はてなキーワード: 銀河鉄道の夜とは
アクタージュが終わった。
色んな感情はあったし感情が落ち着いたのでこの文章をかけるようになりました。
きっと僕はこの感情を忘れてはいけないと思ったからこの文章を書いています。
アクタージュ
話の作りも上手く、そしてそれを描くキャラクターも生きている
一つ一つの章の話の作り方も良く、特に僕は『銀河鉄道の夜』編は屈指のエピソードだと思っている
僕は本当にあの漫画が大好きで、打ち切られてほしくなかった。だからこそ多分この漫画が合うだろうという友達に熱心に薦めた。そしてほぼすべての人が単行本を買ってくれた
すごいうれしかった。僕が好きだった漫画は、夜凪景はそれだけの力があったんだって思えたから
でも終わってしまった。終わるなんてことはあっけなくおわってしまった
アクタージュ
本当にそこに芸能事務所が実在するかのような「スタジオ大黒天」(作中主人公の所属事務所)と命名された公式サイト
あくまで漫画ではなく夜凪景とのコラボをするタイアップ(消防、イヤホン、芸術校、本屋の一日店長etc)
実際に僕がアクタージュをちゃんと知ったのは正直に告白するとこの消防署のポスターを見た時である。
この時「なんかきれいな絵がポスターになってる」くらいの認識だったんだけど改めてジャンプを見返したらその子がジャンプに載っていたのは衝撃だった。
本当に夜凪景女優化計画は「そこの夜凪景がいる」としたら、というものが前提で動かれていたと思う。
例えば「スタジオ大黒天」に電話をしたら柊さんと思われる女性が電話を返してくれたし、メールをしたら夜凪景に関するポートフォリオを返してくれたりもした。
正直にこれは相当編集担当もしくは原作の方、はたまた当初からアクタージュにかかわってくれたすべての人たちの熱量の結果だと感じていた
その流れの一つが実写化、舞台化だったと思われるしそれも一度でいいから見てみたかった。
それでもいつか、僕の頭の中に、皆さんの頭の中にいる夜凪景が新たに女優として輝くステージに上がることを祈っています。
最後に
本作に関わってくださったすべての方、本当に好きな作品で、本当に夢中にさせてくれました。ありがとうございます。
原作と作画の二人でやっていたらしいがその原作の人が女子高生に痴漢行為を働いて逮捕されて、事態を重く見た編集部によってアクタージュは連載打ち切りになった。
これについて色々言わせてほしい。結局、無力な俺にはここでこういう風に文字にすることしかできないから、しないから、攻めたことも言うけど許してほしい。
アクタージュという漫画を知ったのは友達からだった。「今週の新連載、面白いよ」そう言われてコンビニで立ち読みしてみたら確かに面白い。もともと演劇とかお芝居そのものが好きだったから(学校の演劇会とかはセリフの多い役をやりたいタイプだった)、すぐにはまった。絵も綺麗だったし。
そんな俺がこの作品にもっと深くハマることになったのは「デスアイランド編」だった。千世子という美しい自分だけを魅せ続けることが全てだと思ってる役者に夜凪の忍法「役入り込み」が炸裂して千世子が初めて歪んだ顔を画角に収めることを許してしまうシーン、最高だった。他人の警戒のない横顔を盗み見ることが好きだった千世子がデスアイランド編の最後で今度は自分の横顔を撮られることになるって演出。どっちが考えたのか知らないけど、天才だと思った。
そのあとの「銀河鉄道の夜編」も好きだったし、今やってる「大河ドラマ編」も素敵だった。子役の皐月ちゃんが夜凪と関わってどんな風に変わっていくのか楽しみで仕方なかった。それなのに。作品は打ち切りになった。
これについて文句を言いたいわけじゃない、と言いたいところだけど嘘。めちゃめちゃ文句を言いたい。いっぱい言ってく。きっと言っちゃいけないところまで。
まず1番は原作者!しょうもない欲情なんかすんなよバカ。お前の作品がどれだけの人をワクワクさせてるかなんて考えたことあんの?人としてそもそも責任のない違法行為だけど、その前に作者として責任を持って生きて欲しかったよ。責任を持って作品を届けて欲しかった。痴漢したくなってもさ、「いや、俺はまだアクタージュを完成させていない」って踏みとどまれよ。それくらいのことする義務があると思うよ。責任を持って生きるなんて、俺自身できてないから偉そうなこと言えないけどさ。それとも責任のない人間だからこそあんな作品が書けてたのかな。思えばゴッホもベートヴェンも太宰治も芸術家ってほんと社会性のないエピソードばっかだな。芸術ってほんとつくづくトレードオフだ。
