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はてなキーワード: 陪審員とは

2015-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20150305134250

2, 30年前にワイドショーで、大衆迎合的に裁判官世間知らずだからアメリカみたいに陪審員を取り入れたほうがいいみたいな話をしてたけどケント・ギルバートは一人だけ、素人裁判にかかわらないほうがいい、日本プロだけでやってるからすばらしいみたいなこと言ってたね。

アメリカ陪審員も「あんなの行くの暇人だけ」とか、自分母親陪審員に呼ばれたけど「息子が日本から返ってくる日だから」って理由で断れたとか。

自分弁護士の訓練を受けたときは「お前は目が細いから信用されない。目を大きく開け」とか言われたって例をあげて、素人相手だとこんなくだらないことが判決が影響するとか言ってたわ。

2015-01-14

ブラック企業が未だにのさばってるのは新卒イエスマンに徹するから

新卒マザコンみたいな軟弱なのがいけないんだ。

新卒ならクビになっても潰しが効くし、最悪弁護士立てて内容証明出せば

向こうが理不尽言ってこようが幾らでも戦える。

ワタミの例を見ればいい。

あんなに理不尽な陳述してるけど明らかに違法行為を強いて来たのは事実から

言えば言うほど陪審員心証は悪くなってる。

新卒学生やと叩かれれば、お前らも昔は学ラン着て就活に勤しんでただろうが、

どうしてその体できた奴が学生どもを労ってやらないのか不思議でならん。

新卒もナヨナヨする暇があれば堂々上司報連相貫け、そして理路整然としてろよな

新卒イエスマンに徹するからブラック企業が未だにのさばってんだよ本当に。

2014-07-29

なぜころ、あったなそういうのも…

しゃべり場だっけか…

google:なぜ人を殺してはいけないか しゃべり場

TBS特番筑紫哲也あたりを連れてきてやってたような気もするが…、いやしゃべり場筑紫が呼ばれたのか?…

どうでもいいなそんなこと。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.open.sh/entry/20140728/1406552151


こういうの、題材的にも別の意味でも本文を読む気はないのだけど、

ようは「人殺しをさせないようにするための」Qなわけじゃん。

でアンサーする人はっていうと、

人殺しをさせないって命題そっちのけ。

将来人殺しになってしまいそうな人(自死含む)を目の前にして、

仮に説得を試みるなら・・・なんてのんびり屋さんの集まり

田舎のお母さんが悲しんでるぞつって泣き崩れるシーンかなんかの見過ぎだって

たかが説得ごときにあまり夢を見るなよ。特に一刻一秒を争うリアルタイム説得。


で、色々な答えが出てきてさ、その答えの穴を突く人が出てくるの。

一見多様なようで大体一様な人たちが答えの穴を突くわけ。



これさ、殺人なうってときに「でも~じゃん、やっぱ人殺してもいいよね…ブスッッ」って答えの穴を突くと同時に相手の横っ腹ぶっ刺すとかなら自分わかるのよ。

でもそうでない人がさあ、こうじゃん!やっぱ人殺し悪くないかも…な感じなのを見てさ、

お前人を殺したくなったときとか誰かに殺させたいときになってから、そんときになってから論理の穴探せよって思うわけ。

お前そんな人を殺したいの?って思うわけ。


積極的に穴を探すその姿が、人殺し見習いに見えるわけ。

なんか自分わりと納得かもーっていい感じの答え見つけたら、それでいいじゃん。

「いやもしかしたら、もしかしたら、人殺しは悪くないかも、もしかしたらもしかしたら…。」

なんで万人が納得できる答えとがあると思って探求してるのかな。

やっぱいつの日か人を殺すそのときのためかな。違うか?



