はてなキーワード: 静脈とは
持続勃起症(プリアピズム)とは、性欲や興奮と無関係に勃起が持続し、痛みを伴う状態です。5~10歳の男児と20~50歳の成人男性に最も多くみられます。
陰茎は、空洞のある3つの円筒形の組織で構成されていて、その中を血液が流れるようになっています(勃起組織と呼ばれます)。そのうち大きい方の2本は1対の陰茎海綿体で、並んで位置しています。もう1本は、尿道を取り巻き、円錐型の陰茎の先端(亀頭)まで続いている尿道海綿体です。これらの海綿体洞が血液で満たされると、陰茎は大きく硬くなります(勃起)。鼠径部の静脈の周囲の筋肉が収縮し、陰茎から血液が流れ出ないようにし、陰茎の勃起を維持します。
持続勃起症のほとんどの症例は、陰茎から血液が流出できないことが関与しています。血液が渋滞し、酸素を豊富に含んだ新たな血液が陰茎に流入できなくなります。その結果、陰茎で酸素が不足します。この状態は虚血性持続勃起症や静脈性持続勃起症と呼ばれます。勃起が4時間以上持続すると、激しい痛みが生じます。陰茎は勃起しているのに、亀頭は軟らかい場合があります。長時間の持続勃起症は、勃起障害やさらには陰茎組織の壊死につながる可能性があります。
生体認証は素人。バイタル計測や生体計測周りをちょっとかじったことがある程度。
ここで述べている2次元解析とは写真を撮って一致するかどうかのこと、
3次元解析とは光を当ててから反射して戻ってきた時間を使って距離を求め、3次元的なデーターを作ったものを言います。
正確な定義は知らん。
突破方法が当たり前のようにネットで公表され、偽造のための材料が生体に近いもので作れるので
自分のスマホで使用しているが、カバンの中での誤作動防止目的でしかない。
二次元解析では偽装のしようもあるが、角膜から虹彩までの距離を測定する(光による計測)や強い光を当てて縮瞳や瞬きをするかを組み合わせれば
糖尿病・高齢者・その他眼疾患ある人は使わないか、別の認証もサブで併用したほうがいい。
どんなに高解像度な写真でも静脈の情報は得られない。その上三次元解析も可能。
形状的にパルスオキシメーターも併用できるので死体を持ってきても無駄にできるという点で素晴らしい。
ただ、今の所赤外線の発光と受光ができる装置が必要なのでスマホの生体認証には向かないような気がする。
この時期は指を温めないと時々認証されない。(寒さで静脈が縮こまるため)
ゼラチンのマスクを作れば突破できそうな気もするけど、虹彩認証もつければ簡単に突破はされないと思う。
ところで化粧する前とした後だと別人判定されそう。両方登録できればいいけど
接種後1週間運動はしない。危ない。
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TTSの特徴
④凝固線溶系マーカーが異常値を示します(D-ダイマー著増など)
などの特徴がが挙げられます。
頻度
TTSの発生頻度は1万人から10万人に1人以下と極めて低いようです。
診断
1)TTSを疑う臨床所見
④下肢痛、息切れ など深部静脈血栓症や肺血栓塞栓症を疑う症状
①CT・MRI・エコー・心電図・血液検査などですが血小板の測定は必須です。また凝固線溶検査:PT、APTT、フィブリノゲン、D-ダイマーは測定が必要です。
ワクチン接種後に血小板数低下と血栓症を認めれば TTS の可能性を考える必要があります。
TTSは新しい疾患概念であり、有効性や安全性のエビデンスが確立した治療法は存在しません。保険適応が認められないですが、
免疫グロブリン療法、ヘパリン使用を避けヘパリン以外の抗凝固薬、ステロイド、抗血小板薬の中止、血小板輸血の禁止、新鮮凍結血漿使用
高齢者は食事ができなくなると、遺漏か、経鼻栄養か、中心静脈栄養かになるけれども
中心静脈栄養は1日1000キロカロリーの処方なので、数ヶ月で栄養失調になり亡くなってしまう
経鼻栄養も基本的には同じ。遺漏は1日1500キロカロリーが目安
栄養食品は豆や栄養食品なんぞを潰して溶き、遺漏と同じように、鼻管からシリンジで入れる
ただ遺漏と経鼻栄養は、在宅であれば、自主的に栄養食品などを投入することもでき、
もちろん様子をみながらだが、2000キロカロリーぐらいはいける
ケアマネージャーが訪問入浴サービス紹介を嫌がったら、自分で探せ
