はてなキーワード: 顰蹙を買うとは
単純に、親は子供の同意を得ないで勝手に産んで勝手に育てている、という批判は事実で反論できないと思う。
あり得ない思考実験だが、
「私は、他人を私と配偶者の遺伝子を持った赤ん坊に変える魔法が使える。この魔法で大人のあなたを私の子供に生まれ変わらせて育てたい」
と判断力のある他人の大人相手にお願いして、YESと言わせられる人間がどれだけいるだろう?
子供がどんな障害を持って生まれてきても、学校や仕事で挫折して引き籠りになったとしても、一生遊ばせてやれるレベルの金持ちでなければ無理ではないだろうか。
ほとんどの他人の大人が同意しないであろう契約を、自分の子供だからといって押し付けていい理由は無い。
というわけで、自分は出生は親の子供に対する罪悪と主張する反出生主義者に賛成だ。
では、どうしてお前は子供を作ったのかと言われれば、これはもう完全に自分のエゴで、子供や孫のいない老後は厳しいという理由からだ。
仕事で色々な年寄りを見てきて、特に男は、仕事を引退し健康も失って妻にも先立たれたり離婚をしたりして身寄りのない年寄りになってしまうと悲惨だということに気付いた。
ちょっとした役所や病院の手続きにいちいちつまづいて、公的な援助や病気の治療を諦めて引き籠ったまま孤独死したり、それなりの資産があっても宗教や詐欺のカモにされたりする。
逆に子供や孫がいる年寄りは、「いやいや、お恥ずかしい」と言いながらも、定職に就かない中年の子供や留学費用をねだる孫のことを幸せそうな顔で語る。
反出生主義がアイデンティティーになってしまったような人でなければ、子供を作って、子供にも孫を作らせた方が、幸せになれる可能性が高いと思う。
もちろん、こんな理由で子供を作ったことは子供本人には言わないし、顰蹙を買うのはわかっているから公言もしない(インターネットで全世界に発信してしまっているが)。
なまじ作画が良い分下手に批判すると一部のファンから顰蹙を買うし、
ぶっちゃけここの制作会社の脚本には苦い思い出しかないから覚悟はしていたが
まさか原作のテーマのようになっている部分をカットして蛇足のアニオリをいれるとは思わなかった。
この原作マンガ、初期は打ち切り濃厚だったこともありかなりテンポが良くそこがまた面白かったのに、作画を見せ付けたいがためのなぞ描写が追加され矛盾が生まれたり主人公がサイコパスみたいになっている。
そのストレスを解消するために、考察勢が沸き立っている某アニメを視聴してみたんだが
ちなみに自分はいわゆるクソアニメも嗜むが、微妙なクソアニメが一番見ていてしんどくなる。
微妙なクソアニメはファン同士の対立を生むのでいっそとんでもない方がオタクとしては楽だ。
ちなみにクソアニメも一概には言えないので作画抜きの触れ幅だとダイナミックコードからは?王とかスマホ太郎まであるんですけどね。
まああそこまでクソだと大抵の人間が苦言を呈すのでファン同士の対立は殆んど無くて逆に楽だと思いました。
ダイナミックコードはまあ奇跡のハーモニーですね。原作ファンの方々にはいつも申し訳なく思っています。
今回の件については大方把握しているつもりなので今回筆を取りました。問題点を纏めていくので長くなると思いますが、お時間御座いましたらお付き合い頂けますと幸いです。
ただいまTwitterにて物議を醸している「ABアンソロにCA描写が混入された件」についてですが、些か情報が独り歩きしてるように思えます。
まず最初にこのアンソロにCA描写が混入されていたと愚痴を漏らした方がいる事は皆さんご存知だと思います。ですが、彼女は「別CP描写があるのなら記載をして欲しかった。それなら手に取ったりはしなかったのに。」こう嘆いていただけです。
口汚く罵った訳でも、返金しろとも言っていません。また、問題のページを晒したのも彼女ではございません。
これを勘違いし、愚痴を漏らした方を袋叩きにしていた方がいたのを遠くから見ていました。
この方はただ、注意書きも何も無かったアンソロを手に取り自分と同じように悲しむ人が増えないようにと愚痴と一緒に注意喚起をして下さっただけです。
何も調べもせずこの愚痴と共に注意喚起をしたアカウント=画像を上げたアカウントと同一視していた方も多く見ました。意見をするのならまず物事の本質を理解してからにしては如何でしょうか。
次に、このアンソロの問題点は「ABアンソロ」である事です。ABアンソロと書かれていたのならAB要素しかあるはずがない、普通にそう思うと思います。イベント中通路にて通り掛かっただけの私もそう思っていました。
