はてなキーワード: 高次脳機能障害とは
二日酔いにより目覚めは最悪。
隣のテントで寝泊まりする人々と軽く会話するも、気分悪すぎてどうにも調子が出ない。
前日多大なる迷惑をかけた方々とYo La Tengoにて待ち合わせをしていたため、けだるい体に鞭を打ち、なんとかグリーンステージへ。
3ピースながら曲ごとにパートチェンジを行うという器用さを見せつけていた。
そして極めつけはこれぞ90's USオルタナ!って感じのノイズギター。
しかしながら全体的に音量不足で、折角のノイズギターが後ろまで届いていなかった。
普通のアメリカ人が、まるで灰野敬二かのようにノイズギターを弾きまくる姿は面白かった。
今年一月に「ガンとはもう闘病しないことにしました!おそらく最後の来日!」と称して南青山レッドシューズにて行ったライブは記憶に新しいが(行けなくて口惜しい思いをした)、なんとフジロックでは二回もステージに立っているではないか!!
前日深夜にはクリスタルパレスでもライブを行なっていたが、入場制限&長蛇の列で諦めた。
満を持して迎えたグリーンステージでのライブだったが、期待通り演奏されたのは全てドクター・フィールグッドの曲!
演奏内容も、ウィルコ・ジョンソンが歌っているだけで他は昔と変わらず。
ギターソロではキチガイ風ダンスをし、ライブはJohnny B. Goodeで終わるところまで、私が普段聞いている37年前に録音されたライブ盤とほとんど変わらず。
ライブ中盤では、女に見立てたギターを抱きしめ語りかけた後に腰を振り始めるなど、元気すぎる一面すら見せていた。
・Jazzanova feat. Paul Randolph
実はJazzanovaを見るのは本年二回目であり、前回はチケット3500円のフェスにてDJの横でPaul Randolphが歌うだけというクソみたいなライブであった。
今回はちゃんと管楽器も含めた10人編成であり、迫力の生演奏。
安定感抜群のJazzanovaの演奏がなかったら憂鬱すぎてどうにもならないほどの豪雨もなんとか精神的にはしのげた。
そして、改めて日本のバンドに足りないのは電子ドラムのパッドだなぁと痛感。
もちろん、テクノロジーによって表面的な個性を演出するのは本質的でないが、Jazzanovaの様にフィジカルなプレイとテクノロジーを共存させているバンドを見る度に電子ドラムや管楽器へのエフェクター使いなども選択肢として考えるべきだと感じる。
・Toro Y Moi
今年のフジロックで一番期待していたし、期待を裏切らないベストアクトだった。
直前に見たJazzanovaと同様にフィジカルなプレイとテクノロジーを完璧なバランスで共存させているバンド。
予習としてライブ映像を見た時から上述のバランス感は素晴らしいと思っていたが、生で見ると改めてその完璧さに惚れ惚れとしてしまった。
編成はToro Y Moi本人がボーカルキーボード、そしてギター・ベース・ドラムという四人組であった。
そう、編成だけ見ると通常のロックバンドとなんら変わらないのである。
しかし、この4人によって生み出されるサウンドは現代版にアップデートされたディスコサウンドであり、編成からは想像もつかないものだ。
どのようにしてそれが達成されてるか考えてみると、ギターの役割が象徴的であったように思える。
というのも、通常のロックバンドにおいてギターはリズム(バッキング)ギターもしくはリードギターと呼ばれることが多いが、Toro Y Moiにおけるギターはその両者とも言い難い役割を果たしていた。
つまり、通常のロックバンドにおいて固定化されている、パートごとの役割が解体されてつつあるのだ。
それはまるで「ジャコ・パストリアスはバンドにおけるベースの立ち位置を変えた」といわれるように、ロックバンドの様式をアップデートするものだ。
いやー、Toro Y Moiまじですごいよ。
Toro Y Moiはチャズ・バンディックによるソロプロジェクトなわけだから、バンドはワンマン化してもおかしくないはずが、ライブでは個々人のプレイアビリティが絶妙に生かされていた。