まだまだ意識も感情もあってテレビなんぞも見ているのに、栄養を与えず弱らせていくのは、あまりにも忍びない
USATODAYというアメリカの大衆紙がファクトチェックしてる。単に効くかどうかが気になる人は、こちらを見てみるとよい。
このデマの出所は不明なのだが、人から人へと伝わるうちに様々な理由付けがなされており、その中に含まれる「連想」が面白いので、少し調べてみた。
デマは、全てが突飛な間違いではなく、「一個一個は正しい情報だが、誤った繋がれ方をすることで、全体として間違いの情報」になっている。
そして、この「謝った繋がれ方」を補佐するのが、人間の持つ「連想」なのだ。
この記事では、このデマにどのような連想が含まれているかを推察する。
松葉にシキミ酸が含まれているのは確からしいが、他の植物に比べて特別多く含有しているか、という正確な情報は見つけられなかった。
ただ、あくまで原料であって、シキミ酸から10回の化学反応を経てオセルタミビルが作られるため、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質である。
上記の通り、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質なので、インフルエンザには効かない。
タミフルが新型コロナウイルスに有効だった、という研究や臨床結果は出てきていない。
ここでは、「抗ウイルス薬であるタミフルが、他の抗ウイルス薬(インベルメクチンなど)と同様に新型コロナウイルスに効くのではないか?」という連想が含まれている。
ただ、タミフル起点で連想が始まったとすれば、むしろタミフルの原料の植物として有名な八角(トウシキミ)に行きつきそうな気がする。
どちらかといえば、「松葉茶」を起点として連想が始まり、タミフルへこじつけた、と考えるべきか。
培養細胞など、試験管レベルではコロナウイルスの複製を抑制する効果があるとの研究はある。
ただ、臨床レベルでは、効果がなかったとする論文や、効果はあったが副作用がきつすぎて使用を中止した、という小規模な研究があるだけで、現状では何とも言えない。
松葉茶にスラミンが含まれているという情報は見つからなかった。
なので、松葉茶にスラミンが含まれていても効果はないと思われる。
そもそも、スラミンは腎毒性があり副作用が強い。スラミンが作用していたとすれば、松葉茶を飲んだ人から健康被害が報告されるはずだ。
松葉茶は韓国・中国・北米などで昔から飲まれていたお茶で、健康被害もそれほど報告されていない。安心して飲んでいい。
こちらは、本来含まれていないスラミンが松葉茶に含まれていることになる。
これも、先に「松葉茶が新型コロナウイルスに効く」というデマが起点となり、そこからスラミンにこじつけられた、と考えるべきか。
別で「スラミンが新型コロナウイルスに効く」というデマが存在しているようで、それと結びついたようだ。
エクソソームとは、細胞間で免疫情報などを伝達する小胞のこと。
細胞がウイルスに感染したり、がん細胞になったりすると、そのことを周りの細胞に伝えるために排出される、らしい。
エクソソームは、尿や涙などにも含まれており、これを使ってワクチン接種後の抗体がどの程度行われたかを測定する研究も行われている。
そんな研究はない。
そもそも、エクソソームは上記の通りのもので、別に毒でもウイルスでもない。
そんな研究はない。
これは特に根拠がない推論だが、おそらくアメリカで健康食品として知られていた松葉茶が、「健康にいい=新型コロナウイルスに効く」という連想がまずなされた。
次に、「新型コロナウイルスに効く」というイメージから、他の「新型コロナウイルスに効くもの」→スラミンやタミフルなどへ連想が行われ、それらが「新型コロナウイルスに効く理由」として紐づけられたのだと思う。
情報を精査する場合には、個別の情報が正しいかだけでなく、それらが正しく繋がれているかにも着目する必要がある。
人間は「連想」を「繋がり」と勘違いしやすい。デマを見ると、都市伝説のような連想によるつながりを観察できる。
USATODAYというアメリカの大衆紙がファクトチェックしてる。単に効くかどうかが気になる人は、こちらを見てみるとよい。