『現在Bと付き合ってるAは昔石油王のCに飼われていた。「綺麗になったな。Bの代わりにお前が戻ってこないか」Cにそう言われたAは「貴方には遊ばれて捨てられた」と発し、Bに近付くなと牽制した後「昔はあんなに素直で可愛かったんだってBが知ったらどう思うんだろうな」と言うAのモノローグと共に首輪に繋がれた若い頃のAが裸でCと抱き合いキス寸前という絵(アンソロの告知アカウント曰く"美しいイメージ")でその漫画は終了となっている。』
文面に書き起こしてみたものの、このような内容をABアンソロの中で描かれていた事自体理解に苦しみます。
当漫画の作者はこの内容は万人受けしないことは「またまた地雷の人がいるかもですね」と発言(現在ツイートは消去済)しており、本当だったら注意書きをしなくてはいけない事も理解していたであろう事は明白です。
また、注意喚起をしたアカウントの方やジャンル内の者が返金を迫ったと勘違いした方がいらっしゃるようですが事実は違います。
アンソロの告知アカウントで「返金対応を検討致します」と記載していただけで、実際に返金対応が決まった訳でもありませんし同情的に「返金してあげて欲しい」と言っていた人はいましたが返金しろ!なんて威圧的に声を上げていた方はまずいらっしゃいませんでした。
CA混入に関しての弁解や返金対応を検討するなどの文面も共催の方が上げたものであり、聖地での同人イベントに赴いた主催の方はずっと黙りというのも如何なものかと思います。(3月6日現在の話です)
それに加え、同一記事内に未成年(中学生)に売り子はさせていない。運搬作業を手伝って貰っていただけとの文面がありましたがR18本頒布サークルでは未成年の同席、立ち入る事も禁止されています。
こちらに関しましては赤ブーサイトの初心者FAQ「サークル申し込み その他・全体」の「高校生以上のものが代表者となり、中学生を引率して参加することは可能でしょうか」という欄に書いてありますので是非目を通してみて下さいませ。
そして当ジャンルの方では無い、少し発言に影響力をお持ちの御方が固定は自衛しろ!地雷があるかどうか立ち読みで確認しろ!と仰られた方もいらっしゃるようですね。
実際春コミに赴いた立場からすればそんな事はまず不可能です。400ページもあり専用の箱に収まっている本から、あるかも分からない要素を探し出すのに一体どれだけの時間が掛かるのでしょうか。
漫画も小説も込みのアンソロです。ただでさえ壁もそれ以外のスペースも混雑していたABスペでそんな事をすれば顰蹙を買うに決まっていますよね。
それを出来るだけの図々しさをお持ちの方は是非確認すればいいと思いますが、ただでさえ満員電車かと言わんばかりの混み方をしていたABスペでそれをやるのは私はお勧め出来ません。
また今回はABプチオンリー開催という事もあり、ABアンソロジーに期待していた方も少なくはないと思います。そんな中アンソロジーにCA描写が、何も注意書きも無く混入していたら愚痴を言いたくなる気持ちもわかりますし、同じAB好きに伝えないと注意喚起をする気持ちもお分かり頂けると思います。
それに純粋な疑問なのですが、どうして「CA描写があります」という9文字を付ける事を怠ったのでしょうか。
この漫画の作者様が仰っていた言葉通り、この内容はABが好きな人には正直受け入れれないものだと思います。作者様側やアンソロ参加者の皆様を守る意味合いとしても、この労力は怠ってはいけなかったものだと強く思います。
これらは40人もの大人数で作り上げたアンソロです。他の参加者である作家様達が締切までに頑張って書き上げたものを台無しにしたのは地雷だなんだと騒いだ固定なのでしょうか?
確かに、絶対に悪いとは言いきれませんが簡単な労力すら怠った側に非が無い訳がありません。だってその注意書きがあれば苦手な方は避けられますし、このような騒ぎには絶対にならなかったのですから。
そうすれば作者様方も懸命に生み出したであろう作品達も守れたはずであることを理解していない人が多過ぎると思うのです。
この件が発覚した後も暫くはTwitterのアンソロ告知ページにはモブAのタグも注意書きも無く、有志の方がタグ付けをして下さったと聞きました。
それを記載する事が、アンソロを頒布する側に何か都合が悪い事でも起こるのでしょうか。
アンソロは作者達が好きに作るものだ!買う側の意思は関係ない!そう仰るのでしたら、尚更棲み分けの為にもタグ付けや注意喚起をしっかりなさって下さいとしか此方側からは言えません。
そして当の注意喚起をしたアカウントの方ですが、謂れもない誹謗中傷を受けジャンルを離れてしまいました。
こんな後味の悪い結果を迎えてもまだ、自衛が出来てない固定が悪いと声を大にして仰る気持ちがおありですか?