この点において後述するThe XXとは対照的。
The XXはバンドの形式をとっているにも関わらず完全にJamie XXのワンマン化していた。
ワンマン化というのはつまり、他のメンバーは言われたとおり楽器が弾ける人なら誰でも代替可能ということ。
実際は曲作りの段階であったり人間関係の上で代替可能なんてことはありえないのだが、ライブ演奏においてはワンマン化していた。
さらに言えば、フィジカルなプレイとテクノロジーのバランスという意味でも、The XXはテクノロジー寄りで、ステージに立っている人間は割と置物寄りと言わざるを得ない。
そんな感じで最高だったToro Y Moi、唯一ケチを付けるとしたら演奏が予定より13分も早く終わってしまったこと。。。
やはり、PCで作成した曲をバンドアレンジしているため、持ち曲が少ないのだろうか。
そういえば余談だが、Toro Y Moiのルックスは若かりし頃アフロだった釣瓶にそっくりであるということに気づいてしまった。
個人的にはツボな発見だったのだが、どうやらこの話はウケが悪いようなのでここまでにしておく。
とりあえずEasyという曲が完全に小西康陽サウンドだったのと、Heartbeatの時だけ盛り上がりが尋常じゃなくその他新曲中心の演奏はウケが悪気味だったのは覚えている。
あと、レッドマーキーは屋根があり、音が篭っているためしゃがんでしまうと上ものが全く聞こえなくなってしまうことに気づいた。
恐らくTAHITI 80はボーカルの声も高いし、上ものたちがバンドの個性を演出しているから気づいたんだろう。
まぁHeartbeatはよかったよ。
文句をつけるとすれば、カッティングギターの音作りが悪かった。弾くのが下手くそなのと相まって、16分のカッティングが全然気持よく感じられない。
・Vampire Weekend
ライブ音源を聞いて知ってたけど、A-PunkはCD音源よりもテンポが遅く踊るにはちょいと物足りない感じ。
CDでは1stのヌケ感がだんだんなくなって壮大な曲作りになってしまい残念だなーとか思っていたが、いざライブで聴いてみると初期の曲ですら壮大に感じられ、「なるほど、もともとこういうバンドだったのか」と思わされた。
Vampire Weekendでも上述のバランス感は感じられたが、Vampire Weekendは従来のバンドであり、やはりゼロ年代のバンドという感じ。HURTSもTAHITI 80もそう。
そういう意味ではJames Blakeとかもやっぱり10年代を感じさせる。
・LETTUCE
大学の先輩と合流し、The XXまでのつなぎとして一応見る。
ジャズファンクとかあんあり好きじゃないんすよねーとか言いつつ見ていたが、思いの外よい、というかよさがわかった。
あの手のものは工芸であって美術じゃないだよなーみたいな風に思っていたのだが、ギタリストは芸達者で素晴らしかった。
でもやっぱり管楽器とかはどれも同じに聞こえてしまう。それは単に自分がやってるかやってないかの違いかもしれないが、Jazzanovaみたいにエフェクトかけてみたりすりゃいいのにーとか少し思ってしまう。
とはいえ全体的に楽しく、アパッチを演奏し始めた時にThe XXへと移動したのだが、なかなかに後ろ髪を引かれてしまった。
・The XX
上述したが、Jamie XXのワンマン感がすごかった。
どういうことかというと、フロントでは女性ギタリストと男性ベーシストが共にボーカルをとっているのだが、それぞれ楽器の演奏はしていたりしていなかったりという感じ。
対照的に後ろにはMPCが二台、電子ドラムパッドが4つ、シンバル、スネア、極めつけにはスティール・パンが並んでおり、これら全てを演奏していたのがJamie XXだ。
バンドの世界観をショウとして演出するという面では完璧だった。
全員恐らくKOMAKINOの服を着て、ステージは照明を落とし、白いフラッシュとレーザーが空間を埋める。
すごかったのは、レーザーを反射させてステージ全体に広がるスモークの中に巨大なXを描く演出。
