はてなキーワード: 鈍感力とは
→全く面白くもないし生産性も感じられない。たまに偉い人が集まる会議に担当者として出席すると各部署のトップが「お仕事してる感出したいよね。俺たちめっちゃ仕事してるじゃんってアピールしたい。だって仕事って仕事してますよってアピールするのが本体じゃん?」みたいなことばっか言ってるの聞くと本当に死にたくなる。俺はこれからずっと定年までこの仕事をしていくことになって、その仕事の中で毎日こういった仕事ごっこにしか今日観がない連中の顔色を窺ってはスタンプラリーをするんだ。未だにデジタル印鑑すら使わず生のハンコに紙の書類。そうやって作った書類は「ミスったけどもう一回書類貰うの恥ずかしいじゃん?3と8ならなぞれば変えられるし、それでストーリー組み立てなおそうよ」と平気で書き直されていく。頭が悪くて、ずるくて、自己保身だけしか考えてなくて、人の役に立ちたいなんて気持ちはとっくに捨てた連中のゴミ捨て場。逃げて逃げて転げ落ちてきた俺に相応しい職場じゃん。でもこの職場にいるとここに相応しい人間なんだって毎日突きつけられてるみたいで死にたくなる。ここに10年20年といるうちに疑問に思わなくなるのも怖いし、疑問に思い続けながら暮らすのも気が違っちゃいそうだ。その隙間で俺だけは違うんだ俺はクズの中でクズの作ったものを浄化していく大事な人材なんだと言い張るようになって、でも実際にはそんなこと全く無い勘違い野郎になることでしか心の平穏が保てないんだろうな。でもそれって狂ってしまうしか無いってことじゃん。狂いたくないし、狂わなくてもなんとかなれるような人間になれる気もない。ここからまた逃げられるだけの位置エネルギーが俺の人生に残っているとは思えない。高齢フリーター、警備員、ビルメンテナンス、ここからもう一度転がり落ちて逃げ込めるのなんてそれぐらいだけど、IOCが民間ではドンドン進んでいく中でそれらの仕事が10年後に残っているのかと問われると疑問が残る。本当の上流において状況を管理する仕事は減らないだろうし、一番下流で人間にやらせたほうが安いからで機械に置き換わらない仕事も変わらないだろう。でも上流に行くには新卒か第二新卒で幹部候補生として入っていかないと無理だし、最下流の掃き溜めはいよいよもって外国人実習生レベルの待遇になっていくことが想像に難くない。自分が生き延びることだけを考えるならこのまま公務員としてクズだからクズの群れの中にいるのは当然なんですって自分にも他人にも言い訳を続けるのが一番なんだろうな。鈍感力って言葉が昔流行ったけどまさにそれぐらいしか解決手段はない。俺は徹底的に鈍感になって、もう何も感じることがない人間になるしか無いんだ。全ての感情を失った上で薄ら笑みを浮かべ続けて30年生き続けよう。もって生まれたモノだとか今までの人生の選択だとか単純な運の良し悪しで人生はしょうがなくしょうもない事になるんだ。他人には平気でそう声をかけられるのにいざ自分の事となると何とかなってほしいと蹲って震えだしてしまうのも鈍感力が足りないだけだ。もっと他人事と同じように自分の人生を扱おう。どうなってもいいやこんな奴の人生って感じよう。馬鹿にされてもヘラヘラ笑って辛くてもニタニタしてよう。毎日がつまらなくても諦めて、やってることに意味がなくても当たり前で、ひとまず飯が食えて寝れて土日のどっちかにゲームが出来ればそれでいいって考えよう。子供とかはもう諦めて結婚も諦めればいい。あとは親さえ寿命で死ねばもう俺の人生は俺だけのものだ。自分だけの人生ならどんなしょーもなくても大丈夫だ。たとえば子供がいたら親の人生がしょーもないと子供が不憫だけど、従兄弟の人生がしょーもなくなたって気にもならないから大丈夫だ。諦めよう。全部。
https://anond.hatelabo.jp/20210828230636 ←コイツが突然飛んできて傷口を広げられたので応急処置として言いたいこと全部描きました。落ち着いたわ。メシ買ってこよ
ゲーム盤の上に乱数発生器が載ってなきゃ運が絡まないと思ってる奴らの底知れない浅さたるや。
人間がルールや道具を作り出したあらゆる遊びや試合といったものは絶対的に対人であるということさえ理解できないのだろうな。
ファンタジーの世界で「皆には見えるオーラやエーテルが見えない存在」が時折題材になるが、立ち位置としてはそこに近いのでは?
