はてなキーワード: 間抜けとは
英語がわかる人ならもう知ってるかもしれないけど
たまに英語圏のXで、日本が安全だという話がバズって口論になることがある
なんで日本が安全だと口論になるのかというと、アメリカの出羽守が日本をこん棒にしてアメリカの街や銃の問題について殴るからだ
何かをほめるとき、何かを否定するともめることがあるが、あれの都市版って感じだ
郊外に庭つきのでかい家に住むアメリカを誇らしく思っているので、ごみごみした都会で縮こまって住んでる日本人は間抜けだということになっている
(アメリカ人にとって日本=東京なので田舎がどうなってるかはおいておく)
そこにアメリカ版出羽守が登場して「電車中心の社会になるべきだ!」と主張するわけだ
その電車中心社会の成功例として日本がでてくるので、アメリカ人は日本にイラつくわけだ
EV vs ガソリン車みたいに、アメリカ人はよく電車vs自動車についてレスバトルしている
公共が提供するサービスなんてくそっくらえな人が多いので電車嫌いなひとが多い
それで「電車だと襲われても逃げられない」とか、「電車だと街について歩く必要があるが襲われても逃げられない!車だと逃げられる!」と主張する
でもそれって襲われる社会がおかしいでしょ?という話になってまたレスバトルが始まるw
街を歩くと襲われるという話に関しては、東京は女性が一人で歩ける街!というのもアメリカの出羽守が日本を持ち上げるときによくつかうのだが
それでアメリカ人が必死に日本の犯罪について調べてたりしてめっちゃ詳しくなってるのも面白いw
当然暗数の話もでてきて、きたああああ伝家の宝刀暗数うううっておもってレスバトル読むのが楽しい
加えて、日本みたいな社会を実現しようとすると電車だけでなく、銃を否定しなければいけないからさらに良きアメリカの姿を否定することになり
レスバトルが白熱するわけだ。負けられない戦いがここにあるって感じだ
↑の話はリベラル系出羽守だけど、パターンによっては右翼系出羽守からも日本は支持される
日本が安全なのは黒人がいないからだ!均質な社会だから安全なんだ!とかそういうやつ
アメリカの右も左もアメリカの気に入らない部分を、日本をつかって叩くから、むかついたアメリカ人が日本を叩くという流れを頻繁にみるのでおもしろい
当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。
今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。
スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。
中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。
私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張ってみようと決意した。
結局のところ、顧問の説明は全て嘘で、三年間がんばった先輩たちは浪人か就職で、推薦で大学に行くのは極めて少数、かつ、いずれも著名とは言い難いところだった。
それでも、しばらくは頑張った。もがいた。40度の熱を出しながら罰走を走らされ倒れた。水を被ってまた走った。自分の決断と、それを支持した親の思いを無碍にしたくなかったからだ。
だが、夏頃に怪我で数日通院し、練習に出られなかったことをきっかけに上級生による苛烈なイジメまで始まった。
大学に行きたかったので、高校は辞めるわけにいかない、と私は思っていたが、あの恐ろしい部室に行くと思うだけで、ボロボロと涙が溢れ始める。
推薦で取った生徒の不登校というのは、顧問には痛手らしい。手をかけ品を変え、顧問から登校するよう連絡があった。それでも私が応じないと、両親揃って呼び出され、強い口調での退学勧奨を受けた。
子の不登校に加えて、顧問による叱責がよほど強いストレスだったのだろう。両親まで懇願するように、それが受け入れられないと怒鳴り声をあげて退学を求め始めた。この世に味方はいないのかと絶望した。
が、結局のところ、私は図々しくも高校を卒業した。部活も半分以上ボイコットした。そして大学に通い、やりたかった仕事に就いた。
今思えば辞めても大検を取れば良いだけだったのだが、大人の不当な圧力に負けなかったという経験は、今でも自分を支えているように思う。
数は少ないかもしれないが、同じようにスポーツ推薦で進学するも、クラスや部活に馴染めなかった方と、その親御さんのためになればと、私の経験を書き残しておく。
なお、なるべくなら普通に通学して部活やって卒業した方がいいに決まっている。
それができない我々のための話と思ってほしい。
大検はそんなに難しい試験ではないが、履歴書に卒業高校が書けないのが嫌なら、なんとかして卒業を目指すことになる。
卒業には単位が必要で、単位取得には出席とテストでのスコアが必要になる。
テストのほうは、まあ、頑張って取るしかない。こういう所を読むくらいの「ナード」なあなたなら、スポーツ学級向けの試験で赤点を回避するくらいはなんとかなると思うが、どうでしょう。
クラスで浮いてしまうのは仕方ないと割り切るしかない。授業が始まれば別に気にする必要はないし、休み時間は寝ればいい。だって眠いでしょ?
