はてなキーワード: 鬼ごっことは
私 「1人だけがやりたがっている」ということは、たとえばAさんはやりたいと思ってるけど、ほかはだれもやりたいと思ってないってことやね。それはどの遊び?
ここ重く受け止めるべきところだな。"1人だけ"という条件が意味するところを理解していないだろ。"1人"の意味が分かってるのかさえ怪しい。
追記:アドバイスくれた方、ありがとう。もう少し頑張ってみるわ。
プログラミングの基礎。
友達同士遊びたいが、それぞれがこう思っている。
Dさんは砂遊びがしたいが、他の遊びでもいい。
問題、
・2人だけがやりたがっている遊びは?
・みんなでどんな遊びをしたらいいと思う?
こんな感じの設問だった。
息子は小3だけどやや知的な遅れがあり、問題が理解できてなくて難しいと言う。国語力がまだ追いついてないような気がしてる。
ちなみに息子とはこんなやり取りをした。
息 ふええわからん~
私 「1人だけがやりたがっている」ということは、たとえばAさんはやりたいと思ってるけど、ほかはだれもやりたいと思ってないってことやね。それはどの遊び?
私 バドミントンやね。ほら、他の子はバドミントンやりたいって書いてないやろ?
息 バドミントン~ カキカキ
私 じゃあBさんはどう?
息 わからん~
私 砂遊びやね。ほら、Bさんはやりたいと思ってるけど、他の子はやりたいと思ってないのは砂遊びやね。
息 砂遊び~ カキカキ
ってな感じで、答案は埋まっていくが、単に私が誘導しているような気がして、理解が進んでいるのかわからない。
これはおっさんの気持ち悪い思い込みの話のようなものなので同行の士以外はOn Error Resume Nextしてくれ(ほらもうおっさんが出た)
ええとな、出先でちょっと疲れたので公園の自販機で缶コーヒー買って飲んでたのよ。
そしたら、ちょっとむこうで子供たちが遊んでた。笑いながら走り回ってる。
お姉さんがちょっと年下の子たちの面倒を見てるのかなと思ってたんだけど、服装に違和感があった。
大きいのにパステルカラーの女児服なんだよな。そでとかすそとかの作りでわかるじゃん。
よくよくみたらお姉さんはほりの深い長身褐色の美少女小学生であって、みんな同い年っぽかった。
あんな美少女となんもかんがえず手をつないで走り回ったり鬼ごっこしたり足がもつれてひっくり返ったことに大笑いしたい人生だった
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
「一人っ子男の子」とかわざわざ書くあたり完全に偏見が入ってるのは自覚している。
ある日、息子が帰宅後「A君と遊んでくる」と遊びに出て行った。
早速近所にお友達ができて良かったなー。なんて思ったのもつかの間。
どうやら昨日、息子がA君の服を汚してしまった。とのこと。
その日は雨上がりだった。
割と服を汚してくるし、お友達のお母さんとも汚れちゃうよね~なんて話してたので気にならなかったが
汚れを気にしちゃうご家庭もあるよね。
ということで謝罪をし、必要ならクリーニング等の対応をする旨を伝えました。
(クリーニング等の話は辞退された)
決まってA君と遊んだ翌日。
息子と遊んでA君がケガをしたようだ(鬼ごっこの最中にA君転倒)
息子がA君を置いていこうとしたようだ(走って移動中、A君がなかなか追いつけなかった模様)
