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2022-11-03

集英社がWEBTOONに参入しない理由ってなんなの?

アラサー20代後半)なのに高校編入し、つい先日その高校卒業した者です。

最近疑問に思うことがあったので、ここに書き込むことにしました。

疑問というのは、週刊少年ジャンプ刊行している集英社さんがWEBTOONに参入しないワケです。

僕が高校に通っている間、ジャンプ作品の話をしている学生は一人もいませんでした。

高校生だからじゃない?」

サンデーとかマガジンはどうなの?」

と思われるかたもいるかもしれませんが、それもなかったです。というか、紙の出版物だったら話題にのぼることがない感じ。

部室にジャンプは積まれていないし、小説新聞週刊誌話題も滅多にでてきません。

時事的なネタ話題にのぼるときは、大抵の場合LINE NEWS経由でした(ヤフーニュースアプリをつかってる人がいない!)。

時事的なこと以外で話題にのぼるのは、ゲームパズドラ、原神)、アイドル(ほぼK-POP)、VTuber企業勢)です。

ちなみに、彼らはマンガを読んでいないのかというとそうでもなく、ピッコマLINEマンガを使っている学生は多かったです。

彼らの親(おそらく30代から40代)とあう機会があったのですが、マンガを読むために利用しているアプリは似たような感じでした。

アプリ内で読んでいる作品は親世代だとまちまちで、学生のほうはというとWEBTOONが多め。

僕はジャンプが好きなんで「少年ジャンプ+」を勧めてみたこと(2021年ごろ)があったのですが、かなりしょっぱい反応が多かったです。

曰く、「絵が汚い」とか、「セリフ文字が小さすぎる」とか。

文字サイズに関してはスマホで読みにくいならパソコンで読めばよくね?と思ったこともありました。だけど、最近若者パソコンをもっていないそうですし、彼らもそうなのかもしれません。

ちなみに、ゲーム機やタブレットも持っていません。だけど、iPhoneは持っていますw

で、その後も彼らといろいろ話したので、彼らのイメージするWEBTOONとマンガの特徴についてまとめてみました。

WEBTOONの特徴

スマホでも読みやすい。

縦にスクロールしてページを進める。

ふきだしは上から順番に読む。

セリフ文字サイズは大きい。

フルカラーであることが多い。

マンガの特徴

スマホで読みにくい。

から右にスクロールしてページを進める。

ふきだしは右端から順番に読む。

横書きセリフは左から読む。

セリフ文字サイズは小さいことが多い。

基本的にはモノクロ

ピッコマの「待てば無料」がフィーチャーされすぎた結果、韓国勢のマンガアプリ成功した本質を見誤っているような気がしました。

しかに「待てば無料」というビジネスモデル出版巻数の多い日本マンガと相性がよかったのかもしれません。

だけど、若者(ここでは十代を指します)にWEBTOONがウケているのは、「タダで読めるから」だけではないと思います

「読みやすいから」だと思います

ちなみに、僕の母(60代半ば)にも少年ジャンプ+を勧めたことがあったのですが、LINE マンガへと帰っていきました。

文字が小さすぎて読めなかったから、だそうです。

そして、今の若者の声、母の感想を聞いて、ふと思ったんですよ。

なぜ集英社はWEBTOONに参入しないのだろう?と。

紙中心のビジネスモデルを構築しているのは知ってます。だけど、せめてWEBTOON用のアプリリリースして、旧来のマンガとWEBTOONの両輪で商売したほうがいいのでは?

旧来のマンガデジタル&紙)、WEBTOON(デジタルのみ)みたいな感じで。

少年ジャンプ+」以外にも「ゼブラック」「ヤンジャン」「マンガMee」「マワシヨミジャンプ」をリリースしているんだし、WEBTOON用のアプリリリースする企業体力ってありそうな気がするんだけど。

集英社がWEBTOONに参入しない理由を知っている人がいましたら、ぜひ教えてください。

11月7日追記

>>jou2

集英社オタクやってるが「フルカラー漫画」は販売してるのなら大量にあって俺が最近買ったのだとドラゴンボール超シャドーハウスゴールデンカムイ封神演義HUNTER×HUNTERとかがある。タダで読ませろはありえんよ


僕の書き方が悪かったのかもしれません。すみません

フルカラーマンガをタダで読ませろ、と言いたかったわけではないです。

僕がこの日記で伝えたかったのは

思春期なのに、週刊少年ジャンプサンデーマガジンを読んでいない集団個人ではない)や世代が出現している。

・その集団世代は様々な事情お金美的センス老眼、回し読み文化消失から、旧来の形式マンガを読む機会がない、あるいは読めない。

・だけど、WEBTOONは読んでいる。

ということです。

そして、経済的な読みづらさ(有料、回し読み文化消失)は解決できないにしても、機能的な読みづらさ(文字が小さい、絵が汚い)は作品形式を変更するだけで解決できるのだから、やればいいのにね、と思ったわけです。

※再度追記

学生たちとの会話で出た言葉をそのまま書いたので、重要なことが抜け落ちていました。

僕が話した学生たちのいう「絵が汚い」って、「画力が低い」という意味ではなく、「読みづらい」「視認性が低い」「識別性が低い」という意味です。具体的には、キャラクターの線を整理して視認性をあげておかないと、「絵が汚い(落書きみたいだ)」と感じるようです。

「絵が汚いよね」

そうかな?キャラクターの書き分けはできてると思うけど……。

「線がごちゃごちゃしてるし、影みたいなものがついていて読みにくい」

書き込み量スゲー!、とは思わないの?

だって絵画もっとシンプルじゃん」

逆に、彼らのいう絵が綺麗、上手いってどういうものを指すかというと、シンプルな線で書かれた視認性の高い絵(つまりカラーイラストや、エロゲの絵のようにパターン化されたもの)になります。つまりTwitterでバズっているようなイラストですね。

どうして集英社はWEBTOONに参入しないの?と僕が疑問に思った理由、これで伝わるといいなぁ。

追記2

>>msukasuka

私は高校卒業直後の専門学校の子達の話を毎年聞く機会あるけど逆だなあ…誰もウェブトゥーンを読んでない。思ったよりもコンサバ。なんの違いだろう?