冒頭の番組で「なぜ人を殺したらダメなの?」って少年だか少女だかがぼそっと言ったときさ、

場内がざわついたのよ。

みんな「え…?」って。

そんときスタジオにいるみんなはこう思ってたのかなあ。

やばい…、こいつに殺される…逃げなきゃ…」って。

2014-07-17

自意識法廷

同じ事件の第何百回目かの陪審員に「また」僕は選ばれた。

野菜ジュースのパックを飲みながら、緊張した面持ちで法廷に向かう。

勝手知ったるその席に僕はついた。

被告弁護人と、原告弁護人と、裁判官は、僕の顔をしている。

ここは子宮のような安心感がある。

罵りあい同情を誘う僕らは、絶対に本当にまずいことは言わない約束からだ。

おもむろに判決が出た。

もちろん「有罪」だ。

世界とか僕とか、全部が「有罪」なのだ

から明日からどうなる、どうする、という事はない。

どうなればいいか、どうすればいいかなんて、頭が悪くてわからないのだ。

2014-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20140523104751

横だが何故仮の前提を付け足してまで「可愛い正義」を否定したがるのかが謎。

アメリカで、被告美人だとそれ以外の内容が同じでも陪審員が示す量刑が軽くなるという研究結果が出たという話を思い出した。

2014-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20140412232319

ええ。だから「取り入れた」だけなんです。

民意を以てしても法の論理を越えた量刑を課したりできないわけです。

民意で決定するなら、陪審員意見裁判官意見を越える最終決定にしなければなりません。

民意無視しない。但し参考意見にとどめ、最終決定にしない」というのが代議制民主主義思想というものなのです。

2013-10-15

FC2動画に天下のカリビアンコム天誅を下す日がついに来たったwww

タイトルだけ見るとテンション高そうだけどもう眠いしそんなにテンション高くないです。

vipperみたいなタイトルつけた理由はさっき気になるニュース発見たからです。

2ちゃんは基本的に見ませんけど暇速とかvipper速報とかNews USとかはたまに見ます

検索によくひっかかってくるんだよね、あっち系まとめサイト

本題

FC2が法廷で裁かれる!Xデイの陪審員裁判は2014年3月4日、原告はあのカリビアンコム | 紛奏

FC2カリビアンのメスが入った

今回の件とは無関係だけどこれ⬇すごいなw

http://anond.hatelabo.jp/20090520160047

いつの間にかFC2が権利団体から訴訟されてた件 - 雑記N

SODを始めとする国内アダルトビデオメーカーにも訴えられた

この訴えた団体が真っ黒でビデ倫を潰した恐ろしい団体からオラわくわくすっぞ

さすがのFC2も今回ばかりはヤバい事になるような。

正義感の強い人も、

http://anond.hatelabo.jp/20130817225452

http://anond.hatelabo.jp/20120824194527

FC2動画万歳の人も、

http://anond.hatelabo.jp/20130807002754

http://anond.hatelabo.jp/20090307095441

みなさん仲良くこの裁判の行く末を楽しく観察しましょう〜

それでは、さよならさよならさよなら

2013-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20130719221754

ヒスパニックには白人だけじゃなくて黒人もいるけどね。

ま、先の増田が言いたかったのは、今回の件は、アメリカにおける"白人"対"黒人"

人種争いの中の"白人"ではなかったってことだ。

実際、殺した方はヒスパニックの中でもさら小数派に属するみたいだし、

所謂アメリカマジョリティーの"白人"の陪審員がこれに味方してどうこうする、という判決が出たとは考えられない。

から

2013年現在も、白人黒人を殺しても無罪になるのがアメリカって国だしな。

は明らかに間違ってるよ、ということだと思うよ。

2013-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20130719210739

横だが、この件はむしろ"白人"じゃなかったか大事になった

(メディア面白おかしく盛り上げた)

って見方もあるみたいだね。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2013/07/post-575.php

逆に言うと、"白人黒人"であれば、問題が大きくなりすぎるからそこにブレーキがかかって

報道すらされない可能性があった、ということだけど。

今回は陪審員白人が多いからこうなったって言う、ヒスパニックを知らない馬鹿も居る一方で、

ヒスパニックだし少数民族から、それに同情して無罪にしたわけではないから、むしろ正しい判決だ、

っていう話もあるみたいだ。

この

正当防衛法(スタンド・オン・ユア・グラウンド・ロー)」

ってのの適用範囲は、多分、日本の常識じゃ考えられないところだから日本で議論しても難しいところなんだろけどね。。

2013-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20130711151730

個人的にはこの増田にかなり同意です。

もしこれが彼によって行われた犯行であれば、物凄く緻密に計画し、多数あったはずの決定的証拠を限りなく隠滅させ、他人を巻き込んでいるわけで、犯罪の質としては物凄くタチの悪いタイプだと考えられる。

