はてなキーワード: 阿川佐和子とは
当時ソビエト教育学の拠点だった北海道大学教育学部に入学すると共産党傘下の民青系に属し、共産党に入党
舩山の妻は新日本婦人の会札幌協議会代表を務めるなど共産党系の運動で活躍
舩山の兄、舩山信一はマルクス主義の学者で治安維持法違反で検挙されたことがある
1991年に米国に渡り、湾岸戦争を契機に冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じる
1994年4月から雑誌『社会科教育』(明治図書)誌上で「『近現代史』の授業をどう改造するか」の連載を始め、教科書の南京大虐殺の記述を攻撃
1996年1月、産経新聞のオピニオン面に「教科書が教えない歴史」の連載スタート
同年12月2日、西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成
声明文には藤岡信勝、西尾幹二、小林よしのり、坂本多加雄、高橋史朗、深田祐介、山本夏彦、阿川佐和子、林真理子の計9人が呼びかけ人として名を連ねた
たけしの面白さはコマ大数学科や映画、政治を語れる高い教養と不謹慎のギャップにある。
https://thetv.jp/news/detail/129518/p3/
「お笑いは、落差だから。普通の人がくだらないことやるより、有名な賞を取った偉い人がやった方が面白い。だから理想は、ノーベル賞を取った後に、立ちションや食い逃げで捕まりたいわけ。俺が『賞が欲しい』って言ってるのは、偉くなりたいんじゃなくて、お笑いのためなの(笑)」
TVで面白くないのは、たけしの不謹慎ボケにちゃんとツッコミを入れないから。
ひな壇芸人やたけし軍団は、たけしを神格化しすぎて遠慮しがちなツッコミしかできない。
これではひょうきん族のように、たくさんボケを撒いてアドリブから偶然生まれる笑いなどは起きない。
笑いのために偉くなったのに、皮肉にも笑いが生まれないほど権威化しすぎてしまった。
たけしのボケを成立させるには、教養が高くちゃんとボケを笑ってツッコミ出す橋渡しができる人物が必要。
所ジョージ、阿川佐和子、タモリ、さんま などがそれにあたる。
所、阿川は世代が下ながらも、親戚のおじさんぐらいにしか扱ってない距離感が良い。
2人の頭の良さは、たけしを前にその余裕を伺える。
タモリ、さんまも頭はいいのはもちろん、ひょうきん族時代の戦友。
とくにツッコミのスペシャリストであるさんまが一番たけしと相性いいだろう。
ブコメで高く評価されてる、ツービート、ひょうきん族、火薬田ドン、笑っていいともの祝辞などは「事前に用意されたコントや漫才」である。さんまがいないとき、周りがリアルタイムでボケを昇華してくれないなら、コントとして事前準備をすることでたけしの面白さを引き出す。
20年以上昔の世界まる見えだったか「俺がしゃべるほど視聴率落ちるんだよ。しゃべんないほうが数字いい。」と言ってて、そういや世界まる見えも、元気が出るTVもそういう立ち位置だなと、それを自覚してることに変に感心した覚えがある。今でも収録ではツービートばりの下品で不謹慎な毒を吐いてるらしいのだが、さすがに今のTVでは不適切でカットされるそうだ。今の時代不謹慎ネタは厳しい。
では、たけしがいなくてもいいかというとそんな事はない。たけしの数々の芸歴、教養、映画の実績など、演者、スタッフ、視聴者みんなが一目置く存在というのは稀有で、たけしがいるだけで番組の格が上がる。たけしを抜いたらすべての番組は深夜番組レベルに格が落ち、たけしがいればゴールデンに耐えられる。たけしは料理の豪華な器であり、なくてはならない薬味だ。たとえ中身が高級料理でもスーパーのプラスチック弁当箱に入れたら深夜番組レベルに落ちる。それぐらいの実績と格。
親戚のじいちゃんが一生懸命不謹慎な事で笑い取ろうと必死になってるのを「たけしへのツッコミはそうじゃねえだろ! もっと事前に仲良くなって頭バチコーン言わせたれ!」と、心のなかでツッコミながら楽しむのも一興である。
吉本ばなな(吉本隆明)・池澤夏樹(福永武彦)・井上荒野(井上光晴)・中上紀(中上健次/紀和鏡)・江國香織(江國滋)・阿川佐和子(阿川弘之)・夏目房之助(夏目漱石)・萩原朔美(萩原葉子(萩原朔太郎))・田中光二(田中英光)・大西赤人(大西巨人)・斎藤由香(北杜夫(斎藤茂太(斎藤茂吉)))・壇ふみ(壇一雄)・谷川俊太郎(谷川徹三・長田桃蔵)・ねじめ彩木(ねじめ正一(ねじめ正也)・中島京子/さおり(中島昭和/公子)・澤田瞳子(澤田ふじ子)・三浦しをん(三浦佑之)・多和田葉子(多和田栄治)・津島佑子/太田治子(太宰治)・金原ひとみ(金原瑞人)
村上春樹・星野智幸・栗本薫・小池真理子・村山由佳・角田光代・江國香織・川上弘美・鷺沢萠・平野啓一郎・絲山秋子・冲方丁・虚淵玄・上橋菜穂子・朝吹真理子・澁澤龍彦・生田耕作etc
なのに文筆は持たざる者でも一発逆転できる分野かのように言われてきた
たまにテレビで見るだけだったのに。
ハーフで知的な雰囲気があって、フジテレビの生え抜きでは無くて子会社から引き抜かれて、夜の番組でキャスターを勤めていた。
頑張り屋さんなのだろうと、思っていた。
東京オリンピックの「お・も・て・な・し」プレゼンでフランス語が話せるという、それは日本では希少なスペシャルな力を発揮していた。
アラフォーでずっと独身で、阿川佐和子みたいに60ぐらいでポッと思わず結婚するようなタイプかと思っていた。
妊娠までしてただなんて。
ああ。それが、結婚が決まった途端に。
滝クリの魅力が分からなくなった。(というか、たまに見るぐらいだったのに他の女子アナとは違う感情を抱いていた自分の本音に気がついたが、一瞬で変わった)
ふーん、そうなんだ。金持ちとか名のある家の男と一緒になりたかったのかい。
そーかい。
一度もあったことがない美女に画面越しに、憧れていただけなのに。
ああ。なぜだ?
