はてなキーワード: 額縁とは
昨今、テレビなどの報道で露出狂が増えてきたように思われる。私はこの事態に一石を投じようと合法的に露出できる方法を考えてみた。
AVなど見ていると肛門にモザイクが掛かっていないことに注目した。つまり肛門は性器ではない。唇と一緒なのである。かといってノーパンでローライズジーンズを履き肛門を露出すると公然わいせつ罪になる可能性がある。私はどうやって自然に且つ合法的に肛門が露出できるかについて考えを巡らせてみた。寝食を忘れ思考し続けた結果、私はある一つの方法を考えついたのでここに書き記す。
第三ステップそれを着て街を練り歩く。
どうだろうか?合法的に且つ自然に肛門を見せている。しかも、他者にはただのオシャレなTシャツにしか見えない(たぶん樹木の断面とか)。
応用編としては玄関に飾るというのはどうだろう。白黒で印刷した肛門を拡大コピーし、額縁に入れたら玄関を彩るインテリアに早変わり。
人類の大半が負けた
でも人類の知性なんてしょせんそんなものとわかっただけで良かったじゃない
みんなアホやねん
口尖らして言うてた連中がみな理性を捨てデータを無視して情緒に走った
いやぁ愉快愉快
正確な答え合わせは5年後、10年後だろうが、愚かな行動だったと反省するだろう。
俺は悪くない。
なにも学ばない。
アホやねん
せめてさ、アホって自覚くらいはして欲しいが
それも無理で、期待もしてない。
みな、論理的で正しい行動をしたと信じてる、覆ることはない。
ええねんええねん
人類なんてその程度の生き物です。
ワクチン打て打て言うてた連中にも
やはり怒りもしない、アホ相手に怒っても仕方がない
思いとどまり保管しておいたのは俺の彗眼。
この秀逸なコピペを添えよう
>国語を勉強していれば接種券に書いてる責任逃れの文言を理解できた
>算数を勉強していれば健康な人のコロナ死亡率なんて宝くじ一等当選レベルだと理解できた
>理科を勉強していればmRNAの危険性や自然免疫の大切さを理解できた
>社会を勉強していれば過去にあった薬害事件と政府の対応から教訓を得られた
>英語を勉強していればワクチンの危険性を伝える海外の情報を得られた
そうそう、
時間があったので、
レシィピ通りの火加減の時間を手加減なしでプライパンで調理と思ったんだけど、
いまいちだったわ。
要研究というか、
これは完成させたい簡単レシィピよね。
フライパンに水張ってそこにホイルで包んでやつを入れて蒸し焼きにする感じかしら。
結構思い切って火加減手加減なしで中火の強火でいいのかも知れないわ。
焦げ焦げになるかと思っていたけど、
案外ふんわりしっとり仕上がっているのは仕上がっていたので、
要研究よね。
こればかりだと味気ないし特徴的な味に慣れてしまうと、
慣れてくるとお総菜も美味しいね!って感じ無くなっちゃうじゃない。
だからたまには普通に自炊的な自炊レシィピの簡単あんまり汚れ物も出ない簡単ホイル包み焼きを堤さんに教えてもらったのよ。
でもレシィピ斜め読みで火加減のところしかよく見てなくて適当に作っちゃったのが一番の敗因かも知れないわ。
今度はちゃんとレシィピみて、
やってみるわ。
最初はさ
ホイル焼きこそ簡単に私レヴェルならできちゃう!って思っていたんだけど、
昼間日頃見れない夕方頃のEテレの子ども番組をながらで流していると
あと久しぶりに朝ドラ再開『ちむどんどん』は欠かさず見ているんだけど
録り貯めていたあれよあれ、
前回どこからだったっけ?ってもうすっかり忘れちゃってしまっていたから、
もう何となくモネが地元に帰ってラジオ局やって結婚したりするってのはもう全部ネタバレで見聞きしてしまったけど、
避けていたのよ避けていたんだけど、
挙げ句の果てには俳句番組の人がネタバレ大いにしゃべくりまくってしまっていて、
ネタバレになぞって同ストーリーが展開していくかなぞるだけになっちゃうのよね。
もちろんなぞるからって倍速では見ない派なので
情報バラエティーとか系なら倍速で見ちゃいがちだけど料理番組とかもね、
あれはあれで倍速というか一瞬で調理済みのものが出てくるじゃない!
魔法のように!
倍速どころの速度ではないから端からもう私は倍速で見ちゃうけどね。
倍速でその間を楽しめなければ倍速じゃない!って思うのよ。
倍速でもさ
倍速に気付かないぐらいの倍速1.1倍ぐらいの速度だったら、
政治家みたいに倍増とは言ったが2倍とは言っていない!って謎の屁理屈を楽しめるほど、
気付かないぐらいの速度の変化の倍速1.1倍ならまあ許せる範囲内の倍速だと思うの、
私も倍速と言いながら2倍とは言っていないわよ。
私のレコーダーだと実際には1.3倍なのよ!
スーパーカップのアイスじゃない方のラーメンの方の1.5倍より劣ってしまうわ。
倍速で見ちゃっても文字通り2倍の速さで丁度いいのかもね。
私のレコーダーも倍速だと思っていたのが実は実際は1.3倍だったのに今気付いちゃったぐらいだし、
もしかしたら世の中は倍速って言いたいだけなのかも知れない風潮で
例のカレー味のなんとかかなんとかのカレー味かっていう風になっちゃうじゃない。
私もそうだ!
って思って検索してみても藤井風味風の藤井風カレーのレシィピが1件もグーグルサジェストさえもされない検索結果がゼロ件だったのよ!
グーグルで検索結果ゼロ件のキーワード探しゲームをしている人には
もってこい待ったなし!よね!
藤井風味風の藤井風ホワイトシチューとかも美味しそうじゃない?