人を不必要に責め立て、攻撃する前に今一度冷静になり事実を確認する事が大切だと思います。
もちろん、私の記事だけでは信憑性に欠けると思われる方も多いでしょう。また固定派擁護が喚いてるよ程度にしか思われないかもしれません。
しかし一方の意見だけを鵜呑みにする事ほど愚かな事はありません。どうか、多方面から物事を見つめ本質を見極めてから発言して下さいませ。
単に相応しくないというのとその判断が出来てない事の問題であるのに環境型セクハラなんて言葉で間接的に自身への被害を主張するのは気持ちが悪いです。
あなたが女性でないならセクハラという言葉をダシにした男性オタクへの嫌悪感の発露でしかなく同じく自身の嫌悪感にセクハラという言葉を利用する点が気持ちが悪いです。
これが少女写真なら、なんて言っておられますが少女写真だったとしてその問題の焦点が女性へのセクハラだなんて言う人はどこかおかしいように思います。
その場合どう考えても問題は子供の人権の範疇のものであり、その大きな何より優先すべきものを前にしてハラスメントを理由の中心に問題提起するという異様さは自身で疑問に思われなかったのでしょうか。
その例はイラストで死体が描かれたポスターに対して実際の人間の死体がそこにあったら問題だろう、皆嫌だと思うだろう、というようなズレたものです。
法的に倫理的問題性を提起し得るものを挙げているのにその問題の中心を個人に与える主観的不快感に据えて論じるのはいささか自己中心的に過ぎますし常識を疑います。
そしてその法的な問題と法的には問題が無い部分での許容されるかされないかの話が然も比例するかのようにやるのもわざとなら逆に自論への自信の無さを感じ説得力を削ぎますし気付いていないなら混乱しているように思います。
壇蜜のCMも問題はお茶の間に相応しくない表現であるという話で彼女のキャラクターや彼女がやっていた過激なグラビアからの自己プロデュースが女性へのセクハラの一旦であるから、という話ではないです。
また未成年の児童ポルノ的搾取や男性向けの完全に一から作られた理想像的女性像と彼女のようなある程度自己の責任においてセクシャルさを滲ませている女性をそのキャラクター性で起用したCM等を混同するのはそのような性的にオープンな女性への差別であり女性は性的なものに対してこうあるべきだ、という旧時代的な役割の強制です。
それをセクハラ、と定義するのも本来主観的なものであるハラスメントへの価値観を女性全体に強いる女性の性的許容度の幅を一視点で決め付け無視した全体主義的で短絡的なステレオタイプ的発想です。
媒体や時間帯に相応しいかどうかとその対象自体の問題は全くの別の話です。
私はこの起用はパンツでも水着でもズボンでもあなたと同じく相応しくはないと思います。
私は現実に存在しない少女のキャラクターには抵抗も嫌悪感もありません。
なぜなら二次元の少女や女性は現実の女性とは全く違う存在だからです。
児童ポルノは吐き気がしますしもっと厳罰化してもいいと思っています。
個人的にはアイドルという免罪符で未成年の特に義務教育修了以前の少年少女の商品化において露出や仕事内容を規制すべきではとも思っています。
ですがアニメや漫画のキャラクターの性的さについて内容の必然性に関わらず女性向けの作品における男性の扱いと同じくそれが女性の権利を侵すものであるとは全く思っていません。
アニメ自体もある程度知っていますが内容が例え全編シリアスで所謂男性向けと言われる描写が全く無かったとしても放送されていた時間帯からして、加えてその放送時間に合わせた明らかに意図された性的さを含むキャラデザとしても公的な機関による人目に触れる範囲の起用は相応しいとは思えません。
それが深夜アニメ視聴層が主な対象者であるイベント等で期限付きで限定的に掲示されるものであるというなら別ですが。
次いであなたは露出の面で異議があるようですが露出それ自体は問題ではないかと思います。
これが攻殻機動隊の少佐であったなら露出度は変わらずともここまで問題視はされなかったはずです。
そしてまたこのような少女的にデフォルメされた絵柄の成人女性は作家の性別を問わず存在し、もし作中の少女達が成人女性という設定であってもこの問題は起きていたように思います。
あなたがやられたように現実の女性で表すなら幼い顔つきの成人女性写真なら、という話になりますが当人の人間性や選択、実年齢でなく見た目による年齢でもって、前述した攻殻機動隊のように例えばしっかりした歳相応の顔立ちでモデル的な体躯の女性では同じような露出度で性的さや倫理性の面で問題がないとされる事を幼い顔付きの女性がハラスメントという視点で語られるのであればそれは顔つきによって制限を強いる差別意識によるものでそれこそ嫌悪すべきものですがイラストの場合は違います。
現実ならば成人しているかどうかが焦点になるのも当然ですが二次元の絵は現実の女性ではありません。
問題は少女であるという部分や露出度自体ではなく深夜帯に放送されるアニメに沿ってデザインされた性的さを伴うキャラクターデザイン、という部分です。
ドラえもんやのび太達と共に水着姿のしずかちゃんが描かれた海水浴のポスターがあったとして、それが税金によるものだとしてもこんな風に問題視はされません。
そんなアニメCMが流れたとして壇蜜のCMのように問題になりますか?私はそうは思いませんし実際そうはならないでしょう。
あなたは少女の露出度合い自体を問題の核のように壇蜜の明らかな性的さと並べていましたが、ワカメやピノコが下着を短いスカートから覗かせる姿は同じ性的さを伴うものでしょうか。アトムの露出度はそれ以上ですが問題ではありませんか?
同じようにレジャー施設のCMで楽しく遊びはしゃぐ水着姿の女児や男児は肌の露出度という面では変わりませんがいかがでしょうか。
また少女漫画誌の夏号での少女の水着姿が描かれた表紙やポスター付録を女性へのセクハラだと捉える人がどれ程いるでしょうか。
少女の性的さが描かれる事が女性全てにおいて一律にセクハラの定義だとするのならバルテュスは公的に所有されている美術館では展示すべきではないのですか?
あなたは少女である事や露出度について一線を越えたと表現されているようですがそれではそれらは筋が通りません。
繰り返しますが、問題は税金で深夜帯用に性的な意図を持ってあつらえられた見た目のキャラクターを起用した、その1点です。
また、これがもし成人女性で、明らかに成人しているという見た目のキャラデザで絵柄も一般的なアニメと変わらず衣装も性的でなく露出が少なかったとしても、成人向けゲームで著しく性的な役目を持つキャラクターであれば、それが税金でもって多数の目に触れる場へ掲示されるのであるならそこに問題があるのは明らかです。
ですがよく知らなければただのきちんとした成人女性のイラストです。
少女でなく露出もなく性的なものを連想させる絵柄でないから問題ない、としますか?
