はてなキーワード: 電光掲示板とは
私はロマンスカーが好きだ。
小田急沿線で育った子供の頃の私にとって、ロマンスカーは新幹線のような存在で、それが全国を走っていると思っていた。
たまに実家に帰省する際、私の地元へは町田でロマンスカーを降りねばならない。そのため、新宿からではそれほど到着時間に差が出ないため、普段は急行や快速急行で帰ってしまう。
私がロマンスカーに乗るのは、心や体に余裕がないときだ。仕事で疲れが溜まっていたり、重い荷物を抱えていたり、実家の犬の体調が悪くなって急遽帰る時だったり、そんな時だ。
そんな時、新宿駅のロマンスカー専用のホームに行き、電光掲示板を見る。ホーム中程で400円ほどのキップを買う。それほど乗りなれていないので目的の車両の位置が分からずにうろうろしてから列車の到着を待ち、やや高貴な空気をまとう空間に足を踏み入れる。自分の席を見つけ、カバンを落ち着かせてから腰を下ろす。
私は神奈川県で育ち、東京で出張等のない仕事に就いており、たまの旅行でくらいしか特急というものには乗らないため、やはりこの体験は私にとって新幹線と同等かも知れない。
そして、余裕のない時にのるロマンスカーは決まって、余裕たっぷりで私を迎え入れてくれる。各駅や急行にはない包容力で私を包み込み、通勤電車特有のストレスを感じずに400円の贅沢に浸る。
時間にして僅か30~40分の移動が私の心を落ち着かせてくれる。
同じことを東京へ戻る際にもする。上りは夜になることが多いため、酒を一缶携える。もう少し乗っていたいと思ってる間に風景は流れ、新宿についてしまう。それでも、ロマンスカーから降りた夜、翌日から仕事が待つ私の背中を押してくれる。
私にとって、ロマンスカーは箱根への旅行客車でも、通勤の飛び道具でもない。電車を愛でる趣味もないし、年に数回、帰省でお世話になる程度だ。それでも気疲れた私を優しく運んでくれる、ロマンスカーが私は好きだ。
そりゃわたしだってあの人と付き合いたいとかセックスしたいとかそういうことを思う日はあるけれど、ただ漠然と彼氏がほしいなんて思うことはぜんぜんなくて、だからこんなふうに「やっぱりユウちゃんも彼氏とかほしくなるよねえ?」とか言われると正直どう答えたらいいのか返事に困る。「いや、あのね、彼氏がほしいってわけではないんですけど……」なんて説明をしてもこの人はたぶん理解しようとしないだろうし、「もったいない」とか「男に求められるうちが華だよ」とかいいだすんだ。すこし肌寒くなってきたこの頃は特にこういうタイプの交通事故が起きがちで、苦手な誘い文句は寒さによって誘発されているんだと気づいてからはわたしは冬がきらいになった。うそ。マーガレットハウエルのコートが着られるからすき。
「やっぱり人肌恋しくなるよねえ」なんて言ってグラスを傾ける彼は、わたしの輪郭を「肌寒くなってきたから人肌恋しくて年上の彼氏がほしいおんにゃのこ」に落とし込めたくて、その強引さにむしろ感心してしまう。この人は駅に設置してあるような電光掲示板の営業をしているとさっき言っていたが、やっぱり営業職ってこういう強引さが必要な仕事なのだろうか。きっとこの人は恋人のことも雑に抱きしめたり、下着やTシャツなんかも適当にまるめてたんすの引き出しに突っ込むタイプなのだろう。勝手に彼の暮らしを想像してしまったのだけど、話を進めていくうちにどうやら既婚者のようだということをなんとなく匂わせてきた。サブリミナル効果みたいに何気なく「妻」というワードを放り込んできたときはびっくりしたけど、びっくりしたリアクションをこちらに取らせまいとする勢いにまたびっくりする。びっくりするリアクションがなければびっくりしたことにならないとでも思っているんだろうか。わたしは意地が悪いのでちゃんと説明させてやろうと、あ、えっと、結婚されてるんですか?と聞く。んーまぁおれのことは別にいいじゃん☆ってさっき散々自分の自慢話をつづけていたくせに既婚者であることは別にいいじゃん☆なのか。