その中で残された状況証拠の積み重ねで、限りなく黒に近いグレーのホシが現れたわけで、疑われるにはやっぱり十分だ。

彼を捕まえる前の検察についての横暴なやり方に非を唱えるのは間違いないが、片山被告については「IPが一緒だった」とは比べ物にならない状況証拠が揃ってる。

もし僕が弁護士だったら、彼の弁護はカンベンだし、陪審員に選ばれたら、有罪と言うかもしれない。一番言いたいのはもっと調べろ、かな。

今の状況で警察に文句をいうなら「不当拘留をやめろ」ではなくて、「はやく決定的証拠を見つけろ」であるべきで、操作能力の低さが問題だ。

その証拠はもしかしたら彼が無実であることを証明するものかもしれないし、そうすれば彼の「不当拘留」も解かれるわけで。

事前の「市民誤認逮捕警察メンツ潰し」と今の状況をごっちゃにしてはいけないと思う。

2013-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20130627120157

からだが、だから裁判官がいて検察がいて弁護士がいて、情状酌量であるんだが?情状酌量のありどころが心じゃなかったらなんなんだろう。

心という高い次元を、われわれは汲み取る

ために、裁判所が合って裁判官がいる。心を汲み取らないなら、検察だけで十分だ。法律機械じゃない。

民間の心を汲み取るために、陪審員制度まで始まってたはずだ。

2011-03-09

なぜメイドインジャパン政治は粗悪品なのか

呆れてきたので原因を考えてみようと思った。

まず第一に政治家市場は正統な競争がなされていないかである

日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選高知広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川千葉景子法相民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。

第二には政治家市場には強烈な参入障壁がある。

政治への新規参入ほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。

有権者投票すべき政治家いかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし選挙カー名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEB更新ダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。

選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないか比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通候補者だと違いがわからない。ネットショップ価格スペック比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランドから無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ

結果、約半数が投票に行かないし地方首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤お金が必要となり、結果、特定の組織利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。

第三にはそもそも議会制民主主義なのかという問題がある。

もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察裁判判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランス重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。

例えば先日可決された東京都青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。

政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。

以上の原因と仮定からスキャンダル醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。

自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!

ほにゃららふがふが社会絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルテーマもない。やはり行き止まりだ。

基本に立ち返る。

最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。

既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員投票はこうだったけど、その地域有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。

2010-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20101102014711

死刑推進 もしくは 死刑廃止推進 のどちらかの端的な意見をもつ人は

公平ではないという理由で陪審員には選ばれないんじゃないかと思うが?

2010-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20100811200119

法の支配」と「人の支配」の並存によるなあなあな運用が良いのではないか

情状酌量や、執行猶予陪審員制度でその辺りは法の支配に組み込まれていると思うんよ。

2010-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20100513143834

むしろ、同じケースで陪審員が全員男性になったほうが怖い。

2010-04-12

Lecture2 サバイバルのための殺人

サンデル教授は、19世紀の有名な訴訟事件「ヨット団塊号の遭難事件」から授業を始める。それは、19日間、海上を遭難の後、船長が、乗客の老人たちが生き残ることができるように、一番若く経済力の無い青年を殺害し、その人肉を食べて生存した事件だった。君たちが陪審員だと想像して欲しい。彼らがしたことは道徳的に許容できると考えるだろうか?

http://www.nhk.or.jp/harvard/lecture/100404.html

2010-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20100205175524

陪審員制度原敬の目玉政策じゃなかったっけ?