たぶんですが、これはコロナ禍以降の傾向だと思います

マスク着用の義務化で会話が減ったり、友達と遊びに行くことが減ったり、部活動の休止や修学旅行の中止によって一つ、二つ上の世代(先輩)と文化的な隔絶が生じたんじゃないかな。

先生も、コロナ流行ってから学生の周りのもの(見るもの、読むもの聴くもの)は全部変わったといっていました。

僕の周りの話ですが、コロナ前はアニメMADや『フリースタイルダンジョン』、YouTuberの話ばかりしていた人たちが、NziuやBTS、Jo1、インスタのインフルエンサー、TikTokerの話をするようになったので、コロナ禍の影響ってすごいなと思いました。

追記3

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/221107g

この日記への返信で教えてもらった電ファミの記事なんですが、公開日がなんと今日タイムリーすぎる。

集英社がWEBTOONに消極的理由がなんとなく伺える記事でした。

追記4

めちゃくちゃ重要なことを書き忘れていた。

僕が通っていた学校夜間学校なのでバイトしている学生さんの率がめちゃくちゃ高いんですよ。

コロナの陽性になった人の濃厚接触者が生徒の中から見つかったとき、全校生徒は即時下校するようにと学校から指示があったんですが、授業後に帰宅せずにバイトに行く生徒が多かったので、その日はそのままバイト先にいっていいのかわからない生徒で校門前があふれかえるほどでした。

夜間学校バイト、とくれば、貧困イメージがあるかもしれません。

だけど実際は程度に差はあれ、経済的に自立している子が多かったです(使えるお金があるだけで、金銭的に恵まれているというわけではない)。

世間一般でいう”高校生”よりも少しだけ自由お金を使える。

そういう特徴がある界隈での話でした。

2022-10-29

anond:20221029161351

医薬分業を進めて院内処方という病院収益源を潰しに来たり、門前薬局診療報酬を削りに来たりした厚労省が一番エグイ、という話にならんか?

2022-09-11

きょうだいについて

 人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機回避するために必要仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。

 虐待、という言葉日常的に――さまざまなニュースネット記事大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。

 多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から扶養から祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待問題視されている。わたしiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力言葉による脅しなどが挙げられている。

 そして、本題である

 きょうだい間の虐待を知っているだろうか。

 寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいから虐待である

 わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義けができないのだろう。

 でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。

 わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形ミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。

 ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズ小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。

 単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。

 姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから生理的に拒絶して責められても仕方ない。

 それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものわたし身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。

 そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。

 ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動さら悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。

 契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。

「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。

 足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。

 ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。

 ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。

 そのあとは、わたしリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中ものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。

 「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。

 姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかし存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在

 幼い頃から培った「この人と自分平等ではない」という意識根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解存在しているから、比較的穏やかな日常保証されるようになった。

 でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。

 この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情記憶を吐き出して保っている。

 わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。

 あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。

2022-08-30

一日一時間投資ガチ時間

子供は親の背を見て育つ

門前小僧習わぬ経を読む

2022-08-18

ラス回避出来なかった

ソーズが一切切られてない上家から立直

2巡前に二索切ったから通ると思ったらロン

立直前に切った索子立直後だと勘違いしての放銃

しかも二索を二巡前に切らずに七対子立直してたらロン牌でツモ上がれてたという

うっかりミスは仕方ないとして上家は流れからしてダマのメンチンするタイプじゃなさそうってのは読めばよかった(実際は別にメンチンじゃなかった)

これで7700振って終了 最後門前固執してドラ3を棒に振ったし ネト麻だと順目を勘違いした放銃よくある

そのミスさえなければVS二階堂亜樹で3連トップするとかあったんだけどな

2022-08-03

東大の立て看板同好会ダブスタマジでうぜえ

https://twitter.com/tatekan_UT/status/1554007144223371265

https://twitter.com/tatekan_UT/status/1552670235592761346

サークル名を公表しなければならなくなる前に自浄作用でなんとかしてくださいマジで

当局が正門前への立て看設置を認めました‼‼‼

闘争勝利

同じ人間が言ってるとは思えねえレベルでひでえ。 〇〇ばいいのに。

何が闘争勝利だよ。たか看板マニア差別主義者風情が。

2022-07-14

統一教会コンビニ問題は似ている。

1)店主や信者財産が尽きるまで徹底的に搾取する焼畑商法破産者自殺者を定期的に生み出しても、完全に無視黙殺を決め込む。



2)深刻な問題であるにもかかわらず、大手メディアを完全に取り込んで、全くと言ってよいほど報道させない。結果として上述の焼畑商法を横行・延命させ、問題が深刻化する。一部の被害者団体弁護士が訴えても、ほとんどメディアは取り上げない。


3)最終的に、非合法的な形で問題が露見する。コンビニ場合は、契約を平気で無視し、客を門前罵倒するような、一般的には人格的に破綻した店主によって、問題社会に知られるようになった。統一教会霊感商法も、安倍元首相暗殺されるまで全く忘れ去られていた。


こうなるまで何人もの人が破産し、自殺したのか。メディアの罪は重い。

2022-07-11

一般人の俺が統一教会接触した思い出

山上とほぼ同い年。この40年の人生の中で、統一教会と二度接触したことがある。

1回目は、高校生の頃。90年代後半、登校時間に校門前複数人の男女が「純血キャンディ」という飴を生徒に配ってた。俺は何も知らずに素直に受け取り教室で食べたが(グレープ味だった)、もらった後で集団教師解散させられたという。朝の集会担任から「飴もらった人~」と質問され、集団についての説明特になかったが「気をつけろよ~」と注意された。

2回目は、大学に入りたての頃。サークルビラの掲示板の前に突っ立ってると、冴えない男の先輩2人組に声をかけられた。ちょっと見学に来ない?と誘われたので付いてくとキャンパスから外に出る。医者OBマンションを借りてサークル提供してくれてるんだ、と説明がありこれが噂の原理研かとビビるも、今更断ることもできない。まあこういうカルトサークルに入るのも人生ネタになるかなと覚悟を決めて自転車10分ほど先の3LDKくらいありそうなマンションの一室に入ると、10人くらいの男女が和気あいあいととしていて、ここに入れば出会いあるかなぁと欲も出た。通された部屋でしばらく待つと別の小綺麗な男先輩に勧誘役が変わり「料理作って皆で食べたり合宿行ったりしてるんだ~」と説明を受けてると、同じく勧誘されたと見られるイケメン新入生が入ってきて別のテーブルに座り、そいつにはキレイな女の先輩がついて談笑しながら勧誘していた。なんか惨めだった。説明が終わった後「夕飯食べてく?」って言われるかと警戒していたが取り越し苦労で何も言わずさよならして以来接触ない。陰キャカルトにも必要とされない。