このデマの出所は不明なのだが、人から人へと伝わるうちに様々な理由付けがなされており、その中に含まれる「連想」が面白いので、少し調べてみた。
デマは、全てが突飛な間違いではなく、「一個一個は正しい情報だが、誤った繋がれ方をすることで、全体として間違いの情報」になっている。
そして、この「謝った繋がれ方」を補佐するのが、人間の持つ「連想」なのだ。
この記事では、このデマにどのような連想が含まれているかを推察する。
松葉にシキミ酸が含まれているのは確からしいが、他の植物に比べて特別多く含有しているか、という正確な情報は見つけられなかった。
ただ、あくまで原料であって、シキミ酸から10回の化学反応を経てオセルタミビルが作られるため、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質である。
上記の通り、シキミ酸とオセルタミビルは全く別の物質なので、インフルエンザには効かない。
タミフルが新型コロナウイルスに有効だった、という研究や臨床結果は出てきていない。
ここでは、「抗ウイルス薬であるタミフルが、他の抗ウイルス薬(インベルメクチンなど)と同様に新型コロナウイルスに効くのではないか?」という連想が含まれている。
ただ、タミフル起点で連想が始まったとすれば、むしろタミフルの原料の植物として有名な八角(トウシキミ)に行きつきそうな気がする。
どちらかといえば、「松葉茶」を起点として連想が始まり、タミフルへこじつけた、と考えるべきか。
培養細胞など、試験管レベルではコロナウイルスの複製を抑制する効果があるとの研究はある。
ただ、臨床レベルでは、効果がなかったとする論文や、効果はあったが副作用がきつすぎて使用を中止した、という小規模な研究があるだけで、現状では何とも言えない。
松葉茶にスラミンが含まれているという情報は見つからなかった。
なので、松葉茶にスラミンが含まれていても効果はないと思われる。
そもそも、スラミンは腎毒性があり副作用が強い。スラミンが作用していたとすれば、松葉茶を飲んだ人から健康被害が報告されるはずだ。
松葉茶は韓国・中国・北米などで昔から飲まれていたお茶で、健康被害もそれほど報告されていない。安心して飲んでいい。
こちらは、本来含まれていないスラミンが松葉茶に含まれていることになる。
これも、先に「松葉茶が新型コロナウイルスに効く」というデマが起点となり、そこからスラミンにこじつけられた、と考えるべきか。
別で「スラミンが新型コロナウイルスに効く」というデマが存在しているようで、それと結びついたようだ。
エクソソームとは、細胞間で免疫情報などを伝達する小胞のこと。
細胞がウイルスに感染したり、がん細胞になったりすると、そのことを周りの細胞に伝えるために排出される、らしい。
エクソソームは、尿や涙などにも含まれており、これを使ってワクチン接種後の抗体がどの程度行われたかを測定する研究も行われている。
そんな研究はない。
そもそも、エクソソームは上記の通りのもので、別に毒でもウイルスでもない。
そんな研究はない。
これは特に根拠がない推論だが、おそらくアメリカで健康食品として知られていた松葉茶が、「健康にいい=新型コロナウイルスに効く」という連想がまずなされた。
次に、「新型コロナウイルスに効く」というイメージから、他の「新型コロナウイルスに効くもの」→スラミンやタミフルなどへ連想が行われ、それらが「新型コロナウイルスに効く理由」として紐づけられたのだと思う。
情報を精査する場合には、個別の情報が正しいかだけでなく、それらが正しく繋がれているかにも着目する必要がある。
人間は「連想」を「繋がり」と勘違いしやすい。デマを見ると、都市伝説のような連想によるつながりを観察できる。
日経のこの記事、1/10万人程度の血栓にびびってバキスゼブリアを棚上げしてた国がおかしいみたいな論調だけど。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK281E70Y1A720C2000000/
そのバキスゼブリアによる血小板減少を伴う血栓症候群(TTS)は脳静脈血栓を起こすと致死的になりうる( https://www.jsts.gr.jp/news/pdf/20210601_tts2_3.pdf p6) 。確率が低くても結果が重大なら当然その分「得失」の失の部分は大きくなり無視できなくなる。リスク不寛容とかそういうレベルの話じゃないんだよ。