戦争のゴタゴタで事実上終了したけど、60年ぶりに復活してよかったね

2009-11-30

バイリンガルの頭ん中:ダニエルピンクネタ

日本語英語へのTransition

目的

バイリンガルの頭の中(あくまで想像)を文章にて表現

序盤:日本語脳→終盤:英語

・英文に抵抗のある人に対する新しい英語教材の提案、実験

日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想

TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエルピンクプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw

ダニエルピンク 「やる気に関する驚きの科学

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html

めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。

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最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。

In America, 法律専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。

But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。

陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandle画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?

Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。

次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago物価上昇inflation考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。

このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。

この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。

私はthe last couple of years, human motivation科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。

Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)

If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。

Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中Low-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。

Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。

Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。

Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」

Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」

これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。

Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Great経済頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。

There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.

And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.

I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.

Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.

How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.

They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.

And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.

Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.

What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."

The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.

ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaモデル.

This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説マニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.

There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.

And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。

2009-09-09

遠山の金さん」と裁判員制度

民智が偏向裁判サヨク判決を覆していくのか

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遠山の金さんといえば庶民感覚犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説モデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。

お白砂には花吹雪舞う刺青松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采あびる

裁判官ヒーローがいたのだ。

江戸時代までは検非違使伝統が息づいていた所為か警察検察司法が同じ行政機関で行われた。警察逮捕し、検察起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。

大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。

江戸時代世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。

水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法独立って概念を知っていたのかな。

そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律風土が違う。

だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本弁護士が少ない、と。

この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院

米国陪審員制度に酷似

そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人傷害致死放火身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑量刑無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識裁判官常識を変えた例になった。

ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度日本にうまれた。

左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。

さて裁判員制度本質的問題点とは何か?

議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員制度誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランスチェイサー救急車を追いかけて患者から事故弁護士成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラでっち上げ日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。

だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。

第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。

第二に陪審員は買収されやすく誤審冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。

第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。

上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明

細かな問題点はほかにも多々ある。

一、選挙管理委員会リストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。

二、籤による選任が「健全市井の人常識」を反映するのか

三、強制するのは憲法違反ではないのか?

四、多数決裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。

ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。

裁判員制度導入に賛成する保守論客も意外に目立つ。代表選手コラムニスト高山正之氏だ。

高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度精通し日米の裁判に関連する著作も多い。

法律解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。

ただし米国陪審員制度といい、今度の日本裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法民主化などというお題目寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日

        通巻第2702号 

2009-07-06

宗教が暴走した好例だと思う。

創価キリストのタッグが日本文化を犯してます。

熱心に進めてるのは公明=創価なんだけど、あそこって、なんか、自分たちの正義を通すこと自体が目的で、大勝利!大勝利!

と叫ぶためにマイノリティを殺す事をするよな

宗教に入って自分で考えることを止めた奴らが大勝利とかアホかと。

自分たちの保身のための外堀を生めるために、

個人情報保護法組織に身を隠し、

人権擁護法案宗教批判させないようにして、

陪審員制でみんなが陪審員敬遠したら創価信者で固めてきそうな勢い。

単純所持禁止とかアホな事言ってないで

子供精神的ショックはあるかもしれないけど、

子供を売る親を捕まえて、子供をきちんと児童施設に預けることが出来る法案を作るべきだと思うんだよね。

政治家内心の自由まで侵す発言をしてること自体がアホだよなぁ。

こんな発言しちゃう程度のが政治家になれちゃってるのもダメだと思うけどさ。

2009-01-21

オブザーバーを選ぶときに確認しておきたいこと

たとえ話:「陪審員制度では、死刑に反対する人は選任されません。 現行法と同様、陪審員死刑に賛成であることが必要だからです。」

さて、XXがOOである可能性も十分配慮しなくてはいけない議論の場合。

本題:「別に死刑関係ないんですが、あなたは適切な条件がそろえば、XXがOOになるということ前提とした議論や思索に抵抗を感じることはありますか?ありえる話だとして受け入れることはできますか?」

→「受け入れられる」:「僕のケースでそうであるかは議論の余地があるかと思いますが、XXがOOになっていると認識しています。 それについての議論が必要である場合、こちらにはその準備があります。」

