はてなキーワード: 雲散霧消とは
Peingみたいな小ネタアプリから決済機能ありきのうまく行ったら起業するかもって感じのCtoCサービスまでいろいろとアイディアは考えてるんだけど、どれも一向に完成しない
去年の年始は10個サービスやアプリ完成させるとか言いつつ結局今に至っても自分用のアプリが1つくらいしか完成できなかった
今年も、割りと同じ道を辿りそう
今の自分の趣味が、エロゲ、漫画、アニメ、特撮、Steam、2ch、はてな、ゲーム実況動画、ラノベ、んでプログラミングって感じなんだけど、
アニメと特撮は新作以外は月に2クール分以上は見ないというルールも設けた
SteamだってTF2とかFTLみたいなエンドレスに楽しめそうなのは1日1時間以内という制約を設けた、
会社でサービス開発をしていると、エンジニアは『このサービスを作るには1日8時間働くとしてX人のエンジニアがXヶ月働いたら完成する』みたいな見積もりをよくするじゃない?
『俺が仕事から帰ってきてアニメやゲームを遊ぶ時間を差し引いたn分間を2chを合間に見ながら作業を進めるとすると8ヶ月で完成する』
勿論8ヶ月もモチベーションが続くことは稀でしょっちゅう企画ごと雲散霧消したりする
ポケモン新作が発売された日なんかもう最悪で、下手すると1,2ヶ月は何もかもの作業がストップしてしまう
どうすればWebサービスって完成できるんだろう、いっそ会社をやめるか?いや、それでも同じ道を辿りそう
これでも現場経験はまあまああるし、時間とやる気さえあれば大体のものは作れるスキルはあるはずなんだよ。でも、それがどうやってもできない。
ここ最近、酒を飲み過ぎていて(ウイスキー700mlをだいたい2日間で飲み切る)、寝起きが悪いし、日中はだるくて頭が回っていない気がするし、飲み始めるとだらだらと時間を消費して無駄にしている感があったので、思い切って断酒をしてみた。まだ3日間しか経っていないが、その結果を報告する。
寝起きのだるい感じはなくなった。もともと寝起きは非常に悪いが、酒を飲んでいた頃と比べるとすんなり起きられるようになった。
少なくとも日中に具合が悪い感じは減少した。しかし、下記に述べるが寝付きが非常に悪くなったので睡眠時間は短くなり、今は眠気と戦っている。酒を飲むかやめるかという問題は、だるさと眠気とどちらを取るかという問題であるのかもしれない。
思い描いていたイメージとしては、だるい感じが雲散霧消したついでにやる気も湧いてきて、仕事をバリバリこなせるようになるかと思ったが、そんなことはなかった。だらだらしてしまっている。私のそもそもの人間性の問題かもしれないが。それに加えて眠い。しかも「あー酒飲みたいなー」とか雑念が発動されて集中力を欠く。これについては断酒を続けていけばなんとかなるかもしれない。
私はかつてからずっと痩せ型で、ラーメン二郎を週2で食べていた時にも全く太る気配はなかったのだが、加齢とともに体重増が認められるようになった。自分だけは太らない神話は崩壊した。思えば、ここ最近の私は一日中何かを食べていた。空腹の状態で起き、食べても食べても空腹、ツマミは基本的に食べないが、寝る前に腹が減って飲みながらカップラーメンを2杯食べたりしていた。で、酒をやめてから、それがピタリと止んだ。タバコのせいもあるかもしれないけれど、思わぬ副産物だった。
私がそもそも何で酒を浴びるように飲んでしまっていたかというと、寝酒である。寝付きが非常に悪いのである。世の中には横になってすぐに入眠できる超人のような人間もいるけれど、そういった全ての人たちに嫉妬と憎悪を抱くレベルで寝付きが悪い。で、酒をやめてから、案の定寝付けなくなった。これは大打撃である。食べることと寝ることが趣味という人が世の中には存在して、眠るときが一番幸せという人も多く見かけるが、そういった全ての人たちを妬み、嫉み、憎しみを抱くレベルで大打撃である。私の場合、アルコールと睡眠はトレードオフらしい。困った。
「飲みたいなー」とはたまに思うけれど、手が震えたり、渇望したりするほどに飲みたいわけではない。家には自家製の梅酒が仕舞ってあるけれど、それにも手を付けていない。アル中ではなかったこと、断酒もやろうと思えばできることがわかった。
アルコールはうつ病の原因になるという話も聞くので、前述の通り、酒をやめたらもっと生産的になって幸福度も増すかと思ったが、実際そうでもなかった。心に穴が空いたというほどでもないし、酒を飲めば幸福感を得られるとも思わないけれど、少なくとも淡々と日常を生きている感じである。酒をやめたから活力が湧いてハッピーという感じでは全くない。
とは言え、酒をやめたことは健康に良いことには違いない。適量だけ飲むということが出来ないのである。一口飲み始めたら酔いつぶれるまで飲んでしまう。たった3日間だけど、断酒してみて起こった感想・変化を書き記しておいた。またそのうち飲み始めるかもしれないけれど、続けられるだけ続けようと思う。
枝野の立憲民主党の立ち上げは、これまで長らく政治を見てきた自分の中でも、久しぶりに盛り上がった出来事だった。
希望合流でリベラル勢力が絶滅の危機に瀕する中、Twitterじゃ「#枝野立て」とタグができて、俺も乗っかった。
それが現実になった時は、そりゃあ盛り上がりましたよ、ええw
筋を通した男たちってかんじでさ、これで民進党みたいに簡単に雲散霧消するような烏合の衆じゃない、正統派リベラル政党ができた、と本気で喜んだもんだ。
選挙結果も、立憲民主党の躍進で、議席数は少ないものの俺にとっては大勝利だった。
・・・それがだ。
選挙終わって一か月も経たないうちに、立て続けのセクハラスキャンダルですよ。
おいおい、何がリベラルだよ、もう最悪ですよ。
さらにまた民進党の議員が離党したけど、結局、自民党と比べて、元の民進党議員の質が圧倒的に低すぎるって事を痛感した。
こんな政党に乗っかって盛り上がった自分が心底恥ずかしい。Twitterとか垢消したいw
というわけで、立憲民主党の支持止めました。
正直、保守の人がうらやましいですw
車椅子ではないですが、障がい者です。増田氏の心遣いに深謝致します。
我々障がい者は、声をかけていただくだけでも、大変ありがたいものです。最近は飛行機でのやりとりがニュースになっておりましたが、やはり我々は皆さんより自由が利かないので、お気遣い頂けるだけでも大変ありがたいものです。あの方や乙武氏のように、強い言葉で世間に発信できる障がい者はごく少数で、やはり我々は、皆さんのような方々に支えられて生きております。
是非、次回も同じ方にお声がけください。あなた様のもつ些細な罪の意識など、即座に雲散霧消する事でしょう。
過度な謝罪は不要です。「こんにちは。何かあった時にはお力添えしますよ。お気軽にお声掛けください」とでも言われれば、私などは大変に嬉しいものです。
「助け合い」という言葉がありますが、我々が皆さんにお助けいただく頻度と比肩すると、我々が皆さんをお助けできる場面は大変少ないです。しかし、この日記が増田氏に届き、増田氏の懊悩を解消できる一助となれれば、私のような者でも少しはお役に立てるやもと思った次第です。
連夜の懇親会という名の酒の席の後はよかった。酩酊で感度が鈍ければ気分だって軽い。夜が遅ければ通りに人は少なく、宿泊先のホテル近くまで、日本人の同行者だっていたのだ。
一方で仕事が終わったあと、特に予定のない日に漠然とした不安が襲ってきた。仕事が終わって19時前、空はやや暗く人通りは絶えない。ホテルまでの帰途、行き交う人々の合間を一人で歩く。いかついタトゥーの強面の黒人、連れ立って喚いている話の通じなさそうなハイな学生たち。もし絡まれたらどうしよう。
自分は英語ができない。もちろん一人でアメリカに入国して一人でホテルにチェックインして一人で仕事先で拙い英語をなんとか切り貼りすることはできている。と思う。が、そもそも英語以前に日本であってもどちらかというと人見知りするほうで、初めて訪れるお店に入る時はつい目の前を素通りして様子を伺ってしまうタイプだし、咄嗟の会話で言葉に詰まるし自分を相手がどう捉えているかが気になって仕方がない。相手の意図が読めないと上手に話ができないのかもしれない。
アメリカではどうか。
相手を読める気がしない。言葉の違いと文化の違い。歴史的背景的にアジア人は軽んじられたりしないだろうか。不安げな面持ちのうらなりが一人で歩いていたら簡単に絡まれるのではないか。絡まれたら何をどう説明すればいいのだろう。あいにく大した持ち合わせもないし、仕事の都合上でパスポートを持ち歩く必要があるのだ。これがなくなるとけっこう困る。必要以上に警戒して歩くと余計に目立つかもしれないと思いつつもつい警戒して挙動不審になっているかもしれない、という思考のループから抜けられない。しかしもちろん実際には誰からも何もされることはなくて、普通に歩いて普通にホテルについて普通に部屋に戻るのだ。
しかしそれでも、漠然とした不安は鳴りを潜めてくれなかった。昨日には火災報知器が誤作動したし、過敏になっているのはわかっていた。それでも何かの手違いで、突然ホテルを出ろと言われるような気がしたし、突然隣人が怒鳴り込んでくるような気がしたし、突然電話が鳴ってまたわけの分からないことを言われるのではないか。
言われなかった。
かくして短いアメリカ出張も終了し、一人でホテルを出て一人でバスに乗って一人で飛行機にのって一人で帰ってきたのだけれど、飛行機に搭乗してからの安心感はまどろむようであった。ここでは何か困ったことが起きても日本語が通じるのだ。正しく現状を認識して自分に手落ちがないことを説明できる。もうこれで大丈夫、アメリカで一人で抱えていた常時不安は消え去った。
さて、この常時不安がけっこうキツかった、というのが本題である。
なんとなく落ち着かなくて、何も手につかなくて、楽しいことをしようという気にもならなかったし、なんだか体調まで悪くなった気がした。深呼吸しないと呼吸が苦しくて何度も何度も深く息を吸った。思考もどんどんネガティブな方向に進んでいく。仕事の荷物を置いて再度ホテルから出て晩御飯を食べようという気も起きずにお腹が空いた。お腹が空いているのに部屋から出られない自分をみじめだと思った。
いざ部屋を出てみると意外と平気なのは知っている。でもすごくストレスがかかる。飲食店であれスーパーの店員であれ大した会話はしないのも知っている。でもイレギュラーが起きたら上手に対処できる気がしない。絡まれるのが一番ありそうな気がするし、食事をしたあとにうっかり財布を持っていないことに気付いたら誰に何をどう説明すればどう解決に進むんだろう。分からない。そんなことは財布をちゃんと持っていればいいことなのは分かっているのに、そんな起こり得ないことが起きたときにどう対処すればいいか分からないから部屋から出られない自分がみじめ、と思うことがもっと自分をみじめにした。
しかしなんとか日本に帰り、常時不安は雲散霧消、好きなときに好きなところに好きなように行けるようになった。そこに裏打ちされているのは自信であって、日本語という言葉や日本という文化と慣習に揺るぎない自信があるから常時不安には陥らない。少なくとも自分はそうだし、多くの人もそうだと思う。
しかし、全員がそうだろうか。と思ったのがこの話を書いた最大の理由で、自分には世の中で生きづらそうにしている知人がある程度いて、そういう人たちに自分はどう声をかけたか。休日に部屋に引きこもってないで出かけろだとか、出会いがないなら合コンへ行けだとか、そんなことを言ってきた。
彼らは私がアメリカで常時不安だったように、ここ日本にいても様々な理由で常時不安なのではないか。対人恐怖症なんかは言語関係なく対人に自信が持てないのであって、自信が持てないのなら常時不安なのかもしれない。アメリカで自分が感じた常時不安の息苦しさの中で、「せっかくアメリカに行ったのに引きこもってるなんてもったいない」だとか「英語なんて適当で通じるから観光でもなんでも行ったほうがいい」とか言われたら確実に余計なお世話だと思う。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。不安なのは不安なのであって、簡単に消せないから苦しいのだ。
無意識のうちに、同じことを同じように自分も押し付けていたのではないか、と思った。人に会うのが苦手な知人に合コンに行けとか旅行しろとか友達を作れと言ったとき。あなたはそうできるかもしれないけれど、わたしに同じことができると思わないでほしい。そう思われていたのは、誰よりも自分だったのかもしれない。
できることはなんだろうか。またアメリカに行くなら英語だと思う。英語圏の人と話す経験をたくさん積むのが理想だろう。いずれ海外に行くことはあるだろう。それまでにもっと勉強していく。きっとそれが一番いい。
ですね、ですから、その、新しいゴミが、全く新しいゴミがですねぇ、去年の3月11日に新規に発見されて、だからさらに8億円ひきましたというのではなくて、もともと存在していて、それもある程度関係者の中では把握していたものがですね、その、まあいろいろ、籠池さんからとってみればですね、過少に評価がされて、えー、もっと、もっと引けるんじゃないのかと、いうことをまあ、お気づきになられたのが、去年の3月11日だったと、いうこと、ですね、
仰るとおりです、
はい、わかりました、それで、あのー、田村室長にそのことをたぶん話されてると思うんですが、その時に、この、中道組が作ったとされる打ち合わせ記録は、これ現に示しながらですねぇ、例えばその、地下を上回る瑕疵が発生する国有地の貸し出しはできないと、今も何回か言及があったようなことをですねぇ、見せながらお話になったということですか、
えー、仰るとおりですし、あの、この、議員いまお持ちのモノは、えー、田村さんにも渡しております、
あ、渡してるんですか、
あ、そうですか、それともう一つ、まあ、これだけ、まあ、あの、議事録、音声データが出てきましたけれども、籠池理事長が財務省に行ったときにですねぇ、先方はメモをとってましたか、
もちろん訟務係が二人ついておりましたから、とっておりました、
それと最後に、あの、先ほど平沼先生の名前が、出たんですけれども、その、初期の段階だと思うんですが、その平沼先生の果たした役割って言うのは、どういう役割だったんでしょうか
やっぱり平沼先生は、もう、私の、あの、とても尊敬するかたでございましてねぇ、あの、この先生に、推奨していただけましたらね、この学校の、まあいわゆる、なんというんですかねぇ、うーん、存在する以前の、建築をするね、意義が、当然、日本国民にとって、高まってくるだろうと、いうふうな認識をもったわけです、ですから、平沼先生あればこそ、この学校が、まず、開校しようという方向に、私が思ったということに、まちがいないですね、
一点だけですね、あの、定期借地で入っていって、で、買い戻し条件つき、買受条件付き定借で、始まってかつ、あの、売買の契約に変わっても分割払いを認めていただいてますよね、これやっぱりその、籠池さんから見ても、かなり特別なことをしてくれたという感覚は、ありますか、
あのね、それはねぇ、あのー、もともと10年で買取りということでしたから、あのー、10年で分割してもべつに構わんのではないかと、いうふうに私は思ってましたから、あちらのほうに提案しましたら、それはそれでよろしいということになったということです、
このメモのなかにですねぇ、普通は売買でやるんですけれども、その、貸し付けで最初入っていって、やるっていうこと自体が非常に特例ですよという発言が、これ財務省側から出てくるんですけれども、ま、そういう、こう、かなり特例だったという感じで、進んでたわけですか、
あのー、財務省のほうから、なんか、二度三度そういうこと、仰られましたねぇ、あぁ、そうなのかと、いうふうな感じで、あぁ、これはあまりないことなんやな、有り難いことやなと思って、私は受け取っておりました、はい、
あのー、最後に、あの、いま皆さん方は財務局のほうのことばっかり仰ってるんですが、その、財務局はですねぇ、あの、大阪府の私学審議会の答申をうけて、次に国有地審議会に行ってるんですよ、ですから、大阪府の私学審議会が認可妥当にならなかったら、国有地審議会に行かんのです、ということは、大阪府、府庁の人たちは、いわゆる、私が出しました申請書、の、を受け付けたわけですよね、形式的に問題なかったという、その前に、あのー、申請書の前にはですねぇ、えー、計画書というのがあるわけです、計画書というのは六か月前に出すわけですね、で、それをチェックして、で、終わりま、よし、これでいいよと、いうことになると申請書の受付になるわけです、で、もう、申請書の受付になると殆どね、あの、問題なく動いていくということ、なんです、ですから、本来は、もうそのまま、私学審議会、平成にじゅう、えーっとー、6年の、12月に、第一回目の分があって、本来そこで通る予定だったのが平成27年の1月にずれ込んだと、いうことなんです、その後、あのー、財務局の国有地審議会が始まってると、いうことから考えていきますと、やはりあのー、大阪府のほうの、やはりこのー、我々の、えー、事業に対してですねぇ、やはり一生懸命ね、緩和措置をしました、えー、小学校の認可ですから、一生懸命なっておったと、いうことは当然あると思います、そこに関りがありましたのがやはり、当時の、もう今は解党されて雲散霧消になってますけども、もともとありました党、この党を通じての動き、そして、あのー、えっとー、証人のときにも申し上げましたが、あの、当時の府会議長、あ、府会議員であられました畠先生の働きかけ、それによって、二期目にはい、二期目、一期目の時の知事だった、あー、松井一郎さんがですねぇ、まあ、ある程度一生懸命なって、二期目になりましたら、もう、党が雲散霧消してますから、いわれる気持ちが変わることも当然あるんだと、いうふうにおもうんですねぇ、そういうふうな局面で、あのー、どうも、あのー、一生懸命さから最終段階、認可を取り下げさそうさそうとした、動きになってきたと、もう、もっと言えば、いま私たちがいま大阪府大阪市で、いま、あの、大そうな目に遭ってますのは、大阪府と大阪市、これ行政体違うんですが、本来、一緒になって、あのー、補助金調査をしてはいけないもんなんですけども、一緒に、資料交換し持って、地方政府の維新の党ですから、し持って、ま、ま、我々の学園をもう根こそぎ潰してしまおうかと、いうふうな方向でいま、きてるということ皆さん、ご存じ、あまりないでしょ。もう、ですから、国有地のこともすごく重要なんですが、あの、その、私学審議会、これはなんでそのようになっていったのかというところは、あの、もうちょっとやはり、あのー、究明をしていただかないといけないことがあるんだと思います、あのー、当時の、えー、私学審議会の座長の、カジタさんのほうも、あのー、百条委員会だったかな、えーが、あのー、どうしますか云々のときにかなりのプレッシャーがあったんだよという話があったように聞いていますけど、まあまあ、あの、委員会が承知に、で、回答されたときにはべつになにもありあませんでしたというふうに現実は変わってたということはあるんですが、やはり、あのー、やっぱりそこらへんがなんかどうも、あのー、ややこしい話になってて、それで、近畿財務局と大阪府のほうが、こう、なんてんですが、キャッチボールをしてると、いうね、あのー、以前は、あのー、我々の学校作ろうという意味でのキャッチボールをしてたのが、こんどは、あの、なにか、もうそれをやめさそうというキャッチボールをしてるというふうな状況にいまなってるということ、やっぱり、あの、考えていただいてですねぇ、あの、党の皆さん、あの、議員の皆さん方にもやはり、そういう点も、あの、目を、目配り、していただけたらなあというふうに思います、やっぱり、維新の党にも、いろいろ、問題があったんではないかなと、私は思ってるということであります、はい、ありがとうございます、
えーっと、教育後援会は、いろいろなあのー、方をお呼びしましてですねぇ、ま、百万円の場合もありましたら、50万円の場合も当然あります、ですねぇ、あのただ、安倍先生の場合はですねぇ、あのー、なんていうんですか、あのー、国会議員でもあられましたし、そのご婦人でもあられますので、当初の、おー、あいだ2回ほどは、さしていただいておりません、ただ、あのー、3回目、いわゆるあの、名誉校長ご就任いただきましたときはですねぇ、えー、十万円を包んで、えー、お帰りの時に、えー、お菓子の袋のなかに、そっと入れて渡したと、いうことはございます、はい、
それはそのまま受け取られたんですか、
それはあのー、収支報告にものってる、あのー、PTAで収支報告出してますよね、その収支報告のなかにも含まれている金額ですか
それにつきましてはですねぇ、あのー、PTAのほうから出したのではなくて、えー、学園のほうから出しましたから、そのあの報告は載ってると思います、
学園側の決算書に載ってるということですか、
いうことですね、はい、
はい、わかりました、
あのー、だし、あのー、可能な範囲でその、ほかは消して結構ですので、その支出がわかるものもし、可能であれば、あのー、
あのー、ま、8億2千万円程度の値引きが、ま、国のほうで計算したと、いうことなんですけども、で、その後の実際の工事なんですが、ま、出た時は建物の基礎工事は終わっちゃってますんで、ですから実際には建物下部分の、ごみの搬出はなさってないんじゃないかと、それ以外の部分も、そうするとそれほど多くないと思うんですけども、そうすると実際に、このー、実際になされたですね、ごみの搬出にかかった費用というのは、幾らぐらいだったんでしょうか、
えーっとですね、先生ねぇ、そこはねぇ、ちょっと私も、あのー、途中でこの、なんていうんですか、小学校建設事業を取り下げてしまいましたんでね、最終のところのつめが、あの、建築業者ともできておらない段階なんです今、ですから、ちょっと、あの、その、それはちょっと、私がいま、答えられないんで、まことに恐縮なんです、もうしわけない、
えー、すいません、今日は有難うございます。あの、近畿財務局がまあ、数か月、この、えー、撤去費用の交渉されてたということだったんですが、それで、えー、見積を藤原工業さんとか設計事務所さんのものを、近畿財務局のほうに出されて、でその後、ま、神風が吹いたという、先ほどのお話がありました、8億円ほどの、ま、値引きがあったということなんですけども、この、近畿財務局のほうがですね、そのー、埋まってるこの埋設してるゴミがどのくらいかというような調査に来るとすれば当然、あの、籠池さんのところに、この、調査に来たいということで、申し出か何か、そういう問合せがあったと思うんです、そういう、近畿財務局なり航空局なりが調査したような、ことはあったのかどうかということとですね、先ほど船山先生の質問の中で、この謝礼が、という、謝礼をお支払いしたということが、あったんですが、もし、ご記憶が今ございましたら、どのぐらいの講師料をお支払いされたのかということも、もし、じゅうま、、あー、すいません、それは失礼しました、それと、あのー、すいません、あのー、もうひとつですねぇ、あの、安倍昭恵さんのその名誉校長を辞任されたという時にですね、FAXで来たと、ふつう日本の常識からすれば、何か役職を辞任するときは辞表を書いてですねぇ、まあ、せめてお会いしたりとか、そういうものでやると思うんですが、FAXで来たってことにどんなふうに、ご感想を持たれたかっていうことです、その3点、すいません、お願いします、
えーっと、謝礼の件は十万円、ということですね、あのー、その調査の件は、えー、2回ほど、えー、航空局と財務局が一緒に、まいりましたですね、あのー、土質の状況を確認した、
ということです、あのー、それは2回ほど、我々のほうにも行きますということで聞いております、それと、あのー、ご辞任の、FAXですが、もうあのー、議員仰るとおりで、あのー、まあ、俗な言葉で言うと失礼な話やなあと、いうことなんですよねぇ、で、あのー、こちらのほうからも、はいわかりましたというふうな、あのー、回答もしておりませんし、まあ本来、あのー、ほんまものをですねぇ、郵送して頂くとか、いうのが、まあ社会の常識だとは私思っておりますけども、まあそれもなく、またあの、これは後付けなんですが、安倍昭恵夫人はご自身で、辞任したことはご存じなかったんです、ええええ、ええ、ご存じなかったんですねぇ、それは、あの、安倍昭恵夫人付きの、えー、元秘書のかたのほうから、えー、のお母様のほうから、いまどうしたんですか、いま早く昭恵夫人と連絡をとってね、あの、今の状況がどうなのか、どのようにするのかということを、おー、言ってあげないと困っていらっしゃいますよということだったんで、いやもうすでにね、事務所のほうから辞任届け出がまいっておりますと、で、そうすると、びっくりされたと、いうことで、あのー、昭恵夫人も、あの、ご自身の、メールでですねぇ、あの家内とのメールのなかですねぇ、私が辞任したことは知らなかったと、いうことでありましたので、これはあの、当然、あの、事務所、のほうからの、あるいは事務所の上のほうのほうからの、対応であったんだろうというふうに、あのー、私は認識しておりますが、はい、
二度目となりまして恐縮ですが、あのー、何点か、事実確認をさせていただきたいと思います、一点目はあの、先ほど福島議員が質問されたことですが、その、ストライクゾーンの話をされたのは統括官ということでしたが、それはどなたであるのかというのが、あ、それはまえのしつ、あ、わかりました、はい、すいません、ごめんなさい、あのー、えっとー、じゃあ一点目はですねぇ、あの、稲田龍二さんに関することですが、あのー、財務省のかたが稲田事務所に来て、ま、航空局の、国交省も含めてですが、話したということです、もうその時点で顧問ではないということだと思うんですが、またお仕事として依頼されたわけでもないというお話ですが、それではなぜ、わざわざその稲田さんの事務所に、あの、役人のかたが来てですね、お話をされるような状況になったのか、それは、例えば稲田朋美さんの政治力を期待してというようなことなのか、ちょっとよく、その、あの背景がわからないので教えていただきたいというのが一点です、二点目はあのー、加計学園との関係ですが、これは昭恵夫人がきっかけになって、まあ何か、ご連絡を取るようになったという先ほどのご説明だったと思うのですが、そういうことでよろしいのかどうかというのが二点目です、三点目はあの、サステナブルの建築物の補助金についてでございますが、あのー、えー、この、おー、お金がですね、28年の5月にお金がでるということになっていたものが、28年の3月22日に支出をされております、ま、あのー、ちょっと不可思議なこともあるのかなと思うんですが、この間あのー、朝日新聞等で、その評価委員の方に、森友学園側から事前に、まあ何らかの接触があったという記事が出ておりましたけれども、何かそのサステナブルの建築物補助金に関して、えー、やりとりというものがあったのかどうか、この三点でございます、よろしくおねがいします、
えーっと、稲田龍二先生はですねぇ、あのー、なんていうんですかねぇ、あの、昵懇でありましたんで、ですから、まあ、ちょっと相談に乗ってくれませんかということで、申し上げたら、あー、まあ乗らしてもらうと、いうことだったので、連れていかしてもらったと、いうことなんですねぇ、まあそこで、何の解決があったかというと、それはないですが、まああの、そのー、えっと、前にも、なんていうんですかねえ、我々の運営しております、保育所の、関係で、あの、稲田龍二先生ところの、おー、弁護士の先生にね、大阪市の保育課に出向いて頂いて、お話をさしていただいたということも、ありました、はい、えーっと、それと加計学園の関係ですねぇ、あの、えーっと、加計学園の関係、加計学園の関係というのは、えっ、なんでございましたかね
加計学園にいろいろ行ったりされたのは全て昭恵夫人が最初はつないだということで、
あ、仰るとおりですね、仰るとおりです、仰るとおり、はい、で、サステナブルの件、あの、これはですねぇ、あの、議員よくご質問いただいたと思うんですけどねぇ、あの、本来わたしどもは平成28年の4月に開校予定だったんです、ですから、あの、変更申請をたぶん設設計士のほうがしてるんだと思うんですね、しかも、本来この、サステナブルというのは、えー、この年度、8件が申請しておりましてね、でー、私がまあ、思っておりますのは、これってもしかして、私はこの23億なんぼの、あのー、上申しなさいということは言ったこありませんで、これはもう、あの、全て、設計士のほうが、実地設計の段階で、というのは、あのー、藤原建設に決まる前に、もうすでにこれば申請書だしておりますので、設計士しかわからないんですね、ですから、それにともな、あの、基づいて、あの、建設業者が、まあ絵を描いたいう感じなんだと思いますが、えっとー、あのー、というのは、えー、実地設計の段階で、私どもで23億になってるということは、ほかのですね、これ8件の、あの、申請したところも、かなり高い金額で、出してんじゃないかなと、そのように、言われたのかどうかは僕は設計士の方じゃないとわりませんけども、そういうことも、あのー、国交省のほう考えられるんじゃないかなと思ってまして、それはもう、あの、先生がたにお調べいただかないといかん分やなと、いうふうに思っとるわけであります、はい、そゆことでございますので、はい、
ぼつぼつ時間もまいりましたので、えー、しめていきたいと思いますが、今、手を挙げられた皆さんは、一巡したいと思います、
まああのー、一点、あの、お伺いしたいんですけど、安倍昭恵さんが、百万円を寄付するということはね、私総理に行ったんです、べつに、悪いことでもなんでもないじゃないすか総理と、それでね、総理が、昭恵さんが関わってたりとか、自分が関わってれば、議員も辞めると、総理大臣も辞めると、そういうこと言うからダメなんだと、いうふうに私言ったんですが、本人たちは、関わってないという認識で、我々に答弁するわけですよ、でもこれは国民が見ても、どうして関わってるじゃないかと、これはみんなそう思ってるんですよね、だから籠池理事長は、安倍総理が、昭恵さんは関わっているか関わってないかというふうにね、あの、僕はもう嘘言ってると思う、実際、関わってるという認識で良いのかと、で、そういうことであれば、安倍総理は、自分の責任に、責任もって、まあ辞職するというのが適当だと思うかどうか、この一点だけ教えてください、
あのー、当然ですねぇ、この百万円頂いた時に、安倍昭恵婦人のほうは、私にですね、ひとりでさせてすいませんという言葉を頂いてるんですね、ということは、あのー、籠池さんあんただけに任してごめんねと、私たちも今まで何もできなかったけど、あのーここで百万円の寄付をするわねっていうふうな意味だというふうに認識します、ということはですね、あのー、これは、あのー、関わっていただいたと、いうことですので、あのー、総理のほうがですね、あのー、何日のころか国会で言われた、いま先生仰ったようなことですけど、やっぱり、この、事柄には、関りが、非常にあるんだと、いうふうに、私は、認識しております、
じゃあ、言った責任とって辞めるべきですよねぇ、
あー、あー、そういうふうに仰ったんであれば、そうなる、ことになりますね、はい、
あのー、いわゆる場内処分の勧めとですね、財務省による、それからあのー、価格を事前に伝達してた問題、この二つについて伺いたいんですが、あのー、財務省これ一貫して否定してましてね、でー、あのしつこくこれ、確認しろと、言いましたら、えー、本省から近畿財務局に確認をして、で、国会に対して、えー、こういう事実は一切ないという文書を出しました財務省が、で、このやりとりをしたときに、あのー、こちらが、鴻池事務所作成の、例の、陳情処理簿の記録をもとに財務省に正したんですが、こういうものはその、おー、事実を確認するに適当でないものなんで、これに基づいたお尋ねは答弁できないと、財務省こういう姿勢なんですね、それであのー、籠池さんに、お尋ねしたいんですが、今日配布されたこちらの、あの、この田村室長とのやり取りを示した書類の中に、えー、場内処分の勧めに関する、うー、近財と、籠池さん側とのやり取りは詳細に、ここで、出てきます、あのー、5ページ、にのってますね、で、えっと、これは、あのー、まずこれ間違いないと思いますけど、間違いないかどうかということと、それから、これを拝見すると近畿財務局の、えー、マエニシさんかな、から、あー、キアラ設計にに対して、こういう試算が、あったのかなと、これを、このやり取りを見てて思うんですが、そうだったのか、で、籠池さんは、キアラ設計からその事実を聞かされて、この田村さんとお会いになった時に、田村さんに、いや近畿財務局が、あー、キアラにこう言ってるじゃないかと、いうやりとりをここでされてるのか、えー、これを確認させていただきたいという、それからですねぇ、二点目のこの価格の事前伝達というのは、この田村さんとのやり取りの資料の中には、そこに関するやり取りは出てくるかどうか、そこをちょっと教えてください、で、このー、田村室長とのやり取りの文書みてますと、あのー、この、近財のマエニシ氏の役割というのが非常に大きかったように見受けられるんですね、で、この中で、籠池さんご夫妻は、あー、マエニシさんがもう移動しちゃって責任をとらないと、いうことに非常に憤っておられますが、あのー、マエニシ氏をはじめとする、まあ、ミヨシさんとかキダさんという名前が出てきますけれども、そもそも、この近畿財務局に、今回の件の発端となる、大きなミスがあったという認識、をお持ちなのかどうか、えー、そこを教えていただきたいと思います、それと、あのー、
えーっと、それはどの段階ですか、
あの、発端ですね、この問題の発端で、で、近畿財務局とのやり取りで、いろいろ、えー、その、混乱が起きて、で、その相談をしにこの田村室長のところに行かれたのかなと思うんですけれども、えー、そういうことなのかどうかを教えてください、それからもう一点、あのー、これ財務省と委員会でやり取りしてますと、まあ、決定的に、その彼らが持ってる文書、破棄したとか、ないとか言って隠すんですね、で、私は、彼らがその隠す理由というのは、一番大きなのは、この、近畿財務局で場内処分の勧めをしてしまったという、この瑕疵に対するやっぱり、後ろめたさと、もうひとつはこの価格の事前伝達、をしてしまったということに対する後ろめたさ、この二つが一番大きいのかなと思ったのですが、もしそれ以外に、籠池さんからご覧になって、財務省が隠す理由があれば、教えてほしいと思います、それから最後に、えーっと9.9メートルから廃材が出た、以降に、昭恵夫人に、えー、籠池さんのほうから相談の電話などを、されたかどうか、特に、土地を買い取りたいという相談をされたかどうか、えー、以上について、お尋ねしたいと思うのですが、
えーっと、まずですねえ、えー、まあ、近畿財務局の対応のまずさというのがまず、はじめに、あったんだと、これはもう、認識を、あの、初めからしておりますので、ここは大きな、あの、ポイントになるだろうなと思ってます、それと、あのー、価格の、事前伝達、ということは、私たちはしてないんですよ、ええ、あのー、こんだけですよということはしてないです、ただ、我々のほうは、あのー、素直に計算したものだったら、こないなりますけどと、でも、もしかして、これって価格よりも安くなるんじゃない、価格よりもじゃない、価格が、マイナスなんぼになるんじゃないですかというふうな危惧はもったと、いうこと、は、それと、もうひとつ、あのー、これは当然、あの、当時の、担当官は、あの、マエニシさん、だったわけですけども、あのー、このときの、ま、財務省の、おー、対応のしかたを、財務省が、資料を、おー、なくしてしまったとか、いうのはあってはならないことだと思いますが、やはり、あの、先生仰ってるようなことが、あったんではないかなと、は思っております、もう一点なんでしたっけ、
あの、廃材の問題で、9.9メートルから廃材が出た以降に、昭恵夫人に籠池さん側から相談の電話などをされたことがあるかということ、
あ、あのー、すごいことになりましたと、フッフッフ、これは学校できなくなりますと、で、えー、生活ごみ、大変ですと、いうふうなお話はさしていただきましたね、
そこで、土地を買い取りたいんだけどっていう相談はされましたか
あっ、そこはしてないです、はい
いま、お電話されたのは、廃材がですね、地下から出てきたのは3月11日ですよね、昭恵夫人にお電話された日付、いつぐらいか覚えてらっしゃらないですか、
えーっとですねぇ、私が、知らされましたのが、えー、財務省に参りましたのが3月の、えー、火曜日、火曜日なんです、はい、で、その前日は、日曜日、そして土曜日、その前の金曜日、その金曜日、えー、金曜日何日ですかね、その日に私は初めて知ったんです、はい、初めて知ったんですねぇ、ですから、あの、これはえらいことなったというのは、その、あの、日に、えー、金曜日の日、えー、あるいは、その次の土曜日の日、いずれかで、ご連絡を、したことが、あのー、認識しております、はい、
そのとき昭恵夫人は、あの、、どういうことをすると仰ってくれたんですか電話で、
あー、いやいや、それはもう、いや、それは大変ですねと、うん、ゆうことですね、
いや、それは、あのー、私も、そういうとこは求めてませんでしたし、あのー、仰りませんでした、はい
あ、しておりません、しておりません、はい
一点、念のため確認ですが、今日この田村さんとのやり取りの資料出ましたけども、これをもってしても、財務省は、根拠のないものだと抗弁する可能性があります、そこで、ここで記されてる音声データーは必要に応じて、籠池さんが、あの、音声として公開される用意があるかどうかだけ教えてください、
いや、それはー、わたしーの声、家内の声、そして田村さんの声が分かれば、分かるもんでしょうから、それは結構なことじゃないかなと思いますが、はい、
あの、土地のですね、はい、あの買取をした以降に、あの買取りが出来たということについて昭恵夫人に、あの、ご報告お電話などをされてますか、その時の、夫人の対応なども含めて、教えてください、
そりゃもちろんね、あの、買い取りましたと、買取りさしていただきました、有難うございました、まことに恐縮でございました、ということであります、
それはいつごろ、
夫人はなんておっしゃって、
はい、衆議院議員の玉木と申します、あのー、去年の3月15日に、理財局に行かれて田村室長とあ、会われたですねぇ、ひとつの大きな理由は、前の年の、えー、9月4日に、近畿財務局で、関係者が打ち合わせをしたですねぇ、メモを、籠池前理事長、入手されたからだと思うんですね、で、あれは中道組様が、えー、録音に基づいて作成された、資料だというふうに認識をしています、まずそれ正しいのかどうかと、いうことと、もう一つはですねぇ、あの、財務省今までの説明は、その、3月11日にですねぇ、新しいゴミが発見されたので、この8億円の値引きをしていきましたという説明をしてるんですが、ただこの、前の年の9月4日のを見るとですねぇ、すでにゴミは把握をしていてですね、それを計算にいれないと、いう判断をしていて、ずっときていたんだけれども、ただ、その、このメモを読むとですね、実はそういうゴミはすでにあって、ただそれを、いれないで計算して、やろうということが、ま、ある種、籠池さんにとって不当な提案があったと、いうふうに認識をされたので、その、あると認識してたのに計算にいれてないのはおかしいじゃないかと、いう思いもあって、去年の3月に理財局に押し掛けたと、いうことで基本的によろしいのかどうかと、
えー、仰るとおりです
えー、あの、有難うございます。参議院の杉尾と申します。えー、1点伺いたいのがですね、いまちょっと、ばーっとあのー、おー、このテープ起こしの、おー、スクリットを見さしていただいたんですけれども、例えば、えー、あのー、二つ目のですねぇ、えー、ホッチキスで閉じられてる例えば7ページのところに「昭恵夫人のほうからも、たしかここも聞いてもらったことあると思いますけど」っていうくだりがあって、ここで昭恵夫人というふうにはっきり仰っている、それから27ページのところで、えー、「首相夫人が来られて餅をまくことになっている」というくだりがあります、いまのバッと見ただけなんですけれども、えー、この昭恵夫人のことをですねぇ、えー、財務省の、その本省に来られたときに話をしたのは、これくらいだったのかどうかということ、それから、あの、7ページのところに、「いろいろ我々にご支援を頂いている議員の先生もいらっしゃいますけど」というくだりがあるんですけれども、えー、いま見た限りでは、あのー、具体的に議員の固有名詞が出てなかったみたいなんですが、そのへんの事実関係を伺わせていただきたいということと、あとそれからこれは財務省ですけれども近畿財務局の担当者とのやり取りの中で、昭恵夫人のことを具体的に、どれぐらいの頻度でどれぐらいお話になったのか、それから政治家ですね、その、地元の地方議員も含めてですねぇ、国会議員も含めて、具体的な財務局とのやり取りの中で、えー、議員の名前をだしたことがあるのかということを伺いたいというのが一点、それから、あの二点目は、つい先ほど仰いました、麻生さんが来た時に、麻生さんのアテンド役をしたというくだりがありますけれども、いつどういうふうな形で、えー、麻生さんのアテンド役をして、その麻生財務大臣とのですね、関係があればですね、ほかに、このアテンド役も含めてですね、えー、教えていただきたいと思います。この二点です、
えー、まずですねぇ、あのー、本省と言うんですかねぇ、えっと、理財局の室長さんのとこに行かしていただいたときの、おー、昭恵夫人云々というのは、先に、あのー、タニさんを通じましてですね、えー、本省のかたに、これ田村さんですけれど、えー、お聞きいただい、えー、お話をしていただいた、そのことの内容、えー、そして、えー、もう一度昭恵夫人、これは、あの、当然、あのー、そのことを踏まえて、えー、知ってるでしょと、田村さんに、いうことの、確認、ということですね、そうですね、はい、えー、それと、えー、餅をまくということは、これはあの当然、棟上げ式の時に、校舎の棟上げ式の時に、あのー、関西のほうではもうまくんですけども、まあ、それをさしていただくと、いうふうな予定にしておったんですが、あのー、ちょうど、えー、ご婦人のほうもいろいろと、仕事が入っておりましたので、この餅まきの行事の時にはお越しいただいてないと、いうことでございます、えー、またご支援いただきました先生方、えー、これにつきましてはですねぇ、あのー、当然のことながら、当時の、あのー、国土交通省の副大臣であられた、えー、参議院議員の北川 イッセイ先生をはじめですねぇ、あのー、場に申し上げましたけども、えー、今は参議院議員になってらっしゃいますかね、えーっとー、おー、もちろん東徹先生もそうですけど、えーっと、あのー、ちょっと名前を、えへへ、やな、柳本先生、ですね、そうですねぇ、はい、えーのー、かたとか、それとか、まあ、以前から、あのー、鳩山邦夫先生とはですねぇ、前に、えー、砲兵工廠のお話の時からずっと、あのー、かかわって頂いておりましたので、えー、その秘書の方とか、えー、とかとか、まあいろいろ、あのー、そしてもう、もちろん鴻池先生、これはあのー、鴻池先生は、あの、先にこう、まさにパイロット役というんですか、ここの近畿財務局の道筋をつけていただいたと、いうふうに、当然認識を、しておりますし、ま、それぞれその時々に、あのー、色々な先生がたの、あのー、お力を、いただきました、はい、で、地方議員のかたがた、につきましては、あの、近畿財務局の関係については、あのー、もう、あの、立場が違いますので、お話は申し上げておりません、はい、国会議員の方々、ということになります、えーっと、それと、麻生大臣のアテンド、えー、のことにつきましてはですね、この当時、稲田先生のほうはまだ衆議院議員なりたてのことだったというふうに思います、えー、約、8年ぐらい前ですかね、麻生先生のほうもまだ、えー、総理大臣にはなる直前、だったように思いますけども、その時の、大阪の帝国ホテルでの、おー、ま、祝賀会に、の対応をさしていただいたということです、まぁその後、麻生大臣は鴻池先生の同じ、ご派閥でありますので、ま、鴻池先生の、されております政策研究会に、えー、出向きました時に、麻生大臣と一緒にですね、えー、お話をさしていただいたり、それとか、えー、写真をとっていただいたり、まあ、そうゆうなことは2回3回あったように、記憶しております、はい、よろしいでしょうか、はい、
本日は有難うございます。参議院議員の小西ともうします。あの、2点、伺わせていただきたいんですけども、昭恵夫人が、あのー、講演に、行かれた時に、あのー、ま、安倍晋三からということで、あの、百万円、あのー、寄付をされたということなんですけども、まあ、あの、夫人側は渡していないというような、主張をしているんですけども、当日の、あの、様子ですね、まあ、御付きの、まあ、二人が外に出た、というふうに、まあ、ありましたけれども、当日の部屋の描写ですとか、雰囲気ですとか、当日の、もう理事長鹿ご存じないようなことがありましたら、仰っていただきたいのと、あとその、渡され、寄付をしたということを、あのー、称することができる、あの、まあ証人になるようなかた、まあ、知ってるかたですね、その事実を、あの、職員のかた、あるいは副理事、奥様、と仰ってましたけども、そういう、どういう方々が、その事実を当日、当時、知っているかということをお願いしたいのと、あと、もう一点あのー、土地のことなんですけれども、あのー、結局、8.2億円、あのー、まあ、えっと、鑑定より値引きして、当初のより値引きして、あの、理事長のほうに売却をされているわけですけど、あの、理事長のほうでは、その、8.2億円に該当するような廃材、や廃プラをですね、あの、そこから除去する、8.2億円に至るような工事は、されてないですよね、8.2億円出されて、ま、やってはなくて、当初からあのー、3メートルの深さまでは、あのー、ま、廃材、同じような廃材があるということは、国交省も国会では認めているんですけども、3メートルぐらいまでは、廃材があるってことはすでに分かっていたと、でさらに9.9メートルくい打ちの過程で、深いところにも、そういうものがあるってことで、理事長はびっくりされて、あのー、財務省の本省に掛け合われたと、そうすると、まあ、一定の廃材があっても、しっかりした杭を打って基礎を打てば、まあ、校舎は立てられる、まあ、もともと住宅で使われていたところで、ありますから、まあ、あの、全部の、廃材を取るっていうようなことは、もともとは想定されて、いなかった、ていうような、あの、お考えでよろしいでしょうか。ちょっとそこのところ2点、お願いいたします。
えーっと、まず、あの、百万円の件でありますけども、あのー、当初は私と、あのー、まあ、あのー、副園長をやっております家内と、そして昭恵夫人、そして秘書の方は、ひとり、そこについておりましたのがね、ひとり、えー、まあ、あのー、何と言うんですかね、えー、上座に昭恵夫人が座られて、私が上座から見て向かって右っ側、のほうに座っておりましてね、それはね、あのー、園長室なんですよ、園長室なんですねぇ、えー、に座っておりましてですねぇ、まあ、そこで、百万円のご寄付を頂いたと、いうことに、その、えー、状況はですねぇ、あのー、昭恵ご婦人が、えー、もう、人払いというんですか、人払いしてくださいというんじゃなくて、(うつむき加減になり、手で「出て行ってください」と示すようなジェスチャーをする籠池氏)、ですね、これでわかる、これで、あの、秘書の方わかるんですよ、ね、うんうん、で、外に出て行かれたと、でまあ、副園長、家内のほうは、まあ、それと相前後して、えー、園長室からでてまいりまして、その次の、隣に続いております職員室があります、えー、そこで、えー、副園長の机に座った、椅子に座ったと、いうことになります、で、ちょうどですねぇ、えー、10時が終わりまして、えー、まあ私も、こういうふうな、あのー、非常にこう、感情が豊かな人間ですので、大そう、うー、嬉しかったわけですよね、ですから、えー、すぐにですね、ぐるーっとその部屋をぐーっと回りまして、えー、もうここは、机と椅子の間が行き来できなくなってますから、ぐるーっとまわりまして、隣の職員室に行きまして、でそこに男性の、あのー、小学校担当の職員が二人おりました、えー、オガタという人間と、そして、えーっと、えー、ノサカという人間がおりましたので、その人にも貰ったよーって、いまいただきましたよって、でそれから副園長の、机の前にも行きまして、いただきましたと、でその時にはあのー、こちらの、そこから下がって下のほうにはですねぇ、事務担当が、もうひとりおりましたので、そのへんは全部聞いておると、いうことであります、しかも、あの、また、あのー、銀行振り込みを、銀行振り込みやない郵便局に、あのー、行かないといけない、かったんですが、当日、ちょうど、あのー、休みに、次なっておりましたもんですから、一旦、えー、副園長のほうでこう、金庫に入れました、でそして取り出しまして翌の、えーっと、平日の日、月曜日だったと思いますけど、郵便局のほうに、私どもの、あの、職員がまいりまして、でー、その時に、まあ、安倍し、安倍晋三っというふうに、あのー、まあ私は、そのー、帰られるときに、ちょっと、あの、内緒にしといてくださいなということを、聞いておりまして、それを伝えておったんですけども、あのー、それを、安倍晋三って書いてしまった、いうことですねぇ、でそれを、それで良いのかどうかということをすぐ、あの、電話でですね、あの、その、現場からですねぇ、私どもの、あの、会計士の先生に連絡いたしました、でそうしますと会計士の先生はですね、それはまずいんじゃないかと、いうことでですねぇ、その言質をいただいて、訂正をしたと、いうことになってます、ですから、その会計士の先生も、よくご存じであると、いうふうな、ことでございます、その点についてはよろしいでしょうか、もう、はい、えーっと、それと、あのー、土地の件でございますけども、これはもともと小学校というのは。あのー、全部が建物が建ってるわけではございませんで、あのー、校舎が立ってるとこ、体育館がたってるとこ、それと運動場があります、ですから、運動場のところは、わざわざに降り起さなくても良いわけですよ、実際、もう、はるか昔からもう中にチクデンしておりますもんですから、ですから、校舎のところの分、体育館のところの分、そこの分については、取り除きをさしていただいたと、いうことであります、だからあの、8.ナン億円ということは、これは、えー、まあ、提示されて、近畿財務局のほうから、これ8.ナンボ億円ひきましたよと提示されておりません、でしたけれども、あの、まあ大体の推測では、あー、そのぐらいなのかなぁということは、我々のほうから、我々の工事の、えー、建設業者のほうから、近畿財務局のほうに対して、航空局のほうに、大体の資料を渡して、おりましたもんですから、えー、だいたい何メートルで、だいたいこんなもんじゃないですかねぇというものを渡しておりましたので、あのー、それから、財務局近畿、間違えました、近畿財務局、航空局のほうが、積算を、えー、されて、もう日にちが、私、ありませんでしたんでね、あのー、学校を平成29年の4月に開校せにゃいかんということになっておりましたから、もう、あのー、それも、ある面で、もう、あのー、至上命題でしたんでね、えー、近畿財務局のほうも、えー、自分たちで、その、ボーリングをして、なになにするということもお金もかかりますし、当然予算がですね、次の年度になってしまったら、もうまた、平成29年が30年になってしまいますので、これは駄目だと、いうことですね、あのー、こちらのほうから近畿財局航空局のほうからの、えー、ご指示に従いまして、資料をお渡ししたと、いうことでございます、はい、
いまの部分なんですけれども、その8.2億円の値引きの積算のですね、根拠に、ひとつの考え方になる資料を、藤原工業ですか、のほうから、近畿財務局のほうに、渡したと、そういう理解でよろしいですか。
はい、あの、藤原、あるいは、あのー、なんていうんですかねぇ、えー、設計事務所、のほうから、えー、提供したと、いうかたちになりますね
それは廃材がこれぐらいの深さまで、あるので、それに体積かけて、あの、工事費用かけるとこれぐらいの、値引きになるんじゃないかと、いう資料、なんですかね、
だいたいの、だいたいの、
ああ、持ってますよ、
それ、ぜひ、あの、うちのPTのほうにですね、ま、座長に任せますけども、
ええ、私は当然、私の資料としては持って、おります、はい、はい、
小川淳也と申します。えー、今回このタイミングで、録音テープを公にされた理由、それから、なぜこの時のやり取りを録音したのか、という理由、それからどのように録音したのかという形態、ほかに、重要なやり取りに関して、録音、あるいは、まあ文書でも、メールでも良いんですが、保存しておられる、ことはないか、この4点、つまりその、総理夫人が百万円渡すという、かたちで具体的に支援したのかどうかと、それから行政・政治過程がゆがめられたのかどうか、そこに総理の近親者、たる私人が関与したのかどうか、にいま我々は関心があるわけで、これ極端に言えば、朴槿恵大統領が退陣に追い込まれた構図とよく似てると、いうふうに理解してます、ちょっと質問に戻るんですが、えー、録音、はほかにないのか、そして、その他、資料、はないのか、ちょっといま、4点お尋ねしたこと、聞きたいと思い、
えーっと、録音テープは、まず、いま最後に仰ったものは、えー、まだあります、あのー、当然、あのー、交渉段階のことですから、えー、全部やないですが、残しております、えー、それは定期借地の時の、事柄についても、えー、我々のほうの交渉については、私が残しておらなくても一緒に同行した人間が、残しておるということもあります、それが1点ですねぇ、それと、えーっとー、えー、理財局の室長さんと、お目にかかりました時は、これは非常に重要なことですんでねぇ、で、私みたいな一般私人がですよ、あのー、大財務省に行かしてもらうということもないわけですから、これは、きちっと、あのー、録音しとかないと、事の問題が問題が有耶無耶になってはいかんと、いうふうに当然思うわけですよねぇ、で、そうしましたら、あの、録音をですね、私がこう胸ポケットにいれまして、そして、あのー、その内容を忘れないように置いておくというのは、当然、あってしかるべきもんやと思いますので、そうさしていただきました、えー、とても重要な、段階だったんですね、あのー、生活ごみが出てまいりましたから、これは、これー、そのままいっていきますと、先ほど申し上げましたけど、えー、小学校の開校、平成29年の4月開校の予定ですから、また1年延びるわと、いうような局面、そして、まだあの段階ではですねぇ、あのー、1億3千万の、あのー、立替費をまだ返してもらってなかったですから、そのこともお願い、えー、もありましたもんですから、なんとかしてもらわないといけないんじゃないかなぁというふうな、気持ちがやっぱりそこに現れておったというふうに、あの、ご理解いただきたいと、思います、それと、あのー、総理夫人の関与というか、でも、総理夫人は、あのー、どうなんですかねぇ、あの、私人という立場と公人という立場、当然あると思うんで、あのー、まあまあ、あのー、私人としてのお顔と、公人としてのお顔、当然あると思います、でも、やっぱり、一般的に公人というようなお顔で皆さん、見られるんではないんだろうかなというふうに思います、えー、したがいまして、あのー、今回のことがらは、あのー、ま、結果論になりますけども、昭恵ご夫人にですねぇ、名誉校長になって頂いたということが、えー、早くですねぇ、あのー、ある時期から早く、土地についてですねぇ、えー、スピーディーに、物事が、動いたのではないかなと、いうふうに、思っております、はい
衆議院議員の福島伸享です、よろしくお願いします、あのー、3点お聞きしたいんですけど、まず1点目は、先ほどあの、財務省の役人と借り受け契約の時に、ストライクゾーンの交渉したその、相手方は誰だったのかという具体的な、名前を教えていただきたいというのが1点と、2点目はあの、結局、昭恵さんとは何回ぐらい電話したんです全部で、数えきれないぐらいなのか、10回なのか、その間隔を、あとタニサエコさん、と何回ぐらい、電話のやり取りを、してたのか、ということと、あと3点目は、前回のあの、証人喚問の時かその記者会見かでですねぇ、あの8億円も下がったのは神風が吹いたというかビックリしたみたいなこと、仰ってたと思うんですけど、今日のお話を聞くと、むしろ8億円下がるというのは、籠池さん側から提示してたんですかそれは、その後なぜ8億下がって、どういう交渉をしてですねぇ、この、神風じゃなくてむしろ、森友学園側から8億円下げろと、ゆってたんじゃないですか、そのあたりの、矛盾はどうなのかということを、3点お聞きしたいと思います、
えーっと、ストライクゾーンの部分のことですけど、これはあの近畿財務局のマエニシさんという、前任のですね、えーとー、統括官が、おります、そのかたでありました、で昭恵夫人との電話の内容というのは、あのー、電話の回数というのは、えー、わたしー、よりもですね、えー、あのー、家内との回数のほうがやっぱり、すこぶる多いですねぇ、私はさきほどもうしあげた3分ぐらいでおわりますが、家内は2時間か1時間ほどしておるという、な感じですので、ま、この回数も、もう、うーん、やっぱり数えきれないんじゃないですかねぇ、でー、私のほうはですねぇ、その適時適時ですから、えー、だいたい、そうですね、それでも、うーん、20回は、やっぱ当然超えるんじゃないでしょうかね、適時適時のことですよ、はい、というふうに思います、それとあの、交渉の、いまの、ことですけども、いまあの、議員のかたにもお伝えしたんですけども、あの、近畿財務局とあの、航空局は、資料を持ってないんですよねぇ、で、あの、持ってないと、持ってないということが判明するわけですよ、ないと、ないんだったらどうにかせなあかんよなぁと、あの時期の、あの、立場変わっていただいたらわかるんですが、あの、私は急いでこの、工事しとかないかんと、工事の途中出てきたわけですからね、そうすると、資料がないということになってきましたら、我々が持ってる資料、手に入れる資料で対応せないかんと、いうことに当然なってくるわけですよ、ですから、あの、提供してくれないかということになったら提供するわけです、ただ、それがですねぇ、提供したときに、これ全部出しましたら8億円ぐらいなりますよと、これ全部撤去したら10億円なりますよというふうな、やはりあの、場所、土地の場所場所、そしてその深さによっても、やっぱ変わってくるわけですね、じゃあ、あの、どうされるんですかいうのは、全てやっぱ近畿財務局,航空局に、あのー、考えを当然、あのー、資格はむこうですので、ゆだねて、委ねさせていただく、ただ、あの、私たちのほうから、でもこれはあの、8億円ぐらい値引きですよねということについて、我々からサジェスチョンしたことは、ないと、いうことで、あります、
その、それまでその、ストライクゾーンの議論とかけっこう長い間ね、価格の、交渉してたのになぜ8億円の値引きは、そんなに財務省は、そのなんていうのかな、物分かりよくですねぇ、で資料は理事長側から提供したわけですよねぇ、これぐらいかかりますよって言ってまあ、ほぼ言い値でつけてるわけですよ、それなぜ、そうなったんです、誰がどう交渉してそうなったんですか、
えーっとですねぇ、そのー、あのー、3月の、えー、15日,16日に、生活ごみがでてまいりました時は、これはえらいこっちゃということですよねぇ、そうすると、私どものあのー、代理人弁護士は建築の弁護士、その専門家なんですねぇ、ですから、えー、当初はですねぇ、近財の、航空局のほうから、資料こんなんありませんかありませんかいうふうに仰って、まあ、2回ほどは現地にこられて、あーほんとですねぇということだったけども、あとは、じゃあ、これ資料は提供するんは良いけどと、ただ、その後はもう代理人弁護士とやってくれませんかと、いうことで、もう、してもらったと、いうことで、ございます、はい、
その代理人弁護士でちゃんと交渉してなぜ8億円も、すぐいきなり下がったんですか、短期間で、そこが分からないですよ我々、8億円なぜ、いきなり下がることになった、それまで、長いその、価格の交渉してるわけですよねぇ、生活ごみが出て、それで資料提供したとたんに、財務省は、はい、じゃあ8億円下げますってのを、数か月の間に判断するわけですけども、その期間に何があったんですか、
あのー、それはですねぇ、あのー、これこのまま、私どもの小学校を、ストップしますと、私のほうはですね、当然のことながら損害賠償を、やっぱ請求するわけです、もう損害賠償を請求するかどうかと、いうことの、選択があったんですが、あのー、私のほうはもう小学校開校を優先しましたもんですから、えー、そうしますと、えー、こちらの持ってる資料を、出すと、で、その、金額が、8億円ほど、えー、8億円下がったいうんは後でしったことですけど、私は1億3千万ですよということしか、当初は知りませんでしたけども、あのー、それはやはり、えー、なんというんですか、えー、タニさんを通じ、そして、あのー、理財室長、のほうとも、おー、コンタクトがとれですねぇ、そのあとも私ども行かしてもらって、でー、対応がきいていくと、あの録音テープの中身もよく確認して頂いたらわかりますように、ん、まあ、すーっと聞いていくと、なんとかいたしましょうかと、いうふうな感じに、取れるというふうに思いますから、そのように、方向が向いたんだろうと、いうふうに思てます、私はそのとき言いました、神風が吹いたなぁ、いうんは、まさにそのことやと、いうことであります、
関連で…、すいません、あの、その、えっと藤原工業、あとそのー、建築専門の弁護士の方もかかわってるんでしょうが、その出された資料ですね、出された資料の中には、そのー、一定の積算、これぐらいの廃棄物があるので、これをいろんな工事等をしてどけると、これぐらいの、あの、お金がかかりますよという一定の積算はあったという理解でよろしいですか、
それでいいと思います、
で、ぜひその資料、いただきたいと思うんですけども、どれぐらいのお値段、でしたでしょうね、ご記憶の範囲で、
いや、あのですねぇ、あのいろいろありましてですねぇ、A,A’,B,B’,C とあるんですよ、いろいろあるのよ、あの、とりかたがこんなんありますよということがありましてね、で、それについてどうするんだと、いうなことは、こちら資料提供するだけですから、あのー、その後の対応は、あの、お国のほうでしていただくと、いうことになるわけですねぇ、
すいません、えーっと、塚本幼稚園で、教育後援会、何度かいろんなかたを呼んでやられております、その際に、講師料,謝礼というものは、あの、通常払っていたのか、そしてまた安倍昭恵さんに対して、えー、謝礼,講師料、払っていたのか、その点について教えてください。
えーっと、教育後援会は、いろいろなあのー、方をお呼びしましてですねぇ、ま、百万円の場合もありましたら、50万円の場合も当然あります、ですねぇ、あのただ、安倍先生の場合はですねぇ、あのー、なんていうんですか、あのー、国会議員でもあられましたし、そのご婦人でもあられますので、当初の、おー、あいだ2回ほど
この2週間ほど、森友学園の問題のおかげで毎日ニュースを見るのが面白くて仕方がない。
清水富美加の幸福の科学出家や金正男暗殺のニュースも、非日常的でエキセントリックな内容で面白かったけど、何か事件があって報じられるニュースってのは第一報が一番盛り上がって。徐々に尻すぼみになってしまい、割とすぐに興味を失ってしまう。金正男暗殺は北朝鮮も絡んできて色々大きな問題だから、継続して報道されてはいるけど、第一報ほどのインパクトはない。清水富美加に至っては、もう報道すらされない。
それを思えば、森友学園の報道のなんと面白いこと。なにせ毎日毎日、非日常的で刺激的な話題を途切れずに届けてくれるんだから、飽きることもなく、毎日盛り上がれる。ここまで右肩上がりで盛り上がるニュースなんて本当に稀だろ。次々、理事長との関係をなかったことにして切り捨てるさまは、人間関係の諸行無常さを感じさせてくれるし、愛読している読売新聞はあまり話題にしないし(政治面や社会面で扱われるようになったものの、未だにトップニュースとして扱われていない)し、擁護的な記事にするあたり、ついつい陰謀論的に背後を考えてしまう楽しさもある。ネトウヨの住処で名高い2ちゃんねるのニュース速報+や、ヤフコメがすっかりアンチ安倍に変貌してしまって、狂信者は思ったほど少ないことに少し安心を覚えたりもした。幼稚園の異常さは、まさワイドショー受けのする狂った内容で、こんなに非日常空間がまだまだ日本にあるんだな……と恐怖すら覚えてしまう。
ああ、森友学園の問題はなんて面白い良質なコンテンツなんだ……。
ここからは個人的な持論になるけど、こういうスキャンダラスな話題に政治家が巻き込まれると、閣僚を辞任する、議員を辞める、病気になるのどれかだと思うんですよ。なぜかって、あまりにもこの手の話題が続くと、支持率がガタ落ちして選挙に影響が出るから。
でも今回巻き込まれているのは安倍総理だし、安倍総理はスキャンダラスな騒動に巻き込まれても支持率はあまり下がってないようだから、総理を辞めるとか絶対にないと思う。安倍総理のあと、誰が総理大臣になっても、絶対に安倍総理より支持率は低いと思うから。
まあ逆に考えてれば、問題になっている議員が逃げることで、問題を雲散霧消させることはできないということでもある。
だから、森友学園の問題はまだまだ俺を楽しませ続けてくれる良質なコンテンツとして生きながらえると思う。
ここまで大騒動になって、いったいどうやって問題の幕引きを図るのか。それを考えるだけでも、ワクワクする。
明日も明日でさらに刺激的な新情報が飛び出してくると思うので、下手すりゃ1か月以上は楽しませて貰えそうだ。来月に控えた小学校の開校のときには、絶対にさらに話題になりそうだしね。
お笑い芸人で絵本作家の西野さんについて、「無料公開はクリエイターの首を絞める」「いや、無料公開はいいけど、あの態度が問題だ」とか色々な論争が起きてるじゃないですか。でも、ぶっちゃけ全部ずれてると思います。彼はクリエイターなんだから、彼の作品のみによって批判されるべきだと思うんです。
この論争で誰も触れないですけど、あの絵本面白いですか?絵本として面白いですか?
絵は凄い。でも、絵本の面白さってそこですかね。大事ですよ、絵は。でも、もっと大事なのは、そこから広がるセンス・オブ・ワンダーだと思うんですよ。『かいじゅうたちのいるところ』みたいな名作には、それがあるじゃないですか。
絵本の楽しさって、枚数・文字ともに制限された世界から、読み手が思い思いに広げる、広がる世界、そこにこそ絵本の豊かさがあると思うんです。要するに、ヤバイ世界をどれだけ見せてくれて、どれだけ僕らの心を刺激してくれるかじゃないですか。
僕の好きな絵本に「ガガガガ」っていうインディアン神話をもとにした絵本があるんですけど、これは凄いですよ。主人公は石と鳥がまぐわって生まれた子供で、物凄く長いへそと尻の穴を持っていて、邪魔な奴は尻の穴を首に巻きつけて、絞め殺しますからね。何を言っているかわからないと思うんですけど、そういう話だから仕方ない。
ヤバイ世界をどれだけ見せて、僕らの心をどれだけ刺激してくれるか、絵本の魅力ってそういう所だと思うんです。
「えんとつ町のプペル」はその点が極めて、極めて凡庸じゃないですか。何ですか、「風船をたくさんつけて空を飛ぶ」って、その児童作品で7兆回くらい繰り返されてきたモチーフは。何ですか、「ゴミに人の魂が…」って。その何度も繰り返されてきた展開は。登場人物の目的が「世界のはての綺麗なものを見に行く」っていうさ…イオン行け、イオン。何でもあるぞ、あそこには。
「絵がすごいなー」ってだけで、一回も「ヤバイものを見た感」が味わえない。「はらぺこあおむし」とか、絵からして強い(確信)ですからね。そういう驚きが一個もない。
さらに、質が悪いのが「あとがき」ですよ。「夢を語れば嗤われる世界(えんとつ町)で、それでも夢を見るからいじめられる」「捨てろといわれる夢を捨てられない象徴が、ゴミ人間」みたいに、一個一個メタファーを解説しちゃうわけですわ。これ最悪でしょ。「糞だせー」でしょ。読み手の中には、それぞれの世界が広がってたんですよ。きっと。このあとがきを読むまでは。
でも、このあとがきを読んだ瞬間に、読み手の世界の広がりは雲散霧消して、「西野のお説教」に矮小化されてしまう。もう、この「あとがき」の時点で、西野さんはどこまでいっても西野さんだし、西野さんは既に凄い人なんだけど、たぶん、ずっと西野さん以上にはなれないんだろうな、という次第。
西野さんはどこまでも絶え間なく広がっていて、もがけばもがくほど、きっと西野さんは西野さんの五臓と六腑に染み込んで、また西野さんが再生産されていくんだろうな。きっと。
かつて、個人サイトのBBSは、基本荒らされているものだった。
なにせ多くの掲示板スクリプトが、ろくな荒らし対策をしていなかった。
排他制御はflockだった。過負荷がかかると掲示板データが壊れていた。
HTMLタグのエスケープには漏れがあった。JavaScriptだろうがCSSだろうが埋め込み放題だった。
タグが使えればもう後はブラクラを貼るなりグロ画像を貼るなり文字を全て巨大にするなり好き放題だった
そうやって荒らされた掲示板は見るも無残だった。
昔のインターネットはよかったなどと言う人は、荒らし依頼サイトを見たことがないに違いない。
あの悪意だけで、何の正義感もなく、単に依頼されたからというだけで荒らしに行く連中を。
「ここの管理人がこのサイトを馬鹿にしてました!」と一言書かれるだけで報復にいく連中を。
単にツールを流すだけなので、荒らす方にもなんの労力もない。掲示板を機能不全にすることはたやすかった。
そうやって荒らされた掲示板の末路を見たこともないに違いない。
数日そうやって荒らされただけで、掲示板にあったコミュニティは簡単に破綻する。
管理人にだって対応する余裕はない。なにせインターネットは従量課金だし、Googleがないからググれない。
よくある管理人が半隠居状態で、常連だけで回していた掲示板だったらなおのことだ。
そんな災害のようなできごとだけで雲散霧消するコミュニティだらけだった。
個人サイトだって、ちょっとでもアングラに関わればそういう災害に巻き込まれることがあった。
それが昔のインターネットの一面だった。
正義感で燃えている今とは違う、また別のディスコミュニケーションによる恐怖があった。
昔のインターネットはよかったなんて、俺にはとても言えない。
前回までのあらすじ
三十路に入って空からぼた餅とひょうたんと彼女が降ってわいてマグワイをキメたけど
後ろで流してたNHKBSではプレイ中に映像の世紀が流れてるし、うまくいかないし大変だったという
アポーパイの作り方を書いたほうがいくぶんかマシだ的増田を書いて即消ししたところ
こころやさしきはてなブックマーカーたちに「それ膣内射精障害じゃね?」と言われてはや半月が経とうとしていた。
あらすじおわり
ある逢瀬にて、俺は彼女を自宅につれこみ、およそ読者が期待するようなフェティシズムも変態性も存在しないつまらないマグワイに興じていた。
彼女のほうは気にしてないそぶりではあるものの、男子たる俺のほうは毎度死地に赴く覚悟で挿入を果たしているのである。
精神的にも器質的にもおそらく欠陥があるので、結局どちらかが疲れたところで見られながら手淫の運びとなるわけで非常にむなしい。
むろんそれはそれで興奮するのであるが、毎度その方向でフィニッシュをキメていくと
「どうせ私より手のほうがいいんでしょう?」と言われかねない。
実際言われた。
そんなことはないというか、そもそもそれぞれの行為で得られる快楽は別物なのだが、
かぶせるように「下のほうのきみは正直だものね」とかいわれてしまうと正直さにさらなるボーナスポイントが割り振られレベルアップしてしまう。
ともかく今回は、ことのほか時間をかけたせいか、前日十数年ぶりに北方謙三三国志を読みなおしたせいかはわからんが
彼女の中ではじめて射精に至る性的オーガスムに達することができた。
あと、"ことのほか"って見る度に、「ことほの」が連想されて「そうやってうみちゃんをハブるのはよせよ! かわいそうだろ!」って思わない?