一方で国内のコロナ感染症が猛威を振るっている現状ではコロナにかかる確率はデルタ株が優勢という点から、従来より高いと思われる。この点に関してはライフスタイル・体質の影響は大きい。また臨床経過も人様々であろう。両側広範囲の肺炎から呼吸不全で亡くなったり、血栓症を合併してこちらが致死的になるかもしれない。これらのことから、「得失」の得の部分も一様ではない。有症状感染予防に関してデルタ株に対して、バキスゼブリアは65-75%程度といわれる。(67%, 95%CI 61.3%-71.8%, https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa2108891)。得は思ったより大きくないかもしれない。
これらのことからリスク・ベネフィット比を各個人でどう判断するかは容易ではない。ここで、コミナティ・モデルナなどの比較的安全なワクチンを接種できる選択肢があるのならばよいが、バキスゼブリアしか選択できない若年世代はどうしたらよいのだろうか。それが1/10万人でも自分に起こってしまえばそれは100%の災難だ。そうなったとき、現状東京では治療を受けられるかどうかもわからない。
「腑に落ちない」のはかまわないが、それを非合理な国・国民の所為だと高みから放言できるのは自分が恵まれた地位にいるからだ、と自覚してから物言おうな。
新型コロナ感染症は、血栓形成が特異な病態として知られている。そのウィルス粒子のガワをコーディングするmRNAを筋注し、人体内でガワを作らせ認識させ忠和抗体を作る過程で同様なことが起こる可能性はある。んで体質(凝固因子等のsnp)や元々の冠動脈疾患リスクファクターの状態によって Vaccine related Acute
Thrombosis とでもいうべき病態が起こって稀には接種翌日に発症するのかも。頻度がすごく低いのはその発生自体がまれなのか、発生しても無症状で経過する事が多いなどの理由が考えられる(症状のない小さな肺動脈血栓・深部静脈血栓は日常診療でもしばしば経験されること)。
なので、接種後数日以内に亡くなった方々については発症経過や血清・血算等データの保存・集積をできる限り行って後々の検討に使えるようにしておいた方がいいんじゃないか。
TOKYOMERを見た。
鈴木亮平演じる医師の喜多見を筆頭とした医療者らが、石田ゆり子が立ち上げたTOKYOMERという手術環境を搭載した緊急車両で現場に向かい、多数傷病者が発生した現場で、死者ゼロを目指し奮闘する物語だ。
私は感動した。
そして絶望した。
救急救命士という職を目指していることを誇りに思っている。「夢は多くの人を助けることです。」と、入試の面接で高らかに宣言した。
医師に引き継ぐ前に私たちがいることで、救える命があるはずだ。そう信じて今も頑張っている。
私が目指す救急救命士は、救急救命士法という法によって行う処置が定めれている。
ドラマ内で鈴木亮平や加賀健人が現場ですぐさま行っていた処置である、静脈路確保(点滴)やアドレナリン投与は、今現在、心停止前の傷病者や心停止時に効果があるとされている。しかし、私たち救命士があれを行う際には、傷病者の状態、考えられる病態、適応外では無いという根拠、これらを1度医師に伝えてから指示を貰い、処置を行っていく。
また、急性頭蓋内病変への開頭手術や、血胸(胸に血がたまること)へのドレナージ(血を抜く処置)などは私たちは行えない。
私たちは病気が分かったとしても、対処療法しか出来ない。何も出来ないまま安静に急いで病院へ運ぶだけだ。
私は彼らが羨ましかった。
私が諦めなければならない命を、彼らは諦めなかった。そして助けた。
私が出来ないことを、彼らはいとも容易くやってみせた。
学年が上がるにつれてだんだんと感じてくる、私たちにできることは何も無いんじゃないか、という現実。
このドラマで突きつけられた気がした。やはり傷病者を救えるのは医者だけだ。
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
https://anond.hatelabo.jp/20210130130504
(おしまい)
と、思ったらしまえなかったー!