次!編集部および宇佐崎先生。あんたたちも同じだよ。俺の主観で勝手なこと書いてて申し訳ないよ。それはわかってる。でも、作品の価値を誰よりもわかってるあんたたちだからこそ、なんとか休載でお茶を濁すみたいな英断をして欲しかった。そりゃそんな決断をしたらたくさんの暇人が自分たちに関係ないのに「ありえない」「被害者の気持ちを考えろ」とか群がってくるよ。そんなの予想できてる。でもさ、あんたたちはみんなわかってるはずだろ?作品に罪はないってこと。あんたたちの決断はアクタージュという作品に終止符を打つ、言い換えればアクタージュを殺すってことなんだよ。殺された作品は満足な死に方も選べない。打ち切り漫画でさえ、安楽死を選べるのに。ひどい話だと俺は思うんだよ。俺ですら思うんだから、あんたたちが思わないはずないんだよな。きっと、ほんとにつらい思いで打ち切りを決断したんだろうな。そう信じたい。今の時代、もし続けるなんてことを選んだらわけわからんやつらがいっぱいよってくるもんな。場合によってはイメージダウンで経営が傾いて他の漫画まで死ぬ、そんな最悪の事態まで起こりうる。そんな断腸の思いでの決断なのかな。もしそうなら、もうこれ以上文句なんて言えないよ。言えないけど。それでもやっぱり英断をして欲しかったな。無責任な立場だからこんなこと言えるのはわかってるけど。
次!世間の誹謗中傷が生きがいのやつら。有名人に誹謗中傷して追い込む奴らにも言いたいことはあるけど、今は「作品と作者を切り離して考えられない人間」全員に文句を言いたい。そう、RADWIMPSの野田洋次郎が優生思想発言をしたときにRADWIMPSの曲まで叩いてたお前に言ってるんだよ。創作者本人ならいくらでも叩けばいい。でも、その人が作った作品を悪く言うのは意味がわからん。作品ってのは子供だろ?親が何か悪いことをしたら子供まで悪く言うのか?あっでも"昔"はそういうこともよくあったって聞いたことあるな…。察した。そんなインターネット老人がこんなとこ見てるとも思えないけど、このはてな匿名ダイアリーは「王様の耳はロバの耳ー!!」って叫ぶ穴なんだから気にせず叫ばせてもらう。芸術の価値って創作者とは無関係なの!!それが本来なの!!ヒトラーの描いた絵見てみ?めっちゃうまくて感動するから。そりゃ創作者本人に何か強烈な嫌なことされたら作品を恨みたくなる気持ちもわかるけど、理性ではわかっててほしい。作品と創作者は別物ってこと。理性でもそんなことがわかってないやつらが世の中たくさんいて、そいつらが謎の執念でクレームを入れるからこうやって編集部は打ち切りみたいな厳しい措置を取らざるを得ないんだよ。悔しいよ。なんでそんな暇なんだよお前ら。そんな暇あるなら今日食うつもりの晩御飯のことでも考えてろよ。そっちの方が楽しいぞきっと。
最後。これは先に言っとくけど俺の考え、言葉、すべて間違ってる。完全に俺が悪いし、叩かれるべきだし、理性ではそれらすべてわかってる。わかってる上で言う。被害者。アクタージュって漫画のこと、知っていましたか?週刊少年ジャンプで連載していて、夜凪景って女性が演技についてたくさんのことを学びながら女優になっていく話です。毎週更新される話を楽しみに待っていた人たちがたくさんいるんです。もう話の続きが永遠に見られないことを俺はまだ受け入れられていません。それほどにあの作品に熱中していました。あなたの受けた心の傷がわからないがゆえの発言です。自分でも最低だと思います。こうやって自分が最低とか言って保険をかけてる、それすらもクソだと思ってます。犯人が漫画の原作者と知ったのはどのタイミングだったんでしょうか。何か、なんとか打ち切りだけは避けるようなそんな働きかけはできなかったんでしょうか。ああもうだめだ。最悪の発言だ。ごめんなさい。本当にごめんなさい。それくらい今動揺しています。