盲目的に信じているわけではないが、それにしても学校を経由したA君お母さんからのクレームが多すぎる。
学校外の事なのに対応くださっている先生方には頭が上がらない。
先日行事で顔を合わせた際にも改めて謝ったが「あ~ハイハイ」と塩対応。
なぜA君のお母さんはA君が息子と遊ぶことを止めないのか。
正直勘弁してほしい。
もうご迷惑ばかりかけてしまうのでもうA君は息子と遊ばないでいいです。
という旨の文言を何度も言おうと思ったが
それはそれで伝家の宝刀"学校経由でクレーム"を言ってきそうで
どうしたものかと思い悩んでいる。
なんでA君はそんなに息子と遊びたがるのか。
息子は学年を超えて名前も知らない子と一緒に遊んでいることが多い。
学年が近い子供が多く集まるこの地域で、学年を超えてその場限りの遊びがはじまるのは決して珍しくない。
きっと元々住んでいた近所の方は上手くA君とA君のママから逃げられたのだろう。
1学期も終盤なると息子が習い事を始め、A君と遊ぶ頻度はガクっと減った。
夏休み中も息子は学童に通っていたため物理的にもA君と離れ、しばらくは平和な日々が続いた。
しかし2学期。A君は下校後ではなく下校中に息子へ絡んでくるようになった。
息子がA君に寄り道をさせた。
上手く説明できないが、A君の家はウチの近所だが下校途中から使用する道が異なる。
A君がA君宅へ直帰できる道と
息子が自宅へ直帰できる道と途中で分かれる構造になっている。
もちろん息子が直帰できる道でA君の家へ行こうとすると遠回りになってしまう。
この件について
「なんかA君が勝手に着いてきた」とは息子の弁。
通っている小学校では1年生の間ゆる~い集団下校が決まりとなっているのでどうもこうもできない。
早く2年生になって個別下校になるのを待ちわびるばかりだ。
「友達がいたことがなかった」気がする人の一つのパターンをたまたま提供できるのでちょっと聞いてみてくれないか?
俺はさ、「特定のコンテンツを一緒に遊ぶためのプレイ人数稼ぎ」より上の関係になったことがある気が全くしないんだよな。
コンテンツの方が「友達」で、一緒に遊ぶ人間は「友達の友達」でしかない感覚というかさ。
たとえば、ポケモンを通信進化させるために友達が必要だとして、それは本当の友達はポケモンというゲームの方であって、人間の友達はそのための中継機でしかないとも言えるんじゃないかって話。
俺がそういう態度で人と接してしまっていただけなのか、周りもそうだったのか知らないんだけど、ずっとそうでしかなかったように思う。
まあでも多くの人にとっても最初はそういう風に人間関係が始まるんじゃね―かとは思ってるんだよ。
共通の趣味がある所から話題が広がって、そこから一緒に行動して、そのあとでようやくコンテンツを通じた「友達の友達」から、人間同士で「友達」になっていく流れがあるんだろうなって。
その人間同士の「友達」になった経験ってそういや俺にあったっけと思いだそうとしたんだが、どうも無いっぽいんだよな。
ボードゲームをやるためにボドゲカフェに行って、そのあと飲み会をしてから解散って流れでも、ボドゲと酒が俺達にとっての本来の「友達」であって、俺たち自身がお互いに人間として興味を持ってるかというと微妙な気がしてならんのよ。
たとえば飲み会なんかで「お前と話してると酒が不味くなる」みたいな言葉が出ることがあるじゃん?