伏線回収をまたしても忘れた!!
そろそろ終わろうとしている。
足掛け4年、治療期間でいうと3年間。掛けた金額は年収2年分。
肝心の原因は省くが、私たち夫婦はクリニックに行ったら「自然妊娠は限りなく難しく、さまざまなレベルの治療のうち、一番最後の一手『顕微授精』しか取れる手はありません」と言われた。
「顕微授精」とは、卵子を体内から取り出して、精子を1匹、針で注入して受精させる方法だ。まさしく試験管ベイビー。手術も伴い、1回1回の治療が高額なのが特徴だ。
0.00002%~0.00007%くらいだ。
数学が苦手な私でもわかる。
これは天文学的数字だ。
ハッキリ言って、その事実だけで十分に打ちひしがれる。
私たちも打ちひしがれた。
でも、打ちひしがれてばかりでも年を取るばかり。今が、人生のうちで一番若い。
私たちも、そして私たちの卵子も精子も、どんどん年を取る。治療に取り掛かるなら早い方がいいのだ。
いくつかの不妊専門クリニックを訪ね、とあるクリニックで早速、顕微授精のための治療を始めた。
流れは主に以下。
①月経が来たら、受診し治療計画を立てる。この時、ホルモン補充のための服薬や注射のスケジュールも組む。女性ホルモンをあの手この手でガンガン入れて、本来1か月に1個しか取れない卵子を大量生産する。
②クリニックの方針によって、その都度予約しての院内注射か自己注射を選ぶ。(高くても自己注の方が、圧倒的な気楽さが私はあった)
③再び指定の日に受診し、卵子を包む袋が増えているか、大きさなども測り、採卵手術の日を決める。予定通りの大きさ等になってない場合は、ここで何回か受診をして様子観察を繰り返す。(これが仕事のある身には辛い。そんなカンタンに予定を開けることなどできないのだ。)
④採卵手術の日が決まったら、指定の時間に病院に行き、手術を待つ。麻酔は使うクリニックと使わないクリニックがある。使い方さまざま。針を打つ箇所にに限定的に使うところもあるし、希望により静脈麻酔を使うところもある。
(手術自体は10分程度だから、あまり強い麻酔を使って麻酔が覚めるまで院内で休憩しても、お互いあまりいいことがないのだ。)
毎回50万近く払って、私が得たもの。
孫悟空の頭のわっかを締め付けられるようなひどい頭痛。吐き気。脂汗。気持ち悪さ。
ただでさえ、当時はフルタイム勤務と土日の家業の手伝いで疲れがたまっていた。
夫も夫で、こんなに副作用がひどいとは露ほどにも思わず、「土日は休ませてくれ」とお願いする私をずいぶん怠け者扱いした。
今は時が進み、治療期間の私を放っておいた方がいいと理解している。
また、ホルモン補充の注射が自己注射に切り替わったので、夫が見てる前で注射の儀式。
注射の針を見せては、「これをお前にぶっ刺す!そしたら、具合悪くなって私みたいに布団から離れられなくなるんだからな!笑」と脅している。
ちょっとかわいそうだけど、仕方がない。
採卵手術は採卵手術で、手術中の気絶を経験。
採卵手術では、ながーい針をあそこにぶっ刺して、子宮から卵巣まで貫通させる。で、針をぐりぐり動かして、卵子を吸い取る。人によって痛みの差があるらしいが、私は最初の手術で意識を失った。
採卵後には。ホルモン補充により卵巣が膨れ上がり、1週間絶対安静。1日3回ウエストを測り、腹水がたまらないか確認する。尿の出が悪くなったり腹囲が大きくなったら、即連絡。
注意書きが山ほど書かれた紙を持たされて、疲労困憊で帰宅する。
この症状は「OHSS(卵巣過剰刺激症候群)」といい、ホルモン補充療法の一番の副作用だ。
悪化すると、血液が濃くなり電解質の異常が起こったり血栓症を引き起こすこともある。
私は安静だけで、事なきを得たが、本当に色んな事が辛すぎる。
以上の症状は毎回ではなかったが、私を打ちひしがせるのに十分だった。
実際、無理だった。たびたび仕事に穴をあけ、仲間のフォローを受けながらも、フラフラだった。
でも、不思議なことに治療の回によっては、全然大丈夫なこともある。
だから、元気な時は体調もいつもどおり。
「次もこのくらい大丈夫だといいな」と思うし、でもひどい時は目が当てられないくらい体調が悪くなるので、自分でも自分の体調が読めない。