→「受け入れられない」:「もちろんそう考えること自体になんら問題はありません。 しかし、僕のケースではその是非が僕の人生を大きく左右するため、大変申し訳ありませんが今回の問題にいてのご意見は受け入れかねます。 結果や経過は追ってご報告させていただきます。」

まあ、使い方を選ぶけど、社会的に「なんとなく」避けられるけどよく見てみたら避けることが誰かに不当な不利益をもたらす場合は使ってもいいんじゃないかな。

今日相談してみて、まったく話にならなかったから今度からの防衛策。

参考リンクhttp://ja.wikipedia.org/wiki/陪審員の選任

2008-12-09

東金女児事件

思ったことなど。

逮捕が遅くなったのはやっぱり野田事件のせいなのかな?

野田事件 - Wikipedia

オタクとの関連性を頑張ってるマスコミだが、知的障害者だった。どこまで追いかけていくのか。

知的障害者死ね、だとオタク死ねと同一だよなあ。

 劣ったモノが死なされる世界だと、最初に死ぬのは障害者。つぎに来るのは病人・老人あたりとして、非モテキモオタはどれくらいで死ぬんだろう?

知的障害者だから「責任能力がありません」になりそうで怖い。むしろそうなった方が知的障害者の人たちに不幸。

刑に対して情状酌量出会い頭の事故等)はあってもいいとは思うんだけど、責任能力が胡散臭くて仕方が無い。

現在容疑者であり、まだ犯人になっていないのに、押収した物品はおろか、レンタルしたビデオCDまでマスコミに流す警察個人情報保護法違反にはならないの?

これから、陪審員制度が始まるのに大丈夫なんだろうか。

2chで見ているとたいしたことないのに、痛いニュースでみると妙にキモイ。主にレス選別がキモイ

2008-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20080511002343

十分に高度な訓練を積んだ専門家が、現在に至るまで司法に携わってきたのでは?そこでなぜ右も左も分からない素人一般人を持ち出す必要があるのですか?

「今までは専門家に全部任せて置けばオールOKと思ってたけど、もしかしてこいつら俺たち一般市民感覚を全然理解してないんじゃね? そろそろ俺たち一般市民裁判に参加してくべきなんじゃね?」という意見国民の中にあり、それに応えるためにできたのが裁判員制度ですよね。いや、そんなこと誰も思ってねーよと言われるかもしれないけど、裁判員法ではそうなっている。

危険性やコスト(費用や手間の意味で)の高さのほうが、遥かに大きな不利益となる気がします。

この点については自分も問題点だとは思っている(特にコスト)。裁判員制度のために法廷改装したりでかいモニターレンタルして設置してたりするしね。

あとこのレス元とは直接関係ないけど、もしかして裁判員制度って「法の専門家不在のまま裁判員だけで話し合って判決が決められる」って思われてるのかな? アメリカ陪審員制度みたいに。それは間違ってるよ。

日本裁判員制度は、原則として裁判官3人・裁判員6人が"全員で"話し合って一つの判決を決めます。なので法律素人にみたいな人が居ても裁判官がいくらでもアドバイスできます。あと最終的には多数決とかで決めるんだけど、その時には裁判官が最低一人は賛成している意見でないと採用されません。だから「裁判官3人は有罪・裁判員6人は無罪、よって判決無罪」なんてことにはなりません。なんか「顔が気持ち悪いから死刑、なんてこともあり得る」とか極端なこと書いている人も居るけど、そういうことは絶対無いから。

2008-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20080306023437

またブクマコメにいろいろと、というのは最後にまとめるとして。

http://d.hatena.ne.jp/repon/20080306#1204807516

これのブクマコメには、「長すぎて読めない」といっぱい書かれています。でも、考えてみれば、どんなにペナペナで内容薄くて会話文ばかりでページの下半分は全部空白、みたいな「誰でも読める」ラノベでも、たいていこのエントリよりは長いわけです。よって、「読めない」のは長すぎるからではない。

