はてなキーワード: 高齢出産とは
>・3人以上子どもを推進、晩婚回避で女は25歳までに結婚して産めよ増やせよ
そんな事言われたところで結婚出来ない女は出来ないので何も変わらない。
>結婚出来ない女の肩身が狭くなるだけ
結婚させろ
>出来ないものは出来ない。
そんな事をするよりも
・最低賃金の抜本的な値上げと新卒至上主義の禁止で、中年女性でも安定して働ける社会に
・労働時間の短縮と緩い働き方で、独身者に恋愛をする時間的精神的余裕を与える
・卵子の老化ブームで煽るのをやめ、高齢出産を過剰に悪者扱いしない
こうでしょ?
政治的に
・3人以上子どもを推進、晩婚回避で女は25歳までに結婚して産めよ増やせよ
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
実は一度流産を経験しているので、妊娠など二度とするかと思っていた。
その時は妊娠した実感が薄いまま体調だけどんどん悪くなり、毎日腹痛に襲われ出血もしていた。10週目でお別れとなった。
流産するまでに何度も病院へ足を運んだが、「腹痛や微量の出血はよくあること」と言われた。
10週目突入の日。立ち上がれないくらいの腹痛に襲われたので、病院に電話し、旦那にすぐ病院へ連れて行ってもらった。
処置後、泣き続ける私に担当医が差し出してくれたティッシュを思いきり手で払ってしまった。
当時の担当医のことは恨んだ。あなたがちゃんと診察してくれていたら、私の腹痛と出血を異常と捉えてくれていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかと。
でも一番恨んだのは自分のことだった。あの時食べた物がいけなかったんじゃないか、少し重たい物を持ったのが悪かったんじゃないか。
色々考えた。毎日嫌になるくらい泣いた。もうこんな思いはしたくないから、子供を授かることは諦めようと心に決めていた。
旦那は子供を熱望していたが、絶対もういらないと私は思っていた。
そんな私が今、また命を授かることが出来ている。
元々性交渉の数は少なく、避妊もしていたので授かることはないだろうと思っていたのに。
滝川クリステルさん第2子妊娠発表で考える、晩婚&高齢出産の夢と現実(植草美幸) - エキスパート - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/29d41302571bc88b5d292d07ab73a38cc95b6a09
しかしこういうニュースを聞いてつくづく思うんだけど、十年程前の「卵子の老化」ブームは過度なまでに不安を煽り、
団塊ジュニア世代の女性の駆け込み出産を抑止した事は「少子化」を決定付けたと思うんだけど、その辺を反省している人って皆無なんだよなあ
10年前に35歳前後ならば実際にはさしたる問題なく健康な子供が産めた人も多いと思うんだけど、ポジティブな例は取り上げずに何故か一括して
35歳になったら卵子の老化で子供は必ずダウン症になると言わんばかりの報道が相次いだ。
その時30代半ばの女性の出産を後押ししていれば、「少子化」の状況も変わっていたのではないか、という反省は全く見られない。
それどころか未だに男はいくつになっても大丈夫だけど女はとにかく若いうちに産め産めと説教して何とかなると思っている始末。
初産が35歳以上だと高齢出産にあたりますが、女性の出産年齢は高齢化しています。令和4年度は40代女性の出生数は約4.8万人で、総数77万人のうち約6%を占めます。出生数が減少する中、45歳以上の出生数は増加しています(厚生労働省 令和4年(2022)人口動態統計月報年計(概数)の概況より)。
意外と多かった。
40代でも約6%だから、30代後半も入れれば「高齢出産」はもっと多くなるだろうね。10年前にあんなに国を挙げて35歳になったら産んじゃ駄目キャンペーンをしていたのは何だったのかと言わんばかりに。
まぁこの記事自体は結局45歳でも子供が産めると思っている婚活女性を晒上げして女に説教しているけれど、実際にはそんな女性って殆どいないと思うんだよね。
