「鎖国」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 鎖国とは

2024-09-27

anond:20240926234427

江戸時代のように鎖国してたまに自然災害に苦しんだりしながら生きていきます

2024-09-26

平家が勝ってたら違った日本になってた?

光る君へのせいで源氏物語さらいして、ちょうどテレビ英語源氏物語の話やってたからこっちも覗いてみようかなとか思ったとき大人人形劇っていうのを見つけて観てみた

平家物語

人形劇ってそもそもあんな凄い感情表現できるってびっくりしたけど、今日はその話は置いといて

平家って西日本ミカタちょっとうれしす。あと海の民を束ねてたっていう感じがいい、海賊でもいいから海を支配してる感はすき

後半ヨシツネ様が乗り込んでくると乗り換えられちゃうのは可哀そうだけど

そういう源氏平家を滅ぼすストーリーがどっかで失敗して、平家がいまでも西日本で力を持ってたら面白かっただろうなって

日本て、アジアの端っこの海に浮かんだ全部が港でもいいような島じゃん

源氏平家を滅ぼしたあげく、なんだかわからない将軍かいう人が幕府をひらいちゃったもんだから

島国っぽい貿易での利点とか、中国韓国と仲良くする民族性とか、そういうのが鎖国でなくなっちゃった

平家時代のまま、まぁ貴族平民農民貧富の差が激しくなったりするのはあるかもだけど、海の民が西日本から日本を収める世界になってたら

しかしたら、今の時代にすごく役に立ったかもしんないなと

アジアのはしっこで、ユーラシア大陸アメリカ大陸ロシアオセアニアの海の貿易の中心国みたいになってさ

お金持ちと外国のおかげで生きてるようなせこい国民性になったかもしんないけど、それでも

アメリカの影響をこんなに強く受けることもないし、中国ロシアが攻めてくるぞーってビビる感じも今ほど考えなくていんでない?

貿易中心でみんなのお陰様で成り立ってる国にした方が、周りの国とけんかしづらいし、相手一方的占領とかしづらいじゃん

平家のが良かったんじゃないかなぁ

光らない君でも、なん百年も経って周りの国から侵略をまじめに考えるのが大変になったりはしなかった気がするなぁ

レプリコンワクチンに関するチェーンLINE

今日、弊社ボスから社員全員に、下に貼るチェーンLINE転送されてきた。

ボスいわく「このLINEの内容には、医学的根拠があるの!陰謀論とかじゃないの!必ず読んで!」

読めと言われたから読んではみたものの、一体どういう知能だとこれを鵜呑みにできるんです?って本気で心配になるクオリティ文章で、内容の真偽以前にまず添削必要っていうか、

ねえ……弊社のボスやばくない?

このまま着いて行って大丈夫かな?

転職考えた方が良い?

とにかく、そのチェーンLINE、ここまでアレだとむしろ面白いってレベルなので、みなさまにも是非ご覧になって頂きたい。

二通あります




貴重な情報です‼️

周りにも教えて上げて下さい。

  ⬇️

今秋、始まる「レプリコンワクチン」についてです。

これは従来のコロナワクチンとも、全く別のものです。

(危険)超完璧生物兵器」と呼んだ方がよいかも知れません。

一回、身体に入ると、スパイクタンパク永久に作り続け、止める作用は有りません。

スパイクタンパクは、『かなり毒性のある物質である事は、海外では常識』となっています

このワクチンの恐ろしいところは、打った人の唾液、呼気、汗、体液から他人電波し、スパイクタンパクを作り続ける可能性があると言う事です。

レプリコンワクチンは、世界日本けが承認しました!