それもそのキャラクターが女性へのセクハラだから問題なのではありません。
ハラスメントは主観的な概念であり、性的なキャラクターだと気付かなければ嫌悪感は抱きようがありませんし、イラスト自体そのものには何ら問題はありません。
そしてまた上述したように少女であっても露出度の面でもキャラクターによっては税金での起用も問題にはなりません。
そこで考えるべきなのはただ公の場に税金で起用する媒体のものか、という問題なのです。
キャラクターの持つ性的さへの意識の低さ自体、それが問題なのではと思っておられるのかもしれませんが、それも違うかと思います。
例えば峰不二子は露出如何に関わらず性的なアイコニックさを存在として含むキャラクターであり、その起用は知名度としてそれをも加味したものなのは明らかですが、ならばそれは意図されたセクハラにあたるとされるのでしょうか。
問題は媒体による特徴的方向性の一般的な許容度の差への意識の低さです。
許容度とは単純に知名度と個々の主観の集積であり実際の客観的性的さの度合いは関係がありません。
実際峰不二子は多くの少女、女性キャラクターよりも露骨な性的さをもって描かれています。
そしてゴールデンタイムでの峰不二子であれば許容される性的な表現も知名度のない深夜アニメの女性キャラクターであれば同じ時間帯でそこに印象の差が出るのは明白です。
それが許容度の差です。
そしてそれはハラスメントが客観的な性的さで定義されるものではない、出来るものではない、という事でもあります。
峰不二子自体は実際のところ成熟した大人の女性とはかけ離れた少女性が前面に押し出され、そのような感性でもって同時に性的である、というある意味一部の方が口にする男性に都合の良いキャラクター像ですが、広範囲のメディア露出による知名度によって逆に印象の部分的鋭角化が起こりそれが許容度に影響しています。
攻殻機動隊なら、と書きましたが少佐も原作での性的さがアニメの知名度に押されている例です。
ですから性的さ自体、またその対象の実際のキャラクター性自体への印象はそのまま許容度に比例するものでもありません。
一切性的な要素がない役回りだとしても成人向けゲームのキャラクターであるなら顰蹙を買うように内容やキャラクターの性的さは必ずしも直接的に問題に繋がるものではありません。
BPOが深夜帯のアニメへの子供への影響に関してのクレームに苦言を呈しているように深夜帯のものは深夜だからこそ許容されている部分があるからこそ逆に人の目に触れるのであれば気を付けるべき事があり、あのキャラクターデザインはまさにその部分の象徴のようなものです。
海外のアイコン的スーパーモデルの方は男性誌と女性誌で同じ水着姿でも表情やポーズを変えていく、といいます。
露出度やその当人自体が問題なのならそこに差は無いはずですが実際は媒体により、求められる印象によって差を持たせている、というのです。
腕で胸を隠したようなマタニティーヌードも女性誌とAVパッケージでは公での許容度は全く違うものです。
そして深夜ノリをそうだと理解できていないバランス感覚の無さ、許容度、拒絶感に対しての意識の低さ、それらの問題と露出度、年齢による倫理的適当性も別の話です。
許容度が高ければキャラクターに性的な要素があっても問題の声はあがり難く、また少女の水着姿、下着が露出した姿でも倫理性を問う声は大きくならず、逆に性的な面での許容度が低い媒体であればどれだけ性的さを削ごうと問題視は免れない、というのは少し考えれば分かると思います。
また現実とフィクション、絵では何もかもが変わって来るというのも常識で考えれば分かる事かと思います。
加えてそれが税金で行われるかどうか、もそうです。税金で無ければ許容度が跳ね上がるようなものは山ほどあります。
だからこそ私は税金での起用が相応しくない、という表現をしています。
そこを全て混同し、または混同させるように現実の少女に対する倫理性を問題としてすりかえる事で主観である自身の嫌悪感に客観的正当性を付与しようとするのは人の我が見えるようで違和感しかなく気持ちが悪いです。
女性側の無自覚な受身投げっぱなしな姿勢も原因のひとつな気がする
役割への旧世代的な根強い意識は同性による偏見意識の問題として挙がるけど、問題意識があってアンテナはってるような今の若い子でも権利は勝ち取りに行くのじゃなく享受できるようになるまでただ待つものって無意識に言動に出てるの結構見るから
頭のどこか深いとこに世の中男性社会で男性に決定権があるから女性は前に出ないってそういう事を自ら認めてるとこがあるようなそんな感じ
どうせ女性じゃ何も出来ないんだから男性が全てやるべきでやってくれないなら現状維持しかないと思ってて愚痴や不満こぼして溜飲下げてるっていうか
要望だけ伝えて待って無理なら受け入れるしかない、不公平だって考え方
自分で男性優位に思考を傾けてるのに洗脳状態に近いのかすりこみなのかその自覚がない
自分の問題なんだから言動にはどんなものでもそこに責任はのるものなのに男性側がそれも負うのが当然て感覚
昔は男性側が責任負う代わりに女性は権利も男性側に預けて(奪われて)たけど
その状況から脱する事、変化を望んでるはずなのに自分の言動への責任感が薄い
大人なら女性側も選択して状況を判断して行動を起こすか起こさないかの決定権は皆持ってるしそこに責任も伴う
配偶者やパートナーへの意識格差への不満はよく聞くけど、それなら解消のために行動すべきなのに多くが要望を提出してそれが通らない事に怒り嘆いてるだけのように見える
それか夫婦は平等な立場なのに、となぜ相手が変わる事に自分が苦心しなければいけないのかと憤ってるか
望んでも変わらない自ら行動を起こしてくれない相手を自分が選んだ事、その関係を維持してる、または関係が破綻した場合とを天秤にかけて維持する事を選択しているその責任の存在を理解してない
子供や金銭面や人間関係や環境が行動を制限させる、出来ない、というのも聞くけどそれはされる、出来ないんじゃなく自分自身でメリットデメリットを考えて制限し、やらない事を選んでるに過ぎないから(暴力なんかの問題は当然別)
そういう意識が薄い
もし生活する上で権利と義務に対する価値観の違う人間と共にいる事を受け入れ一定の環境の維持を望むのだとするなら、平等な権利を主張できる状況で相手に変化を求める上で、不平等を訴え相手を変えさせ自分が理想とする環境を手に入れるためそれを口に出す事、そこへ向けて行動する事が必要になるのは当然で
昔から男性側は当たり前にやっていて、それは自分が言ってやらなきゃ分からない言えば思い通りになるだろう、というような蔑視的なとこからだから権利を平等にする自立した他者への視点とはまた違うんだけど