行かなきゃいいのだ。授業に出て、終わったら帰る。
スポーツ推薦入学者は、部活を辞めることはイコール退学だとよく言われる。実際、そういう前提での退学勧奨が横行している。それに応じる人も多い。本人が納得できるなら、それも別に間違いではない。
あなたは正当に入学し、保護者は学費を納めている。あなたの進路はあなたが決められる。退学勧奨はあるだろうが、応じる必要はない。
(もし、念書とかを書かされていたのならごめんなさい。でも、そんな念書有効なのかなぁ。)
そして、部活に行かないこと、やめたことを理由とする退学処分なんて、通常なら出しようがないはずだ。ナードなあなたは暴力を振るうことはないし、成績も悪くない。わざわざ制服でタバコを吸うこともない。
生徒手帳を開いて校則を読もう。あなたならちゃんと読み取れる。なにか退学に値することをあなたはしているか?していないはずだ。
とはいえ、退部届を出すのはポイントオブノーリターンを超えてしまう。私は退部届けは出さず、部活に出ないに留めた。
時折顧問に呼び出されたが「いじめがあるなか部活には行けません。すみません。」ということを述べ続けた。
顧問はいじめがあること自体を認めたくないので解決に動くこともしない。なので、一生平行線だ。
あなたが学校に行けない状態なら、少なからず精神的にダメージがあるといえる。心療内科などで相談して、その結果を伝えるのも一考と思う。
もし、やりとりのなかで、あまりにも酷いことを言われたら日時とともに覚えておくこと。それはあなたの自尊心を大きく傷つける表現かもしれないが、受け止める必要は一切ない。相手の不当性を立証する強力な武器になるのだから、内心喜んでもいい。
顧問はすぐに手を出す人間だったが、私は幸い暴力は受けなかった。ポイントは、表面上反抗しないこと。
無抵抗で頭を下げる人間を一方的に殴っちゃまずい、という計算を大人はしている。クソ野郎ほど損得計算した上で手を出しているのだ。
賢いあなたは内心、大人をバカにしまくっているだろうが、それは心の内にとどめておこう。
万が一、暴力を振るわれるようなことがあれば、それは警察に届け出ていい。仮にあなたの態度が反抗的であっても罪は罪だ。
多くの部活は3年の夏頃には引退なので、そこまでいけば逃げ切り。あとは高校生活満喫してやろう。
暇なら部活と同じスポーツを部活以外でやってもいい。部活じゃないから声出しを強いられることも、ミスを咎められてランニングさせられることもない。
大学は相応の学力があれば入れる。内申点は関係ない。顧問の権力は全く届かない。
大学では、ちゃんと勉強しておくとよい。案外、飯の種を拾えることがある。捻くれ人間のあなたと馬の合う、もっと捻くれた人間がたくさんいる。楽しいですよ。
もしあなたが部活をサボれば、顧問は「そんなんでは社会でやっていけない」「人間失格」など言いたい放題いうだろう。言われ続けるとそんな気もしてくるかもしれない。
けど、大丈夫です。私はいま、普通に暮らしている。なんなら、十分恵まれた生活を送れているくらいだ。
正直、一部のブラック企業を除けば、イかれた高校の部活のほうが「社会」よりよっぽど理不尽だ。認めたくはないが、部活で地獄を見た分、多少のことには動じない。それは一つの強みになっている。
あなたも、実はすでに一般人の平均よりも理不尽耐性が育まれているし、一度は推薦を受けるだけの身体能力ないし学習能力があり、こんな長文も読みこなせるのだから、世間からみれば優秀な人材だったりする。
あなたは社会に通用しないわけではない。むしろ活躍の機会があると思っていい。
それから、一度逃げたら逃げぐせがつく、みたいな言説もあるが、逃げぐせ、結構じゃないですか。私は激務で殺されかけたこともあったが、逃げぐせのおかげで死なずに済んだ。より良いポジションをとれた。適切なときに自分を守れるのは恥でもなんでもない。
一度死んで死にぐせがつくよりいいんじゃないですか。
小学校、中学、高校とくると、高校が世界のすべてのように感じるし、高校でうまくいかないと人生の全てがうまくいかないように感じる。私はそうだった。