じゃあさ、ユウちゃんはどれくらい彼氏いないの?という質問の意図ってわたしにはいまいち理解できなくて、とりあえず正直に答えてみるものの「えーなっがいねぇ、さみしくならない?」って返ってきていろいろ後悔するが、っていうかその「彼氏いなくてさみしい」という突破口しかねえのかお前には。えーじゃあユウちゃんはどんな男性がタイプ?って聞かれることもそもそも屈辱で、お前とこういう話をしてもわたしには得もなければちっとも楽しくもないのだけど。あーでも、もしかしたら徳は積めているのだろうか。これを耐え忍ぶことで来世のわたしの鼻が橋本奈々未ちゃんみたくなれるならこのまま続けるけど、たぶん世界はもっと残酷であるし、いずれにせよだいじなのは今世である。
おれはねぇ…背の小さい子がすき。カギ括弧つきの(ユウちゃんみたいな)が透けて見えているけど、たぶん見せているんだろうけど、そんなもんに反応するわけにはいかないので「へえ」とだけ返す。1へえ。背の小さい女の子ってねえ、守ってあげたくなるんだよ男の本能かな。2へえ。背ぇ小さくて得したことない?3へえ。ねぇ話きいてる?え、はい。
ユウちゃんって時々ぼーっとする癖あるよね。そういうところが可愛いとおれは思うけど、気をつけたほうがいいよ、おれは怒んないけどさ。これにまた「へえ」と返すのがお笑いのセオリーだとわたしは松本人志に学んだつもりだけど、男性を怒らせることの恐怖心には抗えず「すみません、、、笑」なんて女の子らしく微笑んで愛想を振りまいてしまう。ここはNSCでもなければM-1グランプリの3回戦ではないのだ。そういえば金属バットは準々決勝に進出できたのだろうか。iPhoneでナタリーをひらけば確認できるけど、そんなことも許されないまま時間が過ぎていって、わたしはここでなにをしているんだろうと、悲しくなってくる。
すみません、、、笑。って愛想をよく微笑むことが女の子らしい振る舞いなのだと、結局自分もそう思ってるんじゃないか。頭ではわかっていても、Twitterに歯切れのいいことを書き込んでも、コミュニケーションのなかにその価値観を取り込めない。特に年上の男性と話すと、古い意味での女の子を演じてしまう。
そんなことを考えながら山手線にゆられ、なぜかいまわたしは片耳イヤホンでBOOWYを聴かされている。たぶんあと5回くらい死なないと、わたしはカネコアヤノちゃんみたいにはなれない。大事なのは今世だっていうのにさ。
肌寒くなってきて欲情しているのも、悪い意味で雑に抱きしめたいのも、いつだってあんたたちのほうじゃないか。
翔び出た精液みたいな白いイヤホンコードが、わたしとお前をつなぐ。山手線の夜窓に乗客たちが映っている。わたしはまた笑っている。諦め顔のよくできた歯車のように、灼けつく陽差しが、わたしたちを狂わせている。
タイトルに関して知見が欲しいの半分、愚痴りたいの半分で書く。
斜視はかなり改善してるけど片目は未だに弱視。もう片方も裸眼で遠くは見えるけど本の活字がほぼ読めないから眼鏡必須。
ここ1年くらいで視力が落ちてきて目に力を入れないと手元が見づらくなったので久々に眼科に行った。
初診で散瞳剤を点眼し検査をしたがうまくいかなかったと言われ、後日サイプレジンという目薬を使って再検査をした。
長丁場の検査後「左右2段階ずつ度数をあげますね」と言われ、処方箋を手渡された。そのまま眼鏡屋に直行し眼鏡を購入した。
数日後完成した眼鏡を受け取りに行き、掛け替えて店を出て少し経ったあたりで頭痛と吐き気をじわじわ感じ始めた。
遠近感も妙で夢の中を歩いているような違和感がある。手元のスマートフォンの文字もぼやけるし、駅の電光掲示板は滲んで見えづらい。
初めて眼鏡を買い換えてこういった感覚におそわれたが、じきに慣れるだろうと思い様子を見ることにした。
翌朝になっても何も改善せず、昼過ぎにおかしいと思い処方箋を見直した。
見える方の度数が3段階、弱視の方の度数が1段階上がっていた。
すぐ以前の眼鏡に掛け替えたところ1〜2時間で体調も良くなった。