その高慢さのような"別の人間を変える事"に必要な一種の当然の労力の存在への理解が足りないように思う
環境が変わるのを自分を哀れんでただ待って、夫が言っても変わってくれない酷い夫だ男は酷いなんてただ言うだけなら、夫ったら酷いのよ、と鬱憤を隣の奥さんと愚痴って家ではそれはそういうものだから仕方ないの、って言ってなあなあに問題のある男性達を増長させて来た旧世代とかわらないし問題意識がある分余計に根が深いように見える
なぜ相手を正すのにこっちがいちいち、という憤りはまるで、言わなくても自分で理解して気を回して変わるものだ常識を考えろお前は何も知らんのか、なんてそれこそ上の高圧的な男性達よりもっと酷い旧世代の悪しき男性像のマインドそのものだし、そんな傲慢さはもう今はどんな人間関係にも必要ないし、平等さじゃなくそういう男性の立場を自分が求めてる人なのかなと思ってしまう
それともそういう傲慢な人間同士で平等に殴り合い罵り合いがしたいのか
家事育児参加(家事と同グループに育児を入れる事も参加って使い方も好きじゃないけど)の第一歩に簡単なものから教えて手伝って、やった仕事には感謝して、というようなのも、中には表現によって違うんじゃないそれはと思うものもあるけど自分がそういう相手を選んだという責任の下で大筋は極々普通の事で
自分が望まずかもしれないけど少なくとも一旦は受け入れた労働の不均等の是正のために負担を共通のものとし、と始める折にノウハウがある方がそれを伝える事、出来なければ手を貸して、労わり合い、負担を共有するなら相手が成した事は自分の負担の軽減でもあるのだから共に感謝を、なんて人として本当に当然の事に対して、なぜ謙らなければいけないのか、と憤り、立場が平等だからこそ必要な、男性側だけでなく多くに求められる相手への敬意を、甘やかす事だ、単なる隷属だというように捉えて何で自分がと嫌悪する姿はまるで近年顰蹙を買う居丈高な夫よりまだ旧時代的で
それが女性の平等な権利の主張、理想の立場だと思っているのだとしたら頭が痛くなる
そういう男性が今非難されるのは、人として当然の敬意を欠いた言動が時代による権利の優越性で許されていたのがそうじゃなくなって来たからで、男性だから、ではないのに女性から男性へ矢印が向けばそれは許されると思うのはどういう感覚なんだろうと思う
ものを望むなら行動を起こさなければいけないし、相手に変わる事を望むなら相応の行動が必要で、ただそこには人としての敬意でもって臨むべきで
権利のバランスを平等にとるために必要なのは男性がそうあったような人としての当然の敬意を女性にも勝ち取る事であって、女性の立場や女性自らのその意識が何も変わらないままで男性の権利を奪う事ではなく、また公平な権利であるとした時に問題になるような立場に女性だからと許される状況を作る事でもないし、そんな考えで権利の平等化に現実的に必要不可欠な男性側の意識改革なんてなせるわけないのに
それじゃただの悪政を敷く王の首の挿げ替えでしかないんだからそこに大義も平等を訴える正当性もない
女性が声をあげ行動に移すっていうのは男性に判断を仰ぐって意味でも、女性を虐げて来た男性そのままになり代わる事でも、行動しない責任を男性に押し付ける事でもない
色んなものを強いられて、奪われて、虐げられて来たんだからこそそうして来た男性が行動すべきだって声も聞くけど、男性が悪いのにどうして被害を受けて来た側が、男性が何もやってくれない、お前らが変われよと何もしないまま言ったところでそれまでそうやって生きてきた大人が変わるわけないし、その結果女性が何も得られず、それでそんな問題の象徴のような男性は何か困るのかって話で
本当に丸投げで変わるならどこの国のどの時代のどの女性もストもデモも権利を得るための暴言吐かれながらの運動も何も必要なかったはずで
女性が行動しなければ、行動してもまだ変わらない男性の傲慢さ理不尽さの話とそこから権利を得るために、守るために必要なものとその責任は別の話だから混同すべきではなく
そういう男性がそうなった事、旧世代の女性にしても個人個人にその責任は求めるべきではないし、暴言を吐いたり自分の事ひとつまともに出来ないのはその男性当人の責任で、そんな環境に望んでもいないのになってしまった、それ自体にも女性の責任はない
ただそれを維持し続けるという何かしらの選択を日々している今の自分への責任はある
どうせ何も変わらない、何で自分がと行動しないのも何を思うのも自由だけど最低限それは一人の人間の責任において状況を判断し、そうする事を選んだんだって意識は持つべきで
そうじゃなきゃそれは自分で自分が庇護される幼い子供のように一人の人間としてその行動に責任が生じない程度の存在だと認めてるようなもので
そういう責任の区別への意識と自身への責任意識の有無が女性の生きる上での権利や負担に影響してもいるように思うし
それは女性の自尊心が関わる話で、時代や過去の扱いも関係してるものだから、責任意識の薄さそれ自体への責任も無いんだけれど
無いんだけども日本における意識格差問題の一旦にはやっぱり思える
難しい
Twitterで言うとデレステ騎士団という名の運営担当Pから
「運営も慈善事業じゃない」「努力が足りない」「愚痴ってないで要望投げろ」と粛清されるので。
どうしてほしい、考えを改めてほしいという意見ではなく、こんな考えを持った人間もいるというだけの話です。
はっきり言って今のデレステ運営はクソだ。肥溜めを丸ごと煮詰めたがごとくクソだ。
先日、星輝子の恒常SSRが追加されたが、輝子P達はSSR追加を2年待たされたのだから用意されるのは恒常より格上の期間限定SSRだと思っていた人が多かったように見受けられる(自分の目に入る範囲ではあるが)。
総選挙は常に50位圏内で結果を残してるとはいえ担当贔屓の戯言に過ぎないため限定かどうかはこの際置いておく。
問題はその際のカード名が[individuals]である点だ。individualsといえば早坂美玲・森久保乃々・星輝子の3人による人気ユニットだが、このカード名はが意味するものとは少し前にデレステを騒がせた「[P.C.S]五十嵐響子」と同じ、「アイドル一人ひとりの個性に合わせた特別な衣装」ではなく、所謂ユニット衣装を身に纏ったSSRである。
アイドルがユニット衣装を着ることは悪いことではない。「ちょっと待って無理尊い」とか言っとけばそれっぽくなる。
ただ、デレステにはドレスショップという主に過去のイベントで登場したユニットの衣装を有償スタージュエルで購入出来る機能がある。
[individuals]も[P.C.S]も過去にイベントで新曲を披露したことのあるユニットであるため、当然ドレスショップで販売されるものと大多数のプロデューサーは思っていたであろう。
だが、運営はドレスショップ機能ではなくガシャで引いて衣装を入手してくれと提示してきたというわけだ。