実際には45歳どころか35歳手前辺りですっかり結婚を諦めてしまう女性が多いのに(私もその一人)。
婚姻や出産も失業率と同じで、そもそも競争から降りた人は母数にも加えられていないって事を考えなきゃいけないと思うんだけど。
女性に対してのみ、「卵子の老化」を過剰なまでに煽り、その結果として30代後半の女性は諦めて婚活市場から降り
他人の結婚、恋愛、家族計画について聞いたり口出しするのは良くないと思ってる。良くないというか、聞かれたくない人もいるから聞かないし言わない。
子どもが欲しくないわけでないなら早めに行動したほうが良い。
20代半ばの時に職場の30代ワーママの先輩がいろいろ教えてくれた
(先輩は子どもができにくい体質で不妊治療して1人産んだ。その後夫は不倫(!してたが、再構築しようと2人目不妊治療、妊娠反応あったが超初期に職場で流産。その時の夫の対応がひどくて離婚を決めた。)
印象に残ってるのが卵の話。
女性は生まれた時から子宮の冷蔵庫に卵が入ってる。初潮から毎月生理毎に卵を一つ捨ててる。卵は元から冷蔵庫に入ってる分のみで増えることはないしどんどん新鮮ではなくなる。
ってやつ。うろ覚えだし科学的にあってるかは知らないけど私はすごく印象に残ってて、自分の新鮮な卵があと何個残ってるかわかんないから早く妊娠しなければ!と思ったんだよね。
その時は彼氏もいなかったけど本気で結婚相手を探し、のちに結婚。
したはいいけどすぐには授からなかった。子ども2人いるけど2人とも不妊治療のクリニック通ったよ。
不妊治療のクリニックって行ったことない人知らないと思うけどかなり混んでるのよ。みんな悩んでるんだなって。友だちに実はクリニック行ってて〜とか言うと私も!ってわりとなる。人にはなかなか言わないよね。
不妊治療って卵子のタイミングだから仕事してるとかなり調整大変なの。明後日また来てくださいとかある。それで同僚に協力してもらってやりくりしてもうまくいかないことの方が多いし妊娠反応あっても流産しちゃったり。気持ちが上がったりさがったりなんだよね。児童虐待のニュース見てなんでそういう人のところに赤ちゃんが来て私には来てくれないんだろうとか、芸能人や友達が出産のニュースを聞いておめでたいのに素直に祝えない自分が嫌いになったり。それで年に12回しかチャンスないからね、あっという間に1年経ってしまう。年齢が上になる毎に妊娠の確率はさがるから焦るよね。気持ちを安定させるのが難しい。
それでなんとか妊娠出産する、すると子育てはかなりの体力勝負なんだよね。走り回る2歳児を追いかけるのは普通に疲れるし、寝不足だし。そして疲れてもゆっくり休む時間もない。で、じじばばも余裕があれば手伝ってくれるけど自分が高齢出産だったりするとじじばばは高齢者になっており気持ちはあっても、乳児を危険がないように見守るとか、体力無限の幼児と遊ぶとか、正直お願いするのも不安がある。
だからね、
不妊治療すると月日はあっという間に過ぎるし体力も必要だから子どもは欲しいなら早く行動したほうがいいよ。
今の世の中、選択肢が多すぎて辛い
結婚するorしない
子供作るor作らない
転職するorしない
他にも色々
選んで失敗すると自分が嫌になるし
失敗してないかもしれない今も別の道があるんじゃないかそっちの方がいいんじゃないかって悩んでしまう
昭和って、男は死ぬほど働いて女は主婦で子供産むってはっきりしてるじゃん
それがよかった
昭和ならなんにも考えずに結婚して子供産んでただろうけど今は考えることがありすぎる 世の中のせいにできない
だから病んでる人多いんだと思う
やること決まってない状態が人は一番辛いのかも
(追記)
正しくは変革期に産まれたくなかった、かもしれない
1999年生まれなんだけど、小さい時はお金持ちと結婚することがよしとされてて
10代前半は25くらいまでには結婚していい奥さんになるんだーと思ってたけど
就活でもかなり頑張って
就職したらバリバリやるかと思ってたけどなんだかんだ20代で結婚してる人多いしその割に30代前半の出産は早いってくらいキャリア積んでから高齢出産する人も多い