眼科に逆ではないかと電話すると「おそらくそうだと思うが診ないとわからないので来てくれ」と言われた。
そして昨日眼科に行ってきた。
「前回対応をした者に対応させる」と言われたので「不安なので別の方に対応していただけるとありがたい」と伝えた。
「検査結果通りに処方したがどうやら合わなかったようだ」と言われたので「2段階あげると言われたのにそうなっていないうえ、かけても視力が出ないのはおかしいし逆ではないのか」と言ったら、医師がパソコンのデータか何かを見ながら「確かに逆だ」とかそんなことを小さく呟いた。
改めて正しい処方箋が欲しい旨を伝えたが「遠視の目は測定が難しいので来月専門家(なんたら士?と言っていた)が来た時に再検査したい」と言われた。すぐに眼鏡を買い換えたいと伝えたがしばらく前の眼鏡で生活してくれと言われた。
病院から指定された日は仕事を休まないと来院できないと伝えたがじゃあそうして欲しいと言われ少しイラッとした
腑に落ちない部分はあったが来月の予約をさせられ診察を切り上げられた。
受付で800円程取られて「処方箋が間違っててもお金を払わないといけないんですね」といらない嫌味を行ってしまった。
言い訳すると月のもので体調が非常に悪い上に朝1で受診するため寝不足気味の状態で来院したため精神的な余裕を欠いていた。
もう1度診察室に行ってくれと言われたが、いらないことを言ってしまい申し訳ないしごねたり金を返せと言うつもりはないので会計してくれと返した。
暗所で看護婦数人と医師に囲まれるのは正直嫌だったが強引に診察室に連れていかれた。
医師から「あの処方箋は誤りではない」「こちらは正しい処方をしたが合わなかっただけ」と言われた。
もうさっさと家に帰って寝たかったので「誤りでないというのは納得できないが揉めるのは本意ではないし誤っていたからといってタダにしろとかごねる意図はない。先程の発言はやつあたりということにしてほしい。申し訳ない」と言った。
何言ってるんだこいつみたいな顔をされてなんとなく話が終わったので受付に失礼な態度をとったことを謝って病院を出た。
3度も通って眼鏡代より高い金を払ってこの状況はなんなんだと思ったので、そのまま眼鏡屋に行って処方箋なしでレンズの度数を変更できないか相談した。
本来は処方箋がないと変更できないので駄目元だったがその場で検眼してレンズを変更してもらえることになった。
病院のいうとおり遠視に合う眼鏡を調べるのは難しいと前置きされた上で、左右均等に1段階か2段階度をあげるのが丁度いいだろうとのことだった。
昼前に帰宅してそのまま倒れるように床で寝て夜に起き今に至る。
他の遠視の人もこういう面倒な工程や出費を経ているんだろうかと思って似たような境遇の人がいないか軽く検索したが大半が子供のうちに治るらしいと知って心が折れそうになってる。
☆はじめに
・滅茶長いです。数えたら4000字ありました。3000字のレポートの課題は一向に進まなかったのに、皮肉なものですね。
・フツーに、私達のことを知ってる人が見たらああアイツ等のことか、と分かるんじゃないかと思います。気づいても、出来れば、自分の心に留めておいてくれれば幸いです。とはいえ、あの人はきっとこれを見ても怒ったりしないだろうけれど。
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あの人は違ったけれど、私にとっては初めての恋人だった。1年2ヶ月の記念日に喧嘩して、1年2ヶ月と2日目に直接顔を合わせて、話し合って、2人で決めたことだった。心残りはなかった。
…はずなのに、気付いたら、私はゆうちょ銀行でありったけのお金をおろしていた。そしてその足で駅へと走り切符を買って新幹線へと飛び乗った。行き先は実家の最寄駅。正直何も考えてなかった。ただただ本能の赴くままに、私は帰省してしまっていたのだ。