(そうか。これが、認知不協和音ってヤツか。一瞬で自分の気持ちが冷めるって。すると、SNSで滝クリのネガティブなコメントーーあざとい。計算高い女だ。ーーが目に入るようになった。今まで無意識のうちに排除されていた情報がが脳みそへとダイレクトに入ってくる感覚だ。)
忘れよう。さようなら。
Amazon: http://www.amazon.co.jp/gp/product/4041107113?keywords=%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%B1%A5%E6%AD%B4%E6%9B%B8&qid=1441361617&ref_=sr_1_1&s=books&sr=1-1
出版ではなく作家志望者を喰い物にして稼ごうという業界の魂胆が垣間見える本。
シナセンや芸術系専門学校やカルチャーセンターが細々とやってきた業界内ビジネスに、胴元が参戦してきた。
流行作家が雁首を揃え、文筆業の華やかな部分だけを語っている。
阿川佐和子、石田衣良、江國香織、角田光代、大沢在昌 etc.
本書の想定読者は"本を読んだことはないけど何となく作家になりたいと思っている人たち"だろう。
どんな有名作家の、誰でも知っていそうなことでもしっかり書かれている。
「こんな基本情報さえ読者は知らない」という前提で作られた本なのだ。
略歴紹介に続く本文では、"山本周五郎(しゅうごろう)賞"、"芥川(あくたがわ)賞"などとルビが振ってあったりする。酷い。
荻原浩は「公募ガイドを見て新人賞に応募した」だなんて言ってるし、森村誠一は「私の作品を読んだことがない、小説はあまり好きじゃないと言う担当編集に会って驚いた」と書いているから、本書の読者も相当ナメられているだろう。
道尾秀介(40歳)をして「失敗するのを恐れて、臆病な読者が映画化された本を買う」と言わしめるほどである。読者の質が低いのは業界周知の事実で、自然と商いのレベルも落ちているのだ。
念押しするかのように、あとがきでは北上次郎が「作品は斬新さが重要、完成度は求めていない、ストーリーはどうでもいい」と放言している。端から新人作家を使い捨てにする気でいて、作家を育てる余力が業界にないのだ。
ちなみに私は本著を図書館で借りて読んだ。
堂々たる複本所蔵であるが、予約を入れてから二ヶ月ほど待たされた。
それだけ"ニーズ"があるのだ。
ネットリテラシーの高い声ヲタの皆様に置きましては周知のことかと存じますが、声優・阿澄佳奈さん(以下、アスミス)は未婚女性であられます。
誤った報道に情弱が煽られ、局所的に阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されるという、先進国水準では考えられない事態が生じております。
今後の再発防止のため、事の経緯を整理してみましょう。
このように書きますと、「俺はイベントでアスミスを見たぞ!」と反論される方がいらっしゃるでしょう。
生身のアスミスと、ファンが憧憬の眼差しで愛でるアスミスを混同してはいけません。
正確さを期して言えば、前者(生身のアスミス)は「たぶんそういう女性がいるんだろうね」といった感じの、極めて輪郭が曖昧な存在です。
逆説的ですが、前者から湧き出た後者(声ヲタ脳内のアスミス)の方が、ファンにはハッキリとイメージされ、実体(前者)よりもリアルな存在として認識されています。
2. アスミスは心の中だけにいる
このように、虚像が実像よりもリアルに感じられる状態が続くと、いつしか実像の存在意義は薄れ、やがて実像は雲散霧消し、「認識上の存在だけがこの世に存在する」という独我論に行き着きます。
声ヲタ1軍の皆様なら独我論の境地に達していることでしょう。もしくは自己防衛本能が働き、無意識のうちにアスミスを抽象化・永遠の処女にし、心の傷を最小限に止めているはずです。
したがって、メディアがいくら『実像』のアスミスについて書き立てたところで、独我論的アスミスは永遠に不変であり、声ヲタの精神的ホメオスタシスは維持されます。
今回の結婚騒動で少しでも心を掻き乱されてしまったアスミストは、これを奇貨として精神鍛錬を始めてみてはいかがでしょうか?