あれってつまり「酒を美味しく飲むための手段としてお前と話してるんだから、酒が不味くなったら本末転倒じゃねーか」って意味なわけでさ、まさしく酒のほうが「友達」で、目の前の相手は「肴」でしかないってことだよな。
俺ずっとそういう友達関係しか築けてなかった気がしてならんのよ。
友達幻想なんて良く言われるけど、お互いに対して人間として興味を持って接する関係ってのは実在してると思うんだよな。
特に理由はないけど一緒につるんで、一緒にやれば何でも楽しいみたいな関係がさ。
俺の今までの友達関係ってその辺がひっくり返っていて、モンハンにハマっているときはクソ野良を除けば誰と遊んでもそれなりに楽しくて、逆に自分が飽きてきたら友達に誘われて遊んでもクッソつまんねえのよ。
あるコンテンツ経由で仲良くなっても、どっちかがそれに飽きたら解散して行っちゃう感じ。
ネトゲで仲良しグループでジプシーしてる人たちいるけど、ああいうのが全然分からないんだよ。
楽しいと思ったゲームをやりこむための手段としてギルドに集まっているだけなのに、なんでギルメンとの人間関係でやるゲームを縛られなきゃいけないんだろうって考えちゃう。
まあこれがいわゆる「本当の友達を作れないし、本当の友達を必要としないタイプの人間」って表現をされる人種の正体なのかもな。
俺自身の単品としての人間的な魅力が低いから人間同士として友達関係で直に結ばれねえだけなのかもだが、それを努力して解決しようって気になるほど他人と直で「友達」になりたいとも思ってねえんだよな。
たまに寂しくなることもあるけど、だからって「友達」を作るために自分の人生のスタイルを大きく捻じ曲げたいとまでは思わないんだな。
足の早さではなく逃げられない状況に追い込むかが、鬼ごっこの鬼の肝。
校庭やグラウンドなら隅の方に追いやることで、逃げる方向を限定することが重要になる。
足の速いやつというのは自分の足の速さにかまけて、頭を使わない場合が多い。
余裕ぶっこいて逃げているうちに隅の方、隅の方へと追い込まれている事に気が付かない。
うさぎと亀ではないが、足の速さというフィジカル面での優位性だけでは勝てないのが鬼ごっこだ。
とはいえ幼稚園児や低学年の子供達にそういうの求めるのは難しい。
なので、鬼だけやる大人を一人入れると良いと思う。
チンパンジーかよってぐらい騒ぎまくる。
アルきながらスイッチずっとやってる前見てねえガキはこっちが席に座れば実害がねえからまだマシ。
うっせーガキは声っていう防ぎようがない方法で他人の人生にゴミを投げ込んでくるし、空いてる席の周辺を「僕らの遊び場ですよ~~~」って顔でチョロチョロして座ろうとすると「は?知らんババァがなんで俺たちの縄張りを奪いに来てるの?」みたいな態度を取るから本当死んで欲しい。
ちゃんとした親に育てられたちゃんとした子供って走り回れるようになる頃にはある程度まともな良識が身についてるもんだよ。
自分が嫌なことは他人にしないっていう感覚はちゃんとした人間なら3歳にもなればわかるけど、そこで分からないやつは下手すると90で死ぬ時になっても分からないまま。
だから死んでもらった方がいいと思うようっせーガキ。
会社で自分より弱いやつにパワハラしまくるクソ野郎になるのって、ガキの頃からクソのまま育ったエターナルクソばっかだよ。
子供の頃はちゃんとしてたってのもたまにいるけど、基本的にはずっとクソだった奴。
更生の余地が薄いんだよね。
死んでくれよクソガキ。
せめて世間から徹底的に「クソガキお断り」をされまくって、自分たちがどうしてそんな目にあっているのかを胸に手を当てて考える時間を人生で10年ぐらい設けるべきなんだ。
鬼ごっこと麻雀を融合させた、全く新しい遊びを提案いたします。この遊びは、最近の遊びの潮流を反映し、興奮と戦略性の両方を備えた面白いものです。
この遊びのルールは、まず全員が麻雀の牌を持ちます。そして、麻雀のテーブルの上に、障害物や隠れ場所がたくさん配置されます。参加者たちは、麻雀の牌を持ったまま、隠れたり走り回ったりしながら、障害物を駆使して鬼から逃げます。鬼は、麻雀の牌を持ったまま、追いかけて参加者たちを捕まえようとします。捕まった参加者は、麻雀の牌を置いて、ゲームから退場します。残った参加者たちは、最後まで生き残ることを目指します。