2022-06-12

静岡間伐間伐じゃない件

これ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/3a1987d18442c5c94ba14e29c6ea166fab1bc42b

報道も含めて適当批判が多いので素人解説する。

今回の作業目的

まず第一に多分多くの人がイメージする間伐目的とした事業じゃない。

先行するこの記事によると、これは静岡県の「森の力再生事業」によって実施されている。

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1053943.html

事業はこのようなものだ。

http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/mirai-index.html

要綱から事業の内容を見てみると、

第5 事業内容には次のようにある。

(1) 人工林再生整備事業

第7(1)に定める対象森林のうち荒廃した森林について、針葉樹広葉樹との混交林へ誘導するための森林の整備であって、伊豆地域森林計画富士地域森林計画静岡地域森林計画及び天竜地域森林計画(以下「地域森林計画」という。)に定める「特に針広混交林化を推進すべき森林」の整備・保全の方向に即した整備並びに簡易な道及び構造物の設置等を実施する。

とある。((2)は竹藪の話。)

 「間伐」という言葉でよくイメージされる、質の悪い木を選んで切っていい木をよく生育させるとか、間引き的に切って林床を明るくするとかそういう話ではない。報道でも触れられたように「森林公共的な責任が果たせていない」植林地を広葉樹林混じりの山にすることで、山の機能回復させようという事業だ。

 間伐をしないと木の下が裸地化したりして山の水源涵養機能が落ちたり生息する生物が減ったりといいことがないのだが、補助があっても経済的に見合わず間伐できないところが今問題になっている。そういう山をもう植林を減らしてしまって広葉樹混じりの状態にすることで、山の機能を低コスト回復させようという考え方だ。静岡県も他県と同様に間伐補助がある(http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-630/zorin/hojo.html)が、その事業では間伐ができなかったのだろう。私の県でも、少々の補助をもらって間伐しても割に合わないという声は聞こえる。

 国の森林総合研究所が研究結果からまとめた「広葉樹林化ハンドブック」を出しているように、この方向性全国的ものだ。

http://www.ffpri.affrc.go.jp/labs/bl_pro_1/

 なので「間伐」じゃないという批判についてはそりゃ間伐事業じゃないよ、という話になる。しかし、報道の感じでは権利者の人は以前やった間伐事業イメージを今回の事業にも持っている。

 報道に写っている書類は「森の力再生事業実施に関する協定書」だと思われるが、その最初にはこのように書いてある。(R3年版様式)

http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-610/mirai/documents/jisshiyoukou_youshiki.pdf

第1条 静岡県 農林事務所長 (以下「甲」という。)、権利者 (以下「乙」という。)及び整備者 (団体名称及び代表者名)(以下「丙」という。) は、第3条に掲げる森林針葉樹及び広葉樹の混交林又は多様性のある広葉樹林等へ誘導することにより、土砂災害の防止、水源の涵養など森林が発揮すべき公益機能回復させるため、その事業の速やかな実施事業実施後の適正な管理三者が協力して確保することを目的に、次の条項により協定を締結する。

また、協定書の2枚目にはこのように書いてある。

2 前項の丙が実施する整備の内容は、次に掲げる整備であって、要綱等に定める整備計画書に基づくものとする。

(1) 環境伐(広葉樹自然発生目的に、対象森林のおおむね40%にあたる本数のスギヒノキの人工林を伐採するものをいう)

(2) 整理伐(適正な立木密度への誘導や樹種の転換を図るために、竹林広葉樹林等を伐採するものをいう)

(3) 倒木又は倒木の恐れのある立木の処理

(4) 伐採木竹等の林地外への流出を防止するための集積、破砕、搬出等の林内の整理

(5) 広葉樹の植栽

(6) 土砂の流出や土壌の侵食を防止するための簡易な木竹製構造物の設置

(7) 整備作業安全性効率性を確保するための簡易な作業路の設置

(8) その他、知事必要と認めるもの

混交林または広葉樹林に誘導するための事業ですよと最初にきっちり書いてあり、作業内容としても間伐ではなく40%伐採して広葉樹自然発生を目指すことが書いてあるわけだが、書いてあってもご理解いただくのは森林組合の役割だろう。

実際、その後の調査でも説明不足が問題視されている。

https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1073631.html

権利者の人は間伐でないと主張しているので報道もその論調だ。荒らし放置するくらいならいっそ山での針葉樹生産を縮小しませんか、という重要な転換の話なので、丁寧な説明がとても重要だろう。

(なお、今回のような手法を帯状間伐と主張する事例もあるようで、その場合はこんなもの間伐じゃない、という議論になる。)

手法の適切性

さて、事業としてこの実施手法は適切だろうか。

 報道にあるように、県は15m幅の伐採提案している。帯状の伐採自体は全面の皆伐を避けつつ搬出を容易にするために、次にまた針葉樹植林する場合でも使われている手法だ。帯状伐採とか帯状皆伐とか言う。形状に注目しなければ小面積皆伐一種と言えるだろう。また、目的によって誘導伐、複層林化を目指す複層伐とか、言い方はいろいろある。私の行動範囲内でも50m幅で皆伐し50m幅に植林を残した縞々の斜面が見えるところがある(Googleマップ航空写真で見るとよく目立つ。)

森の力再生事業の要領にも、このように記載されている。

(ア)環境

広葉樹自然発生目的に行う、対象森林のおおむね 40%にあたる本数のスギ

ヒノキ伐採をいう。(略) 伐採手法は、全伐採本数の8割以上を列状又は群状に伐採するものとし、それらを補完するために単木的な伐採施工することができるものとする。 列状伐採場合の1列当たりの伐採幅(伐採区域の短方向の両端に位置する残 存立木列の樹幹間の最短距離)の基準は、おおむね5m以上かつ残存林分の平均

樹高のおおむね2倍未満を原則とする。(後略)

なお、樹高の2倍未満というのは帯状の伐採に関する資料でよく見られる。広すぎると全面的皆伐に近くなるが、狭すぎると日当たりが悪く次の木が育ちにくくなる。

 今回の件について、50m幅のところは事業基準を満たしていないと言える。しかし「ゴルフ場のような」帯状の伐採自体計画通りだ。

 今回の伐採手法に対する批判は、混交林化という目的に対して、列状間伐などによる強度間伐などと比較されるべきものだ。県の判断には動物被害が大きいことを挙げており伐採後をシカネットで囲っていたが、それらの対策やすさなども考慮に入れる必要があるだろう。

