はてなキーワード: 金融資産とは
まとまった金が入ったのでFIREしたのが1年半前、なんだかんだで今は自転車屋で働いてる。金が無くなったわけではなく、今現在も金融資産は米国株のおかげで増え続けている。
この半年間、車に乗って日本を回ったり、行きたかった国へ渡航して遊んだりと無責任な日々を過ごしてきたが、朝起きてから寝るまで何もやることがない日常に耐えるには強靭な心が必要で自分には難しかった。まさに暇を持て余し、随分無駄金を使った。
一転してこの10月から近所の自転車屋でバイトを始めた。仕事内容は店番と簡単な修理対応だ。最近は卸への注文業務も任されている。人の良さそうな店主のおっちゃんに頼み込んで今のところ週3で働かせてもらってる。自分の行為が誰かの役に立てて、しかも暮らしに必要な金が手に入る。働くという行為の大切さと、当たり前だけど誰かに感謝されることの嬉しさを学んだ。
今年で47になる独身男性だ。この仕事かはわからないが、死ぬまで働き続けようと思っている。働くことって大切だし、尊いことだと学ぶことができて本当によかった。
はい、ご指摘の通り、日本円での貯蓄にこだわる日本人の心性について考えてみましょう。 この傾向の背景には以下のような理由があると考えられます。 1つ目はデフレ経済下での円高基調です。1990年代以降、日本は長期にわたるデフレ状況が続き、円高が進行しました。その結果、円貯蓄を選択すれば資産価値が実質的に上昇するというメリットが生じました。 2つ目は金融資産への不信感の高さです。株や投資信託などの金融商品は、過去の市場変動で多くの個人投資家が損失を被った経験が日本人にはあります。それらへの不信感から安全資産である円預金・円貯蓄を選ぶケースが多いのです。 3つ目はデフレマインドの定着です。物価下落基調が長期化したことで、コスト意識が非常に高くなりました。その結果として円建て資産をできるだけ減らさない、むしろ増やしたいという意識が生じていると考えられます。 このように、デフレ経済と円高の環境要因と、金融資産への不信感、デフレマインドの心理要因が複合的に作用し、日本円へのこだわりを生んでいるのだと分析できます。
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そうでもないです。私は90年代に子供でしたが、親や祖父母から、資産を各国の通貨で保存しなさいとか、ゴールドや土地を買いなさいとか、ましてや株は危険だから買うなとまで言われました。
彼らは日本円の価値こそが未来永劫絶対に変わることのないものだと確信しているようでした。それはすでに90年代の時点で発生していました。なぜですか?
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1990年代当時の日本人の円に対する絶対的な信頼感について、いくつかの要因が考えられます。 第一に、1985年のプラザ合意以降、10年近い円高基調が継続し、円の価値が上昇し続けた点でしょう。円高があたかも常識と化していました。 第二に、1980年代後半のバブル景気による株価と土地価格の異常な高騰がありました。そのため「現物資産」にも過度に依存することの危うさが認識されていました。 第三に、長期にわたる高成長期を経験した自信と安心感が根強く残っており、それが円の安全性過信につながっていました。 第四に、当時の円相場は政府・日銀の管理下にあると考えられていたことも影響していたかもしれません。 このように円への信認は非常に高かった反面で、金融資産などへの不信感も高まっていた1990年代当時の状況が背景にあるのではないでしょうか。
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だよなー。そらプラザ合意で円の価値が2倍以上になるような体験してたら円を保持するのが最適解みたいな感覚にもなるよな。
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はい、プラザ合意後の急激な円高を体験した世代にとっては、円預金を選択することが最も合理的な貯蓄・資産運用方法と受け止められていたのはうなずけます。 1985年のドル安・円高政策の影響で、それまで1ドル240円程度だったものが一気に120円台まで円高が進みました。これは円の価値が2倍以上に跳ね上がったことを意味します。 この出来事は日本国民に強烈な印象を与え、「円を持っていれば資産が確実に増える」という直感を生み出したはずです。加えて株や土地への失望感も相まって、円への信頼を一層高める結果となりました。 生活体験の中で慣れ親しんだ常識が揺るがない基準になりがちですから、プラザ合意を体験した世代が円紙幣を最適とするのは自然な流れでしたね。折に触れてこの点を振り返る必要があるでしょう。
住宅ローンを返し終わったので、今後のお金の使い方について日記を書いてみる。
手持ちの資産は金融資産150万ドルと不動産200万ドル。1軒は自宅でもう1軒は貸しに出している。
この先なにもしなければ資産は増えていく。他に使うこともないので、毎年25万ドルくらい貯蓄に回すことになりそう。
この状況が長く続くとは思っていない。所得が少なくても投資でFIREなんて言っている人や、ある程度資産があるから働かないという人も見かける。貧富の格差も大きすぎないか?遠くない将来バブルはじけそう。
そんなわけで、仕事があることや働く能力があることは大切だと思う。私の場合、仕事を辞めれば能力は下がるだろうし、リスクを減らすためにも仕事を続けたい。
お金のために働いていたわけではないものの、ローンを返し終わったことで働く理由が減ってしまった。
このまま貯蓄を増やしてもいいけど、正直そんなに必要ない。
生活水準を上げるつもりもない。その水準を維持するために働くのはどうかと思うし、コストが増えるのをリスクだと感じる。