でも、実際は高校なんて人生のごく一部にすぎない。思い出せば色々あるが、思い出すこと自体少ない。どうでもいいんですよ。
あなたが真っ当に部活に出なくなると、顧問をはじめ、高校側はあなたに対して色々言ってくる。でも、高校は別にあなたの人生に責任を全うするために何かを言っているわけじゃない。向こうは向こうの都合があり、そのためにあなたを退学させたり登校させたりしたいだけなのだ。
正直、イージーではない。同級生に蔑まれたり、恨まれたりすることもあるだろうし、親の協力も得られないかもしれない。
でも、騙されたとはいえ自分で選んじゃった道なので、まあうまくやるしかない。何度も言うけど、高校の知り合いなんか一生会わないこともできるから、適当でもいい。
なんにせよ、スポーツ推薦が体に合わなかった人は、大変だけど、とにかく死なないことは徹底してほしい。
死ぬことに比べれば、一瞬しか関わりのない人間に嫌われるのなど無傷に等しい。常にいい人でいる必要はないんだから、高校時代まるまる、いい人を封印したっていい。
あなたの善性はイかれた部室の中でではなく、将来出会う真っ当な環境で、真っ当な仲間に対して発揮すればいい。今は図々しくあれ。サバイブすることに全力を傾けていい。頼れそうなら親に頼れ。高校と関係ない友達を大事にしろ。
健闘を祈る。
お子さんの状況に心を痛めているのではないかと思います。思うようにいかない毎日に強いストレスを感じていることでしょう。
私も今は二人の子の父親です。親御さんのお気持ちも今となっては察することができているつもりです。
大変ななか心苦しいのですが、ひとつだけお願いがあります。お子さんの人格や将来を否定するような言葉だけは止めてください。
私はいま、十分に幸せな生活を送っていますが、不登校時代、高校を辞めさせたくなった父が絶叫した「お前の人生はもう終わってんだよ!」という言葉が忘れられません。
私が学校に行けず、さりとて辞めることもできなかったのは、私自身が人生をどう打開すべきか、悩み続けていたからです。
そんなことを知ってか知らず投げつけられたその言葉はかなりのショックでした。親に叱られることこそあれ、将来を否定されることなど想定もしていなかったからです。
私は全くの無意識に「いつか必ずお前を殺す」と口走りました。
口から出た言葉が己の耳に入った瞬間、私は後悔しましたが、謝罪なり撤回なりの言葉を紡ぐ前に、父は「おう、そうしろよ!やってみろよ!もうとっくにお前は終わってんだよ!」と叫び続けました。
私のなかで父への信頼、敬愛が全く失われたことをよく覚えています。
このやり取りを思い出すたび、未だに激しい怒りに身を任せそうになります。
子供を連れて実家に帰るとき、父は人生が終わったはずの息子が連れてきた孫を心から歓迎して、膝に乗せておしゃべりをしています。
父の心底幸せそうな顔を見ると、今この瞬間、父を殴りつけてあのやり取りを思い出させ、徹底的に謝らせて、痛めつけた挙句に殺めれば、いくらか救われるだろうと思う自分がいます。
しかし、父の笑顔を見るたびに、お前のいうとおりにしてやるよ、と告げたくなるのです。おそらく、私は父が死ぬまで、父を殺す機会をうかがい続けることでしょう。
父と会わなければよいわけでもないのです。
子供たちはしょうもない私に対して無償の愛を向けてくれます。この子達のように率直に父を愛せたのならどれだけ気楽だったのだろうと考えてしまいます。そして、あの日の怒りを思い出してしまうのです。
ベビーベッド、バウンサー、公園の砂場、保育園の帰り道、アイスを食べながら休むベンチ、初めてのランドセル。幸せに満ちているはずの至る所に父への殺意が頭を顔を覗かせるのです。
そして、いずれ私自身が父のように、子供を否定する日が来るのかもしれないと怯え続けています。
結局のところ、私の傷は社会に受け入れられても癒えることがありませんでした。20年近く前の親の一言で、私の人生の一部は壊れてしまっているのです。
しかしながら、どうか、どうか、お子様の人格と将来を否定しないでください。
長文、乱筆失礼しました。
(なんかうまくいかず、再投稿してしまっていたようです、ごめんなさい。こちらに改めて記載します。)
