はてなキーワード: 阿吽の呼吸とは
興味深い話だけど、その話をほかの人とどのくらい共有しただろうか? 他の人が見ていた「景色」について考えてみたら、物事はもう少し違って見えることはないだろうか。いや、いずれにせよ増田は絶望するかもしれないけど。以下の説明は、増田にはあくまで一つの可能性として読んで欲しい。
つまりだ。増田が「分かっていた」寺沢似の性格なんて最初からみんな「分かっていた」。高校デビューに「酔って」いたのは実は寺沢だけで、ほとんどの人は「酔ったふり」で寺沢のテンションに「合わせたふり」をしていた。ある人は悪意で、ある人は「優しさ」から、そして残りの人は「乗り」で「合わせてあげて」いた。そこでは増田にも寺沢に「合わせてあげて」いじられキャラを演じることが求められていた。そういう場は、寺沢が「どこかで道化であることに気付いて、『ほどほどの暴君』でおさめることを学ぶこと」を期待して、阿吽の呼吸で形成されるものなんだ。それは同時に「この厄介者を受け入れることは可能か」を試す、集団のテストでもある。
だが、まず増田と数人がその「乗り」を離脱した。それは仕方ない。こんな高度なコミュニケーションは「変態陰キャオタク」にはちょっと荷が重い。そして、次に脱落したのが、期待された成長を遂げられずに調子に乗り続けてしまった寺沢だった、というわけだ。寺沢は、集団によるその暗黙の試験をパスできなかったのだ。
だから、それはクラスのみんなが「手のひら返しに変わった」という話ではない。人間は、というか大多数の人間は、そんな簡単に「意図した邪悪」を行えるほど有能じゃない。今から聞いてみてもいいが、おそらくそのクラスメイトたちは、それぞれ主観的には「一貫した行動を行っていたつもり」であり、何なら、「かわいそうな寺沢に、数か月付き合ってあげた私たち」は「優しくていいことをした」人間だと自己認識しているだろう。その結果変われなかったのは寺沢の「自己責任」であり、あるいは演技に付き合ってあげなかった、空気の読めない少数のせいだ、そのせいで寺沢くんは居場所なくなっちゃったよねー、なんていうふうに記憶してるだろうな。その全体は、あるいは自覚している場合よりもずっと「吐き気を催すほど邪悪」かもしれないが。
繰り返すけど、人間と言うのは、単体でそれぞれ邪悪だったりすることは少ない。特に子供のうちはな。だが集団になると話は別だ。増田は、何も他人に絶望することはない。個々の人は、寺沢がそうだったように「いいやつ」だったりするのだ。だが、集団になると人間は、たやすく「吐き気を催す邪悪」になれる。それを覚えておくべきだ。そして、増田のような感覚を持った人間が、暴走しがちな「集団」の手綱を握ることで、この社会は少しだけましになる。そのためにも、安易な「人間不信」なんかに逃げ込まないでほしいのだ。
なるほど人間集団は簡単に邪悪になる。それは否定しない。だがそれで人間を否定したら、その先にはもう何も残らないと思うのだ。
「……君ら、本当にツクヒの見舞いで来たのかい?」
さっきまで穏やかだった二人も、さすがに表情を強張らせている。
まあ無理もない。
指摘自体は間違ってなくても、友達を心配している人間が投げかける言葉としては健全じゃあない。
「確かに客観的に見て不注意ではあったと思うし、こちらに落ち度がないといったら嘘になるけど、そういうことって誰にでも起こりうることだ」
「そう、それを踏まえて対策しない、この国の交通管理にも問題がある!」
とはいえ、この人たちも言ってることが少し変な感じだ。
一理なくはないけれど、何かズレているような気がする。