木を多く切ったこ自体に対する批判はあたらないと思う。広葉樹林化を目指すならどこかで切らなければならない。災害発生リスクとしては確かに帯状伐採でも表層水が増え災害リスクが多少なりとも上がることがわかっているが、じゃあいつ切るんだ、間伐もできない山を放置しておくのか、それとも個人財産を育てるための間伐さらなる補助をしていくのか、などの論点があろう。

(素人考えだが伐採部分より残った植林の幅の狭さが気にかかる。50m幅の問題といい、区画取りがちゃんとできていたのだろうか。)

さら技術的な論点

 今回の報道で多く見かけた批判はこのように的外れだが、もう1つ重要論点がある。それはこれで本当に広葉樹への更新ができるのかという技術的な疑問だ。(そもそも広葉樹林化で本来目的を達成するのかというさらに難しい論点もある。)

 ここまでは資料を読めばわかる話だが、この先は議論がある部分に分け入るので、2つのことをご了承いただきたい。まず私は林業に関して門前小僧どころか出入りの三河屋程度の知識しかない。もう1つは、このように強引にでも広葉樹林化を目指している背景には既存の補助で間伐できず、ただでさえ貧弱な下層植生が今度は鹿に食われて裸地化するような山がたくさんあって、とにかくなんとかしないといけない状況があるということだ。

 帯状に伐採して跡地に再び木を植える場合は、幅に応じて明るさの問題はあるものの、皆伐跡地に植えるのと同じように考えることができる。これまでの林業のサイクルに近い。全面的皆伐してしまうよりは山としての機能もましだろう。広葉樹林化を目指す場合でも、適切な種類の木を植えるとその木が育ってくる。問題は何も栽植せず自然に任せる場合だ。今回の写真を見ても、これで事業完了後とすれば新たな栽植はせず鹿ネットで覆うことで終了のようだ。

 スギヒノキに覆われている期間が長くなるほど埋没していたタネの発芽は期待できなくなる。風で飛んだり鳥に運ばれたりするタネ供給源との距離問題もある。ササなどが地表を覆って高木が育たなくなってしまうこともある。また、これは栽植する場合も同じなのだが、まだ弱い木を鹿がかじってだめにしてしまうことはとてもよくある。先ほどの広葉樹林化ハンドブックでも、条件の見極めについて記述されているし、他の混交林化、広葉樹林化の資料でも、人工的な植栽前提、あるいは十分な量のタネ供給源となる木や稚樹の存在を前提にしたものが多い。

 しか静岡県による皆伐後の天然更新についての調査結果では、かなり楽観的だ。再造放棄地(植林を収穫して全て伐採した後に何も植えていないところ)を調査した結果、県内の多くの場所で天然更新が順調に進むと結論づけている。

https://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-850/ar613.pdf

静岡県のR4年度の森林計画書では「天然力を活用した」混交林への誘導が整備保全方向性として挙げられている。難しそうなところは別途「植栽によらなければ適確な更新が困難な森林」として指定するようだ。

 天然更新のできるできないについて、素人が今回ざっと資料を読んだ限りでは可能な条件はかなり限られるように思えたが、しかしこの静岡調査に基づくと、鹿ネットだけで天然更新を目指すなんて無謀だとも言い切れない。歯切れの悪い終わり方で申し訳ないが、この文章目的は、説明不足の報道に対してより詳しく状況を説明することだ。正直今回導入された手法の良し悪しは現地を見た専門家でないとわからないだろうと思う。

 自分は6/8の記事でこの件を知ったが、県が獣害状況などから15m幅の伐採手法として提案し、それ自体は間違いではないような対応であることからこれは「間伐事業ではないのでは、と疑問を持った。一次産業に関しては誤解や考え方の違いによる非難が発生しがちなので、素人自分にも誤解とわかる部分は書いた。そして検索して分かったのだが、プロ解説しても考え方の違いが発生するだろうなとも感じた。混交林化の是非そのものにも様々な考え方の違いがある。

 また、感情面では、植林あくま経営主の持ち物なので、本来きちんと管理する責任は持ち主にあるんだという気持ちと、そんな不利益があるから山なんか絶対相続したくないんだという相反する気持ちも、田舎者なので持っている。

 これは公共機能があるもの個人が所有することの問題とも繋がっている。

 話が広がってしまったが、ともかく、「これは間伐ではない」という単純な話ではないのだ、ということを理解してほしい。

2022-06-07

麻雀の地運について本気出して考えてみた

最近勝率いいんです。大体800局くらい半荘やって平均2.2位くらい。ラス率は今確認したら17%でした。

大抵東は耐えて南場から捲りトップ。振り返れば直放銃ナシみたいな局多くてなんかあるんかな思いまして。

てなわけで、最近麻雀やってて、「これ本当にあるなあ」思ったことがあったのでちょっとまとめてみました。小手先テクというよりはもっと根っこの部分に当たる話かと。

そもそも地運てなんやねん」て話ですが、天運とは逆のもので、育てて培われていく運のことです。ウンチじゃないです。チウンです。

運とついているのでオカルトに捉えられがちですが、要は自分調子集中力を最大限に引き出せているか、ということです。

局の最初からアンテナビンビンでピンピンロクとかアガりまくれてるならいいですが毎回そうとは限りません。

下記の4つを意識して局を進めることで、中盤から後半にかけて地運を育てあげ(絶好の状態自分を持っていき)、勝ちを掴むっちゅうわけです。

1.まずは基本を身につける

2.小さいアガリでも掴みにいく

3.でも無茶な突っ張りしない

4.つまらないミスをしない

1.まずは基本を身につける

具体的には捨て牌読み、牌効率、点数計算などなど。麻雀やる上での知識的な要素をきちんと学んでから麻雀やろうって話です。

なんでもそうなんですが、戦術知らずに戦略練るなんて無理だと思うんです。

例えるなら「武器は誰かが落としたやつ拾えばええやろw」と丸腰で関ヶ原の戦いに参加するようなくらい、リスクあるもんだと思ってます

そもそも、やり方勉強して試行錯誤守破離して強くなっていくのが醍醐味であって、これやらずに「あー。なんかよくわからんけど勝った/負けたわあ」とか言ってて何が楽しいの?くらいに思ってます