このような長文、悪文にも関わらず、想定を遥かに超える反応をいただき、驚いています。読んでくださった皆様、ありがとうございます。
疑問点もあると思いますが、身バレはしたくないのでこれ以上の説明は避けます。
温かいコメントや反応が多いことはとても嬉しいのですが、想定外でした。
ここまで好意的な意見が多いと、私の手法がみんなに支持される、定石や必勝法のように思う人(特に危険なのは中学三年生)が出てくるのではないかと、少し不安になってきました。
その点について、もう少し書かせてください。
私の対応はあくまで緊急避難であって正攻法ではありません。私のパーソナリティ、顧問の間抜けさ、高校の意外な寛大さが合わさったという偶然の部分が大いにあります。
また、同じようにスポーツ推薦で入学し、日々理不尽と闘う同級生、先輩後輩からすれば、私のような立ち回りをする奴は完全なクソです。皆さんが顧問に対して抱いてくださった反感と似たような感情をぶつけられる対象になるのが普通です。
必勝法でもなければ、周囲に褒められるやり方でもないのです。
「とりあえずスポーツで行って、ダメならサボればいいか」というのは絶対にやめたほうがいいです。実力で行ける高校に行きましょう。
もしあなたが極限状態にあるなら、私は何度でも「自分本位と言われてもいいからサバイブしてね」と伝えます。これは全くの本音です。大人に迷惑をかけてもいい。生きましょう。一般社会より厳しい世界をあなたは知っている。あなたは人に優しくなれる。あなたの優しさを、まともな世界にまで運びましょう。
でも、あなたがまだ選択の余地を残しているのであれば、最初からこんなことを狙っちゃダメだ。
愚かで幼稚な父のために、私と子供達の幸せが犠牲になるなんて絶対におかしい。
高校時代の出来事など、人生のうちの一瞬のことに過ぎない。俺自身、そう書いたではないか。
許すことはできなくても、忘れること、思い出さないことは努力できるんじゃないか。
というところです。話し合いは正直怖いんですよ。年老いた父は幼い孫たちには優しいですが、母や私のきょうだいにはますます頑迷になっていて、本当に手をかける結果になりかねない。
心配してくださったみなさん、労ってくれたみなさん、本当にありがとうございます。
この文章が、必要とする人に届いて、悩む学生さんが希望する進路へ進む契機や、良好な親子関係の構築の一助になれたとすれば、これに勝る喜びはありません。
こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。
2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。
意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。
朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。
働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。
休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。
そのダイナミズムを維持するために設けられたシステムとしての「優しさ(バッファ)」にあふれている。
巨大な流通網を維持するためには私のような間抜けでもその日のうちに戦力になれる必要がある。そのためのあらゆる仕組みが、工夫が施されている。
合理性を体現した空間で、理論値に肉薄すべく黙々と動き回る人間たちは、まるで善のイデアに迫るため肉体という牢獄を鍛え抜いた古代ギリシャ人のように美しい。
支給されたハンディスキャナに表示されるがままに棚から棚へ飛び回るうちに不思議な陶酔感に包まれる。
それはすべての判断をこの偉大なハンディスキャナに委ね、自分は預言者となり「正しい」世界の秩序を生み出してゆく、という妄想によってもたらされる境地だ。
いま世界には棚と、格納された物体と棚の間を神の使いとして飛び回る私しかいない!なんて美しい秩序!すべてのマジックリン ピカッと輝くシート[8枚入り]に祝福を!!