そういえばホワイトステージにおいても聞く位置によるサウンドに良し悪しは顕著で、ちゃんとした音で聞こうと思ったら人混みをかき分けてセンターのPA前くらいまではいかないとダメだなと思った。
最初は左サイド後ろで聞いてたが、これではモノラルイヤホンで聴いているようなものだ。
まぁ屋外フェスで音がどうこうとかうるせーよって話だが。
なんとアンコールを40分もやって日付が変わっても演奏し続けていたそうで。
The XXが終わってから戻ってきてもゆうに30分以上見られましたし、ちゃんとBoys don't cryも聞けた。
個人的にはメンバーのルックスが気になってたのだが、白髪をワックスで固め昔と変わらぬ化粧を施したボーカルの姿はそれだけで泣けるレベルであった。
演奏に関しては、CD音源をハイエンド・オーディオで聴いているかのような解像度で驚いた。
各楽器の音が完璧に分離しててすっげーと思いながら踊っていた。
・GOMA and The Jungle Rhythm Section
ディジュリドゥ奏者GOMA、ドラム、ジャンベとコンガ、その他パーカスみたいな4人編成。
ディジュリドゥは普通にすごいんだけど(循環呼吸が必要で、音出せるだけでちょっとすごいらしい)、ずーーーっとアフリカンなパーカスたっぷり4つ打ちで若干退屈であった。
しかしこれまたしゃがむとディジュリドゥとキックしか聞こえないというw
部分的に聞けばめちゃくちゃ踊れるし最高なんだが。
そういえばGOMAさんは未だ高次脳機能障害のリハビリ中であり、MCはカンペを見ながらだった。
GOMAさんが音楽の力を信じて病と戦うというか克服していく様はドキュメンタリー映画にもなってるし、インタビューとかで読んでも普通に感動できる。
・Jamie XX(DJ)
The XXの曲もかけつつアフロビートとか80'sディスコとかまでかけて見識の広さとセンスの良さを見せびらかすかのようなDJ。
こいつあってのThe XXだよなーと感じさせる。
・石野卓球
富士山とかかけるのかと思ったら、おふざけ要素一切なくガチテクノをストイックにかけ続けるDJスタイルだったので途中で退場。
僕のフジロックはここで終わりました。
途中でCan you dance tonight?という声ネタを何度も挟んでいたが、もう既に朝だったw
俺よくここまで頑張ったよ…と思いつつテントに帰る。
<追記>
https://twitter.com/ningengasinu/status/294877200761618434
スパムbotっぽいアカウント @ningengasinu とは一切関係がありません。
http://anond.hatelabo.jp/20130124161712
マジレス。
受けていれば担当のケアマネがいるはず。受けていなければ自治体の窓口に相談して介護保険を受給できるように手配を。
介護保険なんてどうせ使わない、と言う事はあるかも知れないが介護保険を使い始めると必ずケアマネージャという専門家がついてくれる。ケアマネージャにもよるが、必ず定期的に訪問してくれるので、悩みなどを打ち明けれるし、相談にも乗ってくれる。
脳の障害の後遺症で性格が変わってしまったと言うケース、これは「高次脳機能障害」という事であまり知られていないが実は病気である。そしてこれは目に見えない障害と言われていて、性格が変わってしまうと言うケースの他、他の事はほとんど不自由なくできるのに、計算だけは一切できなくなってしまうだとか、右と左が分からなくなるだとか、ズボンを被って、シャツを履いてしまうだとか言う症状が出る。
もし診断で高次脳機能障害という診断が出ていないのであれば、自治体の窓口、あるいはかかり付けの医師に相談すること。介護をしている人には身近であるはずのケアマネージャに相談することも大事。
高次脳機能障害でも性格が変わってしまい介護が困難になったと言うケースは、普段の本人を知らないため医師は直ぐに診察が難しい事がある。だから家族が普段の行動を詳細にメモにして、それを医師に渡す等し、診断を得る事がまず大切。