説明すればするほど、自分の状況が克明になるし、人に言われるまでもなく「この治療を続けても、授かれるのか?」という難問にぶちあたる。
近距離に住む義両親に打ち明けたのは、今からほんの数か月前だ。毎週のように会っているけど、絶対言いたくなかった。
ガッカリさせるのも嫌だし、気を使われるのも嫌だ、不妊の原因を話すのも嫌だ、今月は治療だというのも嫌だ、詳しい治療の結果を話すのも嫌だ、全部が嫌だった。
それでも、打ち明けたのは「もう治療を終わらせよう」と思ったからだ。
0%と0.00002%~0.00007%の間には、毎回体調を奪われるような副作用と数十万円のお支払いが待っている。
考えれば考えるほどバカのようだし、実際バカにならないと、こんなこと続けられない。
そして、バカなりに色々考えながら、3年間治療に取り組んできた。
ドクターに相談しながら、治療の順番を変えたり、今できる最善を尽くしてきた。
0%と0.00002%~0.00007%の間には特に何もないようにも思われたし、
今吸っている空気から二酸化炭素だけを素手で取り出すのと同じくらい、困難があるようにも思われた。
そして、今この文章を書いている。
この3年間、不妊治療について何か書こうなんて夢にも思わなかった。
でも、「書こう」と思ったのは「治療を一旦卒業する」ことを決めて、振り返ってみると、
「あぁ、なんだ。私ってすごい頑張ってきたなぁ」と思えたからだ。
私はこの3年間ものすごい困難と向き合い、あるのかないのか分からない0%と0.00002%~0.00007%の間を、行ったり来たりしながら、歩いてきた。
私たちは、治療の度に1つか2つの受精卵を冷凍しながら、ここまで来た。
液体窒素で冷凍された卵たちに、特に何の思い入れもないが、得られた結果といえば、
このいくつかの受精卵。
私の親族には、「妊娠悪阻」で長期入院歴を持つ者と、「子宮外妊娠」を繰り返した者がいる。
私もそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、なんだか確率は高そうだ。
こういう分かりきった結果をや推論、不安を重ねながらも、1回1回の治療を着実に積み上げてきた。
そんな中で、言った本人は心配しているつもり。だけど、心をえぐられるような言葉にも出会った。
ありがとう、うっせー死ね。もう既にホルモン補充で独特の太り方をしているよ。
「妊娠したくて治療を頑張っているかも知れないけど、産んでからの方が大変だからね。」
ありがとう、うっせー死ね。あんたんとこも不妊治療したからって、土足で踏み込んでくるな、ばーか。
むしろ、宇宙に放り投げる。二度と地球に帰ってこないように、大気圏で燃え尽きて死ね。
こういう黒い気持ちになることもある。
一人で打ちひしがれて、誰にも当たれない。相手も悪気0%だ。
無茶を承知で治療を継続しているから、涙が出てくることもある。
それが辛い3年間でもあった。
そろそろ最後の採卵手術を迎える。
この3年間で得たもの。
それは、副作用、期待薄な結果、それでも向き合い続けながら、生活を構成する全てに中途半端になりながら生きてきた証。
こんなことを言うのは大げさだけど、今までやりたいことは努力でほとんど叶えてきた。
行きたかった高校、大学、海外留学、取りたかった資格、それを活かした仕事に就いてきたこと。
でも、この不妊治療ばっかりは、体調・仕事・休養・家業・金銭などなど生活の根幹をなすことがら全てが思うようには進まず、身体もメンタルもボロボロになった。
倒せないものがあること。
努力が何の成果にも結びつかないこと。
それでも、それに向かって進んでいくこと。
そういう今までにない道のりを味あわせてもらった。
別にありがとうを言うつもりは毛頭ないが、この3年間はそれを味わい尽くした期間だった。
カルビ・ハラミ・ホルモン・シマ腸・・・思い浮かべるだけで美味しそうだ。
さあ!全部終わったら、5年ぶりに鶯谷園行くぞ。
(断っておくが、鶯谷には鶯谷園だけのためにしか行ったことがない。)
そう決意すると、
あぁ、よだれが出てくる。