「生身の人間と車なら、車の方が危険なんだ! そのことを君たちも“自覚”すべきだ!」
タオナケの言葉で冷静さを失ったのか、分かりきったことをやたらと強調してくる。
車が危ないってことくらい分かった上で、みんな今回の件はバカげてると思っているんだけど。
思わずツッコミそうになるが、こんな状況でそんなこと言っても仕方がない。
俺はこの場を静めようと、それっぽいことを言うことにした。
「すいません、タオナケはどうも“PTSD”ってやつらしくて、心にもないことを言っちゃう日なんですよ」
「私、女だけど、“PTSD”じゃないわ! 仮にそうだとしても、そういうデリカシーのない発言はやめて!」
「はあ? お前にデリカシーとか言われたくねえよ!」
だけど慣れない言葉を使って慣れないフォローをするもんだから、余計に収拾がつかなくなった。
タオナケはこちらに怒り出し、俺も売り言葉に買い言葉の商戦に乗っかってしまう。
「ふ、二人とも落ち着いて……あと“PTSD”じゃなくて、“PMS”だと思う」
そんな俺たちをドッペルは何とか仲裁しようとする。
「あー、もう、なんでこんなにノイズばかりになるんだ……」
「なんだ、さっきから“PTSD”とか“PMSって。新しいプレイステーションが出るのか?」
「マジ? オレ一人で食っちまうからな?」
そしてシロクロは茶菓子に夢中。
「うちの子が現に怪我したんだ! 今後そうならないよう、何らかの対策を望むのは親として当然だろう!」
「いや、そもそもツクヒ本人はどう思ってるの? 自分の不注意が原因だって思ってないの?」
「……子供には責任能力がない! だから大人が気持ちを汲み取り、代わりに導いてあげなくては」
それでもツクヒの両親は主張を押し通し続けているし、カオス極まりない状況だ。
「あと、その『私、○○だけど~』って言うのやめろ! 自意識つよ子さんかよ!」
俺の近くにあったコーヒーカップが、ひとりでにパリンと割れた。
「え?……なんだ?」
さっきまでのが嘘のように、室内は静まり返る。
逆に俺たちはそれで我を取り戻した。
ミミセンがすぐさま退散を号令し、俺たちは阿吽の呼吸で頷く。
「おじゃましました~!」
「ほら、シロクロも帰ろう!」
「まだ菓子残ってるのに……」
ツクヒの両親たちは、その様子をただ呆然と眺めていた。
「な、なんなんだ、あの子達は……」
いや、おっさんだけど髪どうしますも意味わかるし、7月に飲み会がありますも会話としてなりたってるのがわかるよ。
■ 髪どうします?
→ どれくらい切る?パーマする?カラーする? のばしてくださいっていっても美容師の力でその場でのばせないのは暗黙の了解です。
→ 今をピークに整えても2ヶ月後の7月には形が崩れたり量感が重くなったりする。7月にちょうどいい量感になるように今段階では少し多めにすくとか、ちょっと強めにパーマ掛けておいてちょうど7月に狙ったイメージのカールになるように調節する。ということをリクエストしていて、美容師側もそれを汲み取った返答をしているから阿吽の呼吸のような、高度なコミュニケーションが決まった。
これくらいの想像を働かせたり、相手の立場になって発言や行動の真意を推定したりということを、できる人はやっている。
面倒だと放棄するのは勝手だが、否定するものでもないよ。そして相手の方が高度なものを使いこなしているという意識をもってないのは痛い。
なんなら自分は無意識に抽象化させて相手を困らせて迷惑をかけるときもある。
抽象化させると相手に文脈や状況の理解を把握した上で返答を求めることになるので、
とはいえある程度は抽象化させていかないと言葉と時間が圧倒的に足りない。