ああ、思わないならいいんだ。話を続けていいかな。
めでたく射精できたんですよ。
そう、ちゃんと外に出したしコーラも買ってある
堪能する間もなく、というより射精した直後、
脳とか脊髄からフワーっとそれまで腰とかを動かしていたエネルギーが雲散霧消する瞬間を見計らったように
チャイムが鳴った
「ああ、祝福だ」
彼女氏も「おめでとう!」と手を叩いてくれているし、これは祝福の鐘なのだなと理解した。
ティッシュとインターホンの受話器を同時に持ったあげく、マイサンではなく送話口にティッシュを押しつけていた。
抑えるものなく、やむなくこぼれる精液。
俺は濡れた陰茎を左手に
濡れてないインターホン受話器を片手に努めて冷静を装い
「あ、すみません、5分待ってください。今イきました」
「どっちですか???」
そして紆余曲折があったあと、めでたく防災設備点検が終わった。
三十路の薄汚い性欲はもはや満足してしまっているので「今晩米とライスどっちがいい?」とか彼女に聞いてしまうものの
ここを引用して「解散」とかブクマをつけると様々なひとが傷つくので一度自分の人生をふりかえってみてほしい。
さて、彼女氏もまた、俺のファットボーイスリムでは満足出来ない身体であった。
俺は彼女氏に、自分のふがいないファットボーイスリムでは満足させられないことを嘆いて
過激な振動をする人肌ににた樹脂で周囲をコーティングされた水洗いもできる充電式のジョークグッズを買い与えていた
俺がしがないファットボーイスリムなら
そのジョークグッズはさながらダンシングドールといった装いだ、動きも。
潰れたアニメ制作会社みたいな名前をつける彼女のセンスを疑ったが、口にはしなかった。
彼女は俺のいないときのみならず、情事が一段落したあとでも"権蔵"を持ち出した。
俺の名前ではなくジョークグッズの名前を呼んで嬌声を上げる彼女の姿。
それをいまいましげに眺める三十路男の姿。
ジョークグッズから彼女を奪い返そうにも、下半身は祝福を受けてしまっており、明日の夜まで再び堕落はしないだろう。
これほどむなしい情景があるかといわんばかりである。
そして同時に、そのいまいましい自分で与えたジョークグッズへの嫉妬を募らせていた。
これは我が裡に潜む鬼なのだと気づいていつつも、蛮行を止めることはできなかった。
俺は自慰を続けながら敏感になる彼女のニップルをさぐりながら、即興の歌を歌った
ゆけゆけ権蔵 勝利のために
きこえるかこのよろこびの声が
すすめしげみの奥の奥
目指すは闇の下の豆
わりと足癖が悪いという彼女の新しい一面を知ることができた。
ふるえろ権蔵 明日のために
きこえるかぼくらの快哉が
きみは責めるんだ下の豆
上の豆ならふたつある
別れ話になった。
http://anond.hatelabo.jp/20150907193602
これの続きなんだけど、解消しない。
しんどい。
我慢をしてはいけないのだと思う。我慢と思わないことだ。そのまま受け入れて、自然に気持ちがどこかに雲散霧消してしまうのを待つのが一番いい。
我慢をしてしまうと、おそらく糸が切れたときに本当に取り返しのつかないことをする。
それまでだ。
それまで、もう持つ自信がない。
行くと、好きになるんだよ。どんどん好きになってるのが自分でわかるんだよ。
でも、いろいろあるんだよ。明日からハイ行きません、とはできないの。いろいろあるの。
どうしてあの人は、あんなにつらいことばかりなのにいつも笑顔でいられるのだろう。
どうしても放っておけない。あの張りつめた笑顔を緩めてあげたい。何も難しいことを考えずに穏やかに過ごせる時間を少しでも作ってあげたい。
最初はこんなんじゃなかった。単純な善意で手伝っていたはずなのだ。
いつからだ。
あほか。
もうほんと出たくない。いや出たい。出たいんだよ。でも出たくない。
しんどい。
こうして自己嫌悪という名の甘い自己憐憫の渦の中に拘泥することをわたしは好んでやる傾向があって、だからいけないと思いつつも止められないのだろう。
頭が痛い。ぐるぐると考えても仕方のないことばかりが頭の中で渦巻いていて止まらない。
泣きたいけれど涙が出ない。
第一みっともないし、いやみっともなくても相談すればいいんだ。うん。
でもきっとわたしの友達は怒ってくれないのだ。
やんわりと注意はするだろうけれど、きっと、感情自体は受け入れてくれてしまうのだ。
それじゃだめなんだ。
違う違う。そもそも友達に何を期待しているんだろう、わたしは。
そうじゃないだろ。お前の問題だろ。お前がもっとしっかりすればいい話なんだよ。
泣きたいよ。泣けばたぶん割とすっきりするんだよ。
就活ができない。
おととしの12月から就活に突入したけど、まったくやる気が起きなかった。
で、なんで就活に身が入らないのだろうと思った僕は、自分に自信がないからだ、という結論に至った。
一年前の夏のことだ。
結論に従い僕は自信をつけるために今まで興味があったけれど、取り組まなかったことに取り組んでみた。
その活動は性質上様々な人と関わりを持たないといけなかったし、また始める前は僕自身共通の趣味を持つ人と関わりたいと思っていた。
でもダメだった。
彼らは僕が予想した以上に、その分野への造詣が深く、とてもとても僕が仲間に入れてもらえるとは思えなかった。
でもちょうど頑張り始めた矢先、ちょっとした病気を患ってしまい、僕は活動からフェードアウトした。
季節は夏から冬に変わっていた。
とりあえず自信をつけてから、また就活を始めようと考えていた僕は、就職留年という選択をしていた。
いや、それは選択じゃなかったんだよな。ただの先延ばし、僕は何にも選んでいなかった。
二度目の就職活動クールが訪れた。二度目の就職活動にももちろん身が入らなかった。
就職を決めた同級生たちは、卒業旅行なんかして大学生活のまとめに入っていた。
僕は就活がスタートしたにも関わらず、彼らと一緒に卒業旅行をしたり遊びほうけていた。
滑稽だよね。その当時は本気で、彼らが卒業したら就職活動本腰入れようと思っていたんだよ。
同級生の数少ない友人たちが社会に出た後、僕は去年にも増して就活をしなかった。
と聞かれることもあったけど、そういうときは決まって嘘をついた。
「ESと筆記は通るんだけど、面接になると全然だめだよ」というセリフは挨拶代わりになった。
嘘ばかりついてると、自分もだまされていくんだよね。
自分はそれなりに就職活動してるけど、結果がついてきてないんだ、って無意識に思ったりしてた。
本当はほとんどなんにもしていないのに。
たまに夜寝る前に、このまま大学卒業したら僕はどうなるんだろう、と思って焦る。
そんな夜はベッドに横たわってスマホからリクナビやマイナビを経由して説明会を予約する。
でも翌朝(昼の方が多いか……)目覚めるとそんな不安は雲散霧消している。
説明会前日にキャンセルボタンをクリックしたり、当日の朝面接ブッチを決め込んだり。
なんで僕はこんなにクズなんだろう。
わかっている、こんな状況でも僕はまだなんとかなるって思っちゃってるんだ。
僕はバイトもしたことなけりゃ、サークルにも熱心に取り組まなかったし、ボランティアなんて馬鹿にさえしていた。
全力で何かに打ち込んだことがないから、自分の実力がわからない。
自分の実力がわからないから、いつか僕は何かキッカケがあれば飛躍するだろうなんて思っている。
でも実際は何の実力もないんだろう、認めたくなかったけれど、それが事実。
でもやっぱり心のどこかで諦めがつかない。
僕がこのまま「何者」にもなれず、就職活動をする。
なんとか入れた企業でボロ雑巾のように扱われるのかと思うと、とてもやるせない気持ちになる。
多分、みんなもそんな不安や諦めを乗り越えて、就活をして、妥協して大人になり、社会人になったんだと思う。
そんなみんなの方が立派だと思っているのに、やっぱり僕はどこかで馬鹿にもしている。
無批判にレールに乗っかってお前が入ってる大企業もいつ傾くわかったもんじゃないぜ、とか思ってる。
今のところなんの才能もない僕は
(こう書いてる時点でいつか、何かしらの才能が開花するんじゃないかって思っていることがわかる)
だとしたら、今からどうすればいいの。俺はどうすればいいの。
ネットリテラシーの高い声ヲタの皆様に置きましては周知のことかと存じますが、声優・阿澄佳奈さん(以下、アスミス)は未婚女性であられます。
誤った報道に情弱が煽られ、局所的に阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されるという、先進国水準では考えられない事態が生じております。
今後の再発防止のため、事の経緯を整理してみましょう。
このように書きますと、「俺はイベントでアスミスを見たぞ!」と反論される方がいらっしゃるでしょう。
生身のアスミスと、ファンが憧憬の眼差しで愛でるアスミスを混同してはいけません。
正確さを期して言えば、前者(生身のアスミス)は「たぶんそういう女性がいるんだろうね」といった感じの、極めて輪郭が曖昧な存在です。
逆説的ですが、前者から湧き出た後者(声ヲタ脳内のアスミス)の方が、ファンにはハッキリとイメージされ、実体(前者)よりもリアルな存在として認識されています。
2. アスミスは心の中だけにいる
このように、虚像が実像よりもリアルに感じられる状態が続くと、いつしか実像の存在意義は薄れ、やがて実像は雲散霧消し、「認識上の存在だけがこの世に存在する」という独我論に行き着きます。
声ヲタ1軍の皆様なら独我論の境地に達していることでしょう。もしくは自己防衛本能が働き、無意識のうちにアスミスを抽象化・永遠の処女にし、心の傷を最小限に止めているはずです。
したがって、メディアがいくら『実像』のアスミスについて書き立てたところで、独我論的アスミスは永遠に不変であり、声ヲタの精神的ホメオスタシスは維持されます。
今回の結婚騒動で少しでも心を掻き乱されてしまったアスミストは、これを奇貨として精神鍛錬を始めてみてはいかがでしょうか?
初歩的な訓練プログラムですと、『井上喜久子17歳』といったテーゼが独我論入門としては易しい部類に入ります。
阿川佐和子ばりの独身芸がウリの松来先輩も、そろそろネタが笑えなくなるので、積極的な心のメンテナンスを強く薦めます。
例えば『寝起きにポテトチップス』で、乙女ゲーにハマっている話を延々とすれば、イマジナリーな伴侶を容易に獲得できるでしょう。心優しいファンも松来先輩の妄想もとい自己ケアをサポートしてくれるはずです。
それに気付くまでは楽しんでやれていたのに、気付いた瞬間(まあ遅すぎだけど)血の気が引いて退会することしか考えられなくなった。
妬ましい。羨ましい。悔しい。
この際率直に言ってしまうが、身内の幸福(特にイラストにまつわる)が全て妬ましくて仕方がない。羨ましい。苛々する。
単に描いたものがよいものだというだけなら素直に感動が出来るのに、それに何らかの社会的評価や物理的な結果、今後への布石が見えてくると、幸福を祝う気持ちは雲散霧消し、妬み嫉妬憎悪に心が塗りつぶされる。匿名掲示板に晒しあげられて炎上すればいいのに、などと思うことさえよくある。恐らく私にプログラミングの素養があったら荒らしのためにスクリプトを組んだかもしれないし、Vipperならばヘイト記事を乱立したかもしれない。実際はそのどちらでもないので、自分の布団の中にうずくまってうーうー言うだけであるが。
こういうことに激情を発するということから顧みるに、こういうことにコンプレックスないしは過度な憧れがあるのは確かだろう。
私は他人からの評価のために絵を描いている(というより、他人から評価されるためのツールのひとつが絵である)節があるので、それも道理であると言える。こうした考えは酷く幼稚であろうし、非生産的だし、何より生きづらいので辞めた方がいいとは知ってはいるのだが、奈何せんうまくいかない。もうずっとこういう気持ちで生きているからだ。私は自身に対して過度に卑屈(であると同時に、自意識過剰)なので、他人の評価に依存しなければやっていけないのである。
その一方で、最近痛感していることとして、私は他人から評価されるタイプの人間ではないようなのである。例えば評価されたとしても、持ち前の卑屈と自意識過剰で以て、その評価を分不相応――"二重の意味で"――に感じ、素直に受け止めることが出来ない。自身の中で納得感や達成感を得られない仕事というのを人間は続けられないので、そうして貴重なチャンス(あとから思えば)を沢山棒に振ってきた。
具体的には絵を仕事にはできないし、趣味でも納得できそうにない。
いい大人にもなってこんなに拗らせているとは、もうどうしようもない気がしてもいる。成功はしなくても幸福にはなれるだろうが、私の価値観では幸福と成功はイコールであるし、そしてもう成功はおそらく無理なのである。
こういうのでさ、「底辺大学にしか就職できなかったお前が悪い」みたいな見下したレス書く奴って頭悪いよな
それを貶したところで何になるんだよ?
元増田の悩みが雲散霧消するのか?「しょうがないよな底辺大学にしか就けなかったんだから」って解決するか?
(大量のポスドクが行き場を無くしてるこのご時世に大学の教員になれてるだけでも正直すごいと思うけど。)
底辺だろうがなんだろうが仕事の中で悩むことはどんな職業だってあるだろう。
そもそもどんな仕事も必要だからあるんであって、コンビニバイトだろうが医者だろうが社会で必要とされていることに変わりは無いから底辺っていう言い方自体があまり好きじゃない。