そもそもとして、
まだ世の中に浸透していないのかも知れないわね。
一致する検索結果はありません!って
これを機に機まくって、
この増田が初になりますように!って夜空の星空の流れ星に願うばかりよ!
うふふ。
どうやら、
でもそれいつものタマゴサンドを発注してしまった後に気が付いたのよ。
バーガーキングの絵をAIの人工知能に描かせたらもの凄い文字通りのバーガーキングが描かれて笑っちゃうけど、
タマゴサンドキングの絵を描いてね!ってAIの人工知能にいったらどんなのを描いてくれるのかしらん?って
鉄火巻きもゲームの最中で手軽に食べられるように!って開発された経緯があるから
片手で食べられる
あのバーガーキングの絵を見てそう思ったわ。
額縁に入れて飾りたいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
出張中、ちょっと文具関連の用事があって、次の予定まで時間があったので、東急ハンズは行ったことがあるのだが、行ったことのなかった世界堂に行ってみた。知ってる人はよく知っているだろうが、私はネットのニュースでどこかの支店が閉店したというニュースをうっすら覚えている程度だ。今調べたが「額縁や絵画はもちろん、画材・デザイン用品・文具などを豊富に取り揃えています。」というチェーン店。(確かに額縁は他の文具店と違って力が入っていた。)
ぶらぶらと店内を歩く。油絵具やアクリル絵具、パレット、パステル、水彩色鉛筆、ガラスペン、羽ペン、色とりどりの筆ペン、マーカー、サインペン、キャンバス、スケッチブック、模造紙、…
ペインティングナイフ(パレットナイフ)プラスチック製もあるのか! 使い捨てというのも合理的だ。
ふと目についたのが「スクリーントーン」。令和の時代にもまだ売っているとは。原稿用紙にしっかり転写するためのヘラのようなものも何種類も打っている。近くにはペンとペン軸がある。「Gペン」「丸ペン」「スクールペン」 タチカワ、ニッコー、ゼブラ
「スクールペン」。知識として触れたことはあったが単語として目にしたのは何年ぶりだろうか。
さまざまなパッケージでペン先が売っている。丸ペン3本セット、Gペン10本セット、100本セット、3種類のペン先セット、ペン軸とセット…
つけペンがあれば当然インクもある。「まんが用墨汁」という商品名をみて思わずにっこりしてしまう。ラベル付け替えただけでしょうね。
まんが用原稿用紙なんてものもあった。雲形定規、吹き出し用定規(?)
まんが用のセットボックスもある。小学生向けかな。無印(スタンダード)にデラックス。タイプ2。何が入ってるんだろ。
自分でもまんがを描こうと思った少年少女は多かったのではないか。わたしがこどもだった当時は(今は知らない)毎号投稿作募集と紹介のページがあって、デビュー、金賞・佳作などのランキングと講評、それにまんがの描き方が数ページ載っていた、ような気がする。〇〇先生は墨汁を使っています。◎◎先生は丸ペンで描いています。ケント紙を使うのが一般的ですが、△△先生は画用紙を使っています。のような情報も載っていた。もちろんまんがの描き方だけの単行書もあった。
そんな頃のことを懐かしく思い出した。しかし、全体的に何とも言えない黄昏感が漂っていた。ほぼ無客だったし。
欠品があったのは売れて売れてしかたがないというよりは、補充がないという感じで(先入観か)、充実した品ぞろえは売れ残りという表現が近いのかもしれなかった。現実に、書籍のコーナーには色あせた1990年代の参考書も並んでいた。
私の祖母は趣味で日本画をやっていた。増田の多くが知らないであろう、ほとんどが見たことがないであろう岩絵の具が何種類も彼女の家にはあった。ガラス瓶に入ったそれはとてもきれいだったのを覚えている。少女のころに日本画で身を立てたいと思ったことも少しはあったのかもしれないが、そこまでの才能か、熱意かがなかったのか、時代が悪かったのか、もちろんプロではなかった。
世界堂で見た、さまざまなアナログまんがの道具・材料。生き残りをかけて手を広げたであろう商品につく〇割引セールの文字。
おそらく、回転のいい商品はごく一部なんだろう。多色ボールペンを並べても、大型文房具店で買う人の方が多そうだし、最近はカラーのマーカーも100円ショップで多色展開しているという(必ず全色そろっているというアドバンテージは専門店にはあるだろうが)。毎年電動消しゴムを買う人がそうそういるとも思えない。
完全に滅亡することはないかもしれない。だがコンピュータでなく、世界堂でなければ手に入らない道具や材料を使う行為は、美大生を除けば、日本画のようにごく少数の人が続ける稀な趣味になっていき、世界堂の支店はだんだんと減っていく。
そんな未来。
・ステレオ化されたLGBT象によって本物のLGBTに対して誤解を生みうる
・LGBT=鬱展開からのハッピーエンドという凝り固まった作劇しか存在しない(他のやり方をするとポリコレ棒で叩かれて修正される)
マジでさ、作家としての両親があったらマストで避けるべきテーマだと思うわけよ。
やってることはいつも一緒なのに、どこかでLGBTが「また僕らの象が歪んで伝わっていく」と悲しんでるわけ。