住んでる国によって内容が変わるわけだ。
そんな時に「日本で蕎麦を食べる時は」という主語を明確にすれば、
ある程度明確になる。あとは会話する人同士の環境の差だけだ。
抽象化されたものが主語だと環境の差、知識の差で齟齬が大きく発生する。
これ自体がコミュニケーションコストで歩み寄りがないと、コミニュケーションは破綻する。
日本人は「遠回しに表現する文化」、「阿吽の呼吸、以心伝心がある文化」だから尚更コストが上がる。
そしてのこの文章でも「環境」と「知識」って曖昧な言葉を使ってる。
面倒臭くなってきたのでまとめてくと、
抽象化する方が余計なコミュニケーションコストが発生する場合があり、
相手に負担がかかって、結果全員辛いんじゃないっていう話が言いたい。
だからある程度答えを具体化させてないと話は進まないから正しく明言して行こうぜという話。
でも日本人こういうの得意だったはずなんだよな。
実際の裁判なんかは淡々としているし、何より裁判官自体が信じられないアホみたいな裁定を行ったりするので
弁護士と検事が阿吽の呼吸で「異議あり!」と戦い、そして本当の悪を見つけるという流れは
最初のうちは検事が嫌味なヤツばっかりだなあと思ったんだけど、話を進めていくうちにモブ的な検事以外はドラマがあって
そのドラマに事件が関与していたりと、話が次から次へと続いていくのが忙しくて気に入っている。
多少、だるい流れもあったりするんだけど(同じムービーを何度も見せられたりとか)
それ以外は、よく出来たゲームだなと感じた。
PS4では1・2・3が遊べるのだけど、4・5・6もぜひ遊びたいし、逆転検事も遊んでみたい。
3DSで遊べるから、そっちでもいいのでは?と言われそうなんだけど
目が悪いので大きな画面で遊べるのが良かったりする。
あぁ…続きが遊びたい。
いい加減にしろ。
私はリベラルの思想だが、今回の韓国のやっていることは超最低に思う。
また、その韓国の行動を条件付け・強化させている、日本政府の対応に、納税者として憤慨している。
現場の自衛官の方々のためにも、今の世代、次の世代のためにも、日本は黙っていてはだめなんだよ。
ローコンテクストカルチャーとハイコンテクストカルチャーというのがある。
アメリカや大陸の国はローコンテクストカルチャーで、国民の人種、宗教、思想、支持政党などすべてバラバラで異なる。
だから、自分の考えていることをはっきり、相手にも関係者にも徹底的に分かりやすく説明して、やっと相手は理解してくれる。
逆に、日本はハイコンテクストカルチャーで、ほぼ単一民族でアメリカのようにバラバラではない。
ハイコンテクストカルチャーはとても素晴らしく、黙っていてもお互いなにが必要としているか分かるし、被災地などでも阿吽の呼吸で黙っていてもすぐに助け合える。
「お前空気読めよ」なんていうのが日系企業の職場でまかり通るが、ローコンテクストカルチャーの国でそれ言っても、「は?なにを考えているか自分の考えをきちんと伝えてくれ」となる。
ローコンテクストカルチャーでは、侍文化・沈黙の美徳など一切通用しないんだよ。
徹底的に主張しないとだめなんだよ!黙っていちゃだめなんだよ!
最初レーダー照射が問題化されたとき、確か防衛省は証拠は小出しにだしていくといっていた。
だが、情報配信のスピードが異常に鈍くて、正味2回ほどしか証拠提示をしていない。
しゃべるのを、主張するのを止めちゃだめなんだよ!
黙っていても理解されないんだよ!
スピードが鈍くて、主張しないから、相手が被害者を演出して、嘘がまかり通ってるだろ!
今からでも遅くない、戦略的な広報を強化し、世界へ向けて主張を続けろ!