次の号の、アクタージュの載っていないジャンプを冷静に見ることができる自信がなくて、こんな拙い文章を書きなぐっているんです。ほんとに自分が被害者じゃないから言える、無責任でクズみたいな言葉です。でも、それでも、俺はやっぱり、被害者じゃないから、アクタージュの大ファンだったから、痴漢ごときで殺されていいような作品じゃなかったと思ってるよ、今でも。あえて、「ごとき」なんて表現を使った。きっとこういうところでもいっぱい叩かれるんだろうな。まずこの文章が人々に読まれなければそんなことも起こらないか。どっちでもいいけど。殺人でも、強姦でもなく、痴漢なんだよ。原作者の痴漢なんかで死んでいい作品じゃなかった。それだけは絶対に、どんなに罵られても絶対に曲げない俺の気持ちです。
上にあげた文句、すべて八つ当たりです。一番悪いのはきっとこんな風に諦めの悪い、性犯罪の重大さへの理解力のない俺自身だし、痴漢をするようなやつの作品に心酔してしまった俺自身だし、挙げ句の果てにこんな風に文章を書いて読んだ人を不快にさせてしまう俺自身です。
全部理性ではわかってるけど、それでもアクタージュに動かされた心の一部分がずっと、つらい、悔しいって叫んでるんです。なんの罪もないアクタージュという作品が俺を含めたくさんの人の頭の中で生き続けることを願ってこの文章は終わりにします。
これ、「男女逆なら散々叩かれるはず~」というコメントを結構見たけど、個人的には挙げられる例がなんかピントずれてる気がするんだよね。
男女逆にした例として、
「ナース服と献身的で優しい女性に萌えるから看護学校に進んだ」とか
「華やかでスタイルの良い美人が多かったからアパレル系の職場で働いて毎日目の保養にしてる」とか、
だとニュアンスが違って、
「普段はコミュ症だけど宮沢賢治の話題になると銀河鉄道の夜ブルカニロ博士篇について熱く語りだし、その後はオノマトペで会話しようとしてくるような浮世離れした文学少女が好きで~」とか、
「ハリネズミとか芋虫みたいな服を最高に美しいと思って真剣にデザインしているような独創的な世界観の女性が好きで服飾系の学校に進んだが…」とかそういう話だよね。
つまり、増田にとって実利はないんだけど、「相手が好きなものに熱中し、その道を真摯に極めていく姿」にフェチズムを感じていると思うんだよね。
相手の視界に増田が入っている必要はないわけよ。まさにファン。本当に上手い表現だなぁと思った。
そして、例の増田ほどではないにせよ、女友達と会話していると、そういうフェチを持った女性は少なくないように思われる。
男性の細かい発言とか日常生活で垣間見える性格とか、かなり観察していて、ピンポイントでマニアックなポイントで恋に落ちた話をよく聞いた。
対して男性は、惚れている女性の内面についても、捉え方の大雑把な人が多い気がする。
「いつも明るくて前向きなところに癒される」とか、
「自分といるとよく笑ってくれるから嬉しかった」とかはわりとよく聞くんだけど、
なんか、彼女が一人でいるときどんな風に過ごしているかはあまり気にならないんだろうか、そんな解像度で結婚まで決めてしまって大丈夫か、みたいに思うときがある。
まあでも、女性に対してだけでなく、自分自身の内面についても解像度が低い人が男性には多いと感じる。
仕事や家庭でストレスを少しずつ貯めているのに、自覚がなく、ある日突然ぽっきり折れてしまうような人。
男ならうじうじするな、女々しくするなと言われて育った影響とか、成果主義の仕事だけを長くしてきた影響もあるんだろうけどね。
そういう事情があるにせよ、女性の内面に興味が薄そうな男性が多い世の中で、自分には利益もないのに女性のオタク気質に好感を持って性的にも惹かれる男性がいるとしたら、
それほど悪い気もしないのではないか、と私は思いました。
調子に乗っていたら、
とにかく大量の伝票を
私のやってることは仮想空間で、
これ今のタンポポだっけ?菊だっけ?って
怯えながら最初の一歩を踏み出すわけよ。
信じることにしたの。
それが一番大事!って言ってたわ。
実際ミカン倉庫の出荷からそのような商品はないというクレームが来ない限り、
私の伝票発行は間違っていないはずだから、
後は野となれ大和撫子というわけよ。
なんだか一丁前に
世の中の物流のな!って語り出したい気分だけど、
