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内発的動機で駆動する『個人主義ユートピア』を、外発的動機で動かされる『資本主義ディストピア』に変えられてしまわないために - 自意識高い系男子
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どんだけの損害が出たのか。
エロゲ屋のプロデューサーの大半は「ニコニコ死ねP2P死ね」だったよ。
なんかユーザーは「エロゲを盛り上げたのはニコニコ!」みたいな態度だけど「ニコニコで盛り上がる」→「割れDLが増える」ってだけで売上には1つも寄与してない。
なんかここ10年ぐらいでリテラシー(笑)が上がったせいで「あの頃のインターネットは清浄なる個人主義のユートピアだった!」っていうウォッシュ(笑)するの、やめてくれません?マジで。
ネックスピーカーは新調しなくていいから、1万前後の有線のインイヤーモニター(IEM)を買うことを勧める。
それで聴く音楽は当然として、バイノーラル録音の同人音声は迫力が違う。
素性の良い万能的な機種としては、俺の推薦はTKZK Ouranosだが、Amazonだとボッタ業者がいるし現在入荷待ちなので注意。
これは7千円台だが、半額しか出せないのなら3千円のTANGZU Wan’er S.G、逆に3万円出せるならSIMGOT EA1000が良い。
新作すぎてレビューがどこにも出回ってないが、最近ヒット作を連発しているKiwi EarsからFortezaというのが8千円ほどで近日発売になっており、デザインがすこぶる良いので見た目買いするならコレも悪くない。
ただ、音声メインの人は基本的にマルチドライバ構成のものよりもダイナミックドライバ1基構成の方が良いとされている点だけ注意。
コスパ最重視の場合は、スペックと付属品の充実というマニア受けが主体ではあるが、今は4千円のTRN Conchが突出しているので、冬場は冷たい金属筐体などを気にしないのならばそれを選ぶのもアリ。まあ冷たいのは最初だけだが。
もし音楽リスニング重視でハイブリッド構成に興味があるなら、最近は1基のダイナミックドライバ+4基のバランスド・アーマチュアを搭載した2万前後の中価格帯がアツい。
個人輸入前提になるが、Truthear NOVA、SoundRhyme SR5あたりが評判がよく優等生的なIEMとして挙げられる。国内で買えるものだとSIMGOT EM6Lあたり。
1年くらい前だとこの価格帯は平面駆動型が流行していて、LETSHUOER S12Proや武則天などが人気だった。
このドライバを積むと高域がきらびやかで詳細感がでやすい。こういうのも有線イヤホンの旨味。今でもコスパ的に選択肢になるだろう。
AHA-2940U2Wが登場したのは1998年で、価格はなんと7万円前後の高嶺の花だった。筆者はコンシューマにおいて、SCSIカードは、このAHA-2940U2Wで1つの頂点を極めたと思っている。というのも、以前述べたとおり、外部周辺機器は同時期に本格普及しはじめたUSB、内部接続のドライブはUltra ATAの速度向上によって、SCSIのメリットが失われていったからだ。
前回はSCSIの規格についてざっくりと説明したのだが、AHA-2940U2Wが登場した技術的な背景についてもう少し詳しく解説しておく必要があるだろう。
本製品が対応する規格は、40MHz駆動でバス幅が16bit、最大転送速度が80MB/sの「Ultra2 Wide SCSI」だが、Ultra SCSIには、バス幅を8bitに削減して最大転送速度が40MB/sの「Ultra2 SCSI」や、20MHz/16bit駆動で40MB/sの「Ultra Wide SCSI」、20MHz/8bit駆動で20MB/sの「Ultra SCSI」という規格も存在する。この“Ultra”と“Ultra2”のあいだには、根本的な違いが存在した。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/yajiuma/1083966.html
でもお前らが頭ひねって出てくるの東北大テニュアトラックとかPHD48*じゃん
まあPHD48については自分らだけでハンドリングできるものはどんどんやれば良い
例えば日本の学術誌に投稿してエルゼビアやらシュプリンガーへのお布施を減らしつつ日本の学術誌のプレゼンスを上げろと30年前から言われてるでしょ
なぜしない
わかるよ
ご自分の立派な研究を本邦のクソちょぼ学術誌なんかでくすぶらせるわけにはいかないのだね
他人にも「日本の科学のためにお前が損をしろ、リスクを取れ」と求めてはいけないよ
まあ博士号を持っていない人間に人権はない世界に生きているから、そういうことができるのだろうが
*ググってみたら不正競争防止法にかかるかもしれないということで名称変更になったらしいがこの増田は揶揄目的なので旧呼称を採用する
それまでの後輪駆動方式から前輪駆動方式でFFに変わったマツダ・カペラをテレビCMで宣伝するとき、映像の俳優はアラン・ドロン、コマーシャルソングは布施明が歌う「たまらなくテイスティー」という曲だったが、その歌のサビで連呼される「たまらなくテイスティー」は同時に機種のキャッチフレーズとしても使われて、
また、
とかなり巷で喧々諤々となった(日本語としておかしい、という論調)
で、おもいだした本題はこれからなのだが、そのマツダ・カペラの後にも同じように「日本語としておかしい」と喧しく言われたクルマのCMのキャッチフレーズがあった
これもやはりそれまでの後輪駆動から前輪駆動でFF方式に変わった(歴史的にも構造的にも繋がりは無いが先に派生車種としてスポーツワゴン型のカリブというクルマが発表されてはいたが、歴代モデルのセダン型としては初のFF)トヨタ・スプリンターの
そしてイメージキャラクターが当時ちょうど元気と色気バリバリ壮年期の古谷一行だったので
https://www.tyoshiki.com/entry/2023/09/25/105847
テメェの会社の社長や経営者がこう言ってて、すぐに抗議して撤回が無いから会社辞めますって、言うの?