さて、本題ですが、基本が身につくことによるうまみは「相手を観察する余裕ができる」ことかと。

悩みながら切ったのか、思い切るような感じで切ったのか、他家のリーチ中に危険牌出してきたかなどなど。

これら相手動作(それもどんな表情、様子でやったか)きちんと観察できていれば、聴牌時の危険牌がある程度読めるし、立直者以外にも警戒する必要があるのがわかったり、「そろそろこいつ聴牌しそうだから仕掛けて早めにアガッとこ」と打ち方決めたり、、

まりは卓上の情報と絡めることで他家の手牌状況をより細かく推測できるし、それを基に早めにアガりに向かうのか、どっしり門前聴牌目指すのか、はてまたオリるのか、ベストな打ち回し方を決めることができるわけです。

よくプロが仕掛けていても当たり牌だけビタ止めしたのが話題になってますが、あれは相手所作や捨て牌も頭に入れていて、「あの牌は危険。なので引いたら絶対さない」と予め決めながら打ってるからです。

麻雀において、これ来たら絶対さないみたいに鉄の意思を持つの結構大事です。

2. 小さいアガリでも掴みにいく

逆に小さいアガリでもいいので勝ちを重ねると自分調子を上げることができると考えます

気分を上げることで更に積極的に仕掛けて、次のアガリを掴むことができるわけです。(但し、調子に乗っちゃだめです。どんなに地運が高まっていても1回でもつまらミスすると1発で崩れます)

手役にこだわったりとかしがちですが、でかいガリ1発ではなく小さいアガリを重ねるメリットは、「自分があがることで相手のアガリをなくせること」です。

あとちょこちょこ鳴かれたりしてアガられると、相手からしたら結構神経にくるので、冷静な判断を鈍らせることもできたりします(相手性格次第ですが)。それでヤケになってきたところをきちんとそれなりな点数で刈り取るのはあるあるパターンかなと。

とはいえ南3局で全然点数ないのに1000点アガリとかはだめです。状況によってある程度は戦略変えることもあります

3. でも無茶な突っ張りしない

2で書いた通り、たしか攻撃は最大の防御ですが、無理な攻撃は逆に身を滅ぼします。このゲーム、アガリよりも振らないことの方が大事なので。

そのため、他家のリーチや仕掛け(特にドラポンとか染め手)に対して、間に合わないとわかったら徹底してオリます。この時大事なのが、他の人も意識したオリをすること。通ってる字牌思考停止で切るのではなく、まずはひとまず安全なのがわかっている真ん中の牌から切る。他家からいかけが入ってもきちんと逃げきれるオリをします。基本一度オリと決めたらもう攻めません。

*オリてるのに中途半端に攻めに転じたせいで放銃すると一気に調子崩すのでご注意を。

4.ミスをしない

ミスしたりしていらん放銃すると地運なくなります

オカルト的な話ではなくて、要はミスすると「調子が狂う」のです。

「つまらないミスで放銃してしまった…」と余計なことを考えるせいで本来集中力が発揮できない、「またこんなミスしてしまったらどうしよう…」とビビってしまい、本来自分の戦い方を崩してしまうことになります

そもそもなにをもってミスとするか」ですが、厳しめで判断してます。具体的には、

・読み誤った突っ張りによる放銃

・泣き逃し

・打牌選択誤り

チョンボ

などなど。

てな感じで粗めですが今のところの考えまとめてみました。

ちなみに、たまにどうしようもなかった放銃を食らうこともありますが、この時大事なのは「引きずらないこと」です。ミスして放銃したわけではないので自分に非はないです。焦って取り返そうともしなくていいので、やれることをやるだけです。

こんなもんかなあ。正直他の要素もまとめるとミニマム大辞林みたいな量になりそうなので、思いついたらまたまとめます

もっともっと勝つぞー。

2022-05-26

善良なる世界一貧乏人 糞門前真顔 にありがちなこと

ロシアが好き

衛星通信破壊

ツイッターが嫌いなのでツイッターを売却

あと一つは?

2022-03-14

門前小僧習わぬ経を読む」って

正式に学ばなくても身近に触れていれば自然知識が身につくって意味だけど

なんか「ニワカ知識で語る奴」みたいな意味で使われてない?

2022-03-09

高校入試

集合場所勘違い

(誤)中学校の正門前

(正)志望校の正門前

かつ、志望校場所が分からないと家に戻って来た。

勿論前に教えた。そもそも中学校の目と鼻の先。中学校職員室で教えてもらえばよかったのにと言うと、そういうキャラじゃないと。

虫の知らせか今日はぎりぎりまで家にいたから送り届けることが出来たけれど僅差だった。

前々から普通じゃないと思っていたけれど。

大丈夫かなぁ。

2022-01-22

anond:20220122003240

なんかやばそうだね

東大門前通り魔をやった高校生にも、東大OBから戒めのメッセージを出してやって欲しいぐらいだよ

(やつが目指したのは理3で、まーさんは文1だけど)