新幹線の中で父に「急にごめん、今から帰ってもいい?」とラインしたら、すぐ既読が付いて、それから10分後くらいに「分かりました。駅まで迎えに行きます」と返事が来た。母親にも同じようなラインをすると、「おにぎりと味噌汁ならあるよ」と返ってきた。
新幹線に乗っている間、私はずっと車内の電光掲示板を眺めていた。色んなニュースが流れていたけれど、ひとつも内容が思い出せない。ただひたすらに、駅名がひとつずつ西にずれていって、目当ての駅がくるのを待った。
2時間半くらい過ぎた頃、新幹線はやっと駅についた。父から駅前の牛丼屋の横に居るとの連絡が来て走ってそこまで行ったのに父がいない。ついたよと送るともうすぐ着くと返事が来た。"居る"の意味知らないのかな、父。
3分くらい待っていたら父の車が見えた。父は何も聞いてこなかった。ただ嬉しそうに、明日は上司と競馬に行く予定だったけど無くなりそうだということを教えてくれた。私からは最近車校で路上教習に突入したこととか、最近急に寒くなったこととかを話した。
駅からは45分くらいで実家についた。チャイムを鳴らすと母がドアを開けてくれた。お風呂沸いてるよと言われ半ば強制的に風呂場に連行された。ひとり暮らしの家は狭いユニットバスで、いつもシャワーで済ませていたから足を伸ばして浴槽に浸かるのは久々だった。足先から体が温まっていくのを感じた。
30分くらいで風呂から上がり、居間に行くとおにぎりと味噌汁とからあげと餃子とゆで卵が用意されていた。昆布のおにぎりを半分と味噌汁を少し飲んだらお腹がいっぱいになってしまったから、残りは朝食べることにした。父は知多をロックで呑んでいて、「知多?珍しいね」と言うと「中身は違うけどね」と言われた。本当の中身は過去にツイッターで不味すぎると炎上した伝説を持つトップ●リュのウイスキーだった。
そんなこんなしていると夜中の1時を回ったから、父におやすみを告げて2階の寝室に上がった。キングサイズのベッドに横になった。5分くらいすると、母が部屋に入ってきた。ベッドに座って私に一言、「頑張ったね」と言った。
その瞬間、私の両目から噴水のように涙が溢れた。元旦のデパート開店直後みたいに、ものすごい勢いで色んな感情がとめどなく流れて来た。辛い。寂しい。苦しい。悔しい。なんでこうなっちゃったの。もう前みたいに遊べないの。もう好きだよって抱き締めてもらえないの。もうどの街に住もうか?なんて戯言を言い合えないの。もう、2人で添い遂げ合う人生は遅れないの。
母は、ひたすら「頑張ったね、もう充分やれることはやったもんね、辛かったね」と私の背中を撫でてくれた。そのあとに、「でも、色んな楽しいこととか初めての経験とか素敵なモノも沢山貰えたんだから、嫌な思い出にしちゃ駄目だよ。」と言った。
19歳の秋だった。
私とあの人は、同じサークルでひと夏を過ごした。かなり厳しいメニューをこなす日々で、春には名前も顔も知らなかった私達が夏が終わる頃には家族よりよく会う存在になっていた。
夏が終わるとサークルの活動も一段落し、私達は顔を合わせることが減っていった。そんな時、あの人からディナーに誘われた。
他の同期も来る筈だったのに、何かと来れなくなり、2人になってしまった(これがあの人の策略だったのか、本当に偶々だったのかは結局分からずじまいだった)。2人でやっすい店に入って、色んなことを話した。好きな音楽、好きな作家、高校生の頃の話、過去の恋愛話。私が中高ヒエラルキー最下位大学デビュー女のため恋愛経験0の喪女であり、その当時自分にアプローチしてくる人がいたのだがどう交わせばいいか分からないと相談したら、フフッと笑って「ぶっ飛ばしたいなあ、そいつ」と言われた。一瞬ん?と思ったけれど、「ホントそうだよね~」などと軽く流した。
正直、全く意識していなかったのだ、恋愛対象として。ひと夏を共に過ごしたかけがえのない大切な同期、という認識だった。だったのに、やっすい店から出たあと、そんな私達の思い出の練習場で、告白された。午前2時くらいのことだった。
その時も、急に涙が溢れて止まらなかった。信じられなくて、嬉しくて、少し申し訳なくて、何より私が本当は心の奥でずっと惹かれていたことに気付かされてしまって。
