はてなキーワード: 閣僚とは
JIS規格の114:120以下に合わせると
円の直径は350mくらいになるな
今グーグルマップを観たら、
東京プリンスホテルの一部がトイレットペーパーでつぶれそうだけど、
まあそこは人間みんなクソするから無料でケツ拭けるってことで我慢してもらおう
0.114:55だから160kmくらいになるな
北関東くらいまでは伸びるから群馬辺りまでトイレットペーパーを伸ばして、
薄くケツ触りよい壁で関東を分断しよう
途中でちょっと西によって、六本木ヒルズの高層階に住んでいる人にもケツを拭いてもらおう
せっかくでっかいのに人間の背が届く部分しか紙が使われないのはもったいないからな
真っ白い紙がビル風で揺れる中にそっとケツの穴がたのスタンプで一点だけ汚すんだ
この間、都庁の間をウイングスーツで通り抜けた人にもケツ丸出しで高い位置に汚点をつけてほしいな
閣僚には階段で並んだ順、笑点メンバーには春風亭昇太が最初であとはならび順、東京拘置所とかにもよって確定した刑期の長い順に茶色い点をつけていこう
「私は会社でも拭いたけど、せっかくだから家族でも並んで拭きましょう」なんて会話して、
普段車や電車や人が歩いて通る場所に突如として頼りなく伸びた白い壁に茶色いしみをつけていこう
「クソみたいな現実を拭うにはこれくらい大きな紙がいるのかもしれない」
そんなことを訳知り顔で言うやつの口にトイレットペーパーをつめて、クソは口から出すものじゃないって教えよう
白い紙がなびく姿が、ちょっとの雨や風や人の作為で台無しになって、白い紙が破けて、巨大な紙が天から横倒しになって、さっきまで白いスクリーンに遮られたところにはいつもの光景が広がっている
そんな様を想像しよう
何が「もしも東京の真ん中に山があったら」だよ
最後のマウントレーニアの30周年を言うためだけにクソくだらない妄言のCMを流しやがって
人の想像力の尊さを、日常の中でふと浮かぶ冗談のような世界の自由を、ものを売るためのクリエイター的価値観とうまいこと言いました的なコピーで汚されたような気がして、
最悪の気分で頭の中の汚れを拭きとるためにでっけえクソ拭き紙の文を書いちまった
群馬に届く前に紙が破れるわとか、そんな長い紙がそんな薄さで直立するわけねえわとか、計算間違ってるわとか、あり得ないだろみたいなことにもマウントレーニア風に答えてクソみたいな文を終わらせよう
あり得るかあり得ないかじゃない
エリエールだよ
クソが
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
権力者が失敗を認めず、醜い姿を晒すことが多い。有名な例では大本営発表だが、昨今でも大学や研究機関、政府閣僚や政治家も醜い姿を晒している。
その様な醜い姿は見飽きている。あの会見でのJAXAの報道官はそれに重なって見えた。
JAXAが税金を使っている以上、国民感情をいたずらに逆撫ですることは望ましくない。目の前にあの会見の場にいた共同通信記者がいたとしても、彼も税金を支払う国民の一人だ。その記者に配慮した話し方がJAXA報道官には求められるべきもの。あれでは失敗ではないと強弁としたと思われても、仕方ない。
JAXA報道官は技術者として失敗と中止を区別したかったと思うが、それでは税金に依存するJAXAの報道官としては失格と思う。
「おっしゃる通り、当日の打ち上げは失敗した。次に活かす様に努力する。」とJAXAの報道官が言えば、ここまでこじれることはなかったし、その程度の政治的発想はJAXAの報道官として持っているべきだと思う。
JAXA報道官に聞きたいのだが、”失敗と中止を区別すること”にどれほどの違いがあるというのか。技術者の矜持の様なものを、そこまで守るべきなのか。その程度を受け流せないようでは、報道官としては失格である。
あそこまで強弁すると、いろいろ邪推もしたくなる。
例えば、最近JAXAは古川飛行士の研究不正でダメージを受けたため、なんとしてでも悪い印象を受けることを避けたかっただけではないのか?