納税者として強くお願いしたい。
アメリカでは「文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館のキモノ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体が差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムをテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代に存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人が着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。
(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)
だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東圏言語話者による恣意的な方言使用」である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉は標準語で訳されるが、農夫の言葉は東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方を舞台にしたドラマで登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方の言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアルに使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。
たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける「関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHKの朝ドラ(関西弁指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である。
そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎「細雪」。戦前の作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブと結婚して緻密にその文化、所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典の時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHKの朝ドラ等の会話が、いかに醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。
NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西に配慮しているつもりなのか。関西は東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あんな関西人おらへんねん。ほんまに。
関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルでナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョークで構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス、疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分の意志を相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブは一見感情豊かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレートな物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味の自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。
真顔で、正論を、熱弁するヒロイン! これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出が朝ドラのスタンダード」という歪んだ認知をもつことでスルーしていることを、NHK関係者は理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言や文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨な結論を生んでしまうのだ。
いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である。
国内最メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化にカジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的に国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパン」の現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たちは自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。
「文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たちは自分たちのオリジナルな文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化に接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアルな感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流もスムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクションが制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ)
昨年に、それなりに勤めていたが退職した会社が潰れたという話を聞いた
理由は人が全く定着しなくなった挙句に、とうとう業務が回らなくなったからが主らしい
言っては何だが、俺(旧陣営の俺たちが)が離れるまではとても凄いホワイトな環境で健全で回ってた企業だった。
仕事のスコープはハッキリと振り分けられているし、メンバー同士の中もいいから阿吽の呼吸で協力し合って鉄壁の布陣でどんな短納期でも余裕日数のこして完成できるほどだった。
給料だって平均年俸で600万は貰っていた、IT系に勤めている人間ならわかるだろうが、20代でこれだけ貰えたのは技術とか以前に、いかに会社が儲かっているかの証左だったりする
が、経営が傾いて潰れた、厳密にいえば新しく入って来た意識高い系のオッサンによって、人が急速に離れていって現場が崩壊したというのが実際の理由だ
経歴だけは凄いし資格もあるがよく話を聞くと、どこからも鼻つまみものにされて追い出されたり、奴が通った後の優良ベンチャーはブラック化して破壊して回っているというマジモンの基地外だった。(これは後から知った話で、うまいことその理由を隠していたのだ)
増田ならわかるだろうが、大企業は首にするなり飼い殺しにするなりすればいいが、中小やベンチャーは、雇うにしてもお金がかかる分、一人でも抜ければ致命的なダメージになる。
このおっさんは、俺たちを含めて1年で初期メンバーを6人辞めさせた、大企業だとか西海岸にいた経験があるからなのか、クビにしようにも法律や弁護士を盾にして居付き、自分好みの企業にしようと「巻き込み力(笑)」を発揮して現場を滅茶苦茶に振り回し、自分の仕事を共有せず、オマケに他人のワークにはしゃしゃり出てイチャモンつけてくるという面倒くささだった。しかも、それを本気で善意でやっているのだから始末に負えない。
社長は今や消息不明、メンバーはバラバラで分野違いのところへと各々が去っていった。俺もそういうトラウマからいつでもそんな奴が入って職場がブラック化する前に逃げられるようにフリーランスになっている。
東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国のスパイ情報がKGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイが世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。
と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイ(シャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末を尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイの武勇伝のまぁド派手なこと。
まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。
その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ。
まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」
そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場で出会ったキュートなフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロのセロン。辛抱たまらずクラブのトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁、崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。
男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。
その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ、入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館で尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。
映画が投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイ。タマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ。
これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。
※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面にタマキンに攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。
「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリンを舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。
とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)
それに、キュートな女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。
とにかく非現実的な「完璧な女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。
ともあれ、モラハラ上司や元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロンを応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。
【以下蛇足】
今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわかに映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。
それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。
『ドリーム』は、「ソ連がミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国の差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、
『バリー・シール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会にアピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。
そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側のスパイ情報がKGBの手に渡り「ソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人は冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。
ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパの映画だし、日本人は「悲惨な戦争に翻弄される庶民」映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝」映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。
とにかく、劇場で映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。
この点がずっと不思議だったけど、やっと納得いく理由が浮かんだので、長文だらだらと書いてみる。
・「野党4党は籠池氏と手を組んでる、グルだ」という印象を振り撒くこと
だったのだと思う。
特に、有権者へ「野党=悪者の籠池氏とグル、共犯者」というダーティーイメージを抱かせて、解散総選挙で勝つことが一番の目的。
以下、そう考えた理由
籠池氏の証人喚問は、それまでずっと自民党は参考人招致にすら慎重だったのが、一挙に全てひっくり返る形で唐突に決まった。
この決まったタイミングは、3月16日に参院調査会と野党4党が籠池氏の自宅を訪問して話を聞いた数時間後のことだった。
証人喚問が決まるまでの国会では、総理夫人の昭惠氏が小学校の名誉校長である上に、
籠池氏は安倍総理と稲田大臣と同じ日本会議の役員だったから、安倍内閣は籠池氏と同じ側としてずっと防戦一方の立場に置かれていた。
これは完全な推測だが、そこで3月16日に野党4党が籠池氏を訪問したテレビ映像を見て
野党は悪者で、総理である自分や夫人の昭惠は被害者で正義の側という構図にして、一気に攻守逆転できる!」
と閃いて、いきなりの証人喚問を決定したのでは。
自民党の西田議員と葉梨議員が行った質問から、野党に関する質問をピックアップする。
「あなたは、3月16日の予算委員会調査のあと、野党議員だけを自宅に集めて話しをした。これ非常に中身がわからない。
なぜ野党議員だけを集めて、そこで話をするとかいうことをされたのか。
なぜ予算委員会とか、もっと開かれた場、与党側もそうだが、野党議員だけではなく。
ここ私は非常に私は疑問を、不透明感を感じる。なぜ野党議員だけだったのか?」
(籠池:私が招いたわけではないので、私にはわからない)
「あなたが国会でお話ししたいという事を最初におっしゃられたのは、3月16日に大阪で4人の野党議員と面会したあと。
(籠池:私が招いたわけではないが、ハシゴを外されて大変なことになっているという事は話した)
「そのときに4人の国会議員から、籠池さんの学園を応援したいとか相談にのりたいとか、そういう話を誰かしたか?」
(籠池:記憶にございません)
「国会で籠池さんが説明することについて、何らかの示唆はその4人からあったか?」
(籠池:今日の証人ではないが、参考人として出させてもらってもいいという話はした)
(籠池:あうんの呼吸)
「籠池さんの方から積極的に出たいというわけではなく、阿吽の呼吸、
相手は出てほしい、こちらとしても出てもいいかなと、そういうことと解釈していいか」
(籠池:おっしゃる通り)
「そのときに、籠池さんが捜査対象になったとか、そういう話は無かったか?」
「大阪府から監査を受けることについての、危惧をしているという話はあったか?」
(籠池:はっきりと覚えてないが、身の回りのこととしてそのような話はした気がする)
「その話については、何か反応は?」
(籠池:特段ございません)
「それはまさに忖度という事で、特に何の反応もなかったという事でよろしいですか?」
(籠池:おっしゃる通りです)
「じゃあその点についてはまた、あのー、議員の方もいらっしゃる訳ですから 関係者もいらっしゃいますので、
しっかりと確認していただいたほうがいいのかなあ というふうに思います。
以上の通り、自民党議員は二人とも、野党との会合について繰り返し聞いている。
それも、さも鴨池氏と野党議員の間に何らかの陰謀の相談があったかのように匂わせつつ。
これらの質問は、籠池氏の行為の法的な問題点や事実追及からは外れた間抜けな質問のように受け止められており、要旨まとめからも省略されていたりするけれど、
質問の目的が、特に「籠池=犯罪者で、野党は籠池とグル(共犯)だというレッテル貼り」を目的としていたとするならば、全て説明がつく。
特に葉梨議員の質問などは完全に共犯者を聞き出す時のそれで、気付きにくい形で「忖度」という言葉を入れていたり
相手の話は聞かず、事前に決めた「ストーリー」だけに沿ってそれに使える言葉を誘導しようとする、冤罪事件で問題視された警察や検察の取り調べ方法のように映る。
テレビや新聞の画像からは、籠池氏を何らかの罪で逮捕・起訴することが最も効果的。
だから、偽証罪で告発するために証人喚問だったのだと思う。(本来の目的である、事実の解明のためでも 法的問題の議論のためでもなく)
特にテレビでは、証人喚問の日までの報道は、殆ど籠池氏一人だけが悪人かのような報道だったので
「籠池氏、〇〇罪で逮捕!」「いま警察の車で××警察署に到着!」
NHKニュースしか見ないような普通のおじさんおばさんは、裁判での証拠とか推定無罪とかなんて考えずに
やっぱり籠池氏が悪者だった、と疑いもせずに終わっていたと思う。
こんな状況になれば、解散後の選挙活動で街頭演説やチラシ配り等の会話時に
「籠池さん?やっぱりとんでもなく悪い人だったわねえ。
昭惠さんと安倍総理はあの籠池に巻き込まれた被害者だったのね、かわいそう。
え、民進党や共産党などの野党はあの籠池氏とグルだったの?やっぱりねえ・・」
など、「野党=悪者、安倍総理夫妻と自民党=正義(少なくとも被害者)」の構図を作って、野党に対して攻勢で進められる。
ただ、当日に籠池氏が挙動不審にもならず淡々と回答して悪人らしく見えなかったことに加えて、
内容面では証言どころかFAXという総理夫人関与の物証が示されるなど 反論どころか手痛いカウンターパンチに遭ったために、
結果として自民党側の目論見が崩れているだけの状況では。
(この視点は、弁護士や元政治家など法律や国会のプロも気付いてない気がする。
事実の解明や法的問題点の検証といった本来の目的からかけ離れ過ぎてるから・・なのか?)