組織の中で「オマエも“大人”になれ、綺麗事なんかゴミだよゴミ」っていう人たちが駆動部としてオマエラの給料弾き出してるんだけど?
「賢しいちょっと生意気な高校生のガキに大人の“普通事”を教えておくか」っていうのは絶対的に正しいぞ。
そういうもの。
アイツラの“普通事”は変化していく。
だが、今日明日じゃねぇよ。10年、20年、30年……そういう時間を掛けて直していくものだ。
「今は」せいぜい諦めてろ。あと、オマエの価値観一人が変わってもオマエの周りが団結して変わることはない。
団結して変わってもそれはオマエ同様被雇用者だ。何処に争議するよ?
若い奴らの価値観が主流派になった時初めて変わるんだよ。だから「今は」諦めてな。
何?サラリーマンじゃねぇ、雇われじゃねぇ?
ポジティブに捉えるならそうなると思う。
人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分の認識に対して懐疑的な人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。
僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数をシステムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合、自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。
他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。
つまり、出発点が間違っていた場合、継続の意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。
学生時代から、自分は比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。
自身の持つ価値観そのものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会に適応することの難度が高くなっていることを実感する。
だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプの人間でもあると思う。この社会そのものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分が能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプの人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。
これは自意識の問題なのだ。なぜそのような自意識のねじれが起きてしまうかで言えば、理由は一言で表される。つまり、
成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的な弱者であるから。
その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通の決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分の能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分は後者だった。
高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識と社会認識のズレが引き起こす諸問題は従業員を困惑させる。
会社拡大は大まかにいって採用と事業二つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズの会社が採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。
労働集約ビジネスが個人の能力に依拠して成立するとするならば、その個人の能力が付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールドに品質で競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットでトップオブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的に採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。
自分の場合は「未経験でも自分の想定している通りの経験を踏めば誰でもできるようになるだろう」って信じていたし、そのことが自分を常に悩ませてきたと思っている。
育成に取り組むことも組織拡大において一番最初に捉えてしまうかもしれないが、経験的に言って、それがもっとも最後に取り組むべき課題であると言わざるを得ない。
なぜ銀行が人件費に対して支出することを許容しないのかのその意味をずっと考え続けていたが、彼らはやはり確率的にそのような支出が取り返しのつかないことになる可能性を誰よりもよく理解している。
高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである。
はっきり言おう。自分がつくりたかったのは自分の平穏だっただろう。
そのために、自分と同じ夢を見てくれる人ができる限り多くいてほしいと願った。
それは、今もこれからも望むべきではない。
元子役「50代被害者」が顔出し告発…別事務所のタレントがジャニー喜多川氏に献上されていた!
この記事なんかで明白だけど、権力者にそいつの大好物を献上して、権力のおこぼれに与ろうって輩もきっと大勢いたよね。
組織の外部にも、内部にも。
事務所のスタッフだって、社長から「イキのいいのを連れてこい」と命じられていたとしても何ら不思議はない。特別チームの報告を見る限り、スタッフは「見て見ぬふり」どころではなく、Jrからの相談に対して受け入れた方が得策だと助言するほど積極的だった。
所属タレントだってそう。社長の性的関心からはずれる年齢に達してしまったタレントたちも、業界へのプッシュを交換条件として上納金(美少年)を求められていたとしても不思議はない。
あの事務所が社長に生贄を供給し続けることで駆動していた生態系だと考えると、すでに物故者である社長ひとりの断罪で済む話ではない。直接的・間接的に性加害に関与した者全員が断罪されるべきだろう。