そう言う人に限って特に何もして無くて、
伝票発行機の端末の前で右から左へと
CSVを流しては出し流しては出しって感じの
覚えた手の人でも初めての人でもできる簡単なお仕事ですって感じすら漂い
私は猫ちゃんがいたら良いなって思うの。
きっと猫の手も借りたいところと言いつつ、
とりあえずね、
とりあえず午前中よく頑張ってくれたからって
手のひらに銀貨を3枚頂いたの、
実際は2枚だったけど、
帰りに銀貨1枚残るので
それで牛乳を買うの!ってそれ銀河鉄道の夜のジョバンニ!ってツッコみたくなるほどだったわ。
いいとしましょう。
でももうこんな感じで
とてもどの面下げておはようございます!と元気だけはあるようなふいんきで、
って変換出来ないふいんきを残しつつ、
って、だからそれは銀河鉄道の夜のジョバンニ!ってツッコんでもいいんだかんね!
うふふ。
昼ご飯を食べた後に言うのもなんなんだけど、
あと牛乳とヒーコーと。
カルのシウムは摂取した方がいいって言うし、
そのビッグウェーブに乗っかってるだけよ。
昨晩から漬け込んでおいた、
漬け込むというとお漬物みたいに聞こえるけど、
これは漬物じゃなくて
デトックスウォーターよ!って言い聞かせてモーツアルトの曲を掛けてビニルハウスで育てた苺とはまた違う感じに思ってくれるかもしれないってね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!
ないんだよな……。
間接的な影響を考えると月姫とKANONなんだよ。子供の頃好きだったブログ、あの頃は個人HPだったかな。リアルでちょっと接点があった従兄弟よりもう少し遠い血縁にいる面白い兄ちゃんがやたらと面白い面白い言っててさ、それで気になって、結局ゲーム自体はまだやってないんだが気づいたらそういう道にな。
その兄ちゃんがそういうゲーム始めてなかったら、きっと俺ももっと別の道を進んでたんだよ。ゲームといえばFFとスマブラとモンハンでさ、大学でワンダーフォーゲル部にでも入って適当に彼女でも作ってさ、そういう人生だったんだと思うんだ。
んでまあ今は当然のようにいい歳こいてゲームや漫画に相変わらず囲まれてるんだけどさ、それでも人生を変えた作品とかねえなあって。
コミックボンボンって言う今はもうオタクぐらいしか覚えないような子供漫画雑誌に載ってた漫画なんだけどさ、エッシャーとかティム・バートンの影響とか受けまくってるような作風でさ、子供心にセンスいい漫画もあるんだなって思ったんだよ。王泥棒ジンは普通に面白いから読んでくれよ。キノの旅とルパンとティム・バートンを足して割ったような漫画だと思ってくれれば大体合ってるからそれで興味持ったらオススメな。
小学校以降に読んだ作品で特にコレに影響受けたーってのはないんだよな。読んであーなるほどなるほどーってなる作品はあっても、価値観が揺さぶられたりはせんのよな。lainや攻殻機動隊見てスーパーハカーかっけーと思っても自分がIT系に行きたいとは思わなくて、今は普通に商社マンだしさ。銀河鉄道の夜を5年おきぐらいに読み返すと、妹萌えとかBLとか少しずつ理解していってる自分が汚れたのか多様な価値観を学んだのか考えちゃうけどさ、だからって俺には萌える妹も男友達もいないからかんけーし。
たまに有名人が「この作品で人生変わりましたー」って言うけどそういうのあるのかね。イラストハウツー本買ってお絵かき始めた時はこれで人生変わると思ったけど、気づいたら10年ペンタブ握ってねえしなあ。何も変わってねえよ。太った後でダイエット本読めばなんか変わるのかな。
不良にでもなろうと思ってた時にファイトクラブ見て俺はここまで出来ねえからグレるのは無理だなーって諦めたとか、メンタル死にかけてる時にニュー・シネマ・パラダイス見て涙流してからふと俺にここまで最高な関係は一生気づけねえんだろうなあってスタンド・バイ・ミーのラストみたいな事考えていよいよ死にたくなかったら精神科のドア叩いたりしたけどさ、そういうのって作品がなにかを及ぼしたんじゃなくて、俺の中で1週間後に組み上がる予定だったパズルをその予定よりちょっと早く予定通りの形で組み上げただけだから「人生変えた」じゃないんだよな。