そうこうしているうちに夕方になり、日勤の社員たちが帰っていった。
私はあと1時間残って作業する必要があり、私とあともう一人いる今日が初めてのタイミーさんの面倒は夜勤のパートの人が見ることになるらしい。
夜勤パートを束ねている年嵩の女性は私たちの引くハンドフォークに近寄ると、にっこり笑ってこう言った。
「無茶苦茶な積み方をしているね。夜勤だったら怒ってた。夜勤は甘くないよ」
言っておくが、今日が初めての我々にはついさっきまで社員がほぼ付きっ切りで積み方を教えていたのだ。それを滅茶苦茶とはどういうことか。
彼女は私のパレットに乗っている商品を猛然と整理し始めた。私の頭の中で像を結びつつあった最適化された作業手順が音を立てて崩れる。
彼女が新しく創造した合理性は、なるほどよく見ると次の工程の人が作業しやすいことに重点を置いたスタイルだということが分かってきた。
昼間のうちに教わったのは最も効率的にパレットを埋めることに主眼が置かれていた。おそらくこれは社員とパートという立場の違いによって生じる差であろう。
まさか30過ぎて坊ちゃんと呼ばれるとは。しかしこの迫力には何も言えない。
もう一人のタイミーさんのほうを見て
「そこのあんたも滅茶苦茶な積み方をしてるね。これは教えた人が悪いんだね」
やれやれ、といった様子で笑う彼女は、まるで間違った教えを信仰する異教徒を憐れんでいるようだった。
なるほど。つまりこれは少数の社員と実行部隊のパートが大勢いる職場でよくある権力闘争なのだ。
マニュアル化しにくい作業の手順や優先順位を「旗」にした陣取り合戦が行われているのではないだろうか。
そういえば、昼間の内も社員とパートでラベルを貼る位置など、教える内容に細々とした違いがあった。
おそらく、マニュアルで決まっていない部分なのだろう。そして彼らは「そのルールは決まっていない」のではなく「自分のやり方が正しい」と言っていた。
とはいえ、どちらの陣営も飯のタネなので大っぴらには相手を批判したりしない。
その代わり、行われるのはタイミーなどで仕事に参加してきたひよっこたちを戦場にした代理戦争だ。
もしまたここで働くならば、昼と夜とで積み方を変える必要が出てくる。
気が付けば、私がいるのは神殿ではなくなり、ただの灰色の物流倉庫だった。
働いているうちは元気だと思っていたが、やはり体はクタクタに疲れている。
驚いたよ。
「だが待って欲しい。やはり少年は有罪だったのではないか?」だよ。
バカか?
そんなの分かりきった上で、現代的な裁判をする上で推定有罪はありえないという話だろ。
「疑わしきは罰せず」
「コレは賭けになる」
劇中で散々こういったフレーズで語られているのに、それが理解できないのか?