そのくせ世の中のポリコレ中毒は「素晴らしい。これぞLGBT。これぞ正しい社会」とか抜かし続けて調子に乗るの。
何が酷いって作品として展開に意外性を一切もたせられないから必然的に先が読める予定調和だけになるってこと。
もうスタート段階で「ふーん。つまりコイツもホモ(言っておくがレズはホモだからここでいうホモは♂♂も♀♀も意味するからな)なんでしょ?」でオチが分かってしまう。
できの悪いAVのように全ての流れが登場人物を見ただけで分かる。
全てが決められたレールの上を進むだけのベルトコンベア製の宿命論。
こんなものを出しておきながら「考えさせられるでしょ?」だなんて顔をするのが信じられない。
もうとっくに議論は終わった景色を無限に焼きましているだけじゃないか。
ネガを使いまわして額縁だけを必死に別のものに変えていくだけ。
それでも「オナニータイム!今日もいつもながらのマスターベーションで安心してシコシコしよう!」と出てくるなら、そういった「餌」として受け入れられる。
でもそうじゃなくていつもいつも「なんと驚き。今回の作品の主人公は性自認が普通と違うのです!」とわざわざ見せびらかしてくる。
見飽きた手品。
ミスディレクションのタイミングもどっちの袖からカードを出し入れしてるのかさえもう誰もが知っている。
アンパンマンでさえ最後に殴り飛ばすのがアンパンマンなのかぐらいは終わるまでわからないのに、LGBTショーはそのレベルでもいつも役柄が固定だ。
聞き飽きた課題曲。
ドレミはちゃんと読めるかな?指はついていけるかな?それだけを評価しろと言わんばかりのレディメイド。
くだらんよ。
駄作だ。
駄作として良作な作品は数あれど、あくまで駄作として素晴らしいだけ。
健康に良くて味もいいジャンクフードがあっても、それがジャンクであることを誰も否定できない。
なんだかよさげーな
「あさげ」「ひるげ」「ゆうげ」のインスタントお味噌汁をかき混ぜるのに丁度いい
ひっくり返した反対側はスプーンになっていて、
ボールペン側のところ
これ洗うときどうしたら良いのかしら?って思う反面
器用にスプーンの面だけをボールペン側が濡れないようにして洗わないといけない、
よくよく考えなくても分かるような一瞬豪華そうなスプーン付きのボールペンなんだけどね。
でさー、
まあスプーン面を本気で使うかどうかはハーゲンダッツをレンチンしてほどよくな固さに仕上げて食べる
それはイチゴイチゴしたような中条あやみちゃんがシーエムしてそうなアイスクリームを
それで食べるのにはちょうど良さそうだけど、
お互い相反する性質を持ち合わせていて力を発揮しきれない
なんだか残念なお年賀なんだけど。
そんでボールペン側はそこそこ書き心地もよく
たぶんこれで小林一茶先生が良い俳句をさらさらとも書けそうなほど、
いや、やばたにえんなんだけど、
これって替え芯がないので、
ボールペンとして替え芯がないのであれば、
今押したい瞬間だけど、
「それインク使ってしまったらもう使えないタイプのえぐいボールペン!」って手のひらを上目にしてツッコむあのシーンを彷彿とさせてしまうんだけど、
本当に替え芯がないのが残念だわ。
何か対応しそうな市販の文房具屋さんで売っているような替え芯がなにかハマりそうな気がするけど、
なんだか何やってんだかってよく分からなくなってくるのよね。
そう言った替え芯ギャンブルは出来ないので、
やっぱりどう見ても、
使ってしまったらそれっきりもうそれっきりですかってなっちゃうわ。
せっかく小林一茶先生も認めてくれている書き心地のいいボールペンなんだけど本当に残念だわ。
年賀状もよ、
やっと肩の荷が下りたというか
いつも思うんだけど、
昨年内中に年賀状準備しておかなくちゃっていつも思うのよね。
だけど、
お互いに同時に到着したら、
だからせめてもと思っていただいた年賀状にアンサー返事年賀状を書いた方が
まだ話しが返事している分内容が噛み合うじゃない。
結構年賀状ってだから一方通行に情報や言いたいことを発信してる人多いし、
あんまり子どもちゃんとか知らない人の写真とかワンチャンとかネコちゃんは可愛いからいいけど、
送られて来てもとてもじゃないけど
話し急にかわるんだけど、
あれってどこで流行ってるんだよ!って思う言葉ばかりでって思っていたけど、
流行ってるとは言ってません新語ですからって意味での逃げ道でも
新語なのね
あーなるほど!
やっと新年になって合点がいったわ。
そっかーって落としどこよね。
なかなか考えたものね!って思っちゃった。
あーなるほどなるほど。
ランチでいただくぐるぐるに絡みに絡みまくったスパゲッティーパスタがほどけたようだわ。
あと知ってる?
オリーブオイルをかければイッパツよ!
まあ蝶々結びになってたら無理だけどね!
うふふ。
そういった時が急に不便になるのよね。
色々な組み合わせの役が作れるようにコインを準備しているんだけど、
たまーにそっち使っちゃってコイン補充するのを忘れているときがあるのよね。
そんなわけで、
レジも最新のヤツ導入しているところは
直に店員さんに手渡ししなくてもレジに入れるところがあるのよね。
なんだか不慣れな感じが一瞬ポンコツ具合が出てしまうのがカッコ悪いわ。
考えすぎかしら?