先日は[羽衣小町]という小早川紗枝、塩見周子の2人から成るユニットの「[羽衣小町]小早川紗枝」が恒常SSRとして追加され、その後立て続けに「[individuals]森久保乃々」が恒常SSRとして追加された。「[羽衣小町]塩見周子」「[[individuals]]早坂美玲」も時間の問題である。
これは完全に運営としてはドレスショップを活用せずに利益を取りに来たということだ。
ユニット衣装は細かい部分こそ色合いやアクセサリーの一部が異なる点を除いてデザインが共通しているため、新しくデザインを考える必要が殆ど無く、加えてモデリングも流用出来ると推察できる(デレステの場合衣装毎のモデリングでなく首から下を個別で作るという手間のかかる手法を取らざるを得ないので一概には言えないが)。
あまり手抜きという言葉は使いたくないので、SSRの衣装を3着考えて作るよりは似たような衣装を3着作ってガチャにぶち込んだほうが楽なのは間違いない。人気キャラともなればガチャもそこそこに回って売上も確保できるだろう。
そして今後も楽をするために[トライアドプリムス]や[ポジティブパッション]等のユニット衣装を制作するだろう。ドレスショップで小銭拾いをするのではなく、ガチャ産衣装として。
正確に数を数えているわけではないが、心なしか今年に入ってからのデレステ発の新曲イベントで登場するユニットは2人ユニット、3人ユニットが多いのも、ドレスショップを使わずにガチャ産にするためだろう(5人ユニットは流石にドレスショップを使わないと今以上に顰蹙を買うと思う)。
作業の効率化自体に悪い事は一切ないが、ユーザーから明け透けになってしまってはそれは手を抜いていると思われても仕方がない。慈善事業じゃなくビジネスなのはわかっているが、信用を失っては今後ビジネスすら成り立たなくなる可能性もあるのではないか。
さて、私の担当は万年総選挙160位辺りを彷徨っているであろう、声無しの中でも特に影が薄いアイドルである。似たような属性を付与され且つ運営からの寵愛を受けている上位互換のアイドルもいる。
ユニット衣装がSSRではなく、ドレスショップでの販売であったのならば、声無しアイドルのSSRが増えていた可能性も捨てきれない。
人気キャラクターの「ユニット衣装ではないSSR」が増えていた可能性のほうが高いものの、今は存在しない世界線の話なのでいくら言っても無駄ではあるが、事あるごとに「スタッフはアイドルが大好きです」と宣う運営に対して異を唱えることは間違っている事ではないと考えている。
私の担当アイドルのSSRを実装することは運営にとって慈善事業だろう。全ユーザーの中で数十人にしか需要がないかもしれないが、声無しアイドルを多数SSR化してきた実績があるのではないか。
年間200億円以上の売り上げを誇り、AppleやGoogleへの手数料、バンナムへのIP使用料を払っても尚有り余る大金は開発費として使用され、結果的にユーザーへと還元されないのか。されるべきとは思ってはいないが、以前のデレステの場合は還元されていたと感じているので、こういった不満が出てくる。
そして運営にも要望という形で何度も問い合わせしている。(結果は決まってテンプレをちょこちょこ変えた見たことのある人も多いであろうあの大げさな文章)
それでもなお改善が見込めないのであれば、その気持ちをTwitterで漏らすことはそんなに悪なのだろうか。運営批判を許さない昨今の界隈において弾圧される声なのだろうか。
担当アイドルの人気が上がらないのは、担当プロデューサーの努力不足だろうか。
努力の欠片もないサプライズボイス等と銘打って運営の動かしやすいアイドルに声が付く現状で、そんな中でもイラストを描き認知度を高め、総選挙でガシャを回し1票でも多く担当アイドルの力になろうと努力しているつもりだが、実力主義の世界では結果が伴っていないと努力不足なのだろうか。
最初の話に戻るが、「運営も慈善事業じゃない」「努力が足りない」「愚痴ってないで要望投げろ」等と弾圧しようとしてくる連中のほとんどは5~6年前ぐらいから元々人気のあったアイドルの担当だ。運営の寵愛を受けた所謂ゴリ押しアイドルを担当している者もいる。
デレステから入ってデレマスの競争文化に馴染むのはいいが、君等の担当アイドルは君等のおかげで今のポジションにいるわけじゃないということも理解してほしい。そして努力している人間に軽々しく努力が足りないなんて言うもんじゃない。
そんなユーザーがTwitterに溢れているから良識を持った、運営に対しノーを突き付けられるユーザーが界隈を離れていき運営の体質が改善されないのであろうか。
全てが正しいと思わない。私の意見を絶対的に肯定しろとも思わない。
しかし、今のデレマスにおいて運営とユーザーが腐りきっていると感じる人間もいるということを否定しないでほしい。
👹
元アイドルオタクとして未だに不思議なんだけど、女性ファンはイベント前になるとダイエットしたり美容院行ったり化粧や服も頑張ってみたりで、現場に行くとめちゃくちゃ可愛い子がゴロゴロいるんだけど男性ファンって清潔感のかけらもない人達ばっかりだし、なんか臭いんだけど、あれなんなの?なぜ?
@piggyme__さんのツイート: https://twitter.com/piggyme__/status/1052774891097751552?s=09
リプを見ていたら、女は目立ってアイドルに見てもらおうとしていると批判的に言う男性が結構いて驚いた。
つまり、男性がアイドルを見に行く時に身嗜みを整える=あいつだけ目立ってアイドルに見て貰おうとしていると同じオタク男子達から顰蹙を買うから汚い姿で行くのだろうか。
つーか男オタクはアイドルに見られてる意識がないから的な主張も見かけるが、度々握手会などで顔をしかめている女アイドルの写真が晒されるのは何なんだよと思う。
アイドルの反応はめちゃくちゃ気にしてるのに身嗜み整えないのは謎だ。
アイドルにセクハラなど変な絡みをするのもオタク男特有の文化だが、男オタクがどれだけ身だしなみや言動や臭いが酷くても、アイドルは笑顔で我慢するのが義務だと思ってるとこもあるのだろうか。
ある日いきなり「離婚したい。子供も嫁さんも捨てて失踪したい」とか俺に相談してきた。
結婚生活円満にしか見えなかったし、小学2年の息子は普通にいい子。夫婦仲だって良い。だから本気でこう相談されたときは心底驚いた。
わけを聞いたらどうやら離婚したい理由は嫁さんとか家庭にはないらしく、父親という肩書そのものにあるようだった。
息子が地元の少年野球チームに加入した半年前から本格的にキツくなったと彼は言っていた。
