はてなキーワード: 首藤剛志とは
『人間性の違いです』とひと言だけ言って帰っちゃったのソースはこれだな
日本アニメーション特集 月刊ニュータイプ Selections Animation Odyssey 2003 ~検証! 監督たちの劇場デビュー作~
https://www.kyo-kan.net/oshii-ig/report/200301106.html
"押井「高橋留美子と僕の印象がよく似ているらしいんですね、兄妹みたいだと。冗談じゃないと(笑)。二人ともかなり怒ってた。初号の後、原作者の言葉をいただく儀式というのがあるんです、監督にとって裁判みたいな席なんですが。オンリー・ユーの後原作者が何を言ったか覚えてないけど、2本目は凄かった。『人間性の違いです』ってその一言言って帰っちゃった(笑)"
ビューティフルドリーマーついては他のスタッフも結構色々書いてて脚本をやる予定だった首藤剛志も当時について以下のコラムの162ー171回に書いてある。
○ご飯
朝:なし。昼:うどん、天かす、梅干し、オクラ。ラップサラダ。夜:豚肉、白菜、人参、エノキ。おじや(ごはん、たまご、海苔、梅干し)
○調子
お昼寝めっちゃした。疲れてるのかなあ。
散歩行きたいけど雨なので行けない。明日も雨の予報なので洗濯物が悩ましい。
○グラブル
水六竜したり、水プシュケー連戦したり。
水六竜、かなり苦手だ。
ただ土は武器キャラともに成長の余地が賢者に依存してるからすぐすぐに打てる手があんまりないなあ。(神石にするとか終末五凸みたいな極論は抜きね)
予兆解除用のソリッズ、予兆解除出来なかった用のサラ、何でも屋のマキラ。このメンツで苦戦するようじゃやっぱ僕のPSだよなあ。
5の城まで。
○劇場版ポケットモンスターココ
面白かった! 露骨に泣かせにかかるベタが多そうで怖かったけど、まさにそのベタにどハマりして泣きながら見てた。
ザルードとココが本当の家族になっていき、そして前向きないい意味での別れに繋がっていくのは、サンムーンのあれやこれやを踏まえているようでもあって、ポケモン25年続くコンテンツとして親目線を取り入れてるってだけじゃない流れも少し感じたり。
この前向きな別れというか若者は旅をせよって価値観は、首藤剛志さんのポケモン感と終わらないコンテンツとしてのポケモンとの折衷案を模索しているようにも感じる。
首藤剛志さんはポケモン自体からの決別のようなものを書くべきだと思っていたみたいですけど、ここまで日本はおろか世界に浸透したコンテンツになると、それも逆に不自然で、良い距離感を持ってずっと付き合っていきたいなと思わせられるような映画を見ている人の気持ちと、ココのそれがオーバーラップするようで、良い映画だったんじゃないかな。
みんなの物語に続いて、サトシとピカチュウは主役というよりはレジェンド枠のようなココを導く先輩キャラだったのも面白かった。
特にサトシの口からのパパのエピソードは珍しく興味深かった。これも家族ものだからこそのシーンで印象的。
主役を嫌う難しい役をやってたコノハナが良かったな。超ダンといい、コノハナは難しい役が似合うなあ。タネボーを抱える優しいシーンもあったりで好き。
同じ森の仲間のゴロンダ、スカンプーはチョイ役とはいえ存在感はあったかな。スカンプーのオナラのところ笑い声も聞こえて子供向けに面白いシーンだったのかな。
○昼食:なし
○夕食:ご飯、納豆(二つ)
○調子
はややー、むきゅー、ちゃらちゃらんりゅー。
今日も明日もお休みなので、今日こそ掃除した、さらに、散髪にも行ってスッキリ。
いつもいく散髪屋さんは、シャンプーのときにすごく気持ちいいブラシで頭を洗ってくれるんだけど、
「気持ちいいのでもっとしてください」と勇気を出して行ったら、普段の3倍ぐらいしてくれて、気持ちよすぎてアヘ顔になってた。あのブラシ家にも欲しいなあ。
この日記を書き始めてからだと、ディアンシーの頃からだから、ディアンシー、フーパ、ボルケニオン、きみにきめたで4回目ですね。
感想は次の○で。
○ポケモンきみにきめた
今まではテレビシリーズ旅の途中の一コマという作品だったんだけど、今年はテレビシリーズとは世界観を共有しない、オリジナルな世界観。
本題のストーリーは、とにかくよかった。
首藤剛志さんの名前が一部脚本みたいなクレジットで入っていたけど、1話のリメイク部分だけじゃなくて、ネットでよく話題になる最終回のボツプロットとか、幻の映画第三作目のボツプロットを意識したような展開もあったから、その辺を示唆しているのかなあ、とも思った。
とにかく、ポケモンというコンテンツの奥深さを感じさせられる作品でした。