寂しいわ。
前からなんとなく気にはなっていて、先日、浅草ロック座に行ってみたのである。
場所は浅草演芸ホールからちょっと行ったあたり。「浅草ブロードウエイ」なる名前がついていて、幅は広いが車は入らないようになっている。向かいはリッチモンドホテルの下層に「まるごとにっぽん」とかいう明らかにインバウンド狙いの商業施設がはいっていたり、案外こぎれいな場所だ。道路もふくめて近年だいぶ整備されたんだろうという雰囲気。
ビルには大きく「ROCKZA」書いてあるがこれまたこぎれい。入り口にはファンから出演者に贈られたらしい花が飾ってあったり、出演者の顔写真が飾ってあったりするが、そんなにいかがわしい雰囲気はなく、階段を上ったところで昔ながらの映画館の窓口みたいなところでチケットを買うとすぐモギリのおっさんがいて「もうすぐ最終回はじまりますよ」と言われる。
公演は毎日午後1時から同じ演目を4回やっていて、料金は5000円(シニア、女性、学生、カップル割あり)、入れ替えなし。ただし、20:10以降に入場して4公演目だけみれば3500円。とりあえずこの割引時間帯にいったのである。
客層は推定45歳以上の小市民風なおっさんがメイン。競艇場ほど「怪しそうな人」は見当たらず、妙な酔っ払いとかもいない。普段はそれなりに真面目に仕事してそうな人も多い感じ。
サブカル好きっぽい女子二人組みとか、そこそこ若いあんちゃんとかもいないわけではない。
劇場内は、やや縦長の長方形で、ざっと120~130人くらいが座れる感じか。客席の両脇と最後部には寄りかかって立ち見するのにちょうどよさそうな手すりも完備している。
ほぼ満席だが、幸い空席をみつけて着席した。
舞台は真ん中から客席中央あたりまで花道が延びていて、花道の突端は丸い舞台になっている。
あそこで女性があんなポーズやこんなポーズをとるのだな、と思っているうちに開演。
場内に朗々と、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の主題歌(The hills are alive with sound of music~ ってやつ)が朗々と流れて、一応、ジュリー・アンドリュース演じるマリアを意識したんだろうな、という衣装(ただし、安っぽい)を着たお姉さんがバレエのようにくるくる回ったりしながら踊ってる。
曲が終わったので、いよいよ次は脱ぐのかと思ったら、子供役と思しきお姉さんも7人でてきて、「ドレミの歌」が始まった。
古い映画なので知らない人も多いと思うが、「ドレミの歌」というのは、厳格な軍人の家であるトラップ家に家庭教師にきたマリアが子供達に音楽をおしえる、というテイの歌なのである。ちゃんと振り付けも、子供達にドレミを教えるっぽいミュージカルっぽい感じになっている。一応、映画のオマージュ的なことなのだろう。
で、ドレミの歌が終わると、子供役のお姉さんの一人がネグリジェみたいなカッコに着替えていて、マリアに手を引かれて、花道突端の円形の舞台までつれてこられた。
BGMは、これも「サウンド・オブ・ミュージック」の曲なのかどうかは良くわからないが、なんか英語で「さあ、今夜もゆっくりお休み」みたいなことを子守唄風のメロディーで歌っている。
そうこうするうちに、マリアは子供を寝かしつけて舞台から引っ込んでしまった。
そして、この女の子が目覚めるテイで起き上がると、一枚一枚服を脱いでいくのである。
正直、ここまでの流れにいささか関心してしまった。いや、なんか、「ちゃんとつくってる」じゃん。
正直、踊りのレベルがどうとか、そういうことは素人なので良くわからん。
土屋太鳳がときおり「アタシ大学でダンスやってたんです」ってことでやってみせるモダンダンスよりはレベルが低そうに感じた。
脱ぎ始めたときのBGMは、なんか「ええ歌風のJ‐Popのバラード」みたいなのだった。詳しくないので、曲名わからないけど。
怪しげなトランペットやサックスの扇情的なメロディで「ちょっとだけよ、アンタも好きねえ」という雰囲気ではない。踊りもなんというか「エロじゃなくてアートです」という感じ。もちろんストリップだから、あんな格好したりこんな格好したり、足を大きく開いたりもするわけだが。