Twitterで日夜繰り返される、発達障害やアスペルガーほかなんらかのスペクトラム障害の一種としか思えない、粘着質な一部のオタク系垢の行動を見ていて
むしろこいつらが支配的立場になったコミュニティを、外からの観察者として見てみたくなってしまった。
放課後のクラブとか一企業の一部門程度じゃなくて、まずは市町村レベルの行政として組織されてしまったら何が起こるのか見てみたい。
もちろんすごい無責任な願望だとは思ってるけど。
例えば、「プラネテス」っていう漫画に出てくるロックスミスという科学者がオタクのヤバイ感情移入先になってる、みたいな話を前に見たけど(プラネテスについてはその部分しか知らない)
その漫画の中の評価で言うところの「自分をロックスミス並みに優秀だと思ってる」、痛いとかキモいとかで形容されそうなオタクが、オタク同士のコミュニティではなく一般社会の一角あるいはその物を支配した時に何が起こるのか。
簡単に解任できない感じで。
中途半端に言葉と思想が共有されているけど、何か肝心な部分が共有されてない部分が増幅された社会を感じたい。IQテストは良いかも知れないけどWais3だと凄い谷間を形成をしてるような人とか。
そういう連中を無人島に集めて0から何かやらせるんじゃなくて、曲がりなりにも既に出来上がったこの社会の指導層に無理やり接続した時に何が起こるのか。
たとえば世間から見て「幼稚なオタク」が権限を握ったら街中が萌え絵とかエロゲ広告だらけになるのか。
なんかあきらかに男女共同参画みたいなものへの敵視が煽られて「もう平等だろ!あとはお気持ち!ハイおしまい!」みたいなアスペパワーで押し切られるみたいな。
そしてそういう時に周囲の人間はどう振舞うのかと。
「侍女の物語」っていうSFジェンダー小説があるけど、あれって支配側も宗教保守として一応「筋の通った」思想があるからああいう描写になるし
実際に大統領になってしまったトランプとその閣僚たちも一応はマッチョイズムを体現していた(厳罰化や道徳の強化など)。
そういうものがない人たちの、学校の漫研レベルの話と政治レベルの話を直結させちゃったような世界。
前に、「コミケというコミュニティを維持できている、これこそがオタクパワーであり真の民主主義でウンヌンカンヌン」みたいな笑ってしまう様なことをいう人を見かけたけど、そういうことを言い出せてしまう人の頭の中を実際に社会に直結させてみたいんだよ。
発達障害とかアスペルガーの個人としての素質についてはもう十分に研究の基礎は築かれてるし、被雇用者になった時の悲哀とかもネット上で盛んに発信されてるけど
社会とのコミュニケーションを考える上で、商業活動だけでなく公的機関の支配者になった時に、そして彼等の素質が権力として止められなくなった時に、現代社会(ここ重要。戦国武将はそうだったみたいな話ではない)に何が起こるのか、残す価値はあるとは思う。
太平洋戦争の開戦前に行われた日本側の軍事シミュレーションでは、
「当初はいくつかの戦闘で勝利するが、中長期的には国力の差で必敗」
という結果が予想されていた
しかし生かされることはなかった
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。
これ流行ったのいつかわかんないけどインターネット発のマナーブームで起こったと思う
どうでもいいけど混雑時はあまりやってほしくないと思う
今年もたぶん全盛期ほどの人数は居なかっただろうけど(特に年寄りが少ない)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%A4%BC%E4%BA%8C%E6%8B%8D%E6%89%8B%E4%B8%80%E7%A4%BC
二礼二拍手一礼は戦後に一般化した作法であり、神社によっては別の作法をとることもある[5][6]。現在、多くの神社で二礼二拍手一礼を奨励する掲示があり、若い世代を中心に多くの参拝者がこれに従っている
昭和末期の1985年には国会で「一般市民は、いま参拝するときにはお賽銭を投げて一礼をする、あるいは形式的に二礼二拍手一礼をやっているかもしれません」という発言があった。これにより当時は神社参拝で一礼するのが普通であり、二礼二拍手一礼は「やっているかもしれない」といわれる程度の普及度であったことが分かる。またここに「二礼二拍手一礼」の文言が公式記録に現れた[23]。この時まで戦後歴代首相が靖国神社に参拝するときは二拝二拍手一拝を行うのが通例であったが[44]、この時から閣僚の靖国公式参拝で二拝二拍手一拝するのをやめた[45]。平成以降、橋本首相や安倍首相は二礼二拍手一礼で靖国神社に参拝した[46][47]。二礼二拍手二礼が一般に浸透したのは平成以降であるという説がある[7]。
「昔はなかった」としている記事
「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 PRESIDENT Online
https://president.jp/articles/-/30958
https://toyokeizai.net/articles/-/316446
https://togetter.com/li/1065098
ざっと調べた感じ、「昔はそれほどうるさく言われてなかった」と言う人は沢山いるがどこからどう広まったか考察してる人は居なかった
私の記憶では「二礼二拍手一礼」とか「階段の真ん中を歩くな」とか「鳥居はどっちの足から入るか」とかは漫画とかテレビのマナー系バラエティで見たことがあったと思う
だから「イキった若いオタクだけがやってる」という認識だったんだけど今年神社に2回行ったら驚くことにオジサンオバサンまで皆やってたんだ、しかもやりなれてない感がすごかった
10年前にはそんな人滅多に居なかったと思うんだけどなあ
回転率について茶化してる人居るけど、大行列作ってて交通規制行われて警察がウジャウジャいる神社でも同じこと言えんの?
