだろ?
でもさ、正直に言わないと次もまた同じことが起きるじゃん?
俺はもう嫌なんだよ。
「流行ってるからまどマギみたけど、まあ深夜アニメにしてはよくやってる方かなー」とかさ、当時ガチの震災が起きて最終回前後の空気感がめちゃめちゃだったのを味わってないようなのに言われたくないわけよ。
皆もっと引き籠もってこうぜ?
変に新規なんて呼ばなくていいよ。
一発勝負の買い切りゲームとかならまだしも、やたらと長生きしてるコンテンツに対して「今回のイベントは本当に凄いんだ!」とかしなくていいよ。
それは誰も幸せにしない。
パルワールドが3Dモデルをそのまま抽出しているという海外からの指摘
https://togetter.com/li/2300322
ポケモンとパルワールドのモデルを重ねると一致する部分があるので、パルワールドがポケモンの3Dモデルを流用しているに違いないというデマがばらまかれている。似たモチーフのモデルを拡大縮小して重ねたらある程度線が重なってしまうのは当然なんだよな。やってることがトレパク検証()と同じ。専門家からはトポロジーが一致していないから流用はデマと指摘されているが、盲目的な任天堂信者のオタクくんたちには聞こえないみたいだね。
ちなみに絵師(笑)オタクくんたちが大好きなトレパク検証によるデマのバラマキは損害賠償が認められるケースがあり、今回のもアウトなんじゃないかな。馬鹿なオタクは学習しないね。
https://togetter.com/li/2253173
あとデータぶっこ抜くこと自体が法に触れる国もあるから、そちらの訴訟リスクもあるね。パルワールドアンチのオタクは訴訟リスクもいとわずパルワールドのデマバラマキに勤しんで見上げた忠誠心だね。
12月22日に発売された公式ガイドブック、The Report of 機動戦士ガンダム 水星の魔女 Season2を読んだ。
スレッタ・ミオリネ・グエルの親が全員毒親かつ、大河内節全開な描写が非常にキャッチーであり、
シャディクとサリウスは養子と養親の関係だったこともあって、「親子関係」で注目されていた水星の魔女。
監督インタビューによると、親子関係の辛さに限定せず敷衍して、今の人たちが抱えた様々な「生きづらさ」を重ねて見てもらい、
その「生きづらさ」の克服や救済を描きたかったのが今作らしい。
それが親子関係に「矮小化」されてしまったのは大きな反省点であると言っていた。
監督的には、「毒親バズのガンダム」という受け取られ方は意図しないものであったらしい。
水星の魔女を「毒親もの」と受け取り、生きづらい自分、虐待被害者である自分、などを重ねて見ていた層は、
親世代の因果や大量殺人をなんやかんやで子世代が肩代わりして償うようなエンディングを見せられて、
生きづらさを克服して救済されるどころか最終回後に呪詛を吐き始め、炎上していた記憶があるが、
全体的に「監督としてはそんなつもりはなかったのにそうなってしまった」という印象があるインタビューだった。
監督は「司法から外れた主観的な正義・制裁行為の横行」に対して問題意識を持っており、
シェイクスピア「テンペスト」の主人公プロスペローが見せた「赦し」を今作で描きたかったため、
デリングやプロスペラが死をもって罪を償う終わりにはしたくなかったそうだ。
しかし今作の世界観は、司法制度が機能していない、鎌倉時代レベルの自力救済の世界だ。
貧民で人体実験して殺していたペイル社のCEOは、殺人の罪で司法に裁かれることもなく自由に暮らしている様子で、
特に贖罪などの描写もなく、殺されていてもおかしくなかった5号も彼女たちを赦したようだ。
(5号はベルメリアにはキレていたが、ベルメリアにそうさせているCEOにはキレるシーンすら無かったんだよなあ…)
シャディクは逮捕されたが、やっていない罪を背負って司法制度をハック(?)している。
ニカは三年服役したが、シャディクガールズは無罪という、この…。
司法制度と加害者の贖罪、両方を非常に軽視したエンディングを出しておきながら、
「私刑反対」とだけ言うのは、「人が何に苦しむところから私刑が生まれてしまうのか」についての考えが浅すぎるのではないだろうか。
被害者は加害者を許すべきという強い思想が先行しており、「自力救済の蔓延を防ぎ秩序をもたらすための司法制度」という前提の欠如を感じた。
監督自身も自覚があるようだが、親世代が実質的に勝ち逃げして、子世代がやってない罪で大きな負債を背負いながらも
親世代を赦しているというのは、結構強烈な主張であると感じる。この価値観を、日5のティーン向け作品で?