明治製菓提供し、他の会社も参入する予定です。

海外ではその危険性ゆえに製造中止となっています‼️

日本政府は、5000億円を明治製菓に補助するそうです。

海外学者は、日本人がどうなるかで検討する予定だそうです。

このワクチン接種者から感染動物にも移るそうです。

マウス実験をやればすぐに分かる事なのに、日本政府はやりません。あくまでも“ 日本人で実験”するようです。異常事態です。

日本中にワクチンパンデミックが広がれば当然、日本人は他国から入国禁止にされますし、海外からも1人も来ません。鎖国状態になり日本自然消滅します。

今は、安全だと言う学者危険だと言う学者に別れています

ただ、リスクがある以上、やるわけにはいかないのが常識というものです。

日本政府財界は全くこの危険性を無視しています

皆に知らされていません。

しかすると、あるもの達の意図的計画可能性があります人口削減計画日本人でやるという事です。モルモット計画です。

これは絵空事では有りません。現実です。

周りの人に教えて下さい‼️

時間が有りません‼️👁️




社会的に信頼ある方の主治医から伝言お伝えします。

今迄のワクチンも接種に賛成ではなかったですが

今回のレブリコンワクチン💉はどんな事が有っても決して打たないで下さいね。と。

このドクター若い時に大学病院治験仕事をしていたから余計に色々分かるそうです。

今回のレブリコンワクチン世界中で許可されたのは日本のみ。

欧米アジアオセアニア全て許可されてないにも関わらず日本けが許可され政府が推奨してます

アメリカから押し付けられ日本日本人だけが治験される。

このワクチンは体内で増殖し続けて止まらないばかりか、人に感染する猛毒成分です。

シェディングでワクチンを打ってない人にも呼吸や会話や汗や排泄で猛毒ワクチン成分を家族や近くに居る人等に感染させて影響を及ぼします。

実際に九州大分で行われた新しいレプリコンワクチン治験では5000人がワクチンを打った後

即死が数人、

1週間後死亡十数人

1〜3か月後体調不良や寝たきりが100人単位

日本中がワクチンで侵されると外国から日本には行かない。日本人は入国禁止にされ鎖国状態になります

TV新聞などマスコミ政府に統制されワクチン副作用の事は表には出せない。

政府特に高齢者にはインフルエンザ帯状疱疹にも効くと言って新しいワクチンを接種する様に促します。

このドクター自分も 今迄ワクチンは1本も接種してないし勧めていないそうです。

伝えてあげれる人には新しいワクチン絶対に打ってはダメだと本気で伝えて欲しいと言ってます

絶対に次のワクチンは打ってはいけないとの事です。

2024-09-21

戦前なら「暴支膺懲」だったのだろうな

暴支膺懲とは、「横暴(=暴戻)な中国(=支那)を懲らしめよ」という戦前言葉

1.中国大陸で在留日本人に対する殺傷事件が起こる

2.日本世論が激高する

3.日本政府は中国政府に抗議せずに静観する

4.日本人のフラストレーションが溜まり反中感情高まる

5.一線を越えると、日本実力行使する

結論としては、日本中国と関わらない(対中鎖国)が最適解ということになる。

2024-09-13

anond:20240913185208

日本 独特、鎖国してたし

ニュージーランド 白人の国

イギリス 欧州

アイスランド 北欧文化、小さい

アイルランド 白人

台湾 中国

キプロス 小さい

シンガポール マレー人中国

マルタ 小さい

 

ほら

まあ今後マレーシアとか成長したら独特な感じになりそうだけど

ガラパゴス貧乏

 

ツッコミとしては「日本中華と同じ」と言われたらそうかも

2024-09-12

anond:20240912234122

鎖国してただけで、海外に出てたら普通に同じことしてただろ

2024-08-25

anond:20240825163218

オタク日本人自体が全体として受身でテイカーなんだよな。何もしないで白馬王子様(票や金がなくても国民のためだけに完璧政策を実現する夢のような政治家)を妄想してるだけ