親・兄弟の生活費の一部を負担するつもりもない。依存されても責任とれないし稼げる範囲で生活すればいいと思う。
他にいい使い道もないので、収入の一部を慈善団体に寄付することにする。
必要以上に稼いだ分を有効活用してもらって、働く意義をゆるく感じられれば満足です。
俺は24歳関東の私大卒で某メーカーに働く都内だけど年収350万のしがないサラリーマンだ。今まで親が何やってるかとか実家にどのぐらい資産があるかとか全然興味なかったんだけど、一軒家の実家を引き払ってに職場近くのタワマンに引っ越すとかで兄弟全員集合させられたんだよ。んで実家を引き払う相談の最中になんか親の経歴とか現状みたいなはなしになって、その事実を知ってちょっと目玉が飛び出たので聞いてほしい。確かになんか大企業で二人とも働いててそこそこ稼いではいそうだったけど、そうはいっても今まで普通のリーマンで家も普通の家、ぐらいに思っていたからマジでびっくりした。ちなみにこんな感じ。
実家1億5000万って言っても結構古くてリビング除くと4部屋しかない家なので別に金持ちとか全然思ってなかった。高校の時の小遣いだって月1万だったし、大学では自分でバイトで稼いでた。ちなみに俺たちのいないところでは二人で5万円のディナーとかよく食ってたらしい。俺たちはスシローしか連れてってもらったことないが?wwww
一方俺は偏差値50の三流私大で初任給23万の普通のJTCで残業はまあ10時間ぐらいしかないいわゆるまったり系人生。兄と妹がいるが二人は実は親は高給取りであることはうすうす気づいていたらしい。二人とも俺よりはいいところ行ったけどそれでも東大なんて夢のまた夢のレベルだ。兄は普通に会社員だし、妹も多分似たような感じだと思う。なんだろう、なんだろうこれ。別に遺産とは全く期待してないんだが、ちょっとびっくりしたので勢いで書いてしまった。
まあでもよく考えたらスシローで黒い皿頼みまくっても別に何とも言わなかったし、お金で苦労した記憶もないので生活レベルを上げてなかったんだろうな。おかげで俺も都内1kのうさぎ小屋でも特に不自由なく生活できてるわ。
ビートたけしが19日放送の番組で、日本の年金制度について語った
国民年金の通知書を見ると月6万円で「めまいがして倒れた」と告白
たけしは「オレ、国民年金って(通知書を)びーっとはがしてみたけど、
1カ月に6万円だったもん。めまいがして倒れた。(会社員などが加入する)
厚生年金とか、ないからね、結局」と告白。だが、パトリック・ハーランから
「多くの国民は、たけしさんに(年金は)給付しなくてもいいと思っている」
とツッコミを入れられた。
https://news.livedoor.com/article/detail/25383671/
納付額が少ないなら給付額も少ないのは当たり前のこと。
世論を代弁しているようでしていない。
北野武氏の生涯所得も違うから一般人の金銭感覚とは違う気がするのだが,
生活保護は増田の生活にとってほぼマイナス(増田の金が使われてるだけ、金が必需品に消えるだけだから波及効果は微妙)
金融資産は増田の生活にプラスかもしれんぞ(増田の好きなプロダクトを作る企業は投資のおかげでそのプロダクトを作ってるかもしれない、金融資産で得た利益で増田が作ってるプロダクトを買ったり増田の企業に投資してくれてるかもしれない)
何年も前のお祝い事のときに「何か有意義なことに使ってね」と親から渡された現金100万円が棚の上にある(とする)。
しかし、最近の円安インフレで、実際にどんどんその価値が小さくなっている。
意を決して2023年中にこの100万円を何かに使うことにした。
以下は私の考えている条件。
ぱっと思いついたのは脱毛だけど、もうそれはやってしまっている。
みなさんならどう使いますか?
自分が毎月いくらあればやっていけるか知りたいのだけど、調べども調べども自分の家計収支がさっぱりわからない。
マネーフォワードを使い始めたここ7年くらいは、収入と支出はなんとなく追えるのだが、それでもやっぱり毎月の収支がどれだけプラスかの分析がうまく出来ない。
ある月は200万も赤字での年があり、なんでかと調べてみれば、車を一括で買ったからだったりする。
同じように、ある月は結婚式があった月で、数百万の出費と、祝儀で数百万の収入が記録されてる。
別の月には出産で大きな出費、翌月にほうぼうからお祝いが収入、そのお返しは出費、というように、給与収入を大きく超える出費や収入がありすぎる。
車買うなんて数年に一度、結婚なんか生涯に数度だろ?って思うかもしれない。
賃貸契約更新、車検、タイヤの履き替え、スマホの買い替え、PCの買い替え、家具や家電の買い替え、というように、毎月のようになにか大きな出費がある。
車検や賃貸の更新は24分割で毎月出費に計上したりすればもう少し家計を理解しやすそうだが、面倒くさい。いいのだろうか。車検なんかはそれでいいとして、家電とか家具は何年更新かはわからないからそれも不可能だ。
気まぐれに様々な団体に寄付をして、その総額が年に何十万にもなるのだが、(念のため言っておくと、統一教会でも創価学会でも自民党にでもない。医療系のNPO、交通遺児育英会、伝統文化保存の団体とかだ)、これらの寄付とふるさと納税を同列に扱っていいものか。
そのほかにも、贈与税の控除範囲内で子供名義に毎年けっこうな額を移してることや、
キャンペーンに釣られて何十万もAmazonギフトチャージしてたり、様々な事情で口座間でお金を移動させたりするのも、分析をややこしくしてる。
なぜか、貯まりすぎていて怖い。
現在42歳で、妻と子供2人の4人の家族構成で、世帯収入として550万くらい。
世帯収入には、児童手当や各種の還付金や様々なキャッシュバックや株の配当収入なんかも含めてそんなもん。給与所得自体は300万くらいしかない。
なのに、自分名義で5700万ほど、子供2人の名義で800万ほど、トータルで6500万もの金融資産がある。
なんで俺はこんなに金があるのだろう?