あと、以前タモリ倶楽部でやっていた、職人芸的なリボンも、本当にやっていた。
これは、ボランティアのファンが、絶妙なタイミングでリボンを投げる職人芸である。
本当に絶妙なタイミングで、観客やお姉さん方の邪魔にならない方向にリボンを投げ、するすると手元に巻き込む様は、ベテラン漁師の一本釣り漁をみているようですらある。
そんなわけで関心しきりのうちに一演目が終わると、会場内にド演歌が流れ始めて、歌舞伎の「道行」みたいな、和装の二人連れが出てきた。男性役は男装した女性。一応、なんか逃げるように駆け落ちした二人、みたいな設定、らしい。
なんだか、振り付けに「ロボットダンス」みたいな動きがはいって独特な・・・と思って気がついたのだが、そうか、これ、人形浄瑠璃のパロディなのか!?
・・・と、そんなこんなで、どの演目も結構「ちゃんと」つくっていた。
各演目とも前半はなにかしらのモチーフを基にしたダンスミュージカル風な踊りをやって、後半は脱ぐ、という展開。
「銀河鉄道の夜」のパロディの演目では、インカムつけたお姉さんが「そのよる、ボクはカンパネルラと」とか朗読はじめちゃうし、きゃりーぱみゅぱみゅの音楽にあわせて、おもちゃの兵隊が踊る、みたいなのがあったり。
尾崎の「アイラブユー」に合わせて、何だが不幸な恋愛をしてっぽい二人がじゃれあったり抱き合ったりしてる、という演出もあり。
脱ぐときのBGMはなぜかJ‐Popが多い。ゆず版の「見上げてごらん、夜の星を」とかミスチルとか、意外なほどに合ってたりする。これはJASRACと契約してるんだろうなあ。
休憩中に、幕をスクリーンにして「本日の演目紹介」が投影されていて、最初の演目はちゃんと「サウンドオブミュージック」だった。先ほど「アイラブユー」にあわせてやってたのは「ロミオとジュリエット」だったらしい。なるほど。
本日最後の演目は「チャップリンの独裁者」らしい。何をやるんだろうか・・・と思っていたら、これまたなんか真面目だった。
ステージにはミリタリーっぽい服をきたお姉さんが立った・・・と思ったら、どこからともなく演説が聞こえてきた。
これ、あれや、「独裁者」の最後で主人公が全世界に向かってやる演説。高校のときに英語の教科書に載ってた。自由の尊さを訴えた名文やで。
やがて、演説にかぶさるようにピアノが流れてきて、お姉さんが踊っている。
はじめは何かに束縛されてるような踊り方だったのが、どんどん激しくなっているのは、多分、スピーチのテーマにあわせて、支配からの自由を表現している・・・というのは、こっちの勝手な解釈だが、でも有名な振り付け師でも出てきて「そうなんですよ」といわれれば納得してしまいそうな気がする。
最後、自由への戦いに立ち上がったかのようにこぶしを突き上げたポーズで一旦とまり、そこから曲が変わって脱ぎだすわけだが、これもあれか、支配からの自由の行き着いた先は、「洋服」という束縛からも完全に自由になるということなのか。(深読みしすぎ)
なんというか、みなさん、「売れない劇団の看板女優」みたいな雰囲気。体のラインはさすがに、それなりに美しい。ただメイクばっちりで色とりどりの照明もきついので、正直年齢とかは良くわからん。
あと、これはどこまで書いて良いのかよくわからないのだが、服は全部脱ぐ。で、それなりに高々と足を上げたり、のけぞったり、いろんなポーズをとる。
ちょうどかぶりつきに結構若いお兄ちゃんがいたのが、まさにかぶりつくように見ていた。
ま、ああいうシチュエーションであんなふうに見るのって、なかなかないからなあ。
あれが現在の日本の刑法上、どういう扱いになるのかはよくわからないが、平然とやっているところをみると、「わいせつ」とは扱われてはいないのだろう。
その昔のストリップ劇場は、観客が舞台にあがって女性とあんなこんなことができちゃう「ナマ板ショー」やら、個室で二人きりになってあんなサービスを受けられる設備やらがあったり、そりゃもういろいろある風俗だったらしいが、今の浅草にそんな雰囲気はなく、観客もいたって真面目に鑑賞しているのであった。
ま、各演目の前半はとくに興味ない風な客も多そうだが。
にしてもあのネタは誰が考えているのだろう? 作家とか演出家とかいるのかな?
