はてなキーワード: 電車賃とは
あー!私って女に生まれてよかった!
山と川しかなくて、夏が始まると家の裏の川に蛍の光が点々と灯り、軽く運動場くらいの広さの駐車場があるコンビニまで歩くと10分かかるクソ田舎で生まれ育って、性別が女で、ほーーんとによかった!
だって、もし男の子に生まれてたら、きっととーーーってもワガママになってたもん!
8つ下の弟よ! 自分のヤバさに気付けるかどうかは、アンタの今後の人生でそのクソ田舎を出るかどうかにかかってるからね!
小さい頃から「女の子らしくしなさい」「しっかりしなさい」のオンパレード。
私がくだけたことをしようとすると「何?女の子が、その口のきき方は」「女の子がそんなことしちゃダメ」と必ず言われる。
私が何か賞を取ったりいい点を取ったりすれば「パパもそういえばこんな賞を取って…」と言い、私のよくないところを見つけると「そういうところはママにそっくり」と言う。
マザコン気味の私は母のことを悪く言われるのが心底嫌だったけど、祖母に言い返しても無駄だった。
「女の子が反抗なんかするもんじゃない」から始まる更に長い説教が待ってるから。
親戚の集まりに行ってもそうだった。
母は地元で「べっぴんさん」と有名だから、そんな母似の私も当然、幼い頃はちやほやされた。
ちやほやされるの気分いいだろうって?
「○○ちゃんはお母さんに似てべっぴんさんだね。お金もちのだんなさんと結婚できるね」
「いい年になったら俺たちのお酒の酌もしてもらわないといけないな」
私、小説漫画をたくさん読んでいて結構言語習得の早い子供だったから、大人の言葉もよくわかってた。
そして子どもながらに、この人たちの言うことは私には快適でないとはっきり感じていた。それでもにこにこした。
おしゃべりしてたら「女の子がぺらぺら話すとよくないよ」「おしとやかにしなきゃ」って言われちゃうから、おしゃべりも控えなきゃ!
父の親戚の集まりでは「女の子なんだからあなたのためを思って言うけど〜」と服装や食べ方を責められた。
内容自体はマナーの話だったから不愉快だった記憶はないけど、その横で寝そべってポテチ食べながらゲームやってる男の子を咎める大人が1人もいなかったことが納得できなかった。
私のためにそう言ってくれてありがとう!
そうこうして育っているうちに、我が家に待望の男の子が生まれた。
私と妹の下に。
祖父は弟を撮るためにカメラを新調した。私の名前を祖母に丸投げした父が、弟の名前は寝ずに決めた。
いくつも離れた弟だから、赤ちゃんの頃はかわいいと思っていたけれど、弟が大きくなるにつれて違和感が拭えなくなった。
弟に対して大人が甘すぎる。
アレルギーや摂食障害などではない、単なる好き嫌いでご飯を食べない弟に対して、食べないから代わりに○○(お菓子、パン)でも食べさせておこうとか、野菜を食べないならビタミン剤を飲ませようとか。週に一回買い与えられるトミカ。弟が興味を持ったコンテンツは、全て与えられた。
末っ子だから親が慣れていて、育てるにあたって雑になっているだけかと思っていたが、それは「男の子だから」ということが理由のすべてだと気付いた。
私が「女の子だから」と咎められていたことの全て、弟は許されている。
模試で疲れて帰宅した私にご飯の配膳をさせ、帰宅してゲームしかしていない弟には、祖母は「ご飯よ」としか言わない。靴を揃えなくても、洗濯物を出さなくても。こういうの全部、男に生まれてたら我が家ではできないまま育つんだと思うと怖すぎる。
弟はもちろん、どんどんわがままに育った。
県内で一番賢い高校に合格できる偏差値の私に「電車賃が馬鹿にならない。こっちの高校(家からは近いクソ底辺ジャングル高校)にしないなら勝手にしろ」と言った父は、片道1時間半の高校にノリノリで弟を進学させた。
自分がそう育てられたかったと何度も思ったけど、今思えばあんな育てられ方してたら目も当てられない痛いやつになってた気しかしない。うーん、やっぱいいや。ってなっちゃう。
ね?