いま総選挙をすれば、衆院の任期は2021年春以降までになるので
「2020年の東京オリンピックまで衆院選の心配をせずに、首相を続けられるようになる」
他にも、総選挙をすることによって
・森友学園やスーダンPKOなど不祥事の禊ぎ(を済ませたと言い張れる)
安倍総理は、以前から東京オリンピックまでは絶対に続けたいと 並々ならぬ思い入れを示しているから。
実際に週末に入ってから、解散総選挙の話が出たり、籠池氏の代わりに野党の辻本議員を悪者にするようなイメージ戦略が出てきている。
安倍総理には、実際に「菅首相の海水注入デマを振り撒き、次の総選挙では政権交代を実現した」という”ポスト真実の成功体験”もあるから、事実無根のデマであっても躊躇する事はなさそうだし・・
誰もがしってる世界的な企業と仕事してるんだが、相手がなかなか要求仕様をだしてこない。
納期から逆算して「ここまでに要求仕様を固めて欲しいし、それ以降になると責任持てない」という話をしてるのに結構な頻度でそこより遅れてくる。
お金の面でも損するから、ここまでに要求仕様出してこなかったら契約条件見直しするとかできないのかと上司と話してるんだけど、
日本(というか今の職場)では契約に基づいてドライに対応するより、契約外の阿吽の呼吸でお客様は神様です的な対応して
次の受注につなげることを求められているのかもしれない。
私からみればPJが納期間際にドタバタするのって、どう考えても上流でおかしなことになってるからだと思うんだけど、
上司はその辺にはメス入れずに下流工程に問題があるような言い方する。それって、どうなってるんだろうな?
上の上は何考えてるんだろう。
良くある話っちゃよくある話かもしれん。
結果的に予想が合っていることが多いとしても、それはあくまでも結果論
(略)
その通りだと思います。
本当もう、完全におっしゃる通りで、今から長文を書きますが、反論とか俺は間違ってないとかじゃなく、
前のトラバでも書いた通り、本当に反省しないといけない事項だと思っています。
僕の元の増田も、同じ事を書いているつもりで、
こう、議論が活発になっていって、ドンドン相手と意見をかわして行くと、
次第に「次に相手が何を言うのか?」を最初の一言二言ぐらいで、予想して、意見を言っちゃう事があるんですよね。
これは、本当によくないなあ、反省しないとなあ、って毎回なるんですけど、中々治らない。
この部分ですね。
相手の意見を遮ってまで、意見を言うのはよくない、と反省している。
なんだけど、次に
話を最後まで聞かないことはあるけど、その話の予想が間違ってた事が、ほっとんど無いんだよね。
と書いてあるから
増田さんは「てめえ、反省しろや! あってるあってはないは関係ないだろ!」って思われたのかもしれませんね、確かに言葉の選び方がよくなかった。
ただ、さらに続いて
「あれ、あのとき先走って、相手の喋りを中断させなかったか?」って思い返して
ぶっちゃけ、仕事の成果物を作るため、という目的に関しては、別に反省するようなことじゃないんだけど、
一緒にやる人を不快にさせてまで、することでもない、と僕は思ってるので、これはちゃんと反省しないとなあ。
ヒートアップしすぎないよう、気をつけないとね。
と言った感じで、ちゃんと自分でも、それによって出来る成果物に差は出るわけじゃないけど、最終アウトプットを作るだけが仕事じゃないんだから、ちゃんと反省しないと駄目だよね。
と書いていたつもりです。
なので、この辺の文章が伝わらないのも、僕の文章がイマイチなので反省しないといけませんね。
もちろん、それが先走りになって間違いを言ってしまうこともあるんだけど、
僕としては「何故僕が間違えたのか?」も含めて、気づきになるので、間違いを恐れずにドンドン発言をしていきたいと思っている。
俺の部下でもこっちが何か質問するとその回答の先を話そうとしてくる