こう、言い方が難しいんだけど、ポケモンってはっきり言ってなんでもできるんですよ。
ポケダンみたいなポケモン同士の大スペクタタルな感動ストーリーもできるし、
コマスターに至ってはポケモン関係なくAIと人の関係性のお話だし、
本編だってサンムーンのリーリエは、ポケモンと旅に出る前の親からの自立できない子供なんてテーマもやってる。
じゃあ、それら全部を包括して
「ポケモンとは?」と聞かれた時に、何が答えになるんだろう。
そんなことをエンディングのスタッフロールを見ながら考えていました。
もちろん、人それぞれ答えはあって、きみにきめたという映画がそれら全てを内包するわけじゃないんだけど、
漠然と思ったのが「終わらない旅」なのかなあ、と。
きみにきめたの作中でも、この「終わらない旅」を示唆する言葉がいくつかあって、
あるキャラがその終わらない旅に対して「同じことの繰り返しなのかも」と、ある種達観、ある種悲観、ある種憧れじみたことを言います。
それにサトシは「でも行ってみなきゃわからないだろ」と返します。
最後のスタッフロールが流れながら、色々と印象的なカットが続くのですが、
これらこそまさに、終わらない同じことの繰り返しの中にある、行ってみなきゃわからないことだったなあ、と一視聴者一プレイヤーとして思うのです。
ただこの「終わらない旅」は
「「シナリオえーだば創作術」 首藤剛志第155回 人間の言うなりにならないポケモン」
http://www.style.fm/as/05_column/shudo155.shtml
の肯定ではない、とも思うんです。
終わらない旅は、決して、心はいつまでも子供でいいじゃない、という肯定のメッセージではない。
十歳の子供が旅に出てその旅が終わらないなら、まさに心はいつまでも子供なんじゃないか?
と思われるのは、そうなんだけど、
ある時二十歳になったときか、就職した時か、結婚した時か、子供が生まれた時か、
とにかくいつかある日何処かのタイミングでスイッチが押されて、明確に子供が大人になる。
なんてことは、決してなくて。
どこか子供っぽいところが誰しもあって、100パーセントの大人なんて人はきっといないんだと思うんですよ。
だから、日中真面目に仕事をして、通勤時間や帰宅してから寝るまでのわずかな時間だけでも、子供に戻る時間があって、
それがポケモンでもいいじゃないと。
「いやでも、昔の大人は大人になったら子供の遊びはしなかった」
結局、ある程度年齢がいって、仕事もできている自分を、大人と規定したいだけで、
明確に大人検定や大人点数を図ることができない以上、こんなのただの言いたいだけなんですよ。
確かに、ある種の夢オチじみた展開をもって、虚構を否定し現実に連れ戻すことも必要かもしれないけど、
実際のところ、そうやって子供時代と大人時代を明確にスイッチできると考える方が、虚構的なんじゃないかなあ、と思ってしまう。
100%大人になって、ポケモンのことをあの楽しかった思い出の中にしまい込んでしまうのは勿体無いと思うんですよ。
確かに、仕事もせず、三十歳近くになって親の金でポケモンをする人生を全肯定することはできないです。
(もちろん、全否定もできないです)
自分の中で、程よいバランスを保って、虚構のポケモンと付き合っていける、
ポケモンという終わらない旅を続けていける、
この「バランス感覚」こそが、ある意味大人なんじゃないかなあ。
そんなことを、つらつらとあてもなく考えてしまうぐらいには、いい作品でした。
ゲーム本編は秋に新作のUSUMが出るし、金銀のVCもありますし、
ポケスペはB2W2がまだ続いてはいるものの、さすがにそろそろ終わりが見えてきたし、
ガオーレは、ダッシュになって、まあ評判は悪いものの続いているようですし、
ポケとるは、映画タイアップのピカチュウ祭りがそろそろさすがに終わって、アローラポケモンの実装が進むでしょうし、
コマスターは、水曜日の大型アップデートで一年越しにストーリーが進むと噂されてるし、
名探偵ピカチュウは、あれから一切音沙汰がないけど本編のスイッチ以降までにはなんとかなるかなあだし、
はねろコイキングは、リーグの先のアップデートがあるらしいですし、
ポケダンはアローラ追加の新作が出るかなあ、スイッチ向けかもなー、とかだし、
ポケランドはオープンベータだかオープンアルファだかでそこそこ好評だったみたいだから、僕も早くプレイしたいし、
とにかく、ポケモンという凄く広い作品群に、また一つ名作が生まれたと思います。
映画館に行こう! 本編のゲームがあればマーシャドーもらえるし、ゲームがなくても、サトシピカチュウのガオーレディスクがもらえるよ! ガオーレはオススメしないけどね!