この時期はわりかし皮ごと使える国内産のレモンが出回っているので、
輪切りにしてホッツに浮かべてみたの、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
・ホロライブ★★★★
バラエティ力が低くて虚無ライブと言われてた2018年の頃の影が忍び寄ってきている。
たまに当たりもあるし、そこが手作りぽくてウケるところもあるかもしれんがもう少しプロの企画者をアドバイザーに入れてブラッシュアップしてほしい。
大空スバル、桃鈴ねね、湊あくあのねぎゆーに猫又おかゆか、天音かなたか、6期生の誰かを入れてマリカー的なゲームを媒介にワチャワチャ雑談さしたい
あと公式のホロのぐらふぃてぃは最高に強みだからこのまま突っ走って欲しい。ホロライブ・オルタナティブも。
にじさんじはこういう他社の良いところをパクれよな―今ここを生きる二次元の世界の確立としてホロのこの取り組みはめちゃ強い。
・にじさんじ★★★★
にじさんじは逆に大型企画がプロっぽくて萎えるの多い。それじゃあ吉本の若手でいいよ。素人でガチガチに洗練された民放ぽいことするのもまた逆にツマランな―興ざめだな―てなる。地方局やいろはに千鳥やタモリ倶楽部並みのレベルのゆるさでいいよ。まあ因幡はねるや大空スバルみたいにテレビの企画を真似する素人の宅飲みの遊びぐらいのノリがちょうどいい。
にじさんじは企画にテレビ番組の人を雇ってガチでやってるとのことなので、あとはもう少しでいいから民放バラエティ番組っぽさを抜けて欲しい。
企画自体は賑やかで良さげだからあとはその雰囲気ね。六本木のTVプロデューサーがウニに和牛を巻いて金粉マブしてるようなわざとらしさや鼻につく感じを無くせば最高になる。
まあホロと逆ね。リアルのYotuber的中身が見えるにじさんじと、二次元的世界の中でその生生しさを出すホロライブ。どっちもどっちの魅力がある。
やっぱ男女いると生生しくなるわな。もっと額縁に飾られた感じになれにじさんじ。秋元康×佐久間宣行の青春高校3年C組みたいなのを目指して欲しい。
俺は今でも本間ひまわり天皇制を信奉してる。笹木咲、椎名唯華、でびでび・でびるでこのつまらない世の中を吹っ飛ばして欲しい。
あと町田ちまはこんなところにいる人じゃないでしょ。逸材。予算回して贔屓と叩かれるぐらいプッシュしていっぱいソロCD出すべき人材。生歌ヤベえ。
・774 あにまーれ 因幡はねる ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
もしくは虚無ライブしてるホロか生生しくて興ざめのにじの大型企画のアドバイザーになってくれ
今年はお前の天下だ
まあ俺は日ノ隈らんと風見くくが推しなんだけどな。ぶへへ。
フォロワーが増えない、いいねやRTがされない、と愚痴ったり卑下したりする前に、以下に目を通してみてくれ。
おっかなくて関わりたくねーわ!
ついでに特定の政治団体、宗教、主義を攻撃するってことは、その支持者からのフォローやいいねRTを全て捨てるってことだからな。
なんで赤の他人の機嫌を取ってやらなきゃならないんや、友達でもないのに特別扱いされたいならキャバクラ行って金払え。
うっかりフォローしたら、その後もいちいちいいねやRTの有り無しでグチグチ粘着されそうでおっかねーわ。
同じレベルの作品でも好きな人の作品はより好きになりやすいし、逆に嫌いな奴の作品は意地でも認めねぇってなりがち。
何かを誉めるのが一番手っ取り早い。どうしても他人を誉めたくねえ、悔しいってなるなら、ジャンルの原作をこれでもかってくらい誉めとけ。
好きなものを誉めてくれる人は好きになりやすい。もっと褒め言葉がみたくて、フォローしたろって気分にもなる。
どんなにぐちゃぐちゃなクレヨンの落書きでも、我が子の作品なら額縁入れて飾りたくなっちゃうようなもん。
それを高評価するのは忖度じゃなくて、本心からその作品が好きになっているから。
絵神、字神になるしかない。唯一無二で圧倒的な技術力さえあれば、掌ころっころですり寄る奴も出てくると思う。
他のツイートがアレなままだと、匿名掲示板で専用のヲチスレ立てられる可能性は高くなるけどな。
まあ、すでにミュートして視界に入れないようにしてるんだけどな。楽しくなりたくてオタクやってんのに、赤の他人の不平不満愚痴になんぞ付き合ってらんねーっての!
VTuber戸定梨香が松戸警察と協力した交通安全PR動画に、全国フェミニスト議連が偏見と差別まみれの主張で批判したことが広まって以来、フェミ議連への反発は収まることなく過熱し続けてフェミ議連への抗議署名は5万人を超えてなお増えて続けている。
ことにVTuberのオタクの反発は強く、特に自らもVTuberとして活動する、おぎの稔は旗振り役になっている。(コロナワクチンの副反応で高熱が出たからって熱上げすぎじゃねえかな…)
さらには戸定梨香の運営会社の社長である板倉節子も連日の騒動の熱に当てられたのか当初より発言に熱がこもり、所属タレントを守るための法的措置も強化すると企業プレスも出すほどだ。
そしてついには全国ネットの各種マスコミでも取り上げられ、これまでVTuberとは直接関わりもなかった層にまで届いて、もはや次にどう転ぶか予想もつかない。
だがしかし、このまま騒動が過熱し続けて戸定梨香とその支援者たちが間違った選択をしないかと憂慮する。
そもそもこの騒動の中で戸定梨香の元々の目的である「松戸の魅力を伝えたい」という、ご当地VTuberとしての目的をみんな忘れてはいないか
確かにフェミ議連の主張、戸定梨香の姿が性犯罪を誘発するなどという滅茶苦茶な主張に反論しなければ、今後のVTuberとしての活動そのものが危ぶまれてしまうだろう