に通じてしまったのかなあ? とも思いました。
ここでいう
それが先走り
っていうのは、
僕「いいですね、ロコモコバーガーっていう新商品が出たらしいですよ」
上司「うん? それマクドだよね? マクドじゃなくてロッテリアのつもりだったんだけど」
こういう先走りを言ってます。
つまり、相手の質問の先を予想したりとか、意見を遮ったりとかじゃなくて、
質問が足りずに、自分の中で補完して、答えを出しちゃうタイプの先走りですね。
間違いがないようにするには
僕「どこにしますか? マクドならロコモコバーガーっていうのが出てるらしいですよ」
こんな感じの方が確かに良い会話にはなると思いますが、
俺の部下でもこっちが何か質問するとその回答の先を話そうとしてくる
元の、マクドナルドと決めつけるような回答は、この文章でいう「その回答の先」ではないと思っています。
そりゃまあ、先と言われれば先なのかも知れませんけど、
ある程度は阿吽の呼吸というか、今までの会話を踏まえて、進めるべきだと、僕は思っています。
この例で言うと
上司側には
「ハンバーグといえば、ロッテリアという共通見解が共有されていない」
であるとか
「昼ご飯の伝達はジャンルではなく、具体的な店名にした方が誤解を招かない」
当然僕側にも
ただ、こうやって会話をすることで
「片方がちょっと会議が長引いて、店内で待ち合わせ、となった際に、2人とも別々のマクドとロッテリアに行っている」という最悪の展開だけは、回避できるわけなので、
そこまで最低の選択肢だとも思っていません。
そりゃまあ、この例ならどうでもいいですが、実際の仕事だと、
僕「出来ますよ、A画面のa項目のOnClickにメソッドを仕込めば可能ですね」
僕「うーん、α機能があるB画面やC画面とはHTMLの構造が違うので、既存のメソッドを呼ぶだけでは無理ですね。
ただ、画面から取得する箇所が違うだけなので、改修自体は難しくないです」
上司「あーそうかB画面と同じ要領で出来るのか、でも関数自体は増やさないといけない?」
上司「それじゃあ、駄目だわ。HTMLの改修だけで済ませたかったんだよなあ」
こんな感じの流れですかね?
もちろん、この会話の流れでも、
僕には
という問題点があるし、
上司には
「メソッドの追加無しに、HTMLの改修で可能かを伝えていない」
という問題点があるわけですよね。
細かく見て行けば
「α機能をB画面やC画面と同様と決めつけている」とか
「既存のメソッドという言葉を、どの.jsファイルの既存かをすり合わせていない」とか
「既存のメソッド? としか聞かれていないのに、改修の難度まで答えている」とか
そういう、先走りもあるわけですよね、これらは偶々合致していたから、問題なかっただけで。
(推敲してて思ったんですが、改修の難度まで答えるのは、もしかしたら不快に思われる方がいるかもしれませんね、すいません)
とまあ、長くなりましたが、全面的に増田さんの意見には賛成です。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
ある種の二次元がキャラの容姿や性的な感じを強調し過ぎていて、それが女性にとって不快だからゾーニングしろってのはわかるしある程度共感もできる。
女性はああいうの不快だろうーなー、となんとなくわかる感覚は実はオタク側だって持ってるんじゃないかと思う。
ただ、共感できるけど、そういう「俺に不快なものを俺に見せるな」って場合によっては結構マズくない?とも思う
例えば俺は全然大丈夫だけど、いわゆるオネエタレントが見るだけで不快ってやつはいる、これを「俺に不快なものを俺に見せるな」と言ってゾーニングしていいものか? オネエタレントが若いイケメンを性的に見ることをネタにするような場面ってあるけど、あれってまんまじゃないのか。二次元を見る女性と同じ意味合いで不快な男性もいるんじゃない?