ちょっと煽りっぽいタイトルになってしまったが割と真剣に悩んでいる。
要は「なんだかんだ我慢できる症状で、実際は日帰りできる手術を、保険制度の縛りだけのために4泊もして病院に世話になってもいいのか」ってことを聞きたい。
まず、俺の金玉は恐らく精索静脈瘤という問題を抱えている。正確には金玉に繋がる静脈の問題だ。(この増田とかこの増田がわかりやすい)
症状としては
が挙げられ、今のところ子作りとは縁遠い自分なので主に鈍痛が問題になる。
なんや痛いんなら手術しろやって話になると思うんだけれど、この痛み、自分の場合常時続くものではなく主に正立時や姿勢を正して座っている時、それもその場から動かず数分、といった条件が重なると出てくるので、逆に言えば我慢できてしまう。
これまでの人生でもその場に留まり続けなければいけない場面は意外と少なく、長時間の会議でもなんだかんだ動きを挟める場面は多かったりする。テレワーク推進が叫ばれる現在ならなおさらスキだらけで動きたい放題。
ただ不利益が生じているのは事実なので、これだけなら恥を忍んで手術だけサッと受けて帰ってくるくらいの図太さは持っているつもりだ。
しかし問題は他にもある。精索静脈瘤において現在主流で効果的な手術は、局所麻酔の日帰り手術だと保険がきかないらしい。保険制度の詳細はよくわからないのだが、なんかそういうことになっているらしい。
つまり、保険が効くように無駄に全身麻酔してもらい、無駄に入院する必要がある。
正直自分は保険診療がいいし、高額医療制度も使いたい。何せ10万以上負担が違ってくる。学生の自分には違いがデカすぎる。あと社会人になってからだとこんな時間が取れるかも怪しい。でもコロナが完全に収まるのを待っていると何年も経ってしまいそう。
こんな感じで、今の俺は自分のキンタマを今手術するかどうかでめちゃくちゃ悩んでいる。
どうすればいいのでしょう。
妊娠が確定し安定期前後に母子手帳が配布されると、検診時に助成があったり、12週以降の流産や分娩時には出産一時金を受け取れる。
自分の場合は母子手帳を受け取る直前の10週に流産をしたため、10万円近い金額があっという間に飛んで行った。
初期流産は母体が若く健康でも10~20%は起こることなので、今後誰かの参考になればなあと思い、経験や感想を交えながら具体的な費用を残しておきます。
結婚数年目にして子作りを始め、初の妊娠発覚。検診は全て保険外。
初期の稽留流産となる。(胎児の心臓が止まったまま子宮に留まった状態)
流産が分かった時点から、保険適応となるようです。ただし手術に向けての血液検査等で保険外がこのうち¥13,200-かかっている。
胎児が小さければ自然排出されるまで待つ場合もあるが、今回は胎児が大きくなってきており自然流産となると自宅で大量出血の恐れがあり手術を選択。
手術前日の前処置で、水分を吸収し時間をかけて子宮を広げる棒(ラミナリア)を入れられます。
拡張器で膣をつまんで無理矢理広げられ針のような物をグリグリ奥まで刺される。
痛みには個人差あるようだが、私の場合子宮頸管が狭く角度もあったため上手く入らず時間もかかり、経験のない激痛が走り悶絶。人生で一番痛い経験だった。
抗生剤を受け取り帰宅。ラミナリアを挿入している影響で重い生理痛のような鈍痛が続く。
掻爬手術という方法で、匙のようなもので子宮内から胎児を掻き出す手術だ。
中絶の場合は保険外となりおよそ10万前後かかるが、流産は保険適応内。
手術着に着替え分娩台に上がり麻酔で意識を失うが、20分程経ち麻酔が覚めた頃にはまだ手術が続いていた。痛い。怖い。
どうやら子宮口がうまく広がりきらず器材が入らなかったようで、手術中止となった。
恐怖や悲しみと戦いながら手術に挑んだのに、まさか中止になるとは予想だにしていなかったので、泣いた。血も結構出た。
担当医からは、あなたの子宮口の問題で手術が難しいから自然排出を待って、胎嚢が出てきたら持ってきてと言われる。
2、3週間~長ければ2、3ヶ月程かかるかもとのこと。2、3ヶ月も体に悲しみの時限爆弾を抱えて生活するのは精神衛生上よろしくなくないか?
