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https://news.yahoo.co.jp/articles/e574e0f64084f4e5428d2fd6883f5bfcc7028c89
東京都、ジャニーズの風間俊介さん起用を継続へ 「パラ応援大使」
故ジャニー喜多川氏による性加害問題をめぐり、東京都の小池百合子知事は15日、都の「パラリンピック応援大使」を務めるジャニーズ事務所所属の俳優・風間俊介さんについて、起用を続ける考えを示した。
問題を受け、同事務所のタレントを起用したCMを取りやめる動きが相次いでいる。
都政策調査課によると、風間さんは2019年以降、パラスポーツ振興やバリアフリーの推進に関する会議のメンバーにも在籍。都のホームページなどに応援メッセージを無償で寄せている。
小池氏は同日の定例会見で、「風間さん本人が障害者スポーツに熱心。基本的にはボランティアで来てもらっていて感謝している」と話した。これまで事務所を通していたが、風間さん本人から承諾を得る形に切り替えるという。
風間さん以外に都で大使などを委任している同事務所のタレントはいないという。小池氏は今後の起用方針について、「コンプライアンスの問題を解決するまでは事務所との新たな契約を行わない」と話した。
伊勢神宮とナガシマスパーランド以外なにもない三重でもマトモな判断ができるのに、全国から人材吸いまくった末に五輪インパール作戦決行する東京ってなんだったんスかね、、、
人員や財源の確保難しく
9/21 21:03 (JST)updated
三重県は21日、今秋の開催が中止となった国民体育大会と全国障害者スポーツ大会を巡り、日本スポーツ協会が定めたルールに基づく6年後の延期開催を要望しない方針を固めた。県関係者が明らかにした。
三重県での今秋開催は8月25日に中止が決まった。延期する場合は、中止の判断から1カ月以内に申請する必要がある。既に2026年の青森大会まで決まっており、三重県が延期を要望すれば27年開催となる予定だった。
関係者によると、6年後の延期開催に難色を示す市町があり、県に財政支援を求める要望もあったという。人員や財源の確保が難しいことから、断念することとした。
帰宅してテレビに目をやると、NHKはパラリンピックを放映していた。そういやオリンピックの頃は民放も同じ時間帯にオリの放映してたよなと思いチャンネルをかえると、フツーにバラエティとかドラマとかやっていた。
オリンピックに出る選手はオリの時期じゃなくてもテレビで人々の目に留まり知名度があるので、そういうのを映せばテレビ局は数字を稼げる。
一方で障害者スポーツを普段から流していないからなのか、民放は本当にガン無視状態。
助け合い とか 支え合い とかなんとかってヒューマニティー溢れる偽善ワードを、タレントを使って吐く民放。
結局のところ、見栄えが良い知名度があるアスリートや、タレントにしか興味が無くて、本当は障害者スポーツにも障害者支援にも関心が無い連中なんだろうなと思った。
誰かな。
組織委理事約20人 開会式の中止か簡素化を要望していた…武藤事務総長に記者会見で説明要望も開かれず(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
2021/06/09 に開かれた2年ぶりの党首討論にて。
https://youtu.be/qRYbPViht3U?t=631
それとよく私に、これオリンピックについて聞かれるわけですけども、実は私自身、57年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけども未だに鮮明に記憶してます。
それは、例を上げますと、例えば東洋の魔女といわれたバレーの選手。回転レシーブというのがありました。ボールに食いつくようにボールを拾って得点をあげておりました。非常に印象に残ってます。また、そこ知らない人間の能力というものを感じました。あのマラソンのアベベ選手も、非常に影響に残ってます。そして何よりも私自身、記憶に残ってますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際社会の中で大会で初めて負けた試合でしたけども、悔しかったですけども、その後の対応をすごく印象に残ってます。興奮したオランダのヤケングシ達がヘーシンクに抱きついてくるのを制して、敗者である神永選手に対して、敬意を払ったあの瞬間というのは、私はずっと忘れることができなかったんです。そうした事を子供達にもやはり見てほしい。さらに、当時パラリンピックが初めてパラリンピックと名前を付けておこなった大会です。パラリンピック、障害者の皆さんには、まさに障害者スポーツに光が当たったのがあの日本の大会で あります。そしてこのことを契機に障害者の皆さんが社会進出を試みたり、まさに共生社会を実現するための一つの大きな契機になったという思います。こうした素晴らしい大会を是非今の子どもや若者、見ていけば勇気を与えても伝えたい。さらに心のバリアフリー。こうした物もしっかり私は大きな学習にもなるのではないかなという風に思います。そしてこうした要素をテレビで40億の人が見るということも言われています。東日本大震災から復興したそうした姿というものもぜひ見てほしいという風に思います。世界が新型コロナという大きな困難に立ち向かい世界が団結してこれを乗り越えることができた。そうしたこともやはり世界に日本から発信をしたいそうした思いであります。つい先ほど感染の話をされました。