凄い……感動的だ……本当にすごい映画だ。
この感想を持って完成なんだ……。
劇中に登場しない13人目の陪審員がひょっこり現実世界からやってきて「だが待ってくれ。もしかしたら本当に少年が犯人かも知れないだろ?じゃあ念のため殺しちまおうぜ!推定無罪の原則?知ったこっちゃねえよ!」と抜かした所で、作品が完成するんだ。
劇中の人間はなんだかんだで最低限頭がいいっていうか……証拠があって事実があって推理があってそれがひっくり返る話についていけて、そして大前提に推定無罪の原則があるってことが理解出来るわけだ。
でも現実はそうじゃない。
現実には、推定無罪ってことを理解せず、疑われた時点で有罪って原始時代の魔女裁判を今でも続けたがっている間抜けがワンサカいるんだ。
12人の陪審員は最初のうちはそういう原始人に見えたが、実際には偏見のメガネをかけていただけであって、頭の中身は立派に現代人だった。
でも世の中には、偏見を取っ払おうが何をしようが説得できないウホウホギャートルズがいくらでも潜んでいるんだよな。
そしてソイツらは自分が今生きている時代がまだ現代じゃなくて、せいぜいが中世っていう自覚が微塵もない。
映画がきれいに終わり、それでも現実はクソッタレなままで今日も続く。
そこまでをきっちり見終えて完成するんだな。
封切りした後の映画館でもきっと同じように劇場から出ていく人間の中で「でもさ、本当に少年が犯人って可能性はあるんだろ?」「半々じゃねえの」「じゃあやっぱ死刑の方が良かったじゃん!」「でも証拠も不確かなのに殺されたら溜まったもんじゃねえよ」「そもそも人を殺さなきゃいいだけじゃん?」「殺してなくても捕まったら終わりじゃん」「殺さなきゃ捕まらなくね?」「あーもういいわ」「まあつまりさ、殺しておくのが正解だったってことだよな」「もうそれでいいって言ってるじゃん」みたいな会話があって、それを耳にすることで映画が完成する形だったんだろうなあ。
面白い仕組みだ。
クソみたいなオッサン達が延々とレスバしてるだけの映画だけど、オッサン達のレスバが本当にクソみたいでめっちゃ楽しいな。
イチケイのカラスみたいな表向きはフンワリしてるけど中身はガチって映画化と思ったら、詭弁のガイドラインさえ分かってねえ間抜け共がドヤ顔で俺は絶対正しいと言い張ってギャーギャー騒いでるだけの幼稚な内容で笑ってしまう。
本当にマトモな奴が全くいないよ。
いい年こいたオッサンが延々と学級会してるって外野から見るとこんなに滑稽なんだなあ。
俺が一番好きなのは「スラム街の連中は生まれついてのカスだからな」「は?俺はスラム街の出身だけど?そうだよな。俺はクッセー掃き溜めの臭いが今でもするよなぁ?」「いやいやお前の話はしてないから」「は?」の流れ、自分の吐いた詭弁に何の責任も持つ気のないカスが流れ弾食らった奴から横レスでガチギレされてる流れは面白すぎて笑っちゃう。
ほんましょーもないなあ……素人の議論ごっこって……低レベルな詭弁の連続につぐ連続、しかもそれ言ってる時誰もが「俺の言ってることなにか間違ってる?完全に俺が正しいと思うけど?」って顔してるんだもんなあ。
職場のつまんねー喧嘩も、仕事上の責任のなすりつけ合いも、くだらん夫婦喧嘩も、世の中にあるあらゆる学級会がこういうしょーもなさを抱えているって改めて感じさせるね。
なんか他にもこういう映画ない?
あまりにも多すぎて取り上げられないので。
自己の意見ではなく憲法学の通説的な見解はこうだって紹介してるものに対して「わたしの考えた最高の見解」が数多く。別にいいけど。
それに対して岸田総理は「憲法は同性婚を想定していない」と発言し、はてブやX他のSNSなどで、主にリベラル左派からの批判が集まっている。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
この「両性」というのは「男女」という二つの性を指すというのが政府見解、それに限らないというのが今回の札幌高裁の判断だ。
少なくとも同性婚に関して言いますと、これは議論がありますが、日本国憲法の場合には二十四条で法律上の婚姻が尊重されるべきであるという規定があって、そこには婚姻は両性の合意に基づくということになっていますので、通常の解釈は、法律上の結婚は男性と女性と、両性というのはそういう意味だと。
もちろん、ラジカルに、両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説がありますが、一般には日本国憲法の現行規定で同性の法律上の婚姻を認める制度は設けられないことになっているんだと思う
憲法24条は(略)同性のあいだの結合をも『家族』とみとめるほどには革命的ではない
婚姻の自由については憲法24条が保障しているが、近年議論され始めた同性間の結婚まではカバーしていないというのが通説である
近年(2017年)においても憲法学会の通説では同性婚は憲法の保障するところではない、とするのが憲法学会の通説であり、政府見解は正しいと思われる。