私って女に生まれてよかったでしょ!
弟はもちろんかなりのモンスター内弁慶に育ってるけど、私、染色体の関係で長男に生まれてたらどうなってたかな!?
女の子に生まれた今でも、自分の人格形成に対する疑問や不満、たくさんあるけど、それでもなお女でよかった!
もちろんご家庭によると思います、田舎だろうがなんだろうが、子どもの育て方っていうのは。
でもね!田舎って「男の子尊い族」がすごく多い!高齢の方が多いからかな!?
県外に進学して大学6年生の私が帰省して会った親戚、私に対してなんて言ったと思う!?
「早く戻って結婚して子ども産んで、親を安心させないとね」って言ったんだよ!!!!
私が勉強できるかどうか、どんなことがしたくて生きてるかなんて全然考えてねえの、あの人たち!!女の子だから子ども産んで親に孫見せて家庭を守るのが使命だって、ガチで思い込んでるの!!
唯一ありがたかったのは母が性別に対して無関心で公平であったこと。別に結婚とか出産とかしなくていいよ、したくなったらすればって。サンキュー。やっぱママとこういう仲の良さでいられるから、女の子でよかった。女の子は褒めると調子に乗るから褒めない、なんて言う思想の父と仲良くなってたらと思うとぞっとするわ。
別にフェミニズムがどうこうとか女性の権利がああだこうだと言いたくて書いたわけじゃなくて、休みの日にふと小さい頃のことを思い出して書いてみただけです。昇華用であり供養用。文章めちゃくちゃでごめんなさい。
それでも選挙に通い続けなきゃいけないって、
しんどいですよ。
その記事のトラバに選挙に行ってもマイナスになるという学問的な結論があると主張するものがあったけれど真偽は不明。都会の投票所がどういう状況なのかは知らんがね
実際に横浜市長選の結果を受けて自民党の総裁が変わったわけだけど、お前の言う「何かが変わる可能性」とは何を指しているのか。枝野になっても何も変わらなかったとか言いそう。青い鳥を探しているのか?
他人が自分の学業とか就職とか人間関係とかに注力していたリソースをお前はすべて政治への関心に割いていたかのような言い草だけど
政治に興味あるなしと投票に行くいかないが後半ごっちゃになってる。単に頼まれたから脳死で握手した奴に一票入れるような老人に政治に興味があるとは思えんのだがね
そもそも投票なんてリソースをちょっとしか割かないんだからリターンも少ないはずでしょ。ガチでドラスティックに変えたいならリソースガッツリ割いて出馬しないとさ
俺は、その時々でしっかりと日本のことを考えて一有権者として日本のためになる選択をしてきたという自負が欲しくて毎回投票に行っている。それは誇りとか価値観の話だしお前がどう思うかは知らんが、金銭的なものには変換できない部分の話だわな。電車賃+30分の時間で500円のマイナスとかいう話じゃないわけだ。500円どっかに寄付すれば投票に行かずともその自負が得られるわけじゃない。(つーかそもそも投票所行くのに電車とか使うのかよ都会は)
まあ結局はオマエの自由だけど、お前が投票を棄権したとして、でもぼくは政治にかかわってないんで今の政治には何の責任もありませんというのは認められないよね。棄権という投票行動で組織票に勝る自民党を利したわけだから相応の批判からは逃れられないよ。
どっかのブログで一重瞼デー 太っちょデーがあったらおかしいでしょ、レディースデーは女性をカモにしているってあった。
自分はそうは思わん……
いいじゃん、レディースデー。
そこには何も、女を消費しようとか、割引につられるバカ女めとかないでしょ。少なくとも自分は思ったことないし、もしお前ら思ったことあるならそれはお前らがおかしいよ。
レディースデーを設けたら、売り上げが伸びるようになった。
なら企業的にはやる他ないでしょ。
シニアデー設けたら、たくさんお客さん来てくれたから続けてるんでしょ。
それ以上でもそれ以下でもないし、もし社内で、やっぱ女と老人は割引が好きっすねww自分はそんなのには釣られないっすwwとか言ってる社員がいたら、それはそいつの問題。
レディースデーにやってきたLGBTの人たちが苦労するのはまた別の問題。それは対応する受付窓口の人たちや会社側の話。自分が女だと思ってるなら胸張って行けばいい。
学割がなくなって社会人料金になって値段跳ね上がったときから思ってんだわ。
男女平等に基づくなら、利益を得ている女性が上にたって、男性は利益を受けられず下にいることになる。
おい男ども、声をあげて自分たちが差別されていることを訴えようではないか。
といっても声はあげないんだろうな、差別されてる意識がないもん。
映画代とかだから感じてない人多いのかもしれないけど、電車賃とかだったら反感大きいんだろうな。
これは電車賃安くしたところで利用者数は変わんなさそうだから、ただの優遇だって捉えられるのかな。分からん。
まあそういうことです。
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企業的にはレストランの2人席は2人で埋めてくれたほうがいいし、デート先おでかけ先に映画館選んでくれたら儲かるじゃん。
そゆことよ。
需要と供給なんて経済の基本中の基本だと思うのだが、なぜこれを行わないのか。
ピーク時だけ値上げすれば、負担を増やしたくない会社はオフピーク通勤を社員に薦めることになるだろう。国や都が直接労働者に奨励するのとは訳が違う。
券売機や改札機、その他システムの改修は必要だが、コロナに関係なく日本の満員電車は害悪なもので支払うべき改善コストだ。
いまどき出前だってダイナミックプライシングしてるんだから、電車賃だっていいのではないか。
こういうこと言うと、電車はインフラだからとかいう人がいるが、同じく交通インフラである高速道路は夜中に割引があるし、電気やガスや牛乳や小麦粉の値段だって基本は需要と供給に基づいている。
なぜ電車だけ365日同じ値段なのか。
今までPASMOにチャージする金額はだいたい3000円以下で、だいたい交通費のの支払いとコンビニとかでの少額の支払いだけに使っていた。
が、マイナポイント欲しさに万単位の金額をチャージしてみたら、スーパーとかでの支払いに使うのもなかなか良いかなという気がしてきた。結果としてクレジットカードで支払うことになる系の電子マネーは、使ったときとお金が引き落とされる時のタイムラグが長いので嫌いだ。
時々家計の管理術として、食費なら1ヶ月の食費と決めた金額を封筒に入れてその中に入れたお金だけでやりくりする…というのがあったけど、それに近いことがPASMOで出来ないかなと思う。
ただ、PASMOの本来の目的は電車賃やバス代を簡単に精算することなので、仮に1ヶ月分の食費と決めた金額をチャージしても、どこかに遠出したらその交通費でかなりの金額が減ってしまうことになる。
仕事の後につい入ってしまいがちなコーヒーショップの代金とかつい余計なものを買ってしまいやすいコンビニとかでの買い物にかかるお金をコントロールしたい。
自分は一人暮らしなので、小遣いと生活費の区別があいまいなんだけど、いわゆるちょっとした無駄遣いをPASMOのチャージ額の範囲内とすることで、コントロールしやすくならないかなぁと思っている。
何となくスマホにアプリをインストールしないといけない○○ペイ系は嫌い。Quick Payは持っているけど、使ってから2ヶ月後ぐらいに口座から引き落とされるタイムラグが何だか気持ち悪いと思う。
ネットショッピングではやむを得ずクレジットカードを使うけど、なるべくリアルタイムで精算が終わるものが良い。特にポイントを集めてどうこうとかそういうのは考えていないので、他に家計管理に向いたカードやサービスがあれば知りたい。
僕は関東圏に住んでいるものの、まったく東京に縁がなく、興味もなかった。しかし、都内の大学に進学し、東京のいろんな名所が気になるようになった。
その名所の一つがラーメン二郎だった。ラーメン二郎といえば、コールと呼ばれる独特な注文方法や極端に量が多いことで有名だ。しかし、僕はどちらかというと、ラーメンの味そのものに興味がわいた。太麺と分厚いチャーシュー、そして大量のニンニクが乗ったどんぶりにはスープが少し垂れている。見るからにジャンキーなあのラーメンは、どんな味がするのだろう。某掲示板などでは「豚の餌」と言われることもあるけど、本当に「豚の餌」なのか確かめたくなった。
さて、先日都内に用事ができたので、ついでにラーメン二郎に行くことにした。目的の店舗は三田本店。定期区間外の電車賃をケチるために新橋で下車し、東京タワーに寄り道してから三田本店に向かった。約2kmの散歩で、腹の具合は準備万端である。
午後2時近い時間にもかかわらず、7人ほどの行列ができていた。ラーメン二郎初心者のために書かれたネット記事を復習しながら待つ。前の人がひとりずつ食券を買っているので、それに合わせて食券を買った。もちろん、初めてなので注文するのは「小ラーメン」。麺の量は半分にしてもらうことにした。
店内の雰囲気は、イメージしていたよりも柔らかかった。吉野家のコピペのような殺伐とした店だと思いこんでいたが、なんてことはない、忙しい人気のラーメン屋という感じだった。創業者の山田拓美氏らしき人物と、二人の店員さんがせっせとラーメンを作っている。もちろん、中には殺伐とした店舗もあるのかもしれないけれど。また、「コール」が上手くできるか不安だったが、「ニンニク入れますか?」「お願いします。」でサラッと通じた。
小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)が出てきた。ゴワゴワした太麺は噛みごたえがあって、すごく好みだった。スープは少ししょっぱすぎる感じがしたが、極端に脂っこい感じはしなかった。友達は「二郎は家系ラーメンをもっとジャンキーにした感じ」と言っていたけど、個人的には家系の方がジャンキーな味だと思った。二郎も味は濃いし、アッサリヘルシーの対局にあるような味だけど、家系の方が油っこくコッテリしている分、こちらの方がジャンキーだと思った。
ヤサイはそれ自体の味が薄いけれど、スープに絡めると丁度いい塩梅になって意外とうまい。ブタと呼ばれるチャーシューは少し硬かったが、食べごたえがあってこちらもなかなかだ。
ヤサイとブタをつまみながら、黙々と麺をすする。ヤサイの下にある麺をたぐって、すする。ぱっと見た感じでは、麺半分ということもあって思ったよりも麺は少ないらしい。序盤から中盤に差し掛かるまでは、そう思っていた。
何かがおかしいことに気づいたのは、ヤサイの2/3とブタ半分を食べ終わった時だった。この時点で麺はもう少ししかないはずなのに、どんぶりの底からいくらでも麺が湧いて出てくるのだった。
誤算だった。大量のヤサイに目を奪われ、その下に隠された麺の多さに全く気づかなかった。たとえ麺の量が半分だったとしても、二郎は二郎だったのだ。
それから、僕と小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)との闘いが始まった。
いや、小ラーメン(麺半分)(ニンニク有)が僕の目の前に現れたときから、闘いはとっくに始まっていて、ついにこの瞬間、それに気がついたのだ。闘いが始まっていること、そして相手は手堅く策を打っていたことに、僕は全く気づかなかった。数分前の自分を甘さを心底恨んだ。
わずかに残ったヤサイと麺をかきこみ、ブタにかじりついた。僕は、食べ残しという二郎最大の罪(ギルティというらしい)を背負えるほど神経が太くない。多少気持ち悪く感じながらも、必死で眼の前の丼に向き合った。終盤では水で口のものを無理やり流し込み、なんとか食べきることができた。あと一口か二口多かったら食べきれなかったと思う。
店を出た時、大体どんなもんか分かったし、もう二度と来なくていいやと思った。確かに旨かったけれども、目から鱗が出るほどのものではなかった。そもそも、なぜラーメンを食べるのにあそこまで神経をすり減らし、全身全霊で丼に向かわなければならないのか。ただ、ラーメンを食べるだけなのに。
しかし、これを書いている今は、もう一度行ってみたいと思っている。喉元すぎれば何とやら、とは当にこのことかもしれない。
ただ、次回行くときは麺を1/3にしてもらう事を忘れないようにしたい。
※新宿から歩いたという記述がありましたが、正しくは新橋からです。訂正させていただくとともに、おかしい表現があったことをお詫びいたします。(2021/2/5 22:44)