●3DS
マーシャドー受け取りのために、カートリッジ版のサンとムーンをポケモンセンターまで進めた。
メインはDL版サンもあるので、マーシャドーが三匹ももらえていい感じ。
とはいえ、対戦はご無沙汰。
ポケモン熱は高いので、USUMで復帰しようかな。
いやこれ、ポケとるとコマスターが自分の中でケリがついてのがよくないんだよなあ。
なんかこう、うまいこと自分の中でキリのいい出来事を決めて、ばさっとプレイをやめた方がいい気がしてきた。
○ポケとる
デイリー要素のみ。
ログボのみ。
○FGO
これで残るは礼装とかアイテム系、礼装は同一礼装を重ねた方がいいのかな、この辺の機敏がまだよくわからないや。
スタミナ消費アイテムは、第二部にとっておこうかなあ。
日本のアニメが文化として足りない点は、オールタイムベストが成立しないことだと思っている。
名作ランクでもキャラクター人気投票でも、ゴールデンの懐かしのアニメ番組はともかくファン投票をしたらここ5年以内の作品が大半を占めると思う。
なぜそうなってしまうのか考えると、アニメはたくさん見るのに長すぎる、というのが理由ではないかと思った。
1クールアニメでさえ、一話23分として4時間かかってしまう。
名作とされている、例えば初代ガンダムのTV版を見るには43話なので約16時間半(ガンダムは劇場版があるけど)。
自分はかつて富野アニメフリークだったのでザンボットとかイデオンとか色々見たけど、ふつうの人はそんなことしない。
それに新作アニメをチェックしていたら旧作を漁る時間なんてないだろう。
そんな、どの作品もやたらと長いアニメというのは、小説で言うとグイン・サーガとかペリー・ローダンに似ている。
熱狂的なファンはいるが、万人に受けないどころか、そのジャンルの愛好者でも相手にしない者は多い。
その流れでマクロスやメガゾーン、ぴえろ魔法少女や首藤剛志脚本作品など80年代アニメを追ったのだが、
大学のアニメーション愛好会に行ったら、アイドル天使ようこそようこと言って誰にも通じなかった。
文学愛好家なら必ず抑える小説があるし、映画愛好家だって、自称するならば押さえたい作品はあるだろう。
はじめにオールタイムベストが成立しないことが問題と書いたが、
アニメの問題は愛好家に、時代を追う、批評家意識がないことだと言い換えても良い。
アニメ オールタイムベスト で検索して出てきた2011年のTIME誌掲載ランキングでは、
http://www.allcinema.net/prog/news_details.php?NsNum=6003
まあ、劇場用長編を前提で考えると、宮崎・押井・大友・今敏、あとは今後細田くらいだろう。
日本のアニメがこれまでテレビアニメを前提で来てしまった以上、
金田伊功を送る会
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去る7月21日、心筋こうそくのため死去した金田伊功(かなだ・よしのり)を送る会が開催されます。日本のほとんどの(著名な)アニメーション関係者が参加する予定です。 故人の活躍の幅広さと功績の大きさを実感できる催しにしたいと思います。 業界関係者だけでなく、一般の方の参加も歓迎いたします。
開場=18:30 開式=19:00~21:00
入場無料 ※但し、入場券(座席指定)が必要です。
会場 杉並公会堂大ホール 定員1,200名
入場券(座席指定)が必要です。当日は配布いたしません。
参加ご希望の方は下記よりお申し込みください。
締め切りました。
会場には消防法により規制される定員がございます。定員に達し次第、参加を締め切ります。
参加資格は特にありませんが、お子様、特に5歳未満の幼児は入場をご遠慮下さい。
締切り:定員になりしだい締切ります
発送:8月24日すぎに到着するように入場券を発送いたします。
当日の催し:関係者によるスピーチ、代表作の上映などが予定されています。
平服でご来場ください。アニメーターのふだんの格好で良いという意味です。短パン、Tシャツでも良いのでは。アロハはどうでしょうかねえ。もちろん弔意を表すスーツ姿でもけっこうです。