ある種のクオリアのようなものが生まれつき欠如していて、普通に生きていれば見えるようになるものが生まれつき絶対的に見えていない、そうとしか思えないほどに、鈍感力が無限大の彼方へと突き抜けている。
だがそれでは、ゲームを論じることは出来ないのだよ。
たとえば味覚障害のあるものが「味覚障害のある人間なりに匂いと香りと見かけだけで食べ物を評価する」といった奇策を打っても、それが真っ当なレビューの一つに数えられることは永遠にない。
「将棋(を含めて全てのゲームは乱数発生器の搭載の如何を問わずに)運ゲー」とういことが理解できない人間が語るゲーム論は、絶対的に致命的に圧倒的に絶望的に喜劇的に根本的なピント調整が永久の不安定なままで語られていく。
たしかに彼らの語る論がたまたま偶然あってしまうことはあるが、それは単なるタイプライターを叩いた猿がシェイクスピアをかきあげたと言うだけであって、その主張の正当性は結局その著者たる猿本人によっては一切担保されないわけである。
著者本人が一切正当性を担保できないのでは、それは「論」ではなくて単なる「談」、ジョークブックに載ることはあってもマニュアルに載ることは永遠にないのだ。
若社長と会長からのありがたーいお説教のお言葉がどうにも心に響かねぇなぁ。と思った理由がわかった。
もともとこの会社で財務・人事関係の仕事をしていた父親が体調をくずし、引き継いでほしいと頼まれてこの会社に入社した。
調子の良い性格の若社長と会長に良いように使われる気配しかしない。ゆえに、はじめは断っていたのだが、父親の体調がどうにもこうにもならず、他の候補もなく。
一生懸命頼んでくる父親に、親孝行の一つもしなければならないかと、苦渋の決断で入社した。
結果は半分成功、半分大失敗だ。
ただ、ある程度裁量が出来る立場と、奇跡的に今までの職歴がいかせて、周りや、自分自身が驚くほど色々な仕事をこなす事ができている。
幅広い仕事を振られて、成長ができたのは事実だ。そこは感謝している。
世の中の流れに反して、ウチの業績は右上がりだ。
その結果、何が起きているのか。
表面上は良いのだが内部は成長が無いのだ。
昔いた資格者がどんどん定年で辞めていく。
やる気があった若者が「もう頑張れない」と辞めてゆく。
若社長と会長は、当然やる気がある若者を引き止めようとするが留めきれない。
当たり前だ。
私は立ち場を利用して強気に無理だと言うが、それでも「頑張れない」と思うくらいだ。
真面目に、がむしゃらで頑張っている彼らはそんな事を言えない。それに気が付かず、休ませる機会を作らずに「大丈夫、もっと出来る頑張れるお前なら出来る」と言う馬鹿にどうして付いて行けるのか。
資格取得の支援や、稼ぎたい者や、家族との時間を優先したい者等を確認して、今後の体制を整えないと行けない。
別に給与が貰えれば会社がどうなろうとどうでも良い。と、割り切りたいところだが、なかなか人間、そう簡単に非情徹することもなれない。
立場的に、偽善もあるのだが、若社長と会長に苦言を言わざるを得ない。
その結果が「お前の言い方はキツイ。そんな言い方を俺達(会長、若社長)に対して言ってるのを聞いたら、他の社員からお前はどう見られるのかわかっているのか」である。
……言い方がキツくなっているのは認めよう。
何故なら若社長と会長に嫌悪感を抱いているからだ。きっとそれが滲み出てしまっているだろう。
「もっと思いやりを持って、優しく言ってくれたら聞くのに。周りの社員はできてるのにお前は…」と、彼らは言うが、他の社員は貴方がたが怖いから言えないだけである。
正直な話、私は社員から会長と若社長が話を聞いてくれない、言ってる事がコロコロ変わる、支持が曖昧で分からないと、愚痴をずっと聞かされ続けている。
何故こんな愚痴が自分に寄せられるのかと言えば、私だけが若社長と会長に物を堂々と言えるからだ。
父親には悪いが、私はもうこの会社を辞めたくて仕方がないので、会長と若社長の機嫌を損ねる事に躊躇いがない。しかしながら会長と若社長は、私が不正を働いたり、怠ける程の度胸が無いからと重要な仕事の大半を私に引き継いでしまったので私を手放せないのだ。
何故自分は、こんなにも会長と若社長の言葉をスルー出来るのだろうか。
もちろん退職したい気持ちがあるからもあるが「お前は冷たい、周りにも冷たいと思われているぞ」と言われて、普段の自分ならもっと傷つくところである。