最も理想的なのはフェミ議連が主張の誤りを認めて和解することだが、フェミ議連の諸々の反応を見る限りまずあり得ないだろう
おそらくは抗議の声に対するフェミ議連からの声明があったとしても支離滅裂なものが予想される。
それをもって戸定梨香とその支援者たちがとるべき道は、フェミ議連は対話不可能な相手であるからと対話を終えて、フェミ議連の主張は全くの誤りだと世間に示した上で、戸定梨香の活動も気持ちを切り替えて再スタートする。というのが騒動の軟着陸だろう。
しかし問題はその後だ。これで戸定梨香を擁護する支援者たちが言いがちな、戸定梨香のあの衣装が全くの無問題で、これからもあの衣装で活動して全く問題がないと言えば違うだろう。
フェミ議連の主張とは別に、女性性をアピールしたあの衣装に反感を抱く人は確実に存在する。現にはてな界隈ではフェミ議連の主張とは離れて乳が揺れてるか不自然かどうかを問題視する声が強くなっている。
フェミ議連の主張を突っぱねて、あの衣装で戸定梨香がこれからも活動するとなると、また別の騒動を生むだろう、そうなってはせっかくの松戸の魅力を伝えたいという戸定梨香の想いも台無しだ。
であるならば、フェミ議連の主張は受け入れないとしても、それはそれとして戸定梨香はあの衣装とは別の控えめな衣装でも活動する必要がある。
もちろん元の衣装での活動も続けるが、あらぬ騒動を避けるためにも少なくとも今後は戸定梨香が公的機関と関わるならば、その公的機関を利用する市民からの声を無視することは出来ない。松戸市民の中にも肌の露出が多い衣装に反発を抱く人はいるだろう。
フェミ議連の主張に屈するわけではない、あらぬ騒動を避けて、松戸を盛り上げるという目的のために新しい衣装を自主的に選び取るのだ。そもそも板倉節子社長もフェミ議連から警察ではなく自分たちにコンタクトを取ってくれれば、松戸のPRのためにどうすればいいか話し合えたと語っている。
案ずることはないVTuberの姿はブラッシュアップされアップデートされていくものだ。
たとえ別の衣装をまとい肌を隠したところで、戸定梨香の心根まで覆い隠すものではない
どんな衣装をまとったところで、戸定梨香の松戸の魅力を伝えたいという想いはいささかも毀損されることはない。
戸定梨香はいい子だよ
あの子の雑談をちょっと聞いてみたが、あの騒動の前に松戸の魅力を伝えるVTuberってことで新聞にインタビューされてな、それを家族みんなで喜んで、インタビュー記事を切りとって額縁に入れて飾っているほどだ。
これからもっと色んな記念を飾っていきたいねと思っていた矢先にあの騒動なんだ。フェミ議連との騒動で記事に取り上げられるなんて本意じゃないんだ。
ちょっと聞いた限りでも戸定梨香のご当地VTuberの肩書は決してお飾りじゃない、本当にローカルな松戸の情報にも詳しい、バーチャルだけど松戸の魅力を伝えたいという想いは本物だ。
そんな頑張ってるいい子の想いを汲んでやるのが、いい大人のやるべきことじゃないか
何よりも大事なのは、戸定梨香の松戸の魅力を伝えたいという想いとVTuberとしての活動が大事じゃないか。(それを思うとおぎの稔が戸定梨香を招いた企画を予定してるのは大事なことだ)
まとめると
過熱するフェミ議連への反発の中で、戸定梨香の目的である松戸の魅力を伝えたいという想いを忘れてはいけない
落とし所としては戸定梨香の姿が性犯罪を誘発するなどというフェミ議連の主張には明確に反論するが
あらぬ騒動を避けるために、抑えるべき所は抑えて、戸定梨香の本来の目的である松戸を盛り上げるという目的のために、新しい衣装を自主的に選び取り気持ちを切り替えて再スタートする。
そして戸定梨香の応援してあげたいなと思ったなら、動画の高評価、チャンネル登録、Twitterのフォロー、よろしくおねがいします。
成人向け指定されている漫画はもれなくエロが内容の主体になっている。
たとえばfateやリトバスEXにおいて、それさえ省けば全年齢向けとして販売できるシーンは俺の体感だが2パーセントもないのではないか。そんな「エロゲー」がごまんとある。
もちろん特に抜きゲーと呼ばれるようなとってつけたようにエロシーンが組み込まれている作品もある。
そもそもエロゲーは、一般向けの土俵では戦えないと判断されたものがエロで釣って販売数を確保するという、手段的な側面がある。だからとってつけたようなエロシーンこそある意味本来的だ。一般向け(コンシュマー用)の版が販売されるようになるということはメーカーにとってもファンにとっても喜ばしいこととされる。
一方18禁なら一般向けより自由な作品作りができるという面がある。一般的には倫理的観点等から嫌悪すらされるが一部の人間に刺さるもの(そして作者が納得するもの)を作りたくて18禁という領域が選ばれることがある。
結局、様々な事情が想定されるエロゲーにおいてエロがメインである必然性はない。
対して漫画はどうかというと、成人向け雑誌にエロシーンが一度も出ない漫画なんかまずない。あほすたさんみたいにインターミッション的な役割を持った作品は除くとして。
読み切りならばそれは当然かもしれない。でも続き物で毎話エロシーンを挿入しなければならないものなのか。
一つの単行本になったときに毎話エロシーンがどこかにあるというほうがむしろ不自然なのではないか。
漫画においては「成人向けであるということ」を自由な作風を確保するための手段としてはいけないのだろうか。
エロ漫画ではまるで義務かのように、とってつけたようにエロシーンをくっつけたり貞操が堅いみたいな性格設定をされているキャラがとんとん拍子で脱衣していったりする。でもそうじゃない作品があっちゃいけない理由はない。