主催:有志一同 共催:アニメーション制作各社一同 事務局:アニドウ
協力:日本アニメーター・演出協会、他
ご質問はなるべくメールでお寄せください。
入場券の申し込みはメールでは受け付けられません。
発起人 ※順不同/敬称略 7/31更新
高林久弥(日本アニメーター・演出協会世話人)
黒沢守(スクウェア・エニックス・コンテ班)
上妻晋作(スクウェア・エニックス・コンテ班)
芦田豊雄(日本アニメーター・演出協会 代表)
宇田川一彦(日本アニメーター・演出協会 副代表)
松元理人(トムス・エンタテインメント専務取締役)
原康晴(コロムビアミュージックエンタテインメント代表執行役社長兼COO)
http://www.style.fm/as/05_column/shudo158.shtml
シナリオ えーだば創作術??誰でもできる脚本家?? 首藤剛志
>12月16日(引用注:1997年・「でんのうせんし・ポリゴン」放映の日)のことは今でも覚えている。
>僕は、その日の『ポケモン』を仕事場のプロジェクターに接続したビデオに録画していてまだ見ていなかった
>出ると男の声だった。
>「ざまあみろ。あはは」
>それだけ言って電話は切れた。
>何の意味かよく分からなかった。
>いたずら電話にしても、男1人の仕事場に電話をかけてくる男はいないだろう。
>間違い電話かとも思った。
>夜の11時頃、妻から電話があった。
>「今、東京の妹から電話があって、『ポケモン』が大変な事になっているけど、知っている? って」
>「え?」
>「今、ニュースでやってる」
当時のポケットモンスターは、火曜日夕方6時半からの放映だった。
この事件が報道されはじめたのは当日の何時頃だったのかは、ハッキリとは覚えていないが、
自分が第一報と接したのは夜9時か10時のニュースあたりだったように思う。
というのは、腰を落ち着けて内容を知ったのが帰宅後のニュース23だったこと、
その時点では、録画したビデオを視聴しておらず、
(結局、その日のうちに視聴はしたが、肝心のシーンでは終始目を背けた)
さて、この怪電話の主。
首藤剛志氏の仕事場の電話番号を知っているというのだから、薄気味悪い。
そこに仕事場の番号を載せているとは思えないからだ。
一体、どんな立場の男なのだろう。
自分が火の粉かぶって大やけどの時に、被害がどんどん拡大しているその夜に
怪電話かけてる心的余裕があるとは思えない。
たった一言とはいえ、声で身元が判明してしまうかもしれない。
こんな電話をかける卑怯な人間は、そんなチッポケなリスクすら怖がるだろう。
…………どういう理由でそうなっているのか知らないが
脚本家というのは、徒党を組んでいることが多いようだ。
(ビートたけしや石原裕次郎のように、芸能人でもよくある話のようだが)
ソロで活動しているように見える人でも、一皮剥けば「××さんの弟子」だったりする。
演出や作画のように組織に属することから業界に入るのではなく、
誰かの紹介で仕事をもらうからかもしれない。
その誰かが脚本家ではなく、監督やプロデューサーだったとしても、
その監督・プロデューサーにとって使い勝手のいい人達と常に組むことになるからだ。
徒党を組んでいる人種から見れば、うちの親玉こそが業界一の脚本家だろう。
その親分が関わっていない、否、
偉大な親分を首領にいただく我々の誰一人関わっていない「ポケットモンスター」が
飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットしているのは、
面白くない事だったりするのかもしれない。
…………もしかしたら、首藤氏本人にも、心当たりはあるのかもしれない。
わかっちゃいるけど、大人のお付き合いがあるので、
あえて気づかないフリをしているのかもしれない。
…………なんだか、脚本家の世界というのは、ずいぶんとしんどそうだ。
顔を合わせるのは新年会&たまの飲み会、何かの機会の合宿だけの
ライトノベル作家の方が楽しそう。
……実入りは少ないのだろうけど。