それにさっきの二次元の話は三次元にも適用できる。女性性の消費として例えばAKBやももクロが不快だって女性もいると思う。じゃああれもゾーニングされるべきなのかな? 出演禁止にすべきと。少なくとも行政の関わるイベントには出演させるべきではないかも。
俺には「程度問題」ってのがわからないんだと思う。世の中の多くの人はこのあたりうまく乗りこなして、似たような判断が阿吽の呼吸で出来るんだろう。俺には曖昧すぎてわからないし基準を明確化して欲しいと思う。
コンビニに売ってるエロ本だって、コンビニが誰かから押し付けられたから売ってるわけじゃないだろう。売れるから売ってるだけで、商売だ。
コンビニにはエロ本を売る権利が無いのかな? 普通の売り場から見えない18禁ゾーンを作るってスペース的に無理だと思うし、コンビニに暗幕に囲まれた「18禁ゾーン」が常備されてる状況の方がなんかマズイ感じはするがwでもそっちの方がもっとドギツイエロコンテンツをめいっぱいおけるからある意味ではいいのかも。あれでもこれレジどうすんだ。18禁ゾーン専用の男性店員を付けるか、いや、女性だって買いたい人はいるだろ、トイレみたいに男女別にするか、ってどんどんスペースが足りなくなってくるな。
ビジネスチャンス、儲ける権利を奪うほどの正当性があるものなのかな? 俺達の不快さは。まぁ今のテレビの状況なんかはそうやって出来てきた感じはあるよね。
ツイッターとかにしても、まぁエロ専用のとことか作ればいいんだろうけど、それって結局出会い系とかなんだよな。そういうのは潰す方向だろうし、なにがしたいのかよくわからん。
もともとはネット自体が「隠れる場所」だったような気もするが、いまではネットに上げることは世間に公開することで、ゾーニング議論にひっかかる、新たに「隠れる場所」を作っても一般人にまた占領されて「公開された場所」になるんじゃないかなー、って危惧はある。バカッターとかと繋げられる話だよね。
あとは「性的なものを見せられたくない」って気持ちは男性側(の一部)にもあって、それがアイドル幻想だ。アイドルは恋愛してはならない、うんこもしない。事実上は「隠れてやる」ことで許されている状況も週刊誌による「ゾーニング破り」で「公開され」、悪いのはアイドルということになる。似た構造だ。アイドルの恋愛は、うんこは、ゾーニングされるべきなのか。アイドルは自分の恋愛を結婚を世の中に公開する権利を持たないのか。「俺に不快なものを俺に見せるな」という理由で?
1三「怒髪天を衝く」
髪が逆立つほどの闘争心を見せながらも、冷静に点を取り返す狡猾さも併せ持つ、攻撃的なリードオフマン。
2二「布衣之交」
「庶民でさえ約束は守るでしょ」と厭味ったらしく相手を責める、地味ながらも失点の隙を与えない堅守が自慢。
3遊「智勇兼備」
野球評論家・司馬遷も絶賛。攻撃でも守備でも活躍する、まさに智勇兼備と言うべき遊撃手。
4捕「刎頸の交わり」
投手との阿吽の呼吸で巧みにリードする名捕手。契約更改の前に「チームのためならクビを切られても悔いはない」と言い放ったエピソードは有名。
5中「肉袒負荊」
諸肌を脱いで棘付きバットを振り回すパフォーマンスで知られるスラッガー。エラーをするたびに厳罰を望むようなストイックなところがある。
6右「両虎共闘」
危険を察知するのが得意な守備の名手だが、中堅手と共倒れにならないようにフライの処理を譲る場面が多く見られる。
7一「琴柱に膠す」
技術はあるのだが融通がきかないために一軍に定着しきれていない。今回のチャンスをものにできるか。
8左「紙上談兵」
読書家で野球の知識は豊富。他球団からもマークされる期待の若手だが、実戦経験が少ないことに懸念の声も。
9投「完璧」
球界の盟主・秦を相手に完全試合を達成した大エース。「石ころ」と呼ばれるくらいの低評価だったが才能に磨きをかけて名選手となった。