診断を得ると、要介護認定が上がる事がよくある。また精神障害者として認定される事もある。
これらの診断が出ると、あれは病気であると言う事が分かるから、それなりに受けいられる素地が生まれてくる。
また介護認定が出ると利用できるサービスが増える。当然ながら自己負担が増えるのだが、デイサービスなどのサービスを利用するのは、本人のためにも、またあなたが共倒れしないためにも大切な事だ。利用を躊躇してはならない。
さらにこれらの認定が受けられれば、自己負担を少なくしてサービス付き高齢者住宅や老人ホームなどにも入居することができるかもしれない。ただし月々十万以上の出費は覚悟しておく必要がある。本人の資産(年金など)が使えればそれを使えばよいがまともに年金払っていなかったりすると苦しい。
さて、ここまでが一般的なアドバイス。
次が裏技的な方法だが良いかどうかは分からない。また通用するかどうかも分からない。しかし最終的にはこう言う裏技もあるのだと言うことを少し覚えておいて欲しい。
まず上記で高次脳機能障害の診断名が付き、要介護認定(要支援ではなく)がそれなりの等級で出たと言う仮定で。障害者認定があればなお良いが…。
この状態であなたは外に部屋を借りる。そして住所をそちらに移して、あなたの父親は障害者/要介護認定を受けながらも、一人暮らしであり、あなたは仕事の都合どうしても同居ができないのだと言う状況を作る。実質は貴方は同居していてもかまわないが、まずは書類上こう言った状況を作る。この状態で特別養護老人ホームや、サービス付き高齢者住宅(公でやっている所なら安い)の利用を申請すると、緊急度の高い案件というフラグが立ち対応が全然違う。この状態だと高価な民間有料老人ホームより、自治体などがやっている安価な老人ホームなどにも入居が可能かも知れない。
ただしこの手法、自分の担当のケアマネージャや自治体の職員の協力…とまでは行かなくとも黙認が必要なのでいろいろと根回しはいるかもしれない。
さらに言えば…経済的に困窮していると言う事にして強く言えば、生活保護を利用する事も可能ではある。あなたが支援する事ができないと強固に言えば。ただ現在の情勢でこれが通じるかどうかは分からないが…。ただこれをするにはあなたの父親の資産はすべて処分されることとなる。
はじめに書いた事を行ってどうしても駄目なら、最後にはこう言う手もなくは無い。ただ先にも書いたがおすすめはしない。きちんと介護等級の認定を受けて、その範囲でサービスを利用し、場合によっては施設入居を目指すことがよい。
なおわざと不健康な状況に追い込んでさっさと殺せと言うトラバがついているがこれだけは絶対にやめる事。何故かと言うと当然倫理的な話はある事もさることながら、何らかの病気を併発した場合、さらに介護が困難になる可能性が非常に高い。そうなると困るのはあなただ。放置した場合は保護責任者遺棄といった犯罪に問われる可能性すらある。また現代の医療技術だと相当な状態でも助かる。が、介護負担は増える。健康寿命をできる限り延ばすことがおそらくあなたにとっても大切である。
化学物質過敏症を別の病気に置き換えてみると、自分がどんだけ無知なことを言っているか良く理解できると思うがどうか。「鬱病になるような人間と俺とでは違う」とか典型だけどな。俺なら恥ずかしくてそんなことは言えんよ。ましては「辞書的な意味では間違っているから」とかネーミングに拘る妄想が根拠だなんてな。お前が化学物質過敏症やら、慢性疲労症候群やら、いわゆる心身症やらにかからないことを祈るよ。そしてその時「(病名)になるのは、バカだけ」「(病名)になるような人間と俺とでは違う」とか言う奴会わないことを祈っといてやる。
すでに
などを見ると、ぱっと見て学習障害、あるいは高次脳機能障害の可能性も高いと思うが、学習障害なんぞ「学習障害になるのは、バカだけ」「学習障害になるような人間と俺とでは違う」とかさんざん言われる病気なんで、医者には行かないほうがいいかもな。
つまりバカとは話が通じないよな、ってことなんだけど。