そして気がついたのは彼らの言葉はあくまでも私を慮って言葉に気をつけろと言ってるわけではなく「だから俺たちに優しくしろ」が後ろにつくからだろう。
また「私は従業員に冷たくしたり、理不尽なことを言っていますか?」と尋ねれば、彼らが「それはないが、きっと周りはお前を二重人格者だと思ってる!」と端切れ悪く答えるからだろう。
結局、彼らは自分を、甘やかしたいという事しか考えていないと思って私は苛立ち、そうして傷つくことが無いのだろう。
怒りというのは強い盾だと最近思う。
私は常に彼らに「私に対して〇〇をしろ」と言ってるわけではなく「もっと従業員の言葉を聞け」と言っている。
何故私は自分では無く、他人の為にこんな事をしているのか、しばしば不思議な心地になる。
まあ、結局は己がいる環境を快適にしたいゆえの行動なのだろう。
とりとめのない話になった。
平行線の様な会話をいつまで続けるのだろうか。
彼らは変わるのだろうか。
私の言い方を変えれば、彼らは変わるのだろうか。
苦言を辞める事が出来れば、徒労を感じて疲労する事も無いのだろう。
それが出来無いのは、所詮、自分は従業員に頼られていると言う優越感と負い目を感じているのだ。
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追記しておく。
しかしながら世にいう外様と言うもので、立場は上記のとおりである。果たして会社が潰れた時に、法的にどの位の経営責任を取らされるやら…その前に退職できる事を願う。
問題は会長も認める若社長の営業力はあるのに経営力の無さだ。会社内での求心力の低さや、散財の多さを、どうにかできるか、それに今後はかかっているだろう。
親族経営は私の場合は身内だからこそ余計に耐え難いが、どうしても他人より、謎の甘えが働くのも良くわかる。
そして、仕事なのに家族と接すると言う状況に使った結果、不思議な事に従業員の事を家族と言いだし、家族と同じ様に従業員に甘えが出始める。
ハラスメントって受け手側がハラスメントと感じたらハラスメントだって言うよね
つまり、受け手のダメージによってハラスメントかどうかが決まるという考え方なわけだけど、
何度考えても納得がいかない
他人の言動に対する鈍感力というか、いわば精神的な防御力の差があるわけじゃん
防御力100の人と防御力0の人に対して、同じことをしたのに相手によってその行為がハラスメントかどうかが変わるってのはおかしいじゃん
物理的な行動に例えてみよう
俺が室伏広治相手にローキックするのと幼稚園児相手にローキックするのではダメージが段違いなわけだ
でも、ローキックした時点で暴力は暴力だから、アウトだってのはわかるよ
じゃあ鎖骨が折れている人の肩をポンって叩いたとしたら、めっちゃ痛かったとする
でもそれは包帯も何も巻いてなかったら、こっちのせいじゃないよな
そう、物理の場合と違って、メンタルは防御力マイナスのやつが結構いるのが問題なんだ
また、肉体の傷は見た目でわかるけど、メンタルがヘラってるかどうかは外見で識別できない
さらにいうと、メンタルの場合は当たり屋もいて、それを防ぐのも非常に難しい
物理的なダメージは、明らかな傷なり痣なり骨折なりで外側から診断が容易にできる
ダメージ受けましたって、他人を陥れる目的で虚偽の申告されたら、それがそのまま通っちゃうんだよ
肩叩いたら骨折れましたーって、物理で言ったら荒唐無稽な話だけど、
メンタルの話だと被害者のダメージが検証されずに鵜呑みにされてしまう
つづき。
子どもが何で悩んでいるのか。これを把握するのが一苦労だということがとりあえずわかった。
まず、自分で説明などしてくれない。というか、まだできないのだ。
自分の感情に向き合い、起こったことをできるだけ客観的にとらえ、筋道立てて説明するなど小学生に期待するほうが馬鹿げている。
彼らは「眠い」を「あいつムカつく!なぜこんなにイラつかせてくるのか」と変換して伝えてくるような生き物だ(そこが可愛くもあり厄介でもある)。
どうなれば安定するのか、何を目指すのか、ということを親がああでもないこうでもないと探り続けていく。それしかない。
そういうわけで、各方面から色々探ってみて、今日ふと気づいた。
私が今まで一生懸命伝えてきた
「あなたと私は同じ人間で、対等で、お互いに意見を言い合う権利がある」という考え方と、現実社会の価値観が乖離していることが問題なのかもしれない。