初歩的な訓練プログラムですと、『井上喜久子17歳』といったテーゼが独我論入門としては易しい部類に入ります。
阿川佐和子ばりの独身芸がウリの松来先輩も、そろそろネタが笑えなくなるので、積極的な心のメンテナンスを強く薦めます。
例えば『寝起きにポテトチップス』で、乙女ゲーにハマっている話を延々とすれば、イマジナリーな伴侶を容易に獲得できるでしょう。心優しいファンも松来先輩の妄想もとい自己ケアをサポートしてくれるはずです。
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
若林「・・・スーツを着た人が言うので、ああそんなものかな、とにかく結果を・・・」
◆ ◆ ◆
「仕分け対象独法デタラメ 「労働機構」論文1本6000万円」(日刊ゲンダイ 04月19日10時00分)
http://news.biglobe.ne.jp/politics/351/gen_100419_3514249739.html
>予算のムダを洗い出す「事業仕分け」第2弾で仕分け人を務める与党議員が15日、対象となる54独立行政法人の視察を始めた。
>厚労省所管の「労働政策研究・研修機構」が募集して発表している論文が、1本あたり6000万円以上もかかっていたのだ。
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
如月小春さんにお会いした。
[中略]
と伺うと、
「ええ、してないんです。テレビって即、意見を言わなきゃいけないでしょ。あれが、わたしにはどうしてもできないんですよね」
ははあ、そうだったんですかと、感心した理由は、実はわたし自身がそうなのである。7年もテレビの仕事をしながら、いまだにこのリズムに乗ることができないのは、よほどのアホか特異体質かとしばしば自己嫌悪に陥ったものだけれど、この才色兼備な如月さんもそうだったと聞いて、安心した。
たとえば本番中に、突如、「あなたはどう思いますか」などと意見を求められたとする。黙っているわけにはいかない。何か言わなければ。しかし適当な言葉が浮かんでこない。あせったあげく、つい、どうでもいいせりふを吐いてしまう。
「やはりなんと言ってもこのような事件は二度と起こってほしくないですね」
とか、
「まあ、この問題は、若い人たちにも真剣に考えてもらいたいものだと思います」
そしてけろりと笑顔に豹変し、
しまった、なんと意味の無い場つなぎ的、常識的、いい子ぶりっ子的、余計な一言を言ってしまったのかと後悔するがもう遅い。
それならば、自分はなんと感じたのか。何を言えば意味があったか。番組が終わって「お疲れさまでした」と挨拶をして皆と別れ、家に帰って一晩寝て、翌朝起きてご飯を食べて家を出て、電車に乗って、再びテレビ局に着いてようやく意見が見つかる場合がある。
「昨日のね、あのテーマについてなんだけど、じっくり考えて、思ったの。あたしはこう感じたんだなあって」
スタッフの前で前日の件を蒸し返す。すると、あきれた様子で、
「そう思ったなら、なんで昨日の番組の中で発言しないのさ」
そんなこと言われても、その時は考えがまとまっていなかったのである。
テレビはリアクションが勝負である。出演者同士の会話が丁々発止、見事なキャッチボールとなって意見が飛び交い、その時の表情をうまく画面に映し出すことができたら、その番組は上々の出来と言える。しかし、そのスピードが年々アップして、もはや間初を入れぬ勢いになってくると、もしそこに、たった5秒といえども沈黙の時間が流れでもしたら、とたんに「どうした、どうした」と、出演者もスタッフも、視聴者でさえ、トラブルが起きたのかと心配しはじめる。テレビ画面内での5秒の沈黙は、普段の5秒の数十倍の長さに感じられるのである。
ところが考えてみると、日常の生活で会話に間ができるなんて、しょっちゅうのことである。
画面上で言葉が詰まってもあわてず騒がず、「うーん」とうなって頭をかき、「そうだなあ」とつぶやいて目をこすり、腕組みをしたまま5分。そしてようやく「やっぱりわかんないです」。
こういう大胆なことができるようになれば、わたしも大成するのにと思う。
食事中、食卓の会話がふっと途切れた時のことを、フランスでは「天使が通る」と言うそうだ。なんと優雅な言葉でしょう。決して「しらけた」とか「気まずいムード」とは思わず、その沈黙の時間も有効利用してしまうフランス人のセンスには恐れ入る。
それほどしゃれた時空間とはいかないまでも、友だちとしゃべっている最中に数分の沈黙が続くことはいくらでもある。それがために二人の関係にひびが入ったり、険悪ムードが漂ったことは一度もない。