思うに「エロ漫画」というのがブランディングとして失敗している。「エロ漫画」である限り、一定量以上の成人向け要素がなくては詐欺であるかのようになってしまっている。消費者側も考え方が変わる必要がある。
一般向けのエッチシーンは大事な部分に過度な修正を施すか全く見せないか、はたまた朝チュンみたいに記号化されているかのどれかだ。一般向けを銘打って未成年の購入や閲覧を正当に認めている以上それは仕方がない。
であればそうじゃないことはエロ漫画の領域でやるしかない。つまり、たとえば大人同士の交流とか、未成年でもいい歳になれば性交渉があってもおかしくないだろう。そういうふうに自分が描きたい物語の要請からエロシーンがリアリティへの接近に必須ではないがぜひ必要になって、しかもその場面における具体的な作中の事実が物語の本筋に関わっているような作品である。
作中の事実とは、たとえばどういう体位でどこをどのような道具でどういう動きで攻めたかとかみたいなことが、恋人が二人以上いるとかなら性器の細かな差異等があったとする。それらの「時空間的な広がりをもった」事実の描写が、後背位とかグロマンとかバキュームベッドにぶちこんだといったような単語や文章では片付かないものであり、且つそれゆえに、その場面の様子について成人指定されるような具体的な視覚情報を提示することでしか、それに前後する特定の場面のコマの説得力が最大にならないという、そのような事実のことを言っている。言葉と言葉を因果関係で結ぶのなら小説でもできるわけで、コマとコマ、あるいは漫画特有の表現効果同士を因果関係で結んで文字によるものとはまた別質な説得力のある筋書きを紡げることが漫画の醍醐味の一つだと僭越ながら思う(もちろん小説でしか表現できないこともあるだろう)。
そういうわけだからエロシーンの性描写は克明に行う。その部分だけ取り出すと通常のエロ漫画の抜きどころと遜色なく人を興奮せしめるものであっても一向に構わない。本筋を成しているのだから具体的に描くこともまた当然ということである。抜きたい奴は自由に抜けばよろしいというスタンスだ。
されどそれが全体としてみれば物語を進める舞台装置になっていて当該場面の前後と有機的につながっていたりある場面の原因としてうまく機能しているような作品。そういう作品をタイトルでは指そうとしていた。
少なくとも現在の商業エロ漫画界にそのような作品の居場所はない。連載において毎話エロシーンを挿入しなければならないという制約はそうした作風と相容れない。物語の展開によっては単行本に対してエロシーンが含むものが1話分しかなかったり、単行本一冊分エロシーンが皆無だったりすることも理屈では十分あり得るのだが、同一のシリーズで1巻と3巻では成人向け指定があって2巻では指定がないみたいなものはないからだ。
そういうわけでそのような、エロシーンも本にまとめられるぐらいにはそれなりにあるけど比重としてはそれは壮大な物語の一部に過ぎないみたいな漫画の居場所は一般向けにも成人向けにもないことになる。
商業漫画は成年向け雑誌という媒体をそういうエロのためにエロを描くのではなく、物語にエロを盛り込む手段として利用させてもらうという半端者を認めないのだ。
しかしこうした実態にはエロゲーの様相を鑑みれば業界と読者との共同の固定観念があるように感じる。読者はエロを銘打ってエロがないのを詐欺だと思うし、業界は詐欺呼ばわりされるのを恐れている。これらの固定観念は創造性を毀損している。まずエロの有無如きで「詐欺かもしれない」と疑ってかかる狭量さや臆病さをお互いに捨てるべきだ。
先にエロ漫画というブランディングが失敗しているといった。私からの代案として「18禁漫画」という公称を提案したい。
コンシュマーの18禁ゲームは性的要素を含むものに限らない。つまり単に18禁と名乗る限りではエロがないから詐欺と批判される余地も生じないわけだ。
現状商業でそんな漫画は出せない。持ち込んでも突っぱねられて終わりだ。
pixivは続き物の漫画も投稿しやすい仕様がある。商業みたいな話当たりの枚数制限もない。
ただたとえば十数枚のうちエロシーンが1枚しかないのにR-18と設定としていいものなのか。エロを探してる人間から検索妨害と批判されたりしないだろうか。批判されるなら大量投稿している深淵絵師が先と考えれば杞憂なのかもしれないけど。
セカンドライフの仮想空間内で発表するということも一つの考えだと思う。セカンドライフには18歳未満立ち入り禁止の区域があるが、その中も全域がネオン街みたいになっているわけではない。同じSIM内なのに、洋風のお城があってその中に名画っぽく額縁にど健全な絵が飾ってあったり木々と小川でのどかな雰囲気になっているところもあったり、いい意味で猥雑としてる。こういうところで漫画を発表するなら詐欺呼ばわりされることはまずないだろう。
個人サイトを作ってトップページに18未満を退出させるお断りを設けその内側で発表するという古典的な手段もある。
ただこれも、18禁部分があまりにも少ないと判断されたときに「もったいぶってたくせに騙された」みたいな人から炎上の対象になったりしないかと懸念するのは考えすぎだろうか。
しかし実際は詐欺を恐れて漫画が発表されないとかじゃなく、こういう能書きみたいなことを考えている人は俺以外にも割りといて、でもそういう奴に限って面倒くさがりで漫画を描けないか描こうとしないというだけなのかもしれない。
お前らだってexhentaiと言われても何のことかも分からないか規制垢しか持ってないかのどっちかのくせに!