この遊びの面白さは、鬼と参加者たちの役割が逆転する瞬間です。鬼が一人残るまで続く遊びが、いつの間にか麻雀の対局に変わっている瞬間があります。そして、麻雀の牌を持っていることが、生き残るための重要な要素となっています。参加者たちは、隠れたり駆け回ったりしながら、麻雀の牌を守りながら逃げる必要があります。そして、鬼は、麻雀の牌を持った参加者たちを捕まえることで、自分の生存率を高めることができます。
この遊びの魅力は、興奮と戦略性の両方を兼ね備えたところにあります。参加者たちは、麻雀の牌を守りながら、隠れたり走り回ったりすることで、興奮を味わうことができます。また、鬼として参加することで、追いかけたり麻雀の牌を奪ったりすることで、戦略性を味わうことができます。この遊びは、麻雀や鬼ごっこが好きな人には特におすすめです。
以上が、鬼ごっこと麻雀を融合させた全く新しい遊びの提案でございます。
鬼ごっこと麻雀を融合させたこの遊びにおいて、参加者たちは麻雀の牌を持っています。最初は鬼と参加者たちが逆転するまで、鬼から逃げたり、牌を守ったりする鬼ごっこの遊びが繰り広げられます。しかし、ある瞬間を境に、参加者たちは麻雀の対局のような状況に陥ることがあります。
具体的には、麻雀の牌を持った参加者たちが、鬼から追われながらも、牌を利用して逃げ回る中で、お互いが牌を出し合うという状況が生じます。牌を出し合うことで、参加者たちは麻雀の対局のように、鳴きやロンなどの手段を駆使しながら、役を作り、点数を競い合うことになります。
そして、そのような状況が長く続いた結果、鬼が全員の参加者を捕まえた場合や、残った参加者たちが最後まで生き残った場合には、鬼ごっこの遊びが終了します。その後、麻雀の役や点数を競い合った参加者たちは、勝敗を決めることができます。
このように、鬼ごっこと麻雀を融合させたこの遊びは、麻雀の対局のような状況に進化することで、より戦略性や楽しみを増すことができます。参加者たちは、麻雀の牌を持ちながら、鬼から逃げるという興奮と、役や点数を競い合う麻雀の楽しみを同時に味わうことができるでしょう。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/480198.html
この記事読むまでめちゃくちゃ忘れてた記憶。私が5歳の頃の話。
近所に住んでた同い年の男の子と家の前で遊んでた。
すぐ近くには小学校高学年の兄たちが鬼ごっこをしていたが、体力的に追いつけない私たちは自然と2人きりに。
その時はチョークを使って道路に落書きして遊んでたと思う。(そーいや今はそういう遊びめっきり見かけないね)
今だったら大人が見守るのだろうけど、この時代は上の子が下の子と一緒に遊ぶのが普通で、大人はいなかった。
そしたら、どこからともなく自転車に乗った3人組の男子中学生?高校生?が近づいてきた。
彼らはニヤニヤしながら「ちょっとこっちきて」と近くのアパートの外階段下に私たちを連れ出した。何の疑問も持たずついて行った。怖いとかワクワクとかもなかった。
「そこ、横になって」
私は地面に仰向けで寝る形をとらされた。
何が起きてるのかわからなくて頭の中は「???」がいっぱいになってた。男の子は私に覆い被さる形を組まされた。
要は、私たちは人形扱いでセックスをするポーズをさせられていたのである。ポーズをしただけで性器が触れ合うことはなかったけど。
彼らはそれをみてクスクスニヤニヤ楽しそうにしていた。私は何が何だかわからないけどコンクリの地面が硬いから嫌だな、早く終わらないかな、と思っていただけ。
そのうち誰かが近づいてきたみたいで「やべ!!」と言いながら彼らは一目散に逃げていった。もし、誰も近づかなかったらその先もっと踏み込んだ行為をさせられていたかもしれない。
それからはどうしたか覚えていないけどたぶん下着とスカートを履き直して遊びに戻ったか家に帰ったかしたんだと思う。
もちろん、このことは親にも兄弟にも報告していない。報告するという思考すら無かった。
この年齢の時に「不審者に気をつけましょう」と教えられていたかどうかは定かではないが「不審者」という括りは本当に曖昧で危険な表現だと思う。