東大にこだわって入学できたところで、卒業後の人生も必ずしもいいことばかりじゃないよね

2021-11-28

anond:20211128052544

校則が厳しい方がヤンキーは増えるのではないだろうか

少なくとも昔のタイプヤンキーは増える

個人的人生経験では確実と言ってもいいぐらいだ

彼等が抱いている己の存在意義校則に逆らうことだったりする

かに反対意見を表明したいのではなくて、

何にでも反対するためにプラカードを掲げたりデモ行進する方が目的になってる人達と考え方が非常に似ている

手段目的化している

デモ活動があれば、当然何かに反対するために参加している人達がいるわけだが、

一定数そういう変な人間が紛れ込んでしま

いわゆるプロ市民とも呼ばれる輩である

からプロ市民ヤンキーは考え方が似ていると思う

プロ市民のようなプロ左翼も、反対に位置するプロ右翼も、社会問題がなくなってほしくないと思っている

なぜなら、社会問題がなくなってしまったら、

日頃の鬱憤を晴らすために喚き散らすことを正当化できる言い訳がなくなってしまうからである

からヤンキーからしても校則がなくなると困ることになる

自分存在意義がなくなってしまうから

逆に言うなら、ヤンキーの多くはそれぐらいしか取り柄がない

取り柄がないから、能力がある人間を過剰に敵視したりする

からヤンキーの多くは内心では過剰な承認欲求を抱えている

これは酒鬼薔薇とも非常に似ている

校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、

私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分本音無自覚なように思っている

論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、

知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである

寧ろ、彼は非常に理知的で、論理的思考ができるタイプである

彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、

そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える

彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、

事件からそういう傾向があったように思われる

俺を見ろ!という過剰な承認欲求

俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う

話を戻すと、ヤンキーも似た思考をしている人が多いように思う

どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである

彼等のコミュニティ内での順列を争うため、

そして、彼等のコミュニティ外でも自分存在感を認めさせるため、

それがネガティブマイナスイメージであっても、

誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、

同じことを「てんちむ」という女性YouTubeで語ってるのを観たとき

ヤンキー傾向のある人はみんな似ているなぁ、と思ったもの

こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、

そもそも、家庭でなんらかの虐待を受けていないか

少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、

そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる

話を最初に戻すと、

ヤンキーにとって校則は寧ろ自分存在証明するために必要不可欠な存在であり、

校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている

わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、

校則を破る、学校に来なくても反社会的な行動を実行する、

そこに彼等はアイデンティティを抱いてしまっている

小林よしのり漫画の中で、自分高校時代に分かったこととして、

ヤンキー学校教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である

作中で、高校時代小林よしのり生徒会長立候補し、

学校校則を変えたい、もっと自由校則にしたいと息巻いていたが、

それに対し学校教師は猛反対する

そして、小林氏がヤンキーに、おまえら校則が変わった方がいいと思うだろ?

と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである

これは中国香港で起こった民主化運動に、

中国暴力団である三合会の人員政府が投入したことにも似ている

本来、三合会のような、いわゆる暴力団と呼ばれるべき反社会的組織

反社活動中国では厳しく取り締まられる対象であった

しかし、香港デモでは政府は一変し、三合会に賄賂を渡して民主化デモに投入し、

民主化活動家や学生達に暴力行為を行うようになった

理由として、表向きは中国政府デモ活動鎮圧非人道的暴力行為を行えないというのがある

国際的世論の目は気にしているのである

よって、自分達の代行をしてくれる者達として三合会のような暴力団員を投入したのである

本来、もちろん今でもだが、中国犯罪行為に非常に厳しいところがある

例えばインターネットカジノ業者のような人達も厳しく取り締まられたため、

彼等はカンボジア等に逃げるしかなくなった

要は、国に見えないところでいい思いをしている反社活動は許せない、ということである

三合会のように、この社会政府体制側のような人達と、

反社会的人達が結託することが非常に都合が良いことが意外と多いように思われる

教師ヤンキーが意外と仲が良い、卒業してから学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い

しかし、ヤンキー暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、

レイプ未遂被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない

教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分存在意義見出している人がいる

そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、

彼等の脳内では勝手美談に変換されているのだろう

そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう

なぜなら、教師という職業自体自由ではなく、その不満が蓄積する職業からである

家庭などで鬱屈反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、

職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、

互いに共感を抱き、傷を舐めあい普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない

寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている

ちなみに、これは校則だけでなく、普通法律でも同じように思う

マリファナ規制しすぎれば、マリファナルート使用者が地下に潜ってしまい、警察管理下から外れてしま

公安国家マリファナ使用者管理する、

マリファナのような軽い話ではなく、反社会的組織犯罪者であっても同じであり、

法律を厳しくしすぎると、公安国家市民却って管理できなくなってしまうことがある

適度な締め付けが重要であることはマキャベリズムにさえ書いてある

普段から恐怖政治粛清を繰り返すと、市民は逆に粛清になれてしま

公開処刑が当たり前のような状況にするよりは、

ときどき、不意打ちのように、見せしめにズバッと公開処刑をするべきである

そうすることで市民に恐怖をときどき植え付けることが、国家へ反逆する意欲を失わせる

普段から頻繁に恐怖を植え付けられると、却って市民はキレるように反逆に転じる

なんだかんだ政府国家は、市民が反逆し、暴動し、コントロールできなくなることを恐れている

いつも怒っている、怒鳴る人は怖くない

ときどき、ある場面でいきなり不意打ちで怒る人の方が怖さを感じるようなものである

見せしめ粛清国家の安定のために大事であるが、やり過ぎはいけないのである

2021-11-25

逮捕の生徒 包丁を事前に購入し持ち込みか

いろいろおかし

14歳包丁を買えるような大金を持ってることがまずおかしいし入場時に校門前身体検査発見されないのも変

いろいろおかし

2021-11-19

日常

商店街歩いてたら近くの小学校で立てこもり犯が出たぞーって騒ぎになって。銃持った警官がわらわら集まってきて道のそこら中に身構え始めて。

それに囲まれて「なに、なに?」ってなってるうちに「一般人は早く行って!」みたいに追い払われて移動。

そしたら学校の校門前あたりまで来てしまい。

子どもたちが音楽室でなんか唄ってるのが聴こえる。

一般の方は早く学校に入ってくださーい」つって。

「そうだな、犯人もまだ学校にいるし、危ないし、入るか」って思って入って。

でもちょっと犯人がいる場所観たいなって思って体育館の方に行ったらパトカー大量に集まってて体育館というよりかはでかい倉庫みたいなとこのシャッター開いてて銃撃戦になってた。

「よし、観たな」って思って校庭の方へ戻る。校庭はかなり広いというか、トラックの周囲に街路樹みたいの植えられてて代々木公園くらいの広さある感じ。

おいおい、どこまで続いてんだよこれって思いながら歩いてるジョギングしてる人とか犬散歩してる人とすれ違う。

おもしれー、どんどん行ってみようって思って歩いてると、校長先生が話する台みたいなのの上にシャチョーが立ってる。

しまった! シャチョーだ、見つかる!」って思うも、かなり弱ってる感じ。

よく観ると後頭部にぱっくりと穴が開いていて中身がない。裏側から眼球も観えている。もちろんそれ自体命に支障はなく、いつもどおりのシャチョーなのだが「ああ、かなり重い病気治療痕だな・・」と思って複雑な想いに駆られ、その場を去る。