koviW52M
dorawiiより
今月は,ソニーグループと任天堂の決算の話を中心に進めたい。両社ともに共通しているのは,前年の強い需要の反動を受けたことだろう。とくにソニーグループは,PS5のコスト負担が重いこともあって,大幅な減益となった。
PS5は230万台の売上(着荷)台数と,前第4四半期の330万台から減少した。要因は(1)空輸から船便に切り替えた影響,(2)半導体不足による生産台数の減少によるものとしている。半導体は最先端のチップ不足が報道されがちであるが,パワー半導体なども,自動車生産の回復による需要増で不足感が強い。この四半期は生産に大きく影響が出た印象である。今期目標の1480万台以上は堅守とのことだが,第1四半期のビハインドを挽回できるかどうかはよく分からない。
下図は以前にも示したものだが,今回の決算で気になるところは,アクティブユーザー数だろう。ソニーグループは前年度よりも水準が高いことから,コロナ禍による巣ごもりの影響ではないかとしながらも,詳細は不明としており,第2四半期の動向を見守りたいとしていた。
ソニーグループのゲーム事業アクティブユーザーとフルゲーム販売本数
この現象は,個人的には不可解である。通常であれば,PS5を初期に買う人々はゲームをたくさん買う層であり,また喜んで遊ぶと想定されるからだ。特にPS5はこの期間に1000万台近い売上台数を実現している。そして以前,ジム・ライアン氏自身が示した通り,ゲームの購入はPS4よりPS5のほうが少ないという問題がある。
この問題を説明できる考えが必要だが,エース経済研究所では,空き容量が問題ではないかと仮説を立てており,要点は主に二つである。
(1)据え置きゲーム機は,高性能化を追求した結果,メディアは単なる起動ディスク化しインストール必須となっているため,空き容量の影響を受けるようになったこと
(2)ゲーム機全体が一般化し,よりライトユーザーが初期から手に入れるようになったことで,購入頻度が低い層が増えた
特に(1)は非常に深刻な問題と捉えていて,PS5/Xbox Series Xは,前世代機から互換性を持たせた結果,より高速な体験ができる現行機に過去のユーザー資産が持ち込まれ,ストレージ容量を圧迫している。ユーザーは,新規の大作ソフトで空き容量が圧迫されること,もしくは既存のタイトルをストレージから削減することをコスト(心理的抵抗:スペースコストと暫定的に命名)と認識していて,このコストを上回る価値が新規タイトルにないとゲーム購買を躊躇うようである。
この点はソニーグループとの議論では確認できなかったのだが,パソコン周辺機器メーカーがこの問題を認識していることを知った。
PS5には追加のSSD用スロットがあるが,現状ではこのスロットは解放されておらず,増設ができない。現在β版のファームウェアで解放の準備が進められているが,解放されると,大きな商機があるとパソコン周辺機器メーカーは思っているようだ。その要因は,PS5の空き容量が発売から1年足らずですでに大きくひっ迫していると見ているからとのことであった。
これらのことを考えるとF2Pの収益がPS5で拡大したのも頷ける。F2Pの課金はデータ容量と相関していないためだ。パッケージやダウンロードゲームは,買えばダウンロードされるために,必然的に空き容量をひっ迫するがアイテム課金はそうではない。
これがPS5でF2P課金が増えた要因ではないだろうか? そしてPSビジネスを揺るがしかねない問題だとエース経済研究所では考えている。PS5はストレージ容量が,ゲームの肥大化に見合っていないため,廉価で販売している状況に見合った販売結果が得られない可能性があるからだ。
この仮説が適切かどうかは,ファームウェアアップデート後のユーザーの動きで分かるだろう。
次に,任天堂の決算である。Switchの販売は,前年比で落ち込み,資本市場ではついにピークアウトしたと認識されているようである。任天堂のゲーム機は3年目がピークになることが多く,例外と言っていい10年間も販売されたゲームボーイはもう30年以上も前に発売されたアイテムなので,多くの人の記憶にはない状況にある。
5年目での販売台数減少は,PS5の最速1000万台実売リリースもあり,いよいよ下り坂に入ったと捉えられている。そしてエース経済研究所でも7~9月のセルスルー(実売)は厳しいと見ているので,ピークアウトしたという風に見えるのはやむを得ないところである。
ただ,任天堂やエース経済研究所ではそうは考えていない。OLEDモデルが出れば,需要は大きく伸びると見ている。人々はそもそも合理的には行動しておらず,視覚情報で購買行動を決めているなら,狭額縁化,有機EL採用によるディスプレイの色彩の良化を考えると,人気になると予想している。
セルスルーの鈍化で2550万台の着荷(販売)台数は達成できても需要が落ちてくるとの見方が多いようだが,エース経済研究所では,部品不足でこの台数以上の需要があると見ている。
PS5もSwitchもだが,先端の半導体というよりは,個別半導体やモジュール類の小型半導体の不足が深刻で,任天堂は部材調達の不安は完全に解消されていないとしていた。OLEDモデルは,仮に人気化すると年内の増産はかなり難しい印象である。
そのうえで,故岩田社長が任天堂のゲーム機は5年サイクルとコメントした結果,一般的に任天堂のゲーム機は短命とのイメージが強くなり過ぎているかもしれない。しかし,ゲームボーイはマイナーチャンジを実施しながら10年もの長い間ビジネスを続けたという事例もある。Switchも同様に,マイナーチェンジを続けながら,長期的にビジネスを続けられるとみているが,このような予想をしているのは,エース経済研究所ぐらいのようである。下図のように,SwitchはPS4を上回るペースで,勢いが落ちた感じは見られない。ペースが鈍化するのは,まだ先になると考えている。この点ついては,OLEDモデルの予約開始後にまた触れたい。
最後にスマートフォンゲーム市場について簡単に触れたい。スマートフォンゲーム関連の決算では,サイゲームスを擁するサイバーエージェントがウマ娘の効果で,非常に好調だった。ユーザーも魅力的なキャラクターが登場するたびに課金しているようなので,かなりガチャが引かれた現状でも,ある程度勢いは維持できている。問題は今後もキャラクターの追加を安定してできるかどうかであろう。スマートフォンの高性能・高精細化で,キャラクターの制作コストも上昇する一方である。ところが,キャラクターの追加ペースが収益を決めていることは,ほとんど認知されていない。このことに気づかない限り,緩やかな減少が続くというのがエース経済研究所の見方である。ただ,こういうとウマ娘で市場は好調ではないという向きもあろう。
そこで,だいたいの市場推移を捉えるために,エース経済研究所でウオッチしている6社のゲーム事業売上高を合計したグラフを久しぶりに掲示する。確かにウマ娘で反転したように見えるが,1800億円強の合計売上高のうち,ウマ娘の寄与はおよそ650億円程度と見ているので,既存のタイトルの市場はむしろ割を食ったように見える。
1タイトルで挽回できると見るか,不健全と見るかは意見が分かれるところだろうが,上記のコスト増加を考えると,一時的で不健全と見ている。何かしらの大作が必要な時期に来ていると思っていたが,ウマ娘のヒットで対応は先送りになるだろう。これがスマートフォンゲーム市場に悪い影響が出ないか,注視しているところである。