このエントリが読めないのは、

・もともとの弾さんとreponさんのやりとりからすっかり乖離したメタな話になってしまっていること。

メタな話だとしても、その中でも論理展開がメタメタであること。

からでしょう。ほめている人でさえ具体的な内容にほとんど触れてないのはその証拠。

順に見ていきましょう。

(1)「決断する」とはどういう事でしょうか?→「何らかの判断を主体的に行うことである」

ここに異論がある人は少ないと思います。

(2)決断は、本質的に論理性では解決できない「問い」から発する

 →また「決断」を要する場面というのは、パズルのような論理的判断が下せる問題ではなく、

  合理的な答えが複数あり、その中の一つを無根拠に選ばなければならないような事態に

  あるような場面です。

これは「選ぶべき答えが明白なら、『決断』なんて不要だ。よって、『決断』とは、『無根拠に選ばなければならないような事態』にすることだ」ということでいいのかな。

ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスク見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。

(3)ひとは「決断すること」を迫られる状況で、成長することがあります。「決断をすること」を迫られる状況が、教育的な効果を生み出すのです。

 →陪審員パスカルの賭け、労働者闘争を例に挙げて。

 (パスカルの賭けってこんな意味じゃなかった気がするがなあ。)

 →市場にも適用「その事業の成功の有無とは別に、その人は成長する」

これも、「そんな考え方もあるかな」というレベルでなら賛同できるでしょう。

(4)「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。

問題は上記、この部分の節のタイトルです。

まず命題として、『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』は明らかに偽です。工事現場で鉄骨が空から降ってきて、右によけるか左によけるか決断しなければ、教育効果云々以前に死んでしまいます。雪山で吹雪に閉じ込められて、決死の覚悟で下山することを選ぶかその場で助けを待つか、といったケースもそうでしょう。『「決断すること」が有効なのは、「教育的な効果」を期待できるときだけ。』というのは、まるで学校の授業のように、「誰かが教育目的で課題を出してくれている」ケースでしかありません。

それでもなぜ市民裁判制度に陪審員という形で参加させるのかと言えば、そのやり方でしか市民教育する場がないからです。

と、誰が考えているのでしょうか? 日本裁判員制度について言えば、少なくとも最高裁判所直接にはそうは言っていないようです。

陪審員制度が市民を成長させることがある」という命題が真だとしても、そこから「陪審員制度は市民を成長させるためにある」は導けません。

ていうかこういう発想自体、どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか。それは誰? 将軍様?

まして市場は、我々を成長させるためにあるわけじゃないでしょう。日本現在資本主義的な経済を採っているのは、そうすると競争生産性が上がるとか、あるいはそんなのは既得権益を得た資本家政府を牛耳っているからだとか、いろいろ意見はあるでしょうが、「教育のため」と主張する人はまずいないと思います。

ところがreponさんは、

しかし、「市場教育」は、二極化を目指したものではありませんから、そこで「負けた」ものを救う措置が必要になります。

市場教育のためにある」→「教育目的二極化を目指したものではない」という二重の飛躍をやってのけ、『「負けた」ものを救う措置が必要』と主張します。

『「負けた」ものを救う措置が必要』という主張自体には異論はないんですよ(BIがよいかどうかは議論の余地がありますが)。でもここまでの議論からこの主張を持ってくるのには無理がある。むしろ「ベンチャーを立てるとか、いろいろ挑戦できた方が社会全体の利得が上がる。でもそれで失敗して人生終わりじゃ誰も挑戦できないから、セーフティネットは必要だよね」という主張の方が筋は通っているでしょう。もちろんこれは典型的なマッチョ理論ですが。

「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間は、教育と言うことがどういう事なのかを理解できていないのかも知れません。

学校の授業のゲームで「子ども銀行券」を取り合っているのならそうかもしれないけど、「市場教育のためにある」ことが証明できていないので、この文には意味がありません。

ていうかそれ以前に、『「この金は自分一人で稼いだカネだお前ら手を出すな」と品性なく喚く人間』って誰のことなんでしょう。弾さんもfromさんも、BI推進派です。

そして。

教育的効果を発する「決断」は、自分を「問われるもの」として「問う」者を想定し、自身が「問い」に応える立場に立つとき、はじめて成り立つのです。

まったくそのとおりです。これについてはまさに上で、『どこかに「教育目的で課題を設定する先生」がいるという前提に立っているのではないでしょうか』と書きました。

「すべての問いを有している審級」とは、全体主義権力に近い。

まったくそのとおりです。で、それって将軍様?