そこからさらに進むとなだらかな草原みたいな斜面ぽいところに出て。なんか牛っぽいのがいっぱいいた。

「わー牛放牧してんだ」って思ってよく観ると首がない。

首ないけどおとなしそうだな、セルルックだし、と思う。

そのままズンズン進むとBGMが悲しい感じになってきた。

「やば・・空気変わってる。ちょっとこれ、俺の為のレクイエムみたいになってるんだけど」って思うと、セルルックの首なし牛の大群がじわじわ自分との距離を縮めてくる。

あ・・ダメだ、なんか具体的な攻撃とかなさそうだけどこれ接触ダメージあるやつだし全力ダッシュしてもたぶん逃げられないって思いながら小走りしてると案の定まれてぎゅうぎゅう押されてしまった。

一定時間そのままにしてるとやっぱりゲームオーバーになった。

スポーンした一軒家には自分の妻と娘がいた。

「外やばいよ」って言ってる。

「そうな、窓閉めよう」って言って窓閉めて白っぽい薄い透けるカーテンみたいなやつも一応しめておく。

そしたらすぐにお隣さんがそこにへばりついて中を見ようとしてきた。危ないところだ。

しかし本気を出されたら窓を割って侵入されてしまうだろう。まだ理性を保ってるみたいでそういう行動はしないみたいだが、時間問題なのは分かる。

とはいえ袋小路だな・・」とつぶやく

長居はできない。折を見て外に出るため、荷造りをする。そしたら懐かしいものがたくさん出てきてしばらくそれに見入ってしまった。

娘が、4歳の頃よく身に着けていたリュックを背負い外を眺めている。リュックは風化してボロボロだ。ちょっとでも引っ張れば肩のベルトが千切れそう。ピンク生地も色あせてる。

雨戸降ろそう」つって、雨戸シャッター)を下ろす。

これで結構持つだろう。アイアムアヒーロー的な状況だなー・・と思う。

もう多分自分たちに未来とかないけど、努めて人間らしく振る舞い続けようと心に誓ったあたりで目が覚めた。

2021-11-06

女子高の校門前で廻しで相撲を取るのは何かの罪に抵触しますか??

2021-10-21

anond:20211021133800

数日後、現像した写真が送られてきたのだが、その中にぎょっとするものがあった

それは正門前で俺が娘と嫁を撮影した記念写真だった

俺以外の人間が一人も写っていなかった

外人ってスマホ写真から邪魔被写体を消す技術ほんと好きだよな

昨夜GoogleがPixel6を発表して紹介動画ざっと見てたけど

カメラ機能の紹介で「AI技術を駆使してこんなに簡単自然写真の中の〇〇が消せます!」みたいなのにやたら力が入ってて、なんだかなーという気分になった

 

新型コロナ流行る前の年、娘の幼稚園入園式の記念写真撮影を友人が買って出てくれた

おかげで俺と嫁はスマホデジカメを気にする事なく式に参列することができた

数日後、友人から写真が送られてきたのだが、その中にぎょっとするものがあった

それは正門前で娘と嫁が並んでいる記念写真だった

娘と嫁以外の人間が一人も写っていなかった

全く同じ構図で他の参列者や児童先生が写っているものもあったので、何かのアプリで除去したものだとすぐに気づいた

友人なりにサービスしたつもりだったのだろうが、その写真を見た娘は泣き出してしまった

俺と嫁は「きっとカメラが壊れていたんだよ」と娘をなだめてその場をごまかした

 

この一件があってから写真を精密に加工する(特に、写っていたはずのもの簡単に除去できてしまう)技術には俺は否定的

写真(ビデオもだが)は、レンズに写った(映った)もの全てを余すところなく残すから価値があるんだと思う

から都合よく消したり足したりするのが当たり前になったら「そこには本当は何があったのか」「そこには本当にそれがあったのか」が分からなくなり、過去を振り返る触媒としての価値がなくなってしま

10年後、20年後、あるいはもっと先の未来、娘との思い出に浸る時に「はて、確かここには誰かがいたはずだが」「おかしい、この場にこの人がいるはずがない」「この時の娘は不機嫌だった記憶があるが、なぜ笑っていたのだろう」と首を傾げながら、娘との思い出そのもの曖昧模糊とした物へ劣化する年老い自分想像して胸をかきむしりたくなる気分になった

2021-10-02

anond:20211001193500

でも言葉を洗練したものが数式だとして、数式という道具を発明たからこそ扱える領域があるのでは?多様体とかエキゾチックな球面とか言葉を持ってなかったころの人類が扱えたとはとうてい思えないんだけど。

そもそもAIやら気象予報の技術たらだって1人の人間だけの思考では完成するものじゃなくて、研究結果を複数人で共有していって考えを出し合うことによって生まれものじゃないの?そして思考の共有には言語必要

AI気象予報自体生存必須ではない便利なものという意味では意味では「言葉必要じゃない」「なぜなら言葉によって派生したもの必要じゃないからだ」と、むしろあなたの考えを補強することになりかねないけど。

しかしそれでも文体問題じゃないし、言葉だけでの問題じゃなくて、言葉を操ってそういう学問的に高度な領域に至ることができるような知性も必要で、そこには才能の比重が大きいと思う、俺なんか多様体の本どころか松坂の集合位相論で20ページでつまづくような数学の才能皆無な人間だったけど、こういう本によって人類は着実に深遠な方向へと思考を到達させていることは感じられるよ。

そもそも数式なんかは「写経」したところでその数式の言わんとすることを自分自身が分かったうえで出力できるようになるわけじゃないからなあ。門前小僧習わぬ経を読むから論語読みの論語知らずよ。写経することによって得られた数式の暗記や受け売り的な出力は記憶力はともかく知性については何も保証しないよ。

2021-09-03

anond:20210901121351

ワクチン打った時点で既往歴とかアレルギーとかの所謂カルテが作られることになると助かるよね

カルテはかかりつけの病院けが持ってるものから病院移るときには紹介状って形で申し送りされるよね

それを

一度は医療行為を受ける場所に足を運ぶことで前提条件をある程度明確に社会に共有できるようにしておいてから病気の際は病院診療を受けに行けるとしたらまるっきり最初から検査する人間の初診より早く済むんじゃない?