なんか「昔、寺山修二や唐十郎に憧れてたじいさん」とかが裏でいろいろ携わっていたりするのかもしれない。全般的にネタが古いし。
というわけで、3500円が高いとは思わなかったが、まあ、どうしてももう一度みたいというほどでもないかな。
まあ、興味の沸いた人は話の種に一度くらいみておいても損はしないと思う。
にしてもあれだ。演目とか興味深かったので思わず、軽くメモをとってしまって、だからこそこんな増田もかけているわけだが、ハタからみたら「超熱心なストリップファン」に見えてしまったかもしれないと思うと、ちと恥ずかしい。
ま、どうせ知らない人ばかりだし二度とあうこともない(多分)だろうから、いいんだけどさ。
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910220106_2175c8ff_6759667065.jpg
あまりに欲しいものがなかったのでネタとして苦し紛れに買いました…一度も使ってません…
せめて家で使えるおみくじ付きボールペンにすればよかったかもしれません…
https://uploader.xzy.pw/upload/20180910221130_46815c65_36634e326b.jpg
唯一素で欲しいと思えたのはこのMIYAZAWA KENJIハンカチと同柄の手ぬぐいだけでした…
KENJIの部分は内側になるよう折りたたんで使用しています…
https://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/iwate/hanamaki/images/001_ph015.jpg
http://www.miyazawa-kenji.com/pic/3.jpg
http://kouda.asablo.jp/blog/img/2015/12/03/3e2647.jpg
革小物とちりめん小物の多さは地方あるあるなのでいいとして、肝心の賢治グッズが…安そうなフォントの詩歌と版画もどきのイラストがあしらわれたようなやつばっかなんですよ。銀河鉄道の夜といいポラーノの広場といい、宮沢賢治ほどビジュアルモチーフに強い文豪なんてそういないのに!もったいなくないすか!マジで!
ググったら出てきたビレバンのグッズの方がだいぶマシだったぞ!
https://vvstore.jp/s/search/q=%E9%8A%80%E6%B2%B3%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%9C
記念館および隣接する童話村はほんと素晴らしい施設なんです。特に童話村の展示の、各々のイメージを壊さない絶妙なラインをきわめた世界観の再現っぷりには感動しました。あとイルミネーションが言葉を失うほど美しかった。インスタに写真を載っけたらえらい数のいいねがついた。車でしか行けないような山中なのに10代20代の男女がたくさん来てた。
だからこそ悲しかったんです…あれだけ素晴らしい展示だったのに、ろくに貢ぎようのない売店だったことが…。同時に地元(瀬戸内海)のおみやげ達がいかにデザイン頑張ってたかも思い知らされました。国際芸術祭があったからでしょうか。
お願いです、次来る時はもっと花巻に貢がせてください。何かしらは買わなきゃなんて血眼にならなくても済むようにしてくださいお願いします。欲を言えば刺繍絵本(https://www.amazon.co.jp/dp/4898152783)のモチーフでなんか作ってくれたら泣いて喜びます。
ここまで筆者の属性を書いていなかったが、自分はラブライバー兼ガルパンおじさんで、最近はリズと青い鳥やヤマノススメ3期を待ちわびている、キモカネおっさんの中では結構残念な部類に入ると思う。
そんな自分にとって2018冬アニメの一押しは、ゆるキャン△と宇宙よりも遠い場所の2枚看板に無事収まった。
タイトル通りだが、前者を静とするなら、後者を動と言っていい、どちらも極上過ぎるエンターテインメントだった。