いや、私なりに現実との折り合いの付け方についても話してきたつもりだった。
でもそれは単に「仕方なく折り合いをつける方法」でしかなく、同じ人間として誰とでも対等に付き合うという前提を崩すことなど考えなかった。
私の言ってることはある種理想論で、実際の子供たちの社会では、仲間意識がやたら強い子、
大人の理屈に対する言い訳をうまく用意できる子、年上・年下・男・女などの属性で対応を変える子、
相手の力量を推し量るのが上手い子などいろんな子がいる(彼らの個性を責めているわけでは決してない。念のため)。
その中で関係を築いていくには、私の教えてきたことだけでは不十分、いやむしろ「お母さんの言ってたこと全然違うんだけど・・・」と混乱させていたとも考えられる。
私は親にされて嫌だったことは絶対子供にしたくなくて、そこから出発して「じゃあ親の価値観に代わるものは何だろう」とか「とはいえ同居家族とのバランスも考えなくては」とかいうことでやってきた。
ただ、「既存の価値観を疑う」「新しい方法があればどんどんチャレンジする」が生きる理由なタイプの暴走しがちな発達障害グレーゾーンなので、このへんのバランス感覚がうまくいってなかったのだと思う。
てか、理由、私やんけ!となって、親という役割の業の深さを噛み締めている。
尊敬できる親に育てられて、その価値観をすこし現代風にアレンジするだけで大体のことがうまくいっちゃう魔法のような育児環境が2万円くらいで手に入らねぇかな~!!!とか思ってしまう(しかしもはやその人は私ではないだろう)。
「人権」とか「多様性」の概念の難しいところは、100%の正しさにたどり着くことが不可能なところだと常々思う。
より「正しい」と思える方を探して日々模索しているわけだけど、「誰の意見も否定しない」を一切例外を作らず遂行すると「レイシストにはレイシストの言い分がある」となって矛盾してしまう。
それに自分のやり方を日々ブラッシュアップし続けていると、まわりが停滞しているように見えてしまう。何世紀前の価値観だよ…と(暴走気味に)見下して優位に立とうとしたりしてしまう。
差別の芽はそこここにある。相手より優位に立とうとする気持ちと戦いつづけるのは簡単ではない。
それでも諦めたら終わりだ。特に、子供の前でそんなことは絶対にできない。
結局のところ大切なのは鈍感力とかテキトーさみたいなものなのだ。そのあたりで子供もつまづいている気がする。
いや、「気がする」とか言ってる場合じゃないな、私にできていないことを子供に求めてどうする。
私は頭の中が多動で注意欠陥なので鈍感力もテキトーさも掃いて捨てるほど持ち合わせているのだが、肝心なところでストイックさが顔を出してしまうのだ。
そしてたぶん、子供もその傾向がある。少なくともうちの兄弟の中で、あの子が一番その傾向が強い。
支援は必要だけど、特性をもつその人が「劣っている」ということでは決してない。
発達障害的な特性と向き合うとき、一番重要なのは二次障害に発展させないことだと思う。
だから今回のことはどうしても踏ん張りたい。
» 思春期は周囲の影響を受けながら一人の大人として自分を確立する時期です。仲間集団の役割は大きく、この時期の仲間関係のトラブルは大きな影響を及ぼします。思春期に見られる様々な問題行動に対応するには、子どもにとっての目標と背景要因を理解する必要があります。「両価性」は思春期を理解するためのキーワードです。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-002.html
このページで、不登校に関しては登校することというよりも、本人が何の問題に躓いているのか、どんな自分になりたいと思っているのかを把握し、それを実現できるように大人がサポートするべきだと書かれていた。
そうだ。うちの子は今、やり残していた宿題に取り組んでいるんだ、と思った。
どうも、今までわりとひとりで休み時間を過ごすタイプだったのが、最近になって友だちと一緒に球技に精を出すようになったようで、今回のことはどうもそれがきっかけであったようだ。
担任の先生との話でも出たのだが、これは本人としては相当がんばっているんだと思う。
しかし自分がスルーしてきた問題なだけに、どう取り組んだらいいのか手探りだ。
まあ明日になったら「あ、やっぱ違うわ」とかいって方向転換してるかもしれないけど。
おわり
なんていえばいいの?鈍感力・粘り強さ?