このことに、このことについては、まさにこの IOC、 IPC そして組織委員会、東京都、国との中でその国内基準の中であった形で方向性を6月中に決めるそういう方向になってます。そういう中でそうしたことは十分配慮されるこのように思います。
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ブクマで、どうしてブルマーの調査を個人のブログやnoteでやらないことをいぶかしがるコメントをいただくこともあった。理由はいくつかあるが、一番の理由はこの匿名の環境が心地よいためだ。もしもコテハンで延々とブルマーについて語っていると、自分のアイデンティティの深いところにブルマフェチであることが刻まれてしまうだろう。現に、さっきブルマーを脱がしてお尻を見る夢を見た。いつしか毎週のようにブルマーについての考察を書くことが求められ、承認欲求からそこに依存し、それが完全に習慣になってしまう。怖いことではないだろうか。
さらに、ある程度ライターやブロガーとして名前が売れたら世間で話題になったり、現在進行形で炎上していたりすることについてコメントすることが期待されるかもしれない。それは、気晴らしとはほど遠い。自分がやりたいのは個人的に気になったことの調査であり、それ以上ではない。だいたい、世間の議論は不毛なことが多く、建設的でない議論に巻き込まれても面白くない。要するに、期待されると疲れるのだ。
また、この記事はほとんどが海外の情報の斜め読みとその翻訳からなっており、それで閲覧数を稼いだり、有料の記事を作ったりするのは少しばかりおこがましく思う。最近はあまりやかましく言わなくなったのかもしれないが、リンクフリーかどうかもわからないサイトから引用している個所も多い。コンプライアンス的にはグレーだろう。こうして書いた記事がバズったら確かにうれしいが、あまりブクマ数は気にせずに遊びとしてやる距離感が一番楽しい。バズることが自己目的化しては意味がない。
匿名性の良さにはほかにもある。増田という環境は情報の書き手と受け手の関係がフラットで、記事の誤りを気軽に指摘してもらえるのだ。もともと自分の勉強のためにブルマーについて調べていたのだから、批判も含めてあらゆるコメントはいつもありがたい。
更に、増田でこうして書いたことで学べたこともある。ライター業というのは思いのほか大変なのだ。まとまった長さの文章を毎週書くことをしばらく続けてみたが、テーマを選ぶことも調査することもそれなりに気力を使う。小説で長い文章を書くのが元々苦ではなかったので、こういう記事も簡単だろうと油断していたのだが、自分で考えた締め切りを守るのも負担だとわかった。ましてや自分の興味がないことも書かないといけないうえに、ウケるテーマを探さないといけないプロはなおさらだろう。一時期、文筆業に憧れていたことがあったのだが、こうして実際にその真似事をやってみると、その苦労がどれほどのものか、かなり実感がわくようになった。
確かに、自分の妄想を必死でひねり出して数万字書いてスルーされがちな小説と比べ、調べたことをまとめたものはほんの数千字でブクマがもらえるので、かけた手間と承認欲求のコストパフォーマンスはこうした記事のほうがいいのだが、そういう問題ばかりでもない。
とはいえ、面白い経験ではあったので、例えば僕のフェティシズムとは関係のない記事を書いて、どの程度伸びるかどうかを実験しても面白いかもしれない。たとえば、筆者はよく美術館に行くのだけれど、刀剣には詳しくないため、どこをどう見ればいいのかがわかっていない。それについて調べた記事なんかを書くのもいいかもしれない。さっさと書籍を入手しろという話かもしれないが。
また、何かまとめたくなったら書く。それがいつになるかはわからない。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。
俺はない。
不謹慎な話なんだけどさ、
正直、オリンピックに比べると、放送局も大体的には取り上げないし、選手をスタジオに招いてインタビューしたりもしない。宮根誠司とか小倉智昭とか、普段は偉そうなことばかり言ってる割には、結局、世の中で話題になってからのことしかモノを言えない人たちのようで残念。
実際に観に行ったら感動するのかな。
それとも、どうしても無理やり、いい人であらねばならないと思い込み、障害者スポーツに理解のある振りをしてしまうのだろうか?