つまりね、全体主義権力を想定して論を進めてきたのはreponさんの方であり、弾さんじゃないんですよ。

実際には、幸い日本には、「真の目的教育価値であるということを隠しながら裁判員市場市民教育してやろう」と思うほどの有能な権力存在しないようです。

学校卒業したらそこはもはや学校ではなく、ゲームを仕切ってくれる先生はもういない。だからこそ、

32歳あたりで自分を決めるべき

・そんな会社なら、やめたほうが良かったんじゃないの?

といったアドバイス意味がある、かもしれない、わけです。

もちろん、このアドバイスが正しいかどうかはまったく別な話です。fromさんがここで書いてるようにいつまでも自分を決めないほうが気分よく生きられるのかもしれないし、あの時代、会社を辞めてたらもっとブラック会社にしか就職できなかったかもしれません。そういうリスクやリターンを勘案して、どう行動すべきかを決めるのが「決断」でしょう。

さて、ここで上記の「保留1」に戻ります。

ふつう決断といえば、成功の確率とか、成功した場合のリターン、失敗した場合のリスク見積もってするもの(よって無根拠ではない)だと思うのですが、ここはとりあえず置いておきましょう(保留1)。

reponさんによれば、

正しい方向を目指したから正しい方向に向かったのではなく、正しい方向と信じてその方向に向かい続けたからそれが正しくなるのです。その方向を目指したのが最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない、という事実を自身に隠蔽することで、「自分は正しい道を歩いているのだ」と信じ込むことが出来ます。

とのことですが、「最初は単なる偶然に過ぎなかったのかもしれない」という命題と、「すべて偶然だ」というのとはまったく別の話です。

この、まず行動する、という主体確立が最悪の形であらわれたのがファシズムでした。

だからさ、弾さんにしろfromさんにしろ「何も考えずにまず行動しろ」なんて言ってないってばよ。

この、まず行動する、という主体確立が最悪の形であらわれたのがファシズムでした。ファシズムの要求するものは、つねに行動の形式それ自体です。内容はどうでもいいのです。内容が空虚であるが故に、そこに向かって突き進むという形式を要求できるのです。

reponさんの文章には、

(1)市場には教育的な効果がある

  → 市場教育のためのものである

   → 市場教育のためのものであるから、敗者は救われなければならない。

(2)成功した決断には偶然も含まれる

  → 決断はすべて偶然であり、空虚だ

   → 空虚であるがゆえに、決断主義者はファシズムに突き進むのだ

という飛躍があります。(1), (2)ともに、最初の命題は真なのでしょう。でも次の「→」は論理的につながっていません。

こんな破綻した文章をブクマコメで賞賛している人は、ちょっと自分のリテラシを疑ったほうがいい。

あとは余談ですが、

でも、「問う主体」として想定されているdanさんが言えば

だれかが書いてたと思うんですけど、弾さんは将軍様じゃなくて軍曹さんでしょう。今の社会でたまたまうまくいった人が、ある程度成功の秘訣を知っていると想定するのはおかしくない。とはいえ、弾さんといえど人生は一度しか生きていないのですから、実は弾さんが現在の地位を得られた要因はほとんど運で、気付いてないのは当人だけ、という可能性も十分に考えられますが。

長くなったし引用も多いけど、reponさんのもとの文章よりかは読みやすいんじゃないかな。

というわけで今日のまとめ。

Marco11につける薬はない

以上。

ありゃ、ツリーの付けるところ間違えたんですが、これ、修正しても直らないんだっけ?

なんつーか、じじぇくよめとかけんとうはずれのこめんとがつきそうなよかん。いまのしゅだいはじじぇくじゃないっての。…というこめんとをいれておいたことをしょうめいするために、ぎょたくとっとこう。

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