親エントリは両方を3話まで見た時点で「尊い」と書いたが、これは撤回させてもらう。
全話完走して、両者はそんな形容じゃ済まない、まさに神々しい作品というのが結論である。
というか、この2作品にポプテピピックを合わせて、少々気が早いかもしれないが、平成の最後を飾る名作が出揃い始めた、そんな気分になっている今日このごろ。
ちなみに平成を代表するアニメはエヴァでほぼ確定かな?別にセーラームーンでもプリキュアでもいいけど。
そんな台詞をつぶやく「ゆるキャン△おじさん」が出てきても全く驚くに値しない。ゆるキャン△はそれくらい「美味しい」アニメだった。
前にも書いたが、冬キャンプなんてどう考えてもゆるさの対極にありそうなネタで、ここまでゆるく、そして趣味が良い内容に作り上げるだけでも驚嘆モノである。
その上で、
「どちらかがアクションを起こさなければ何も進展しないが、同時に双方の等価交換で収まるくらいに留めるべき」
というコミュニケーションの原則を決して崩さない中で、登場人物たちが仲良くなっていく過程が、見ていてここまで面白く、かつ最高に優しい時間になるとは知らなかった。
筆者は原作未読だが、聞けば原作とアニメオリジナル部分が超シームレスにシンクロしていて、原作クラスタの諸兄も大満足なのだとか。
何よりもまず原作ファンを最も大事にする姿勢は素晴らしいし、それが当たり前になって欲しい。
その原作について、2期を作るにはストックが足りないというファンの見立てが正しいなら、いっそガルパン形式(劇場版+OVA)にしてみてはどうだろう。
というか、そんな事を思ってしまうくらい、これからもずっとこの5人の時間を見ていたい。
全話神回という、恐らくは前人未到の記録を打ち立てた大傑作、それが宇宙よりも遠い場所という作品だった。
未見の人はニコ動に課金するなり、来月以降BS11での再放送なりで是非見て欲しい。絶対にがっかりさせないことを約束する。
南極をテーマにしつつ、描かれる内容は結構日常的なのに、まさしく「青春はジェットコースター」という、爽やかなアツさを見る人に否応なく植え付けてくるのが素晴らしい。
「青年は荒野をめざす」という言葉があるが、それを現代に体現しているのかもしれない。
そして「旅」を意識する限り、青春は若者だけのものではないという意味合いもあるのかなーと思わされた。
更に本作品で描かれる旅の根幹は、宮沢賢治の名作「銀河鉄道の夜」に通じる要素を感じたり。
そんなこんなで、とにかく最終話の最後のカットまで文字通り全く見逃せない。本当に寸分のスキもなく面白く、更にその面白さを超える感動をもたらしてくれた。
その感動は、今や制作陣への感謝の気持ちとなって胸にあふれている。
それにしても今冬は寒かった。
ヒット作品、何かの賞を受賞してる作品、クリエイターがよく挙げている作品、ネームバリュー等々……要するに「よく語られてる作品」をリストアップしていたらあっという間に100を超えてしまったので、ちょっと手を加えて100作品に調整してみた。正直なところ100だと枠が全く足りない。映画だけで絞ってもだ。
オールタイムベストではないので、ここに載ってるから優れているとかそういう意図はないです。
元マスダです。
俺が評価しているのは、映像じゃなくて、作品の構成とか脚本の方なんだけど。
例えば、「リリィ・シュシュのすべて」は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を元ネタにしているのに気づいた。少し前の「リップヴァンウィンクルの花嫁」は民話などの異類婚姻譚の構成をしている。好きなシーンでいうと、「花とアリス」の中でアリスが離婚した父親とうんざりした会食の後、やっと帰れると安心した時に父親が携帯電話で流暢な中国語で話し、アリスが「え、この人、こんな人だっけ?!」みたいに驚く、心くすぐるシーンがある。
これらどう見てもカメラマンの実績じゃないよね。
20年前からずっと岩井って映像じゃなくてシナリオ、構成の作家だと思っている。程よく整ったゴダールというと、さすがに言い過ぎだけど。