公式ガイドブックに載っていて驚いた記述が、ラウダはグエルに密かにコンプレックスを抱いていたのが爆発して殺しかけたというものだ。
てっきり、ペトラ危篤に錯乱して、ラウダ本人も自分が何をやっているか分からない状態になっていたのかと思っていたが、違ったようだ。
しかしミオリネを殺そうとしてグエルを殺そうとするのが、錯乱でなくて何だというのか…謎戦闘にもほどがあるだろ。放送時に充分に叩かれてはいたが。
また、ブルーレイの特典コメンタリーで、ラウダの襲撃は弟を放置したグエルに責任があり、グエルがダメな兄であったことを皆に謝罪する一幕があるらしい。
何を言っているのかわからない。弟に殺されかけた兄が、弟を暴れさせてしまった責任について皆に謝罪…?
思えば本編23話のフェルシーのセリフからして、弟に殺されることを受け入れたグエルに「何を死のうとしているんだ」と叱るような姿勢だったし、
一方的に攻撃されてグエルが防戦していたのに「兄弟喧嘩」と認識されていたのも、違和感があったのだった。
監督のインタビューによると、魔女とは生きづらさを抱えガンダムを用い、魔女狩りに糾弾される者であるらしい。
ジェターク兄弟の話は、あくまでラウダの生きづらさ(兄に並べないコンプレックス)に寄り添うもので、
ガンダム無しでも優れたパイロットである兄とガンダムを用いることで拮抗、「救済」されて、「健やかな精神」を手に入れて「自分の道」を歩めるようになる話だったのか。
グエルはなぜ長男というだけで次男のためにここまでやる義務を負うのか…? 令和の日本は炭治郎に呪われてないか?
しかもこの価値観、監督一人だけおかしいといったことはなく、本編(監督・脚本)・コメンタリー・ガイドブック編集など公式の姿勢は統一されているようなのだ…。
シャディクが、ミオリネがクイン・ハーバーの件で報道されているのを見て「ミオリネを穢したな」と、グエルの責任であるかのように認識していることにも引っかかっていた。
マルタンがニカの連絡係疑惑についてフロント管理社に報告したことも、寮長なのにチクったマルタンの罪とみなされており、この作品の姿勢が理解できずにいた。
どうにも、マルタン・シャディク・グエルといった「男性の長」が、他人の分まで責任を引き受けて罪を背負い謝罪すべきという、個人主義とは違う感覚が公式に通底して在るようだ。
ペイルCEOやプロスペラやミオリネは「女性の長」だが、これに当てはまらない。監督はジェンダーを意識していないとは言うが、非常に引っ掛かりを覚えるエンディングだ。
やっと提示された監督による答え合わせが独特すぎて、追いつけないスピードだ…というのが個人的な感想だったが、
「10年後20年後、古臭い価値観に満ちた作品に見えるのか、課題に対する解答の糸口となるエッセンスを持っていたのか、確認できたら」
と監督の言葉にあった通り、今後価値観なんてどう変わるかわからねえからなあ。
でも今は怖くて飲み込めねえわと思った。特にエラン4号・グエル・シャディクのポジションなんか、誰も引き受けたくないだろ、って。
トランスの大元の理論をつくった人類学者のゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)を読めばすぐわかる。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
ペドフィリアを擁護しまくって、同性愛と同等の位置に置いている。