話が通じない相手を全員馬鹿認定してりゃそりゃ通じるわけもない。養老のおっさんの、もはや古典だが馬鹿の壁って本がある。ブクオフいけば50円くらいで手に入るから読んでみろ。
この本の作者である増田美智子が、心底嫌いになりました。
知らないし、聞いたこともないし、会ったこともありませんが。
大嫌い。
この本は、光市母子殺害事件の加害者である人物と、その家族や関わりを持つ人物を取材したもの。
本を読んで、ここまで嫌悪感を持ったのは初めて。
それくらい不快でした。
小学校4年生の何も知らない子に、「お前の義兄は殺人者だ」と気付かせるような行動を起こし、それを非難する父親(小4の父でもあり、加害者の父でもある)を上から目線で眺める行為。
高次脳機能障害を患っていると知りつつ、A君(加害者の拘置所仲間)の心を顧みることのない取材。
君は取材を受けたことにより、病気を悪化させ、奇行を起こした。
その奇行についても詳しく書いている。彼の名誉など、考えないだろうか。
そして、奇行を起こした原因となった最悪の取材であるにも関わらず。
この行為を「反省している」と書きながらも、症状を悪化させる原因となった取材や手紙の全てを書籍化し、公に晒すという行為。
この作者、おかしい。
言いたいことは、いっぱいあります。
今訴えられているような、元少年の実名を出すことが悪いとは思いませんし、正直読みたくてたまりませんでした。
光市殺害について取材を繰り返し、ここまでのものに仕上げた。それは素晴らしいと思います。
しかし作者は、人の気持ちを考えてなさすぎます。
増田美智子という人物は、人の気持ちを汲むことが出来ないのでしょうか。
そう思ってしまうほど、配慮のない取材や偏りのある記述が多く、
彼女が「悪人」として扱っている人物に同情すら覚えることが、いくつもありました。
彼女が「悪人」として扱っている人物、という部分については、書籍を読むとわかるかと思います。
作者は作者自身の思い込みから、登場人物をすべて「善悪」で振り分けている。
確定していないことや、又聞き程度の話題も多いだろうに、、
それにも関わらず自身の感覚だけで、人を「善悪」で振り分けるとは。どこまで傲慢なのだろう。
そして、それを恥ずかしげもなく書く。質問内容も、回答も。
最初は驚きました。
誤植、あるいは表現方法を誤ったのかな、なんて思っていました。
最後まで読み終えましたが、違ったようです。
作者の神経を、疑います。
高次脳機能障害は物理的に脳機能の障害(顔を認知する部分が損傷している)なんで、
事故なんかで頭を打った場合に発生することがある後遺症の一つ。
脳の損傷の部位により発症する症状が異なります。
写真で見る自分の顔の認知か親の顔の認知ができれば、その症状に関しては健常者扱いでOK。
だからここで言うところの人様の顔の区別がつかないっていうのは
似たような女子とか、おじさんの顔はみんな同じに見えるってだけで、実際同じにみえているわけではなく、
何らかのラベル付けができれば、区別がつけられるという意味で注意力の問題ってわけ。
ひとくくりとしておっさんと女子ができてるんだから違う顔っていうラベルは十分についているわけです。
例えば、学習障害の中心的症状である「読み書き障害」(ディスレクシア; dyslexia)である方の中には、健常者と比べて視覚シンボル(トイレの男女マークとか案内図記号とか)の認識が顕著に早い人がいたりします。
特に高次脳機能障害など、物理的に脳が痛んでいるのではなく、脳の処理システムが普通の人とちょっと違う人は、我々が簡単にできることを苦手とする代わりに、我々がとてもできないようなことをいとも簡単になし得たりします。
脳がどうこうという話まで行かなくても、空気が読めるということは周囲の状況をある意味過剰にセンシングしてそれに合わせているわけで、性格特性としてやや自尊心や自己効力感が低かったりするでしょう。その他の、頭いいとか努力とかは先天的なものより、それを活かせる・誉められる環境にあったという要因のほうが大きいのでしょうが。