給料高めの職種・会社だから1人でも余裕で生きていけるし今は寂しくないけど将来1人で生きてる自分は想像できない
いやもうどうすりゃいいのかわかんないよーとなってしまった
自分で決めろよって話なんだけど今まである意味運良くてあまり失敗・挫折がなかったかつ王道を歩んできたからこれからどうなるか怖い→昔みたいに産め!とにかく25までに結婚して産め!みたいな風潮あったらよかったなと思ってしまった もちろんそれで苦しんだ人もいっぱいいるのも想像つくんだけど…
とか言ってるうちに仕事関係の試験近づいてきたけど婚活もしなきゃだしもううわーーーってなってる
正直今はそんなに結婚したくないけど自分の性格上後から後悔するタイプだろうから30超えて婚活するより今やったほうが有利だと思ってるんだけどそれが正しいのか もう色々めんどくさい
いい大学に入るのもいい会社に入るのもしんどいけどやること決まってたから簡単だった でも人生やること決まってなくてあまりにも難しすぎる
なんだろう、昭和は同じレールが死ぬほどあって脱線したら辛いけど
令和は意味わからないくらいの種類のレールがあってぐにゃぐにゃのやつばっかりで脱線しても別にあっ脱線してるって指さされはしないけど
そもそも自分がレールに乗れてるのか脱線してるのかもよくわからなくて今動いてるのかどうか自分という車両が壊れてるのかもわからないみたいな辛さがある
本物はブス過ぎてキモいからっていう理由だけでサッカー部の男子に箒で叩かれる すれ違いざまにうぅわっブス!(笑)って笑われる これ美味しいから食べてみてーや!って言われて新聞紙の上に置いたセミ食わされる そんでシクシク泣きながら食ったら悲鳴を上げられる 勉強も運動もできない 貧乏で親が授業料無償化制度を全く理解してないから私立高校は受験しない 近所の工業高校行ってバスケ部にいじめられる 退学してコンビニのバイト始める 健常者であれば誰でもできるようなレジ作業を人並みにこなせることに人生初の充実感を覚え、高校生の後輩にイキり散らす日々 月収16万実家暮らし 父の年金を頼りに、半身麻痺の母を介護する 御年63の母のウンコでまみれた畳を見て涙を流す どうして高齢出産をしたのか、なんで私がこんなことやらないといけないんだよと呂律の回っていない母に怒鳴り散らす 一切家事ができない父のためにサッポロ一番を作ってあげる 麺が伸びているとキレられ死にたくなる
こんな時期でもあるし母も病気やってしまって長くなさそうだからここにでも記録しておこうかな
増田はまだ30代だけど両親が戦時中産まれの超高齢出産で母は満州で産まれた。
小学校とかで「お祖父ちゃんお祖母ちゃんから戦争のこと聞いてきて発表してね」なんてあるけど増田だけ両親から聞いた話を発表して戦争って以外と身近なんだよって理解してた記憶がある。
戸籍を確認するとほんとに母は満州産まれだし母の父親の記載がない。そういう時代なのだ。
満州では素晴らしい生活が待っているよ、と地域ごとに募集された開拓民として満州に行った二世ということだ。
増田の母の母は現地で別のところから来た男性と恋に落ち、結婚はしていなかったけど子どもを身ごもり終戦の数か月前に出産した。だから父親の記載がなかった。
敦化県に母の家族は住んでいたみたいで戸籍に記載のないの父は日満パルプへ材木を運び入れる労働者だったらしい。
一番有名な敦化事件に巻き込まれたとは思わないが、父はソビエト軍によって捕まりその後シベリア抑留され日本には帰ってこなかった。
防衛省のロシアから提供された満州死亡者名簿を確認しても名前はないのだが骨は日本に帰ってきているらしい。
何せ結婚していなかったので繋がりがなく、お祖父ちゃんが開拓民として満州に行く前に住んでいた地域で同性の人に聞き取りしたのだが「骨となって帰ってきてる人はいる」ぐらいの薄い情報しか得られなかった。
男の大人は既にいなかったみたいで当時中学生ぐらいだった増田の母から見ておじさんに当たる人が食料を確保したりして日本へ向けて朝鮮半島南端を目指したらしい。