1位 タバコ・酒を有難がる
毒を体に流し込むだけの自傷行為、そこに神聖さも無ければ高貴さもない。楽しい!までで終わらせる。
2位 趣味に優劣をつける
アウトドアは立派で偉い。パソコンカタカタは気持ち悪い。そう言っておいて仕事でわからないことはバカにしていたパソコンマニアに聞きに行く。マジダセエ
3位 差別をする
女ごときがっていうぐらいならテメーはリリアンヌ・ベタンクールより金持ってんだろうな?女ってだけで下に見るってことはそういうことだぞ。ばーかばーか
ギャンブルするならせめてFXにしとけ。胴元が勝つだけのコスパが悪い遊び、もしくは犯罪に関わるのはアホだろ。
相手が大卒なら「さん付け」で高卒なら「くん付け」とかそういうのが結局差別でしかないことに気づいてな~~い。鈍感力凄~~い。
6位 舐められたら負けの世界で生きている
7位 サラリーマンの癖に忙しい自慢をする(自営業の場合はセーフ)
良いか悪いかじゃなくて昭和なんだよね。時代も1つのTPOであるってことを理解してほしいんだよね。合わせる必要があるのよ社会人気取るなら。
手間暇はクオリティをあげるためにかけるのであって、目的と手段を履き違えるのはどうしようもねえよ。
10位 誰もが同じ価値観を共有していると思っている
結局昭和の間ですら狭い田舎社会の中で共通の価値観あっただけで日本全体ですら統一されてなかったじゃね―か。幻想の中の昭和ぐらい捨てとけ。
会社の環境も役割も前職と異なりわからないことが多く、細かく質問しすぎてしまう。
その結果、「何もわかってない」「なんでも人に聞く」「前に聞いたことがわかっていない」状態になっているという罪悪感でいっぱいになる。
聞いたことはメモをとっているのだが、細かい設定が違っていて再現しない、ということが多く起こる。前提知識がないため、その細かい設定の差に思いが至らないことが多い。
そんな感じで後手に回ると、すべての仕事が回らない。大事なことがおろそかになっているというか、全部大事な仕事なので、大事な何かがおろそかになり叱られる。
コミュニケーションについてもうまく適応できない。手段の相談をすると、「手段はどうでもいいから、目的の話をしてくれ」と言われる。
前提になっている目的の記述を加えると相談をすると、「結局何をするか具体的な提案になっていない」「自明なところに時間を使わなくていい」と言われる。
まとめると、現職で期待されている動きを悉く間違ってしまう状態だ。
その結果、ちょっと怖くて相談するのをためらってしまう。ただし相談をためらうとまた仕事が遅れてしまう。なので、ストレス抱えながら「すみません、」っていいながら確認させてもらっている。
助言を求めたいのは、以下の項目です。
1. 「あいつダメだな」って思われているかも、と考えてしまう状態で、質問や相談をする上でストレスを軽減する意識転換方法。どうやったら鈍感力をもてるのか
2. 逃げる基準。心身がどのようになったら休むか転職あたりを考えるべきか。
でも苦しい。
(追記)
引用記法というのがあるようですが、うまく使えないのでざっくり追記してみます。
いま自分で分析してみたのですが、罪悪感でいっぱいになり萎縮している状態にあるようですね。休日も悩んでしまいリフレッシュできない。
同僚にはたまに相談しているのですが、なかなか改善できず。呆れられそうで相談も怖くなっているという精神状態。
まずはリフレッシュですかね。