あの人はそんな私の手をずっと握っていてくれた。「でも私、多分中学生みたいな恋愛しかできないよ?」と震えながら言うと、「ロミジュリのジュリエットだって中学生なんだよ。」と笑って更に強く握りしめてくれた。その温もりがとても気持ち良くて、私達は手を繋いだまま眠った。
朝の6時頃に目が覚めると、夢じゃないんだと隣から聞こえる寝息に心臓がバクバクした。そうしているうちにあの人が起きて、不意に抱き寄せられて、キスをした。それが私にとっての、ファーストキスだった。
その日から私達は、所謂"恋人同士"になった。数え切れないほどデートをして、旅行も行って、一緒に大学の授業を受けて、お互いの家にも行き来した。
デートは、本当に色んなところに行って色んなことをした。映画を見たり公園でピクニックしたり気になる飲食店を片っ端から当たったりショッピングモールで服やコスメを吟味したり美術館で考える人の真似をしたりディズニーに行ったり(私にとっての初ディズニーだった)、割と付き合いたての頃古本屋に行ったらエロ本だらけで少し気まずくなったこともあった。
ラブホにだって、行った。勿論私にとっては初めてだったけれど、何気ない会話の中であの人は初めてじゃなかったことが判明してしまってそれはもう死ぬ程泣いたな。
デート以上に、私達は沢山沢山体を重ねた。週に1、2回くらい私の家に来てくれて、近くのコンビニまで手を繋いでお酒を買いに行った。気取ったジャズなんかをかけながらお酒飲んで、ほろ酔いでセックスするのが本当に大好きで幸せだった。
いつも一緒だったな、と思う。毎日のように好きとか愛してるとか言い合って、自撮りを送って褒め合ったり、記念日には詩を送り合ったりして、サイコーに幸せな日々だった。
…だったけど、会うごとに、知るごとに、着実に違和感が大きくなっていったのも事実だ。
最初は、私が話しているのにスマホを見ているとか、そんな程度だった。
けれど、それは次第に、私の話になった途端全くつまらなさそうになる(電話だったら寝られる)、私の誕生日を忘れる、逆に誕生日を祝ったら明日忙しいからと電話を切られる、ご飯を食べる約束をしていたのにやっぱり家で食べるとドタキャンされる、自分が忙しくなるとライン一つくれず放置される、そして私が貴方のこういう言動が嫌だからどうにかならない?と話しても自分はこうしたいからと全く歩み寄ろうとしない、というふうにどんどん根本的なところに及ぶようになっていった。決定的に考え方や価値観が違うことに気付くのにはそれ程時間はかからなかった。
けれど、気付いたときにはもう遅かった。私は、完全にあの人に依存してしまっていた。傷ついても、傷つけても、別れることが出来なかった。本当に毎日が辛くて、耐えられなくて、覚悟を決めて別れようと言っても、本当に別れたいの?と子犬のような目をして聞くあの人から離れることはどうしても出来なかった。
だから、最後の数カ月間はお互い深い話を避けるようになってしまっていた。悩みごとや将来の話はお互い他の友人に話すようになり、2人で話すのはこのツイートがどうとかおっぱいがどうとか、本当に俗っぽい上辺だけの話題だけだった。
1年2ヶ月の記念日にした喧嘩は、それ自体はそんなに重要なトピックではなかった。ただ、限界だったのだ、もう。お互いに、これまで少しずつ感じて来ていた"違和感"ゲージが、この喧嘩で満杯になってしまったのだ。
1年2ヶ月と1日の日、多分これは別れるな、と思った。頭では理解していたのだ。けれど、心が、それを受容しなかった。初めて付き合った人と結婚したい、要は一生一緒にいたいという典型的な少女漫画脳と、あの人とならそれが出来る!という付き合いたての頃の自分の幻想、そして何よりもまだ体験したことのない、失恋がもたらす精神的苦痛というものへの恐怖が決断の邪魔をした。