どちらかというと札幌高裁の方が憲法解釈を変えようとしている、と理解した方が良いだろう。
ちなみに高橋先生は芦部門下として憲法学のスタンダードだった「芦部憲法」の補訂を行っていた人物で、戦後憲法学の本流と言っていい。
また、樋口先生はよりリベラルな立場で、立憲デモクラシーの会代表として安倍政権の事実上の解釈改憲(厳密に言うと政府は解釈改憲はしていないという立場。ややこしいが。)を批判しており、同会はその後市民連合に発展的解消をしている。
憲法24条1項は文言上両性間の婚姻を定めているが、個人の尊重がより明確に認識されるようになったとの背景のもとで憲法24条を解釈することが相当である。(略)
社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。
例えば有名な尊属殺重罰規定の違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)
同性婚を可能とする国は多く、国連自由権規約人権委員会は、同性婚を享受できるよう指摘している。国民に対する調査でも同性婚を容認する割合はほぼ半数を超えている。
地方公共団体により実施されているパートナーシップ認定制度は自治体による制度という制約があり、本件規定が異性間の婚姻以外について一切手当をしていないことに鑑みると、 同制度によって同性婚ができないことによる不利益が解消されているということはできない。
法の支配とはかなり異なる考え方で個人的には危険なことを言ってるように思えるが、最高裁はどう判断するのであろうか。
(各国の状況で憲法解釈が変えられるなら9条周りは解釈改憲し放題だし、世論の動向で憲法解釈が変えられるなら刑事司法関係の人権保護上かなり危険だろう)
国会には立法の裁量があるが、同性婚を許さない本件規定について、国会の議論や司法手続において憲法違反であることが明白になっていたとはいえない。同性婚立法の在り方には多種多様な方法が考えられ、設けるべき制度内容が一義的に明確であるとはいい難い。同性婚に対する法的保護に否定的な意見や価値観を有する国民も存在し、議論の過程を経る必要があることも否めない。そうすると、国会が正当な理由なく長期にわたって本件規定の改廃等の立法措置を怠っていたと評価することはできない。
この場合、国側は裁判には勝っているという理屈で最高裁に上訴できない。
今回の場合は賠償が認められなかった点で原告側が上訴してくれたから最高裁の判断が仰げるものの、原告側が「違憲」判断が出たことに満足して上訴しなかったら議論が宙ぶらりん(高裁での違憲という裁判結果は残るが政府はそれに拘束されない)になってしまうところだった。このシステムも妙に思える。
そして、最高裁の判断のないこの時点で政府が憲法解釈を変更するというのはまさに行政府による「解釈改憲」となる。(いわゆる戦争法案のときは、政府は「解釈改憲をしていない」と位置づけていたにも関わらず、樋口先生たちだけでなく立憲民主党や共産党もそれを強く批判していたはずだ。それに比べても今回はド直球の解釈改憲になる。)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65f17930e4b01707c6d2759b
◯想定していない以上制限もしていないわけだから、憲法解釈でごちゃごちゃいうよりも通常の立法措置でOKなんちゃう
◯想定していないがだからダメというわけではないでしょ。だいたい両性っていうのは本人同士が決めるものって意味だし。
(他にも複数あったけど全部取り上げるのはめんどくさい)
条文読み直してみてね。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」するんだよ。
両性の合意がない以上、それに準ずる制度は作れたとしても憲法上の婚姻には該当しないって理屈付けしなきゃ無理。
「まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ」
ごめん、本当に出てきちゃったね。こんなに読解力に欠ける人が多いとは思わなかったんだ
◯コメントにある両性以外の同意を法制化したら憲法違反になるよ。両性の同意のみなんだから。だから同性婚推進の方々は両性の意味をこねくり回している。
◯ここでの「同性婚を想定していない」は、結婚は異性の間でしか認識しない、同性婚というものはその存在を国は認知しないという意味であることの説明がいるんじゃないの。
そうでないと、同性婚については想定されてない、まっさらな状態だから自由に可能なものだと立法できるじゃん、みたいな間違った意味に取る人が市井には出てきちゃうでしょ。
“両性の合意のみに基いて成立”は“親など本人以外の合意が要らない”という意味で両性が“男と女”を強制しているわけじゃない、というのが憲法学者の見解なのでは。/
両性というのは二つの性ということなので、男性と男性、女性と女性というのも解釈上あり得るというごくごく少数の説
ですね、独自解釈ありがとうございます。