ごく個人的な事だけれど、残しておきたかったのでここに書く。自分の今も心にわだかまる、あるささやかな思い出の話だ。
地元の町では毎年、みどりの日(今でいう昭和の日)にお祭りがある。
朝早くから山車(だんじり、という。これで大体出身地は絞り込めるかな)を、町内会ごとに、男たちが威勢の良い掛け声と共に担ぎあげる。だんじりは、筋骨隆々の大人の男性が数十人でようやく持ち上げられるほど重く、立派だ。
だんじりの中心は幕で覆われており、中には大きな太鼓がひとつ。次代の町内を担う小学生の男子たちが、太鼓を交代で延々と叩き続けリズムを作る。
それぞれがそれぞれのルートで出発しては町を練り歩き、八幡の神社に昼前くらいに集まる。
それから神社で何やら神事らしき事をおこなったのち、昼過ぎくらい出発しては、どの町内会のだんじりも、夕日がさすくらいまでに再び担ぎ出して帰る。
さて、僕の話だ。
僕ら一家は町内会①に、祖父母が少し遠い町内会②に暮していた。
両親は、仕事から帰ってくるまでの間の僕の世話面倒を祖父母に任せていたので、
保育園の迎えは祖母だったし、放課後は祖父母の家…つまり町内会②で過ごしていた。
両親は仕事が終わると迎えに来てくれ、夜は町内会①で暮らす。そんな日々をずっと送ってきた。
友だちも、まあそれなりにいた。たいていは子どもの自由時間である放課後に過ごす町内会②での繋がりで。
なにせ、僕は祭りの日にだんじりに一度も乗ることができなかったからだ。
町内会①も②にも僕が乗ることはなかった。
祭りが近づくと町内会の子らが太鼓の練習に当たり前のように行く中、
とても寂しく切ない気持ちを抱えて、1人で遊んでいたように思う。
覚えてないが、乗りたくないと言ったのか。親が町内会との折り合いが悪かったのか、はたまた本当に地域の慣習上疎外されるべき存在だったのか(なんらかの伝統的な基準を満たさなかったのか、次男だったからなのか)、分からない。
ただ当時の僕は、「自分が町内会①と②のどっちつかずだから、どっちにも認めてもらえないのだ」と思っていた。
両親も、まともに祭りに参加していなかった。住んでいる町内会①の祭りには、ろくに出ていなかったように思う。
一方で、祖父はみんなが担ぐだんじりの上に乗るという栄誉(と思われる)にあずかった事もあるくらい、祭りには毎年参加していた。その写真が、額縁に今も飾られている。
僕はそれを見ながら、誇らしい気持ちと共に、寂しく切ない気持ちになる。
一度だけ、祭りの日に友だちについて行って、違う町内会の休憩しているだんじりの太鼓をこっそり叩いた事がある。どうしても叩いてみたかったんだ。
みんなは練習しているから、カッコよく慣れた手つきで叩くし、どこでどんな風に叩いたら良いかも分かっているなか、僕だけがみっともなく不恰好な太鼓を叩いている。
その居心地の悪さは今でも覚えている。
自分の町内会でもない太鼓で、練習してもない腕で、太鼓を叩いているグロテスクさへの嫌悪感と
自分が欲しかったのは太鼓を叩く事ではなく、当たり前のように太鼓を叩くことを求められ、それを、当たり前に思う帰属意識だったのだとわかった失望。
幼かったので言葉にはできなかったけれど、「これは違うんだ」と、だんじりから降りてからジリジリと、違和感を感じていた。
……
その後、ありがたい事にお勉強ができた僕は、東京の困難な大学へ合格し、就職。
10年ちかくキャリアを積んで、いま長年の夢を叶え、働きたかった会社で働いている。
東京の暮らしは心地よかった、だって、ここでは本当に他所者なんだから。
名実ともに故郷であるはずのふるさとに、疎外感を感じながら居ることの方がつらいのだ。
………
こうして僕は、ついぞ大人になる過程の中で故郷という居場所を得ることはなかった。
いや、地元は好きだよ?でも僕の帰る場所じゃない。そんな思いが根強くある。
でもぼんやり思う…もし僕があの頃、本当の意味で太鼓を叩いていたなら、人生は変わっていただろうか?
いや、きっと何も変わらないのだろうけど。
でも老後の暮らしの選択肢に故郷がないのは、きっとこのせいだぜ。
おわり。
ただ1人、こんな淋しさを抱えて生きている僕という人間がいる、と自分を悲劇的に酔いながら書いただけの話だ。
何の薬にもならないだろう。
誰か知らないけど、読んでくれてありがとう。
額縁はないが買った時の箱に入れて物置に飾っておくよ
額縁に入れて飾っておきなさい
すごい。額縁に入れて飾りたい
規模の大きいオープンな献花へ行く時の注意点
・不燃物は持ち込まないで
・現金を置くのは厳禁です(その気持ちは今困っている人への寄付などに回しましょう)
・食品は最小限でかつ極力不燃物を避けましょう
・追悼は一回で心を込めて(何度も何度も来て自分の人生の拠り所にするのはやめて現実の自分の人生と向き合いましょう)
・遺族の方や関係者の方より出しゃばるのは滑稽です
献花を自己満足の手段にしない気持ちが大切です(その場で何十分も泣くとか)。
ものすごい量の食品を持ってきたり差し入れか何かと勘違いされている方もいます。
あくまでも献花は献花。
追悼の気持ちと共に、片付ける人の気持ちに心を寄せるのが大人です。
事故等の現場であれば遺族の方が、著名人等への追悼であればスタッフの方が定期的に処分します。
当たり前ですが何が入ってるか分からない食品は全て処分されます。
陶器に入ったお花や立派な額縁に入った写真や手紙など本当に処分に苦労します。
今生きている人に寄り添ってください。
日曜日、婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街のツタヤで漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。
本当だったら地元の有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。
買ったのは中村明日美子の短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいだから額縁に入れて飾っておきたいし、BLもGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスもコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚の漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食は活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。
で、中村明日美子の作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結、テンポの良さ、箸休めのギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。
童話の翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話を翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話のパロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。
読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。