その食糧確保も日本軍の食糧庫に盗みに入ったりすることで食いつないでいたり、祖母も坊主にして男装したりしてレイプ対策をしていたが、それでも中国兵にレイプされかけたときは赤ちゃんの母を抓って泣き声上げさせて撤退させたり想像を絶する苦難だったそうだ。
そんな母も天寿を全うしようとしてる。所詮母も赤ちゃんだったので周りから聞いた話でしかないのだがそれでも解像度は高く直接経験した人の言葉はしっかりと伝わった。
78歳はまだまだ若い。長生きしてほしいし母には幸せを感じたまま旅立ってほしい。そのためにはまず増田が幸せな姿を母に見せることが大事だろうな、って思う
末っ子だよなぁ
高齢出産の末のこれだとすると、まあ、子供のせいとして処理するのもなんかかわいそうな気がするな。
普通の人にはできることでも、障害があるとできないことってあるからな。
かと言って、一人のミスが全体のミスみたいになるチームプレーの場だと、ほかのメンバー的には納得いかないものがあるだろうし、まあ難しいよね。
そういう時にやるのが障害がある子供でもやれるように仕組みを整備する合理的配慮ってところなんだろうけれど、配慮するだけのコストが割けないなら、撤退する所なんだろうな。
いずれにしても、子供はまあ自分で選んだわけではないから我関せずでいいと思うんだが、親父のその態度はどうなのかなと思った。
親は大人として責任を取らないといけないんじゃないのか?可能な限り家の仕組みを変え、そういう子でも動けるように作るところじゃないのかな。
子どもいらない派だった。
「いつか子どもを持つかも」くらいは思ったが、
「もし子どもを持ったら」と深堀りはしなかったので、
社会的責任がどうとか、今の時代に産むのはかわいそうとかまでは考えが及ばなかった。
「絶対にいらない」派ではなく、今いらない、深く考えない、身近に子どもがいないから考えるきっかけもない
そんな感じで30代に突入した。
相変わらず子どもに興味はなかったが、女であるため、35歳を過ぎれば高齢出産でリスクが高まる点は気にかかりはじめた。
それで、もし子を産みたくなったら35歳頃までに産める外堀は埋めておこう、と31歳で結婚した。
結婚しても、やはり子を欲しいとは思わなかった。
夫も「子はいてもいなくても」派であり、子どもが話題に上がることはほとんどなかった。
ただ、他の状況が変わった。
学生時代は同人やバンド、DJなどを、社会人になってからはイラストや文章の仕事をと、
ずっとひとつに打ち込んできたわけではないものの、常に何かしら制作活動をしてきた。
仕事も趣味の延長線上にあり、途中転職をしつつもずっと楽しく働いていた。
しかし、ちょうど結婚した頃から、めちゃくちゃやる気がなくなってしまった。
コロナが始まった時期とも重なるので、その影響もあるかもしれない。
とにかく、今までの趣味への情熱が失われ、新しいものも見つからない。
アイドルやら美術館巡りやらダンス教室やら、模索する中で軽くハマれるものはあったものの、
そこで、「子どもというビッグイベントを発生させれば、自分の人生が再び充実するのでは?」という考えが生まれる。
だって、自分のためだけに使いたかった時間が余りまくっているのだ。お金も、とくに使い道がない。
じゃあ、子どもいてもいいじゃん。年齢的にもギリだし。
引き続き「子はどっちでも」であり、趣味にいそしんでいた夫をなだめすかし、泣きつくなどして、子どもを持つ方向に話をすすめる。
検査してみたら不妊治療が必要な状況とわかり、そこまでする程ではないなと一度諦めかけるが、運よく自然妊娠した。
そして、35歳で出産。1か月が過ぎた。
産んだ子は初めこそ実感がなくかわいいとも思わなかったが、
世話をし毎日ずっと見ていることでやはりかわいくなってくる。
そして非常に大変な分、期待した通りに私の人生を充実させてくれている。
趣味で得られる充実感とは質が違うが、余生を塗りつぶしているような空虚さや、それによる希死念慮はなくなった。
(夫も子をかわいがり喜んでおり、独断専行にならずに済んでよかった)
しかし、これが続くのもせいぜい十数年、二十年は持たないだろう。子は巣立っていく。
その時にはまた何かを探さなくてはならない。
でも、当面がしのげればそれでいい。