通っていたのは近所でも人気のクリニックだったが信用を失ってしまい、近くの総合病院でのセカンドオピニオンを決める。
紹介状を書いて貰う際に担当医からは「何万人もの手術経験のある僕にできない手術なら、この病院行っても無理だと思うけどね~」なんて言われた。
前回まで通っていたクリニックとは違い、かなり時間をかけて丁寧に内診をしてくれた。
内診で見る限り異常もないし、手術もそこまで難しくはなさそうなので、当院で再トライしてはどうかと言われ、是非にとお願いする。
血液検査や性病検査、心電図等、前回のクリニックで足りていない部分の検査をした。
うち個室代が¥14,000。
大部屋なら差額はかからず総額4万円以内で済むのだが、幸せそうな妊婦や赤子と同室になることが不安で精神安定のため個室にした。
因みにこの病院でも手術前に海綿体の棒を入れる前処置があった。
前回、激痛で死ぬ思いをしたので恐怖に震えながら挑んだが、今回はほとんど痛みも無く時間もかからず、
え?もう全部入った?え???状態。医師によってここまで痛みが違うとは、担当してくれた女医さんに感謝……感謝……
手術も前回とは変わり真空手動吸引法というもので、体に負担が少なく手術による合併症のリスクも少ない手術らしい。
海外ではこちらの吸引法が主流だそうだが、日本は医師の平均技術も高いことも影響してか、掻爬術のままの病院がまだまだ多い。
手術自体は麻酔があり怖がらなくていいものだが、自身は酒が強いせいもあってか、とことん静脈麻酔が効きづらいのがしんどい。手術中、寝たり目覚めたりを繰り返して唸っていた。
手術は無事成功し、術後はベッドを血で汚してしまったりもしたが本当に痛みは全くなかった。
中身がなくなってしまったお腹への違和感と切なさだけは残った。
一週間後の検診。血液等の残留物を出し切るために子宮収縮の薬を1週間服用したが、子宮内に血が残っていたので処方箋を変えてもらった。
「サイトテック」という元々は胃薬なのだが、副作用として子宮収縮効果が強く出るらしく、妊娠の可能性がある女性には禁忌の薬だ。
この薬に変えたとたん血が下からドバドバ出た。胃薬なのに副作用怖すぎへんか。
胃薬のおかげで子宮も回復。手術から約1か月半後に生理がきて、やっと全て一段落。
それに加え今回私は¥5,000支払い診断書を出してもらい、個人で加入している医療保険に手術給付金を申請し、10万円戻ってきた。医療保険、初めて入っていてよかったと思えた。
因みに自然流産で完全排出されたら手術給付金は受け取れない……
以上、ざっくりですがこんな感じ。転院がなかったり日帰り手術であれば、もう少し費用は抑えられると思う。
そして金額より何よりも、夫や家族や友人に頼ったり、難しければ病院やカウンセラーを頼り、気分転換もしっかりして精神的なケアを怠らずどうか鬱にならないよう。
私は自身のメンタルが強かったこに加え周りの支えもあり何とか持ちこたえましたが、流産によりホルモンバランスが一気に変わり産後うつに近い状態になることもあるそうです。