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後藤経財相は、日銀の決定は「金融緩和の効果をより円滑に波及させる、すなわち、YCCを起点とする金融緩和の効果が企業金融などを通じてより円滑に波及していくとともに、金融緩和の持続性を高めるためのもの」との見方を示した。
実体経済への影響に関しては「今回の決定の影響も含め、引き続ききめ細かくみていきたい」と語った。
山月記を
「頭脳明晰で大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」
と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761が流行ってるみたいだけど
全然違うでしょう
しかし所詮は保身しか考えない閣僚や政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ
「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、
政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと
今の時代は詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない
作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない
「一作も書き上げられず」
これは全然違って、例えるなれば「芥川賞にノミネートされたけど受賞を逃した」くらい
いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと
ここが一番ダメ
ところが前は国家のエリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ
その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ
その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う
歴史に名を残すだけの能力が自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家を俗物と批判し、エリート官僚や政治家を犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ
で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんにジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった
一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説の原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった
そんな話なんだよ
簡潔にまとめるなら、
「エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激な言動でヤバイ人として有名になってしまった」
あたりかな
政権支持率と言う数字に、近頃は殆ど意味を感じなくなった。もっと昔は、支持率に左右されて短期の政権が産まれまくってたけど
近頃は支持率が低かったからなんだという風潮になってると感じる。
ワイドショー的にマスコミが問題だと騒いで、なんとなく、それに乗っかる人が一時的に増えただけで
実質的には問題らしい問題はないのだと、多くの日本人が分かってるのではないだろうか。
かなり多くの人が、そんな風に思ってるんじゃないかね。
統一教会問題で大騒ぎしてたけど野党の関与も明るみに出始めると、一斉にトーンダウンし始めたのは呆れるし、国葬に執拗に反対してるのも呆れた。
マスコミや野党が「さぁ問題だ!騒げ!」って囃し立てる問題が、だいたい下らなくて同調できないのもあるけれど、
時が過ぎ去れば「なんだったんだ?あの騒ぎは?何か国にとって国民にとって得るものがあったのか」と言いたくなる事しか経験してない。
問題として取り上げた慧眼をほめたたえたくなったり、感謝したい気持ちになったことなんて、この10年ほど1度もないのではないか。
安倍政権の功績を評価するか?という調査で70%が評価すると答え、その一方で国葬に反対するという人が過半数を超えると言う。
国民ってのはそうしたものではあるけど流されやすいのだと思うし、支持率って数字には、もう意味を見いだせない。
首相や閣僚は信じる道を進めばいい。よっぽど間違っていれば、それには反対するけど、マスコミが作り上げる問題に左右されて欲しくない。
安倍政権の功績を評価できる人と、未だに、安倍にも安倍夫人にも何もなかったモリカケが問題だから、安倍は何もしてないって言ってる連中は
永遠に混ざり合う事も理解し合えることもないと理解してるので、支持率なんて気にしないで、この未曽有の困難を迎えた国際情勢で国の舵取りをして欲しい。