「チームメイトの父親のこと『パパさん』って呼ぶ文化あるんだよ……俺それがどうしても無理で…本当に吐き気がするほど無理なんだよ。『パパさん』だぜ?のび太の親父呼ぶときのドラえもんかよ」
じゃあ呼ばなきゃいいだろそんなもん。名字にさん付けでいいじゃん。
「いや、俺の詰んでる感の本質はそこじゃない。『パパさん』って呼ばないと『(ああ、こいつ不穏分子だ)』って具合に周りが敵になるんだよ。勘違いじゃなくてこれは感覚でわかる。お前もわかるだろ?そういう無意味に顰蹙を買うやつってあるじゃん。
で、もう空気感だけで『これ合わせないと終わるやつだ』ってわかるときあるじゃん!?パパさん呼び文化もモロにそれだってわかる…」
じゃあパパさんって呼ぶようにすればいいじゃん…。
「うわあああ最悪だよもう。『パパさん』って…気持ち悪すぎる。加齢臭キツくてすっかり老けてるオッサンオバハンがなに学芸会的な世界観作り出してんだよ…なんでそれ言わなきゃ顰蹙を買うんだよほんとさあ…」
まあ内心で彼の言うことはかなり共感できた。
こいつとは小学校以来の付き合いだけど周りには到底理解されない『これは生理的にキツい』ってポイントを俺たち二人に限ってはお互い共有できてた。
だからこそ仲良くなれて20年以上付き合えてこれた。二人とも大学生の頃に発達障害と診断されたときは「ああなるほどな」と納得できた。
「『パパさん』呼びもそうなんだけど、踏んだら絶対にいけない地雷があまりに多すぎるんだよなあ…。学生時代も社会出てからもそういうの腐るほどあったけどまだなんとかギリかわせてた。
『お前なんで彼女作らないの?』って問いに対して『今は欲しいと思わないから』って自由に解答することがたとえ本心から出た言葉であっても許されないのとか、
『有給何に使うの?』っていう上司からの追及に『それ言う義務ありますか?』なんて突っ張らないようにするのとかはまあ嫌々でもクリアできてきた。お約束解答以外は許さない鬱陶しい友達いても密かにフェードアウトして関わらないようにすれば良かったってのもあるし。
でもさあ、子供生まれて地域コミュニティに身を置かざるをえなくなってから、こういう踏んじゃいけない地雷が爆発的に増えたんだよ。少年野球でも学校でも近所付き合いでもそう。
父兄同士の絡みとか茶番演じるの必須だし、演じないとキチガイ扱い出し、逃げられないし、自分の振る舞いが子供にモロに悪影響及ぼすしもう頭が変になりそうだよ。
父兄で飲み会とかカラオケとか超気持ちわりい…グループLINE作って顔文字付きでワイワイ話したり、学校の集まりでいい大人が良い子ちゃんなしょうもない意見交わし合ったり超気持ちわりいよ。小学生に戻ったみたいだよ。地獄だ。マジでこういうのばっかり。仕事よりキツい」
俺には無理だ。
パパさん呼びって謎同調圧力はまあいけるにしても、地域社会で周りとベタベタ付き合い続けてなおかつ顰蹙買わないようにする耐久レースは絶対に無理。一ヶ月でギブアップするだろう。
「お前よく言ってたじゃん。『笑ゥせぇるすまんでよくあるような、上司と社畜が一緒にスナックに行くのに生理的嫌悪感ある』って。結婚して嫁さんの両親と上っ面の会話するのとか絶対に無理とかも。俺が結婚したら気遣って言わなくなったけど。
あれやっぱ俺もそうだよ。大人になっても結婚しても子供生まれても全然変われなかった。そういう感性の持ち主なんだよ結局。だから、地雷踏み抜かないようにするための学芸会的な振る舞いが過酷になっちゃう。
こういう俺みたいな奴は結婚するべきじゃなかった。ましてや父親になるだなんて…もう俺終わりだよ。地獄。ほんと地獄」
奮起を促すような言葉は思い浮かばなかった。思い浮かんだとしても言えなかっただろう。
なぜなら、俺自身、自分のそういう性分をよくわかってて余計な苦痛を味合わない生き方をしてきたからだ。
「まあ無理かなあっていうボンヤリした嫌な予感は婚約したときからずっとあったよ。会社入ったばっかのときだって他の人が味合わないような苦労してきたしさあ。
『挨拶もするし、言われたことやってるのに、なんで雑談に混ざっていかないと敵視されるの?雑談振ってもらったのに素っ気ない対応した、とかでもないのに!?危害加えたわけでも喧嘩売ったわけでもないのに!?』
ってとにかく困惑してたもん。こういう困惑は普通の人はしないんだとさ。やっぱ根っこがズレてるんだよ。そういう人間が人間関係広げたり、コミュニティ増えたりしたらまあ破綻するわな。会社生活だって他の人がしないような苦労してあっぷあっぷだったのに。
https://anond.hatelabo.jp/20180503192028
出遅れてしまったが、野球の話題がはてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。
ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールドを必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー・競馬・クリケット、ウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドでしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。
言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化の問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツで普通である。環境の標準化の問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。
プレイが洗練されているかどうかは個人の主観に拠るところが大きいが、サッカーのシミュレーションや柔道のレスリング化等、野球に限った問題ではない。
某マンガであまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実に殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいえルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?
これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間の無駄な延長に繋がるため。
これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)