それが増えたらベッドが埋まる率も抑えられるよね

適切な治療必要な人が適切に受診できるようになる

現在コロナ病院入口をせき止めるような形になっているから、その門前でせき止めてる人数を減らすためにも症状が重篤化しない人間が多数になるように、受診歴のある人間が多数になるように接種をすすめてるよね

そして

接種した人間が、いざ診療必要となったときには初動が楽になるので病気になる確率がすこし高くなる行動範囲まで足を伸ばしてもよいという判断には妥当性がでてくるよね

人が活動しないので消費も生産もされていなかった自粛エリアに人が立ち入ることができれば、消費もすこしふえて生産産業がすこし復活するよね

そのすこし危険だけど少し復興のために拡張したいエリアに「受診したこともないワクチンを接種してない抗体のない人」を入れるメリットは、パスポートとして確認できるように発行した接種者と混在させるところにあるかな

病気になったらまず入口をせき止める人が病気になる可能性がすこし高くなる所に、それを考慮した人が対策をしてきているところに来るのは、そうせざるを得ない特定個人でない場合以外は、メリットはないと感じるね

そういう意味において

ワクチン打ったかどうかという具体的なフラグをたてた人にパスポートを渡すというのは単純でわかりやすくよいと思うけど厳密にいうと「病院に行ったら対処やすい人」とか「抗体をもってる人」のほうが適切なのかもしれない

今はたしかワクチン接種を受けるだけなので初診がとかカルテがみたいなことはないと思うけど、注射にあたって個人的にあらためて自分健康状態とかを人に伝えられるような状態レベルまで確認することになる人は多いでしょ

それだけでも助かると思うんだよね

初診で問診を受ける人数がそれぞれ数分でも減るとそれはいい事なんじゃないか

そういう前提があった上で

①お店はどう分けたり対処したりするの?

 これはお店が損しない程度でそれぞれに努力すればいいのでは

 人員の数として割ける限界もあるだろうし、広さや設備問題もあると思う

 お店も感染者を増やして客数の分母を減らすことが結果として出るのなら長期的な経営プランは建てられないよね

 だと短期間に感染するリスクをもちつつまとまった分だけ営業して、あとは維持費を極力おさえて休業して協力金とか申請するほうがいいか

 どちらにせよ無策で長期的に営業を考えると客を自分で減らすか、策を講じるためなどの対応コストジリ貧になるかじゃないか

 お店が損をしない選択対策になるとしか言えなさそう

②接種しないできない人はどうするの?

 どうしようもないのでは?

 そもそも目的が「打ったか打ってないか」という動作の選別といういわれなき不利益利益のためのものではなくて、打ったことで得られる選択肢の実質的分岐なわけで

 ワクチン打ったところで抗体がなければパスポートは取り消しになるべきだろうし、ワクチン打っただけでなんのデータもなく病院を目詰まりさせてるのはパスポートもって活動してる人となればそこに規制が掛かるべき

 ワクチンは体質的にうてないので、免除をするが、それには理由があるので「感染して病院でまず初診の行列をつくる事になる要因」の人も行動範囲対策済みの人と同じにする、だとパスポート存在意義とか意味とかないよね

 どこまでワクチンで行動ができるのか、接種の有無で別れるのはどんな状況なのか、そういった事はわからないし、たぶんはっきりしてない

 ただ、わからいから無策で、無策だから境界をなしで、とするわけにはいかないか想像される境界線を定義するひつようがあるよね

 まずデータがなくても見当でつくらないとデータが出そろうのがいつになるのかわからないし、仮にいつなのかと日程をきめたらわかっていようといまいとその日の判断がそれらを分かつ基準になるよね

 実質あとからデータがあってた間違ってたとなるかもしれないけど、まずやってみないとどちらも結果はでないよね 

 間違っていたので繰り返すべきじゃないとかあってたから推進すべきとか、まず間違いだとしても間違いだったというデータが得られるようしてみないといけないよね

 しないで間違ってるだろうからあとでよかったらしなくてよかっただろって言いたい、でもやってみて結果が同じだったらやってよかったとはいいたくない、そんな理由より「ただデータを集める時期である」として実施する意味はあるんじゃない?

 そのためにはしっかり「データを取る対象」は限定しないと判断に足りるデータはあつまらないと思うよ

パスポートの終了条件は

 いろいろあってもいいと思うけど「未接種で未受診の人の初診がスムーズに受けられる程度に病院の占床率が下がる」とかでもいいのでは?

 基本的に「病院の前が行列になっていて関係ない病気怪我治療が受けられない」ような状況を回避できたらいいと思います

④他の病気は?

 行列になって検査が受けられないようなものはみんなそうしたらいいと思う

 ほかに行列が出来てたり先生が予約制になってるような疾患は、予防してその先生病院に見てもらわないといけないようなものはしたほうがよさそう

 たとえば糖尿病とか高血圧とか、検査したら検査したっていうパスポートみたいなのを交付して飲食店で割引をうけてもいいかもしれないね

 結果的食事で体調を崩して来なくなる客を作るより、健康にずっと足を運んでくれる客をつくったほうが長期的には得でしょう

2021-08-18

保健所は頑張っちゃいない

例の567ウイルス1月に近親者を亡くした。

1月なのでまだ今ほどひどくは無い頃だ。

その頃、メディアは「保健所は逼迫している。頑張っている。」みたいな論調だった。

だが、亡くなったあとに色々話をきいているうちに、少なくとも管轄保健所はそんなのは微塵もなかった。

保健所の連中は、「本人が大丈夫と言っている限り、何もしません」と言い放ったそうだ。

要するに自分で元気だと頑張る年寄りには冷たく、弱音ばかり吐く年寄りには手厚くするらしい。

まあ、後者に対しても割と冷たかったそうではあるが、入院調整ぐらいは片手間レベルでやってくれたらしい。

最終的には意識朦朧とした頃に同居人救急隊を呼び、同居人必死に説得してやっと乗ることにしたそうだ。

結局、設備が整っていない広域病院に運ばれたが、数週間でこの世を去った。

本人は人一倍健康に気を使い、主治医にもまだまだ長生きすると自信を持って言われていたぐらいだ。

だが、逆にそれが本人自身過大評価につながり、このような結果になったのかもしれない。

ちなみにわざわざだったので最初に書かなかったが、民間病院の連中は他人事であり、一切の信用はおけなくなった。

発熱するだけで門前払いだったらしい。亡くなったことをつげたら、門前で「残念です」と言われたらしいが、

方便しかないだろう。

増田普段見ていないし、今の社会もっとひどい有様なので、いまさらすぎる内容だと思うし、別に共感批判もされることも期待していない。

ただ、もしこれを見ていて、まだ間に合う状況だけど同じような性格の人が居た人にだけ一言言いたかった。

保健所の連中は信用するな。」

いまさら?すまんないまさらで。

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