パフォーマンスがおおむね健常者の競技者より劣るんだから見てて興奮するわけがない。
「パラリンピックを大々的に放送しないのはおかしい!」って良い子ちゃんな意見がもう正論オブ正論みたいになってるけど、あんなもんで地上波の放送枠を何時間も費やすなんて冗談じゃないという気持ちがある。
どの局にチャンネル変えても小学生サッカーの世界大会やってるようなもんだ。
障害者スポーツが魅力的なコンテンツだと思ってもらうための試みもズレてると言わざるを得ない。
「いやあしんどい!!難しい!!こんな凄いことやってたんですか!」
なんて感想引き出すことでハンデあるうえでの競技の難しさ、技術的ハードルの高さを知ってもらう番組とかあるけど、そういうことじゃないんだよ……。
お互いぐるぐるバットやって千鳥足になったうえで野球の1打席勝負やるようなもんで
「凄い!!世界トップの競技者の技術だ!!」なんてことにはならない。
強いて言うならスーパージョッキーで軍団が無茶させられる企画の楽しみ方に近い。
障害者スポーツが大人気になって、国民大半の関心事になることはありえない。
障害を負った競技者だけで競うこと、全体で見たら障害者アスリートのパフォーマンスが健常者アスリートに大きく劣る事実、これらは魅力を殺してる。
ただ、障害者の競技者の闘いぶりが国民を熱狂させるシナリオはある。
障害者本人が健常者と同じ土俵に立って、ハンデを物ともしないような活躍を見せること。
それ以外ない。「パラリンピック」とか銘打って分けてる時点でもうコンテンツとして退屈。上がり目なし。
片手の指が1本しかないのに、健常者を寄せ付けないような一流選手出てきたらさすがにこんなこと書いてる俺もテレビにかじりつくよ。
パラリンピックを見ていて、いろいろと思うことがある
この人はどんな障害があるのか、どうしてその障害を持っているのか、使っている義足や車イスの形や仕組みはどうなっているのか
そういうことを思うたび、これは「差別」ではないのか、障害者である前にアスリートなのだからそういう目で見ずに普通にスポーツとして見るべきではないか、と
しかし、そもそもパラリンピックは障害者スポーツの最高峰で、いろいろな障害の人が出場している
その障害にも度合いがあり、その度合いによりクラス分けされている
そういうことを考えれば、どこに障害があるのかとか、どんな障害なのか気にするのは当たり前のことなのではないかとも思う
そしてパラリンピックの話になると、よく「パラリンピックは見世物ではないか」という話を聞く
見ていてそう思うこともある
しかし、それを言うならオリンピックも見世物ではないのか、スポーツそのものが見世物ではないのか、とも思う
ここにさほど大きな差を感じない
どれも感動的なことだし、どれもとても興味深くて面白い
難民の人が出ることが美談で、障害者が出ることがタブーになる理由は自分には分からない
自分では差別意識はあまりないと思っているのだが、パラリンピックを見ていて思うことがある
選手同士で揉めていたり、少し汚いプレーをしていたり、ドーピングが発覚したりするのを見て、とても変な気持ちになる
それは、どこかで障害者スポーツは綺麗なものというイメージがあるからだ
勝負よりも参加することに意義があるというイメージがある
しかし、出場している選手はただ純粋にスポーツをしているだけだ
オリンピックと同じ程度には汚いプレーもするだろう
http://anond.hatelabo.jp/20160822234119
醜いものや劣るものは憐れみの文脈か、自分より下が居るという安心感を与えるコンテンツとしてしか消費されない。
2.人間には優れたものや自分と共通点が多いものに対して共感を得る。
極端に参加者が少ないスポーツと同じで、興味を持つ人が少ない。
上記理由により、観たいと思う人が圧倒的に少ないので注目されない。
こんな事はほとんどの人が理解しているが、なぜかそれを言ってはいけない空気があるので、
特にNHKなどは、そんな事実など無いかのように「いやー、パラリンピックも盛り上がっていますね~」などと薄ら寒いことを言う。
よくわかってんじゃないか。
確かにそうだよ。オタクというのは顔の悪さや社会性のなさや認知の歪み諸々の総称であって、
だからこそ、趣味のマニアックさだけでオタク名乗られるとぶっちゃけ迷惑なんだよ。一緒じゃないんだから。
お前らはいいよ。顔が平均以上で、コミュニケーション取る上で不都合もなくて、だから変な趣味でも許容される。
けど俺らはそうじゃない。そうじゃないから、何をしようが何を好もうが変な目で見られるんだ。
俺らがウェーイな人らの好むものをライトに楽しもうったってそうはいかないのは、これが理由。
オタクがチェック好きなんじゃないのよ。黒一色が好きなわけでもないのよ。
挙動不審の不細工が着たら、ぶっちゃけなんでもオタクファッションなわけ。
なんなら俺らで徒党組んで同じ格好してやろうか。誰も着たくなくなること間違いなしだぞ。
「僕は、競争を前面に打ち出して規制緩和する小泉・竹中路線をさらにもっともっと推し進めることが、今の日本には必要だと思っている」と橋下徹は発言し、
まさにその通りの政策を実行した
竹中・小泉の改革により失業を理由とした生活保護が増え、非正規雇用も増加した