打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然と目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーンに目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合、故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである。
しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのものを認定するのは線引きが難しいので、12球連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。
なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者のなかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神の片岡篤史など)。
サッカーの終了間際のボール回し、競馬で勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上短距離で決勝進出が確実な選手は準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。
130km/hのボールが投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒である(リリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定と仮定した場合。計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットとボールの大きさは10cmもないので、130キロのボールと115キロのボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。
プロの打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングでバットを数cmレベルで、さらにコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人が静謐でクリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。
現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手の守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球の醍醐味の一つである野手のファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフトを制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。
喫煙や肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間が活躍するのも、ある種野球の面白さだと思う。松坂大輔や攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい。
野球の不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から「野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球の不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手は野手に文句を言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。
wikipediaの「野球の不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明が必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合の忖度などは無くすべき慣習のように思う)。
つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。
あまり知られていないことだが、実は野球のルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。
MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判のストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。
少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手のスタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルのサッカーやバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供がボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。
野球においては投手が多くボールを扱っているから投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球の面白いところで、投手の負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的な投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近は高校野球でも複数の投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手の負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手の能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手でゲームを支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。
ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通の指標が存在するが、2008年から2017年までのMLB両リーグのトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである。
それやると以前金出して買ってくれた人の顰蹙を買う