セルフイメージ常識的人畜無害

都合のいい夢小説自己投影してるだけで情報鎖国してて批判に耐えられない

anond:20240825002717

増田ダメなところを教えてやる。

まず、結論部分で「面白ければよくない?」と主張しているが、これはあまりにも浅薄だ。表現の自由は確かに重要だが、歴史文化に対する理解尊重必要だ。無責任視点ではなく、もっと深く考えるべきだ。

次に、「俺、海外の"弥助"が出てくる作品をチラッとだけど見たんだ。それで、面白いと思った。」と言っているのに、具体的な作品名や内容について言及していない。具体的な例や根拠を示さな意見説得力に欠ける。

続いて、日本鎖国時代を引き合いに出しているが、その比較は的確ではない。日本鎖国特定歴史期間であり、その期間における外国との関係性は複雑だった。軽い例えで済ませるのではなく、もう少し詳しく述べるべきだ。

さらに、「アイディアの宝庫じゃない?」のような漠然とした表現が多すぎる。具体的な事例やデータを挙げて、自分の主張を補強することが求められる。

また、「UBIsoft歴史学者も滅びろと思うけど」といった過激発言は、議論建設的に進める上で不適切だ。批判するにしても、もっと冷静に、事実に基づいて批判することが重要だ。

最後に、「Fateジャンヌ認識かに対して色々海外から言われたとしても、うるせぇ!面白けりゃいいだろ!!!」という発言無責任だ。創作物に対する批判議論は、相互理解を深めるためのものであり、無視することでいい結果になることは少ない。

どうだ増田。返信は不要。礼も不要だぞ。

弥助問題について思ったこ

 結論から言うと、"黒人侍弥助"自体は叩くべきじゃなくて、面白ければよくない?という事が言いたい。

 俺、海外の"弥助"が出てくる作品をチラッとだけど見たんだ。それで、面白いと思った。

 だって日本に置き直して考えればさ、日本鎖国していたような時代に、海外日本人の騎士イギリスで暴れまわっていて、しかもそれがエリザベス女王に仕えてたとか、そういう話だよ?

 そんなの面白いに決まってる!俺だったら絶対創作ネタにするし、実際海外人間は色々妄想したんだろう。

 海を超えた向こうの創作者の頭の中では、いろんな日本があって、そこではいろんな"弥助"が活躍する。それって、とても良い事で、楽しい事だと思うんだ。

 ここじゃない何処か、つまり海外って、アイディアの宝庫じゃない?例えばジブリだって海外イギリスとかだっけか)を元にして魔女の宅急便を描いて、私達(日本)でも、海外でもない美しい楽園を創り上げた。そしてそれは、世界中何処でも評価されたんだ。自由創作って、そういう物だと思う。

 弥助も、きっとそうなれる可能性があったと思うんだ。例えば歴史上の坂本龍馬なんかは実際には色々あって最近では教科書から省かれたけれど、創作の中の"坂本龍馬"像ってのは残り続けるだろう。力のある創作物というのは、モチーフも何も失われても力を持ち続けるから。だから、今回の事件で"黒人侍弥助"という創作がおそらく無くなってしまうのが悲しい。

 もちろん歴史学者の政治思想やら、UBIsoftがどうのとかはある。でもさあ、んなこと知ったこっちゃなくない!?いい例えが思い浮かばないんだけど、Fateジャンヌ認識かに対して色々海外から言われたとしても、うるせぇ!面白けりゃいいだろ!!!って言いたくなんない?UBIsoft歴史学者も滅びろと思うけど、既におそらく海外で固まっていたであろう"弥助"概念を使おうとしていた創作者のことを勝手に考えてしまう。まあ全部妄想だけどさあ……

結論!!!UBIsoftはクソ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2024-08-24

anond:20240824152721

こんな事を考えているなんて日本人は恐ろしいな

一生鎖国しててほしい

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

2024-07-23

anond:20240723162621

以下に、春画黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言える根拠を示します。

1. 春画テーマ目的

春画は主に性的な内容を描いたものであり、当時の社会全体の風俗現象網羅的に描写することが目的ではありません。したがって、春画特定社会現象(この場合黒人奴隷)が描かれていないからといって、それが存在しなかったという結論にはなりません。