だから、1年2ヶ月と2日目に、決めきれずゴニョゴニョしていた私にあの人が「もう頑張らなくていいよ」と言った瞬間、スッと楽になる感覚がしたのだ。それからは驚くほどスムーズに、そしてお互い納得できる形で、私達は別れ話を終えた。最後の挨拶は「じゃあ、またね」だった。
何も後悔は無かった。あれほど恐れていた失恋の苦痛も感じなかった。むしろ、あの人と今までより素敵な関係性になれるのではないかという希望すら見えていた。
のに、私は、気付いたら、実家を目指して駅へと走っていたのだ。
多分、母は全部分かっていたのだと思う。父だって察していたのかもしれない。私が、初恋の人と結婚したかったことも、本気で恋人に一生を添い遂げようとしていたこと、そのために沢山沢山頑張ったこと、でもそれは結局報われなかったこと、依存や執着もあったけれど、私があの人を本気で好きだったこと。私が、本当は沢山沢山泣きたがっていること。
そう。好きだった。本気で好きなつもりだったんだよ、ずっと。ずっと一緒にいれると思ってた。だから、頑張った。初めてで、何も分からなかったけど、頑張れば一緒にいれると思ってたのに。あの人も、あの人と作り上げてきた時間も思い出も失わずに済むと思ったのに。
私はただひたすらに、思いっきり泣きまくった。そしてそのまま眠りに落ちた。母はずっと、私の横にいてくれた。
次の日、目が覚めたら昼の12時を回っていた。居間に下りると父が録画した吉本新喜劇を見ていた。母はお茶を沸かしていた。私は昨日残したおにぎりと新しいおにぎりと味噌汁とからあげとゆで卵を食べた。餃子は冷蔵庫から出し忘れていた。
その後、母と近所を散歩した。いつもより空気が冷たくて空が澄んでいた。公園について、木製の古いベンチに腰掛けた。「辛い経験や悲しい経験は全て未来の自分が幸せになるための布石だ」という言葉を思い出した。空を眺めがら、あのユニットバスの、小さなアパートに帰ろう、と思った。
新雪 降ったばかりのパウダースノー グリップも効き楽しいウインタードライブが楽しめる。雪は軽い。
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圧雪 新雪をたくさんの車が踏みつけて圧縮された状態 凍結路に近づきグリップしにくくなる。
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凍結路 圧雪が気温の低下により凍結した路面。昼間の往来で圧雪になり、夜間に凍結路に変化する。凹凸がなく、平滑であれば大丈夫。チェーンで凍結路に凹凸を刻まれると40km/hくらいまでしか加速できなくなり、振動がひどい。
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シャーベット状の雪 圧雪や凍結路が昼間の気温上昇で、水と雪が混ざり合った状態になったもの。重い。厚さがあるとハンドルを取られる。チェーンは効かない。
と変化する。
雪国では、夏タイヤともいわれるタイヤ。普通のタイヤです。騒音が静かとか溝が少なめでグリップ性能がよいとかは、今回のお話ではほとんど関係ありません。
ノーマルタイヤで雪道は走れるのかというと、他の車がいなければ走れるという答えが正解です。これまた、付帯条件が付くのですが、車両最低高より積雪がなく、降ったばかりの新雪であり、気温が0度以下で、できればより寒いほうがよく、新雪の下はアイスバーンではなく舗装道路であることが条件です。加速は3速固定、減速は2速のエンブレで行います。ブレーキは使っちゃだめです。
つまり、今頃の時期にほかに誰も走っていない峠で、急に雪が10㎝くらい降ってもなんとか無事に走れるということです。
これ以外のときは、ノーマルタイヤでの走行は、だいたい事故ると思います。この条件が変化したときは、付帯条件を満たさなくなるため、危険です。たとえば、ほかの車が増える時間帯になれば、雪質が新雪からシャーベット状に変わり、ノーマルタイヤの溝では車をコントロールできなくなります。
雪国で冬タイヤと呼ばれるタイヤ。柔らかめのゴムが使われており、細い溝がたくさんついている。ゴムの中には各社の秘伝の成分が配合されている。細い溝は、シャーベット状の雪対策と氷面での排水対策、ゴムに混ぜた秘伝の成分は氷面では摩擦を増やして止まりやすくしている。
ノーマルタイヤとの違いは、シャーベット状の雪に強いことと氷面で止まれること。これのおかげで、11月下旬から3月の上旬までの3.5か月間のほとんどの日ではこれで走れます。
この期間の中で暖冬の年では2回、寒冬の年では4回くらい除雪が間に合わない日が出てきます。2時間で30㎝降ったとしたら、除雪は間に合いません。そんなときはどうにもなりません。
雪面で動けるけど、止まる性能は、2WD車と同じという特性を持ちます。そうじゃないと言いたい四駆乗りの人から反論が来そうですが、田んぼに落ちている車は、パジェロとかハイラックスサーフとかジムニーが多いです。慎重に加速しなければならないところで雪がない路面のように加速できるため、スピードが出すぎて、止まらなくてはならないところで止まれずに自爆することが多いのでしょう。
2WD車では入れない除雪していない駐車場に突っ込むとか除雪するのが面倒なので、4WDと馬力で雪を乗り越えるという物臭な使い方もあります。あと、田舎の農家に多いのは、公道に面した敷地の入り口から自宅までの私道に行政の除雪がこないので、仕方なく4WDに乗っているという人もいます。多分、小型の除雪機も持っているのだろうと思います。4WD車を選ぶときは、ホイールベースが短めの車にしましょう。ホイールベースが長いと腹をこすって動けなくなります。
鉄製のチェーンは、バスかトラックくらいしか使っていないです。凍結した路面では、チェーンを付けている車だけがなんとかなる感じです。何でトラックやバスがチェーンを使っているのかというと夏タイヤのままだったりすることが多いように思います。冬タイヤでチェーンを付けている車はかなり意識高い系です。
スピード出せないことと、積雪路面と除雪された路面が交互にあったりすると困る。除雪された路面でチェーンは足手まといになってしまう。たとえば、関越自動車道の関越トンネルの前後では、チェーン規制されるとスタッドレスタイヤ装着車は、そのまま行けるが、ノーマルタイヤ車は、下牧PAでチェーンを装着して、関越トンネルの入り口の谷川岳PAでチェーンを外して、関越トンネルを走行、関越トンネルの出口にある土樽PAでチェーンを再び装着してチェーン規制区間が解除になるまでチェーンを付けたまま走行となる。実際のところ、この運用で雪道を走っている車は一見のスキー客くらいで、ほとんどの人はスタッドレスで通過している。規制がかかると土樽PAでのタイヤチェックが行われている。
チェーンを付ければ、どんな雪面でも走れるのかというとそうではなく、除雪は間に合わないようなときは意味がないということになります。
今後困るのは、「チェーン規制」という言葉が、これまでは「普通タイヤ+チェーンもしくはスタッドレスでOK」という意味だったので、高速道路の電光掲示板で、「すべての車チェーン装着」などに変わるのでしょうか。文字数が限られているので大変そうです。
チェーンを持っている人はほぼいないと思います。自動車教習所でもチェーンの装着の練習は省かれました。普通タイヤで乗り切ることにしたトラックを持っている事業所くらいしかチェーンを所持していないと思います。
県境の峠道が対象と思います。普通に生活している分には、あまり関係ないのかもしれません。(実際に区間が発表されてみないとわかりませんが)
とのことなので、冬の県境越えの際は、気象の急変に備えてチェーンを載せておかないといけないことになります。
国道で立ち往生がしばしば発生するのは、高速道路のほうが先に閉鎖するからです。これまでの経験では、高速道路を降ろされて国道でひどい目にあったことがほとんどです。
磐梯山のふもとのあたりや妙高方面、裏日本の平野部でも急に降ると先に高速道路が通行止めになります。通行止めになると国道に交通が集中し、にっちもさっちもいかなくなることが多いです。
不思議なことですが、道路幅の広い高速道路が先に閉鎖され、道路規格が低い一般道にゆだねられることになります。高速道路の管理者も事故を起こされたら、なぜ規制しないのかと批判されるので、早めに通行止めにしてしまうのかと思います。
どうすればいいのかというと、雪も災害として認めて、一定以上の積雪が降ったら、会社や学校を休みにするとか、荷物の着日指定は無効になるとか、裏日本の冬の消費税を免税するとかルールを変えて、雪の中で無理をしなくてもいいようにしてほしいです。
パブリックコメントも送っておこうぜ。
父の仕事の関係で、小5~大学卒業まで海外(中国とカンボジア)に住んでた。ザ・駐在員!みたいな生活じゃなくて、結構ローカルよりの生活をしていたので、治安が悪いとかそういうのには結構慣れていると思っていた。盗難とかは身近にあったし、包丁持って喧嘩してるおじさんとおばさんも見たことがあるけど、近寄らなければ結構大丈夫だし、「そういうものなんだ」と思っていたのでそんなに怯えてなかった。でも、日本で就職して住むことになった大阪では毎日ビクビクしながら暮らしている。
痴漢。マジで多い。海外でもあったけど頻度がぜんぜん違う。「今やられてるかな?」と思ってちょっと目線を動かすと手がスッと引くから、多分やられてるんだけどなかなか捕まえられないし、正体がわからなくて怖い。他の人に聞いたら「慣れてる」って言ってて、強いなと思った。
ぶつかってくる人。明らかに強い意思を持って、無言でぶつかってくる人がいる。人混みの中なら「偶然かな」と思ったりするけど、全然人がいないところでも同じようにぶつかってくる。ぶつかっても無言だったり、舌打ちしてきたり、気をつけろ!と怒鳴ってきたりで、こっちが謝っても、向こうから気持ちいい反応が返ってきたことがないし、どうしたらいいのかわからなくて怖い。
怒ってくる人。②と同じだけど、とにかく怒られることが多い。人混みの中でぶつかった瞬間に、ものすごい剣幕で怒ってくる人もいる。これは自分の不注意もあると思うけど、電光掲示板見てる時に前からぶつかられて、反射的に「ごめんなさい」って言ったら、おばさんから「ちゃんと前見ろや、ボケ」とすごい勢いで怒られた。駅の改札とかで止まってしまった人を後ろから怒鳴ったり、飲食店で働いている人に怒鳴っていたり、自分だけじゃなくて、色んな所で怒っている人を見るから、人の多いところに行くのが怖い。怒るための理由をずっと探してて、目の前にチャンスが来たらすぐに怒れるようにしている人がいて怖い。
この怖い人達が全然普通のところで生活してて、見た目だけで区別ができないから怖い。梅田とか淀屋橋みたいなビジネス街でも普通にこういうことがあるから、治安の悪いエリアに近づかなければ大丈夫、みたいなのが全然通用しないし、完璧に自己防衛しようと思ったら、街で会うすべての人々を警戒しないといけない。友人に聞いたら「大阪はそういう街だから」と言っていたけど、ネットで見てる限りこういうのって大阪に限らずあるみたいだし、転職して引っ越せば良いというものでもなさそう。
深夜の高速道路で道路工事が終わり俺たちはダブルキャブの荷台に乗ってワイワイやっていた。
誰かが「おいサノケン、ライトサーベルの音をバックにスキヤキを歌う例のモノマネやってくれよ」って言い出して、
俺の隣に座っていた佐野研二郎がマジかよ今ここでかよと言いながらも歌ってくれた。
上を向いて歩こうを歌いつつライトサーベルのチャンバラの音を口真似しつつ器用に歌っていた。
電光掲示板には歌っている姿がアドリブで映し出されて、下に歌詞も流れてみんな一緒に歌い出した。
夜空を見上げると大きなのから小さいのまで大量のUFOがやってきてリズムに合わせて踊り出した。
遠くの方で花火が打ち上がるのが見えてきた。
今日は特別素晴らしい工事日でしたねと前にいたおじさんに声をかけた。
ああ、こんな日はめったにないぞっと答えてくれた。
そんへんで目がさめた。