部活動は、中学校学習指導要領において「教育課程外の学校教育活動」と定められる。だが、校長から「お願い」されて、ほとんどの先生が何らかの部活動の顧問をしているのが現状である。シングルマザーで、頼る人も周囲いないのに、運動部の顧問になった人を知っている。
僕の感覚だと、部活動の顧問をやりたくない人は相当の数いるのではないかと思っている。
それなら「お願い」なのだから「拒否」すればいいという人がいるだろう。
インターネット上では、部活動顧問を拒否する方法が散見されるが、実際に拒否するのは、相当に肝が据わっている人だろう。
それは、みんなやっている顧問を拒否したら、いわゆる「村八分」にされるかもしれないと思っているからだ。
教員集団は良くも悪くもチームで働く。村八分になってしまうと、様々な業務に支障をきたしてしまうことは想像に難くない。
ただ、顧問を拒否したところで、本当に村八分にされるかは、わからない。「みんな自分と同じように我慢している」というのが前提となり、ノプティコンのごとく、「あいつは、みんな我慢しているのに拒否した」と思われることを恐れている。
また、先生たちの部活動に対しての温度差も大きい。部活動に意義を見出し、生きがいにしている先生も一定数いる。とにかく何でもいいから認められたいという理由で、モチベーションが高い先生もいる。こういった先生を前に、「部活やりたくない。意味ない」なんて言ったら大変なことになる。だから、賢い先生は部活動が好きなふりをしている。
また、部活動では、どんな先生でもモチベーションが高かろうが低かろうが、生徒や保護者から様々な注文や批判に晒される。同僚や管理職も味方のようでいて、保護者と同じように「クレームを入れられる先生が悪い」なんて言ったりする。
部活動顧問は、一種のガチャである。異動のタイミングで引くことが多い。というか、内部の人間は、うまく調整して逃げられるのだ。
僕も着任早々、なかなか前評判の悪い部活動の顧問を打診された。というか決まっていた。
異動した先の部活動の前任者は、土日両方の朝から晩までやっていたらしい。しかし、実情は先生は職員室にいるだけ、参加率も低く、適当な練習に飽きた生徒は、時間つぶしに鬼ごっこをしているということだった。そこで、文部科学省の部活動のガイドラインを根拠に「練習は土日のどちらかを休みにする」「活動は3時間程度」にしようとした。
生徒たちは、その提案を好意的に受け入れてくれたようだった。しかし、保護者からは、かなりの文句を言われることになった。「前は教務主任の先生だった。力のない一般の先生で残念」「先生はやりたくないんですよね」「素人でやる気のない先生に教えられて子どもたちがかわいそう」「教育者としての自覚がない」などと言われた。
おまけに、保護者が、僕が競技経験がないことを理由に、外部コーチの候補を半ば強引に連れてきた。そのコーチは、来て早々に「何、この意味のわからない練習」と保護者にこっそり言っていた。生徒の責任にするつもりはないが、当時の3年生の生徒と一緒に考えたメニューだった。
そのコーチは、競技界隈では有名な人らしいが、お断りすることにした。保護者はグチグチ言っていたが、とても一緒にはできなかった。
このような経験をした先生はかなりの数いるだろう。自分に置き換えてみてほしい。僕は、部活動で雇われているわけではないのだ。そのコーチに再び会うことがあったらこう言ってみたい。
「あなたは生業としてコーチをしていますね。では、あなたがお休みのときに、5時間、みっちりと楽しく授業してください。5時間頑張ったら3500円支給します。ただ、あなたの休みのときは、すべてお願いします。あなたの都合で休むことは許されません」
如何に異常かがわかる。
結局、僕の異動1年目は、保護者や管理職の声に押される形で、土日に練習を行うことになった。大会などで三か月休みがなかったこともあった。
そのことを、あるとき校長に話したところ「みんな通ってきた道」と言われた。学校管理職は、管理というものをはき違えているようだ。
こんな風に部活動顧問が嫌な人は、周囲をみんな敵と思い込み、孤立を深めていく。保護者もダメ、同僚もダメ、管理職もダメ、部活に関わる外部の人もダメ。