2. 描写選択性:

春画制作は、作家意図や興味、そして市場需要によって影響されます作家が描く題材は限られており、特定グループ現象が描かれていないことは単にそれが作家やその時代市場の興味の対象外だった可能性があります

3. 他の歴史的記録の存在

黒人奴隷存在非存在証明するためには、春画以外の歴史的記録や文献も考慮する必要があります交易記録や外交記録、他の文学作品絵画など、多角的証拠必要です。春画だけを根拠結論を出すのは歴史学的に不十分です。

4. 社会的・文化的背景:

江戸時代日本鎖国政策を取っており、外国人存在自体が非常に限られていました。その中で黒人奴隷がどの程度存在していたかは、他の歴史的証拠を基に慎重に検討する必要があります春画に描かれていないことだけでは、その存在非存在判断することはできません。

結論

春画黒人奴隷存在を示す証拠として不十分である理由は、春画テーマ目的描写選択性、他の歴史的記録の必要性、そして当時の社会的・文化的背景にあります春画だけを根拠黒人奴隷制度存在否定することは、歴史的検討として不適切であるため、春画黒人奴隷がいない証拠として全く使えないと言えます

2024-07-21

anond:20240721130231

せいぜい、メキシコ工場アメリカに戻すくらいじゃないか

日本車ドイツ車もメキシコで作ってるよな。

メキシコで作れば、北米自由貿易協定関税からんからだし。

メキシコの安い人件費米国企業製品世界中に高く売ればいいんだろうけど、メキシコで作って米国内に売ってるだけだし。

鎖国したいんじゃない?

2024-07-12

anond:20240704092610

ついふぇみみたいに、X反AIで分けにゃらなんよね

とはいえ世界中協調できるわけでもなく、鎖国せなんだら

特にアニメ漫画イラストで現状強い日本コンテンツ海外にやられるわけで

バランス、速度はムズイが規制かけまくりストップかけまくりでは 

盗撮に使われるでしょ→じゃあシャッター音慣らして、LED光らせまっせ

ぐらいの落としどころみたいなのが

2024-06-28

日本企業文化土人はいっても徐々に良くなってるよな

たとえばSIMロック

キャリアがわざわざ時間と労力かけて端末ごとに使えるSIMロックしてた。

意味わからんかったよな。もう禁止されて3年になるが。

 

鉄道会社の乗り換えが歩かされるケース。

50年前とかに鉄道会社同士のくそしょーもない縄張り意識ででそうなったケースが多いらしい。

いまは乗り入れとか活発になってきている。

 

全体的に、鎖国マインド?というか土人みが減ってきてはいる。

「なんでそーなるのっ!?」(欽ちゃん)みたいな妙な制約ごとがなくなってきている。

この先5年10年と、AIで加速するだろな。

一言でいうとバカが減る。

2024-06-25

anond:20240625154417

つい最近までコロンブスの話とかで盛り上がってたのに

ここにきて「日本が加害の歴史で成り立ってる」とか言い出すのはつまり

日本なんか欧米植民地支配最盛期だったとき、ずっと鎖国してた国なのに…

2024-06-23

anond:20240621211622

まさにそのオーストリアに先日旅行した者だけど

首都ウィーン日本鎖国してた頃から観光都市、受け入れに慣れてる

スイスドイツチェコハンガリーに近接しているので周遊する人が多い(長期滞在しない)

日本大都市はもともと住民だけでも過密状態、ここは人口が少ないので観光客が入る隙間が充分にある

西側はほぼアルプスなのでスキーリゾート需要ウィーン観光はしない

だいたいこんな感じ、日本とは条件が違う

なおそうはいっても観光客で過密してるエリアはやっぱりある

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん